Rouge of the MIDNIGHT 作:SHINZO
どの辺りの話かをぼかしておいたほうが、後々話を組み立てやすくなるよナ、絶対。
レイナとの別れから数日後 横浜 山下通り――
大通りに面した小さな店の中で、目の前に置かれた甘味に対し、ウマ娘たちが感嘆の声を上げていた。
歴史を感じさせる土壁の内壁と、3人の前に並ぶ小振りな和風ジェラートは、古と現代の双方の趣を醸し出しており、温故知新を往く現代の甘味処の風景を見事に演出していた。惜しむらくは、1人のウマ娘の前にそびえ立つ巨大なパフェの存在が、それらを全て蔑ろにしてしまっていた事であろう。
「うふふ。相変わらずスペちゃん、いい食べっぷりね。見てるこっちもなんだか嬉しくなっちゃうわ」
「はい!地元にいた頃にテレビで見て以来、いつか食べてみたいと思っていたんです!この『スモウレスラー抹茶パフェ』!まさかマルゼンさんにこれを奢ってもらえるだなんて、夢でも見てるみたいです~!」
「夢でも見てるみたい、ねぇ……私からすれば、スペちゃんがこれを1人で平らげてしまうって事実が、まさに夢みたいなもんですよ」
「ほんと、見てるだけでお腹一杯になりそうだわ……」
上体がすっぽりと隠れてしまうほどのパフェを前に、2人のウマ娘は互いを見合わせつつ、その可憐な顔をひきつらせる。
油断すると自分たちのジェラートにまで食いつきかねないほどのその食べっぷりは、この2人にはまるで悪魔のように映ったことであろう。そんな可愛らしい『悪魔』の至福にあふれる笑顔を受け、マルゼンスキーもつられるように表情を綻ばせるのだった。
レイナと山本との出会いから数日が経過してもなお、マルゼンスキーは自身が取るべき選択を決めあぐねていた。唐突に現れた2人を前に、半ば勢い任せにチューニングを依頼した彼女ではあったが、2人から返された言葉を冷静に受け止めれば受け止めるほどに、心の中の揺らぎは大きくなっていたのである。
自身の心が悪魔のZに惹き付けられていたのは紛れもない事実であり、悪魔のZを追いたいと願う心もまた本物であるという事は、彼女自身もきちんと理解はできていた。だが、その悪魔を追うために彼女が背負わなければならない代償は、あまりにも大きなものであった。
金銭的な意味合いはもちろんある。最悪の事態となった際に失う命や物、在籍するトレセン学園とその関係者に多大な迷惑をかけてしまうという事も、懸念材料のひとつではあった。だが、彼女が何よりも恐れていたのは、自身へと向けられている多方面からの期待を、全て裏切る事になりかねないという事実であった。
深夜の首都高を法廷速度の何倍もの速さで走るという行為自体、れっきとした犯罪である。そのような行為をトレーナーや友人、自身を慕う後輩たち、日本中のファンに知られたとなると、果たしてどれほどの反動が返ってくるのであろうか?
その他大勢のウマ娘ならいざ知らず、彼女は『スーパーカー』の異名で親しまれるほどのトップスターなのである。その地位にしがみつくつもりは毛ほどもなけれども、それらを一度に失うとなれば、計り知れないほどの代償を支払う事になるのは間違いないであろう。
悪魔のZを追いたいという願望と、その世界に踏み込む事への後ろめたさに、彼女は深く悩んでいた。『少しでも迷いがあるなら止めるべき』という山本の言葉に従い、首都高に戻るのを諦めてみようともした。
しかし、それでもなお、踏み込むべきではないと感じていながらもなお――事あるごとに悪魔のZの後ろ姿が、彼女の脳裏に蘇ってくるのである。まるで自身を束縛するかのように。その自慢の脚を掴んで放さないかのように――
(あの日の別れ際、レイナは走る理由は走る事でしかわからないと言っていた。なら、あたしがあの車を忘れられない理由も、きっと走り出さないとわからないんでしょうね……)
自身の心の揺らぎをなんとか落ち着かせようと、マルゼンスキーはスペシャルウィークとその友人たちと共に、休日を利用して横浜の街を訪れていた。彼女たちがこのような子洒落た甘味処にいるのは、スペシャルウィークの「あの店に行ってみたかった」という一声がきっかけというわけである。
だが、そんな後輩の見事な食べっぷりを前にしてもなお、マルゼンスキーの心は依然としてくぐもったままであった。
(確かに、あたしは悪魔のZと走りたいと思ってる。その心に嘘偽りはない。だけど……そのためにルドルフや後輩ちゃんたちを裏切るだなんて、あたしにはできないわ。レイナ、あなたはどうしてあの車を追うことができるの?あたしと同じような立場にいながら、どうしてそんな決断ができるというの……?)
ふいに浮かび上がってきたあの日の別れ際の光景に、マルゼンスキーの口から自然と溜め息が漏れる。その一瞬の異変を、彼女を尊敬している後輩たちが見逃すはずがなかった。
「あの……マルゼンスキー先輩、どこか具合が悪いのですか?」
「珍しいじゃないですか。後輩の前で溜め息をつくだなんて」
「……え?あらやだ、見られてたの?」
「ええ、もうバッチリ」
葦毛のウマ娘の言葉に、マルゼンスキーはとっさに舌を出しておどけてみせる。だが、不安げな表情で自身を見つめるお嬢様然としたウマ娘の様子を見て、心の内を隠し通すのはもはや不可能であると彼女が悟るまでに、それほど時間はかからなかった。
「別に大した事じゃないのよ。ちょっと悩み事があるだけで……」
「……それってやっぱり、例のダービーの件だったりします?」
「いやいや、それについてはあたし的にはもう終わった話だから、気にしてはいないのよ。あたしが悩んでるのはもっと違う事でね」
全く気にしていない、と言えば嘘になるのだが、せっかく誘った後輩たちに要らぬ心配をかけさせるわけにもいくまい。マルゼンスキーは場の雰囲気をどうにか変えようと、新たな話題をひり出そうとするのだが、思うように頭が回らず、続く言葉が浮かばない。
重い空気に包まれつつある彼女たちの隣では、スペシャルウィークがそびえ立つパフェを相手に、まるで掘削機のようにその岩壁をむしゃむしゃと削り取っていた。
「あの……デビューもしてない私がこんな事を切り出すのは、差し出がましい事なのかもしれませんけれど……よろしければその悩み、私に聞かせてもらえませんか?マルゼンスキー先輩には常日頃からお世話になってますし、少しでも恩を返せれば、と……」
「おやおや、偉大なる大先輩の相談役に立候補するとは、キングもなかなか大胆ですな~」
「スカイさん!私はいたって真面目に……!」
「まあまあ、落ち着いて。……前々から思ってたけど、キングちゃんって本当に優しい子よね。ありがと、あたしを気遣ってくれて」
マルゼンスキーが他人に相談を持ちかける事はほとんどない。むしろ『学園きってのお姉さんキャラ』である点を活かし、後輩たちの相談役として立ち回る事がほとんどである。
そんな彼女が立場を180度変え、後輩に対して自身の悩みを打ち明けようとしている――まるで翌日に雪でも降りそうなこの状況を受け、マルゼンスキーは思わず笑みをこぼしつつ、お嬢様然としたウマ娘に感謝の言葉を述べる。と、ここでふと、彼女の脳裏に一筋の光が煌めいた。
(いっそのこと、後輩ちゃんたちに今抱えている悩みを大っぴらにしてみてもいいんじゃないかしら。後輩ちゃんに相談役を引き受けてもらえる機会なんて、滅多にある事じゃないんだし)
仮に悩みを打ち明けた所で、自身が何をしようとしてるか推し量る術はない。ならばここは後輩の厚意に甘えてみるのも一興、というのがマルゼンスキーの算段である。
なんだかデビュー前に戻ったみたいで、こういう気分も悪くはない。そんな事を思いつつ、マルゼンスキーはゆったりとした口調で話を切り出すのだった。
「最近ずっと思ってるのよ。もしも努力や才能では絶対に越えられないような、とんでもなく速い子が突然目の前に現れたとしたら、あたしはどうしたらいいのかな、ってね」
「え?」
「あら、意外だったかしら?いつも圧勝ばかりしてるあたしが、こんな後ろ向きな事を考えてるっていうのは」
「あ、いや、そうではなくて……そもそも先輩よりもずっと速い方なんて、そういないのではないかと……」
「今のトゥインクル・シリーズの中ではね。でも、世界に目を向ければ、あたしよりも速いウマ娘は大勢いるでしょうし、後輩ちゃんの中からあたしを脅かす子が出てくるかもしれないでしょう?そういった子がある日突然あたしの前に現れて、全力で走るあたしを平然と追い抜いていってしまったら……そんな事を考えると、なんだか不安になっちゃうのよね」
言葉の半分は口から出任せではあるが、残りの半分は真実である。こういった言葉がとっさに出てくるのも、普段は相談役として立ち回っている彼女の経験の成せる技であろうか。
真剣な表情を浮かべて考え込むお嬢様を前に、マルゼンスキーは心の中で密かに「かわいい子ね」とつぶやく。
決して馬鹿にしているわけではないけれど、実力も経験も足りないこの子では、そう簡単に答えを導き出す事はできないだろう。そう高を括っていたマルゼンスキーであったが、ふと口を開いた葦毛のウマ娘の言葉に、彼女は感銘を受ける事となる。
「うーん、私だったらひとまず距離を置いてみますかね~」
「距離を置く?」
「ええ。だって、今の段階じゃどう足掻いたって勝てない相手なんでしょ?真っ向勝負を挑んだって勝てやしないんだし、それで心を折られたりなんかしたら、目も当てられないじゃないですか。だから一旦引いて『様子見』するんです」
「なるへそ。でも、ただ距離を置くだけじゃ状況は何も変わらないわよね?」
「もちろん、ただ離れた所で見てるだけじゃないですよ。その相手の長所、短所、癖、傾向……そういったものを、あらかじめきっちり調べておくんです。どんなウマ娘にだって不得手な事はありますし、いつもベストコンディションで走れるわけでもないですからね。むやみやたらと突っかからない、距離を置く。これって賢いやり方だと思いません?」
どこかほわほわとした雰囲気を醸し出しながらも、自身の言葉をきちんと汲み取り、自分なりの答えをしっかりと返す――その堂々たる立ち振舞いと、先輩相手にも物怖じしないその態度に、マルゼンスキーは内心驚きつつ、口角を優しく緩めてみせる。
「うふふ……スカイちゃん、あなたなかなかの策士なのね。でもいいの?2人ともいずれライバルになるっていうのに、手の内を明かすような事を言っちゃって」
「あぁ、いいんですよ。セイちゃんはただのサボり魔じゃないって事は、もう2人にはバレちゃってますし」
「ぐっ……そんなに頭が回るのなら、少しぐらい真面目に授業を受けなさいな」
見せ場を全て奪われる格好となったお嬢様は、にかにかと笑みを向ける葦毛のウマ娘に向け、歯軋りをしながら悔しがってみせる。それを受けて、葦毛のウマ娘は追い討ちとばかりにさらなる言葉を投げ掛けようとしたのだが、口にクリームをつけたウマ娘の元気の良い言葉に、彼女たちの会話は中断させられる事となる。
「大丈夫ですよ!マルゼンさんなら誰が相手だろうと、必ず勝てます!だってマルゼンさんは誰よりも速くてかっこいい、私たちの憧れのウマ娘なんですから!」
「あらー、嬉しい事言ってくれるじゃない♪でもスペちゃんの夢は、日本一のウマ娘になる事なんでしょう?あたしが誰よりも速かったら、スペちゃんの夢は永遠に叶えられなくなっちゃうわよ?」
「うぇぇっ!?そ、それは困ります~!」
冗談半分に投げ掛けた言葉を真に受ける後輩の姿に、マルゼンスキーは思わず笑い声を上げる。そんな彼女たちのやりとりを眺めていた葦毛のウマ娘は、お嬢様と顔を見合せつつ「やっぱりスペちゃんは主人公格のウマ娘ですなあ」とこぼしていたのだが、いつもの笑顔を取り戻した先輩の姿を見て、仕方ないねとばかりに小さく笑みを浮かべるのだった。
(私たちの憧れのウマ娘、かぁ……スペちゃんにキラキラした目でそんな事言われたら、お姉さんも納得しちゃうしかないじゃないの。スカイちゃんやキングちゃんだって、あたしの事を気にかけてくれている。そんな後輩ちゃんたちの厚意を無下にするだなんて……やっぱりあたしにはできないわ)
慌てふためくスペシャルウィークの姿を前に、マルゼンスキーは心の中に棲み着いていた悪魔のZの姿が、少しずつ遠退いていくのを感じていた。
彼女は多くの後輩たち、いや日本中からの期待を背負っているウマ娘なのである。全てを失う覚悟で悪魔のZを追うよりも、今の道を走り続ける方が、間違いなく幸せになれるだろう。
深夜の首都高を走った事で、まだ見ぬ世界を知る事ができた。決して関わるはずのなかった人々と出会う事だってできた。それで十分ではないか。どうして全てを失う覚悟を背負ってまで、あの車を追う必要があるというのか。どうして愛する後輩たちを裏切るような事をしてまで、あの車を追わなければならないのか――
(そう。あたしは深夜の首都高に棲むべきウマ娘じゃない。例えスーパーカーと呼ばれていても、戦うべき場所はターフの上なのよ。……だからもう忘れましょう。悪魔のZと遭遇したあの日の事を。山本さんやレイナと出会ったあの日の事を――)
互いを見合わせて笑い合う後輩たちを見やり、マルゼンスキーは小さく頷く。気が付けばスペシャルウィークのパフェも土台部分に差し掛かり、彼女の腹もはちきれんばかりに巨大化を遂げていた。
「ゴメンね~。みんなでどこかに行こうだなんて言い出したのはあたしなのに、なんだか暗~い雰囲気にさせちゃって。よーし、スペちゃんが全部食べきっちゃう前に、あたしもジェラートを完食しちゃわないとね!」
「おお、こんな所で大先輩とバトル勃発とは、面白い展開じゃあないですか。それじゃ、スペちゃんが負けたら罰として、同じパフェをもう1個食べていただきましょうかね」
「えっ!?このパフェ、おかわりしてもいいんですか!?」
「……いや、その反応はおかしいでしょ、スペシャルウィークさん」
スペシャルウィークの見当違いな反応に、店内は再び笑いに包まれる。先程の自身と同じように舌を出しておどけるスペシャルウィークを見やりつつ、マルゼンスキーが何の気なく目の前のジェラートに手をつけようとした、その時だった。
「……?何かしら、このすごい音は」
「バイクのエンジン音……いや、車か。何にしても昼間からやかましいなあ……」
多くの車が行き交う山下通りの道路から、ひときわ大きな排気音を響かせる改造車が現れたのである。人間と比べて長大な耳を持ち、また人間よりも遥かに優れた聴覚を持つウマ娘にとっては、改造車の爆音はただただ耳障りなだけであろう。
店内に響き渡るけたたましい音に、お嬢様と葦毛のウマ娘は思わず顔をしかめ、スペシャルウィークも思わず手を止めて店外へと視線を移す。だが、不快感を示す後輩とは対照的に、マルゼンスキーだけは彼女たちと全く違う反応を示していた。
(体の芯にまで響いてくるこの重低音……まさか……まさか……!?)
持っていたスプーンを落とした事など気にも留めず、マルゼンスキーは慌てた様子で店外を見やる。山下通りを行き交う車列の中からふらりと現れたのは、ダービー出走が叶わなかった彼女の心を奪い、そして彼女の運命を大きく揺り動かそうとしている、ミッドナイトブルーのあの車であった。
(離れかけていたのに……忘れられそうだったのに……どうしてまた現れるのよ……!)
悪魔のZ――ッ
【登場人物紹介】
・スペシャルウィーク(ウマ娘)
マルゼンスキーのお気に入りの後輩の1人。彼女が山下通りの甘味処に行きたいと言い出した事で、マルゼンスキーが悪魔のZと再び出会うきっかけを作ることとなった。
【あとがき】
遅ればせながらジェミニ杯が閉幕しましたね。巷ではゴルシゲーと呼ばれている今回の大会ですが、湾岸読者である以上どんな時でも周りに流される事なく、自分を貫く選択をしたいものです。
不利なのは十分承知してるヨ。でもビワハヤヒデで長距離なんだよ。
副賞を賭けて走るんだ。いちばん好きなウマ娘でいくのが当然だろう――(9割方味方のゴルシが勝ってたけど)