『油断大敵』ということわざがある。たいしたことはないだろうと油断すると、思わぬ失敗を招くという意味だ。自分より格下の相手だからと警戒を怠り、窮地に陥るなんて良くある事だ。だが、それでも人という生き物は目に見えて分かる差に囚われる。例えば、体格や性別など挙げればキリが無い。そして、この聖杯戦争において最も分かりやすい差は、人間かサーヴァントかだ。サーヴァントは人間を殺す手段を豊富に持ち合わせているが、人間はそうでは無い。サーヴァントには、物理攻撃など意味がなく神秘が宿った攻撃でなくてはダメージを与えることが出来ず、更にそもそもの基礎スペックに大きな差があるため、人間がサーヴァントに勝つのは『ほぼ』不可能だ。
故に、キャスターは油断していた。己のマスターから聞いた情報を頼りに目の前の男に対して、最も有効的な人質まで用意したのだ。如何にあの学園での出来事で大群の竜牙兵を殲滅し尽くした者であろうと自分に逆らえず、従う事になるだろうとそう思っていた。
「がっ……ぐっ……」
「……」
そのキャスターは今、首を掴まれ、地面に叩きつけられていた。光が全くと言っていいほど宿っていない無機質な目をした男、衛宮影辰によって。なぜこの様な事態になったのかは、1時間ほど時間を遡る。
1時間程前、影辰は一応、護衛役のランサーと共に冬木の街を歩いていた。前の手合わせがよほど楽しかったのか、またやろうっと言ってくるランサーに辟易としながら。相変わらず、街に異常はなく人々の数は少ないが大量の行方不明者や意識不明の者が出るなんてことは無い平和そのものだ。
「なぁー、一回で良いからまたやろうぜって!」
「どうせ、その後一回が永遠に続くんだろ?嫌だって」
そんな何度もした話をしながら歩いていると、ピタリと二人の足が止まる。視線を色んな方向に飛ばしながら、警戒状態に入る。理由は単純、今まで僅かにいた人が、一つの通りに入った瞬間居なくなったこと。一歩でも引き返せば、人がいる。まるでこの場所だけが世界から隔離されたかの様な雰囲気すら感じられた。
「どうするよ兄ちゃん?」
「進む。この先で犠牲があったら言峰になんて言われるか分からん」
「報告に戻る手だってあるぜ?」
「分かってて聞いてるだろ。俺らが出ようとしたら誘う様に殺気が飛んでくる。無視する方が危険だ」
そう言い影辰は歩き出す。例え罠であろうと臆せず進む漢の背にランサーは笑みを浮かべながら着いて行く。道中これと言った邪魔はなく、通りの中でも一際広い場所に出る。人間の街らしい四方をビルに囲まれた場所だ。
「あら、逃げずに来たのね」
そこに紫のローブを着た女性が地面から少し離れた宙に浮きながら来訪者である影辰とランサーを待っていた。少ない街灯が辺りを薄く照らしている。
「……何が目的だ?キャスター」
前回の様に快楽殺人をするタイプには見えない。それなら、陣地に引きこもっていた方が圧倒的に有利なキャスターが外に出ている?それが理解できない影辰は質問を投げかける。それに対し、キャスターは微笑を浮かべたまま答える。
「交渉をと思って。貴方、私と手を組まないかしら?サーヴァントにすら届き得るその力、私ならより上手く使ってあげられるわよ。勿論、そこのランサーもね」
「なるほど。奸計を巡らせねば勝てない英霊らしい考えだ。悪いが断る、お前と手を組むメリットが無いからな」
「随分な言い草ね。でも、これを見ても同じ事が言えるかしら?」
キャスターが指を鳴らすと彼女の横に今まで隠されていたものが明らかになる。徐々に現れるそれに、どんどん影辰が目を見開いていく。現れた者は、彼にとって最もこの場所にいて欲しくない存在だった。
「ふふっ、その反応を見る限り貴方にとって大切な人なのは間違いない様ね。悪くはしないわよ、貴方が頷いてくれるならね?」
日常の一コマ。切嗣や言峰と共にいる時間では、決して味わう事のできない優しい時間。死にたくない影辰が、唯一それと同様に失いたくないと思い、例え非日常に身を置くことになろうと、血反吐を吐く事になろうと求めた力で護りたいと願う存在。
『あー、影辰また私のご飯食べたぁ!』
『狡い!!私も切嗣さんと一緒に行きたいのにどうして、影辰だけ!』
『んー?どうしたの影辰。お酒、一緒に飲む?』
『あ、お帰りー!今日は唐揚げだよ。早くしないと全部食べちゃうからねー!』
「……大河」
病院で寝ている筈の藤村大河がそこに居た。意識は失っており、魔術か何かで拘束されている。
「さぁ、返事を」
キャスターが続きを言えなかった。口を開いた直後、腹部に凄まじい衝撃が走ったからだ。
相手がただの一般人であれば、相手が普通の魔術師であればキャスターの策は成功していただろう。だが、相手が悪かった。生身でありながら、サーヴァントに匹敵する男の事を甘くみすぎていた。大河が人質に取られていると分かった時点で、衛宮影辰は意識を切り替えた。今までの受け身の姿勢から攻めの姿勢へと。外敵を自らの手で始末する状態へと。
「ランサー」
聞くものが聞けばそれだけで失神してしまいそうなほど、冷え切った言葉でランサーを呼ぶ。それだけで意図は通じるだろうという判断なのだろう。呼ぶと同時に影辰はキャスターへと飛び掛かっていた。身を焦がすほどの怒りを宿しながら、淡々と影辰は如何するべきか判断を下した。人質を殺させない為の策、相手がキャスターだと言うのなら何かを唱える余裕がないほどに攻め立て、その間にランサーが大河を回収する。徹頭徹尾脳筋な作戦だ。
「……」
さっきの一撃は速さを求めた為、灰錠を起動させず蹴り飛ばした。故に、車に匹敵する速度で走りながら灰錠を起動させる。急な衝撃で混乱していたキャスターも漸く、自身が攻撃されたのだと理解した。
「こキャア!!」
また言葉を発するより早く影辰の拳がキャスターへと飛来する。未だキャスターは、上空へと逃げれていない。2メートルほど地面から離れているだけなら、影辰は跳躍で追いつける。キャスターが咄嗟に展開した障壁によって、振りかぶった拳は防がれる。落下し、地面に足が着いたかと思えば再度跳躍。再び、キャスターに拳が迫る。
「無駄よ!魔術も碌に使えない貴方に破れ……なっ!?」
「……」
一回目で強度は理解した。両手を合わせ、大きく振りかぶった一撃は一瞬の抵抗を見せた後、キャスターの防壁を破り腹部へと叩き込まれた。逆くの字に曲がったキャスターは地面にへと勢いよく叩きつけられる。
「……」
「がっ……ぐっ……」
詠唱させない為にはどうすれば良いか。発音させなければ良い、首を掴み締め上げる。これが冒頭までの経緯だ。
「回収したぞ!」
大河を抱きかかえたランサーが報告する。それならば、最早キャスターを生かしておく理由もない。キャスターの死で発動する魔術があるかもしれないから、詠唱させないという状態を維持しただけだ。このまま、首をへし折って殺してしまおう。そう判断し力を込めた時、もう一人。大切な者の為にその行為を見逃せない男が現れる。
「……」
「……避けたか」
突然、背後から現れた暗殺者の一撃を影辰は避ける。キャスターを解放してしまうが、そもそも素手の暗殺者が接近するまで気が付けない己が悪い。薄明かりの中、姿を現した男の名を影辰は呼んだ。
「葛木宗一郎」
何をしに来たなどと言う無粋な事を言うつもりはない。そんなものは分かりきっているからだ。影辰から解放され、呼吸を整えているキャスターを気遣う素振りを見せる葛木。彼が、キャスターを助けに来たという事実はそれだけで分かった。互いに互いが普通ではないと気づいていた二人、いずれこうなるのは必然だったのかもしれない。
「やはりもっとキャスターを強く止めておくべきだったな」
「いえ、宗一郎様は悪くありません……私があの男の力量を見誤っただけで」
「戦いが本業ではないお前がそれを理解するのは難しいだろう」
葛木がキャスターより前に出る。それを見て、影辰は構える。自分が大河を人質に取られ、ここまでキャスターを追い詰めたのと同様に、葛木もまたキャスターを傷つけられた事に憤りを感じていた。
「「……」」
両者無言のまま、拳を突き出せば触れてしまう距離まで近づく。構えを取る影辰と無形のままの葛木。両者が使う武術はどちらも殺す事に重きを置いているが、それぞれの性質の違いが構えに現れていた。影辰は正面から堂々と相手を殺す武術。対して、葛木は効率良く相手を殺す事に特化した暗殺の武術。
「宗一郎様……」
キャスターが名を呼ぶと同時に、両者の目が開かれ同時に拳を放つ。影辰の拳は、葛木の右手に受け流される。そして、葛木の拳もまた影辰が避けた事で当たらない──筈だった。
「がっ…!?」
確かに身を捻り、避けた筈の拳が影辰の横腹を抉っていた。キャスターによって強化が施されたその拳は十分な破壊力を有しており、影辰は骨が数本折れたのを感じていた。だが、その程度で止まる男ではない。葛木の追撃が来るより早く、振り上げた蹴りが葛木を蹴り飛ばす。しかし、手応えが薄い。どうやらタイミングを合わせられた様だ。
「まともに食らえば此方が死ぬな」
蹴られた箇所を触れながら葛木が呟く。完璧なタイミングで後方に飛んだにも関わらず、呼吸に差し支えが出るほどの痛みが残っていた。もし、まともに食らえばどうなっていたか想像に難くない。
「……動きが甘い」
影辰は今のやり取りで葛木が鈍っていると理解した。理由がなんであるかは知らないが、葛木の武は衰えている。蹴りを受けた時の反応がそうだ。タイミングこそ合わせられたが、反応そのものは遅かった。自分の武術に自信があって等という慢心するタイプには見えない。だとすれば、勘が鈍っている。今もわざわざ敵の目の前で、食らった場所を触れるなどそこにダメージが残ってますと知らせる様なものだ。
「……」
影辰はまるで地面を滑るかの如く、加速し距離を詰める。独特な歩法によって距離を詰められた葛木は反応が遅れてしまう。突き出された拳を葛木は、避けるのではなく左手で受け止める。
「ぬぅ…」
キャスターの強化があっても手に返ってくるダメージは相当な様で葛木は顔を顰める。対して、影辰は葛木の腕を破壊できなかった事に内心で舌打ちをする。随分と過保護なキャスターだと。普段そういう使い方はしないが、牽制の意味も込めて右手を振るう葛木。それにより追撃が中断され、影辰は一度距離を取ろうとするがそれを狙い、葛木が距離を詰め独特な軌道で左拳が襲い掛かる。
「……チッ」
見えていた軌道は避けたが、やはり何かあるのか影辰の頬が浅く切れる。
「やはり目が良いようだな。だが、それだけでは避けれまい」
右に避ける。何故か、左横腹にダメージがくる。避けた筈の拳が腕を掴み、影辰を投げ飛ばす。軌道が読めない。葛木の宣言通り、見えている攻撃を避けても何故か攻撃を食らう。不思議な武術があるものだと影辰は思う。だが、決め手がない以上自分を殺すことはできない。
「ふん!」
そう思った矢先、今まで使われてこなかった右拳が放たれる。首元に放たれたそれを影辰は避け、首の骨がへし折られた。何が起きたのか分からないまま、影辰はその場で崩れ落ちる。
「……」
首の骨が折れた者の結末など分かりきっている。葛木は影辰だった物に背を向け、キャスターの元へと歩き出す。胸中に宿る一抹の寂しさを感じながら、だが決して泣くことはない。葛木にとってはキャスターが一番なのだから。
「キャスター、戻るぞ。もう十分休めただろう」
「えぇ。そうですね──宗一郎様!!」
翼の様にマントを広げたキャスターが葛木を抱き抱え、空を飛ぶ。何をそんなに慌てているのか分からなかった葛木は下を見て驚愕する。
「……」
「あれで死なぬか……」
右拳を振り抜いた状態で立っている衛宮影辰が居たのだから。もし、キャスターが葛木を持ち上げていなければ、葛木は無防備に背中から攻撃を受け、恐らく帰らぬ人となっていただろう。既に影辰が攻撃可能な高度にキャスターは居ない。この位置から攻撃すれば一方的に勝てるだろう。
「キャスター、戻るぞ」
「宗一郎様今ならあいつを」
「ランサーが戻ってくる。今のお前では相手をするのはキツイのではないか?」
大河を安全なところに運び終えたランサーが戦場に戻ろうとしているのを葛木は見えていた。マスターにそう言われては、キャスターは抵抗しない。葛木を運んだままキャスターは戦場から消えていった。
「……はぁ、葛木先生強かったな」
彼らが消えていった場所を見ながら影辰は呟いた。雰囲気を普段のものに戻して、その場に座り込む。暫くして戻ってきたランサーと大河の話をしながら、影辰もまた帰るべき場所へと戻っていくのだった。
キャスターが油断なく、絨毯爆撃してたらそれで詰みです。
そして、初見殺し先生やっぱり強いですね……
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