昔書いた文章を読むと、足をバタバタさせたくなります。というかバタバタしてる。
「取りあえず付いて来てくれる」
──あ、なっ?
鈴子は心の中で戸惑いの声をあげた。何が起きているのかてんで分からず、ただ呆然と目を
「──ど、ごめん。そ……で」
少年が何か言葉を発している。しかし、鈴子は混乱からか何を言っているのか認識できなかった。彼は何度も謝るような声を出しながら、尚も少女の手を引き廊下を進む。
鈴子は、混乱により口から曖気が出そうになるのを必死に堪える。頭の中は疑問符ばかりが立ち込み、半ば放心状態に陷っていた。
──自分はいま、どうなっている?
その答えは直ぐに出た。手を摑まれている。男子生徒に手を摑まれ、導かれて廊下を進んでいる。
それでは、如何してこうなったのか。その答えはどれだけ時間を掛けても出そうになかった。少なくとも、今の混乱した頭では上手く纏めることはできないだろう。
ただ、泣きじゃくっている最中のことだったから、視界は涙滴の反射で白く靄がかって映り、その瞳は殆ど何も映さない。
そのことにより、握られた手に一層意識を集中させてしまう。それが、鈴子の思考を妨害する。体温が急激に上がる感覚がした。
如何して、手を摑まれているのか。手を引かれているのか。素直に従っているのか。
その全てに答えが見つからず、彼女は為されるがままであった。思考力が奪われ、論理的に物事を考えることが出来ず、何かを考える
──おかしい。
上手く働かない脳を無理やり動かし、心の中で疑問を呈する。
鈴子自身、自身を触るのは気分が良くないものであると、十分理解していた。長時間触ったままでいるなど、以ての外である。
だから呆気に取られる。呆然とされるがまま、鈴子は男子生徒に手を引かれて廊下をつき進んで行く。
「……な、っ──え」
嗚咽混じりの、言葉として成立しないような咽び声が鈴子の口から発される。
この状況に対して困惑しているのか、それとも別の何かを思っているのか。そんな簡単なことさえ、思考出来ないでいる。頭の中がごちゃごちゃに絡み合う。
何かを考えようとしても、えも言わぬ感情に邪魔される。
何か早合点をしてはならないと思えど、今の鈴子の頭に浮ついた考えが浮かびあがった。幼児が思い浮かべるような、お伽話の情景。
しかし、鈴子の今までの経験が全力でブレーキを掛けに来て、途端に頭が真っ白になる。
混乱から涙が収まってきたのは、それから少し経ってからだ。目を見開けるようになった彼女は、明るくなった視界で周囲を確認する。
何かのコンクールのポスターに、何処かの部活の賞状。知らない生物の標本に、違いの分からない新入生用の新デザインの制服展示。
──どれもこれも、見覚えのないものだ。
校舎の奥の方へと進んでいってる。
鈴子はそう直感的に察するも、彼女の意思とは関係なしにどんどんと、廊下を突き進んでいく。その足が止まったのは、その少し後だった。
とある教室の前で立ち止まる。
「──えっと、失礼します」
少年は、少し控えめながらも声を発する。あまり見覚えが教室だ。
彼はその教室の扉を数度叩くと引き戸を引く。すると、中からモワッとした、独特の臭いがして鈴子の鼻腔を
彼女は恐る恐る中を覗き見る。中には人の気配がなく、目立つ
「あれ、いま保健室使えないんだ」
「……、ほ、ほげん……室?」
少年の言葉に、鈴子は朧げに反応する。声はまだ掠れており、言葉を発したあと喉の奥の方から咳のようなものが出た。
彼女は昼食のために持ち歩いていた鞄から水筒を取り出すと、一口だけ口に含んだ。
──どうやら、今連れて来られた場所は保健室であるようだ。
鈴子は心の中で、そう言葉を発してみせる。
保健指導や救急処置などを行う部屋。普通は保険医が常駐しているはず場所。しかし、今はその姿が見当たらなかった。
彼女は訝しげに思いながらも、机に置かれた書き置きを読み納得する。
紙には、骨が折れたかも知れない生徒を病院に連れて行く為、保健室を空ける旨。そして、何か用がある場合には、職員室に申し出てくれと書かれてあった。
保健室の施錠をせずに出て行ったのは不用心であると思ったが、それ以前に少女は疑問を頭に浮かべる。
──何でこんなところに。
鈴子の疑問はまだまだ尽きない。
彼女はキョロキョロと周りを見回す。息は依然として絶え絶えで、過呼吸気味。鈴子は少し落ち着こうと、深く息を吸った。
保健室の空気は相変わらず薬品臭く、胸が焼けそうになる。苦手な臭いだ。
「……あ」
突如として、鈴子の声帯から声が漏れ出る。何かに思い当たったような間の抜けた声だ。
──私が目の前で突然泣きじゃくり、逃げようとしたからだ。
ようやく、彼女は尤もらしい答えに辿り着いた。確証はないが、それなりに正しそうな解答である。
眼の前で泣いている生徒を見掛けたので、とりあえず保健室に連れていった。そう考えると今の状況の説明はつくように思える。
そして、これは考え得る限り最悪に近い状況であった。
つまり、ここに連れて来られたのは、自分の身勝手な行動が原因だった、そう突き付けられたのだ。そう認識するだけで、身体が強張っていく。
彼女は少しだけ身を縮こませた。
「──」
そりゃそうだ、目の前に自分が原因で泣きじゃくるものが居れば、多少は気にするものだろう。
チャイムの鳴る音が耳に入る、本鈴の鐘の音だ。しかし、彼女にはその音を認識するだけの余裕も存在しなかった。
「わた、えと。私」
必死に言葉を出そうとする。しかし、何を言えば良いのか思いつかず、段々と小さな声になって行く。
出すべき言葉が見つからず、黙りこくる。何かを言わなければならないという思いから、口だけがモゴモゴと動いている。
言葉になり損なった奇声だけが口から漏れた。
「……いや、待って。えと、先に僕の方から謝らせて欲しい」
少年は、鈴子の声を遮って言葉を出す。突然の制止の言葉に、鈴子はキョトンとした表情をする。
「その、傷つける意思とか全くなくて。どうしてそうなったのか思い当たらないんだけど、その」
「──へ、」
「本当にごめん」
今度こそ鈴子は、何を言われたのか分からなかった。彼女は少年の姿を見る。少年は、頭を下げて謝っているように見える。
いや、見えるのではなく、事実として謝っている。その姿に、鈴子は謝罪というものを生まれて初めて受けたような気持がした。
謝罪をされる機会は、今まで幾度となくあった。教師や親に請われ、鈴子に対して謝罪の意を示すシチュエーションだ。
しかし、今鈴子がされたものは、これまでの謝罪とは違う何かであるように感じた。具体的にこうだと説明することはできないが、居心地の悪いものではなかった。もっと、他愛の籠もったものだ。
けれども、それ以上に何に対して謝罪されているのか理解出来ず、疑問が募るばかりであった。
「い……わ、悪いのは私で。その、えと」
鈴子は要領を得ないような言葉を出す。理由の分からない謝罪に対し、少女はそれを拒もうとしたのか。その言葉は所々、小さな声で発せられており、少し聞き取りづらい。
少年はイマイチ内容を理解出来なかったのか、首を捻った。このままでは埒が明かない。そう思ったのか彼は口を開く。
「えと、取り敢えず落ち着いて。ゆっくりで良いから」
鈴子は首を傾げる。彼女は頭の中で、彼の言葉を反芻させた。
◇◇
──
それが鈴子の率直な気持であった。いったい何が信じられないのか。それは、嫌そうな顏を見せずに自身を会話をしている、彼の存在にだ。
啞然とした感情を隠し切れず、不信感が募る。しかし、少年の何ともないような
彼は何処にも無理をしている色は見えず、鈴子は何も言葉を出せずにいた。
──はっきりと、自身の顏を見ている。
少年のその視線を受け、鈴子は感情の定まらない不安定な表情をした。顔が引き攣るような、にやけるような、そんな良く分からない表情。
妙にむず痒い。
思い返せど、このような感覚は初めての経験である。目を逸らしたり地面を見たり、そのようなことがなく、眞っ直な視線が突き刺さる。鈴子は身じろき一つ出来ずに立ち尽くす。
視線の定まらぬ相対。どんなひとが相手でも、それが普通だと思っていた。だから、その常識が崩されたようで困惑の感情が第一に現れる。鈍器で強く殴られたような感覚だ。
「その……雨笠さん。取り敢えず、先生は呼ばなくても大丈夫なんだっけ」
少年は落ち着かない様子で、そう口に出した。彼は何か、大それたことをしてしまったかのような、そんな慌てた様子を見せている。
あの後、鈴子を落ち着かせる名目で、簡単な自己紹介をすることとなった。彼の自己紹介の後、彼女は吃りながらも自分の名前を言うことにした。
少年はその様子を見て、鈴子が落ち着きを取り戻したと判断したのか、書き置きに書かれていた通り、職員室に向かおうとした。
しかし、そこで鈴子が止めたというのが今の状況である。
「……その、
弱々しい声が、保健室の中満たされる。
大事にしたくない、というのは本心である。周りに迷惑を掛けたくないし、面倒を起こしたいとも思わない。
如何して保健室まで来たのか語らなくてはならないし、そもそも身体に不調をきたしていないので、態々教師に来て貰う意味もない。
訥々とした喋りからか教師からの覚えも良くなく、なおさら大事にしたいと思えない。
だから、今すぐ保健室から出るべきである。この場に残る理由もないし、教室に戻るべきだ。時計を見るととっくに五限が始まる時間になっている。
鈴子が五限の授業に遅れているのは当然として、少年も遅刻している。
──それならば、何故彼を帰すよう言わないのか。
突如として、その言葉が頭の中に響く。それは
しかし、この機会を逃すと後悔をするような、そんな予感もあり中々口を開くことが出来ずにいた。ただの自己満足だ。
自身の満足の為に彼を引き留めているのか、そんな考えをして自己中心的と思わないのか、と様々な思いが浮かんでくる。
鈴子は自己嫌悪を起こす。
しかし、この状況が惜しいと思っているのも事実であった。仄かに、柔らかく温かみを持った目が、少女に向けられる。何か夢を見ているようで、口が中々開かない。
そんな中、戸惑った様子の少年が鈴子の代わりに口を開いた。
「えと、少し出て行った方が良いかな。一人の方が良かったり──」
「え、まっ、待っ……」
悲鳴のように漏れた言葉に、鈴子は咄嗟に自身の口を塞いだ。勢いよく口を塞いだ為、パンっと鈍い音が保健室内に響き渡った。
自分でも、意識をせずに放った言葉。それに、鈴子はひどく動搖させられる。
──今、何と言おうとした?
先ほど、口から出かけた言葉に就いて考える。それは相手を引き留める為の言葉だと、すぐに思い至った。
口を塞いでいた手に力が入るのが分かるようだ。口角に爪が食い込んで少し痛い。指は徐々にズレて行き、下唇に当たる。
どうして、そのような台詞を吐いたのだと思考し、身体の動きを止める。
明らかに間違った言葉を出してしまった。頭の中で、はっきりとその結論が出される。
しかし、そう思いながらも、彼女の口は自然と動いた。浅ましくも、吐き出すように声が漏れ出る。
「もう少し、だけ。そこに居て……ほし、い」
絞り出させたような声は、微かながらも通った声をしていた。烏滸がましいような、厚かましいような、そんな声であった。少しの間、静寂が広がる。
少し遅れて、彼女は自分が何を言ったのか気づき、慌てて訂正の声を出す。
「いや、ごめんな、さい。本当に、こんなつもりじゃ……なくて!」
鈴子は、すぐに先程の言葉を否定しようとするも、これ以上の言葉を出すことが出来ない。脳がパンクしそうだ。
負の感情が彼女を
──前を見れない。
何かを堪えるように、彼女は下を向く。自力で立っているのが困難になるほど、足に力が入らない。何かがこみ上げてくるような、そんな感覚がする。
無意識の内にこの場から離れようとしたのか、足がもつれる。
「──え」
と、そう思った瞬間、鈴子は浮遊感を味わった。
──っ、え。
何が起こったか分からず、少しだけジタバタとする。トクと脈搏が大きくなるのが感じられた。鈴子は、啞然とした儘その場で固まってしまった。
足を滑らせた直後に、何かに阻まれた。
倒れそうになっていたからか。それとも、鈴子の表情が暗く危うい雰囲気に見えたからなのか。
何故、少年がそのような行動に出たのか。その理由は分からない。しかし、今確かにありえない状況に遭遇した。
今の状況を端的に書くと、彼女は少年に抱き締められていた。
たぶん、鈴子ちゃんよろけた時に自分から抱き付きに行ってます!魔性の女です!
あと、少年の行動は知りません。何で腕を締めたんだろう。羞恥心ないんかな。