それは狂わせた。 作:こよみ
二年目。今年度も始めからやらかしてくれた。どうやらお騒がせポッターは穏やかな新学年の始まりを迎えさせてはくれないらしい。噂では未成年でありながらも許可なく魔法を使って警告をもらっただとか、空飛ぶ車で暴れ柳を破壊しただとか散々な言われようである。良いぞもっと言ってやれ。
わたしはというと変わりなくいつでも忠実なお嬢様の犬である。そして、親から何となく事情は聞いたのかスリザリンでの地位は更にランクダウンした。今ではスリザリンの犬だった。はい喜んで、何でも致しますよ皆様方、わんわん。
ついでに闇の魔術に対する防衛術の新しい先生は使えない奴だった。というか母の知り合いだった。母の不名誉を外に出したくなくば従いなさい、はい分かりましたわんわん。こうしてわたしの飼い主は増えていく。
喜んで授業の助手をやり、喜んで嘲笑され、喜んで貶められた。グリフィンドールはゲラゲラ、ゲラゲラ。スリザリンはクスクス、クスクス。勇気ある少年少女が聞いて呆れる。仲間思いの少年少女が聞いて呆れる。集団心理にやられた奇妙な常識に囚われている。こうして人間は狂っていくものらしい。
「もっと面白い芸はないの? パンジー」
このところまたパグ犬に近付いてしまったお嬢様が、まだまだ使いこなせぬ魔法をかけた。ウィンガーディアム・レヴィオーサ。服だけがふわふわ、引っ張られても抵抗はしない。色気のない下着が晒されてどうぞご覧あれ。何の魅力もない木綿の下着です。わんわん、ゲラゲラ、ご笑覧。
「……悪趣味ね」
ぽつりと呟いて興味なさげに読書に専念するグリーングラス様の様子が嫌に目についた。あれぞ品位あるスリザリン、ゲラゲラ笑う皆様方も見習ってどうぞ。魔法界の重鎮マルフォイですら笑い転げているのにあの落ち着きっぷり。将来大物になりそうだ。
ひとしきり芸が終わって深夜のこと。誰もが寝静まっていてもわたしはまだ眠れない。三人分の筆跡で宿題を終わらせて、鞄の準備を終わらせて。いつもの日課、いつものルーティン。ああそうそう制服にアイロンもかけなくちゃ。
しかし今日は視界の端に美しい瞳が写った。
「……グリーングラス様、起こしてしまって申し訳ございません」
その新緑と大地と海の混ざりあったような美しい瞳は、見るだけで囚われてしまいそうな妖しさがある。ダフネ・グリーングラスを美女と呼ばしめるその瞳。そこに浮かぶ感情は見たことのないもので、だからこそ簡単に狼狽える。
「貴女は誰より優秀なのに、パンジーごときのためにそれを無駄にするの?」
――息が止まった。本当に何を言われているのか脳味噌が理解してくれない。早く答えを返さねば失礼だというのに、言葉はどこかに逃げていってしまっていて答えられない。何故、どうして、どのように。分からないから答えられない。
「……わたし、は」
「次から私の分はやらないこと。自分でやるわ、私から学びを奪わないで頂戴」
「承知致しました」
それになら淀みなく答えられる。命令であれば何だって。質問なんてされたところで答えられるようなものはわたしにはない。いつだってわたしは人形娘なのだから。そこにわたしの意思など関係ないし必要ない。
白く、細く、硝子細工のような指が穢れたわたしの髪に触れる。思わず身を引くと、その手は着いてきて汚い頬を撫でた。触らないで。どうか、触れないで。あなたが穢れてしまうから。
「……あ、の」
「覚えておきなさい。そして誰にも話さないこと。……貴女の父親は――」
な、ぜ。何故グリーングラス様がそんなことを。分からない。理解できない、飲み込めない。けれど別にどうでも構わないことだ。ぞっとするほど美しいこのご令嬢は、わたしが仕えるべき純血の姫君。それ以外の何者でもないはずだ。
だというのに。だと、いうのに――
「二人きりの時は、シェイラ。ダフネと呼びなさい」
「はい……」
答えはYes。それ以外はあり得ない。純血の姫君相手に拒否をすることなど許されてはいないのだから、そうとしか答えられない。だからこそ分からない理解できないどうしてどうしてどうして。どうしてグリーングラス様がそんなことを言うのか。
一睡も出来ず夜が明けて、いつもの通りの日常が始まって。そう思っていたのに今日はハロウィン、死者の帰ってくる日。母は二度と帰ってこない。魂も残さず消え去った。だからこの日に意味はなく、祝いの気持ちを抱く馬鹿どもの脳味噌をカチ割ってやりたくなる。
そういえば、と思う。昨年はこの日にトロールが湧いたのだったか。ならば今年はきっと大イカでも暴れだすのではなかろうか。至極興味はない。それがお嬢様方を傷付けないのなら。ポッター? 好きにしろ。
ほら、ほら、今に来る。すぐに来る。ずるずると這いずり回る――ハロウィン会場からの帰りに。それは、あった。生きたまま石像にされている猫。嫌われ猫のミセス・ノリス。憐れな憐れな普通の猫が、石にされて脅迫文を盛り立てる。『秘密の部屋は開かれた――継承者の敵よ、気を付けよ』。
秘密の部屋。それは昨年調べたところによると五十年前に開かれて憐れな女生徒を殺したらしい。犯人は判然としている。ルビウス・ハグリッド。先日もドラゴンとかいう危険生物を飼おうとしていた罪人だ。しかし捕まらない疑われない追放されない。あの日ダンブルドアに破り捨てられた紙切れを、もう一度まとめ直して今度は寮監へ出しに行く。
「話は通しておこう。しかし、期待するな。自分の身は自分で守りたまえ――特に、君は」
スリザリンのはぐれものたるこのわたしを憐れんでくれるらしい。忠告はしかと聞き届け、しかし気を付けようもなく日々は過ぎる。隣にはいつでもお嬢様が、ブルストロード様が、グリーングラス様がいる。ここで危険に陥るならば、それは純血に楯突くのと同じこと。だからある意味ここは一番安全なのだと信じて疑わない。
けれどある夜また目が合って、グリーングラス様はおっしゃった。
「ミリセントはともかく、貴女は大丈夫よ。純血の誰もが分かっているはずだから。貴女の血はほとんど純血なのだと」
「左様で……?」
「そう。誰の、かは他の誰に分からなくとも、マグルの、でないことだけは確かだもの。必ず魔女と魔法使いの血を継いでいるのだから、貴女は大丈夫」
落ち着かせるような美しい視線。無条件に信じてしまいそうなほどの安らぐ声。理由は全くわからないし事情も飲み込めないけれど、ダフネが言うのであればわたしには信じられる。他ならぬダフネなら。
それより何より気になるのは『ミリセントはともかく』だ。ミリセント・ブルストロード。お嬢様のお友達のこのお方が一体どうして『ともかく』なのか。紛うことなき純血だろうに。
ダフネ曰く、彼女は本家の血筋ではあるものの、影武者として育てられた方の『ミリセント』だそうだ。本物の『ミリセント』は既にもうこの世には亡いらしい。影武者『ミリセント』は本家と違いをつけるため、その血に半分マグルが混ざっているそうだ。つまりは混血、半純血。狙われたっておかしくないと、そういうことだ。
ああ、それで得心がいった。無意識かなんだか分からないが、いつだってブルストロード様はダフネとお嬢様に纏わりついている。特に最近は。そういうこと、なのだろう。純血認定される自信がないと、そういうこと。
とはいえ世間で継承者とは、スリザリンの誰かだと目されている。マルフォイ、グリーングラス、パーキンソン。ノットにフリント、しかしてクラッブとゴイルは除かれた。頭の出来だろう。容疑者だらけのスリザリン。しかして犯人はここにはいない。その証明こそここにある。スリザリンから排除したいなら、まずはわたしを石にする。
怪しき人間は数多く。とはいえ答えは見つからない。今か今かと尻尾を出すのを待っていて、その間に噂は噂を呼ぶ。継承者はパーセルマウス。継承者はスリザリンの末裔。継承者の秘密の部屋には得体の知れない怪物がいて、その怪物をけしかけて回る快楽殺人(未遂)犯がいる。
被害者続々、死者は出ない。死んだ雄鶏達は食事に並べられ、蜘蛛どもは禁じられた森へと消えていく。日常の些細な異常事態。ぼーっとみやり、ふと気付く。いやいや待て待てその蜘蛛は、と捕獲してみれば。
「……わたしの目が飾りでないのなら、教授。これはアクロマンチュアの幼体では?」
硝子の中で蠢く蜘蛛がキシャアと教授を威嚇した。
「森の奥にコロニーを作っているという話だったが……ダンブルドアがもみ消した。すぐに駆除させよう……」
頭を押さえたスネイプ教授が率先し、校内から逃げ出して森へ続く蜘蛛どもを成敗し。これを放った当人に始末をさせて一件落着、にはなりはしない。あの石化は明らかにアクロマンチュアによるものではないからだ。そう、あれは犯人にはなり得ないのだ。
気付いて愕然。ならば一体秘密の部屋の怪物は、どのようにして生物の石化を成し遂げたのか。そんな時に響く声。
「ポッターがパーセルマウスらしいぞ!」
やりかねない。何とあのならず者の息子のハリーは心優しきハッフルパフのジャスティンに、蛇をけしかけたそうなのだ。生憎課題が増えてきたのでそれを片付けている間に起こった決闘クラブの顛末がそれ。流石ポッター、話題に事欠かない。
蛇、蛇、石化の蛇。コカトリスか、バジリスクか、あるいはメドゥーサなどか。しかしいずれも瞳を見れば死に至る。石化などという生温い状態ではなくそのまま死ぬ。手詰まりか、手詰まりだ。
とはいえ警戒は怠れない。お嬢様を守るためにはいついかなるときでも戦えねば意味がない。決闘、呪文、練習あるのみ。あの治りにくい切り裂く呪文が使えたならば、実に役に立ったろうに。記憶に埋もれたあの呪文はいくら掘り返しても出てこない。
目を見ず獲物を仕留める難しさよ。仮想の敵に何度もやられ、いつしかそれを無意識に追い求める自分がいた。殺せ、殺せ、怪物を殺せ。実に女の発想ではないのだが、生憎わたしは人形娘。殺人人形にでもなってみせましょう。
また学年末がやってきて、今度は何と、純血が拐われた。殺されたでもなく、石化したでもなく、拐われた。生徒の名はジネブラ・ウィーズリー。二代目ならず者どもの妹だ。周囲を騒がせたいだけならば妹を使うな、ならず者。
しかして様子を伺えば、何とロックハートに一任されている。ダンブルドアの支持者を失いたいのかどうなのか。心酔されているウィーズリーの娘は見棄てはられぬはず。ダンブルドアは追放されて、さようなら。
ロックハートに呼び出され、カナリア代わりに使われる。何故だか背後にはポッターと末弟ウィーズリー。どうやら彼らは無謀にも、ジネブラを助けに行くらしい。そして彼らもまたわたしをカナリアに使うらしい。いよいよもって、流石はポッターだ。
「スリザリンのピエロなんか石化したって惜しくないだろ」
「違いない!」
この外道どもめ。開けと空気が通り抜ける音がして、蛇口が開いてこんにちは。ロックハートに突き落とされ、ロックハートに吹き飛ばされた。流石に者間距離は考えろ。背中にこつりと杖が当たり、先に進めと促される。
先に進めば脱け殻がどどんと存在感を露にして。ロックハートが錯乱し、杖を奪ってオブリビエイト。しかしそれは誰にも当たらなかった。何故ならその杖は末弟ウィーズリーの折れた杖。呪文は逆噴射してロックハートはピュアハートに。さようならフィクション作家ギルデロイ・ロックハート。尊くない犠牲なのでもう忘れた。
天井崩れて分断され、奥の方からずるずる音がする。現れたのは蛇の王。まさかの肉楯として使われて、目は見ないままに呪文を乱射する。オブスキューロ、フリペンド、ステューピファイ。ギリギリで瞳はぐしゃりと潰れ、汚い液が漏れだした。
視界が消えたからか、痛みからか暴れるバジリスク。ポッターと二人で逃げ出して、開かれた空間へと飛び出した。横たわるはジネブラ・ウィーズリー。助け起こせど衰弱し、このまま放置すれば死にそうで。
そこでゴーストのごとき妖しい少年が呆然と呟いた。
「……ソーウェル? シャノン・ソーウェルか?」
「そんなはずがないでしょう。母は既に死んでいて、そもそもあなたとは面識はないはずです。五十年前の学年首席、ルビウス・ハグリッドを退学に追い込んだ英雄。ミスター・トム・マールヴォロ・リドル。わたしはシェイラ・スワンです」
それを聞いてケタケタ笑う。不気味で不安が溢れ出す。彼は全てを否定した。
「いいや、僕には分かる。君は――君は! いつまで経っても『シャノン・ソーウェル』だ!」
意味不明で理解不能。当然ながら完全無視だ。まずはいつの間にか消えていた蛇の王から殺そうか。杖を構えて周囲を見て。どこにも影が見当たらない。右も、左も、朽ちた部屋だ。
そこで光の文字が目の前を踊る。トム・マールヴォロ・リドル、が崩れて混ざって溶けてこねくり回されて。そして出来上がる『僕はヴォルデモート卿だ』。痛々しい青少年期の全能感が名乗らせるその名は皆を震撼せしむる恐怖の名。
しかし何故か、その文字は。死の飛翔を意味するその名前は。ひどく懐かしい響きをもたらした。何かがほどけて転がり落ちる。分かっていたこと、いつかは本当に『人間』にならねばと、そのための鍵が転がり落ちた音がした。
「あ、あ……」
声にならない声が漏れて、若き闇の帝王はサラザール・スリザリンの継承者としての自らの正当性を明かす。S.S。サラザール・スリザリン。シャノン・ソーウェル。シェイラ・スワン。そして――あの人も。連なる無数のSの群れ。SとSに挟まれて、出来るものは喪服の葬列。
嘲るように裂かれた口は、その真実を吐き出した。
「愚かな君に出来ることなんて、殺すことだけだよ」
事実、真実、それは全て証明されていた。母は死に、心も死んで、今もそう。母が母を殺したからわたしはここにいて、シャノン・ソーウェルを殺したからシェイラ・スワンはここにいる。死の淵でずっとタップダンス。踏み外せばおしまいで、だというのにいつまで経っても踏み止まる。まだその時ではないからだ。
そして、ああ、そして――
「ならば証明しましょうか」
力強く、フリペンド。放たれた魔力の矢は過たず蛇の王へと突き刺さり、一撃でその命を奪い去った。流れるようにエクスペリアームス。未来の帝王から杖をもぎ取り背後へ投げる。ジネブラを助けたいなどとは思わない。だけれどここにいるためには、助けなくてはならないのだ。
わたしが生きるためには絶対に、何かを犠牲にしなくてはならないのだった。さようなら蛇の王。わたしが生きる糧となれ。
一方ポッターとヴォルデモートは、お辞儀に決闘、卑怯な手。伝統に拘るといっても彼はゴーストに近いのだ。杖を弾き飛ばしたところですぐに回収するし、どこにでも移動できるからいつだって蛇の王の亡骸を利用できる。
飛んだ毒牙がポッターの腕をかする。毒が回って死にかける。けれども英雄『ハリー・ポッター』をダンブルドアがむざむざ殺すわけがなかった。不死鳥がどこからともなく湧いてきて、涙をこぼして元通り。
うっかり闇の帝王はそれを見逃して復活を許した。そうしてわたしは生きるために――
不死鳥はポッターとジネブラを連れ去った。わたしは置き去り、ウィーズリーの末弟とロックハートは回収した。おのれダンブルドア。久々に嗅ぐ不潔な臭い。スコージファイ、スコージファイ。
やがて入り口へと戻れても、そこはもはや閉じられて。ここは既に袋小路。配管の中を出口求めてさ迷い歩く。憐れなトイレのマートルが配管をぶち抜いて水を溢れさせなければ、同じくトイレのシェイラになっていたことだろう。
臭いよさらば、スコージファイ。談話室に集まるスリザリン達の脇を透明なわたしがするりと抜けて、部屋の中へと倒れ込む。流石にこんなのはこりごりだ。継承者が結局誰なのかは分からなかったがもう良いだろう。バジリスクは死に絶えて、拐われたジネブラは救いだされた。
めでたしめでたし、そこに人形娘は必要ない。