Rouge of the MIDNIGHT   作:SHINZO

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Avator of speed⑦

 マルゼンスキーの前に現れたその悪魔は、首都高で出会った時とはまるで違う表情を見せていた。さも当然のように車列に混じり、律儀なまでに車間を開け、従順なまでに乗り手の操縦に応えるその姿は、事実を知らない者からしたら、なんの変哲もないただの旧車にしか見えないであろう。

 だが、彼女は知っている。この車が悪魔のZと呼ばれる伝説のフェアレディZである事を。幾多の事故を起こし、乗り手の命を奪い続けてきた、呪われた車である事を。そして事実を知った上でもなお、自身はその車に惹きつけられているという事を――

 

 信号待ちで停車した悪魔のZを前に、マルゼンスキーは何をするでもなく、ただじっと車列の中に佇むその姿を見つめていた。……いや、正確には聴き入っていたのだ。ボンネット越しに響く、その悪魔の鼓動に。

 

 

 

(本当に車なの、これは……?パワー感があるとかそういう次元じゃない。早くアクセルを踏んでくれと訴えかけているかのような、この煽動感……こんな音をたてるエンジン、あたしは知らないわ……)

 

 

 

 つい先程までその車を追う事を諦めようとしていたという事実は、彼女の頭の中からとうに消え去ってしまっていた。その長く美しい耳をピンと立て、悪魔のサウンドに心酔するマルゼンスキーであったが、愛しい後輩からのふとした言葉により、彼女ははたと我に返る事となる。

 

 

 

「あの……マルゼンさん、あの車の方とお知り合いなんですか?なんだか怖そうな車ですけれど……」

「あ、いや……」

 

 

 

 先程のマルゼンスキーの溜め息にはまるで目もくれなかったスペシャルウィークであったが、血相を変えて突然現れた改造車を見つめる大先輩の姿は、さすがの彼女にも奇異に映ったらしい。

 スペシャルウィークのおかげでどうにか我を取り戻したマルゼンスキーではあったが、怪訝な視線を向ける後輩たちを言い繕うだけの余裕は取り戻せなかったようである。

 

 

 

(……ああ、そうか。後輩ちゃんたちからしたら、あの音はただの騒音でしかないのよね。まるで狂気の塊のようなあの車に惹きつけられるのは、ごく一部の人間だけ。そしてそのごく一部の中に、間違いなくあたしは含まれている――)

 

 

 

 いつの間にかマルゼンスキーの膝は小さく震えていた。いや、異変が起きていたのは膝だけではない。両脚の筋肉は強ばり、心臓は異常な早さで鼓動し、まるでヒートを起こしているかのように、彼女の全身は熱く火照ってしまっていた。

 マルゼンスキーはそっと目を閉じ、自らの心に向けて語りかける。自分はどうありたいのかと。自分はどうするべきなのかと――

 

 

 

(あたしがレースを走る本当の理由は何?あたしの強さを日本中に見せるため?ウイニングライブで歌って踊るため?後輩たちに夢を見せるため?)

 

(違うでしょ。あたしはレースが好きだから走ってるんでしょ。ライバルたちと楽しいレースがしたいから走ってるんでしょ。あたしもライバルもお客さんも、みんなが熱くなれる。そんなレースがしたいから走っているんでしょ)

 

(今あたしの目の前に、かつてないほどの最高のライバルが現れた。離れようとしていたのに、諦めようとしていたのに、それでもまたあたしの前に現れた。府中から遠く離れたこの横浜の街で、まるで運命に導かれるかのように――)

 

(さあどうするの。あたしはどうしたいのよ。あたしが本当にやりたい事は何なのよ。あたしが心の底から望んでいる事は何なのよ――)

 

 

 

 信号が赤から青に変わり、息を潜めていた悪魔が再び咆哮を上げで走り出す。それと同時に、マルゼンスキーの中に僅かに残されていた理性が、浮き足立つ彼女の脚を必死に押さえつけようとした。だが、Zの魔力に支配された彼女の体を奪い返すだけの力は、もはやどこにも残されてはいなかった。

 

 

 

「えっ?ちょ、マルゼンさん!?」

「ごめん!すぐに戻るから、皆ここで待っててちょうだい!」

「ちょっと、先輩!マルゼンスキー先輩!!」

 

 

 

 情熱が理性を超えてしまったマルゼンスキーを制御できる者は、誰一人としていなかった。唐突に駆け出してしまったマルゼンスキーの背中を、残された後輩たちは呆気に取られた様子でただただじっと見つめる。やがて彼女の背中が見えなくなり、後輩たちが互いに顔を見合せた所で、葦毛のウマ娘が何とも言えない不安げな表情を浮かべつつ、口を開いた。

 

 

 

「……ねぇ、もしかしてこれ、最悪私たちがお金払わなきゃいけないパターンだったりする?電車賃以外はマルゼン先輩の奢りだって聞いてたから、私そんなにお金持ってきてないんだけど……」

「え?じゃ、じゃあこのパフェの代金、私が払わなきゃいけないのかもしれないの!?そんなお金持ってないよぉ~~~!」

「だ、大丈夫よ2人とも。お金は持ってないけどクレジットカードなら持ってるから、いざとなったら私が……」

「あー、悪いね嬢ちゃん。うちの店、カード使えないんですよ……」

「ジャアイイデスー……って、ええぇっ!?」

 

 

 

 店員からの非情な言葉に最も青ざめていたのは、間違いなく巨大パフェを平らげたスペシャルウィークだったであろう。

 あの車とマルゼンさんに何の関係があるのかはわからないけれど、お願いだから早く帰ってきて下さい――膨れ上がった自身の腹に肘をあてがいつつ、スペシャルウィークは全身全霊を傾け、天に祈りを捧げるのだった。

 

 

 

 

 

◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 

 

 

 

 

 さんさんと輝く太陽の日差しが横浜の街並みを照らす中、突如として始まったマルゼンスキーと悪魔のZによる公道バトルは、接近と後退を幾度となく繰り返す熾烈な争いへと発展していた。

 かたや推定500~600PS。かたや1PS。カタログスペックだけを見れば、真面目に論ずる事すら憚られるほどの格差であろう。少なくとも首都高やサーキットが舞台であれば、まるで話にならないレベルのパワー差である。

 だが、彼女たちが戦っている舞台は昼下がりの一般道である。路上を埋め尽くす数多の一般車はその悪魔のパワーを封殺し、公道における絶対的存在である信号は、200マイルにも耐える強靭な車体を強制的に静止させ、その圧倒的なスペック差をいとも容易く相殺させていた。

 

 しかしながら、これだけ有利な条件が揃っていたマルゼンスキーもまた、Zと同様に苦戦を強いられていた。歩道を行く歩行者や自転車、看板といったトラフィックが、彼女の行く手を幾度となく阻んでいたからである。

 

 

 

(ああもうっ、邪魔よっ!こんな所に自転車を止めないでちょうだい!)

 

 

 

 まるでハードルのように歩道を塞ぐ自転車を蹴り飛ばし、何としてもZを見失うまいと、マルゼンスキーの脚はさらに速度を早める。本気を出せば岩をも砕くウマ娘の蹴りを受けた自転車が、果たしてどのような末路を辿る事となったのかは、わざわざここに筆するまでもないだろう。

 多くの妨害を受けながらも、何とか悪魔のZの後ろ姿を捉え続けていたマルゼンスキーであったが、やはり車と人体という絶対的な壁は越えられないのか、距離を重ねるごとに彼女の息は少しずつ上がり始めていた。

 

 

 

(体の疲労感がいつも以上に大きい……きっとアスファルトの固い路面と、人を避けながら走ってるのが原因ね。このまま走り続けても、あたしの体が先に限界を迎えるのがオチ……だったら!)

 

 

 

 意を決したマルゼンスキーは、障害物の多い歩道を諦め、多くの車が行き交う車道へと飛び出した。

 

 いかにウマ娘が俊足の持ち主であるといえども、車道を走る行為は法律で禁じられた立派な犯罪である。当然ながらマルゼンスキーもそれが法に触れる行為である事は知っていたし、自身や他者を傷つける恐れがあるという事は、十分に理解していた。世間からの注目を浴びる立場にある彼女が後の事を一切省みず、このような行為に走ってしまう辺り、彼女がいかに必死であったかは想像に難くないであろう。

 だが、下手なバイクよりもずっと速く、小回りも効く彼女が車道に飛び出したのは、結果的には正しい判断であった。それまで思うように詰まらなかった悪魔のZとの差は一気に縮まり、Zが赤信号で停車した事によって、ついに捕らえる事に成功したからである。

 

 

 

「よーしよしよしっ!そのまま止まってなさーい!」

 

 

 

 マルゼンスキーは嬉々とした声を上げつつ、まるでスキーでもしているかのように空中で体を横に向けると、靴底から白煙を立てながら急ブレーキをかける。ドリフト後のタイヤ跡よろしくアスファルトに黒い筋を作りつつ、Zの運転席の真横にピタリと静止すると、それまでの激闘に息を荒げる自身の状態を顧みる事なく、彼女はやや乱雑にZの窓ガラスを叩いた。

 

 運転席の相手からすれば、道路の真ん中で静止している最中にいきなり窓ガラスを叩かれたのだから、驚きの一つぐらいはあってもおかしくはなかったであろう。だが、運転席の人物は自身が何者かに追われている事を把握していたらしく、特に慌てた素振りも見せず、ゆっくりと窓の向こうにいるマルゼンスキーへと顔を向ける。露になったその男の顔立ちは、悪魔と呼ばれるその車を操る者とは思えないほど優しく、凛々しく、そして若々しいものであった。

 

 

 

(えっ、ウソ……?こんな古い車に乗るぐらいだし、てっきり中年のおじさん辺りが乗ってると思ってたのに、まさかナウなヤングのイケメンボーイが運転してただなんて……もしかしてこの子、あたしと大して歳変わんないんじゃ……)

 

 

 

 悪魔のZのハンドルを握る端正な男の顔立ちに、マルゼンスキーは道路のど真ん中に立っている事も忘れ、目を丸くして男の顔を覗き込む。対する男も自身を見つめるマルゼンスキーに対し、これといった行動も起こさず、ただじっと彼女の瞳を見つめ返していた。

 この一コマだけを切り抜けば、一昔前の純愛ドラマのワンシーンだと主張したとしても十分通じるほどに、情熱的な光景であっただろう。だが残念な事に、Zに乗る男は色恋物語の類にはまるで興味はなかったようである。

 

 

 

「な……何で逃げるのよぉーっ!」

 

 

 

 やがて男は前方へと向き直ると、マルゼンスキーを置き去りにしたまま、その場を後にしてしまったのだ。――信号が青に変わったのだから、彼の行動は当然と言えば当然ではあるのだが。

 後続車からのクラクションで我に返ったマルゼンスキーは、慌ててZの後を追いかける。だが、この出来事を境に車の流れが良くなった事に加え、青信号が連続する不運も重なり、彼女とZとの差はじりじりと開き始めていた。

 

 

 

「ハァ……ハァ……こらーっ!待ちなさいってばー!逮捕しちゃうぞーっ!」

 

 

 

 マルゼンスキーの叫びも虚しく、悪魔のZの姿はどんどん遠のいていく。そしてZが小さな通りの曲がり角を左折した所で、ついにその姿を見失ってしまう。

 

 

 

「ゼェ……ゼェ……もうっ……何で逃げるのよ……!せっかく会えたと思ったのに……!」

 

 

 

 いかに快速自慢のマルゼンスキーといえども、全速力を維持した状態での長距離航行はさすがに堪えたらしく、息を荒げつつも悔しそうな表情を浮かべる。額から流れる大粒の汗を拭い、一体どこまで走ったのだろうかと周囲を見回した、その時だった。

 

 

 

「痛……ッ!やっぱり全力疾走すると足にきちゃうわね……」

 

 

 

 不意に走った鋭い痛みに、マルゼンスキーは思わず顔をしかめる。「やってしまった」と小さく呟きつつ、杖をつくように近くの電柱に寄りかかると、まだ荒い呼吸をゆっくりと整えつつ、改めて周囲を見回す。

 彼女が立っていたのは海岸沿いに並ぶ倉庫街であった。近くに首都高の高架が走っているのを見る限り、どうやらベイブリッジの近くまで走ってきたようである。

 一度ならず二度までもベイブリッジでZの姿を見失う事になろうとは、さすがの彼女も予見できなかったであろう。足首をぐりぐりと回して痛んだ箇所をほぐしつつ、乾いた笑みを浮かべながら、マルゼンスキーはポケットに入ったスマホへと手を伸ばす。

 

 

 

「首都高の道のりはおおよそ把握してるけど、さすがに下道の道のりはケータイで調べないとわかんないわね。後輩ちゃんたちをほっぽりだしてきちゃったし、早く戻ってあげないと……」

 

 

 

 Zの姿を見失った以上、この場に居座り続けても何の意味もない――悪魔のZを逃がしてしまった事に失意を感じつつも、マルゼンスキーは不馴れな手つきでスマホの地図アプリを立ち上げる。

 だが次の瞬間、彼女の体はまるで金縛りに遭ったかのように、その場で凍り付いてしまった。彼女の視線の先――スマホの画面のさらに向こうに、ある男が立っていたからである。

 

 

 

「……今までいろんな車に追われてきたけど、さすがに自分の足で走って追いかけられたのは初めてだヨ(笑)」

 

 

 

 困惑するマルゼンスキーの前に立っていたのは、悪魔のZのハンドルを握っていた男――朝倉アキオであった。

 




【登場人物紹介】
・朝倉アキオ(湾岸)

湾岸ミッドナイトの主人公。悪魔と呼ばれるフェアレディZを唯一操る事ができる男(唯一とは言っていない)。持ち前の情熱とそのカリスマ性から、多くのオヤジチューナーたちに好かれている。

【あとがき】
自らの手でマルゼンさんのカウンタックを仕上げてみたいと思い立ち、15年ぶりにプラモに手を出しました。仕事はツブせないし、(マキシやら何やらで)諭吉も去っていった。でもオレが一番幸せだッ
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