新世代アグネスママオン   作:かなわ

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広げた風呂敷をとりあえず畳んだ。


外典ダイワスカーレット 下ー2

 ダイワスカーレットはついにアグネスタキオンと対面した。太陽は赤く最後の輝きを放っている。時間がない!

 

「やっと見つけた! タキオンさん!」

「おや、誰かと思えばスカーレット君じゃないか。今日はもう来ないと思ってたよ」

「やや? タキオンさん、お知り合いですか?」

「可愛い後輩さ」

「なんと! タキオンさんにも仲の良い友達がいたとは! 仲の良いことは素晴らしいことです!」

「友達じゃなくて後輩なんだが、それと意外と失礼だねぇ。君ぃ」

 

 アグネスタキオンはサクラバクシンオーに捕獲されていた。上にのし掛かられ、床にうつ伏せになった状態で楽しげに談笑している。気が気でないのはダイワスカーレットだ。なにわろてんねん。

 

「それで、スカーレット君が私のところに来たということはトレーナー候補が見つかったということでいいのかな?」

「そうです。だから一緒に来て下さい」

「私がそのトレーナー候補を認めるとも限らないよ」

「知ってます。けど来てください」

「頑固だねえ……。バクシンオー君、いい加減どいてくれたまえ。どうやら私はやることができたみたいだ」

「むむっ、それなら私と一緒に教室を直すというお仕事がありますよ!」

「頼むよ〜、後でやるから。一生のお願いさ」

「ほっほう! 一生のお願いなら仕方ありません。ですが約束ですよ! 後で一緒に教室を直すんですよ!」

 

 はいはい分かってる分かってる。アグネスタキオンはサクラバクシンオーを雑にあしらいながら立ち上がった。

 

「それじゃ行こうか。エスコートを頼むよ」

「はい!」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 理事長室には理事長の秋川やよい、理事長秘書の駿川たづな、教務主任、生徒会長シンボリルドルフ、副会長エアグルーヴ、トレーナーの6名らが集っていた。理事長とその秘書は元からいたが、それ以外の人物はトレーナーと生徒会長によって集められていた。

 彼らは皆、アグネスタキオンの退学にまつわる事情を知っている者達である。

 18時を期限とする旨については理事会経由で各部に伝えられていたのだ。

 その理事会の面々はこの場に居ない。最終的な決定権を持つ秋川理事長が理事会の一人と直接話をし、今回の件についてはこちらで対処すると判断を下し、集合する必要はないと指示したのだ。理事会には結果のみが後から伝えられることになっている。

 ちなみに、もう一人いる副会長はダイワスカーレットが見つけられなかったときに備え、学内でアグネスタキオンを捜索していた。もっとも今となっては必要なくなったが。

 

 

 トレーナーは皮張りのソファーに浅くも深くもなく腰掛けながら理事長と対面している。

 たづなは理事長の横に腰掛け、教務主任は座らず理事長の後ろへ。生徒会の二人はトレーナーの後方で立っていた。

 中心には一枚のA4用紙。

 トレーナーとウマ娘が契約関係にあることを示す用紙だ。殆どの欄は記入されている。残るはただ一つ。アグネスタキオンの自著のみ。

 会話は無い。事情は全て伝えた。柱時計の規則的に発する秒針の音が響くのみ。

 

 残り時間5分を切ったところで副会長のエアグルーヴがトレーナーに問いかけた。

 

「……おいトレーナー、貴様、アグネスタキオンは本当に来るんだろうな。会長にここまでさせておいて来なかったでは済まされんぞ」

「来るさ」

 

 迷いの無い即答にエアグルーヴは訝しんだ。捨て鉢になっているのでは無いかと。エアグルーヴの予想は近いところまで行った。真実、トレーナーは狂っているのだ。

「なあ、トレーナー君。よければその根拠を我々にも教えてくれないか。君やダイワスカーレットを疑うわけではないが、相手が相手だからね」

「根拠か……」

「不要! 何を言っても、数分で全て決まる!」

「……」

 

 理事長はそれだけ言い切り、ただ黙ってこちらを見るのみ。睨んでも疑ってもいない。ひたすら真っ直ぐな視線。わずかに期待しているような雰囲気はあるが、それだけだ。

 トレーナーはその視線から逃げなかった。

 根拠などない。ただ夢があった。

 ダイワスカーレットに運ばれている最中、気絶したときに見た夢。それを以って根拠としているなどと曰ったところで誰も納得すまい。自分以外は。

 

 

 時間はついに1分を切った。

 59、58、57、56ーー

 35、34、33、32、31ーー

 

 

 刻々とすぎていく時間に誰かが息を飲む。

 だがそれが全て尽きる前に秘書のたずなが、失礼しますと断ってからふと立ち上がった。そして理事長室のドア、両開きのそれを大きく解放する。。

 その行為の意味を問うまでもなく、秋川理事長の瞳が輝いた。「うむ!」

 足音が聞こえてきた。

 エアグルーヴの瞳が驚きで開く。この場で一番期待していなかったのは彼女だった。「まさか……」「来たな」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「間に、あっ、たあああああああああ!!! 失礼しますっ!!」

 

 

 ブハア!、と息を吐きながらダイワスカーレットが入室してきた。傍には……アグネスタキオン!

 疲労で震えているが、彼女は約束を果たしたのだ!

 顔面には何かを成した者のみが浮かべる笑み!

 

 

「さ、タキオン先輩、入って、下さい」

 ダイワスカーレットは無理に呼吸を整えながらアグネスタキオンの背中を押して入室を促した。

 だが、アグネスタキオンは部屋と廊下の境から動かない。

 動かないアグネスタキオンの代わりに歩み寄ってきたのはトレーナーだった。

 

 

「フゥン、たかだか私一人のために大袈裟だねえ。さっさと退学にしてしまえばいいものを。で、君が私のトレーナー候補ということでいいのかな。いつぞやのモルモット君」

「ああそうだ。俺と契約を結んでくれ」

「嫌だ、と言ったら?」

「……この前持ってた薬は今も持ってるか?」

「アレとは違うが、臨床実験の済んでないものならあるよ」

「渡してくれ」

 

 

 興味深そうなアグネスタキオンから受け取った栓付きの試験管は5本。見るからに健康に悪そうな色をしている。工場地帯のドブ側から汲んできましたと言わんばかりのそれを、トレーナーは上を向いて一気に飲み干した。一度に5本! その行為にトレーナーとタキオン以外はドン引き!

 当然のように込み上げる猛烈な嘔吐感をトレーナーは努めて隠した。何となく視界が明るくなった気がする。

 アグネスタキオンはその様に驚いたのか、呆然としている。

 

 

 呆然としているアグネスタキオンに試験管を返す。

「俺が、俺がモルモットだ!」

 アグネスタキオンは試験管が空であることを確かめるように眼前に持ち上げた。先程まで、この中には群青色や緑色、濁った茶色などの研究過程で生まれた薬品が収まっていたはずだ。それが無くなっている。目の前の男が飲み干したのだ。

 

「……クッ、クク……アッハッハッハッハ! そんな勢いよく服薬するやつがあるか! まるでモルモットだな、君は! いやモルモットなんだったね! アッハッハッハッハ!」

 

 

 呵呵大笑なアグネスタキオン。彼女を尻目に、後方で控えていたたずながトレーナーに声をかけた。何だろう。今までのやり取りでとうに時間は18時を超えてしまったから、それを咎めるのだろうか。

 

「あのトレーナさん、お体は大丈夫ですか……?」

「え……?」

「何だい気づいていないのかい。君、発光しているぞ。黄緑色に。ククっ、なあなあ、ちょっとデータを取らせてくれよ」

「怪奇! 人間大の照明になっているぞ!」

 トレーナーは足取りが覚束なくなっている。

 

 トレーナーの暴挙とアグネスタキオンの爆笑によって先程まで重かった空気は朗らかに明るくなっていた。物理的にも。

 ダイワスカーレットは「(大丈夫そうね)」とそれを見守っていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 

 

 だが、ダイワスカーレットの期待は他ならぬアグネスタキオンによって崩された。

 

「はあ、面白かった。最後に興味深いデータが取れてよかったよ。それじゃあ私は帰る。みんな、無駄足ご苦労様」

 

 

 アグネスタキオンは満足したのか、ここにはもう用はないとばかりに踵を返した。

 理事長室に入らなかったのは最初から心を決めていたからだったのか。

 ダイワスカーレットは一瞬理解に遅れたが、言葉の意味を把握すると引き留めようと腕を掴んだ。

 

 

「ちょ、ちょっとどういうことですかタキオン先輩!?」

「いてて。……どうもこうも、そのまんまの意味だよ。スカーレット君には悪いが、私はトレセン学園を出て行く。そう決めた」

「研究……、研究のためですよね? だったらトレセン学園で続けたらいいじゃないですか」

「効率が悪いんだよ。分かるだろう? ……あのモルモットの誘いには若干揺らいだが、今となっては物足らないねえ」

「そんな……!」

 

 

 ショックを受けているダイワスカーレットに代わって、生徒会長が問いかけた。

「なあアグネスタキオン。他に理由があるなら教えて欲しい。我々は君を退学させるために集まったのではない。その逆だ。何か手伝えることがあるのではないかな」

「とはいえ、私にその気がなくっちゃどうしようもないだろう?」

「それはそうだが……」

「会長に義理はあるから無下にはしたくなかったが、要はやる気の問題さ。手を煩わせて悪かったね。スカーレット君、離してくれ」

 

「あ……」

 

 アグネスタキオンがダイワスカーレットの手を払う仕草は、明確な拒絶の意思が込められていた。

 それ故にダイワスカーレットは酷く動揺した。無意識下で、アグネスタキオンが自分を拒絶するわけがないと信じていたからだ。それが崩された。

 頼みの綱だったトレーナーは、ひっそりと意識を失って倒れている。理事長、秘書、副会長はその対応にあたっており肝心な時に味方が居ない。

 ショックを受けたダイワスカーレットに夢の記憶が流入し、一時的に自我が混濁する。

 

 

「待って……」

「さようなら、スカーレット君」

「だめ……、行かないで……」

 

 

 静止の言葉も振り切って去っていくアグネスタキオン。

 その背中が遠のいていく風景に既視感を覚えると、強烈なフラッシュバックがやってきた。再び記憶の流入。

 フラッシュバックの強さに、ダイワスカーレットの自我は一時的に夢の現実の区別を無くした。

 小さな自分の手を無視して母親は扉から出て行ってしまう。2度と戻ってこないことを、知っている。

 

 

 

「行っちゃダメ!!!」

 

 あまりの声量の大きさに、遠くにいたウマ娘さえも何事かとこちらを伺っている。

 ダイワスカーレットはそんなことに気を配る余裕もなくしていた。

 

 

「いいからアタシの言うこと聞きないさいよ!!!」

 アグネスタキオンを睨みつけるダイワスカーレットの目には涙が浮かんでいた。

 ダイワスカーレットはそれを邪魔くさいと強引に拭い去りながら言葉を続けた。

 意識を取り戻したらしいトレーナーの肩を支えながらたずなが。理事長とエアグルーヴ、教務主任がそれに続いて部屋から出てくる。

 見られている。だがダイワスカーレットは止まらない。

 

 

「どうでもいいから早く契約しなさいよ!!!それで全部解決するんだからいいじゃない!!! それなのになんでそんな、今更ごちゃごちゃ言うのよ!!!」

「……スカーレット君。私は今日ずっとキミに聞きたいことがあった。確かにキミは私に懐いていたが、どうしてそこまで私の進退にこだわるんだい?」

 

 

 アグネスタキオンの疑問に、涙と言葉が堰を切ったように止まらなかった。

 

 

「そんなの、そんなの決まってるじゃない」

 自分でも訳のわからないあの理由。

 

 

「だって二人は、アタシの、パパとママだから……」

 言ってしまった。もっと優等生らしい、まともな理由もあったはずなのに。

 だってパパは言ったから。大事ならものがあるなら勇気を出せって。

 言ってしまったらもう止まらなかった。言葉は堰を切ったように流れ出た。

 

 

 

 静寂。誰もが口をつぐんだ。ダイワスカーレットを除いて。

「うっさいわね!! アタシだって何言ってんのかわかんないわよ!! でも、……分かるの!! 二人はアタシのパパとママだって分かるの!! そうだってアタシじゃないアタシの記憶が言ってんの!! なのに!! アタシのパパとママなのに!! バラバラにどっか行っちゃおうとするからっ、パパとママにはっ、一緒にいて欲しくてっ、でもここで会わなっ、会わなかったらっ、二人はずっと離れ、離れだって分かってたからっ、アタシそんなの嫌だっ、だからっ、こんなに頑張っだのに、なんでまだどっが行っぢゃおうどずるのぉ!!!ゔええええええん!!」

 

 

 ダイワスカーレットは完全に泣き出してしまった。立ちながら顔を空に向けて泣いている。

 両袖で何度も何度も顔を拭っている。奇しくも今朝の焼き回しだった。唯一異なるのは涙の量と勢いだけだった。

 

 

 あまりにも支離滅裂な内容にこの場にいた全員は困り果ててしまった。一体どう言うことだ。アグネスタキオンと新人トレーナーがダイワスカーレットの両親とは、どう考えても辻褄が合わない。

 不審な点しかない。理由にすら値しない。

 であるにも関わらず、この場にいる全員が泣いているダイワスカーレットを目の前にして何も言えなかった。

 その姿があまりにも一生懸命だったからだ。

 

 

 アグネスタキオンとトレーナー。

 不意に、見るはずのない光景が瞼に浮かんだ。

 目の前のダイワスカーレットは子供だった。歳の頃はおそらく、6歳か7歳くらいの小さな子供だ。

 小さなダイワスカーレットは色んなところが泥んこでボロボロだった。怪我もしている。きっと知らないところを一人で駆けずり回って転んだりしたんだろう。

 自分の父親と母親がバラバラにならないように、その小さな手足で一生懸命頑張ったに違いない。

 頑張って頑張って、そしたらなんとかなりそうだった。

 あと少しだった。

 なのに最後の最後で肝心の両親が台無しにしようとしていた。

 だから小さなスカーレットは泣くしかなかった。

 頑張ったのにもうダメ、どうしていいか分からなくなって泣いてしまった。そんな姿だった。

 

 

 彼らが動いたのは同時だった。

 立てなくなって座り込んでしまったダイワスカーレットはまだまだ大泣きしている。廊下中に声が響き渡るくらいには大きな声だ。

 アグネスタキオンはそんなダイワスカーレットに近づくと、両手を彼女の背中に回すと包むように抱きしめた。ダイワスカーレットは反射的にアグネスタキオンの服を掴むと、そのまま胸に顔を埋めてわんわん泣いた。

 

「はあ……、こんな大きな娘は持ったことがないんだがねえ。ほら、スカーレット君、いつまでも泣いてると友達に笑われてしまうよ」

 

 

 トレーナーは微妙に混濁した意識で、発光しながらも何故かしっかりとした足取りで二人の下へ辿り着くと、その横から二人を覆うように抱きしめた。ダイワスカーレットの背中をポンポンと叩きながら、

「よしよしもう大丈夫だぞー。寂しかったな」

 と、あやすように何度も何度も大丈夫と繰り返していた。

 その光景は家族ように見えた。

 

 

 

 

「疑問! たづな、これは一体どういうことだろう?」

「私にはなんとも……」

 

「なあエアグルーヴ」

「はい、会長」

「我々ウマ娘は別の世界の魂を持って生まれて来る、という説を思い出したよ」

「奇遇ですね」

「きっと、そういうことなのだろうな」

「……はい。きっと」

 

 

 二人があやした甲斐あってかダイワスカーレットの泣き方はしゃくりあげる程度まで落ち着いてきた。

 タイミングを見計らって、意識がしっかりしてきたトレーナーがアグネスタキオンに問うた。結論は変わらないのかと。

 その声を聞いて、ダイワスカーレットはすんすんと啜り上げながらアグネスタキオンを見上げた。どこにも行かないで、と言っている。

 

 

「そうだねえ……、このまま辞めたらスカーレット君に刺されそうだし、便利な実験動物も手に入ったからねえ。もう少しこの環境で我慢することにするよ」

 アグネスタキオンは諦めたように呟いた

 

「だそうです理事長。よろしいですか?」

「無論! 教師陣や理事会で退学は決まってしまったが、君の意思さえあれば私はいくらでも尽力しよう! ところでトレーナー、体は大丈夫か?」

「ふぅン、公平性に欠けるのは如何なものかと思うよ。ところでモルモット君、眩しいから離れたまえよ」

「君が光らせたんだろ……。すいません理事長。よろしくお願いします」

「勿論! 任せたまえ! たづな!」「はい」

 

 アグネスタキオンの退学は水際で撤回された。

 硬そうに思えた本人の意思が、何故か容易く変わったのかは、本当の理由を知るものは誰もいないだろう。

 

 ダイワスカーレットは泣き疲れたのか、アグネスタキオンに抱きついたままいつの間にか眠ってしまっていた。今日はもう、その寝顔が悲しげに歪むことはないだろう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 ウオッカは驚いた。なにせ同居人が意識のない状態で運ばれてきたのだから。

 しかも両手に包帯を巻かれ、他にも顔や腕、足に手当てされた跡がある。肝心の本人が眠りこけているので事情も分からない

 運んできたフジ先輩も事情は知らないらしい。

 

 

 そのためウオッカはスカーレットの身になにがあったのか知るためには、本人が起きるまで待たなければならなかった。

 携帯を弄ったり音楽を聴きながらも時折ベッドの上のダイワスカーレットをチラチラ見るなど、ヤキモキしながら部屋で過ごしていたウオッカだったが、その分起きたタイミングは見逃さなかった。

 

「起きたか、スカーレット」

「ウオッカ……」

「手、大丈夫かよ」 

 

 色々と聞こうと思っていたウオッカだったが、いつものように素直にはできなかった。

 スカーレットが起きる瞬間まで見ていたと言うのに、つい、なんだ起きたのか気づかなかったぜ、と言う態度をとってしまった。

 いきなり素直にはなれない物だ。

 代わりにウオッカはぶっきらぼうに質問を投げかけた

 ダイワスカーレットは寝起きでまだ呆けている。

 

「その傷どうしたんだ? ドジって転んじまったかあ?」

 

 徐々にスカーレットの反応はしっかりとしたものに変わっていった。

 ダイワスカーレットは包帯の巻いてある手を掲げる。

 

「ああこれ? そうそう、転んだだけだし、見た目ほど酷くはないから」

 どういった経緯で、どこで、どうしての説明はしない。

 

「あっそ」

「アタシのこと誰が運んでくれた?」

「フジ先輩」

「そっか、明日お礼言いに言わなくちゃね」

 

 

 話はそこで途切れた。

 ウオッカが聞きたいことは手の傷だけではなかった筈なのだが、聞かないで良くなってしまった。

 スカーレットはもう大丈夫だ、とお思えたのだ。

 会話を切ったウオッカに代わり、話を振ってきたのはダイワスカーレットだった。

 

 

「ねえウオッカ」

「何だよ」

「心配かけてごめんなさい。それと、ありがとう」

「別に。俺は何もしちゃいねーよ」

「ふふ、知ってる」

「何だよ! 俺はただ……同居人が辛気臭せー顔してるから気になってただけだ」

「うん、知ってる。だからありがとう」

「けっ! いつものお高い優等生はどうしたよ」

「あら、今だって優等生じゃない」

「嘘つけ仮面優等生のくせしてさ」

「あんたに言われたくないわねファッション不良」

「んだと!」「なによ!」

 

 

 二人はいつものように喧嘩していたが、やがて消灯時間になったので部屋の電気を消し、ベッドに横になった。

 さっきまで言い争いをしていた勢いが残っていたので、お互い背中を向けたままだ。だが何となく穏やかな雰囲気がある。

 

 

「なあスカーレット」

「なに?」

「……何か困ったことがあったら言えよな……その、ライバルだから、助けてやるよ」

「あんたにしては珍しく殊勝な心がけね」

「うっせ!」

「ウオッカ」

「あんだよ」

「ありがとう」

「…………お休み」

「お休み、ウオッカ」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 一度寝てしまったと言うこともあって、ダイワスカーレットはなかなか寝付けなかった。ごろごろと寝返りを打っても収まりの良い位置が見つからなかったこともある。

 どうせ眠れないなら、と彼女はベッドから体を起こして一枚羽織ると机に向かって座った。日記を書こうと思ったのだ。今朝から始まる今日1日の出来事を記録に残そうと思った。

 そこで、未使用のノートを一冊取り出し、デスクライトを付けた。

 寝ているウオッカが眩しくないように羽織っていた上着を灯にかける。

 ペンを持つと傷が痛んだので、持ち手を工夫する。

 迷いなく書き出す。出だしは勿論、幸せな一家の夢から。

 

 

 

 時折ペンが止まったり、グーっと背伸びをして一息いれながらなんとか書き終える。

 書き終えた頃にはもう2時を回っていた。どうりで疲れているわけだ。もう寝なくては明日に差し支える。

 ダイワスカーレットは遅れてやってきた眠気に身を任せるためベッドに横になった。すぐに睡魔がやってきて微睡む。傷の痛みは気にならなかった。

 微睡ながら考えるのは夢のことだ。今日もまたあの夢を見るのだろうか。

 しかしながら、彼女に夢への不安はなかった。同じ夢を見たとしても、今朝のように涙を流すことはきっと無い。

 だって家族がもう離れ離れにならないことを知っているから。

 いい夢見れますように。偉大な仕事を終えた緋色の魂は気分よく眠りについた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 ダイワスカーレットが記したこの日記はいつの間にか無くなっていた。

 

 

 

 翌日のことだ。部屋にいたウオッカ曰く、突然ゴールドシップがやってきて机の上のノートを回収していったのだという。

 

 

「あんた私に嘘ついてんじゃないわよね……!」

「嘘なんかついてねえって! ホントだって!」

 

 

 初めはウオッカが隠したのだと思った。ゴールドシップはレースで“一応“札幌にいるので、今トレセン学園にいるわけが無い。さっき電話で確認したので間違いない。そこで、取り繕うならもっとマシな言い訳を用意しろと、当然のようにウオッカへ追及してみたが一向に口を割らない。むしろ本気の様子だ。

 ウオッカはなんやかんや付き合いのある相手である。自分にも他人にも嘘をつくのが得意じゃないことくらい知っている。そのせいで出場レースがめちゃくちゃになっているのだから。

 だとすると、やはりまたゴールドシップか……。

 ダイワスカーレットは頭痛で頭が痛いような錯覚を覚えた。

 

 

「……ふん、まあいいわ」

 全然良くない。中身を見られたら恥ずかしくて見た人をボコボコにして記憶を消そうとする自信がある。

 

 

「そんなに大事なら一緒に探してやるよ……。どんなノートなんだ?」

「緑色のキャンパスノートよ。あ、見つけても絶対に中身見るんじゃ無いわよ!?」

「はいはい。わかった分かった」

「“はい“は1回!」

「へーい」

 

 

 

 そんなやりとりに反してノートが見つかることはなかった。掃除の折につけ部屋を探してみたり、帰ってきたゴールドシップに詰め寄ってみたりしたが、まるで魔法に掛けられたかのようにノートは消えていた。

 

 

 

 その後も一人で捜索を続けてみたのだが一向に見つからない。やがて日々のウオッカとの喧嘩やレース、日常の雑事に塗れてノートの記憶は徐々に風化していった。

 ダイワスカーレットがトレセン学園を卒業した今となっては誰もそのノートが存在をしたことを知らない。当の本人でさえ忘れてしまったのだから。

 だがノートの存在は忘れても、あの日、彼女が体験したことは一生忘れないだろう。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

【ここではないどこか】

 

 

 その日、ダイワスカーレットは生徒会の仕事を行っていた。

 理事長秘書のたづなに頼まれて、生徒会の面々は彼女と一緒にウマ娘名鑑保管室の整理を行っていたのだ。

 と呼ばれる資料は、トレセン学園に在籍したことのある生徒のレース実績や学園での活動実績などを記録したものだ。これは一般の生徒には公開されず、ある一部の人間のみ目にすることができる資料だった。

 いくらトレセン学園が広いといっても敷地には限りがある。そのため、卒業してから数年経過した学生のウマ娘名鑑については地下の倉庫に移されることになっていた。今日はそのための集まりだった。

 時間は夕方。横からさす陽光が二つの影を長く作っていた。

 

 

 

「じゃあウオッカ、私は前の方からやってくから。アンタは後ろからお願い」

「おうよ。ってあれ? テイオーはどうした?」

「注射のツケが溜まってるから今日は戦力外。まったく、会長のくせに情けないんだから」

 

 

 

 ウオッカはその一言でなんとなく察した。あいつまだ注射慣れねーのかよ、もう高校生だぜ。

 かの伝説の生徒会長シンボリルドルフも実は注射が苦手だったことは知られていない。注射のたびにトレーナーから「ルナちゃんよしよし」と慰められていたことは、当時の生徒会によってトップシークレットとされていた。ブランドは大事なのだ。

 副会長ウオッカはかつてのナリタブライアンのようなクール系ポジションにいる。もっとも、そう思っているのは本人だけだ。どこか排他的な雰囲気の有ったナリタブライアンと違い、厳しくも明るく面倒見のいい性格で多くの生徒から懐かれている。その人気はワイルド姉系優等生のダイワスカーレットと二分しており、二人はそこでもライバルだった。

 

 

「しっかしお前も変わったよなー」

「なにが?」

「こういうのとかさ、中等部の頃だったら、アタシ一人でやるーとか言い出してただろ」

「そんな効率悪いこと言うわけないでしょ」

「いや絶対言ってたって」

「言わない」

「言ってた」

「言わない」

「言ってた」

「はあ、もう分かったら作業進めましょ」

「いよっし、俺の勝ち!」

「やかましいわねー、あんたはそっちからね」

「はいはい」

「“はい“は一回!」

「へーい」

 

 

 ウオッカは、何となく以前もこんなやりとりしたような気がしつつも、反対側の扉に向かっていった。

 

 副会長ダイワスカーレットは大きな資料室の鍵を開け、台車を押しながら中に入っていくと宣言通り前の方から作業を進めた。

 夕方だから仕方がないが、資料室は全体が薄暗い。作業をするには少し明るさが欲しい。今も、ウオッカがパーテーションで区切られた向こう側の明かりをつけた。

 だが、ダイワスカーレットは資料室の電気をつけなかった。

 このままもう少しだけ夕陽を味わいたくなったのだ。

 

 

「(埃っぽいわねー。さっさと終わらせましょ)」

 

 

 薄暗い部屋の中。

 移動させるノートを抜き出すため、目を皿のようにして表紙をさらっていたダイワスカーレットは一冊のウマ娘名鑑を見つけた。

 あ行の最初の方。人物名は“アグネスタキオン“。母だ。まだ移動されずに残っていたのか。

 思わずといった感じで手に取り、表面の埃を払って開く。

 様式に乗っ取って書かれたレースの記録といくつかの写真。若い頃の“母親“が映っていた。どう言う訳か、なんだか隠し撮りみたいな写真が多い。写真の下には手書きで日付と場所が書かれている。これは父親の字だ。なるほど分かった。これは父親が隠し撮りした物だ。

 興味がそそられたので読み進めていくと、学園生活でのことが色々と書かれていた。ああ見えて母親はかなりやんちゃしていたようだ。しかも驚いたことに、当時は退学処分になりかけたらしい。その時、父と出会った。

 母親の意外な一面と出会いのきっかけ知ったダイワスカーレットは、今度弟にこっそり教えてやろうと思った。

 

 

 

 母親のトレーナーノートを台車に乗せると、棚に何かあることに気づいた。

 一冊抜き出したことによってできた隙間に倒れていたのは緑のキャンパスノートだった。

 なんだろうと思って手に取ってみると、表紙にマジックで「外典ダイワスカーレット」と書かれていた。見覚のある文字だ。なんとなく、こういうイタズラをするのはゴールドシップくらいしか思い浮かばない。

 気になって開いてみる。

 ノート一冊使った割に内容は少ない。何ページかに渡って1日分の出来事が日記として書かれているだけだ。

 

 

 中身は出来の悪い妄想だ。自分と母親が同じ生徒として学校に通って、母の退学を阻止するるなどと。

 

 

 しかもこれは“自分の字“だ。手の込んだ悪戯。犯人はおそらくゴールドシップに違いない。

 何時何処でどうやってこんなことをしたのか、後でゴールドシップをとっちめれば分かるだろう。

 彼女の中で犯人はゴールドシップと断定されていた。断定、速やかに断罪。直ぐそういう思考になるから“ワイルド系“などど揶揄されていることに彼女は気づかない。

 

 

 

 それにしても、

「(私とパパママが一緒に学校に通ってたらどうなってたのかしら?)」

 

 

 楽しい想像をしながらダイワスカーレットは作業を続けた。

 流石に暗くなってきたので電気をつける。さあ、今から生徒会活動だ。

 

 

「(まあ、きっと楽しいに決まってるわね!)」

 

 

 

 

 

 

 見よ! 

 今にも沈むあの太陽!

 一つの世界を照らし終えた夕陽は別の世界の朝日となるだろう! 

 緋色の少女の行く末に光あれ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完結 外典ダイワスカーレット

 




本編と外典の区分けとしては、親子世界線が本編。そうじゃないパラレルが外典。
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