輝けなかったウマ娘トレーナーは芽吹く新芽に何を思うか 作:にらたま定食
強炭酸飲料。
「喉に水疱ができて弾けていくような感覚」が大嫌いらしく、炭酸が入っている飲み物は、とりあえずストローか何かでかき混ぜてある程度炭酸を抜いてから飲む。
しかし、ソーダフロートの炭酸については別に気にしていないようだ。
なんでもあのアイスクリームがシャリついた部分が好きらしく、ある喫茶店でシャリシャリを作って食べているところをチームメンバーに目撃されている。
───炭酸はアレのためにある物でしょう?
「ああ、今年もやってきた……」
宝塚記念から数日後、たづなさんから業務連絡とは別に、私を含めた何人かのトレーナーをCCに添えて送られてきたメールに、私は眉を
今年の新人のパイプ作りを兼ねての研修修了の打ち上げ───という、まあなんともやっつけな内容の、平時なら即刻断る案件ではあるのだが……第一、正トレーナーとしては新人であるはずの私の名前が、何故か迎える側に入れられている。
他の面子にも少々問題がある。
人数こそ少ないが、その内容は……今年のダービーを獲ったスペシャルウィークが所属するスピカの
誰も彼もこの学園のトップクラスのトレーナーで、関わる機会がトレーナーとしてか職員としてかという差はあれど、全員が私と関わりのあるトレーナーである事だ。
そんな凄い
「はぁ……」
正直気後れするし、何より面倒だ。
そもそも大きなレースの後である事と、まだ公表できていないオグリキャップの故障、加えて夏の合宿の準備が控えている事もあり、今のチームの練習強度、時間は共に少し控えめになっている。
私も少し体を動かして、気を紛らわせるついでに体力や筋力の補強をするつもりだったのだが……また予定を組み直す必要がある。
奇妙な事に、ヒトとウマ娘の間には何か特別なシンパシーが繋がることがあるらしく、それ故に大成したウマ娘のトレーナーの多くは「ヒト」であると聞く。
そして、ウマ娘同士ではその兆候がほとんど見受けられない。
それ故、私は子ども達に遠慮はしない。
可能性は皆等しく、平等に有るべきだ。
トレーナーがヒトだったら、なんてどうしようもない言い訳は聞きたくないし、子どもの口から言わせたくもないから。
それ故、子ども達と真っ向から衝突する事もあるし、格好悪い所も見せる。
非情だの前時代的だの、私の事は何とでも言ってもらって構わない。
私は他人を上手に甘やかせる程、人付き合いが上手い訳ではない。
それ故、私は走る。
お前が走ってどうする、なんて
どれだけ
……感覚的な話になってしまうが、走る彼女達には必ず真の才能の蕾が宿されている。
それをどれだけ早く見出せるか、如何にしてモノにするか、こればっかりは巡り合わせと彼女達自身の運に頼らざるを得ない。
私も走っていたから、なんとなしに見つけやすいというだけではあるのだが、そうして早々に結果を出してしまった私は、謂わば貴重なサンプルや標本みたいな物なのだ。
そのうち、生きたまま剥製にでもされるのではないだろうか。
そんな偶然というには都合が良すぎる事を妄想しながら、私は私のスケジュールを組み直す。
トレーナーとしてではなく、
「……お疲れ様です、アダマスマッシュです……当日はよろしくお願いします、と」
もうすっかり慣れた手つきで汎用性の高い、短い返事を送信すると、数分と経たずにスマホが震えた。
次は何だ、と飲みかけコーヒーの入ったマグカップに伸ばしかけていた手でスマホを開く。
こちらもたづなさんから届いたグループへの招待だった。
恐ろしく仕事が早いのか、単に暇なのか……今の私にそれを判断する余分な気力はなく、さっさと参加だけしてスマホを伏せた。
すっかり冷めたコーヒーを飲み干して、サイドデスクから出した市販のニッキ飴を口に放り込み、椅子に深く腰掛ける。
「……そういえば、お酒なんて久しく口にしてないな」
少し気力が回復したせいか、それともカフェインのせいか、空っぽだった頭がまた働き始めた。
最初は何を食べようか、ビールとなるならやはり枝豆は外せないだろう。
そうだ、強炭酸のハイボールなんてモノを無理矢理飲ませに来た奴は必ず潰そう……などと思考が徐々に巡りだす。
私自身、お酒は普段あまり飲まないのだが、飲もうと思えば飲める方ではある。
でも強炭酸は別だ。
味はともかく、あの喉の粘膜がプツプツと弾けていく感覚が、まだ走りたいのに走れなくなる時のそれに似ていて……もう、とにかく嫌いなのだ。
だからハイボールなんかよりも、日本酒のようなチビチビと嗜む程度に飲む事ができるお酒の方が好きだ。
気づけば私は別タブを開いて、会場となる居酒屋のメニューを漁っていた。
おイタが過ぎる奴を潰す為の算段をつけつつ、同時に二日酔いを避ける為のメニューを予め押さえておくのだ。
ポコンッ
「…………まあ、そういう事なら」
───数日後。
『私服で参加するように』と連絡を受けていたのだが、まあ崩しすぎない格好というものが普通だろう。
そういう事で、クローゼットの中のほとんどがスポーツウェアかカジュアルスーツな私は何を着ていくか困っていた───と言う訳でもなく、どう組み合わせるかを考えていたらかなりの時間が経っていただけである。
色々悩んだ結果、白いタンクトップの上に七分丈の黒い透かし彫りのレースジャケット、そして裾の広いパンツにパンプス、と少し着飾ったくらいの格好に落ち着いた。
週末の夕暮れ時、集合時間の15分前。
日が暮れて、ポツポツと街灯が灯り始めた街中は、なんでも無いかのように賑わっている。
集合場所には既に何人か、それらしい人達が集まっていた。
いつものスタイルは変わらずとも、ベージュのスーツでいつもより柔らかい雰囲気の東条さん、普段の印象はあまり変えずに上手く着崩してよりふんわりした印象の南坂さんと───何故かいつもよりバッチリキマっていて、よりその筋の人らしさが滲み出ている黒沼さん。
流石に腹筋は見えていない。というか、全員スーツを少し着崩した似たような格好になってしまうのは社会人故だからだろうか。
後はまだ学生っぽさが抜けない私服を着てきた新人が1、2、3……全員いる。あれ、集合時間間違えてないよね?
時間を確認していると、後ろからポンと右肩を叩かれ、反射で殴りかかりそうになったが、拳は対象の目の前で止められた。
「……先輩、そろそろ本当に当ててもいいですか?」
「ははは、わりぃわりぃ……ついクセでな」
「最初の時もそうですが、そろそろ直さないと本当に捕まりますよ?」
「まあまあ、俺と君の仲じゃないか。ほら、行くぞ」
背後に立っていたのは、私が最初にサブトレーナーとして就いたチームスピカのトレーナーの沖野さん。
第一印象……というより出会い方が本当に最悪で、出走させるレースや練習メニューの内容で対立する事もしばしばあったが、多く学ばせてもらった事もあり、今では親しみを込めて【先輩】と呼んでいる。
今日の格好はTシャツに膝が隠れるくらいのチノパン、何ともこの人らしい気楽な格好だが……誰に仕込まれたのか、妙に洒落ているのが少し腹立たしい。
頭ひとつ分背が高い為、こう距離が近いと首が痛くなりそうなのだが、今日はどこか違和感を感じる。
なんだかいつもより背が低いような……あぁ、背中が少し丸まってるのか。
先を歩く先輩の背中を上から見ていくと、猫背気味なせいで、ジャストサイズのシャツから少しだけ腰が見えてしまっていた。
「先輩、家を出る前に鏡見ましたか?」
「いや見てはいないが……別に変な格好じゃないだろう?スズカとスペが選んでくれたんだ」
「成程……いや、そういう事じゃなくて姿勢の問題です。そのままでは格好がつかないので、少しご同行願います」
「相変わらずお堅いんだから」
沖野さんの手を引っ張り、集合場所のすぐ側の石階段まで連れて行く。
まぁこういう人混みに紛れることのできる公の場だからまだ目立たないのだが、Tシャツにジーパンという姿勢ひとつで印象の変わる格好で猫背となると、後輩達への印象に影響が出るだろう。
「おや、アダマスマッシュさん、と沖野トレーナー?」
「皆さんすみません、ちょっとそこどいて下さい。ほら先輩、背中向けて手を組んで下さい」
私は集合場所近くの石段の上に立ち、彼に手を頭の後ろで組んで背を向けるように指示をした。
そして組まれた両脇から前腕を順手でガッシリ掴んで固定させて片足で立ち、もう片方は脛全体を背中にピタリと当てた。
「なぁ、ちょっと恥ずかしいんだが……」
「今の先輩の隣を歩く方が恥ずかしいですから、黙って深呼吸してて下さい」
「分かったよ、はあ〜(ゴキャッ)ア゛ッ!?」
アダマスマッシュは彼の息が抜けきる瞬間を見逃す事なく、すかさず力を入れて矯正を行った。
事を終えた彼女はすぐさま彼から離れて石段から降りた。
「はい終わりです。これで少しはマシになったでしょう」
「いつも悪いわねマッシュ」
「このくらい何とも無いですよ東条さん。新人達も中年男性の腰がチラ見えするのはキツいでしょうから」
「言ってくれるじゃないかマッシュちゃん……!」
「文句言うなら日頃からご自愛下さい。先輩の事になると
「まあまあお二人とも、その辺にしておきましょう」
朝のランニング中にとっ捕まる身にもなってほしいというものだ。
アダマスマッシュを恨めしそうに睨む沖野は自身の後輩である南坂に宥められ、東条は少し困った顔をしながらも微笑んでいた。
その後、程なくして大衆居酒屋に到着し、皆が席に着いた所で私はメニューを開いた。
「私と南坂トレーナーはカシスオレンジ、他の男達は生にするけれど、マッシュはどうするの?最初から飲むの?」
「ん〜……じゃあ烏龍茶で」
もちろん私も後から飲むのだが、お酒が苦手な人に配慮してソフトドリンクやノンアルコールを頼みやすい雰囲気を作るのも大切である。
「あなた達はどうするの?飲めない子は無理しちゃダメよ?」
「お〜?酒豪のマッシュくんが烏龍茶ぁ?」
「先輩、それ以上言うと次に目を覚ますのは
俺が悪かった。
先程の仕返しか、アダマスマッシュがグッと拳を構えると、沖野はすぐさま手を合わせ、額を床につけた。
「冗談ですよ。流石にそこまで鬼じゃありません」
「
「やっぱりあの付き合ってるってウワサ」
「本当みたいだな」
「待て待て待て待て!俺はスズカと付き合ってなんかないぞ!」
「えー?その服は彼女が選んでくれたって言ってませんでしたっけ?」
先輩ハクジョ〜。なんてからかっていると、先輩は額に青筋を浮かべていた。
あの子、というのは【大逃げ】で有名なサイレンススズカというウマ娘のことだ。
明るい栗毛に緑のメンコ、スラリとしたその体型は正に【速く走るための身体】と言って差し支えないだろう。
そんなスズカさん、最初は東条さんが率いるリギルに所属していたのだが、あるレースを境にスピカへ移籍したと聞いている。
その当時、たまたま立ち寄った居酒屋でバッタリ出くわした東条さんときたら、私を見るなり抱きついて愚痴を吐き始めるくらいベロベロに酔っていて、介抱するのが大変だった。
【皇帝】をはじめとする粒揃いのメンバーを抱えるトレーナーという重圧の中で日々過ごす彼女も、スズカの大逃げには思うところがあったみたいだった。
それも当然だ。
速く走ろうとすれば、脚にはその分だけ負荷がかかる。それが慢性的に蓄積されればやがて異常をきたす。
その証拠が秋の天皇賞で起きた事故だ。
【大逃げ】は定石ではない。
作戦としてもそうではあるのだが、トレーナーにとっての心配事はそこではない。
私達トレーナーが考えるのは選手生命───つまり彼女達のキャリアについて考えると、大逃げというのはそのキャリアを壊しかねない、あまり好ましくないという事だ。
遠回しに言えばトレーナーと
しかし実際問題、サイレンススズカのようなウマ娘は、通常よりもより繊細かつ念入りなケアを要求され、それこそ一挙手一投足に注意しておく必要がある。
身体的特徴、筋肉の発達度合い、回復速度、クセ……ヒトには分かり得ないウマ娘独自の感覚的な部分も挙げ始めると、その項目は本当にキリが無い程多岐に渡る。
かくいう私も、天皇賞の事故の後に彼女の一助になればと資料を作成した時、A4サイズ1ページにまとめるつもりだったのだが、興が乗って薄めの小雑誌に成るまで膨れ上がっていた。
そうして出来上がって先輩に見せた、珈琲のシミや
そもそも
大逃げは確かに浪漫かもしれない。
多くの人やウマ娘の理想でもあるだろう。
1着を取る為にはどうすれば良いかという質問を子どもに問うた時、おそらく最初に出てくるだろう。
何せ、勝つ為には最初から最後まで先頭を走り続ければいいのだから。
自分自身を使って検証した事だ。
理想と言われる理由は、それこそ骨身に染みてよく理解している。
体格に対して体重が重ければ負荷がかかり、逆に軽ければパワーが出ない。
彼女はその均衡を取る、なんとも絶妙なラインの上に立っているうちのひとりだ。
それを体現できるだけの条件を彼女並に持ち合わせているのは、少なくとも学生の中にはそうそう居ないだろう。
そんな天才児は、どうやら今の自分へと導いてくれた彼にご執心らしく、2人の距離が特別に近いことは私達トレーナーの間でもよく知られている。
何かのきっかけさえあれば、すぐにくっついてしまうだろう。
しかし学園側の事情を考慮すると流石にマズいとは思うが、過去に幾人もそういう事に
だってほとんどのヒトは非力だもの、
それにしても、この場にあの子が居なくてよかった。
先程の言葉を聞いたら色々と面倒な事になった事だろう。
新人達からも揶揄われ始めた先輩を横目にそんな事を考えながら、注文したウイスキーのボトルを待っていると、トイレから戻ってきた黒沼さんが私の肩に手を置いた。
仕事だ、と彼はその一言だけ伝えると、席に戻って新人達との輪の中に戻っていった。
部屋の襖から顔だけ出して外の様子を伺うと、新人のうちの一人がグラス片手に別の客席の女の子二人に絡んでいた。
見ただけで分かる。とても面倒臭い。
小さく舌打ちをして、酔っ払いの元に向かう。
「新人クン新人クン、そこら辺でやめときなよ」
「あ?あっ!センパーイ!この娘達可愛くないっスか〜!?センパイも一緒に飲みましょうよ〜!」
「新人クン、この子たち嫌がってるわよ。その辺にしておきなさい」
「え〜!いいじゃないっスか〜!ほらっ!センパイも、はい!イッキ!イッキ!」
乱暴にジョッキを渡され、中の酒が服にかかる。
アダマスマッシュは沸々とわき上がる怒りを抑えながら炭酸の強いハイボールを無理やり飲み干して、楽しそうにわー!とか騒ぐ男の襟首を掴み、彼女達から引き剥がした。
そんなに飲みたいなら、とっておきを向こうで用意してやる。
「ウチの者が邪魔してごめんなさいね」
男の絡みが怖かったのか、それとも私が不機嫌である事が余程顔に出ていたのか、女の子達はまだ少し震えていた。
先程のハイボールで心底不機嫌なアダマスマッシュは、部屋の襖を乱暴に開けて男を部屋の奥側に投げ捨てた。
突然の出来事に部屋は静まり返ったが、度数の高いウイスキーを手に取った彼女は何も言わず、氷の入っていないグラスになみなみと注いぎ、酔っ払いの目の前に出した。
「飲めよ」
「いや……センパイ、それをグラスは流石にムリっすよ〜……せめて2───」
耳を絞ったままの彼女はたじろぐ酔っ払いに舌打ちをして、たった今自らがグラスに注いだウィスキーをぐーーっと一度に飲み干すと、そのグラスに先程よりすこし少ないウィスキーを注いで、気持ち程度の炭酸水を入れて軽く混ぜた。
勿論、炭酸が行き渡っていない、ゆらめきが残るその酒は男の前に置かれた。
「ほら、お前の大好きな9:1のハイボールだべ?」
「いや、センパイ……それ逆っす」
「見間違いだ、早く飲め」
男は対面のウマ娘を直視できず、目の前の酒を見つめるだけで動こうとしなかった。
誰も、一言も喋る事ができなかった。
いま口を開けば、瞼の陰に隠れた赤黒い殺気がこちらに向けられると、他の新人達含めてそれを分かっていた。
暫く沈黙が続いた後、仕方ない、そう言って立ち上がったアダマスマッシュは、机をひょいと飛び越えて彼の隣へ座ると、男のネクタイをしゅるると奪い取りアイマスクの様に男に巻きつけて視界を塞いだ。
そして彼女はもう一つグラスに飲み物を用意して、二つのグラスを男に掴ませて耳元で囁く。
「さっきの
男の手には二つのグラスが握られている。
左は冷たく、右は左より少しぬるい。
男はさきほど凝視していたグラスを思い出し、勝利を確信した。
「左!左だ!」
男は自分にこんな仕打ちをしたウマ娘の甘さを嗤った。
いざ飲もうとすると、男の腰を支えていた彼女の右手は首根っこに移り、男の頚椎をガッシリ掴んでいた。
「確率は50%だべ、急ぎすぎて溢すなよ?」
重ねられた左手のグラスが、自分の意思とは裏腹に徐々に口へ移される。
とくとくと流し込まれるとろみの無い液体の匂いと味は、酔い過ぎた男には伝わらなかった。
男は勝利に喜び、何度かガボッとむせ返しそうになったが、アダマスマッシュは一定のスピードで流し込み続けた。
そして最後の一滴が喉を通ったその瞬間、彼女は男の喉に指を当て、途端に脱力してゆく男をそのまま床に寝かせた。
男が選んだのは、確かにただの水だった。
アダマスマッシュは掴んでいた頭をそっと床に降ろしてネクタイを剥ぎ取り、小声で愚痴を溢しながら男の持ち物を漁り始めた。
「あったあった……はい、
男のライセンスカードを写真に撮るアダマスマッシュに、ハッと我に返った新人が尋ねた。
「あの、先輩……一体何を?」
「コイツは問題アリって人事に連絡するだけだべや」
「その人、どうなるんですか?」
「知らね。どっかに
アダマスマッシュは新人の方を向く事もなく、顔色一つ変えずに即答する。
そして何処かへ連絡がついたのか、スマートフォンをコツコツと叩いて画面の電源を落とした。
「一人のバカのせいで業界の肩身が狭くなるとか、耐えられんでしょう?」
おそらく誰かから『アダマスマッシュには気をつけろ』とか言われたのだろう。
暗く冷たい赤色の瞳を煌々と輝かせながらにっこりと笑う彼女に、サーッと彼の酔いが覚めていくのがその場の誰もが見て取れた。
「要するに、あなた達も羽目を外しすぎるなって事よ。気をつけてれば問題ないわ」
こういう場で自制できない者は、遅かれ早かれ問題を起こす。赤の他人に迷惑をかけるくらいなら、一人で潰れてくれた方がはるかにマシだ。
もし仮に相手が未成年だった場合。しかも将来有望なウマ娘に飲酒させたとなれば、学園が炎上する事は必定。
故にこういった不安要素は私のような、一般企業でいう内部監査を務める者が予め取り除く必要がある。
こうして私は新人達から距離を置かれ、素直で、率直で、新鮮な意見を得る機会を失ってしまう。
だから新人の研修が終わる頃にやってくる
自分の好きなペースと量でお酒を楽しめないし、場合によっては胸や尻、耳や尻尾なんかもやたらめったら触られるからとにかく嫌いだ。
さあ飲み直そう!潰れたモノを端によけて、先輩達が明るく声をかけた。
そして、皆が楽しそうに話している中で、周りの新人が他のトレーナーの所へ行って両隣が空いてしまった私は、ひとり寂しく、自分で頼んだ大皿の料理を黙々と食べるのだった。
何で私の時だけこうなるかなぁ。
そう思っていると、スッと隣に誰かが座った。
冷やかしだろうか、それともウマ娘の食欲がそんなに珍しいのだろうか、流し気味に横を見ると、どうやら私と同じウマ娘の、新人さんみたいだった。
慰めに来てくれたのなら素直に嬉しいのだが、なんて思いながら見なかったフリをして、香ばしく丸揚げにされた魚の額あたりの骨をバリンと噛み砕く。
「先輩凄い
コイツもデリカシーのない
答えられるわけもなく、バリボリと口の中で噛み砕いていると、よーし!なんて言いながら別皿に盛られていた小ぶりなものを取り皿に取って、いただきます、と行儀良く手を合わせてかぶりついた。
まぁ、割ってない状態の頭の骨は当然固いだろう。彼女はムキになって一生懸命ボリボリと噛み砕いていた。
ようやく食べ終わったところで、私は何か声をかけるわけでもなく、さっき食べていた立派な丸揚げを彼女の皿に乗せた。
少し戸惑う彼女を見て、私も一つ箸で持ち上げ、頭の右半分をバリッと噛み砕いた。
そして彼女の方を見ると、その意図が伝わったのか、可愛い口を大きく開けて、頭の右半分に齧りついた。
程良い厚さの骨が、バリバリと割れる。その噛み応えにこの子もハマったのか、気づけば尻尾の先まで食べきって、次の魚は取り皿に乗せられる間も無くその頭を齧られていた。
今日はお酒飲んだ?少し大きめの声でそう聞くと、彼女は恥ずかしそうに最初の一杯だけと答えた。
どうやらお酒に弱いらしいが、美味しくてつい飲みすぎては同期のウマ娘の家にお世話になってしまうらしい。
なるほど、まだしっかりしてはいるが最初の不自然な「れ」は噛んだのではなく、既に少し酔っていたためか。
彼女がやって来た方をチラッと見ると、南坂さんと目が合い、彼は首を振って手のひらを見せた。
5杯……早々に記憶が飛ぶタイプか。OK、任された。
氷がガラガラと鳴るピッチャーの烏龍茶を彼女が持ってきたグラスに注いで、すぐに飲めるように、3匹目を口の中でボリボリさせている彼女に渡す。
彼女は何故かそれを恐る恐る受け取り、何か覚悟を決めたような顔で、口の中の物諸共グッと流し込んだ。
「……あれ?」
「え、間違えてお酒渡した?」
「……これ、ウーロン茶ですか?」
「あ、ええ…間違えてなくてよかった」
「ウーロンハイでもなく?」
「普通の烏龍茶よ」
なぜそんなにも不思議がるのだろうか。
油物には烏龍茶と、単に口の中をサッパリしてほしいと思っていたのだが……そうでも無いのだろうか。
すっかり炭酸の抜けた、ほぼウイスキーなハイボールをちみちみ消費しながら、そんな事を考える。
「それと、揚げ物ばっかりだと体に毒でしょう?ほら、イカと長芋の梅和えとしじみの味噌汁……はまた後でくるから、とりあえずこれ食べときなさい。それと───」
予め頼んでおいた物を取り分けて、次々と彼女の前に出す。
どれも二日酔いの予防としてよく選ばれる物だ。
しかし、だんだんと申し訳なさそうな顔をして身を縮こまらせている彼女を見るに───やはり先程のは無理矢理お酒を飲ませようと思われてしまったのだろう。
「………すみませんでした」
「あぁ、さっきの見たら勘違いする方が正解よ。気にしないで」
「ウワサよりもずっと怖かったれすけど、それと同じくらいに優しいんですね!」
「へえ。ウワサってどんなのがあるの?」
彼女の話を聞く限り、やはりトレーナーの間で私の評価はあまり良くないらしい。
無理矢理酒を飲ませるだの、当たりが強いだの、ずっと睨んでくるだの、etc…とまぁ好き勝手に酷く言われてるモンだ。
最初は聞き流していたのだが、止まることのない陰口を聞き流すのもだんだん辛くなってきて、途中からは机に突っ伏して……なんだか涙が出てきた。
「───で、他にも ムグッ!」
「貴女、そのへんでやめてあげて」
「マッシュちゃんも自分から地雷に突っ込んでくのやめろよ、酔うといつもこうなんだから」
「聞いてたんなら止めて下さいよ……」
数分経ったところで東条さんと先輩が止めに入ってくれた。
貴女がそんな子じゃないのはよく知ってる、と東条さんは励ましの言葉と共に、しくしくと泣く私の肩を優しく叩いてくれた。
「どうせいつもの、君にやられて閑職に回されたヤツ等が適当言ってるだけだよ。あんま気にすんな」
「それが原因で新人にも避けられてるんですよ、同期でウマ娘なの私だけだし……」
「それは、その……ドンマイ!」
「慰めるならもっとマシな言葉を選びなさい」
「あだっ!痛いなおハナさん」
衝突の多い仕事ではあるが、諸先輩方に恵まれている事はラッキーと言って良いだろう。
沖野さんと東条さんの、もう見慣れたはずの夫婦漫才のようなやり取りは、いつ見ても微笑ましくなる。
「さっきの女の子達に謝ってきます」
アダマスマッシュは立ち上がると、誰かが返事する前に部屋を出て行った。
「今回も失敗か」
「才能はあるから、何とかしてあげたいんだけどね……」
「先輩、何か事情でもあるんですか?」
食べ物とお茶で少し酔いが覚めてきた新人のウマ娘がベテランの二人に尋ねると、二人は少し困った様な、何か知っていると思われるが、ハッキリとは言い出せないような顔を見せた。
「あの子、噂じゃ前任の理事長が推薦したみたいけど、試験は受けてるみたいだし……素性はよく分からないのよね」
「そんでその理事長推薦ってのが気に入らない奴がいてなぁ」
それなら聞いた事がある。
トレセン学園を卒業して、ここの職員になるウマ娘は一定数いるのだが、前理事長は彼女の今の
しかし東条トレーナーが言うように、彼女は若くして正当に試験を受けて合格し今の席に就いている。
「それに
「結果を残せなかったんじゃないですか?」
「在学期間は4年だったから少なくともメイクデビューの後ももう少しは走っているはずなんだ。それでも彼女の名前はほとんど出てこない」
これも彼女の噂の一つだ。
いくら調べても、彼女の出走履歴はメイクデビューと弥生賞、それとオープンを1つ。ただそれだけなのだ。
ただでさえ職員の出入りが激しいと言うのに、彼女の在籍時まで遡るとなれば昔の彼女を知る人は少なくなってしまったのだろう。
知っていたとしても気づいたら居なくなっていた、と言う声が大半だったそうだ。
「改名したとか?」
「それは無いわね。生徒会にも所属してたらしくて、学園内の少し昔のファイルサーバーに、出来の良い生徒会の申請書類の雛形があるわ。作成者は彼女、名前は同じよ。」
「う〜ん……あ、そもそもなんですけど、先輩っておいくつなんですか?」
「そういえばそうだな、オハナさんは知ってるか?」
「あの子が入ってきた頃に【ウマ娘で最年少でトレーナー試験を突破したヤツがウチに来る】って騒いでたのは何処の誰よ……彼女は今年で5年目、早生まれの25歳よ」
「25…えっ?はぁ!?25ぉ!?私達とそんなに変わらないじゃないですか!」
聞けばトレセン学園中退後、高卒課程を修得した後に海外の大学へ飛び入学したらしい。
彼女を最初に引き受けた沖野トレーナー曰く、実家もそこそこ太くて頭も良い、欠点を挙げるなら他人を実験体か何かにしか見てないこと、だそうだ。
確かに、学園内で見かける彼女の目線は、主にチームの子達か持参しているタブレットのどちらかにしか向いていない。
タブレットと睨めっこして常に思考を巡らせている彼女は、やはりピリピリしている様に見えてなかなか声をかけ辛いというのも耳にする。
しかし声をかければなんて事ない。
普通に返事をして、普通に会話してくれるし笑いも泣きもする。
でも、彼女の心が動く事は決して無い。
これは勿論私の主観による意見だ。
過去に比べれば丸くはなっているのだろうが、いくら会話しても、目の前に居る彼女が彼女を模した人形である様に感じてしまうのだ。
どれだけ会話が弾んでも、終わると直ぐにあの冷めた様な顔に戻ってしまう事で、余計にそう感じてしまう。
「でも、ベテランの方達とは仲がいいように見えるんですが?」
そんな彼女でも、諸先輩方の中でこの二人には心を許している様な表情をする時がある。
しかし、当の二人は顔を合わせて苦い表情をした。
「あー、確かに今はああだけどな、最初は酷かったんだぞ?」
「私も何回口論になった事か……」
そこから始まった昔話は、聞いたことのある噂と大きな差は無かった。
前の日は練習メニューについて理詰めで議論したかと思えば、次の日は生徒たちの目の前で冷蔵庫に置いてたデザートの事で大喧嘩したり、と彼女がちゃんと実在していると思えるものばかりだった。
「お代は私が持つから、ゆっくりしなさいな。あ、SNSに投稿してもいいけれど、1時間くらい後にしてくれたら助かるわ。それじゃあまたね」
「「はいぃぃっ!!!」」
しばらくして、その彼女が上機嫌になって帰ってきた。
東条さんが上機嫌な理由を尋ねると、彼女は満面の笑みで答えた。
「あの子達ね、
本当に、この数ヶ月に見た事がないくらいに、彼女は熱の籠った瞳で嬉しそうな顔をしていた。
そこからの彼女の印象は、今までの人物像を吹き飛ばすほどに人間味があった。
そのギャップに呆気を取られていると、沖野さんに肘で小突かれた。
ほらな、可愛いところもあるだろう?悪戯っぽく笑う彼に、私は躊躇いなく首を縦に振った。
その後は特に大きな問題も無く、飲み会は終わった。
2件目に行くか否か、そういう話になる流れに思えたが、
行き先は地下にあるお店で、階段前の立て看板を見ると、今日は貸し切っているみたいだった。
中に入るととても静かで、カウンターに立つのは年老いた男性が一人だけ。
高そうなお酒がズラリと並ぶ棚を背に、彼は私達を快く出迎えてくれた。
優しい灯りで大人な雰囲気漂うこの空間は、とても居心地よく感じた。
「あらマスター、お久しぶり。長い事見かけてなかったけど腰の方は大丈夫なの?」
「ほっほっほ、お気遣いありがとうお嬢さん。最近は腰の調子が良くてな、今日は貸切で客も少ないって言うんで、
それにこの時期の貸切客は大体想像がつく。お爺さんが笑って東条トレーナーに愚痴っぽく言うと、アダマスマッシュさんは彼に手を振った。
「そうだマッシュちゃん、アンタの好きなウインナーの入ったオニオングラタンスープもあるぞ」
「ホント!?」
「ほっほっほ。久しぶりにマッシュちゃんのピアノが聴けるんじゃ、好きな物くらい用意しておかんとな」
ピアノ?
店内を見渡すと、確かに真っ黒なピアノがひっそりと佇んでいた。
「さて、みんなカウンターに着いておくれ。今日は貸切だ、好きに飲んだらいいし、無理に飲まんでもいい。まだ腹が空いとるならメニューを見て、今のうちに頼んどくれ」
お爺さんはそう言うと、縦長のメニュー表数冊をトランプのカードを配るようにパタタと広げて、ほんの少しだけ緩めていたネクタイをキュッと締め直した。
その顔は週一のご褒美を待ち侘びた私の様に、頬を綻ばせていた。
───────────
ナポリタンやピザトースト。そして、香ばしいガーリックトーストが浮かべられた、程よい塩味と強い甘味の食べごたえのあるウインナー入りオニオングラタンスープ。
店に来た身内達の腹が優しく満たされ、酔いもそこそこに回ってきたところで、私はピアノの方へふらっと向かった。
背もたれの無い椅子に座り、鍵盤を撫でる。
使い込まれていながら丁寧に手入れされているピアノは、まるで弾いてくれと言わんばかりに不思議な感覚で私の指を鍵盤に引き込む。
最初は何を弾こうか、何て考えていると、私を誘うように、誰しも聞いたことのあるフレーズを無意識に弾いていた。
そうだね。
でもこういう場なんだし、せっかくなら少し
英語の歌詞を口ずさみながら、明るい星のように今を輝く彼女達を想う。
時折煌めきつつも、流れるようなジャズアレンジを、途切らせることなく弾き続ける。
比較的有名な曲を何曲か弾いた後に、新人の中にアニメ好きが一人居たことを思い出した。
元の曲を知っているかは分からないが、最近耳にしたジャズアレンジを弾いてみよう。
右手で軽く弾き始めて、特徴的なフレーズを弾くと変な呼吸が聞こえたので後ろをチラ見すると、そのアニメ好きの新人君がブラウスの胸あたりをギュッと握りしめて嬉しそうにしていた。
どうやら知っていたみたいで私もホッとした。
その後もう何曲か弾いて、時間もいい頃合いだし、ガチガチのクラシックでも終わりにしようと思っていると「マスター、いつものお願いできるかしら?」と、東条さんが少しだけ大きい声で注文を入れた。
振り返るとカウンターの向こう側に居るお爺ちゃんと目が合い、彼は私にウインクしてカクテルを作り始めた。
お気に入りの場所で、好きな物を堪能する。
日々神経を擦り減らす我々のような社会人にとって、仕事と同等或いはそれ以上に大切な事だ。
私にとってのピアノであり、私のピアノは彼女にとっては良いお酒のアテとなっているみたいだ。
頼んでいたお酒が届くと、いつもの引き締まった彼女らしからぬ、わくわくに満ちた少年少女のような瑞々しい瞳で私の演奏を待っている。
私に対しての "いつもの" ───それはイタリア語で『鐘』を意味する、クラシックでも屈指の難曲とされている曲の事だ。
超絶技巧曲、大練習曲と、幾つか改訂されているが、私が弾くのはその一番最初と言われている大幻想曲。
もちろん、プロでも難しいこの曲を趣味で弾いてる私が完璧に弾けるわけもなく、日々弾きやすくなるように手を加えている為毎回若干の変化があり、弾ききりはするが未完成なままなのだ。
しかし、彼女には毎回少しずつ変わる方がかえって聴きごたえがあるらしい。
まあ、私が好きに弾いて、それを楽しんでくれる分には一向にかまわないのだけれど。
私が背を向けて鍵盤に対面すると、貸切の室内がさながら演奏開始前のホールの様にシン、と静まった。
最も有名な版であれば、誰しも一度は聞いたことのあるメロディーだ。
題名を知らずとも、何の曲か分かるだろう。
さっきの静寂とは違う、やや重たい空気。
静かに深呼吸をして、また指を走らせる。
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早朝、たまにやって来る不眠を解消させる為のピアノ。
そろそろ眠りに落ちそうで、今練習中の最後の曲を弾いていると、今相談を受けている東条さんが音の出所を探して迷い込んできた。
しかし寝落ち寸前の私が彼女に気づくはずもなく、下着に薄いシャツを着ただけの私はそのまま曲を弾き終わって窓際のソファで眠りに落ちた。
聴き入ってしまっていた当時の東条さんは、慌てて私を起こそうとしたみたいだが、うんともすんとも返事が無く、結局朝の朝礼の少し前まで眠ったままだったらしい。
一方の私は、起きたら東条さんが居るものだから遅刻でもしたのかと思って一気に目が覚めたのをよく覚えている。
最初はそんな偶然だった。
その後何度か聞いてもらう機会があって、その時に試行錯誤していた曲がこの曲だ。
ある日彼女に、私のピアノの何がそんなにいいのか、と聞いたことがある。
東条さん自身もあまり意識したことがなかったみたいで、少しだけ考えて微笑んだ。
「気づいているかどうか知らないけれど、貴女ってピアノを弾いてる時、普段からは想像もできないほど楽しそうな顔をしてるのよ」
「はあ……そうなんですか」
「そんな貴女を見てると、なんだか不思議と安心できるからかしら」
まぁ何を言っているのかよく分からなかったが、考えるだけ無駄か、と思うようになってからはいつも通り、好きなように弾いている。
当時の私は、他人に対して無関心すぎた。
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最後の3本の白鍵を力強く叩き、15分を超える曲を弾き終えると、数少ない拍手が私の背を打った。
肩で息をする私の横から、マスターがグラス一杯の水を差し出してくれた。
それを水と認識するまでに何秒かかかったが、水と認識した途端に喉が渇き、グラスに注がれていた水を一気に流し込んだ。
本当に、この曲を演奏していると呼吸すら忘れそうになる。
それだけ難しいのだが、やりきった後の充足感はかなりの物だ。
グラスを持ったまま、逃げるように背無し椅子からカウンターの椅子にもたれかかる。
今日も良い演奏だったわ、よじ登ってテーブルの上に突っ伏すと、満面の笑みの東条さんが私に優しく声をかけた。
もう疲れ果てた私は、何とか笑って返すことしかできなかった。
その後、興奮冷めやらぬ新人達にもみくちゃにされた私は、家に着くと最低限のことだけを済ませてベットに体を放り投げた。
その日は久しぶりに、いつもの場所とは違う、絵本の様な世界を巡る気持ちの良い夢を見た。
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翌日、午前休で昼前までたっぷりと睡眠を取った私がトレーナー室に向かっていると、いの一番に気づいたダイワスカーレットがものすごい勢いで駆け寄って来てスマホ画面を私の顔を押し付けた。
「トレーナー!!!これどういうこと!?」
「どうどう、落ち着きなさいよスカーレット。一体どうしたのよ」
「あら、当の本人が知らないのですか?学園のホームページが大騒ぎになっていますのに」
「これよ!これ!!」
「見えない見えない」
どうやら皆私に聞きたい事があるらしく、トレーナー室に向かう最中に次々とメンバーが集まった。
スカーレットからスマホを預かると、昨日の親睦会について、私の演奏をアップしていたみたいだ。
SNSの方もリプライの数、評価もかなりの数来ており、私のアカウントへのダイレクトメッセージの承認申請の数も凄い事になっていた。
「すごく上手、だね……!」
「おいおい、どうすんだトレーナー。これじゃあおちおち朝寝坊できねぇなあ」
「何でゴルシが嬉しそうなのよ、それに私は寝坊なんか———」
ケタケタと笑うゴルシにガンを飛ばしていたら、自分のスマホが震えている事に気づいた。
気づかなかったが、走っている間にたづなさんから何回も電話が入っていた。
すぐにロックを解除して、電話を返すと何やら切羽詰まっているようだった。
『あ!やっと繋がりました!』
「すいません、全く気づかなかったもので」
『それより大変なんです!昨日の親睦会の投稿で取材の連絡がいつもより輪をかけて来てるんです!』
「?」
『今回はラジオ番組の出演オファーや音楽情報誌からも電話が入っているんです!』
ツー、と冷や汗が首を伝う。
「あのぉ、それキャンセルとかって……」
『ダメです!今調整中なんですから、すべてちゃんと出ていただきます!それではよろしくお願いしますね! 』(ブツッ)
大きく、長いため息が出た。
本当に忙しい時のたづなさんは、かなり強引になる事がある。
そういう時に巻き込まれると、大抵良い事がない。
今回の騒ぎも、その一例に加えられる事だろう。
「元気がないぞトレーナー、とりあえず何か食べたらどうだ?ほら、羊羹だ」
「羊かん!それではお茶が必要になりますね!私が持って参ります!しばしお待ちを!」
今はトレーナーとして評価してほしいのだけれど、世の中うまく行かない事だらけ。
あのサプライズに乗るんじゃなかった。
つくづくそう思うのだった。
◯アダマスマッシュの好きなもの
自作の飴。
生姜と人参の搾り汁、少量のニッキを混ぜて作られた、数少ない母との思い出の味。
最近は作る時間がなかなか取れずによく切らしているが、その時はストックしてある似た味をした市販の飴を舐めている。
ここぞという時用に小粒で硬い飴もあるが、ニッキの他にガラナ等の強壮効果の高い物を加えた上で濃度を高くしている為、もはや薬品級の代物になっている。
ちなみに、常人が口にすると、鼻血が出たり、舌がおかしくなる等の副作用が出る。
ついでに元気にもなる。