輝けなかったウマ娘トレーナーは芽吹く新芽に何を思うか   作:にらたま定食

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一方通行

 6月最後の日曜日。

 阪神レース場、芝、右の内回り。

 宝塚記念。

 距離2,000m、それと1ハロン(200m)

 

 たかが1ハロン、されど1ハロン。

 実際に走って、感じて、模擬レースの時には感じられなかったその壁の高さが、掲示板にさえ載れない悔しさが、身に沁みました。

 真っ先に思い浮かんできたのは、今まで数多く見てきた『彼女たち』の顔。

 

 

 なるほど。これは……少しだけ、ほんの少しだけ堪えますね。

 

 

 ライブを終えて控室に戻ると、トレーナーさんは電気もつけず、薄暗い部屋の中で、1着になった方の満面の笑みが画面いっぱいに映るテレビを、静かにジッと見つめておられました。

 大きな衝撃が加えられたであろうパイプ椅子は、ぐにゃりと変形した脚から、か細い悲鳴をあげていました。

 

 ところでなんですが、彼女は棒付き飴を食べ終わるとその棒をしばらく噛み続ける癖があるんです。

 そして、それが出る時は決まって大抵だれかを待っている時なんです。

 

 電気をつけると、彼女はようやく私に気づかれたようで首だけクルリとこちらを向きました。

 ボロボロになって二つに裂けたプラスチックの棒を口から出すと、トレーナーさんは再びテレビを眺め始めました。

 投げかけられたのはお疲れ様の一言ではなく、レース前の控室で私が言い放った『たった1ハロン』についての所感でした。

 

 鏡に映る彼女の横顔は、口元を軽く上げて目が半開きになっている笑顔が貼り付けられていて、鏡越しに目が合うと、まるで喉元に刃物を突きつけるような気配が突き刺さり、正直逃げ出したかったです。

 

 それでも私は委員長ですから、トレーナーさんとこの結果に向き合わなければなりません。

 他の子も速かった!それは認めましょうとも!……と私は精一杯、気丈に振る舞いました。

 落ち込まず、前を向いて、もっと速くなるとトレーナーさんに宣言しました。

 そしてゆっくりと立ち上がってやって来るトレーナーさんを追い返すように、模範的ではない言い訳を言い続けました。

 彼女は険しいお顔のまま、情けない私を抱擁されたのです。

 

「無事に戻ってこれた、今はそれだけで十分よ」

 

 最後のひと声だけ僅かに震えたその言葉を聞いて、私はホッとしたのか、模範的ではありませんが、涙が出そうになりました。

 その涙は悔しさからか、それともトレーナーさんに対する恐怖感からかは分かりませんが……

 しかし、トレーナーさんはすぐに私の肩を力強く掴み、強く仰りました。

 

「あと少し、あと少しだけ時間をちょうだい。その間、貴女は決して振り返らず、前だけを見据えなさい」

 

 この言葉を聞いて、前のトレーナーさんとの契約解消は無意味ではなかったと、私は心の底から安堵しました。

 実を言いますと、最初は心のどこかで「また騙されているのではないか」と、失礼ながら考えていました。

 移籍する前のトレーナーさんでさえ、どうにかして誤魔化そうと試行錯誤されていましたから。

 

 ……私も、理解はしているつもりなのです。

 

 ご存知の通り、私のこの脚は短距離向き、私は生まれながらにしてスプリンターであると。

 でも私は委員長ですから。

 ()()()()()挫けるわけにはいかないのです。()()()()()()諦めるわけにはいかないのです。

 だからこそ、身を裂く思いでトレーナーさんと別れて彼女の下に着き、事実中距離の舞台まで手が届いた。

 結果は無念極まりない物でしたが、収穫はありました。

 ですから、私はその日1番の笑顔で返事しました。

 

「モチロンですとも!」

 

 きっと大丈夫です。

 だって【あなた】の判断は、いつも正しいものでしたから。

 

 そんなやり取りをした数日後、惜しくも2着となったオグリキャップさんのケガについて知らされました。

 彼女の次の目標は秋の三冠、この夏での出遅れは大きな痛手となるでしょう。

 しかし、もし対峙する事があったとしても、私は決して手を抜きませんよ。

 なぜなら私は───

 

 

 

「がっきゅ、いぃんちょ……ぐぅ」

「バクシンオーさん、ぐっすりだね」

「元々は短距離主戦のお方、今はゆっくり休ませてあげましょう」

 

 

 チームサルガスに初めて訪れる夏。

 一行はアダマスマッシュの母親の実家がある夕張市を目指して、北海道は札幌、新千歳空港に向けて空を飛んでいた。

 

 オグリキャップは搭乗前に腹ごしらえした為、離陸後の機内食を食べ終えるとすぐに眠りにつき、その隣のゴールドシップはオグリキャップの大きく出たお腹を撫でながら、搭乗前に購入した雑誌を読んでいる。

 

 

 さて、先ほどのレース疲れというメジロマックイーンの推理は半分アタリ、半分ハズレである。

 彼女がここまで疲弊している理由は、期末テストに向けて虚空を見つめながら呪文のように呟くようになるまで赤点回避(おべんきょう)させたことによる反動だ。

 単純だが素直な性格ゆえに難航はしなかったが、いかんせんその量が多かった。

 おかげで私もやや寝不足気味になり、生徒達の夏休みが始まって1週間経った今なお、昼下がりに考え事をしていると舟を漕ぎそうになる。

 

 私は毎年この時期になると一週間ほど休暇を貰い、早めの盆休みを兼ねて母の地元である夕張に帰省することにしている。

 今回はたまたま、予定していた合宿先の都合が合わなくなってしまった為、母の地元を選んだ。

 

 それは数日前まで遡り、チームのミーティング中にメジロマックイーンに掛かってきた一本の電話からだった。

 

 

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「なるほど、それじゃあマックイーンが言ってた別荘は工事の延長で断念、と……」

「私から言い出したというのに、本当に申し訳ありません……」

「気にしなくてもいいわよ。伝えてくれてありがとね」

 

 

 こうなった以上代案を用意しようと考えていたのだが、メジロ家の別荘と同等となるとかなり厳しい……いや、そもそもあそこまで整った設備と環境は整えられない。

 そんな時、ふとある場所を思い出した。

 すごすごと帰るマックイーンを呼び止めて、メンバーに翌日の放課後に集まるよう伝言を頼んだ。

 

 翌日、7人全員がチームハウスに集まった。

 議題は勿論、夏の合宿先について。

 メジロ家の別荘案が廃止となり、あーだこーだと案を出しては捨て、出しては捨てを繰り返し、学園の合宿所に決まろうとした所で、まとめに徹していたアダマスマッシュが口を開いた。

 

 

「ねぇ、聞いてみるんだけど。合宿先、私の実家というのはどう?ゴルシも一度は来た事があるし」

 

 

 そう言い放った瞬間、ゴルシの眉間にスッと皺が入った。

 

 

「ゲェ〜!帰んならトレーナーひとりで行ってこいよぉ〜!」

「アンタが一番何しでかすか分からないからアタシ達が道連れくらってんのよ」

「ほ〜〜お?デビューほやほやの新人が言うようになったじゃねえか???」

 

 

 どうやらスカーレットにも不評のようだ。

 実はスケジュールの都合でゴールドシップを一度私の実家を招いたことがある。

 そこで一体何があったのか、ここでは省かせてもらうが、彼女にとってはあまり思い出したくない事に違いはないだろう。

 もしもその時の写真を、やたらわたし達(ウマ娘)に詳しいあの記者に渡したとなれば、話した事を何倍にも膨らませた【個人の見解】という名の妄想が次の記事に掲載されるのは確定事項だ。

 

 

「場所は何処なの?」

「北海道の山奥。ここよりは多少涼しくてそんなに虫も出ないわよ?」

「いいか!お前ら騙されるなよ!多少どころか(さみ)ぃし、虫の代わりにヘビとかクマとか出てくるからな!それに、それに……くっ!ともかくアタシは忠告したかんな!!」

「わ、私は山も好きだよ……えと、鳥さんの声もよく聞こえるし」

「あら、ありがとうライスちゃん」

「お米ぇ!お前だけは信じてくれると思ってたのによぉ、そりゃないぜ……」

「べ、別にそういうことじゃなくて……!」

 

 

 気を遣って遠回しに否定してくれたライスシャワーの手を優しく握る。

 良心が少し痛むが、ここは良いように受け取らせてもらおう。私だって休みたいのだ。

 しかしこれは咄嗟の思いつき、考えてみれば最後にあの場所を訪れたのはいつだったか。

 基本的な施設は父達が管理しているはずだが、目的の場所は秘密基地みたいなもので、私有地ではあるが管理が行き届いているとは思えないし…………少し餌を撒いてみるか。

 

 

「ん〜、やっぱり荒れ放題かなぁ……合宿というより()()になりそうな気もするのだけれど。それでもいいかしら?」

「修行?!いま修行って言った!!??」

「スカーレットさんも落ち着いて……コホン。トレーナーさん、貴女のご実家を合宿先の候補に選ばれた理由をお聞きしてもよろしいでしょうか。先程の【荒れ放題】という言葉を聞く限り、適切ではないと思うのですけれど?」

 

 

 先の一言を聞いて、良い印象を持つのは余程物z……熱心な者だけだろうが、ひとまず1人釣る事ができた。

 ただ、鍛えるという一点では、私はあそこ以上に負荷をかける事のできる場所を知らない。かなり荒い事は自覚しているが、その伸びは保障できる。

 こう考えるのも、当時の私がトレセン学園に転入した後で施設の強度に物足りなさを感じた原因となった場所だからだ。

 

 

「単にプラスがダメならマイナスに振り切ってしまえって発想よ。まぁ最悪そこが使えなくても練習メニューなんていくらでも思いつくわよ」

 

 

 他にも食べ物やあまり知られていない景勝地などをつらつら話していると、オグリとマックイーンが手を挙げた。

 

 

「トレーナー、その大きいというのはどれくらい()()()んだ?」

「トレーナーさん。念の為の確認ですが、ご実家は北海道のどちらになりますの?」

 

 

 鯉の如く、投げ込まれた餌にまんまと釣られて詰め寄ってくる2人を宥めて、デカ盛り店のメニューとご当地キャラの特徴を伝えると、2人は口を揃えて「「そこがいい(ですわ)!!!」」と即答。

 肩を掴まれ、それぞれの口腔に収まりきらなかった唾を正面から浴びた。

 

 なんとまあ欲に正直で扱いやすい子ども達だこと。

 お姉さん心配になっちゃう。

 

 結局、サクラバクシンオーは「トレーナーさんが選ぶなら」と快諾、ライスシャワーもそれに流されるように承認し、残るゴールドシップは「嫌だ」と突っぱねるのみとなった。

 流石に無理があるか。そう思った私が白紙に戻そうとすると、オグリとマックイーン、スカーレットがスッと立ち上がり、呼び止めようとするも一言も声を発さないままゴルシを何処かへ連れ去っていった。

 

 それから少しして、3人が満面の笑みでゴルシを引き摺らせて帰ってきた。

 3本の曲線の、子どもが描いたようなその笑みから、彼女達がどのように説得したのかは大体察しがついた。

 

 ゴルシは何かぶつぶつ、呟いていた。

 ごめんよ、ゴールドシップ。

 釣った私も彼女達がここまで食らいついてくるとは思っていなかったんだ。

 

 

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 工事延期のお詫びとして、ファーストクラスの席を手配していただけるとは思ってもおらず、搭乗前のラウンジでオグリキャップの食欲にヒヤヒヤしていたが、流石はメジロ家。

 事前に連絡を入れていたらしく、オグリキャップに出された爆盛りのモーニングサービスには驚かされた。

 私は慣れない手厚いサービスに少々戸惑ったが機内食の片付けが終わる頃にはくつろげるようになったり……まあ、そんな事があった。

 

 

 

「……ねぇ、今何してるの?」

「トレーナーとは別の、学園の職員としての仕事よ」

 

 メイクデビューを過ぎたあたりから時折『いい子ちゃん』の皮を被り忘れるようになったダイワスカーレットが、隣でコツコツとキーボードを叩くトレーナーに問うと、彼女は耳をピクリとも動かさずにさらりと答えた。

 

 

「トレーナーって普段どんな事してるの?」

「あら、もう将来の事なんか考えてるの?」

「そうじゃなくて!」

「冗談よ。そうねぇ、何から話そうかしら。トレーナー業は今となっては本業だけど、少し前までは相談役みたいな物だったし───」

 

 

 トレーナーになりたい訳ではないという事は勿論知っている。

 単に可愛い教え子を揶揄いたかっただけ。

 少し手を止めて、今こなしているトレーナー業や生徒の授業の補助などをひと通り話して、最後に「お陰で毎日忙しいわ」と悪戯っぽく微笑んでみる。

 しかし、彼女は何故か気の毒そうな視線を私に向けるだけで、感想ひとつも述べてくれない。

 てっきり「でもそれがトレーナーの仕事なんでしょ?」とか言われると思っていたのだが……ふむ、今の私はそれほどまで疲弊しているように見えてしまっているのだろうか?

 まぁ勉強の付き添いで、眠気に負けて数分意識が飛んだ事が何度かあったとは思うが、日常にまで出てしまってはこの子達が安心などできるはずがない。しっかりしなければ。

 

 少々疲れ気味の目をマッサージしてみる。

 

 

「……トレーナー、本当に大丈夫?」

「寝不足なだけ。何をそんなに心配してるの?」

「だって最近私達のレースの調整とトレーニング続きで休めてなさそうだったし……それに目の下のクマだって───」

「さっきも話したけど、それが私達の仕事よ。貴女達が描こうとしている未来に介入するんですもの、そこらの仕事よりキツいなんて百も承知よ」

 

 

 なかなか休まない口を人差し指で押さえると、彼女はようやく、こちらに寄せた体を自分の席に戻した。

 

 

「……アンタがそう言うなら良いんだけど、トレーナーが倒れたら大変なんだから。」

「ハッ、自分の体重管理もロクにできない小娘に言われたくないわね」

「んなっ?!それはもう過去のことだし!たった2週間だけだったじゃない!」

 

 

 それにしても、合宿先が決まった日からずっとソワソワとしているダイワスカーレットは直近の模擬レースで同室のウマ娘に負けたらしく、今回の合宿に向けてえらく燃えているようだ。

 名前は確か……ウオッカ、だったか。

 それがまさかあのバイク好きの、それも先輩(スピカ)の子とは思わなかったけど。

 

 

「まぁ単に太れとだけ伝えたのは悪かったわ……たったの3日でタキオンさんの手まで借りるまでになるとは思わなかったけれど

「もう!その話はやめてよ!それで?!実際のところアンタの実家を合宿先に選んだ本当の理由は何なの?」

「別に変わったことじゃない、有給休暇の消化も兼ねた墓参りよ」

「墓参り?まだ盆休みには早いんじゃない」

「別にいいじゃない。私の母親はたまたま今の時期だっただけなんだ、し……あっ」

「はあ?それってどういう……あっ」

 

 

 しまったと思ったのも束の間、彼女の顔は先程より深い哀色に染められていた。

 なんとか取り繕おうにも、こういう時ばかり私の頭は回らなくなり、昔から変わらず、何もできない手が宙を舞って、終いには黙ってしまう。

 

 謝りたい気はある。

 しかしここで彼女に謝れば、この話題を掘り起こした責任を彼女に押し付けてしまうように思えて、私からは何も喋れなかった。

 

 

「そういえば、トレーナー」

「……どうしたの?」

「トレーナーって休みの日とか、何してるの?」

「休みの日か……聞いても特に面白くないと思うけど、それでもいい?」

 

 

 お互い妙な気まずさに耐えきれず、何事も無かったかのように話題はすり替えられた。

 

 他所のチームは、土日祝は普通に休みだったり、友達やトレーナーと一緒にショッピングしたりしているみたいだ。

 一方の私はというと、数日分の作り置き用の食糧の買い出しと調理、他はトレーニング。

 たまに街に出たかと思えば、大半の用事はトレーニング用品を見るかスーツの修繕を依頼するだけで、華やかさのカケラも無い。

 

 トレセン時代は専らトレーニング、中退してからも目についた物を端から勉強するか、地元の友達らの着せ替え人形にされるか、祖父母の手伝いかで、世間一般の中高生特有の青春らしい道を通らなかった為、都会の子達が思い浮かべる物からはかなりズレているという自覚はある。

 

 

「そうだ。たまにメロンをひと玉買って食べることもあるわね」

「へ?」

「メロンよ、赤肉の。それを買って半分に割って、スプーンでこう、種を取って食べるの」

 

 

 今は丁度収穫の時期だから食べられると良いわね、とアダマスマッシュは続けたが、突如として耳に飛び込んできた芦毛のご令嬢のような発言に、ダイワスカーレットは思わず間の抜けた声を出してしまった。

 そして食べ物についてひとしきり話し終えると、仕事に区切りがついていたのか、パソコンを閉じて座席に体を預ける。

 コーヒーを一口飲んだ彼女は、ようやくダイワスカーレットの奇異な視線に気づいた。

 

 

「なに?」

「あ、いや、何も……」

「そう?なら、今は少しでも休んでおきなさい。向こうに着いたらきっと不便ばかりだから」

 

 

 そう言い残したアダマスマッシュは、どこから取り出したのか分からないアイマスクとポリウレタンのマスクを着け、大きく伸びをして深呼吸すると、間もなく首がカクンと折れた。

 

 

「……え?ウソ、もう寝たの?!」

「まだ起きてるわよ。」

「きゃあっ!?」

 

 

 

 こうして1時間半のフライトは何事もなく終わった。

 

 

 

 いつもの遠征よりも大きな荷物を受け取って外に出ると、東京とは違う、少し湿っているが涼しさを感じる避暑地らしい風が私たちを出迎える。

 

 嗅ぎ慣れた空気を胸いっぱいに吸い込むと、今年も帰ってきたのだと実感すると同時に、昔のことを思い出す。

 

 バス停から少し外れた所で迎えを待っていると、オグリだゴルシだバクシンオーだと、みるみるうちに人が集ってきたが、東京ほど埋め尽くされるようなものではなかった為、3人とも気軽に応じていた。

 中にはスカーレットやマックイーンのレースを見た人も居たらしく、彼女達も写真や握手を求められていた。

 

 

「トレーナーさん?そんなに怖い顔をしてどうしたの?」

「仕事よ。()()()が居たら困るでしょう?」

「虫さん?あ、ハチさんとか危ないもんね。」

「そうそう、特に()()……ライスちゃんも気をつけるのよ?」

「?」

 

 

 こういう仕事にもだいぶ慣れてきた。

 幸いそういう輩もトラブルも起きず、一通り落ち着くと吹いた風に強い排気ガスの匂いが混じっていた。

 振り向くと2台の白いバンが横付けされていて、ファン達が少なくなってきたのを見計らっていたのか、車の中に居た運転手がエンジンを切って降りてきた。

 

 

「ただいま、父さん。着いてたなら声くらいかけてよ。」

「いやいや、随分と熱心みたいだったから。」

 

 

 父は耳の近くで親指と小指を立てて軽く振った。

 自分のスマートフォンを確認すると、何件かのメッセージと着信通知、それと少し困りながら手を振っているライスシャワーと耳をピンの張った私の後ろ姿の写真が送られていた。

 

 

「それにしても、みんな随分と人気者だね」

「まぁ言いたい事は色々あるけど、先に紹介しておくわ。この子がライスシャワー、来年デビューする予定なの」

「よ、よろしくお願いしましゅっ!」

「うんうん。この子はちょっとやり過ぎる時があるから、その時は遠慮なく言い返してやってくれ」

「は、はいぃ……」

「ちょっと何よそれ〜!」

 

 

 父は私をからかうと、機械油が染み付いた、皮膚の厚い黒ずんだ手のひらで、私の頭をわしわしと撫でた。

 一方のライスシャワーには、優しくぽんぽんとするだけだった。

 

 

「まあ積もる話もあるだろうけど、まずは挨拶してきなさい。その子達は予定通り昼ごはんに連れてっておくから」

「はーい。じゃあライスちゃんは向こうの車ね」

「え?あ、はいぃ!」

 

 

 父はそう言うと車のバックドアを開けて、窮屈そうに縛りつけられていたバイクを降ろし、私とゴルシ、バクちゃん、スカーレットのキャリーケースを積み込み始めた。

 バイクはかなり古い物だが、所々新しいパーツに交換されている様子から、メンテナンスはしっかりとされているようだ。

 そして細長いワンシートの後ろ側には、ビニールで覆われた供花が風で飛んでいかないように縛り付けられていた。

 用意してもらっている花は決まって()のカーネーション。

 まぁ、菊や花粉を取り除いた百合ならまだしも、供花に白いカーネーション、というのはあまり聞き覚えがないかもしれない。

 

 白を選ぶ理由は特にない……と言うと嘘になる。

 ただ一度くらい、本物の真っ赤なカーネーションを彼女に渡したかった、と思ってしまう事はある。

 でももう母は居ないから、仕方なく、私は白のそれを選ぶ。

 

 

「トレーナーさんは?」

「ん、ちょっと帰省の挨拶に。お昼ご飯は父さんとお爺ちゃんに頼んでるから、遠慮せずに食べてきなさい。」

「うん、わかった」

「オグリちゃんにも()()()()食べてきてって伝えておいて」

「え!?そ、それは……大丈夫、なのかな?」

「大丈夫大丈夫、あの人達いつも何処かしらに隠してるから。ねえ?お父さん」

「うん、遠慮することはない。ウチには大食らいが多いからね」

 

 

 笑い声が聞こえる中、一人バンの後ろで別の支度をしている事を不思議に思ったメジロマックイーンはアダマスマッシュに近づいたが、彼女はむこう(東京)で乗っていた物よりひと回りもふた回りも小さく、キズの多い細身なバイクの横から離れる事なく、ボディバッグの中身を確認している。

 

 

「トレーナーさん、一つお伺いしてもよろしくて?」

「んー?」

 

 

 おそらく自作であろう半帽タイプのヘルメットを被ったアダマスマッシュは、顔を上げる事なく小声で、アレよし、コレよし、と持ち物確認をするだけで、メジロマックイーンの方を向くことは無かった。

 

 

(Flag Messia's……?)

 

 

 彼女が被ってるヘルメットの側面に、掠れた文字でそう書かれていた。

 見たことのないメーカーに頭を捻らせていると、アダマスマッシュはボディバッグを背に回して、ようやく私の方を向いた。

 

 

「どうしたの?」

「トレーナーさんはそのバイクでどちらへ?」

「ん?あぁ、今から墓参りよ。今日の内に行っておきたくてね。」

「お墓参り?それじゃあ———」

「はいはいはい!マックイーンはオグリとお米ントコな!んじゃまた後でなトレーナー!」

「ええ、また後で」

 

 

 誰に向けた花なのか、メジロマックイーンがそう言おうとすると、彼女の背後からやって来たゴールドシップがアダマスマッシュから強引に引き剥がした。

 

 

「ちょ、ゴールドシップ!いきなり何なんですの?!」

「母ちゃんとの挨拶くらい好きにさせてやれよ」

「……そういう事でしたか。トレーナーさんもちゃんと説明してくだされば良かったのに」

「聞かれなかったから言ってないだけだろ?」

「まったくこの人は、まさに今そうしようとしたところでしたのに……!」

「まぁいいじゃねえか」

「それと、いい加減降ろしてくださいませんこと?」

「それはダメだ」

「何故ダメなんですの?!」

 

 

 さっきのは何だったのだろう。というか、メジロのお嬢様を小脇に抱えるなんて、怖いもの知らずと言うか何と言うか。

 

 そう思いながら今度はバイクの準備をしていると、今度は背の高い祖父が寄ってきた。

 元気か?とだけ、しゃがれた言葉の裏から心配性が見え隠れしている。

 まずまず、と答えると、それじゃあいかん。と渋い顔をしたが、後ろで騒ぐ子ども達を見てふっと微笑んだ。

 

 

「それで、()()()のはどんくらいよく食うんだ?」

 

 

 こっち、というのは祖父の車に乗るマックイーン、ライスシャワー、そしてオグリキャップの事だ。

 だから、にっと笑って答えてやった。

 

 

「黒は私と同じ、小さい芦毛はそんなにだけど、大きい方は()()()よ」

「……そうか、底無しか」

 

 

 それだけの事を確認する為だったのか、祖父は鼻歌を歌いながら車に戻った。

 寂れ切ってしまった場所に長くいる為か、さっきより嬉しそうな祖父の顔を見て少しだけ腹が立った私は、心の中で静かに3人を応援した。

 

 後で聞いた話なのだが、電子マネーがあまり普及していない街で、一行はオグリキャップに伝えた例の店に行ったらしい。

 危うく銭が無くなるところだった、祖父は満足気に呟いたと父は言った。

 

 バンが出発した事を確認して、私も昔のバイク特有の細くて固いシートにまたがる。

 キックペダルを踏んでエンジンをかけると、古臭くて騒々しい、懐かしい音がする。

 目的の場所まで約1時間。

 弾けるようなエンジン音と白煙を吹かしながら、ゆっくりと走り出す。

 

 市街地とは真反対に進む為、進めば進むほど緑が深くなってゆく。

 いつも夏に帰ってくるから、見る景色もそうそう変わらない。

 この古いバイクが珍しいのか、市街地に向かうであろうツーリングの団体がこっちを見て手を振ってくる。

 手を振り返してやると、たまに後ろからはしゃぎ声が聞こえてくるから少し面白い。

 

 しばらく進むと、ただでさえ人気のない道が一段と静かになる。

 耳に届くのはガソリンが爆ぜる音と風を切る雑音、蝉の声、草木が風にそよぐ音、それと何処かの滝壺に水が飛び込む音。

 肺に染み込んでゆく空気は僅かに湿気ていて、冷たく、視界も自ずとクリアになってゆく。

 

 目的地の直前。石階段の前でバイクから降りてヘルメットを脱いだ。

 向こうより涼しいとはいえ、ヘルメットの中が蒸れる事に変わりはなく、汗で髪が少し寝てしまった。

 

 供花を持って石階段を2段飛ばしで登ってゆくと、最後の段を踏み外して、危うく転びそうになった。

 いくら体が丈夫とはいえ、痛いものは痛いから転ぶのはごめんだ。

 

 気を取り直して前を向く。

 この苔だらけの小さな墓地は、背の高い両脇の木々が影を作っているお陰でひんやりしていて、カンカン照りな昼時の墓の向こう側は若干白飛びしている。

 入口で備え付けの桶と柄杓を借りて、井戸水を汲む。

 冷たい水を7分目くらいまで注いだら、いくつか建てられている物のうちの一つの前に立つ。

 

【フラメシアス】

 

 親戚等の墓石に並んで、一番新しい小ぶりな墓石に刻まれているのは、私の母の名前だ。

 祖父達が数日前に来たのだろう。数少ない親戚の墓石も丁寧に掃除されている。

 勿論、母の墓石にも新しい花が多く供えられていてピカピカに磨かれている。

 掃除する必要はなさそうなのだが、持ち物のひとつに手ぬぐいがあったということは()()()()()()なのだろう。

 

 彼女はひとまず新聞紙で枯れた花や蝋燭と線香の燃えカスを慣れた手つきで包み、グッと折り畳んでビニール袋にまとめる。

 早々にやることを一つ減らした彼女は、休まず残りの事を片付ける。

 花立の水を換えて袋から出した白いカーネーションを花立にそっと差し、柄杓で水をかけながら手ぬぐいで墓石を磨く。

 気温で温まった石が井戸水で冷やされる一方で、彼女の体温はジワジワ上がってゆく。

 全部磨き終わる頃には、御天道様が真上に来ていた。

 

 

「あっつ……」

 

 

 まだ冷たい桶の水に手をつけながら一息つく。

 いくら軽装とはいえ汗はかく。東京もここも、暑いものは暑いのだ。

 吐息で火が吹けそうなくらいに体温が上がったところで、まだ冷たい水にくぐらせた手ぬぐいを首にかけ、線香を立てて蝋燭立ての扉を閉める。

 ふ———、と彼女は長く息を吐いてもう一度しゃがみ込んだ。

 

 パキッと開けたミネラルウォーターは、もうすっかりぬるくなってしまっていた。

 一本飲み干しても、あまり飲んだ気がしない。

 

 無風の中、線香の煙が絵筆で描いたように宙に線を引いて、粉っぽくない香木の良い香りが辺りに立ち込める。

 

 見た目はあまり変わらないが、自分で綺麗にした母の姿を見ると、やはり頬が綻ぶ。

 母と向き合い、少しふやけた手を合わせて、頭の中でこの1年間を振り返る。

 

 救えた子、救えなかった子、トレーナーと巡り会えた子、あの時の私の様に夢半ばに挫折してしまった子。

 正式にトレーナーとして採用されてしまい、研究が思うように進まなくなったこと。

 その代わりに他の道が見えてきた事と、それによって潰えた道の事。

 今見てる子達も、夢の実現に間に合うかどうかなんて、きっと神様にしか分からない。

 結果次第では、もしかしたら教え子達は私を恨むかも分からない。

 その一方で彼女達が私にとっての最後のキーとなるかもしれない。

 引き返す時間はもう、私には残されていない。

 半ば強制的とは言え、自ら今の道を選んだのだ。

 精々後腐れの無いよう、塵灰(じんかい)になるまで走り続けるしかない。

 だから———

 

 

「私のこと、そっちでちゃあんと待っててよね。」

 

 

 母への近況報告が終わって立ち上がると、太陽は45度まで傾き、3匁の蝋燭と長寸の線香の火と煙は既に消えていた。

 私はまた新しい物に取り換えて、墓地の出口で振り返った。

 

 またね、お母さん。

 

 ざわ、と私の背中を押すように風が吹いた。

 

 

 

————————————

————————

————

 

 

 

 実家に着いてバイクから降りると、誰かが満面の笑みを浮かべながら、その体躯に見合わない速度で駆け寄ってくる。

 そして世の子ども達に抱き上げられるぬいぐるみの様に、私の小さく軽い体はひょいと持ち上げられてしまった。

 

 私達のような小さな友人に会うと、彼女はいつもこうする。

 昔こそ恥ずかしくて堪らなかったが、いつもより高い景色も悪くないと思える程度には慣れたし、何より諦めた。

 逃げれる物なら逃げてみてほしい。

 

 

「マッシュちゃ〜ん!おかえりなさ〜い!!」

「うん、ただいま」

 

 

 白がかった長い鹿毛を後ろで大きなリボンのようにまとめ、その逞しい身体に見合わない可愛らしい丸顔でニッコリと笑う彼女は、名をサンちゃん———バンホウサンカという。

 帯広に所属していた元『ばんえい』競技者で、私がこっちに戻って来た後に出来た最初の友人だ。

 身長は190cmもあるのだが、ばんえい競技者の中では細身で小柄な方というのだから恐ろしい世界だ。

 

 今日は何かの収穫でもしたのか、隆々とした筋肉から発せられる熱量から、つい先程まで働いていたみたいだ。

 

 

「相変わらずね。もう『ちゃん』なんて歳じゃないんだから、いい加減普通に呼んでくれないかしら」

「え〜?!マッシュちゃんとは昔からの仲でねか〜!今更直すとか無理だべ!!」

「じゃあ私も()()呼びに戻そうかしら?」

「ぎゃ〜〜!!もうその話はやめてけれ〜!」

 

 

 勿論、戻す気なんかさらさら無い。

 もっとも、彼女はそもそも話を聞くつもりもなかったみたいだが、ちょっとしたカウンターを食らうと恥ずかしさを紛らわす為に、自分の額を猫のようにグリグリと私の腹に押し付けてくる。

 

 ハタから見れば仲睦まじく可愛らしい光景に見えるだろうが、実際はびくともしない腕でガッチリと固定された状態で鳩尾にボウリング玉を押し付けられている状態なのだから、かなり苦しい。

 そういう時は彼女の頭を覆うように被さると、満足して力を緩めて頭を離してくれる。

 

 

「も〜!なんだべマッシュちゃん!今日は甘えんぼだぁ!」

「グッ……!」

 

 

 ……というのが半々の確率で、今日はどうやらハズレを引いたみたいだ。

 脚は更にギリギリと締めつけられ、頭を押し付ける力も一層強くなる。

 このままでは本当に潰れてしまう。

 弱々しい声で彼女に静止を呼びかけると、素直な彼女は慌てて地面に降ろしてくれた。

 あくまで優しく、脆い花瓶を割らないようそっと置くみたいに……それで私はある事を思い出した。

 

 

「そういえば、いつも通りすぎて忘れかけてたけど去年は出産したのよね、改めておめでとう」

「えへへ〜」

「……まさかとは思うけど、何かの拍子に旦那さんにも同じ事して病院生活とか言わない?」

「そ、そんな事ないべ!もー!マッシュちゃんのイジワル〜!」

「ごめんごめん」

 

 

 今思えば、彼女は初めて会った時から可愛らしかった。

 同じターフを駆けるウマ娘として生を受けていたとしたら、間違いなく多くのファンがついていたことだろう。

 当時の私が投げ捨てた競技者(プロ)としての矜持、偶像(アイドル)としての愛嬌、そして小さい身体(ハンディキャップ)を覆す為に貫き通した信念───彼女はその全てを、引退まで背負い続けたのだ。

 私の靴が軽くなってから最初に見たレース、引退レースで初勝利を収めた当時の彼女を車椅子から見て、己の至らなさを痛感させられた。

 そして脚が治って走れるようになってから、私は……いや、今は昔話に耽っている場合ではない。

 

 

「そういうマッシュちゃんは?都会に住んでるから、良いヒトいっぱい居るべ?」

「あ〜、私はまだいいよ。潮時を見つけたら、その後に考えるかな……多分、そう遠くない日になるかもだけど」

「……そっか、まだ追いかけてるんだね」

 

 

 サンちゃんは無理矢理笑顔を見せてくれているが、気にかけてくれている表情が隠しきれていない。

 彼女は私を否定する事なく、心配しながらも背中を押し続けてくれる数少ない知り合いだ。

 そんな彼女の優しさに対して、私は嬉しく思う反面、少し申し訳なさも感じている。

 

 

『おーーい、サンちゃーーん!玄関に野菜置いとくから持って帰り〜!』

 

 

 奥の方から父方の祖母の声が飛んできた。

 彼女は大きな声で返事をしてすぐに向かおうとしたが、何か忘れていたのか、その場で足踏みしながら顔だけこちらを向けた。

 

 

「そうだ!今日来てた子達に貸してあげた服明日取りにくるから!したっけね!」

「あ〜……うん、バイバイ」

 

 

 貸してあげた、ね……。

 

 その言葉を聞いた私は、この後見る事になるであろう光景を二択まで絞り込めてしまった。

 きっと何人かはグロッキーになっている事だろう。

 

 そんな事を考えながらアダマスマッシュが二重になっている玄関を通ると、ダイワスカーレットが奥から小走りで、しかし静かに彼女を出迎え、すぐに耳打ちをした。

 ダイワスカーレットの顔はアダマスマッシュの思った通り困惑気味で、それを聞いた彼女もまた、その内容に顔を引き攣らせた。

 部屋まで案内されると、オグリちゃんとバクちゃんが何食わぬ顔で談笑していた。

 

 他の3人は?

 ダイワスカーレットに尋ねると、彼女は部屋の隅をそっと指差した。

 ゴールドシップは砂浜に打ち上げられたように倒れ、メジロマックイーンは死んだ魚のような目から涙を伝わせながら、自身の膝枕でスヤスヤと眠るライスシャワーの頭を撫でていた。

 

 

「ああ、やっぱり……」

 

 

 オグリキャップのケガについては私が帰る前に伝えていた為、おそらく彼女の代わりに顔見知りのゴールドシップが連れ出されたのだろう。

 

 

「あんなに美味しそうなメロンを目の前にしながら食べられないだなんて……聞いてませんわ」

「ゴムと金属じゃ規格が違ぇ……根性トレーニングでもあんなの引かねえよ」

 

 

 発言から推察するに、こうなった原因は祖父が農業体験という名目でハードトレーニングをやらせたからだろう。

 それなら普段この時間帯に会うはずのないサンちゃんと会った事にも合点がいく。

 私と同じならともかく、普通の子ども達にばんバ娘がする作業はハード過ぎる。

 

 頼みの綱である従兄弟夫妻が来るまで、まだ時間がある。

 

 アダマスマッシュは時計を確認すると、伸びたままのゴールドシップの体を軽く触り、部屋を出て、ゆるい半袖半パンの格好で戻ってきた。

 

 

「3人とも、軽くマッサージするわよ」

 

 

 アダマスマッシュはそう言いながらうつ伏せのゴールドシップの両脇を持って抱き上げると、腋の下に首を差し入れて、あっという間に肩の上に担ぎ上げた。

 

 

「バクちゃんとスカーレットはマックイーンとライスちゃん(そこのふたり)を向かいの部屋まで運んでちょうだい」

 

 

 淡々と指示を出すと彼女はさっさと部屋を出て行ってしまった。

 あまりの手際の良さにダイワスカーレットが目をぱちくりさせていると、サクラバクシンオーが目を擦るライスシャワーを介抱しながら、先に行きますよ、と声をかけた。

 続いてオグリキャップも、アルファベットを(かたど)ったビスケットを袋からガサガサとつまみながら部屋を出ていった。

 ハッと我にかえったダイワスカーレットがメジロマックイーンの方を見ると、彼女は何かブツブツと呟きながら膝上の虚空を撫でていた。

 

 

「マックイーン、行くわよ」

 

 

 ダイワスカーレットがメジロマックイーンの肩を揺するが、メロン、メロン……とお菓子を買ってもらえず、すっかり絶望しきった子どものような気の抜けた返事しか返ってこなかった。

 

 

「もう!しっかりしなさいよ!」

 

 

 ダイワスカーレットはメジロマックイーンを肩に担ぐと、彼女を支える肩と手にプニっとした感触を覚えながら向かいの部屋に移動する。

 また太ったわね。口には出さなかったが、ダイワスカーレットはそう思った。

 向かいの部屋ではアダマスマッシュがすでにマッサージを始めていた。

 

 

「ぅう゛〜〜、ん……ウ゛ッ!」

 

 

 アダマスマッシュが伸ばしたりする度に、大きなまな板の上に乗せられた魚の様に横たわっているゴールドシップから壊れたサイレンのような呻き声が漏れる。

 この部屋にはマッサージや整体の店に置いてある少し変わった寝台の他に、動画でしか見た事がなかった背中に吸いつかせるカップ、近くを通ると香ってきたアロマの香りからしても、まるでその筋の店のように思えてくる。

 

 まさか針なんかも置いているのだろうか。ダイワスカーレットはそんな事が気になってしまい、聞かずにはいられなくなった。

 

 

「ねえ、トレーナーってマッサージの資格とかも持ってるの?」

「従兄弟の奥さんに指導してもらって一応は持ってはいるんだけど……あの人達に比べると私なんて猿の真似事みたいなものよ」

「え?それじゃあこのカップとかって———」

 

『あら、マッシュちゃんが他所(ヨソ)のコを看るなんて珍しいわネ』

 

「!?」

「あ、育兄(いくにい)。ちょうど良いところに」

 

 

 ダイワスカーレットの背後、部屋の入口に突如現れた身長190cmのスキンヘッド。

 名は育雄(いくお)。仕事が楽しくなるようにキャラ付けしてしまったが故に、オネエ口調が抜け切らなくなってしまった悲しきゴリマッチョである。

 なお、二児の父であり、今は元スタイリストの経験を活かしながら、整体師として働いている。

 ただ性格は真っ当な男性である為、外見と第一印象(オネエ口調)の濃ゆいギャップにビックリして、ダイワスカーレット達は施術中の私を盾にして怯えていた。

 

 

「ちょうど良いところ〜って、その前にこのコ達どうしたのよ。急にアナタの背に隠れちゃって」

「そりゃあガチムチスキンヘッドの高身長オネエが背後に立ってたら誰でもビックリするに決まってる」

「じゃあ手始めにアナタがオネエ呼ばわりするのを止める所から始めようかしら???」

 

 

 まあそんな事は今更どうでもいいわ。

 アダマスマッシュがケタケタと笑っているのを見て育雄がため息をついていると、育雄の後ろからアダマスマッシュと同じくらいの女性がやって来て彼の肘をチョンチョンとつついた。

 そしてその瞬間、ダイワスカーレットの目には、先程まで笑っていたアダマスマッシュの口角がこころなしか少しピクっとしたように見えた。

 

 

「あら、子ども達は?」

ふたりともお義母さんのところで寝ちゃった

「そう、なら良かったわ」

 

 

 ヒトの耳だと注意して聞かないと聞こえないくらいの小声で喋る彼女は、育雄の妻のようだ。

 彼女が寝台に横たわるウマ娘を見て近づいてくると、アダマスマッシュはサッと道を開けた。

 よろしくお願いします、そう告げると、彼女は寝台でうつ伏せになっているゴールドシップのあちこちを触り始めた。

 

 

うん、後は先生におまかせあれっ…!

 

 

 触診が終わり、本格的にマッサージを始めるらしく、ダイワスカーレット達は部屋にゴルシとマックイーンを残したまま部屋から連れ出された。

 

 

「あの二人、残しておいてよかったの?」

「あの二人はちょっと酷いから先生に任せるだけよ。あ、ちなみにさっきの男の人が私の従兄弟の育雄って人で、もう1人の女の人がs 『ぎゃああああああああ!!!!』やらマッサージを教えてもらった(めぐみ)さんよ」

 

 

 先ほど出てきた部屋から飛び出してきたゴールドシップの断末魔に驚いたダイワスカーレットはすぐさま部屋の方を振り向いた。

 ライスシャワーも突然の大声に腰を抜かしてしまい、置いてきてしまったマックイーンがこの後どうなってしまうのか気が気でない様子だった。

 しかしトレーナーはともかく、オグリキャップとサクラバクシンオーは……いや、サクラバクシンオーは平静を保ったまま少し遠くを見つめている。

 

 

「わかった?」

「はわわわわわ……!」

「え?あ、ちょ、ちょっと待って!今の何!?」

「何って、マッサージに決まってるじゃない」

「流石メグちゃん先生、相手が誰であろうと容赦がありませんね……」

「二人とも、あの先生の腕は確かなんだか、その……皆にとってはとても痛いみたいなんだ」

「オグリ先輩、それは言われなくても今分かりました」

「オグリちゃんは体が柔らかいからそうでもなかっただけで、バクちゃんなんかはしっかり気絶してたわね」

「いやはや、お恥ずかしい限りです」

 

 

 それがその時の写真。と、2人がトレーナーのスマホを恐る恐る覗くと、そこには『バクシン』と叫ぼうとしたのか、それとも叫んだ後なのか、大きく口を開けたまま白目を剥いて気絶しているサクラバクシンオーの顔写真が映されていた。

 

 

「私は気持ち良かったんだが……」

「先生のマッサージは少しでも凝ってるとかなり効くから……ライスちゃんはきっと大変なことになるわね」

「ひえぇぇ」

 

 

 ここに居ても仕方がない。という事で、5人は広いリビングで休む事にした。

 

 それからメジロマックイーンの叫び声も含めて1時間が経った頃、施術が終わってリビングにやって来た育雄と恵の後ろには、しゃっきりと立って静かに微笑むゴールドシップと、げっそりとしたメジロマックイーンの姿があった。

 

 

「あら皆様、ご機嫌よう」

「……」

「お二人ともマッサージの反動が凄いですね!」

「マックイーンさん!大丈夫!?」

「ええ、なんとか……でもそうですね、想像はつかないと思いますが、私、今までに無いほど体が軽いんです。それはそれは羽のようにフワフワと浮いてるようで……ウッ!」

 

 

 施術酔いしたのか、マックイーンの顔色はかなり悪く、ライスシャワーが背中をさすっていたが、かえって吐き出しそうになっていた。

 しかし、あの程度で収まるとは、やはりメジロのご令嬢達は皆忍耐強いのだろうか。

 

 自身が初めて施術酔いした時の惨憺(さんさん)たる記憶が蘇り、口の中が少しだけ酸っぱくなった。

 2、3日もすれば治るだろうが、その間は本当に食欲が湧かなくなる。

 彼女にとって少し酷だが、耐え忍んでもらう他ない。

 

 

「ねえマッシュ、ゴルシ(あのコ)本当に大丈夫なの?(ウチ)のマッサージ受けてからあの調子なんだけど」

「うん、大丈夫じゃないけどアレで大丈夫」

 

 

 ソファに浅く座り、背筋をピンと伸ばして、キンキンに冷えた麦茶を両手で丁寧にグッと飲み干す姿は、まさに上品ながら豪快なお嬢様であり、彼女の絶不調具合が見て取れる。

 今回は勿論、私が見てきた中で過去最低である。

 

 

「トレーナーさん。この麦茶、大変冷たくて香ばしくて、美味しゅう御座いますわ」

「うん、そうだね」

「うふふ。皆さんの驚いたお顔、大変可愛らしいです」

「ねぇ本当に大丈夫?前やった時とかなり様子が違うけど」

「大丈夫。前回と同じなら1週間、いや2週間で戻る……たぶん」

「たぶん!?」

「皆様、よろしくお願い致しますわ」

「……本当に、調子狂うわね」

 

 

 この時のゴールドシップは素直すぎるが故、かえって扱いづらくなる。

 過去に実際、このゴルシお嬢様(絶不調)からいつもの調子に戻った際、それを見抜けず上手い事してやられた経験から、彼女にだけは素直な時ほど勘繰ってしまう節がある。

 

 

「まあ、担当してるアンタが言うなら信じるしかないわネ。さてと、ライスシャワーちゃんだったかしら?」

「ひぇっ。は、はい……」

 

 

 あの叫び声を聞いた後だ、次は自分の番、そう思ったライスシャワーは震えが止まらなかった。

 それと恵義姉(めぐねえ)さんは何で私の手首をガッチリと掴んでるんですか?

 

 

「私のはあんなドギツいモンじゃないわ。あんな風にはならないから安心してちょうだい。それと───マッシュ、アンタはそっちよ」

マッシュ(いもうと)ちゃんは私…!

 

 

 私の手をくっと握り込んだ彼女の親指は、手のツボに添えられていた。

 このツボはよ〜く知っている。私が少しでも抵抗しようものなら激痛が走る事だろう。

 

 

「……卑怯だ」

「こうでもしないとアンタは捕まえられないからね、観念しなさい」

今日は鍼も打つよ…!

「助けてライスちゃん!私鍼治療キライ!」

「あの、えっと……一緒に頑張ろうね、トレーナーさん!」

「ほら、ぐずってないで行くわよ」

「ぐうぅ……」

 

 

 笹針じゃないだけ感謝しよう。

 そう思いながら、アダマスマッシュは大嫌いな鍼治療を甘んじて受ける事となった。

 

 その後、彼女のうめき声は何度も廊下に漏れ出し、施術が終わったのは夕飯前、リビングに戻ってきたのは口下手ながらストレッチについて熱心に質問するライスシャワーとそれに答える育雄。

 そしてその後ろには、彼の妻がグッタリとしたアダマスマッシュの右脚を庇うよう支持搬送の姿でやって来た。

 






明けましておめでとうございます。
皆さん年末年始のガチャは如何でしたか?
私はゲームから【ダートを育てろ】と言わんばかりに年始ガチャからはイナリワン、確定ガチャからはコパノリッキーをお迎えしました。
次に控えてるチャンミは芝の短距離なんですが……?
まぁエンジョイ勢なので、新キャラが来て素直に嬉しかったですね。

それとtwitterのアカウントを作りました。
特別何かなければあまり呟かないと思いますので、通知用にお使いください。
@NiraTama_Set

最後にオグリキャップ、クリスマスはもう過ぎたし、君はあと何度私の前に現れるんだい?(星5まであと80)
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