弟くんは将来トレーナーになるのであとは運命の再会ですね?
3
「スカーレットー、ご飯できたよー」
娘のために昼食を温めたアグネスタキオンは、自室で着替えたらすぐ戻って来るはずの娘が一向に姿を表さないので娘の部屋まで呼びに来た。
「スカーレット、寝てるのかい?」
部屋から返事はない。それどころか物音ひとつしない。加えて、ウマ娘の鋭敏な聴覚は小さく規則的な呼吸音を捉えていた。
ここまで揃えば部屋の中を見ずとも分かるというもの。
だが、アグネスタキオンは静かに扉を開ける。予想通り、娘はお休み中だった。疲れていたのだろう。
アグネスタキオンは部屋の中にするりと侵入すると、なるべく物音を立てないようにカーテンを閉め、灯りを消した。遮光カーテンはしっかりと仕事をしたので明るさはかなり落ち着いた。これで娘もよりぐっすり眠れるだろう。
部屋を出て行く前に、アグネスタキオンは娘の顔のそばにしゃがみ込んだ。
それから、起こさないように慎重に、娘の顔にかかった前髪を撫でるようにどかしてやったり、手や指の甲で頬を撫でたりした。後で毛布もかけてやろう。
大きくなったが、こういうあどけない寝顔を見るとまだまだ子供だと思う。
「ん〜………」
「ふふっ」
疲れて眠る娘を起こしてしまうのもやぶさかだ。
アグネスタキオンは最後にほっぺたへキスをすると、お休みスカーレット、と言いながら静かに部屋を出て行った。
廊下から入ってきた光は、閉まる扉に合わせて段々と光の日になり、扉が閉まると同時に消えた。部屋には静寂と暗がりが訪れた。
階段を降りながら、アグネスタキオンの脳裏には娘がまだ小さかった頃の事が思い出されていた。
記憶の中の娘はほんの小さい子供で、何をするにも自分の後をくっついていた。
そして遊んだ後には、自分の腕の中や膝の上で、食事中だろうがなんだろうが、電池が切れたようにバッタリと気絶するように眠るのが常だった。
そんな遠い昔のことでもないと思っていたのに、子供の成長とは早いものだ。今やちゃんとベッドの上で眠るようになったとは。
アグネスタキオンは冗談まじりにそう思いながらも、本当に大きくなったなあ、と感慨を抱くのであった。
今回の料理は上手にできたのだが、眠ってしまっているなら仕方ない。鮮度が大事なのだ。温めた食事はもったいないから夫に食わしてやろう。手伝ってもらった最中に散々味見をさせたので食べ飽きたと言うかもしれないけど。それなら新薬も混ぜて味を変えてみようか。
あとはそうだな、紅茶でも淹れて……いや、今日は夫に紅茶を淹れてもらおう。自分でも淹れるが、夫の方が色々と美味いのだ。自分でやれと文句を言うかもしれないが、学生の時分から胃袋を掴まれているのだから仕方ない。いや、夫の方が率先して私の胃袋を掴もうとしてきたのだから、夫が私のために紅茶を淹れるのはもはや義務だな。
階段を降り終えた。リビングでは夫が本を読んでいる。手元には紅茶が置かれている。彼はコーヒーや緑茶、ハーブティーや漢方茶など色々と嗜むが、アグネスタキオンが家にいる間は紅茶を飲むことが多い。
まだこちらに気づいた様子はない。アグネスタキオンは後ろからそっと近づいた。
「だーれだ」
「俺の奥さん」
「正解。と言うわけでこの紅茶は頂いて行こう」
「あ、こら」
10代後半の娘がいるとは思えないいちゃいちゃっぷりだ。子供二人がいないこともあってハメを外しているのだろう。
ただ、子供たちは自分たちがいないところで両親がこうしていちゃついているのを知っている。特に息子は、20代にしか見えない母と年相応の父がいちゃついているのがしんどいので、遊ぶときは専ら外なのだ。
「まったく……。新しいのを淹れるよ。ちょっと待ってて」
「甲斐甲斐しいねえ〜。美味しく頼むよ」
「はいはい」
「お茶を淹れてくれたらご褒美にスカーレットの分は君が食べていいよ」
「ええー。どれだけ食べさせられたと思ってるのさ。もう飽きたよ」
「ほう……?」
それはつまり、味を変えて食べたいと言うことかな?
アグネスタキオンは夫で新薬の試験をすることに決めた。
4
結局、ダイワスカーレット(17)が目を覚ましたのは夕飯時だった。
どことなく漂ってくる美味しそうな匂いにお腹が反応すると、寒さを覚え、次いで意識が浮上した。
部屋は真っ暗だ。いつの間にかカーテンも閉められてるし、体には毛布がかけられている。ティアラもいつの間にか外されていた。多分、母だとは思う。父親は勝手に娘の部屋に入ったりはしない(実は寝顔を盗撮してる)からだ。
だいぶ深い眠りだったらしい。
「(今何時……? 18時、けっこう寝ちゃってたわね)」
ダイワスカーレット(17)はシワになってしまった服を脱いで簡単に畳むと、ラフな格好に着替えた。
空腹の赴くままに階段を降りればはっきりとスパイスの匂いが漂ってきた。今日はカレーだ。
「パパお腹すいたー」
寝起きのダイワスカーレット(17)はリビングに着くなり開口一番に空腹を訴えるくらいには実家モードになっていた。そのままソファーでくつろいでいた母親の太ももに顔からダイブする。
ダイブの勢いに乗せて母親の背中とソファーの隙間にズボっと片手を回し、母親の尻尾を掴んだ。もう片方の手は投げ出されている「ママー」「お疲れのようだねえスカーレット」「んーー」そのままグリグリと顔面ドリルをした。長い髪がつられて揺れる。普段はきっちり二つ分けにされている自慢の長髪は、今は真っ直ぐに下されヘアゴムで簡単にまとめられているだけだ。
子犬のような顔面ドリルを終えたあとはピタリと動きが止まる。
母親がその後頭部をサラサラと撫でる。優しいその手つきにダイワスカーレット(17)はより脱力し、完全なる実家モードになった。尻尾が、時折思い出したようにバサっ、バサっと振られる。
「起きてきたか。もう少しでできるからな」
「むあーい」
キッチンから声をかけてきた父親にダイワスカーレット(17)は母親の足に顔を埋めたまま返事をした。一応、尻尾でも返事をしている。その姿、学園のダイワスカーレットに憧れている後輩が見たら幻滅するだろうか? いや、しまい(反語)。
ダイワスカーレット(17)は顔を上げなかったので、この時点で父親が発光していることには気がつかなかった。
空腹のダイワスカーレットには遅く感じら得たが実際には早くカレーが出来上がった。
あとは家族団欒の時間だった。
ダイワスカーレット(17)が父親の発光に気がついて寝ている間に何があったのか聞いたり、父親が1600万色に発光できるようになったんだといって母親をジト目で見たり。そうこうしているうちに弟が帰ってきて家族は全員揃った。大盛りのカレーやサラダを食べながらダイワスカーレット(17)はトレセン学園での生徒会活動やレースでの活躍を母親に語ったり、母親は研究成果を発表した。実は弟に好きな子がいてその子はウマ娘であると暴露されたりした。
ダイワスカーレットは自分がいない間の家族の様子を聞いて、同じくらい自分の活躍を語った。
両親は微笑ましげに、弟は胡散臭そうにしていた。
食が進み、父親がワインを持ち出して、母親が真っ先に酔っ払って父親に絡んだ。
うっへりといった感じで砂糖でも吐きそうな弟と一緒に食器を片付け、いちゃつく両親を尻目に、一緒に映画を見ながら子供達だけの話をした。
映画が終わる頃には父が母を寝室に連れて行っていた。父曰く、スカーレットがいるのが嬉しくてつい飲み過ぎてしまったらしい。
それから父と少し話したあと、夜も更けてきたので自分の部屋に戻った。
案の定眠れなかったので近場を少し走った。帰ってきてからシャワーを浴び、ホットミルクを飲んでベッドに横になるといつの間にか眠れていた。
ダイワスカーレット(17)の帰省初日の夜は概ねこのように過ぎて行った。