種ウマになりたくて   作:ウボ山

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 要塞のように広く伸びたスタンドが、ひしめく群衆に埋め尽くされていた。歓声と悲鳴と、蹄鉄がターフを蹴る音がうねるように混ざりあって、怒涛のように辺りに響き渡る。

 

(まるで戦争でもしているみたいだ)

 

 その遠なりを耳にして、青年はふとそう思った。

 

 

 東京都府中市。良く言えば緑に溢れた、オブラートに包めば都会ではない、言ってしまえば少し田舎寄りの小都市。そんな地域でも中央部、府中駅近くまで出ると都会らしい賑わいが感じられるようになる。

 

 今日その賑わいの中心となっているのは、東京レース場という施設だった。レース場と言うからには、当然レースを開催することを目的とした施設である。その本分たるレースの開催日ともあって訪れる人足は絶えず、そして本命のレースの出走を目前にし、そのエントロピーと熱量はいよいよピークを迎えつつあった。

 

 観客に賑わう観覧席、その裏手にあるパドックもまた異様とも思えるほどの熱気の最中にあった。詰めかけた人々の視線全てが、パドック上に設けられた小さなステージに注がれている。その熱気を異様だと感じるのは、自分がこの「レース場」という場所に馴染みがないからだろうか。そんなことを考えながら、青年もまたパドックを見下ろしていた。

 

 ステージ上では少女が客席に向けて手を振っている。体操着に身を包む少女と、それを囲うように並び立つ人垣という光景は、見ようによっては少し「危なげ」でもある。しかしステージを見下ろす青年の視線は、少女の身につけたブルマーと白い肌の境目などでなく、彼女の「耳」に向かっていた。

 

 少女の耳は彼女の頭上にあった。草食動物染みた耳が頭頂部からぴょこんと飛び出すように生えていて、無意識にか時折ぴくぴくと動く。青年にとってその様子はどこか愛らしくもあり、しかし少し不気味にも思えた。その人間では有り得ない形状の耳の生き生きとした動きが、彼女が「人間」ではないことを克明に示していたからだ。

 

 ウマ娘。馬の耳と尻尾、そして馬力を持って生まれた女性のことを、「ここ」ではそう呼ぶ。軽車両に匹敵する駿足を持つ、文字通りの超人。そんな存在が当たり前のように受け入れられているこの世界では、道路にはウマ娘専用レーンが設けられ、スーパーの陳列棚には人参が山積みにされているし、そして、こうした「レース場」が全国各地に存在している。

 

(しかし、耳には未だに慣れないな……)

 

 青年は被った帽子の上から自分の耳をさすって、その感触を確かめた。これは彼がこの世に生まれ落ちて以来の癖で、多分死ぬまで治ることはないだろうと思っている。

 

(獣耳なら猫耳が最大派閥だろうに、どうして馬耳なんてニッチなところを……)

 

 そんな下らないことを考えていた青年の背中に、ドンと衝撃が走る。彼が振り返るより先に、歳若い女の声の謝罪が聞こえた。

 

「す、すみません! よそ見していて……」

 

 振り返ると、一人の少女がそこにいた。まず何より目を引くのはその髪で、黒味がかった赤褐色に白いメッシュが映える。頭頂部には当たり前のように馬の耳が生えていて、慌ててくるくると辺りを探るように回っている。顔立ちは幼く青年と同世代のように見えたが、ことウマ娘に関してはその年齢を外見から推し量ることは難しい。だがあまり落ち着きの無さそうな様子を見ると、それほど歳は食ってなさそうだと思った。

 

「いえ、大丈夫ですよ」

 

 観察もそこそこに青年が言うと少女は申し訳なさそうにして、

 

「あの、たこ焼きのソースとかマヨネーズとかが背中にべっとりと……」

 

 そう言われて視線を落とすと、少女の手に満載されたたこ焼きやらフランクフルトやらが青年の目に入った。ウマ娘には健啖家が多いと言うが、よくもまあそこまで食うものだと思わず感心する。

 

「気にしなくてもいいですよ、どうせボロですし」

 

 事実、そうだった。かなり着古した服で、ある意味では少し愛着はあるが捨てても惜しくはない。しかしそれでも少女は気にした様子で、

 

「いえ、大分みっともないです! すみません、私が拭いますので、後ろ向いて貰えますか?」

 

 自分でやっておいてみっともないとは、随分な言い草だ。内心面白がりつつ、青年は「じゃあ、お願いします」と、少女に背中を向けた。

 

「今日は、レースを見に来たんですか?」

 

 青年は場繋ぎ的にそうきいてみた。レース場にいる人物に、レースを見に来たのか、とは何とも間抜けな質問だったが、しかし少女は意外にもそれを否定して言った。

 

「いえ、トレセン学園に向かう途中に立ち寄ったんです。話には聞いていましたが、こんなに大きな施設だとは思いませんでした」

 

 確かに自分も驚いた、と同調を示そうとしてすぐに、彼女が聞き捨てならないことを言ったことに青年は気がついた。

 

「トレセンって……あなたは学園生なんですか?」

 

 首だけで振り返って、青年はきいた。

 

「はい! 今日、転入してきたんです」

 

 それが嬉しくて仕方ないのだと言わんばかりに、少女は満面の笑みを浮かべて言った。

 

 トレセン学園とは、東京都府中市に所在する競走ウマ娘の養成機関である。正式名称は日本ウマ娘トレーニングセンター学園。その名に違わず全国のウマ娘トレーニング施設の中でも最大の規模を持ち、所属する生徒の実力もまた他の追随を許さず、「地方」と対比して「中央」と呼び称されることもある学校だ。そこに編入するということは、彼女が相当な実力者であるということを意味する。

 

 しかし、シャツに付いたマヨネーズと格闘する彼女からは、そんなオーラのようなものは感じ取れない。人は見かけによらないものだ、と青年が人知れず失礼な感想を抱いたのを他所に、少女は心底申し訳なさそうな声を出した。

 

「すみません、やっぱり完全には取れないですね……あの、私弁償しますから……」

 

「ああ、いいんですよ本当に。着古した服ですから」

 

「すみません……」

 

 そう謝罪する彼女の耳は、頭にはりつくようにぺたんと倒れてしまっている。外から見て感情がわかりやすいのはこの耳の便利なところではある。この少女が純朴すぎるだけかもしれないが。

 

「お名前は何て言うんですか?」

 

 漂い始めた気まずい雰囲気を払拭するように、青年はきいた。

 

「あの、そんなに畏まっていただなくても大丈夫ですよ? 同世代ですよね?」

 

 遠慮がちに少女は言う。それを聞いて青年は少し肩の力が抜けるような心地がした。

 

「ああ、うん……よかった。ちょっと息が詰まりそうだった。敬語とか丁寧語とかってあまり使い慣れなくて」

 

「私もです」

 

「そう言うそちらも、固くなくていいよ」

 

「あー、私はちょっと、あはは……」

 

 誤魔化すように笑って、少女は続けた。

 

「あの、私はスペシャルウィークといいます」

 

「スペシャルウィーク……」

 

 その語感を確かめるように、青年は小さく繰り返した。少々人間離れした名前だが、これはウマ娘の常だ。ウマ娘は名前を持って生まれてくる。どういう原理なのかは分かっていないが、別世界から名前を受け継いでいるのだと言われている、らしい。よく分からないが、それで納得することにしている。

 

「豪華で、強そうな名前だ」

 

「ありがとうございます!」

 

 女の子の名前に対して「強そう」というのは些か良くない表現かと思われたが、少女、スペシャルウィークは嬉しそうに笑った。その耳も心做しか元気を取り戻したように見える。

 

「あの、あなたのお名前は?」

 

「俺の名前?」

 

「はい」

 

「うーん……」

 

 青年は少し困ったような調子で言った。

 

「あー……俺の名前はーー」

 

 その時、突然群衆が一斉に沸いた。唐突な大声援に、青年は思わず言葉を止めて、パドックの方へと振り向いた。

 

 ステージの上には一人の少女が現れていた。流れるような栗色の髪をなびかせ歩みを進めるその姿は堂に入っていて、その歩行の滑らかさ、力強さからは、全身の体躯のしなやかさが窺い知れる。

 

「東京第11レース。続いてパドックに登場するのはこのウマ娘」

 

 アナウンスと共に少女が肩にかけていたジャージを放り投げると、観客の声援は一際大きくなった。

 

「サイレンススズカ! ファン投票1番人気です!」

 

「綺麗……」

 

 いつの間にか隣に来ていたスペシャルウィークがそう小さく呟くのが聞こえた。

 

(サイレンススズカ……)

 

 聞いたことのある名前だ、と青年は思った。ウマ娘は別世界から名前を受け継いで生まれてくる。そんな言葉をふと思い出す。それと同時に、彼が生まれてからずっと抱えてきた疑問が表層に浮かび上がってくる。

 

 自分はなぜこの世界に生まれてきたのだろう。

 

 そして、自分はなぜこの世界以外のことを知って生まれてきたのだろう。

 

 これまで何度も自身に問いかけては、考えるのを放棄してきた。そして今までの例に漏れず、青年は思考を停止する。そして停止した脳が吐き出したアウトプットは、あほみたいな言葉だった。

 

「なんか、速そうだな」

 

「実際速いよ」

 

 横からそんな男の声が聞こえてすぐ、青年の肩にどんと衝撃が走った。酔っ払いか何かに絡まれたかと振り向くと、そこに居たのはいい歳して棒付きキャンディーを口にくわえた男だった。左側頭部を刈り上げ、後ろでひとつ結びを作るという大分はしゃいだヘアスタイルに、無精髭という出で立ちが、その胡散臭い印象を確かなものにしていた。

 

 振り返った青年の怪訝な表情を見て男はニヤリと笑みを浮かべると、バンバンと青年の肩を叩いた。

 

「君、いい身体してんな」

 

「はぁ……どうも……」

 

 状況に理解が追いつかず、適当な返事しか出来ない。やがて男の手は何かを確かめるように、丹念に青年の肩を揉み始めた。

 

「えーと、お知り合いの方ですか?」

 

 青年の様子を見かねてか、スペシャルウィークがおずおずと訊ねた。青年はぶるぶると首を横に振る。青年に代わって、男は手を止めることなくスペシャルウィークに答えた。

 

「ま、一方的知り合いってとこだな。俺が彼を知ってるってだけ」

 

「それは知り『合い』とは言わんでしょう」

 

 青年は物言いをつけたが、

 

「まあまあ、そう硬いこと言うなよ」

 

 男はそう言ってしゃがみこむと、青年の脚に手をやった。

 

「うーむ……トモの作りも良いじゃないか」

 

 ここまで来て青年はようやく、自分がある種の危機に陥っていることに思い至った。

 

「触った感じは中長距離ランナーのそれに近いか……?」

 

 ぶつぶつと呟く男の手は青年のふくらはぎから太ももへと移り、ついに尻を撫でさすった。背筋に走る悪寒。思わず男を蹴り飛ばしそうになったその時、スペシャルウィークが青年の手を取り、彼女の方へと力強く引っ張った。

 

「ち、痴漢です!」

 

 青年を確保するとスペシャルウィークは男を指さし、よく通る声でそう叫んだ。パドックに向いていた周囲の視線が、一斉に男の方へと向かう。

 

「え? あ、違――」

 

 男が慌てた様子で何かを言おうとする前に、スペシャルウィークは青年の方を向いて言った。

 

「お母ちゃんの言ってた通りでした! 都会は痴漢が多いって……! 大丈夫でしたか?」

 

「ああ、うん、大丈夫……」

 

 事態に追いつけていない青年は生返事を返した。しかしそれでもスペシャルウィークは安心したように一つ息を吐くと、立ちすくむ男を睨みつけた。

 

「あんな人放っておいて、行きましょ!」

 

 青年の手を引いて、スペシャルウィークはずんずんと歩いていく。慌てて青年もそれについていった。

 

「ああっ! ちょっとーー」

 

 背後から男の呼び止める声を無視して、二人はスタンドの観覧席の方へと歩いていった。先導するスペシャルウィークの歩調は驚くほど速かった。それはウマ娘の性か、それとも怒りの表明なのか。スペシャルウィークの背中を見ながらそんなことを考えているうちに、広大なコースを一望できるところまで辿り着いていた。

 

 既に第10レースは終了したようで、掲示板に着順が煌々と輝いている。1着になっていたのは記憶が正しければ11番人気のウマだったはずだ。それに続いてクビ差で8番人気、2馬身開いて1番人気という形らしい。2桁人気のウマが勝つ確率は2%も無いというから、これはちょっとした波乱があったようである。

 

 前走の余韻も残りざわめく観客席を通り抜けて、コース目の前の柵までたどり着いてやっとスペシャルウィークは立ち止まり青年を振り返って言った。

 

「都会って怖いですね。公衆の面前であんなことする人がいるなんて……」

 

「ああ、助かったよ……本当に……」

 

 歩いているうちに落ち着いてきて先程の「痴漢」の正体にも検討がついてきていた青年ではあったが、スペシャルウィークの善意からの行動に礼を述べる。実際、心からの感謝でもある。スペシャルウィークは礼に「いえ、当然のことです」とだけ答えると、ひとつため息を挟んで、 

 

「私、こんな恐ろしいところでうまくやっていけるかなぁ……」

 

 そう不安げに呟いた。

 

「どこ出身なの?」

 

「北海道です。本当に田舎なんですよ。牧場と原っぱ以外なんにも無くて……」

 

 そもそもサラブレッドは殆ど北海道生まれなんじゃないかという考えが青年の頭をよぎったが、この世界では全国でウマ娘が出生するらしいことを思い出す。

 

「じゃあその丁寧語は、方言が出ないように?」

 

 青年がきくと、スペシャルウィークは小さく頷いた。

 

「普通に話してるつもりでもアクセントが違ったりして。それで、標準語で話すことを意識してるんです」

 

 スペシャルウィークは少し寂しそうに笑った。

 

「と言っても、私のは標準語とか丁寧語とかというより、ただテレビに出てる人の真似をしているだけなんですけどね。私にとって標準語って、テレビの向こうの言葉でしたから……変ですかね?」

 

「いいと思うよ」

 

 別に訛っていてもそれはそれでいいと思うが、本人が気にしているのなら外野があれこれ言うべきことではない、と青年は思う。

 

「あなたは……」

 

 そこまで言って、ふと気づいたようにスペシャルウィークは続けた。

 

「さっきは聞きそびれちゃいましたけど、お名前はなんと言うんですか?」

 

「ああ、名前ね……」

 

 ついにこの時が来てしまったか、と青年は空を見上げた。抜けるように青い空は青年の憂鬱を一切反映していない。憎たらしい。ため息を一つつき、腹を決めて青年はスペシャルウィークに向き直った。

 

「名前はまだ無い」

 

「え?」

 

 困惑した表情を浮かべるスペシャルウィークに、やはりこうなったか、と青年は苦笑と歯噛みの中間の表情になる。予想されていた反応ではあるが、青年はまだこの流れを一連の持ちネタへと昇華するには至っていなかった。

 

「『ナマエワマダナイ』って名前なんだ」

 

 青年はそう言って被っていたニット帽を脱いだ。男性としてはやや長めの黒々とした髪の中に、ぴょこんと飛び出した何か。よく見れば、それは馬の耳であった。

 

「これからよろしくな、学友として」

 

 彼は男のウマ娘だった。

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