その世界には竜がいた   作:夜ノとばり

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帰ろう

 「それはきっと僕ではない」はっきり言い切るユースケだった。「その不審者と僕は全くの別人さ」

 

 開きっぱなしの引き戸の向こうは人手も多く、がやがやと賑わっている。

 

 竜を目撃した二日後。

 

 俺とユースケは二人して例の宿屋の店番をこなしていた。(不審者の疑いがかかっていたユースケも俺と同じくこの宿屋に滞在しているらしい。それも九年間だ。図々しすぎる)一応、代金はしっかり稼いで払っているそうなので文句のつけようはないのだが。

 

 ちなみに二日間何をしていたかと問われると……その…あの………気絶していたといいますか……ハイ。

 

 「でも本当に瓜二つだったんだ。今のあんたと違うのは髭の量と服装くらい」

 

 「僕は二〇一二年からこの世界にいる。九年間ずっと、寝ても覚めてもだ。だから二〇二一年の現代世界に僕が存在してるはずはないんだよ。それこそドッペルゲンガーでもない限りは」

 

 「双子の兄とかは?」

 

 「僕は天涯孤独の一人っ子さ」彼は柔和に笑う。

 

 「……親や親戚もいないのか?」失礼をはばかって聞いてみる。

 

 「親戚は何十人といる。僕らが元居た世界には、な。……母さんは病弱で二十代で他界。父さんは十一年前に失踪しちまった。それらしい兆候もなかったんだが……不思議なものだ。それからは親戚と農作業を続けていた僕だったが、九年前に突如ここに飛ばされた。この世界で僕は天涯孤独。多分父さんと同じく失踪したことにされてるんだろう」

 

 笑み交じりに悲惨な話をする奴だ。もっと沈痛な顔をしろ。どちらにしても俺は反応に困るわけだが。

 

 「農業してたのか……」生まれも育ちも都会の俺にはさっぱりなじみがない。

 

 「そうだ。とある秋の日の夕方、ビニールハウスで育てていたアスパラの様子を見に行った時、ハウスが雷に打たれた。その結果……いつの間にかここにいた」

 

 受付台を指でトントンと叩く。

 

 「アスパラってアスパラガス?」「そう」

 

 「その日は雷雨だった。知ってるかい、他ならぬ快円町では死ぬほど嫌われているんだ。空中に飛散した塩分から感電の被害が絶えない、全国有数の」

 

 「えっ」俺の声にユースケは話を止める。

 

 「……何か?」

 

 「あんたも快円町に住んでいたのか⁉」

 

 「そうだ。君もかい?」

 

 ぶんぶん首を上下に振る。

 

 「へぇ、いいね。同郷の友だ」

 

 そう言って手を差し伸べてくる。警戒したわけでもないがそーっとその手を掴むと、彼はつないだ手を俺の腕をちぎらんばかりに激しく振った。

 

 奇妙な感覚だった。偶然とはいえ、同じ町民が異世界の同じ地域に居合わせるとは。

 

 「君は生まれも育ちも快円町?」

 

 「そうだよ」俺は肩をさすっている。

 

 「僕もだ。仲良くしよう」

 

 控えめながら心底嬉しそうに、彼も笑った。

 

 「うん」

 

 ここにきてから初めて安堵というものを経験していた。

 

 ありがたいことに、俺は一人ではないらしい。現代世界へ戻る方法を一緒に考えられる仲間がいる。それが何よりの救いだった。

 

 「元の世界に帰りたい。そうであろう?」

 

 奇妙な喋り口は例の不審者そのまま。顔も風体もほとんどそのまま。だがしかし、こちらは味方だ。心強い。

 

 「そりゃもう」

 

 「ならばさしづめ真っ先に考えるべきは、なぜ僕らはこの世界に飛ばされたか、だが――」

 

 その答えはもう出ている。俺とユースケのエピソードの共通点だ。「君はもう気づいているみたいだね」

 

 目を合わせたまま俺は頷いて、

 

 「雷、だな」

 

 「その通り」

 

 わが意を得たり。にっ、と音がするような笑みだ。

 

 

 「――で、その続きなんだが――」

 

 「……」

 

 「全然わからんな」

 

 彼は正直な男だった。頭をぼりぼり掻きつつ、

 

 「雷に打たれた物体が全て異世界に持っていかれると考えると、そこら中でテレポートが起こっていることになる。さすがにそれは非科学的、非現実的だ」

 

 「なら、まだいくつか発動条件があるってことか」「あの」

 

 「そうなる。現に快円町では雷雨の日に決まって失踪者が出ていた。こちらに飛ばされたと考えるのが妥当だろう。……そしてこちらの町はずれの丘には尋常でない数の」

 

 「あの!」

 

 しばらく黙認していたハルさん(なぎなたの少女。怖い)がしびれを切らして言った。

 

 「ちゃんと客引きをしなさい! 何故勝手に中に入ってきてるんです!」

 

 俺にばかり怒鳴らないでください……。なぜ俺だけを睨むの。ユースケも共犯ですぞ……。

 

 「もう…困ります佑輔さん……」

 

 優男に向き直り本当に困っているハルさんだった。ちゃんと叱りなさい! 差別だ!

 

 「悪い悪い。つい話し込んでしまって」

 

 「……しっかりしてください……。『何も起こらない人生は退屈だ』とは言いますけれど、あまりに素行が悪いと…その……」

 

 利発な彼女は顔を真っ赤にして黙り込んでしまう。相当ユースケに熱を上げているらしい。

 

 言葉の続きは「結婚を許してもらえなくなる」ってとこか……とあたりをつけ、俺まで顔面に血が上った。

 

 見目麗しい少女が赤面している状況は非常にそそられるものがあるが、第一印象が最悪なだけにご飯何杯もはいけない。さらにそんなあどけない表情は俺の横でへらへらしている優男に向けられたものであるから、どうにも嫉妬が勝ってしまう。もてない男の悲しい習性である。

 

 「彼が九年前の僕にならないようにしてるのさ」

 

 「あ……、……それなら、仕方がないです…」

 

 今日見た限りでも客との応対をてきぱきとこなし、立派に若女将をしている彼女も想い人の前では形無しだ。

 

 「少し出てきても良いかな。この子を、翔太君を案内してやりたい」

 

 「う……はい。お気を付けて。佑輔さん、それから翔太さん」

 

 女将さんらしい深々とした会釈だった。

 

 初めて名前を呼ばれた。俺に脈はないと理解していてもドキドキする。心が踊る。もてない男の悲しい習性である。

 

 俺が高揚している間、なぜかハルさんは複雑そうに目を伏せ、ユースケの飄々とした微笑には苦みが混じっていた。

 

 「ありがとう」

 

 礼を言ってユースケはハルさんの頭に手を乗せぽんぽんとバウンドさせた。

 

 驚くほど自然な動作で俺は死ぬほど驚いたが、すぐに湧き上がってきた嫉妬にかき消された。

 

 「さ、行こう」

 

 ユースケとかいうイケメンは女子を撫でた手で俺の背に触れ、小声で呪詛を唱える俺とお辞儀姿勢のまま硬直したハルさんを置いて先に店を出た。背後に彼女の視線を感じつつ、後を追う。

 

 さっぱりした、というよりはやや気まずい、歯切れの悪いやり取り。

 

 嬉しくはないのだろうか。「年頃」の、しかも「一途」な「美人」に好かれているんだぞ。現代じゃめったにお目にかかれないフルコースだ。

 

 それに、ここはどう考えても江戸時代(信じたくはないが)。

 

 江戸の世の恋愛。もちろん知りはしないが、現代と比べ、恋人に寄せる思いはおそらく並大抵のものではなかったことだろう。

 

 想像に過ぎないが、きっと。

 

 きっと、一生添い遂げる覚悟がある。

 

 それを迷惑とはこれいかに。

 

 やはり優男の考えることは理解不能……。

 

 店を出る直前、ちらりとハルさんを振り返ると、彼女は耳まで真っ赤にして土間の隅を見つめていた。

 

 視線の先には、古びた赤いリストバンドが一つ、箱の中の小物に紛れてなお存在感を放っていた。

 

 

 「町を東に出て、竜慈丘に登ろう。僕が倒れている君を見つけた場所へ案内する。それから、少々この世界のことも」

 

 「江戸時代にも東西南北があるの?」

 

 「太陽の上る方が東じゃないか」

 

 俺のとんちんかんな疑問がユースケの失笑を買っていた。

 

 緑空に燦然と光る太陽はぼちぼち下降を開始しており、多分今は午後二時くらい(町では二時間おきに鐘が鳴る。この時は一時の鐘が鳴った後だった)。

 

 「ずっと気になってたんだが、リュウジキュウって何だ?」

 

 「丘の名前だ。竜の慈しみの丘だよ」

 

 着物民族でにぎわう大通りを抜けると、ぱっと視界が開けた。青草が伸びる畑のあぜ道を数分歩き、傾斜の緩い石ばった坂を小汗かきつつ上っていく。幅数メートルの坂の横面は切り立っていて、丘と地面の高低差は数メートル。崖のように岩がむき出しになっている場所もある。

 

 「そんな場所が気になるのか? それより後ろ、下界の景色をごらんよ」

 

 言われて、振り返る。

 

 広々とした畑。

 

 小高い丘。

 

 空。

 

 鮮やかさこそ違えど、全てが緑色をしていた。

 

 あー早く青い空が見たい……が、これはこれで壮観だった。

 

 「なかなか悪くないと思わないか?」ユースケだ。

 

 「うん……」

 

 爽やかな気分だ。なんだか気が大きくなって、異世界の空気を胸一杯に吸い、無駄口をたたいた。

 

 「俺は本当に異世界に来たんだな。やっと現実味が出てきたよ。こんな意味不明な世界でユースケは九年間も耐えてきたんだ。凄いどころの話じゃない。身一つで投げ出されて『さあ勝手に暮らしてください』なんて、狂い死んだっておかしくないのに」

 

 「光栄だよ」彼は腕組みし口元をほころばせている。

 

 「感電した拍子に荷物もなくしちまった。けど、どうにかここで生きていかなきゃいけない。ユースケ、これから世話になる。というかもう世話になってる。助けてくれてありがとう。一緒に帰ろう。……それまで、どうぞよろしく」

 

 目を細めたユースケに握手を求める。今度はこちらから腕をぶんぶん振った。

 

 風が吹く。耳を隠していた髪がふわりと浮かび、優男の顔にかかった。髪が元に戻ると、そこにあるのは笑顔だ。それから口を開いて呟いたのは、

 

 「……今の、いいシーンだな」

 

 「そういうこと言うなよ」

 

 恥ずかしくなってくる。穴があったら……う、うわ……あああ恥ずかしい! 時間差で来た! 穴はどこだ、探せ!

 

 「冗談さ。僕だって、いつかこの九年間を笑って話せる日が来ると良いなと思っている。……必ず帰ろう」

 

 「……おう」

 

 どちらからともなく拳を突き合わせた。

 

 

 「……それで、だな」

 

 眉間にしわを寄せ、戦友は明らかに懸案事項を抱えている様子だ。

 

 「げ、嫌な予感」

 

 ユースケは丘を登りきり、俺に向き直ると、

 

 「大正解。……僕らは雷に打たれたんだったね」

 

 思い返して首肯した。他人に聞かれるとにわかに自信がなくなるこの現象に名前を付けたい。

 

 「ああ。確かに」

 

 「ならば、元の世界に戻るためには再度雷に打たれるのが最も現実的だということになる」

 

 「普通に考えてそうだよな」

 

 「では、人が雷に打たれるとどうなるか」

 

 「普通死ぬ」

 

 「そう。ところで、快円町では毎年五名~十名行方不明者が出ているのは知ってるかい」

 

 視線が交錯する。鋭い、暗く沈んだ視線。渦巻く予感が増幅される。

 

 「あ、ああ。行方不明者は決まって雷雨の日に出るらしいと聞いてるけど」

 

 「……すると、そうした人々はどこへ行くのだろうか?」

 

 ぽく、ぽく、ぽく、チーン。「!」四拍目でピンときた。

 

 「……まさか」ユースケの顔色をうかがう。

 

 「おいで」俺に手を一振り、後ろを向いた。

 

 俺は背を追いかけ、彼の隣、丘の頂上の平地を一望できる位置に並んだ。

 

 草地に石が並び立っていた。二、三どころではなく、二十、三十と。黒く焦げ付いている箇所がある。もしや焼け跡だろうか。

 

 はっとした。

 

 「……これ全部、墓石か!」

 

 「鋭い。ここら一帯には雷がよく落ちる。……時々、人も」

 

 行方不明者の……丘! 全員死体になってここに埋まってるってのか⁉

 

 鳥肌が立つ。俺も一歩間違えていたら。

 

 彼の懸案事項はこれか。帰るためには雷に打たれなければならない。だが、二度目も無事でいられる保証は……ない。

 

 「君は運がいい。異世界の土壌の栄養にならずに済んだんだから。ここは雷鳴ケ丘と言う」

 

 ユースケは言葉を切り、

 

 「人呼んで、『死生の丘』。……死者が生まれる場所さ」


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