お嬢様は身勝手だ。 作:おぜう
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。
誰しもが聞いたことのある、間違った解釈のままに咀嚼されることが多いこの偉人の言葉には、実はちゃんと続きがある。
生まれながらにして平等である人は、学ぶことで差が広がっていくのだと。曰く、なればこそ学問とは──人の上に立つ力とは、実に顕要である。『学問のすゝめ』というこの著書のタイトルは、秒で回収されるのだ。
天は上下を造らない。天「は」。では、人はどうだろうか。
結論から言おう。
カミサマが平に
でもその群れの中には、どうしたって追いつけない建造物があるのも事実で。人が木材片手に土台を組んでいるところを、コンクリートと重機であっという間に絢爛豪華な建物を建立させるような人間も存在する。
そしてそれは大抵、一から始まったものじゃない。
血筋やら生まれた土地やらで、もうどうしたってひっくり返りようのない凸凹の土がそこには広がっているのだ。
ダラダラと前置きが長くなってしまったので、ここからは簡潔にいこう。
「空閑、遅い」
「いっっっっった!」
そんなどうしようもない関係。
俺──
このご主人様は、困り果てるくらいに身勝手なのだ。
▽
未だに赤い鼻をさする俺の傍らで、彼女は俺の持ってきたビニール袋をガサゴソと漁る。
四限終了直後、携帯に送られてきたメッセージにはこう書いてあった。
『パン、3つ。5分以内』
「んな『ハハ キトク スグカエレ』みたいな……」
一昔前の電報の定型文じみた理不尽極まりないその指示に、しかしいち侍従であるところの俺は従わざるを得ない。ダッシュで激戦区の購買に向かい、その足で更にそこから離れた特別棟の屋上へと全力疾走。
何とか間に合ったか──と扉を開けようとした瞬間、お嬢様が苦言を呈しながら扉をダイナミックに開き、俺の顔面に直撃したというのが事のあらましだ。
「五分以内って言ったでしょ? あなたも空閑の人間なら、もっとしっかりしてよね」
「いや、別にウチの家系パシリの一族じゃないし……。てか一分くらい誤差ですよ誤差」
「お腹減ってたんだからしょうがないじゃない。減らず口を叩く余裕があるなら、ちょっとでも早く来る努力をして頂戴」
「……了解」
「あ、焼きそばパンはもう飽きたから要らないわ」
「マジか」
あまりお気に召さなかったらしい。炭水化物に炭水化物を重ねたあのガッツリ感がいいのに。日頃から高級料理によって舌が肥えているであろう彼女には、何を買っていけばいいのか悩みどころだ。
袋の中身を選別し終えると、いそいそと弁当箱を取り出してはその小さな口でぱくぱくと咀嚼を始める。薄桃色の唇をむぐむぐと可愛らしく動かしている姿は、特別容姿が良いことを除けばどこにでもいる女子高生なのだろう。
ところが、主人と侍従なんて馬鹿げた関係が俺たちの間に横たわっていることからも分かるだろうが……普通じゃないのだ、彼女は。
一条家。古くからこの国の財政界に君臨する名家。
総資産は数千億、果てには兆の領域にまで上り、抱える企業の数は数十じゃ効かず。噂じゃ海外の王族との間にも太いパイプがあるのだとか。そんなコンビニに並んでいる雑誌のゴシップ記事にでも載っていそうな、眉唾物の如き実態を地で行くのが彼女の実家で。
そしてその権益を一身に継承する第一候補が、彼女──一条晶である。
「……」
床にハンカチを敷いて淑やかに座る彼女を、寝そべりながら横目で見る。
風に揺れる嫋やかな黒髪、長い睫毛に縁取られた水晶のように透き通った瞳、小さいけどスッと通る整った高い鼻梁。どれをとっても文句のつけようのない美少女で、この華奢な肩に国を背負うくらいの重圧が掛かっているとは、到底思えなかった。
「何よ、ジロジロ見て」
「や、別に」
「気味悪い視線を向けるのは止めて欲しいのだけど。……溝に浸かった鮒の死体みたいな目」
「……」
……のだが、これぐらい毒の効いた舌がよく回る性格であらせられる。
「……パンはあげないから」
「何も言ってませんけど……」
加えてこの意地汚さ。サッと反対側にビニール袋を隠す。これぐらいの性格でないと、きっと名家の後継なんてやっていられないのだろうなと無理矢理納得しておくことで、不平不満は抑え込む。
そんな諸々と共に、購買でパンと一緒に買ってきていたゼリー飲料を飲み込んだ。
「いつも思っていたのだけど。空閑、お昼それだけなの?」
「はい。色々楽なので」
手早く済ませられるので仕事に支障もない、便利な携帯食だ。
「そう」とだけ言うと、彼女は無言で弁当を片付けてパンに手を付け始めた。
よく食うよなぁと思う。曰く、家ではこういった類いのものを食べる機会がないから興味があったとのこと。彼女が自分で買う訳にもいかないから、俺を使っているのだ。
確かにそうだろうが、前はこんなに食べるヤツだったか。まぁ、俺が口を出すことでもない。そういうお目付役は別にいるだろうし、俺は俺の仕事を全うするだけだ。
ただの、主人に仕える侍従として。
「……ん」
「……?」
ふと、視界に差し出された焼きそばパン。
訝しみながら顔を上げると、そっぽを向いた彼女がぶっきらぼうに言った。
「飽きたモノだからあげるだけ。そんな粗末な食事で仕事に支障を来されても、困るのは私なのだし」
「仰る通りで。じゃ、ありがたく」
実際そうだ。無表情に言いながら押し付けてくるパンを受け取る。
開けた瞬間香ったソースに食欲をそそられて、そのままかぶりつく。そんな俺を、彼女はじっと無言のまま見ていた。
もしかしたら元々俺に渡すつもりで買わせていたのかも……?
なんて、妙な勘違いはしない。と言うかそもそも俺の金で買った訳だし、感謝することはないのではと思い至る。こんなことは口が裂けても言えないが。
「……パンはあげませんよ」
「は?」
「すみませんでした」
だからせめてもの反撃を、と戯けてみせた言葉は絶対零度の声音の前に撃沈した。普通に怖いんだが。
依然として時折視線を感じるが、もう気にしないことにしてパンを頬張る。
その視線の奥に何を潜めているのかは知らない。或いは何もないのかも。
いつも通りの身勝手なお嬢様に振り回される昼休みは、結局屋上の床に
▽
「空閑ー、どこ行ってたんだよ」
「あー、ごめん。ちょっと購買とか色々寄ってて」
午後の授業が始まるギリギリで教室に戻るも、始業直前の気怠くも一応引き締まった空気は何処へやら。緩い雰囲気が蔓延する室内の前方、黒板には『職員会議の為午後は自習にします』と数学教師の几帳面さを感じさせる字体で書かれていた。
「なんだ、自習ね」
「おぉ、だからUNOしようぜUNO」
「えぇ……ノリ修学旅行かよ。自習しろし」
「固いこと言うなって」
何がそんなに楽しいのかせこせことカードをシャッフルし配り始める。周りのヤツらも集まってきて、四人で一つの机を囲む。いやここ俺の机なんだが。
別に嫌なわけではないから参加することには参加する。
「ドベは罰ゲームな!」
そんな宣言に他のヤツらはマジかよなんて顔を歪めつつも楽しげだ。確かにその方が張合いがあるのは分かるので、受けて立つと頷いてやった。どんなえげつない罰ゲームにしてやろうかと思考を巡らせながら、雑談しつつ適当に手札を捌いていく。
今度出るゲームの新作や教師の愚痴、そんなトレンドを口々に廻していく中、また新たな話題が生まれた。
「あぁー、彼女欲しい……」
男子高校生永遠の課題である。
課題と言ってもこんなものちょちょっとこなすヤツもいることにはいるのだが、それがどうしたってできない人間がいるのも事実で。これに関して俺たち四人は一人も漏れず落ちこぼれという訳だった。
そもそも自習中にUNOなんかしている時点でお察しで、普通に劣等生な訳でもあるのだが。
「それな」
「まじでそれ」
脊髄で返していると思うくらいに素早く、しかし脳死な返答だった。恐ろしい程欲求に素直な級友たちに若干引きつつ、それと同時に少々の羨ましさも感じながら手札を見やった。切れるカードがなくて、山札を一枚手に取る。
「……」
「それすぎて草と言え!」
「え強制?」
黙って引いたカードをぼんやりと眺めていると、そんな喝を入れられて普通に驚いた。
「逆に空閑お前、欲しくないの?」
「や、どうだろ……。そりゃいたらいいなと思うこともあるけどさ、いたらいたらで色々あるじゃん?」
「いたこともない癖によく言うよなぁ」
「勝手にいたことないとか決めつけんなよ失礼なヤツめ。……ないけどさ」
「だろうな」
「お前後で殴る」
「やだ怖い……」なんて気色悪く体をくねらせる友人をやっぱり即効でぶん殴ってから、再びゲームに戻る。
何を知った風な口を利いてやがるなんて非難は甘んじて受けよう。でもきっと俺が言ったことは事実だ。
何事にもそういう色々が付き纏っていて、決して平坦な道なんてものは有り得ない。進もうとしたところで、どうしようもない壁があったり、溝が広がっていたり、手が届かなかったり。
多分、そんなことだらけだ。
なんて。ただの男子高校生の彼女欲しい談義にぶっ込むには、少々重い主張であることなんて承知だ。
「まぁでも、彼女欲しい気持ちは分かるよ。うん、凄くわかる」
だからここは適当に、「そうだな」なんて相槌を打ちまくっておけばいい。
「このダブスタめ」
「そうだな」
「それでこそ我等非リア四天王が一柱」
「そうだな」
「やっぱり彼女欲しいよなぁ。欲を言えば一条さんとか!」
「そうだな」
そうだろうか。いやこれの一つ前から割とそうだろうか案件ではあったけど。非リア四天王ってなんだよ。
それにしても……一条晶。この名前を学院内で聞かない日なんてないくらいには、彼女は性別を問わず大勢の生徒からの注目と羨望、それから圧倒的な好意の的だ。
品行方正、才色兼備。そんな言葉が手足を生やして歩いているような存在だ。生徒会なんかにも所属していて、誰にも分け隔てなく接する清く優しい心の持ち主。加えて国内でもトップクラスの金持ちが集うここ聖嶺学院でも肩を並べる者がいないほどの名家、一条家の娘。
どれだけ盛れば気が済むのかって思うくらいの完璧超人だ。表向きは。
(……本当はそんないいモンでもないけどな)
人のことをパシりに使うわ、見た目と違ってえらい食うわ、引くくらいに毒舌だわ。
それから──
『──気安いのよ。解らないようなら教えてあげるけれど』
『あなたと私は──』
(……)
「はい空閑、UNOって言ってないー!」
「──え。あっ!」
なんてことを考えていたが最後、このゲームにおける致命的なミスを犯す。そしてあれよあれよと追い抜かれ、最終局面。向かい合って二枚の山札から一枚を引くと、ハズレ。
「よっしゃー!」
「マジか……」
最下位になってしまった。
「よし、んじゃ約束通り罰ゲームな」
罰ゲーム有りで承諾したのは、張合いがあっていいなんてものよりもまず、自分がやることになるなんて考えていなかったからだ。
誰かが必ず被る役回りなのに、自分だけは違うと思ってしまう。人間とは愚かだ。
「くっそ。何が望みだお前ら」
「そうだな……。じゃあ──」
その愚かな人間とは正しく俺なので、この愚かさの咎は罰ゲームとして引き受けよう。
まぁ大したことは要求されない筈だ。精々飯代を奢れとか、そのくらいだろう。
しかしそんな希望的観測は、次の一言で木っ端微塵に打ち砕かれることとなった。
「空閑、お前一条さんに告白してこい!」
「……は?」
▽
「一条さん、好きです。俺と付き合ってください」
放課後。校舎裏。二人の男女。
この逢い引きが純なる想いの上成り立っているのなら、何と綺麗な光景だったに違いない。
ただここにそんなものは介在しない。ここに居るのは、主人と従者、それから何も知らない馬鹿でとんでもなく鬼畜な罰ゲームを発案する悪魔たち(in植え込み)だ。
一陣の風が吹く。彼女の見惚れる程綺麗な黒髪が揺られる。でも視線だけは射抜くように真っ直ぐだった。
風が止み、夕凪の中で緋色の光に照らされる顔は悔しいがえらく美麗で──
「えぇ。喜んで」
「…………………………は?」
にこり。花が綻ぶような笑顔と共に、彼女は確かにそう言った。
──人は愚かだ。
二分の一の確率なのに、その一方を引くことは無いだろうと確信してしまう。
──人は違いなく、どこまでも愚かだ。
上下左右に自他を設置して、凸凹で歪な世界に生きている。
だからせめて、この可笑しな世界で穏便に、できるだけ静かに暮らしたい。
そう思っていても。
どうやらお嬢様は、それを許してくれないようだった。