飾り気のないレンガ積みの廊下で、ダーエは瞼の無い目を見開いて戦況を見下ろし眺めていた。
(……〈深淵喰い〉は長期熟成型。いずれは〈深淵の者〉を狩れる素体とは言え、学習前の素体では、上位ナンバー共の相手にはならないか。……いや、〈幻影〉のミリアと呼ばれる者の統率力が、十全に発揮されているのか)
「ダーエッ! 貴様、作業はどうした!?」
「これはこれは……」
そんなダーエの背に声をかけたのは、〈深淵喰い〉が暴れ出したときに本部内に逃げてきた幹部だった。
ダーエが行っていた蘇生実験開始の知らせは、既に幹部達の間で、若干の嫌悪感をもって共有されていた。
「……あぁ。報告を忘れておりましたが、既に蘇生して解き放っておりますよ」
「なに!? き、貴様……着いてこい! 長に報告する!」
「……やれやれ」
肩を怒らせて歩く幹部の後ろをダーエは着いて行った。
(どうせ、戦況的に開放するんだろうに)
ダーエの頭を占めていたのは、蘇生した戦士の完成度だった。
五体が揃って強さの順に3人。それが、ダーエが、蘇生した者達だった。
――〈流麗〉のヒステリア
ロクウエルの丘にて、討伐命令の下った当時の上位ナンバー達を一瞬で惨殺した戦士。現役の戦士達の間でも語り継がれるほど、有名なナンバー1だった。
――〈愛憎〉のロクサーヌ
かつてナンバー35からナンバー1まで、のし上がった戦士。ナンバー昇格の際に関わった戦士は、皆怪死していた。
――〈塵喰い〉のカサンドラ
復讐のために牙を剥き、畏怖から、当時の戦士達に百と少しに分割され討伐された戦士。絶命まで数時間掛かったとされている。
考え事をしている間に、リムトのいる間へ辿り着いた。
「で、弁明は」
「……。戦況を見れば蘇らせた者は、直ぐに投入したのでしょう? 早いか遅いかの違いしかありますまい」
「……」
ため息をついたリムトは、先を促した。
「強さの順に3人と言っていたな」
「はい。しかし、どうにも私は……強さのことばかり考えて、従順さに思考が及ばなかったようです」
「!?」
幹部達が集まる場で、ダーエは言い切った。
「き、貴様……」
「……もう今となっては、どうしようもない。その3人に命運を託すほかあるまい。……結果を見るのだろう? 行け」
場が騒然となったが、リムトは冷静に言葉を紡いだ。
「リムト様!?」
「ククク……。感謝します」
リムトに視線を向けたまま慇懃に感謝を述べた後、ダーエは退室した。
「……相変わらずだな。あやつに、本国のことやこの大陸の戦況等、はなから望むべくも無かったな」
「実験の成果しか頭に無い、というわけですな」
「アレはあれで優秀なのだがね……」
幹部達が口々にダーエの評をした。
「蘇生したナンバー1が覚醒しない事を祈る他無い」
薄暗い部屋で、リムトは最後にそう締め括った。
◆
〈深淵喰い〉は、未学習の個体とは言え、通常の覚醒者の実力を大きく上回っていた。
戦闘は熾烈を極めた。
〈深淵喰い〉が飛び出してきてから、既に数時間が経過している。
現役の戦士達は、ミリアの指揮に従って、上位ナンバーが下位ナンバーを守るように戦っていた。
「〈幻影〉のミリア! 一撃で倒せなくなってきているぞ!」
厳つい顔をしたナンバー5のレイチェルが、ミリアに注意を促した。
ミリアは次の獲物へ向かうレイチェルを横目に、今しがた頭部を破壊した〈深淵喰い〉を足蹴にした。
(戦況は悪い……か。徐々に学習してきているな)
「シャァアアアアア!」
「不味い! 下位ナンバーが狙われた!!」
多くの犠牲を払って戦士達の戦いを学習した〈深淵喰い〉は、前線にいる上位ナンバーを大きく飛び越え、サポートに回っていた下位ナンバー達を狙った。
その時、幾重もの刃のような触手が空中の〈深淵喰い〉達を細切れにした。以前にミリアと争った双子の戦士だった。
「お前達! 訓練生たちはどうした!?」
オードリーは安堵したが、双子の役目を思い出して叫んだ。
双子の戦士は、まだ幼い訓練生達の脱出を任されていたのだった。
双子が言うには、組織内に囚われた異様に強い男がおり、人間相手であれば彼一人で十分だと、任せてきたようだった。
「だからと言って……」
「今更仕方がない! 片付けるぞ!」
動揺するオードリーを遮って、ミリアは参戦許可を出した。
双子の戦士達が参戦し、戦況はミリア達に傾いた。〈深淵喰い〉は、少しずつだが数を減らした。直に全滅させることが出来るだろう。
混迷を極める戦場で、ミリアがそのことに気付いたのは、北でのオリヴィアとの修行があってのことだった。
無垢な殺気と言うべきものか、オリヴィアの攻撃には、殺意や害意というものが殆ど無い。どちらかと言えば、事務的に剣を振っているように感じるものだった。
手合わせした戦士は、お互いの感情を大剣を通して何とは無しに共有するものだ。しかし、オリヴィアの場合は、相対した戦士が同じステージで戦いをしていないと感じる事が多かった。
だからこそ北の戦いの際、激昂したイライザの拳でオリヴィアは伸されていた。
オリヴィアの〈千剣〉の回避。ミリアは北の修行の中で己を地獄に追い込んでいた。その経験が生きた。
ただの作業のように背後から迫る大剣に、ミリアは体を沈めるように〈幻影〉を使い、ギリギリで反応した。
「く!!」
「あら?」
驚くほど流麗な技だった。
攻撃に全てを振り切った〈幻影〉とも言うべきそれを、ミリアは転がり泥濡れになりながら回避した。
(なんだ!? 凄まじい速度で攻撃された?)
「あぁ……風が心地良いわ。なんだか久しぶりの感覚ね……」
ミリアに攻撃を仕掛けた女は、長い髪に三編みを施した房を幾つも垂らしており、戦士の格好をしていた。
「ねぇあなた。私の技、どうして避ける事が出来たの?」
女が呟き振り返った瞬間、現役戦士の集団で血飛沫が上がった。
「オードリー! レイチェル、ニーナ!?」
ミリアは起き上がり、血飛沫を上げて倒れる現役戦士の上位ナンバーの名を叫んだ。
現役戦士の中で立っているものは居なかった。皆、血溜まりに沈んでおり、立っているのはミリアだけになっていた。
――――――
―――――
―――
現役戦士達の血溜まりには、ミリアを含めて4人の戦士が立っていた。
ミリアを背後から斬ろうとした戦士だけでなく、異質な妖気をもつ戦士が他にも2人いた。
30人程いた戦士は、たったの3人に一瞬でほぼ全滅まで追い込まれた。
「くそ!」
(〈深淵喰い〉との戦いに集中しすぎたか……。この力量の戦士が3人。一体どこから……?)
ミリアは力を込めすぎて奥歯の鳴る音を聞いた。
「ねぇあなた。ロクウエルの丘って知ってる?」
「!」
憔悴するミリアの様子に構うことなく、長髪の女は話しかけた。
「何だか、頭の片隅にあって……思い出そうとしても思い出せないのよ。覚えているのは、あなた達を皆殺しにしないといけないことだけ……」
ミリアの脳裏にひらめきが駆け巡った。戦士達の間で語り継がれるロクウエルの丘での虐殺。
(まさか……! 〈流麗〉のヒステリア……。組織は死んだ戦士の蘇生をしたのか! ということは、他の2人も元ナンバー1か!?)
「……その顔は知ってるって顔ね?」
ミリアの顔を見たヒステリアは、獲物を見つけた猫の様な顔になった。
「教えて、ね?」
「な」
突然、加速したヒステリアがミリアの顔前に迫った。
ミリアは慌てて〈幻影〉で加速したが、あっさりと追いつかれた。
(馬鹿な!? 〈幻影〉でも振り切れないだと……!)
「ねぇってば」
鍔迫り合いあいに持ち込まれた。膂力もヒステリアの方が優っており、ミリアは劣勢を強いられた。
「く……」
(初撃を回避出来たことが大きい。あの時斬られていたら、既に終わっていた……!)
「あれ? あなたやっぱり、結構強い?」
ゾクリと、再びミリアの背筋に悪寒が走った。無軌道な〈千剣〉が背中に迫ったときの感覚だ。
「がアァッ!」
「!」
目を見開いたミリアは、口元が裂けるほど無理矢理な妖気開放をした。そして、〈新幻影〉に〈幻影〉を重ねるような、無茶苦茶な回避を行った。
その結果、ミリアをすり抜けるように
「また避けられちゃった。あなた何者?」
「はぁはぁ……」
ミリアは加重の負荷によって、一気に消耗を強いられた。
「……ロクウエルの丘で、わたし死んだはずなのよ。なんでここで、大剣を持っているのかしら?」
「……」
(歴代ナンバー1の中で、最も美しい技を持つ戦士……。原理は私の〈幻影〉と同じだ。瞬間的に妖気を開放し高速で移動する。だが、やつのそれは私のものより精度も力も上だ!)
ミリアの〈幻影〉は、瞬間的な高速移動で残像を残し、回避することに用いられる。一方、ヒステリアの流麗な技は、攻撃する時に用いられる。すると、ぶつかって来たヒステリアがすり抜けるように移動するのだった。
ミリアは勘で避けているに等しかった。ヒステリアの初動を眼で追えるのは、仲間の内で、オリヴィアくらいなものだろう。
余談だが、オリヴィアはその恵まれた能力を無駄に使って、修行中に乳揺れや尻の躍動を観測することが多かった。
「ねぇ、わたしの名前も知っているんでしょう?」
「はぁはぁ……」
(私の全力が、やつの息をするような攻撃と同じだ。オリヴィアとの修行が無ければ危うかった!)
ミリアは息を整えるように深く呼吸をした。
「はぁ……はぁ……」
(消耗度合いから言って、次は避けられない……!)
「ねぇ。……わたし、無視されるが嫌いなのよ!」
「く……そ!」
無言を貫くミリアに立腹したヒステリアが、三度迫った。
北での修行の最期。
オリヴィアは、遂にミリアの動きを捉えることができなくなった。大剣すら使わずに転がされる日も珍しくなくなりつつあった。
『
後に捕まったオリヴィアは、『
オリヴィアは、〈新幻影〉を使って高速で迫るミリアに、あろうことか隠し持っていた糞を空中にばら撒いた。う○こクラスター爆撃だ。
それは雪山にいる猛獣の糞で、マーキングの為に撒かれるものだ。それはもう凄まじく臭う物だった。
空中に撒かれた置き糞とも言えるそれを、ミリアは視えていながら避けることができなかった。〈新幻影〉で前に迫っていた為、自ら飛び込むように糞を浴びてしまった。
まるで足を覚醒させて自身の速度について行けなかったクレアの様だと、ミリアは後に苦笑した。
〈幻影〉を使って、前に出るリスクをミリアは身を持って知っていた。
刹那、ミリアは足元の硬い砂礫を大剣を使って、身に纏う様に大量に巻き上げた。
「!?」
高速でミリアに迫ったヒステリアは、意図を察して離れた。
「目潰しなんて……。邪剣も極まれりね。あなたマトモな戦士じゃないの?」
「生憎と組織の犬は辞めたものでな」
実は目潰しでは無く、多少のダメージ交換を狙っての事だったが、回復の時間を稼ぐ事が出来た。
目に見えないほどの速度で移動すれば、例え緩い糞であっても、打撲くらいはするという実体験から来た考えだった。
(全くの無駄ではなかったが、回避精度まで私の上を行くとはな……)
高速で移動するヒステリアは、〈幻影〉での回避すら速度で上回っていた。ミリアが唯一勝っているのは、致命的な攻撃を受ける際の戦闘勘だけだった。
タイトル思いつかなかった……