とある建物の屋上。彼は柵に手をつきながら無線機を取り出し、静かに語り掛ける。
「SHIELD、ヘリキャリア応答せよ」
PTTスイッチを離し、少し待つ。静かな時間が風と共に流れていく。応答は無い。首を振り、再び彼は無線に問い掛けた。
「……こちらはキャプテン・ロジャース。誰か聞こえないか?」
矢張りスピーカーは沈黙を保っている。彼――スティーヴ・ロジャースはやるせなく項垂れた。
誰も出なくて当然だろう。昨日、遥か上空を飛んでいた筈のSHIELD空中母艦ヘリキャリアが煙を吹いて山間に消えていくのを見たのだから。きっと壊滅的なダメージを受けて対応出来るだけの余裕が無いのだ。……最悪の場合は、全滅しているか。
彼は眼下を見下ろした。墜落した万能航空機クインジェットが煙を吹いて横たわっている。本来なら昨日の内に、救出に来たこの機体に乗って、街から脱出していた筈だった。だが今では……。火の手も無くなり落ち着いているが、飛び立つには大規模な修理が必要になるだろう。彼一人では無理だ。科学者や専門の技術者の力が要る。
燻る機体の周囲には……多くの人影がうろついている。その大半が、最早人とは言えない姿――四肢の内のどれかを失っていたり、臓物を腹からこぼれさせていたり――をしているが、それを意に介さず、呻き声を上げて、何かを求めてさ迷っている。
求めている何か……それは人の血肉だ。食らい付き、貪ろうとしている。奴らは正しく怪物どもと言える存在になっているのだ。
――昨日まで……
スティーヴは思った。
――世界にはまだ希望が残されていた。未来に向けて歩み出す為の指針となる光が。……だが今では、明日の事すら見えない真っ暗な闇に包まれているような気がする。先がどこに繋がっているのか分からない道を進んでいる気分だ。未来はどこにある?
スティーヴはベルトに着けたポーチに無線機を仕舞い、溜め息を吐いた。
どうしてこうなったのだろう。上手く行く筈の作戦だったのに。事実、彼自身の任務は上手く行っていたのだ。だが、ヘリキャリアとクインジェットが墜落して全てが変わった。自身だけならともかく、街から無事に『彼女達』を脱出させる手立てが残されていない。
彼は天を仰いだ。その脳裏に、数日前の記憶が甦ってくる……。
※
マンハッタン上空を飛ぶヘリキャリア、その内部にある作戦室。薄暗い部屋でニック・フューリー長官と対峙しながら、彼、スティーヴ・ロジャース――キャプテン・アメリカは居た。国旗を模した丸い盾を背負い、自由の翼の飾りを着けたマスクの内から、空中に浮かぶホログラムモニターを見やる。ここへは任務の依頼があって呼び出されたのだ。それも、極めて重要性の高い任務だと言う。
「始めてくれ」キャップは眼帯の友に促した。
「ひと月程前、裏でヒドラ党と繋がりを持ち、生物兵器の開発を目論んでいたとされていた企業ランダルコーポレーションが、研究所から失敗作を漏洩した。その結果、研究所のある地域一帯――日本の地方都市である巡ヶ丘市全域に活性化した死者(ゾンビ)とも呼べる連中が溢れ返り、住民の大半が死亡……街は壊滅状態になった」
フューリーがモニターを操作する。そこには漏洩当時に撮影されたであろう映像が映っている。偵察機や報道カメラの映す光景――それはさながらゾンビ映画の撮影風景のようだ。横転した車や家々、そして墜落したヘリやクインジェットのような航空機の残骸から火の手が上がっていて、まるで世界の終わりが演出されているようにも見える。だがスタッフはいない。いるのは生ける屍とその餌食になったものだけだ。
こんな事が起こっていたなんて。中東で兵器売買を画策していたAIMと戦い、阻止していた間に、世界の別の場所では新たな悲劇が生まれていた訳だ。キャップは気付けずにいた事を悔やむように拳を握り締めた。
「我々は日本政府からの要請で、生存者の救出と事態鎮圧の為、現地にアジア支部のヘリキャリアを一機派遣した。だが結果は……芳しくなかった」フューリーは首を振る。「生物兵器は映画のようにゾンビどもからの攻撃を受ける――つまり噛み付かれる事で、伝染病のように感染する。救出任務や鎮圧作戦に参加した人員の中に感染者が発生して混乱が生じ、対応出来ないままに失敗したと言う訳だ。今の所成功しているのは、感染拡大を防ぐ為の街の封鎖、それに情報収集用のゾンビどもの捕獲だけだ」
モニターが切り替わる。街へ繋がる道の各地にバリケードが設置されている。周りには処理しきれなかったであろう死体――無論、もう動いていない――が無数に倒れている。隣の映像は、ヘリキャリア内のラボらしき場所で死者の群れに対して何かの実験を行っている様子だ。血液を採取し、行動や反応を調べ、情報を記録している。それを眺めてからフューリーは続けて言った。
「SHIELD戦闘部隊のみならず、現地警察や自衛隊の被害は甚大で、現状では防衛線維持が限界……大規模な作戦までは行えないレベルにまで低下している。本部にも応援要請が来たが、生憎南米で活動を活発化させているヒドラどもや、米国内で確認されたスクラルの破壊工作部隊、それに世界各国に潜伏しているテロ組織の警戒にも戦力を割かねばならず、向かわせる余裕が無い。日本政府はそれを受けて、街を『熱消毒』しての事態解決も視野に入れていると言う」
フューリーがモニターを操作し、新たな映像が出る。
「だが先日、緊急事態が発生した。……見ろ」
妙に設備の整った建物が映っている。拡大すると、数人の子供――それも少女達が屋上で作業をしている様子が見える。特徴の似通った服を着ている辺り、制服だろうか。菜園のような場所に屈み込んで何かをしている。
「三日前、自衛隊の現地対応部隊が風船に括り付けられて流されてきた生存者からの手紙を回収した。この映像は、中に書かれていた座標に向けて飛ばしたウチの無人偵察機からのものだ。避難所の一つ、私立巡ヶ丘学院高等学校の屋上。見ての通り、生徒と思われる子供達の生存が確認されている。現地部隊はこれを受けて、現在各地に指定された避難所を中心に定期的に無人機を送り、市全域の捜索を行っている。……恐らくはこの子達だけじゃないだろうな」
「それが任務だな?」キャップは悟り、尋ねた。「救出作戦の指揮を執るのが」
「そうだ」フューリーは頷いた。「だがそれだけじゃない」
「他にもあるのか?」
「情報によれば、ランダルは研究所で、既に試験的な治療薬を完成させていたと言う。その回収も頼む。研究班もゾンビどもからの解析を急いではいるが……ソイツが無ければ、ここから先の感染拡大を防ぐ手立ては無いと考えていいだろう」
「救出と回収か。了解した」キャップは答えた。
「作戦には、現地SHIELDが編成した特別分隊がバックアップに当たる。ただし、市内部での活動はお前単独だ」フューリーは無線機を取り出し、手渡しながら言った。
単独? 普通に考えれば無茶な話だが、彼が無意味にそんな判断を下すとは思えない。それからすぐに気が付いて尋ねた。
「感染被害を減らす為か? 人数が増えれば危険性も増すと、そう考えているんだろう?」
「あぁ」フューリーは苦々しい顔で答える。「クインジェットが何機も墜落し、多くの隊員を失うと言う犠牲を払い、我々は学んだ。……直接接触する連中が増えると、必ず中から噛まれた事を黙ってるような奴が出てくる。その点、お前だけなら不必要な戦闘も回避しやすいだろう?」
確かにそうだ。キャップは納得した。敵性勢力との接触を最小限に抑えるのなら、人数は少ない方がいい。そう言った作戦に彼が動員されるのは多い。キャップは黙って頷いた。
「生存者と合流、或いは治療薬を回収し、着陸地点の安全を確保次第、無線機で上空に待機するヘリキャリアに連絡しろ。特別分隊がクインジェットで向かう」
「了解」
フューリーは画面を切り替えた。
「市内部への侵入についてだが、街を横断している国道を使ってもらう。西側の市境付近で自衛隊の部隊が前線基地を設置している。ここから目的地まで向かってくれ。但し、ゾンビどもには僅かな音にも反応して群がる習性が確認されており、そうでなくとも道路は故障した車両や瓦礫が放置されて荒れ放題だ。車両は使えない」
「つまり自分の足で行けと言う訳だな?」
「その方が身動きは取りやすい筈だ」皮肉るようにフューリーは笑う。「それに、お前が走れば車に追い付けるだろう?」
キャップはこんな状況で笑う気にはなれず、無言で流した。フューリーはふんと一つ短く息を吐いて続ける。
「最後に目的地の再確認だ。現在判明しているのは二つ――先程の学校と、治療薬があると目されるランダルの研究所。任務の優先順位としては治療薬の方が高いんだが……」フューリーは苦笑する。「お前ならまず、子供達の安全の確保と行くんだろう?」
「分かっているじゃないか、フューリー」キャップは真っ直ぐに視線を返しながら言った。「そうだ、まずは彼女達を保護してからだ。治療薬の捜索にはそれから当たらせてもらうよ」
「そこら辺の采配はお前に任せるよ、キャップ。だがどちらも必ず遂行してくれ」
「分かっている」キャップは頷き返した。「では、すぐに現地へ向かう」
※
早朝、巡ヶ丘市西部の防衛線。キャップは盾を背負い、最低限の物資を詰めたポーチをベルトに着けながら、バリケードの前に立っている。その向こう側、遠くのほうに街が見える。田舎の地方都市としては広い街だが、事前に設定したルート通りに順調に行けば、最初の目的地――巡ヶ丘高校には二日と掛からず到着出来るだろう。
「この作戦はあなたにかかってます」年老いた自衛隊員が彼のそばに寄ってきて、慣れた感のある英語で言った。短い時間だったが世話係として対応してくれた男だ。疲れた表情はここでの激しい戦いを生き延びてきた事を物語っている。
「頼みますよ、キャップ」年老いた隊員が敬礼する。生存者だけでなく、彼ら――最前線で戦い、堪えている者達の為にも、必ず成功させなければならない。
「期待に応えられるよう、全力で挑もう」キャップも敬礼で応え、それからバリケードを越えて、街へと続く道へ踏み出して行った。