スノーフィールド中央病院前。
夜も10時を回り、空には太陽の光を名残惜しく携え、輝く月が人の居ない大通りを照らしていた。聖杯戦争の戦いが起きる時は必ず、神秘の秘匿の為に魔術師が戦場となる場所に人払いの結界を張る為何度も聖杯戦争に参加した俺にとっては見慣れた光景とも言えるだろう。次々に揃う警察署の面々の中にジョンが居るのを少し離れた建物の屋上から確認した俺は、意味がないと思いつつそっと煙草に火を付けた。
「俺はお前達の戦いには加われない。英霊を討ち倒すと覚悟したお前達の意地、見せてみろ」
警察署の面々は今回の戦いにおいて仲間と言えるが守るべき相手ではない。俺の役割は、フラットの護衛と彼らが立てた作戦にイレギュラーが生じた際の予備役であり、言ってしまえば此処で警察戦力が減るのならそれに越したことはない。
そんなヒトデナシの考えを巡らせながら暗視機能を備えた米軍製の双眼鏡をとある場所に向けるとそこには象の成獣ほどはある大きな三つ首の犬が青い吐息を揺らめかせる姿と──その背に立つ彼が居た。
「……誰かはくると思っていたが、貴方か。ヘラクレス」
狙いはどうやらフラット達が救おうとしている幼いマスターである様で警察署の面々の前に降り立つが、その視線はすでに病院のとある一室に向けられており、未だその狙いに気がついていないのか彼らが阻止に動く素振りは見られない。……あれじゃあ、救えないな。となれば、フラットも戦う理由を無くすだろうしこのままアビーの元に帰らせて貰おう、そう考えた時だった。視線の先では、ヘラクレスが全力で振り絞った矢を放った後に漸く警察署の面々が動き出したところで、このままいけば幼い少女は遺体の一つも残すことなく消え去る事になるその筈だった。
「そこに居たのか。アビー」
病室を守る様に自ら割った窓を覆い隠す触手を見ながら俺は戦場に向かって歩き出した。道中に居る米軍の兵士を殺しながら。
時は少し遡り、繰丘椿の夢の中。そこには、全身に浅い傷を浮かべながら全力で常識外の鬼から逃げる吸血鬼の姿があった。鬼はゆっくりと、狩りを楽しむ上位者の様に緩やかな足取りで吸血鬼を追いかけている為、先ずは全力で距離を取り目的である椿へと近づく事を優先した吸血鬼であったが見ていない間にいつの間にか目の前に現れ、触手に吹き飛ばされるという時間を何度も繰り返していた。
「クソッ……空間跳躍か?思い出せばあの時の戦いも代行者は突然、現れていたな……」
死徒としての力を最も振る姿を影辰によって奪われているジェスターがサーヴァントであるアビゲイルに対抗するには人狼の姿を取るか六連男装を放棄し本来の姿に戻るかしなければならないが、それを行えば椿の利用は不可能になりアビゲイルに加え、ペイルライダー……椿の契約しているサーヴァントとも戦わなければならなくなる。
「考え事?駄目よ、足を止めたら鬼が追い付いてしまうわ」
「くっ……いい加減、僕に構うのはやめて欲しいな!」
物陰に隠れ思考を回していたジェスターの目の前に無垢な悪意に染まった笑みを浮かべながら、アビゲイルが現れる。その異質な空気に死徒である筈のジェスターが恐怖し更に正常な思考を奪われていく。何か大掛かりな儀式をするまでも無く、眠りにつく椿の夢の中に入れるジェスターであればそもそもこの様な鬼ごっこなどという遊びに一々付き合う理由はない。入ってきた時と同様に、出てしまえばアビゲイルに彼を追いかける術はないのだから。だが、その様な正気は目の前の狂気によって奪われていた。
「……はぁ……はぁ……くそっ!」
「ふふふ。いいわ、もっと楽しませて?」
必死にジェスターが足を動かし走りながら生まれた距離も、安心感も嘲笑う様にアビゲイルが鍵を捻れば一瞬で詰め寄られてしまう。手を伸ばせば触れられるほどの距離であっても、うふふと微笑むばかりでジェスターの命を刈り取る様子を見せないのが彼にとっては酷く不気味であり彼、いや彼女に被捕食者の気持ちを思い出させるには十分であった。
「はっ…はっ……はっ……」
その恐怖はやがて、心を蝕み呼吸が短くなり足の動きが鈍っていく。死徒ではあるがその力は上位である親と比べるまでもない彼女は己が人であった時に持っていた恐怖の感情を大きく揺さぶられ、もはやただ走る事すら出来ずその場に崩れ落ちた。恐怖に歪んだ表情で振り返れば、そこには深淵を携え、ひたり……ひたり……と裸足でゆっくりと近づいて来るアビゲイルの姿が映る。
ひたり……ひたり……ジェスターとアビゲイルの距離が五メートルから四メートルになる。震えた手足は思い通りに動かない。
ひたり……ひたり……距離が三メートルになる。心臓がまるで、耳元にある様に五月蝿くもはや、焦点は定まらない。
ひたり……音が止んだ。近寄って来る音が止まった事、そして自分に向けられていた圧の様なものが消えた事に気がついたジェスターはいつのまにか閉じていた目をゆっくりと、開く。そこには完全に立ち止まっているアビゲイルがいた。視界に飛び込んできた彼女に思わず、小さな悲鳴が漏れるが彼女の視線が自分ではなく何処か遠く空を見ている事に気がつき、その瞬間死徒としての勘が戻って来る。
「(何かは分からんが、ちょうど良い。逃げさせて貰おう!!)」
心の中で逃げる判断を下したジェスターは、アビゲイルの目を盗み即座に椿の夢の世界から逃げ出した。その刹那、アビゲイルが呟く。
「マスター……其方にいるの?」
彼女を中心に無数の触手が生み出され、それら全ては凄まじい勢いで椿の夢の世界を侵食していきやがてその一部が外へと飛び出す。気配を感じ取った己のマスターの元へと。
「こちらA1!!本部、作戦は失敗だ──あの化け物を従えている男に手を出すべきではガッ…」
「……これで最後か。まさか、魔術師ですらない兵を忍ばせる勢力が居るとは思わなかったが遠距離に徹すれば正解と言える」
最後に何処かへ通信を行なっていた様だが拾い上げた通信機は既に反応がなく、これを奪ったところでもう二度と通信が入る事はないだろう。そんなゴミを持っている理由はないので、死体と共にその場に放置する。人払いの結界により目撃者は無く、監視カメラの類も邪魔なものは全て壊してある。この場を隠匿しなければならない以上、此処で死ぬ兵士は死亡を通達される事もないだろう。念のため、指紋の類は一切残していないが。
「ん?……ッッ、あんの馬鹿!!」
処理に手間取っていたのもあり思っていたより時間が経過していた。視線を主戦場の方に向ければ、悪魔の如き姿になったヘラクレスの目の前にフラットがその姿を晒していた。無策で突っ込む奴ではないと思うが、あの時の通話の内容を考えれば相手を信頼し過ぎている。
『衛宮だ』
『僕です、フラットです。先生から貴方を頼る様に言われました』
『そうか。それで、用件は?』
『22時に一人の女の子を助けに行きます。具体的な作戦はこちらで決めてあるので、貴方にお願いしたい事はただ一つ。貴方が、参加するべきと思ったタイミングで参戦してください』
何処の世界に出会ったばかりの人間に自分の命全てを賭けると思える奴が居るんだと思ったよ。けど、一切の迷いなく澄んだ声で頼まれては毒気も抜けるというもの。アビーをあの場所に一人にしてしまうが、それでもフラットの提案を受けようと思うくらいには心が動かされてしまった。
「むっ」
「はぁァァ!!」
矢が当たり崩れて落ちたフラットを無視し、ヘラクレスへと渾身の力で蹴りかかる。数メートルほど後方に飛ばし隠れ潜んでいる
「……サーヴァントも連れずに私に挑むか。悪泥を宿す人の子よ」
「あの日は悪かったな。冷静さを欠いた状態で戦うなんて無礼すぎた」
あの日の激情はもう無い。いや、正確に言うのなら心の奥底にはあるのだが凍り付いた水面から底が見えないのと同じで今の俺にとってあの激情が表に出てくる事はない。
「私に向けるべき礼儀など──ぐっ!?」
「介入開始」
ヘラクレスが苦しみ出すと同時に、フラットの声が聞こえた。魔術に疎い俺には何が起きているかさっぱり分からないが、身体を押さえ苦しみに喘ぐその姿は誰がどう見ても攻め時なのは明らかだった。
次の瞬間には、突如としてアスファルトが砕け地面から轟音を立てて水と砂が柱となって幾つも噴き上がる。それを見ながら駆け出したのは俺とジョンの二人だった。俺は正面から、ジョンは回り込む様にヘラクレスへと肉薄する。水と砂という不愉快な膜を破りに抜けた眼前には矢が突きつけられていた。実力を知る俺と、知らないジョン。苦痛に歪むその頭でヘラクレスは、俺を脅威と選んだらしくその事実に思わず心が躍りそうになるが堪えて大きく横に飛び退く。それでも爆破による衝撃は凄まじく、背を押されヘラクレスとの距離がゼロになり俺の心臓を抉ろうと構えた直後、後に知ることになるのだがジョンの義手に仕込まれたヒュドラの猛毒が塗られている短剣が刺さった。
伝承によると英雄ヘラクレスの最期は、ヒュドラの毒が塗られた衣をその身に纏いその毒性により自死を選んだとされる。その死の呪いは英霊であるが故に逃れる事はできず、呆気ないほどに人の力でヘラクレスは打倒された──誰もがそう思った事だろう。口からゴポリと、粘性の高い血を溢す姿は死にゆく者でしかない。
「この穢れた私の血を……我が魂が抱く復讐の炎を!死毒程度のもので染められるものか!!」
そうヘラクレスが叫ぶと同時に、俺の魔力と同様赤黒い禍々しい魔力が全てを飲み込む竜巻の様に巻き起こる。
「──そうだろうと思ったよ」
「だろうな。斯様な目をしていた」
ただの勘であったが親和性の高いその魔力を取り込みながら暴風を越え、毛皮の上からヘラクレスを殴る。その一撃を圧倒的強者として受け止めたヘラクレスが邪魔な羽虫を払う様に腕を薙ぐ。反射的にその腕を掴み取り、流れる勢いに逆らわないことで耐える。
「……貴様を先ずは殺そう。忌々しい男を常に宿すその瞳は邪魔だ」
「殺されてたまるかよ。あの人の輝きをお前如きに奪わせない」
掴んでいたヘラクレスの腕を鉄棒の様に利用し勢いをつけた蹴りで顔面を蹴り飛ばし空中で懐から盗み取ったナイフを三本、徹甲作用を乗せて投げる。米軍の兵士達から回収した物である為、神秘など一欠片も宿っていない為当たった所で衝撃しかないがそれで構わない。着地するだけの時間が稼げれば──
「ふっ!」
瞬きの間に射られた矢でナイフは粉々に砕け散りその勢いのまま、未だ空中の俺に矢が飛来する。ダメージを覚悟し、空中で身を丸め少しでも被弾を避けようとした俺の視界に飛び込んでくる者がいた。
「うぉぉぉぉ!!!!!!!!」
警察達の一人、大きな盾の宝具を持っていた男が俺と矢の間に魔力を纏いながら入り込み矢の全てを引き受けた。その衝撃で、派手に吹き飛んだがやはり宝具の守りは素晴らしく矢は貫通しておらず肉体が受け止めきれなかったのが分かった。お陰で俺はダメージを負うことなく着地出来たのだが、そんな俺を庇う様にジョンを筆頭に警察隊が並んだ。
「お前ら……」
「戦いの参戦遅れてすみません!俺たちがこの街を守ると決めたのに、恐怖に呑まれていました!これより、貴方の援護に回ります!!」
……見捨てようとした連中に守られてちゃ世話ねぇな。カッコつけるジョンの背中を勢いよく叩き、俺は前に出る。
「正直言えばお前らを見捨てる気満々だったよ俺は」
「えぇ!?」
「これを聞いて、文句を言いたい奴も武器を向けたい奴も居るだろう!そんなものは此処を生き延びたら幾らでも受けてやる。だから、死ぬなよ馬鹿ども!!」
臆してなお、自らの理念の為に立ち上がり武器を取れるというのならお前らは立派な英雄だ。背後で警察隊が各々の宝具を構える音を聞きながら、俺も構える。ヘラクレスとの戦いの火蓋が切られるその刹那、教会から怨嗟の叫びが聞こえそちらに意識を取られた瞬間、黒い風が巻き起こりすぐ近くにいた筈のジョンすら認識できなくなり、遠のく意識の中俺は声を聞いた。
『マスター』と呼ぶ彼女の声を。
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