輝けなかったウマ娘トレーナーは芽吹く新芽に何を思うか   作:にらたま定食

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門外不出

「じゃあ次の4人。制限時間は〜、うーん……10分!」

「10分!?無理に決まってんだろ!」

()()()追いかけっこだよ!」

「ただの、ですか……先程のを見せられた後ですと、また随分な皮肉に聞こえてきますわね」

「あ、今度も5分以内に捕まった子はマッシュちゃん特製の青汁と追加トレーニングが待ってるよ!」

「うぇ……追加トレーニングはいいとしてもあの妙にドロっとしたスムージーみたいなの飲まされるのは勘弁してほしいわ……」

「あれは困るな……苦すぎる」

「サンおねえちゃん、まだ〜?」

 

 

 芝が所々に茂った起伏のある雑木林の中で、チーム一行は子ども達と追いかけっこに興じていた。

 ルールは背中につけたタグを取るシンプルな物だが、その相手は【ばんバ娘】の子ども達。 

 子ども特有の無尽蔵な体力と、本格化したウマ娘に迫る体躯に見合わない筋力を持ち合わせており、彼女らが暴れた後を見た事がある人の中には子どもの形をした解体用鉄球なんて言う者もいる。

 私達が走力で勝るとしても、それは平地かつ直線での話であってここは木々が生い茂る森の中。

 先程行われた追いかけっこはサクラバクシンオーとライスシャワー、それとアダマスマッシュが15分間子ども達10人の相手をしたが、ライスシャワーは開始2分で子ども達に囲まれ、サクラバクシンオーはその脚質で善戦するも、開始4分で木に衝突してそのまま捕まえられた。

 結果として逃げ切れたのはアダマスマッシュのみだった。

 木を器用に蹴って切り返したり、時には手を使って兎のように跳ね回り、50m四方の狭い空間を逃げ続ける。

 子ども達も最後の3分間は本気になって明るい声を出さなくなり、次第に何かが駆け回る音のみが聞こえるようになった。

 それはもはや追いかけっこと言うより「狩り」と呼んだ方が合っているとすら思えるほど。

 それもそのはず、なんでも逃げる側の私達には子ども達のおやつがどれだけ豪華になるかタネプカムイから懸けられていたらしく、その倍率が飛び抜けて高いアダマスマッシュを逃してしまった事を子ども達はたいそう悔しがっていた。

 

 そんな子ども達の加減の無さに絶望しながらも始まった後半戦。

 最初に捕まったのは障害物を一切使わず、己が脚のみで逃げ切ると意気込んでいたメジロマックイーン。

 前後左右から来る子ども達は上手く捌いていたが、普段気にすることのない上から飛びかかってきた子に不意を突かれてタグを取られてしまった。

 次に捕まったのはダイワスカーレット。

 メジロマックイーン、ライスシャワーよりも瞬発力に長けている為か、かなり力任せではあるが囲いから抜け出したりジグザグに走ったりなどして逃げ回っていたが、惜しくも4分半で捕まってしまった。

 オグリキャップは得意の低姿勢ダッシュでピンチを切り抜け続けるも、5分を超えたあたりから子ども達の目も慣れてしまい、かわしざまにタグを取られてしまった。

 最後にゴールドシップ。

 普段からヒトの子どもと遊んでいる為か、それとも本人の非日常的な日常から得られた勘なのか、まるで子ども達がどこから来るのか分かっているように避け続けていた。

 しかしオグリキャップが捕まって相手が10人になった途端、ほどなくして捕まった。

 

 終わった後に子どもたちの口から「メロン」と言う単語がポロポロと溢れていた為、気になった私は先にゴルシらを子ども達と一緒に帰らせ、後片付けしている時にタネプちゃんにそれとなく確認してみた。

 

 

「姐さんが捕まったら?特秀品の夕張メロン()()()()()を予定していた」

「特っ!?しかもひとり1玉って……よくそんな物用意したわね、もし捕まってたらどうしてたの?」

「それは心配に及ばない。そもそもそんな物を用意していないし、姐さんが捕まるなんて事はないだろう」

「万一の話よ!」

 

 

 すると彼女は得意げに鼻で笑ってこう言った。

 

 

「その時は姐さん持ちだ」

 

 

 あまりにも躊躇いなく言うので、思わず乾いた笑いが出てしまった。

 

 それはともかく、何故私達がばんバ娘の子ども達と特訓───もとい戯れているのか。

 

 時は少し遡り、梅雨も明けきったカンカン照りの真夏の午前、その時は突然やって来た。

 

 

『全員縁側にしゅーごー!』

 

 

 実家に着いてから1週間が経ち、七月も後半にさしかかろうという日の穏やかなお昼過ぎ。

 チームのタイムラインに、ここ数日出かけてばかりだったトレーナーから呼び出しがかかった。

 ある者は日課のトレーニング後から、ある者は宿題の途中で、ある者は昼寝から……それぞれの休みを過ごしている最中だった為、一部を除いてやや不満気味だった。

 縁側に集まった者は皆、泥だらけ作業着を着たトレーナーの姿に驚いた。

 

 

「夏合宿、始めるわよ!」

 

 

 子ども達は彼女にそそのかされるまま、予め用意していた荷物とその身を車に詰め込まされた。

 鼻歌を歌うほど上機嫌な彼女に、何処に向かうのか聞けば「着くまでのお楽しみ」と流され、何をするのかと聞いても「トレーニング」と躱される。

 目ぼしい変化のない田舎の山中の道に、昼下がりの穏やかなラジオを聴きながら、アダマスマッシュは車を東に走らせる。

 途中で一度休憩を挟み、後部座席のメンバーは全員眠りについて助手席に座らされたメジロマックイーンまでもがうとうとし始めたところ、突然上下に大きく揺れて全員が飛び起きた。

 

 

 着いたわよ、とアダマスマッシュが、出発時とは違う鼻歌を歌いながら運転席から降りる。

 

 

 【とかちファーム BANEI】と手作り感満載の大きな看板に、都会ではほぼ見かけない大きな神社にある鳥居にそのまま扉をつけたような、分厚い木製の門。

 さらにその奥には、1階の廊下にこの3ナンバーの車が楽々とと入れそうなほどに高くて広い、2階建ての施設がドンと一行を出迎えた。

 備え付けられている物のほとんどが三割から五割増し。

 しかし人気はほとんど無く、遠くから放課後の小学校のような子ども達のはしゃぎ声が聞こえる不思議な静けさがあった。

 そんな静寂も束の間、ガララと奥の部屋からスラリと縦に長いばんバ娘が出てきた。

 自分の肩あたりにウエストポーチを携えた彼女は扉を閉めると、私の半歩前で立ち止まった。

 私は手を腰に当て、高層ビルを見上げるように上を向いた。

 

 

(あね)さん……やっと来た」

「久しぶり()()()ちゃん」

「ん、会えて嬉しい」

 

 

 彼女の名はタネプカムイ。

 身長は2.3mとばんえい競技者の中でもかなり高く、学園の三女神像と並んでも大差ないほどだ。

 口数のやや少ない彼女は後ろではしゃいでいるメンバー達を一瞥して、またこちらに視線を戻した。

 

 

「芦毛が3人……()()が言ってた姐さんの?」

「あら、もう聞いてたの?それなら話が早いわね」

「その事だけど、今から来客対応……案内は難しそう」

「ああ、思ったより静かなのはそういうことね」

「ん、子ども達は団体さんと一緒」

 

 

 タネプカムイはホテルで渡されそうなアクリル棒の着いた鍵をウエストポーチから取り出して、アダマスマッシュに渡した。

 

 

「寮母さんにも話はつけてる、何かあったら言うと良い」

「ありがとう、それじゃあ───(ガシッ)」

 

 

 くるりと背を向けて去ろうとすると、右肩を包むように掴まれた。

 まるで留め具でも取り付けたように動かなくなった肩をこのまま無理に動かせば、脱臼か骨折かの二択を取ることになるだろう。

 ゆえに、私はスッと左手をあげて抵抗の意思がないと暗に告げる。

 相手は私よりも遥かに高い筋力の持ち主。

 もしもあそこで引っ張られたりなどしたら、それこそ漫画のように腕ごともぎ取られることだろう。

 解放され、少しズレた肩をもとに戻す。

 

 

「無理は禁物。姐さんが言い始めたんだから、守ってよね?」

「……あらあら、年下に心配されるなんて。私も歳なのかしら」

「姐さんが暴れすぎなだけ。それに私と姐さんはひとつ違い」

「わ〜ってるわよ。まったく、みんなして老人扱いするんだから……それじゃあ今度こそ、また明日ね」

 

 

 こうして拠点を十勝に移した私達の初めての夏合宿が始まった。

 今日の追いかけっこまでは設備の清掃に始まり、強度を上げた日課のトレーニングに加えて、各々のフォーム修正をメインにして環境に慣れてもらっていたが、明日からは特訓らしい特訓に手を付けてもらう。

 元使う器具もはばんえい競技者を鍛える為の物だ。

 安全な手法で彼女達に扱わせるが、万一が無いともいえないからこちらも細心の注意を払う必要がある。

 

 

 ───本当に教えていい技術(モノ)なのか。

 

 

 寮の地下にあるサンドバッグを打ちながら、もう約束してしまった事について考える。

 疑問や懸念点がある度に右へ、左へとステップを変えながらジャブを打ち続ける。

 ようやく考えがまとまりそうになったその時、ゴングの音が背中にビリッと響いて、まとまりかけた思考と手足が止まってしまった。

 

 

「おいおい、そんなおっかない顔すんなよ」

 

 

 サンドバッグの向こう側から、軽装のゴールドシップが耳栓を抜きながら呆れ顔で現れた。

 何故彼女がここに居るのか疑問に思ったが、食べ物の匂いがする彼女がくっと顎を横に振る。

 壁にかけられた時計は既に8時過ぎを示していた。

 

 

「メシの時間、とっくに過ぎてんぜ。おばちゃんもさっさと上がって来いってよ」

「……あぁ、迷惑かけたわね」

「にしてもよぉ、トレーナーの()()すげえよな。アンタホントにアタシらと同じウマ娘か?」

 

 

 ()()というのは、皮膚から少し立ち昇る蒸気のことらしい。

 私自身は他者より体温が高いからとしか考えていないが、やはり真夏に肌から蒸気がのぼるというのは、昔と変わらず違和感を感じてしまうようだ。

 

 

「……触ってみる?」

「え゛、なんだよ急に」

 

 

 スッと腕を差し出すと、彼女は危険物でも避けるかのようにサッと身を引いた。

 北海道(こっち)に戻ってきて、ようやく元のように広くなってきた視界が、彼女の表情を鮮明に捉える。

 数秒の沈黙の後、吹き出すように笑ってしまったのは私の方だった。

 

 

「片付けたら上がるから、おばちゃんにはもう10分って伝えておいて」

「……おう」

 

 

 テキトーな返事をして出て行った彼女は扉の向こうで何やらブツブツ言っていたが、今回は聞かなかった事にしておこう。

 

 いいさ。

 一度ターフの上(あの世界)から退いた身だ、教え子達が己が道を走り切る為ならどこまでも堕ちてやろうじゃないか。

 

 

「……腹括るかぁ」

 

 

 子どもが水たまりで遊んだ後のような床をさっさと拭きあげて、何事もなかったかのように一人で食事を摂って食器を片付け、体を清めて眠りについた。

 

 

 

 翌朝、午前7時。

 

 

 

「トレーナーさん、来なくなってしまいましたわね」

「ここ最近、ふらっと居なくなるのよね」

 

 

 北海道(こちら)に移って約ひと月、学園では考えられなかった彼女の時間のルーズさにも少し慣れてきたメジロマックイーンとダイワスカーレットは、方言が強すぎてよく分からない地方のバラエティ番組と、それに意味不明なツッコミを出し続けるゴールドシップを眺めていた。

 夕張の実家に居た頃はなんとか慌てて戻って来ていた食事の時間だったが、ついに姿を現さなくなった彼女に二人は少し呆れていた。

 ため息をついていると、急に立ち上がったゴールドシップがどういうわけかテレビに背を向けてやけに真面目そうな顔をしてこちらを向いた。

 

 

「まあ気にすんなよスカーレット。アイツ、自分のトレーニングについてはお前よりヤバいからな」

「ちょっと、それだと私がおかしいみたいじゃない」

「スカーレットさん、残念ですがそれについては私も一理ありますわ」

「おっ?」

「なっ、マックイーンまで……」

 

 

 いきなり突っ込んだ話をされたダイワスカーレットは少しだけ耳を絞りそうになったが、正気なメジロマックイーンが珍しくゴールドシップの肩を持った事でそのままへなってしまった。

 

 

「以前貴女の『手帳』を拝見させていただきましたが、貴女のそれに書かれているトレーニングメニューはトレーナーさんにも相談された上で決められた。そうですね?」

「そうよ、ここまでやれば十分だってトレーナーも言ってくれたのよ?」

「同時に、同じくらい()()とも……言われませんでしたか?」

「な、なんで……」

「私がメイクデビューに出る2週間前の事をお話ししましょう」

 

 

 グラスを静かに置いたマックイーンは、顔色を一切変えずに数ヶ月前のことを淡々と話した。

 

 体重を増やしすぎてタイムが落ちたメジロマックイーンは食事の量を減らし、自主練の量と負荷を増やしてなんとか持ち直そうとしていた。

 しかし体重は減るどころか微増して、もはや1日1食にするしかないと考えたその日の夜に彼女はトレーナーから、その週の金曜日の放課後、チームハウスへ来るように呼び出された。

 

 きっと不甲斐ない私への叱責だ、そう思っていた彼女がチームハウスのドアを開けると、微かに漏れ出た甘い菓子の香りが彼女を包んだ。

 ふと飛びかけた理性をなんとか呼び戻し、鼻歌が聞こえるリビングへ続くドアをノックした。

 トレーナーが想定していたより少し早かったのか、そのまま入るように言われた。

 予想と違った優しい呼び声に少し戸惑ったが、きっと思い違いだ、そう自分に言いつけて、言われたままに部屋に入った。

 すると中に押し込められていた温かくて甘い香りが、定規で線を引くかのように彼女の鼻腔から脳へ道を作った。

 気がつくと自分はソファに腰を下ろしており、出てくる菓子を今か今かと待っていた。

 そうじゃないだろう、ギッと歯を食いしばって立ち上がろうとすると、少し汚れたエプロンでやってきたトレーナーが持ってきたのは、大粒のチョコチップが入ったカップケーキやクリームが全く収まりきっていないシュークリーム、赤と緑と丸い紫が艶々と輝くフルーツタルトなどが乗せられたケーキスタンドと、注がれたばかりで香りがまだ強く残るミルクティーだった。

 それらを置くと、彼女は何も言わずにエプロンを取って、一仕事終えたかのように対面のソファに体を預けた。

 何の意図があってこんな惨い事をするのか、ぐっと堪える私を見たトレーナーは「食べなさい」とだけ言った。

 ここで食べてしまってはもう取り返しがつかなくなってしまう。

 だから私は「それはできません」と返した。

 トレーナーは深くため息をついた。

「それじゃあ少し勉強をしよう、そのミルクティーの処遇についても君に任せる」

 内容は基礎代謝についてだった。

 15分ほどだったが分かりやすく、理解するには十分過ぎる程の内容だった。

 同時に、彼女の伝えたかったことも理解できた。

 

「ありがとうございますトレーナーさん、お陰で目が覚めました」

「そう、じゃあまた明日ね。片付けは後でやっとくから今日は帰って休みなさい」

 

 そう言ったトレーナーさんは最後まで、いつもの冷たく鋭い視線を向けること無く、こちらを労わる暖かな顔のままソファで眠りについた。

 

 

「そしてその翌日、夕方に返ってきた日誌に赤ペンで一言だけ書かれていたのですけれど、なんて書いてあったか想像できます?」

「……まさか、休める時は休めって?」

「ええ、その通りです。実際は私達に任せすぎていたと謝罪の言葉もありましたが、おおよそは貴女の手帳にも書かれていたものと同じです」

 

 

 ひと通り話し終えたマックイーンはグラスに残っていた麦茶をクッと飲み干して、席を立った。

 

 

「それでは、また後で会いましょう」

 

 

 マックイーンが出て行ったリビングはテレビ番組の音だけがぼんやりと響く、少し眩しくて空っぽの部屋へ戻った。

 ダイワスカーレットの内に生じた少しだけモヤっとした感情が、風に吹かれる埃のように心をくすぐった。

 

 

「……おいスカーレット。いいモン見せてやっから、後でアタシの部屋に来いよ」

 

 

 ゴールドシップもそれに続き、テレビを消して部屋から出て行くと、いよいよ居心地が悪くなってコップを流しに出したダイワスカーレットはすぐに自分の部屋に支度へ向かった。

 

 なお、その日からのトレーニングは今までの理路整然とした内容ではなく【根性】と呼ぶに相応しいほどにキツく、いつも以上にケアしっかりしているとはいえ、肉体的にも精神的にも追い込んでくるトレーナーに、生きてきた時代の違いを感じざるを得なかった。

 

 当時療養中だった為8月から特訓に参加したオグリキャップはこう語る。

 いつになく冷たいトレーナーは、私達が倒れる度に『立て』と服を引っ張りあげて強制的に起こし、罵倒しながら腰を押してまた走らせる。

 バクシンオーが倒れた数は、20を過ぎたあたりで数えるのを止めた。

 初めは極度の疲労で無理矢理流し込んでいた食事も、一週間経つ頃には体が流し込めるようになったが、そのせいで食事の時間は皆無言だった。

 マックイーンは食事を摂りながら涙を溢し、軽く足を捻ったスカーレットは無理しようとして余計に叱られていた。

 そして、いつも可愛がられているライスシャワーもこの時ばかりは皆と同じ扱いを受け、寝坊して集合時間に間に合わなかった日は人一倍追い回されながら泣いていた。

 ある時はトレーナーの言葉に怒ったゴールドシップが彼女を(はた)いた事もあった。

 疲れ切っていて彼女を止める事ができず、炸裂音に驚いて体が固まり、トレーナーの襟を掴み上げた所でようやく体が動いた。

 勿論トレーナーは本気で言っている訳ではない。

 それは殴られて驚くどころか、耳を絞ることなく、より険しくなった彼女の顔から見て取れた。きっとそうだ。

 そうでなければ、何度も川に流されそうになった私を助けてくれる事はないだろう。

 早く夜になれと1日に何度も願いながら、メンバー全員で1日1日を乗り切っていた。

 

 

 そして学園に帰るまで残り7日を迎えた朝、ここに来て変化があった。

 まずは朝食。

 特訓中は山のように盛られていたご飯やおかずが、いつもの量にまで減っている。

 ここまで来て何をやらされるのだろう、私達はそう思いながらゆっくりと朝食が始まった。

 

 

「今日は別の所に行くから、支度ができたら玄関に集合」

 

 

 ここのところ食事中はずっと黙りきりだったトレーナーはそう言い残すと、少ない朝食をさっと食べ終えて席を外した。

 残り7日、自分達は五体満足でトレセン学園に帰れるのか不安になり、食事に味を感じることがなくなってしまった。

 

 

「あーあ、ホント誰だよトレーナーの実家に行こうとか言ったヤツ」

 

 

 既に朝食を片付けていたゴールドシップが皆に聞こえるよう、天井を見つめながら吐き捨てるように言った。

 何気ない一言に、私達の手が止まる。

 合宿前のあの時、欲に眩んで彼女を強引に説得した私は何も言い返せずにいた。

 それはマックイーンとスカーレットも同じで、二人とも俯いていたまま少しずつ朝食を食べ進めていた。

 

 

「もういいだろ?これで分かったろ?アイツは異常なんだよ」

「そんな事、言われなくとも分かってるわよ」

 

 

 ゴールドシップの長い愚痴が始まるかと思った矢先、部屋から出ていった筈の声の主の登場に全員がぎょっとした。

 部屋の入口に居た彼女は腕を組み、目を閉じたまま顔を伏せている。

 気まずい雰囲気がメンバー達を翳らせて静かになったところで、顔を上げたアダマスマッシュは何食わぬ顔で大きな冷蔵庫を開けて飲み物を取り出している。

 

 ただ変わりなく。

 学園で見かける時と同じように、いつもと変わらない至って普通の無表情で、本日3杯目の牛乳をコップに注ぐ。

 そして何か思い出した彼女が「あ。」と呟くと、霧散していたメンバーの視線は再び彼女に向けられた。

 

 

「言い忘れてたけど、昨日で合宿は終わり。間違っても運動着で集まってこないでよね?」

 

 そう言うと、彼女はなみなみに注いだ牛乳を器用に口まで運んで一息に飲み干し、白みがかったグラスをまだ空きのある食洗機に入れた。

 そのまま退室しようとする彼女をダイワスカーレットが呼び止める。

 何も言わずに振り向いたトレーナーの目はさっきから少し閉じた半開きで、その赤い瞳からは学園の時と同じ冷めた印象を受ける。

 

 

「トレーナー!その……私達のことをどう思ってんの!?」

 

 

 この時、メンバー達は初めて日常の中でトレーナーの眼に光が入るところを目撃した。

 豆鉄砲を喰らった彼女の虹彩は、出てきたばかりの朝日を差し込まれてキュッと締まり、スカーレットとは違う横に広い瞳孔が彼女の瞳の異質さをより強調させる。

 

 

 思い返せば、何故か合宿が始まってから徐々に開き出した両目。

 最初は何処か変わったという雰囲気だけだったが、この目については本格的な合宿が始まる前夜にゴールドシップがとある写真を見せてくれた。

 前のトレーナーから貰った『学生時代のトレーナー』だと言っていた。

 

 傍若無人で腕っぷしが強く、それでいて頭も回る。

 『開けば開くほど荒っぽくなる』という事実は、この数週間で嫌というほど身をもって体感した。

 初めは普段からは考えられないくらいの振れ幅に萎縮してしまっていた。

 しかし、時間が経って罵詈雑言を飛ばすトレーナーを睨む度、その時々の自身の姿と怒りや焦りといった感情が鏡の様な瞳にクッキリと映っていた。

 

 特訓の最中は、その視線から1秒たりとも逃れられた感覚は無かった。

 別の子を指導している時も、前を走っている時も、その場にいなくとも見られている感覚だけが常に付き纏っていた。

 不思議なのは1日のルーティンが終わると同時にその気配が煙の様にかき消えていたこと。

 気味が悪くてオグリ先輩に相談すると「その視線を感じている内は全力を出し続けて大丈夫だ」と微笑まれた。

 その返答に不満があった私はバクシンオーさんにも同じ様に尋ねたが、彼女も同じ様に答えた。

 理由を尋ねると、チーム結成前のトレーナー、つまり『壊し屋』と呼ばれていたらしい時期の話をしてくれた。

 要約するとケガの兆候まで分かってしまうとの事だった。

 そんな凄いことが出来るのに何故学園でやらないのか、その理由はゴルシから聞いたものと同じだった。

 それに加えて「対面でしっかりと視線を交わした時にだけ本来の彼女と話ができる」と教えてくれた。

 

 

 だから、今声に出して聞いてみた。

 いつもの冷静沈着なトレーナーではなく、アダマスマッシュ(おなじウマ娘)として私達がどう見えているのか。

 一番身近で見守ってくれている、いつ次に会えるか分からない目の前のウマ娘に聞くのは今しか無いと思って声を出した。

 

 時間にして、たった10秒足らず。

 その沈黙の間に何度か瞬きを繰り返した目は、彼女がフッと笑うとここ数週間前までの思案を巡らせ続けていた暗い半目に戻ってしまった。

 

 

「現役の貴女たちから()()()()()に見えてるって事は、私もまだまだイケるって事でしょ?ならいいんじゃない?」

 

 

 それが私の取り柄だ、とトレーナーは付け加えてケタケタ笑う。

 その返答(かお)にダイワスカーレットはうなだれた。

 機を逃した。

 このモヤを抱えたまま、この人の手を握らなければならないのだろうか。

 そんなダイワスカーレットなんかお構いなしにトレーナーは話を続ける。

 

 確かにこの身体がいつまで保つか分からない。

 私自身もまだやり遂げたい事だってある。

 

 確証の無いふわふわした言葉が両肩に取り憑き、どんどん膨張して重くのしかかる。

 

 

「でもね?アンタたちにならって、この身を擦り潰す事にも価値があると思ってンのヨ」

 

 

 僅かに空気を揺らがせたその言葉が全員の耳に届いた直後、トレーナーは彼女の肩に腕をかけていた。

 悪寒が走ったダイワスカーレットが声のした方を向くと、真上から息のかかる距離で目を見開いたあのウマ娘(アダマスマッシュ)が彼女を見つめていた。

 

 

「だからさ、その時が来るまで全力を尽くして走り続ける事しか出来ないんだよ。貴女も、私も……な?」

 

 

 視線を交わしたほんの一瞬、メイクデビューで走った京都レース場がフラッシュバックした。

 でもあの時感じた1着で走り切った時の胸の高鳴りと爽やかな風とは全く別物の、肌がジリジリと焼け、ジットリとした気持ちの悪い熱風だった。

 このウマ娘と初めて顔を合わせた時に感じた『このトレーナーなら間違いはない』という直感。

 そしてゴルシの前のトレーナーさんが言っていた『アダマスマッシュ(このひと)が走り続ける』理由。

 トレーナーから見ればまだまだヒヨッコのはずの私たちに、一体何を見出したのか。

 瞬きをしないどころか、視線を1ミリたりとも動かさず、皮を被った彼女は顔だけ本性を見せながら与太話を続ける。

 

 視線を切ろうにも、金縛りに遭ったかのように動かない体を必死に動かそうとして話の内容のほとんどが頭に入ってこなかったが「チームハウスを借り上げたのはチームになる前のオグリと一緒に過ごしてから感じた事だ」とか言っていた気がする。

 徐々に耳鳴りもひどくなって、また泣き出しそうになってグッと目を瞑った瞬間、それらが一切消え去ってトレーナーの声だけが耳に入ってきた。

 

 

「それよりも、今日から1週間は全員投げ出さずにやり遂げた()()()なんだから、時間に遅れないよう気をつけなさい」

 

 

 ハッとして目を開けると、数秒前からは想像もできないくらいに温かみのある目で()()()()()が優しく微笑んでいた。

 それを見た私が何を口走ったかは知らないが、クスッと笑ったトレーナーが視界からふっと居なくなると、今度はゴルシ達が何か喚きながら現れて、目に映る景色は上へ下へと激しく揺さぶられた。

 




お久しぶりです。にらたま定食です。

いつもながら筆の進みが遅いですが、少しずつ書き続けています。
最近は地元と都内を行ったり来たりですが、もう少ししたら引っ越すので、以前より多少は時間を割けると思います。

完結までまだまだ先が長いですが、どうぞ末永く、よろしくお願いします。

おやすみなさい。
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