それは狂わせた。   作:こよみ

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煉獄の人形

 ベラトリックスに手酷く拷問されたわたしはエピスキーでは癒えないほどの傷を負わされた。おかげで苦い薬やら何やらを飲み続ける苦行の真っ最中である。代わりに苦痛はないが。流石に身体の色まで変わったグロテスクな女体はお気に召さないらしい。ありがたい休みだ。

 そんなわたしを教授が甲斐甲斐しく介護してくれた。ヤバい薬を呑まされ塗られ貼られていても、すぐにその傷は治らない。酷く見苦しい姿であろうに、教授は眉をひそめることなく淡々と世話をしてくれる。

「……あり、がとう、ございます、せんせ」

 たどたどしくお礼を言えば、教授は顔を歪めた。スネイプ先生。母の想い人。魔法薬学者で、死喰い人。分かっている。既に穢れ果てたわたしだから、触れてはいけない人だとは、分かっているのだ。触れられないほど尊く気高い人。

 けれど。

「喋るな。傷に響くだろう」

 厳しい顔でこんなやさしさを発揮されてしまったら、もう、止まることなんて出来やしなかった。わたしはこの人を救わねばならなかった。どんな手を使ってでも。生き延びてもらいたかった。

「で、も……っ、やらなくちゃ、先生……っ、わたし……」

 無理矢理起き上がって。制止されてもわたしが止まるわけがない。所詮は彼のためではなくわたしのエゴ。拒否されたって聞いてあげない。

「馬鹿者、大人しくしていろ!」

 叱咤する教授。けれどわたしはそれを飲み込ませた。視界が歪む。痛みでくらくらする。けれど、やらなくてはならない。出来ないとは思わない。無言のままにステューピファイ。そしてわたしは母の代わりに本懐を果たした。思ったよりも満足は得られなかった。

 怒るだろう。哀しむだろう。軽蔑されるだろう。けれど、この人のためならばわたしは人でなしにだってなれるから。緩んできた呪文をかけ直し、激痛をやり過ごしてそれに定義を与えてやる。それが出ていき、程なくその『わたし』は呼び出された。

 しばらく経って、何やら怪しい呪いに冒された『わたし』が帰ってきて。ようやくわたしは『わたし』が彼の色に染まらなかったことを知った。それはそうだろう。あんなことをしたわたしを愛してくれるはずがない。分かってはいた。けれど悲しかった。涙はもう溢れない。

「……何故、こんなことを」

 かすれて疲れ果てた声が問うてくる。答えなんてない。ただそうしたかったから、そうしただけ。きっと、きっと、彼が愛しているのはひとりだけだから。だから彼は母に振り返ることはない。永遠に。

「母は。きっと、こうしただろうと思ったんです」

「そんな……馬鹿なことを言うものではない。ソーウェルは……あの人は、そんなに弱い人ではない」

 その叱咤こそ弱々しかった。母は弱い人だった。同情と愛を向けたかったのがこの人であって、憧憬と愛を向けさせられたのが別の人物だっただけ。その人物も既にこの世には亡い、と思う。流石に母の娘達がどうなったのかまでは知る術もなかったから。

 もう笑い方も忘れてしまったから、笑えているかわからない。

「弱い人ですよ。あなたが好きだったことを一度も口に出来ないくらいには」

「それは……」

「あなたには心から愛する人がいる。だから、母は黙っていた? そんな強い人じゃありませんよ、あなたの知るシャノン・ソーウェルは。嫌われたくなかったから。あなたとの関係を決定的に変えたくなかったから。だから、何も言えなかった。怖かったから」

 教授の心が特定の人に向いていると知って、闇に堕ちて。けれど彼はダンブルドアの下へと降った。それを知っていてなお母は何も言わなかった。彼に死んで欲しくなかったからだ。だから、何も言わずにヴォルデモートに囚われていた。守るために。

 血の保存のために監視役として置かれていた少年と、母は奇妙な関係を続けた。娘達を産み出し続けながら少年と暮らしていたのだ。その先のことは知らない。断片的にしか分からないことだから。断言など出来ようはずもない。はっきりしていることは、最終的にマグルに拾われて隠れ住んでいたらしいという事実だけだ。

「……我輩は……僕は」

「答えは必要ありません。あなたが愛する人に殉じるというのならそれも好きにすれば良い。わたしも好きにします。母が、生きていれば。きっとそうしたから」

 まあ、その結果がポッターを守ることになるというのは流石に業腹なわけだが。母の精神をぶち壊した男の息子を助けたくはない。ただ、死ねとは思わないし、何なら生きて苦しめば良い。死ぬことは救いにもなり得るのだから。だから、守ってやらんでもない。

 その後教授は一言も話すことなくわたしの治療を終え、ホグワーツへと戻っていった。やはりわたしを振り返ることはない。分かっていたことだった。彼は先生で、わたしは生徒で、級友の娘。それだけだから。

 そして何故か入れ替わりに――別の人間と同居することになった。

「……シェイラ? 何てこと……どうして、どうしてこんな……!」

 悲痛に顔を歪める少女は一年ぶりに直に見る少女。ダフネの妹。かつてわたしが仕えていた娘。アストリア・グリーングラスだった。前よりは少し大きくなったようだが虚弱さは変わらないらしい。手をつかんでくずおれる彼女は立ち上がることすら出来そうにない。

「……おじょ、アストリア、様? どうしてここに……?」

 何故彼女がホグワーツでなくここにいるのか、わたしには全くわからない。けれど彼女はそれに答えてはくれないらしい。柔らかく温かい手のひらでわたしを撫でるとやさしく抱き締めてくれた。冷たい雫が頬を伝う。どうやら心配されていたらしい。

「こんなに痩せて……青い顔をして……どうして、どうしてこんな扱いに甘んじているの?」

「それを、アストリア様に説明する理由はありません」

「シェイラ」

「ごめんなさい。でも、説明するつもりは本当にないんです」

 そう、説明したところで何の意味もない。わたしが選べるのは最後に死ぬことだけ。コントロールを失う前に、殺意を持って唱えるだけだ。酷く簡単なこと。そしてそれを実行するためには、ここでこうして他の情報から遮断されている方がやりやすいのだ。

 当然ながら、わたしに全員の状況が分かるわけではない。そんなに全能ではないのだから。そのうちダンブルドアは周知するとは思うけれど、被害を減らすためにいたずらな人殺しを生むような人間には見えないから。だから自分でやらねばならないのだ。

 ああ、また一人。巨人の居住区でクルーシオ。けれどもそこには二十人ほどいて全てを終わらせることはわたしには出来ない。連鎖的に始まるオブスキュラスの暴走を、たった三人しか防げなかった。残る十七人が暴走し、逃げ惑う巨人どもを鏖殺する。命からがら逃げ出す三人、あれはもしや、マダム・マクシームか。

 けれどもわたしはそれに声をかけることは出来ない。既に敵対した身で声をかけられるなどと思う方がおこがましい。だから、どうか、その哀れむような瞳をこちらに向けないで欲しい。ハグリッド? あっちいけ。もう一人はもっと知らん。

「……ボーバトンで、待っています」

 ポツリと呟かれた言葉なんて知らないったら知らないのだ。わたしに救いの手は必要ない。必要なのは贖罪。それだけだ。だからそんな美しい瞳をわたしに向けないで。

 死喰い人達も学習した。複数人連れていけば不発には終わらないのだと。()()()ももろとも処分すれば良いだけなのだと。そうして在庫処分は派手になる。三人止められると思われれば五人連れられ、五人止められたなら十人連れ、十人止められてもそれ以上を連れ出された。

 心が、心が、削れていく。分かっていたことだ。こうなるとは知らなかったとは言えるわけがない。被害者面なんてするわけない。一人一人『わたし』を殺し、頻度は下がっても任務は続けられる。つまりわたしはまだ最後の任務を果たせていない。あの人と繋がってなお。

 アストリアがここに連れてこられてから、わたしは任務の時だけ連れ出されるようになった。彼女に変わったことがないか何度も何度も確かめた。不安に駆られてはいるようだが、おかしなことはされていないらしい。

 ならば何のために彼女はここにいるのか。答えはマルフォイが教えてくれた。

「アストリア!」

「あっ……ドラコ様!」

 ひしりとかたく抱き合う若き二人。どうやらどちらも想い合っているらしい。つまりは彼への人質ということか。いつしか『わたし』が擬装したメイドも来ることがなくなったことも考えれば、きっとルシウス・マルフォイは失敗した。

 気が済むまで抱き合った後、マルフォイは尊大にわたしに依頼する。

「アレを、いくつかくれ。個人的にだ」

「……それ、は」

 それは残酷な願いだった。優しい彼はそれをおぞましき生き物であると認識していたのに。そうするしかないほど追い詰められてしまったのだ。その手はアストリアの手に重ねられている。マルフォイは彼女を選んだのだ。どんな苦汁と罪を呑んでも彼女といることを選んだのだ。

 かすれた声でわたしはマルフォイに確認する。

「何のためにですか?」

「闇の帝王の思し召しに従うためだ」

 心は読み取れない。けれど、それでも。握り締められた手を、わたしは信じることにした。起き上がるのも億劫だけど、それでもゆっくり起き上がって。わたしは未来のために魔法をかけた。心がへし折れそうになる。

「――恩に着る」

「ごめんなさい、流石に、体力なくて……一度にたくさんなんて、無理で」

「いや、何度でも来るさ」

 そこには覚悟を決めた男がいた。もう少年とは呼べない彼は二人の白い娘を連れていった。残されたわたし達は黙って身体を寄せ合った。こんなことしか出来ない自分が嫌になる。それでもわたしはやり遂げてみせる。それがきっと、わたしに出来る償いになるから。

 イギリス魔法界は暗鬱な雰囲気に包まれている。イギリス全土に広がるその霧は、誤魔化されているだけで全てが血の色をしていた。それはわたしの罪の証。『わたし』の命。わたしが奪った全ての命の証明だった。R.I.P。安らかに眠れ。しかしそれを言う権利はわたしにはない。

 ドラコ・マルフォイはやり遂げるだろう。自身に課したその試練を、きっと見事にやり遂げるだろう。そのときに、気に病まなければ良いけれど。彼が望んだ死者ではない。それを望んだのはわたしだから。だからどうか、生き延びて。

 あの後何度かマルフォイは来たけれど、そのうちふっつりと来なくなった。それをわたし達は黙っていた。彼が来なくなったから、わたしの任務はまたこの部屋で行われるようになってしまった。ここには仮にも純血の令嬢がいるのに、だ。情操教育に悪いとは思わないのか。

 死喰い人どもは一応彼女にだけは手を出さなかったが、それもいつまで保つことか。おぞましい任務を彼女は軽蔑しきった目で見ていた。任務が始まれば部屋の隅へと退避した。それで、良かった。彼女に構ってあげられるだけの余裕はもうわたしには残されてはいないから。

 そうしてある日、ベラトリックスがやって来た。

「あの、薬草代がもったいないのでほどほどでお願いします」

 反射的にそう言えば、彼女は呆れたように返してくる。

「……そういう趣味があるんならやってやるけど、今日はそういうことを言うんじゃない、良いね!?」

 もちろん答えはYesしかない。ベラトリックスのクルーシオは痛いだけでは済まないのだ。恐らくこの女は無意識にディフィンドやら何やらを繰り出している。神経に響くだけでなく実際に拷問の痕が残るので実に面倒なのだ。ちょっとそういう趣味はないので止めていただきたかった。もう切実に。

 程なくしてヴォルデモートがやって来る。いつものように彼女が部屋の隅へと退避しようとして、ニタニタ笑うヴォルデモートは彼女を止めた。今日はいつもと趣向が違うらしい。本当に、わたしはくそったれだ。

「そう逃げるな、不敬であろう」

「も、申し訳ございません、ご主人様……!」

 か細い声は震えていて、いかにもいじめたくなる小動物のようにも思える風情。それに嗜虐的な笑みを浮かべたヴォルデモートは、彼女の服を引き裂いた。紛うことなき変態で、ロリコンだった。

 彼女はあまりの羞恥に青ざめる。

「きゃっ!? なっ、何を……!」

 それを尻目にベラトリックスも服を脱ぎ、わたしも任務が始まるのだと察して服を脱いだ。つまりはそういうことだ。今日もヴォルデモートとの任務が始まる。その相手が三人になるだけのことだ。拒否することなど許されてはいない。

 嫌がる少女を無理矢理に。

「や……ドラコさま! ドラコさまぁっ……!」

 悲痛な叫びをスパイスに。

「我が君、どうかあたしにも」

 恭しく跪く女性を従えて。

「さあ、誰が我が胤を孕むに相応しい女か示すが良い」

 狂った宴が始まった。苦痛。苦痛。ベラトリックスはそれを快楽にきちんと変換し、わたしもまたそれを遅れて変換した。そうできないのは全く経験のない彼女だけ。泣き叫びすすり泣き憐れみを誘い全て無駄に終わり。苦痛だけを受け取り倒れ伏す。それを彼らは笑っていた。

 その日からずっと、その宴は続いていた。ヴォルデモートがいない日には少しばかりの休息を取れるがそうでない日はずっとこれ。わたしが孕まないのだから彼女もそうだと信じていたが、裏切られた。数ヵ月もすればわたし以外は任務を果たし、わたしだけがそれを遂行できていない。

 彼女は膨れるそこに絶望を隠せず泣き暮らす。死喰い人どもは二人を甲斐甲斐しく世話をする。そこに宿るは帝王の武器。そうであるからには何事も起きぬよう守るしかないのである。わたしに構う暇もなさそうで、やっと穏やかな日々を手に入れた。それが嬉しいことだとは思わないが。

 闇祓いどもを殺すために『わたし』達は投入される。人数さえ揃えれば何とかなるとでも言いたげに、ホグワーツの在庫は全てなくなった。ヴォルデモートだけはその事に気付いていないし報告もされていない。ここで作った在庫もみるみる減っていることには気付いているだろうが。

 やがて噂が聞こえてくる。下卑た死喰い人どもの言うことには、ドラコ・マルフォイは失敗した。父親と同じように失敗し、最早ここに戻ることすら許されない。マルフォイの名誉は地に堕ちた。世間的にも、闇の陣営でも。彼女は憔悴しきって痩せ細り、栄養だけが吸い取られていく。

 そして死喰い人どもは沸き立っていた。何故なら帝王の腹心セブルス・スネイプが、大いなる任務をやり遂げたらしいのだ。それはすなわち彼がダンブルドアを殺したことを意味していた――さもありなん、わたしはそれを知っている。

 事態は混迷を極めていく。そんな中で変わらないのはここだけだ。ここだけがいつもと変わらぬ煉獄なのだから。苦痛と快楽という炎の中で狭間で踊り狂うしかない煉獄だ。産み出されるものは罪しかない。

 ある日いつものようにやってきたヴォルデモートが問うた。

「そういえば、ソーウェル。お前の父親は結局誰だったのだ?」

 その問いに、わたしはしばし言葉を探した。けれども誤魔化す言葉はどこにもない。誤魔化す気力もどこにもない。既に死んだ人間を貶めることになりやしなければ良いと憂慮はしたが、答えないという選択肢がもう選べない。知らないというには時間を取りすぎた。

「恐らく、で良ければお答えします」

「ほう、推測なのか。つまりは会ったことがないのだな?」

 そう。わたしはスワンと名乗ってはいたものの、彼の血は継いでいない。彼の色をわたしは継いではいないから。スワンはわたしを救ってくれただけなのだ。黒い髪に灰色の瞳。そんな特徴を持っていて、母と関わりがあった人間は二人だけ。そう、片方はあの忌々しいならず者どもの一員だ。

 思案しヴォルデモートが答えを出す。

「となると、あのブラックの小僧か?」

「恐らく。シリウスではない方のブラックかと」

 さもありなんとヴォルデモートは笑った。まあ当然か、前回の戦いの時にこの陣営で母を監禁させられていたのはシリウスではない方のブラック、つまりはレギュラス・ブラックだったのだ。彼が父親だと考えるのが妥当だろう。そしてそれは真実だ。

「なるほどな。誰もが蔑むお前はれっきとした純血の令嬢だったわけだ」

 くつくつ、くつくつ、耳障りな声。別に血はどうだって構わない。今更何かを望むつもりはない。ブラックの血を継いでいたところで何かが得られるわけでもないのだから。所詮わたしはスリザリンのホムンクルス。魔法族だとは思われない。ペットが同じ人類ではないように。

 戯れに彼はわたしに問うた。

「外に出たいとは思わないか?」

 外に? 今更? この罪にまみれたわたしが出られると? 本当に彼は思っているのか。いや、彼が正義となったなら、きっとあり得ない未来ではないのだろう。けれどもそれをわたしが赦せるかといわれるとそんなはずはない。

「……いえ、外に出て真っ当に生きられるような存在ではないことくらい、もう流石に理解していますから」

 真っ当になぞ生きられるわけもなし。既にわたしは罪にまみれている。もう後戻りなど出来るはずもなく、するつもりもない。だからこの暗い部屋から出ようと思ったことはないのだ。他の誰もがこの部屋から追い出そうと望もうが、わたしはここにいる。他に場所はない。

 救いのない暗闇の中を、苦痛を感じながら進むだけ。それがわたしに相応しい終わりだった。もう、どこにも、行けない。

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