この世界では母親が競技者ということがよくあるので、その辺は充実しているようです。
特に忌諱するようなものではなく一般的なのはご存じですね?
今回はレースデビューということもあり、長女の応援に集中するために利用しています。
親の関心を引きたい娘の心情をちゃんと理解していますね。
夫婦の時間も大切だしね。
レースまで行けなかったよ
“ちびっこダービー“当日。
天気は晴れ。風も穏やかで非常に走りやすい環境になった。
ダイワスカーレット(7歳)は観客席で両親と一緒に自分の番を待っていた。その様子は傍目にもガチガチに緊張しているのが見て取れる。母親の腕にがっしり捕まりながら耳はへにょっ、尻尾はしなっ、としている。
ダイワスカーレット(7歳)は特に人見知りする性格ではないのだが、想像していたよりも建物の規模が大きかったことに加え(小学校くらいを想像していた)、知らない子供、知らない大人がいっぱることによって怯えているようだ。友達と走っているだけのとは環境が大きく異なるので仕方のないことだろう。今後レース経験を重ねていけばまた変わってくるのだが。
公式レースであれば更に多くの人がいることを知ったらどんな顔をするのだろうか。アグネスタキオンは知欲に基づく好奇心が湧き上がってきた。夫は、妻の悪い顔から大体の内容を察していた。
このレースはいくつかの部門に分かれている。
ダイワスカーレット(7歳)が出走する小学校低学年の部“通称ちびっこダービー“の他、中学年、高学年、中学生の部、高校生の部、大学生の部、社会人の部20代、30代、40代と続いていく。ちなみに賞金は出るが額は非常に少ない。買い物券や焼肉セットとかがメインだ。というのも、ある程度規模のある都市で開催されるこの手のレースは、“走って““勝つ“というウマ娘の本能的な欲求を満たすための、いわば自治体による福利厚生的な側面が強い。今回は無いが、開催されるレースによっては80代の部までもあるらしい。
今回ダイワスカーレット(7歳)が出走する小学校低学年の部は一番最初に予定されている。そのためもうそろそろ準備しないといけないのだが、それがなかなかうまく行かなかった。
「ほらスカーレット。そろそろ準備運動をしに行かないと間に合わなくなってしまうよ」
「いや! ママと一緒にいるの!」
ダイワスカーレット(7歳)は左手で母親の腕を、右手で自分の尻尾と母親の尻尾を強く握りしめていた。毛が抜けてちょっと痛い。
しかし緊張していようがいまいが出走の時間は淡々とやってくる。いくら今の姿が可愛くても、怪我をしないために準備運動とウォーミングアップはさせなければならない。
「やれやれ困ったものだ……。ほら、トレーナー君、キミの出番だぞ」
埒が明かぬと判断したアグネスタキオンは夫に丸投げすることにした。ちなみにトレーナー呼びは出走することが決まってから娘に対してトレーニングをしているうちに時折復活するようになった。使い所は、アグネスタキオンが今のようにめんどくさいことを投げる時によく用いられる。
具体的にはアグネスタキオンが家で仕事を進めているときにダイワスカーレット(7歳)が絡んでいく時だ。今日はパパとトレーニングするんだろう? トレーナー君、あとはよろしく頼むよ。といった感じである。
「スカーレット、パパと一緒に行かないか? ママに1番をプレゼントするんだろう?」
「うぅ〜〜……!」
母親と離れたくない気持ちと1着をプレゼントしてあげるという約束が分かりやすく葛藤しているのが可愛い。邪念。父親は写真を撮りたい気持ちに駆られた。が、なんとか根性で押さえつける。
というか流石に時間が迫っている状況で自分の欲望を優先させたりはしない。娘にはしっかり準備運動とウォーミングアップをして万全な状態でレースに臨んで欲しいのだ。
葛藤してはいるものの、手は母親の腕と尻尾をつかんで離さない。ここで無理やり離すようなことがあればコンディションは悪くなるだろう。最悪出走すらできなくなるかもしれない。そうなった時のショックはどれほどだろうか。良くも悪くも幼少期の経験は尾を引くのだ。今後のためにもできれば自分の意思で動いてほしかった。だが、このままでは多少の無理やりが必要かもしれない。教育方針には合わないがどうすべきか……。
夫妻はここにきて頭を悩ませていた。
そこに声がかかった。知った声だ。
「ふん、難儀しているようだな」
ナリタブライアンである。右手は葦毛の子供と繋いでいた。
運動服装をしている葦毛の子はどうやらレースに出るらしいが、ダイワスカーレット(7歳)と違って特に緊張した様子もない。どちらかというとポケーっとしている。明後日の方向を向いて口を半分開けている姿はどこかサイレンススズカを彷彿させた。あの様子では口に虫が入っても気づかなさそうだ。
「あ、どうも」
「おや? ブライアンじゃないか。久しぶりだねえ。」
「……」
ナリタブライアンは夫妻の挨拶に対して黙礼しただけで特に何の言葉も返さなかった。
葦毛の子は、なんとなくだが、ナリタブライアンに呆れたような目を向けている。
「世界に冠たるアグネスタキオン博士ともあろうものが自分の子供の手綱さえ握れないとはな。底が知れるというものだ」
挨拶を返さなかったばかりか挑発までしてのけた。いくら三冠馬とはいえこれはすごいシツレイに値する。ネオサイタマだったらツジギリに遭ってもおかしくない。
しかし、アグネスタキオンを挑発するような内容であったが、その声と視線はダイワスカーレットに向いていた。
なんだかおっきくておっかない雰囲気のあるお姉さんが相手だったが、母親を侮辱されたダイワスカーレット(7歳)は勇気を出して反論する。
「……ママをばかにしないで」
「戦いもせず、ただ後ろに隠れているだけの者が何を言うかと思えば。母親を貶めているのは貴様だ。分からないのか?」
「そんなことない!」
「ならば身の証を立てろ。レースに出て、勝って撤回させろ。貴様の母親は優秀であると他ならぬ自分自身の力で証明して見せろ」
「うぅ〜……!」
「できないのか? 臆病者め」
アグネスタキオン夫妻は早々にナリタブライアンの意図に気付き、その上で様子を見ていた。いい所まで行った。だが、後一歩が足りなかった。ちょっと厳しすぎたかな?
父親は、俺がヒールになるかと気合を入れた。娘に嫌われるのは勇気がいることなのだ。特に昨今のニチアサ起こさない事情によって株価の上値が重い中、この行為は大変に覚悟のいることだった。何せ下の方には行きやすいのだ。いや待て、ここでいい感じのことを言ったら逆に評価は爆あがりなのでは? 父は訝しんだ。アグネスタキオンはそんな夫の様子を見て大体の内容を察知していた。そういうところが娘から嫌われるんだよ。と思っても教えない。娘と夫のコロコロ変わる表情が好きなのだ。
父親が、よしいっちょいい所見せるか、このままだとナリタブライアンに全部持ってかれそうだし、とか考えいざ実行に移そうとした時、タイミング良く出鼻を挫かれた。
「いいかいスカーレット、人生にはーー」
「いたいた! おいブライアン、先に行くなと言っただろう。……ん? タキオンではないか。久しぶりだな。ずいぶん髪が伸びたようだ」
巨大な白い影、もといビワハヤヒデの登場だ。
葦毛の子は「お母さーん」というとナリタブライアンの手を振り解いて突撃していった。
葦毛の子はどうやらビワハヤヒデの子どもらしい。
ビワハヤヒデの両手はたまたま、本当にたまたまちょうど埋まっている。迫りくる我が子は言っても聞かない。後ろには人。怪我をさせるわけにはいかない。論理的な帰結として腹部で受け止めるしかないという結論に達したビワハヤヒデは甘んじて直撃を受けた。母は強し。
あれは痛い。アグネスタキオンは知っているが故に同情した。
ビワハヤヒデに打撃を加えた葦毛の子は、悶えている母親にひとしきり頭をグリグリ押し付けたあと、満足したのかすぐに離れてダイワスカーレット(7歳)の下までやってきた。
だいぶマイペースな子のようだ。
「ねえねえ」
「……なによ」
「おなまえは?」
「……ダイワスカーレット」
「こんにちは。スカーレットちゃん。アタシはビワコスモスです。7歳です。今日はおかーさんといっしょにレースにきてます。こっちは叔母のナリタブライアンさんです」
「……こんにちは」
「よく言えたなー! 偉いぞー! さすが私の姪っ子だこの歳でこの賢さだ!」
「叔母さんうるさい。スカーレットちゃん、アタシも今日レースに出るの」
「……そうなんだ」
「いっしょにいこ?」
「……いいよ。……ねえコスモスちゃん。髪の毛かわいいね」
「ありがとー。これねーおかーさんがやってくれたの。スカーレットちゃんもかわいいね」
「えへへ、ありがと。これね、ママがやってくれたのよ」
父親が良いことを言うタイミングは無くなった。カッコつけようとするからである。
結果的に役に立たない父親のカッコつけよりも同年代の少女の思いやりの方がダイワスカーレット(7歳)には効果覿面だった。
父親は残念がったが、取り敢えず子供達を控えに連れて行くことにした。この機会を無駄にはできない。準備運動とウォーミングアップをさせなければ。
「じゃあタキオン。行ってくるよ。ほらスカーレット、行こう。コスモスちゃんもありがとね。おじさんと一緒に行こうか」
「はーい」
「頼んだよ。スカーレット、行ってらっしゃい」
「ママ!」
ダイワスカーレット(7歳)は最後に思いっきり抱きつくと父親に連れられて行った。ビワコスモスは普通に手を振るだけで別れた。
そしてこの場には母親達が残された。
住んでいるところが微妙に離れているので、何気に子供たちの顔合わせは初めてだった。いや、赤ん坊の頃にあった頃はあるので厳密には初めてではないのだが。
なんともいえない空気が流れる。最初に口火を切ったのはナリタブライアンだった。三冠は伊達ではない。
「全く世話の焼ける。だがいい目をしていたな。コスモスには及ばないが」
怪しい所だ。
「すまないねえ。助かったよ」
「いやこちらこそ済まない。またブライアンが何か言ったのだろう? あの子が絡むと何かと暴走しやすくてな……。何せ私より子煩悩なのだ。想像できるか? まだあの子が3歳の時にターフで並走しようと言い出したり、公園でかけっこした時も「見ろ姉貴! この歳でこのナリタブライアンに追いつくとは素晴らしい才能だ!」とか言ったりしてな。3歳だぞ? 本気でターフで走らせようとするか? 他にもーー」
「分かった。姉貴、分かったからよしてくれ。私が悪かった。言いすぎた」
「いいや分かってない。そもそもブライアンは何かと威圧感を振りまきすぎなのだ。そのせいで幼稚園でもコスモスが若干居心地悪そうにしてたのに気づいていなかっただろう。学生時代に婚約者君が色々と火消しに回ってたことにも気づいてーー」
「今回は助かったさ。何せ私も夫も甘やかしがちだからねえ。そういえばキミの所の旦那は今日は来ていないのかい?」
姉に頭の上がらないナリタブライアンが心で悲鳴をあげていたので、先ほど娘の件で助けてもらった分アグネスタキオンは助け舟を出すことにした。普段の言動や雰囲気からは想像しにくいが、意外に義理固いのだ。
「義兄貴なら来ているが」
「うむ、来ているんだが逸れたみたいでな。電波も通じないから困っているのだ。ブライアンが先行しすぎーー」
ナリタブライアンは墓穴を掘った。
「いやー子供たちのレースはあとどれくらいで始まるのかなー」
アグネスタキオンはこのあと何度かナリタブライアンを助けることになった。
・ビワコスモス
オリジナルウマ娘です。なのでネットで検索しても出てきません(多分)。
葦毛の癖毛。後ろ姿がでかい。男子からのあだ名は母親と同じくウワデカスギ。
彼女は競技者としての人生を選びません。正義心が強いので、将来的にはウマ娘機動警備隊に所属します。
気性難。小学生男子は大体痛い目にあう。
・ビワママヒデ(もしくはママハヤヒデ)
ビワコスモスのおかあさん。話が長い。今回のレースに向けて旦那と二人で勝利の方程式を組み立てたが娘は何一つ覚えてないぞ。
・ナリタ叔母イアン
現役レーサー。婚約者がいる。そいつは専属トレーナーだったらしい。子煩悩。姪っ子には若干ウザがられている。