入った瞬間、その場所が碌でもない場所だと理解した。目の前の女の手に掛かれば、一般人が経営するただの寂れたホテルの一室など容易く己の領域に変える事が出来る。この女の事だ、自分の趣味の為に俺の召喚が正式に行われるまでは決してただの魔術師程度が介入出来ないような結界を構築しているのだろう。
「やぁ、もう準備は出来ているよー新たなマスター君?」
「準備が早いようで何よりだな。で、同席するのか?」
「あったりまえだよ☆こんな面白い所を私が見ない訳ないもの」
聞くまでもない分かりきった解答を楽しげに返すフランチェスカにため息を溢しながら用意された魔法陣の中央に立つ。ゆらゆらと揺らめく赤い蝋燭は何やら特殊な作りなのか薔薇の匂いが漂っていたのが気になったが、こいつを頼った以上何か仕込まれていたとしても俺は文句の一つも言う権利はない。
「刃物を貸してくれ」
「いいよー」
ぽいっと投げられたその辺で売ってそうなナイフを受け取り令呪が宿っている左手で刀身をぐっと握り血を用意された魔法陣へと垂れ流す。傷が治るってのも不便だな……ずっと握り締めてないと血がすぐに止まる。
「召喚の呪文は覚えてる?」
「あぁ。切嗣のところで聞いた」
目を閉じれば思い出すのはセイバーが呼び出されたあのアインツベルンの城での光景だ。用意された聖遺物の輝きと魔力を込められ光輝いた魔法陣……あの常識からかけ離れた神秘的な光景を。だが、きっとこれから行われる召喚にあの様な見惚れる綺麗さはないだろう。何故なら、フランチェスカが用意した魔法陣で聖杯の泥によって澱んだ魔力を宿す俺が召喚を行うのだから。どんな化け物が出てきてもおかしくはないだろう。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で王国に至る三叉路は循環せよ」
そんなものは覚悟の上だ。あの王様相手に生存を勝ち取らなければならない以上、どんな化け物であろうと俺は手を組まなければならない。生半可な英霊じゃあ抵抗する暇もなく、消されるのがオチだ。だから、どの様な存在でも良いギルガメッシュに対抗し得る英霊よ来てくれ。
「閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ。
繰り返すつどに五度。ただ満たされる刻を破却する
──告げる。
汝の身は我が元に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのなら応えよ」
魔法陣に落ちた血が泡立つ様に蠢き出し、意志が宿った様に魔法陣全体をなぞる様に広がっていき魔法陣を覆い尽くした刹那、黒い魔力が暴風の様に荒れ狂い始めた。予想していた通り、セイバーの時とは全く違う禍々しさがそこにはあった。
「キハッキハハハハ!!凄い凄い、並の人間ならこの光景を見るだけで気が狂ってしまうんじゃないかな!!」
喧しい声が耳に入るが体内の魔力が引き摺り出される感覚に言い知れぬ気持ち悪さを感じている俺は詠唱を閉ざさない様にするのに必死だ。この次は確か……今更俺がそんな事を口にする権利があるのか?
「……誓いを此処に。我は常世総ての悪を認める者、我は常世総ての悪を宿す者」
例え正規の詠唱と異なると分かっていても、例えこの結果失敗する可能性が大きくなったとしても俺が善であり悪を支配する者だとは言いたくなかった。……この身は間違いなく悪だ、それを理解してなお手を貸してくれる者よ応えてくれ。
──ドクンっと心臓が高鳴った。もはや、楽しげに笑っていたフランチェスカの声も聞こえない。分かるのはただ、この瞬間も己から魔力は流れ出し禍々しく暴れている事だけだ。それでも記憶のままに口は動く。
「汝、三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!!」
蠢いていた魔力が俺の詠唱が終わると同時に一つに纏まり空へと昇っていき、泥の様に降り注ぎ一つの形を成す──
かつて、この世全ての悪となる泥をその身に浴び、彼自身からその記憶は失われその魂の一部は聖杯内部へと回収され、雪の少女を救い消えていった。だが、彼の魂のその本質はこのFateと呼ばれる世界の外側から神の遊戯の為に転げ落ちた産物であり、この世界のものではない。彼がどれだけこの世界で思い出を作ろうが、誰かを愛そうがその魂は決定的にこの世界のものではない。
──此処ではない何処かの世界には人類救済の為に動いた獣がいた。彼らはとある人間に敗れる事になるのだが、そこは重要ではない。その獣を構成する魔神の一柱は逃げその先でも人類を救おうと画策し、届いてしまった。その魔神の最期はただの少女を心配しての事だったがその為に外なる存在に視られてしまいその世界では新たな、サーヴァントのクラスが生まれてしまった。
──時間や並行世界の概念が存在しない英霊の座に一度でも登録されてしまえばその世界とは異なる世界においてもそのあまりにも特殊すぎるクラスは召喚される可能性を有してしまう。
もし、影辰がフランチェスカではない人物に手伝いを頼んでいたら。もし、面白いもの見たさでこの場にいるかの神秘に一度触れたフランチェスカがいなければ。もし、召喚の詠唱を正確に唱えていれば。もし、この聖杯戦争が歪なものでなければ。あらゆるifを考えれば恐らく、この世全ての悪とされる英霊が立っていた事だろう。だが、そうはならなかった。
「マスター。貴方の悲痛な叫び声、自らを悪と嘆く懺悔を聞き届けたわ。例え、罪人であろうとも救いは等しく齎されるべきよ」
この場に似つかわしくない愛らしい少女の声が響く。蠢いていた澱んだ魔力は全て、その少女に注がれており何より令呪の繋がりが影辰とその少女の関係を指し示していた。先程より強くなった薔薇の香りを従えてひたひたと少女は己のマスターの元へと歩を進める。彼女が歩く事でカチャリカチャリ揺れる背中にある大きな鍵束。
「……君は」
フランチェスカですら言葉を挟む事が出来ないほどの狂気とよほど影辰の魔力との相性が良いのだろう。暗く澱んだ存在感を放つ可憐な少女は影辰から投げられた短い質問に笑顔で応えた。
「私はアビゲイル──アビゲイル・ウィリアムズよマスター」
例え悪党でも救済は与えられるべきとまるで穢れを知らない無垢な子供の様に微笑むアビゲイルに思わず、影辰は呆気に取られてしまう。それでもその様子に気を悪くした様子はなく、アビゲイルは召喚で疲れ腰をついている自身のマスターへと手を伸ばす。
「さぁ、マスター。手を取って?それで契約は完了するわ」
差し出された手を取ろうとして影辰は自身のサーヴァントの背後に何処までも何処までも広がる深淵。そしてその果てにある蠢く何かすら理解できない存在を見てしまうが、
ぐっとその小さな身体から想像出来ない力で引っ張られ少しバランスを崩すが持ち前の体幹でアビゲイルに倒れ掛かる事はなく、影辰は立ち上がり彼女を見下ろす。
「……一応、君を呼び出したマスターになる衛宮影辰だ。確認だが、君はサーヴァントなんだよな?」
「ふふっ。マスターの貴方が一番理解しているのではなくって?」
「それもそうだな……そういや、真名は聞いたがクラスは聞いてないぞ。キャスターか?」
ぬいぐるみが器用に乗っている魔女の様な帽子と杖の様に持つ鍵を見ながら影辰は思い至ったクラスを呼ぶがアビゲイルは静かに首を振った。
「私のクラスは、フォーリナー。降臨者って意味よマスター」
「聞いたこともないクラスだな……」
既存のクラスには全く当て嵌まらないクラスを聞き早々に考える事を放棄する影辰。どんな魔術師であろうとそのクラスを理解するのは先ず無理だろう。何せ、本来なら決して応じることのないサーヴァントなのだから。
「とりあえず……そうだな、これでも着ててくれ」
そう言って影辰は着ていたスーツの上着をアビゲイルに羽織らせる。キョトンと首を傾げる彼女に幼い子供がするべきではない余りにも露出した格好をしている自覚はないのだろう。
「明日、適当な服を買いに行こう……ってそうだ、フランチェスカ……っていねぇ」
召喚の手伝いをしてくれた彼女に一応礼を言おうと思った影辰だったがそこに彼女の姿はなかった。召喚を見たがったのは彼女のでは?と思ったが、一々彼女の行動を考えても仕方ないかと影辰は思考を切り替えアビゲイルへと視線を戻す。
「なにはともあれ、よろしくフォーリナー」
「アビーって呼んでくださいな。マスター」
「んー……まぁ良いか。分かった、よろしくアビー」
真名を捩った様な呼び方は危険ではと思ったが、サーヴァントの方からの望みならとアビーと呼んだ影辰にアビゲイルは嬉しそうに笑みを浮かべる。今此処に例外中の例外である陣営が誕生した。
「服を買うついでに街でも見るか。何か希望はあるか?」
「そうね……我が儘を言って良いのならパンケーキが食べたいわ」
「ん。探しとくよ」
「本当!?ありがとうマスター!」
最も和やかにパンケーキに話を膨らませている彼らにその自覚は一切ない。
真名:アビゲイル・ウィリアムズ クラス:フォーリナー
ステータス:筋力B 耐久A 敏捷C 魔力A(影辰から供給される魔力との相性が良く本来より一段階上昇)幸運E(影辰の幸運に引き摺られ最低値)宝具:A
詠唱に手を加えた為に、例え悪人であろうとも救われるべきと思える英霊のみに召喚の対象が縛られ、外なる存在である影辰に呼応する形で召喚された。常人であれば彼女を見るだけで狂う可能性を秘めているが、既に精神構造が常人のそれではない影辰にとっては軽い驚きだけで済んでしまった。なお、フランチェスカはアビゲイルを見て嫌な予感を感じ取り自分が視られるより早くあのホテルを去っている。
「いやまぁ、本来なら確かにオレが行くべき場面よ?けどさぁ、間違いなくオレより影辰の方が強いしどうすっかなぁーとか考えてたら先越されちまったわ。ケケケ、相変わらず奇縁ばかり引き寄せるねぇ」