ごめんなさい、予想以上に桜の話が伸びたんです。許してください、何でもしませんから。
今思えば予兆は幾らでもあった。何年か前から、妙に私に優しくなった兄さん。口調に変わりはないけど、態度がまるっきり変わって私を打つ事も、暴言を吐く事も、達成が不可能な無理難題をぶつける事も、そして先輩の家に行くのを辞めさせるなんて事もしなくなった。
「桜、これあげる」
「はい、ありがとうございます……えっと何か特別な日でしたっけ?」
「……いや、兄貴が帰り道で妹に差し入れ買っちゃいけない訳?良いから素直に受け取れ」
少し、ううんかなり特殊な兄妹だけどそれなりに仲良く出来ていた気がする。兄さんが私を見る度に、後悔の様な感情を浮かべる事はあったけれど私を差別する様な目はしていなかった。家族としてただの妹として見てくれた。初めは気持ち悪かったけど、慣れてくれば困惑して今は捻くれてるけど私を気遣ってくれる面倒臭い兄さんだと思える。
私の手に令呪が浮かび上がった。それを見たお爺様が、私に経験を積ませるとか言いながら私の意見も聞かず、淡々とサーヴァント召喚の準備を整えていた。それが怖くなった私は兄さんにその事を相談した。すると、兄さんがため息を吐きながら部屋を出て行き戻ってくると一言、私に言った。
「僕が代わりに矢面に立つ。桜は戦わなくて良い」
兄さんがライダーのマスターになった。そこからの兄さんはずっと思い詰めた表情で家に帰ってくるのも遅くなったし、雰囲気も昔の兄さんに戻った様で凄い居心地が悪かった。そして何より、私が嫌だったのは。
「に、兄さん……その夕食の準備が出来ました」
「……あぁ、ありがとう。今行くよ桜。今日は何を作ったんだ?」
「今日は唐揚げを」
「へぇ、良いじゃん」
私の前では何もなかった様に普通の兄さんとしての態度を貫く姿でした。きっと、兄さんは優しいから私に心配をさせない様になんでもない様に振る舞ってくれているんだと思います。けど、聖杯戦争が始まってから兄さんは私を見てくれなくなった。それが堪らなく嫌だった。
「桜、今日は学校を休め」
「え?どうしてですか?」
「良いから、休め。良いね」
あぁ、きっと学校で何かする気なんだと分かった。私を見ている様で見てない目をする兄さん。私の為に心を犠牲していく兄さんを、私は見送った。兄さんが言った事を守るため、こうして家で朝着た制服を脱ぐこともなく、ベッドに座っている。
カチ、コチ、と時計の音が部屋に響き渡る。ふと、時計を見れば兄さんがくれた光る液体が目に入った。吸い寄せられる様にそれを手に取る。あの時と同じように淡い光を放つそれはとても綺麗だった。
「兄さん……」
突然兄さんが私に手渡した液体。私が手に取った瞬間光るのを見て、何かを諦める顔と辛そうな顔、そして雁夜叔父さんと同じ顔をしていた。兄さんはこの時にもう死ぬかもしれない覚悟を決めていた。その事に気づかないフリをして、無邪気に綺麗と言った私に対して呆れる様な笑みを浮かべながら兄さんはコレをくれた。
「……兄さん。兄さん……」
気がつけば私は部屋を飛び出していた。兄さんの言い付けを破る行為だ。それでも、私は今、無性に兄さんに会いたくなった。もう嫌だ。誰かが私の為にと言って死んでいくのは。勝手過ぎる。勝手に助けに来て勝手に死んでいく。心を殺してしまえばなんともないけど、今更兄さんを失う?それは嫌だった。
「何処に行く桜よ」
「お爺様……私は、学校に……」
「慎二の所に行くと?桜よ、それは慎二の覚悟を想いを踏み躙る行為ぞ。それで良いのか?」
お爺様は兄さんが何をしているのか知っているみたい。相変わらず、何を考えているのか全く分からない不気味な表情をしているけど、今日この今だけは何処か雰囲気が柔らかい気がした。
「……それでも兄さんに会いたいんです。兄さんはきっと凄く怒ると思うけど」
「……カカッ、まぁ良い。好きにすると良い。わしはこれからPTAの会議で配る資料の準備がある故、飛び出す孫娘に構う余裕はない」
そう言ってお爺様が背を向ける。あのお爺様が私達を気遣ってくれている?そんなあり得ないけど、否定しきれない事を思いながら私は家を飛び出した。いつもなら歩いてても、遠いとは感じない距離を全力で走って、走って、走って、まだ着かないのかと焦りながら全力で走った。近所の人やすれ違う人たちが不思議そうな顔をしていたけど、何か言われるのはお爺様だから気にしない。そうして、学園に到着する。
脚が一歩前に出るのを拒んでいる。外観からは分からないけど、私の魔術師としての勘が脚を踏み入れるのを躊躇わす。けど、今更脚を止める訳にはいかないんです。
「兄さん……!」
光る薬瓶を握りしめ一歩前に踏み──
「桜ちゃん?」
「影辰さん?」
学園の中から外に出てくる影辰さんが声をかけてきた。さっきまで気が付かなかったけど、校庭には倒れた生徒や先生達がブルーシートの上に寝かされていた。もし、影辰さんに声をかけられず踏み込んでいたら私は……
「桜ちゃん?今日、確か学校は休んでた筈じゃ……っとそんな話をしてる場合じゃ無いな。何をしに来たか分からないけど、今は敷地内に入らない方が良い。その、危険が一杯だから」
この人は善意で警告してくれてるのだろう。でも、ごめんなさい。私は行きたい場所があるんです。
「はぁー……ふぅぅぅ……」
胸に手を置いて魔術回路を稼働させる。瞬間、体内の刻印蟲達が魔力を食べていくけど、それより速く魔力を生成すればきっと大丈夫。後は、兄さんの所まで耐えられるかって問題だけど。
「……桜ちゃん。行く気?」
「はい。止めても無駄ですよ」
私の目を真っ直ぐに見つめ、影辰さんが小さく息を吐く。そして、影辰さんの目から光が消えていき、雰囲気が物々しくなる。
「最短で屋上に連れて行く。捕まれ」
「え?」
私が返事するより早く、米俵を担ぐ様に私を持ち上げる。いきなりの事に私が混乱している間に、影辰さんが身を沈める。
「適当に捕まっててくれ。それと、かなり手荒だからな。覚悟しとけ」
「あの、もう少し説明をきゃっ!?!?」
急な加速が私を襲う。おそらく、影辰さんが私を運んだまま走り出したのだろうけど、その速度が明らかに可笑しい。流れて行く景色が車に乗っている時と大差がない。え?え?人って、車並みの速度で走れるの?理解が追いつかないまま、今度は景色が真下を向く。校庭の見慣れた砂が、真下に見えるという不思議な光景。視線と並行になる様に校舎の白い壁が映る。
「口開くなよ」
「え──」
浮遊感が襲ったかと思えば、影辰さんが2階の窓の縁を片手で掴み、そのまま登り脚をかけたと思えば、また浮遊感が襲う。今度は3階の窓に手を置き、私を雑に落とし空中で私の手を握る。正直言って、その辺のジェットコースターより怖いです。頭が理解してないから耐えられてるだけな気がします。
「そら、行ってこい!!」
「きゃぁぁぁぁぁ!?!?!?」
影辰さんが勢いよく登ったかと思えば、全力で真上の屋上に投擲される。私を投げた体勢のまま落下していく影辰さん。でも、あの人ならどうにか出来る気がして、私は上を向く。ぐんぐん近づいて行く屋上のフェンス。それを飛び越え、私は眼下の光景を見て、此方を驚いた顔で見ている兄さんに声をかける。
「兄さん!!!!!」
「桜!?ライダー!!桜を受け止めろ!!」
「分かってます!!」
落下する私をライダーが、真っ白な天馬に跨ったまま優しく抱き止めてくれる。ライダーがゆっくりと地面に降り、私を降ろしてくれる。今更、空中に投げ出された恐怖を思い出したのか脚が震え出し、崩れ落ちそうになる。
「桜!」
「あ、兄さん。ありがとうございます」
兄さんが私を支えてくれた。表情は驚きに満ちており、私は言い付けを破った事を怒られるのかと身構えたが兄さんの第一声は違いました。
「怪我してないか?魔力は大丈夫か?というか、どうして空から来たんだ!?」
久しぶりに私を見て、私を心配してくれる兄さん。それがなんだか嬉しくて、流れる涙を隠す為に私は兄さんを強く抱き締めた。
ちなみに自然落下していった影辰は、何事もなかった様に着地して救出作業に戻ってます。
感想・批判お待ちしてます!