種ウマになりたくて   作:ウボ山

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 ナマエワマダナイは土曜日が好きだった。本命だった。その対抗は当然日曜日となるのだが、土曜日は当日が休みであるのに加えて、次の日までもが休みだというのが素晴らしい。今生ではあまり休日というものに縁がない生活をしてきた彼であったが、土曜日を愛する気持ちは心に染み付いていたようだった。

 

 土曜日の朝。窓の向こうになびく洗濯物。なかなか高くならない太陽は、今日という日がまだまだ残っていることを象徴して、熱や光とともに夢と希望を地表に降り注がせていた。その残された時間の莫大さを漠然と感じながら、何をするでもなくベッドでごろごろとする。時間を無為にしているという自覚はある。だが、その時間を無駄に消費しているということが、どこか不思議と誇らしくさえあるのだ。

 

 ナマエワマダナイは土曜日が好きだった。

 

 好き、だった。

 

 トレセン学園は基本的に週五日制だ。ゆえに土日は休みであるのだが、しかしそれは授業が無いだけであって、土日に生徒が学校に来ないというわけではない。休日であっても、多くのウマ娘が練習のためにトレセン学園を訪れることとなる。ナマエワマダナイが所属を決めたチームスピカもまた、土曜日をも活動日としていたのであった。

 

 それだけならば良かった。ナマエワマダナイは自分が速くなるための努力は惜しまないつもりであったし、別に動くのが嫌いな性分でもない。事実その日、家を出る彼の足取りは決して重いものではなかった。しかしその日、ナマエワマダナイに課せられたトレーニングが、あまりにも常軌を逸していたのだ。

 

 まず12ラウンドのサンドバッグ打ちに始まり、それが上がったら何故か瓦割り。その後「熊狩り」と称して近所のちょっとした山へと向かい、山頂にある神社への石段を駆け登らさせられた。それも1本や2本ではない。もうこれ以上脚が動かない、というところまで走らされ続けた。

 

 どうかしている。スポーツものの連載は、2話目にはもう練習試合をしているのが望ましいとされる今日この頃、こんなのは流行らない、とかそういう問題じゃない。完全にオーバーワークだ。それを沖野に訴えると、彼は真剣な顔をして、

 

「自分の限界がどこなのか知っておかないと、本番で最後まで力を振り絞れないもんだよ」

 

 どうやらこの前のレースで最後の方で流したことを問題視されているようだった。そう言われてしまえばナマエワマダナイには言い返す言葉はなかった。この沖野という男は、それっぽいことを言うのが非常にうまいのだ。

 

「な、なんで……俺だけこんな……凄まじい練習をさせられてるんですか……」

 

 息も絶え絶えにナマエワマダナイが言うと、

 

「みんな通った道だよ。スペはデビュー目前で無理させるわけにはいかないから普通に練習させてる」

 

「流石に……この練習量は……」

 

「別に毎日こんなメニューをやれってわけじゃない。だがたまには自分を追い込まないとな」

 

「たまにって……どれくらいの……頻度なんですか……?」 

 

「ま、しばらくは週1だな。土曜日は終日練習できるわけだし、丁度いいだろ」

 

 それからナマエワマダナイが一番好きな曜日は日曜日になった。

 

 その理由は、当日が休みであるということに加えて、次の土曜日が最も遠いから、だというのは言うまでもない。

 

 

「名無しさんは日曜日何してました?」

 

 授業の合間の休み時間。「牛の視覚は赤色覚を欠くので、闘牛士の持つマントが赤いのには深い意味は無い」というトリビアを披露したのち、スペシャルウィークはいつも通り脈略無くナマエワマダナイに問いかけた。まさか、カレンダーの日曜日が赤いからではあるまい。ちなみに、ナマエワマダナイは牛と違って、カレンダーの日付が赤いのを見ると興奮する。

 

 この前の日曜日というと、それはふたりがトレセン学園に転入してから初めての「休日」であり、そういう意味では重要な日であったとも言える。

 

「本を読んでたかな……」

 

「へえ、なんて言う本ですか?」

 

「……電話帳」

 

「へ?」

 

「これがまた、読んでみると結構面白いんだよ」

 

 ナマエワマダナイは座っている椅子を少し浮かせて回転させると、スペシャルウィークの唖然とした顔と正面に向き合った。彼女はどう反応していいものか分かりかねているらしく、餌が投げ込まれるのを待つ鯉のように口をぱくぱくとさせている。

 

「読んでいてまず気付くのは、『あ』の項目がめちゃくちゃ多いってことだ。最初の方にあるほうが目立つから、『あ』から始まる会社名が多い。特に引越し業者にはその傾向が顕著で、有名どころでも3つは『あ』から始まる会社が思いつくな」

 

「そ、そうですね……」

 

「その極地として『アーア引越しセンター』ってのがあるんだ。なんか、作業中にやらかして『あーあ』って言ってるみたいじゃない? 笑えるよな」

 

「あ、あはは……」

 

「……言っとくけど、冗談だからね」

 

 ナマエワマダナイが言うと、スペシャルウィークはしばらくきょとんとして、しばらくして自分がからかわれたことに気がついたのか少し顔を赤らめた。

 

「私も話合わせるために電話帳買って来ないと、って本気で思ってたんですよ、もう!」

 

 スペシャルウィークが人の言葉を疑わなさ過ぎるのがいけないのか、それとも日曜日に電話帳を黙々と読んでいてもおかしくないと思われる、自分の日頃の行いが悪いのか。

 

 そんなことを考えながら、ナマエワマダナイは「ごめんごめん」と何の謝意も篭っていない謝罪を口にした。スペシャルウィークはひとしきり「もう!」と言って、

 

「まあ、冷静に考えればそうですよね。アーア引越しセンターなんて有り得ないですよね……」

 

「それは本当にあるらしいんだけど……」

 

「またまたー」

 

「……まあいいや。ともかく、日曜日は本を読んでたら終わってた」

 

 と言うよりも、前日にしごかれすぎたせいでそれ以外に何もやる気が起きなかった、というのが正確だった。家の外には1歩たりとも出なかったし、風呂が沸いたというアナウンスを聞いて思わず出た「おっ」というのがその日唯一発した言葉だった。悲しすぎる。ひとりでいるのも静かなのも嫌いではなかったが、それにしてもあまりに悲惨な日曜日と言えた。

 

「それで」

 

 スペシャルウィークの言葉に、ナマエワマダナイは静かな日曜日の残響から引き戻された。

 

「結局名無しさんは何を読んでたんですか?」

 

「会社四季報」

 

「それは、冗談ですね」

 

 どうやらしっかり学習してくれたらしい。ナマエワマダナイは何故か安堵しつつ、自分の鞄から1冊の本を取りだして、机にぽんと置いた。

 

「『吾輩は猫である』?」

 

 スペシャルウィークが本を手に取って、そのタイトルでもあり、書き出しでもある文を口に出して読み上げた。

 

「名前はまだ無い」

 

 続く句でもあり、自らの名前でもある文をナマエワマダナイが言った。スペシャルウィークが、不思議そうな顔をして彼を見つめていた。

 

「名無しさんの名前って、これが由来なんですか?」

 

「そういう訳じゃないけど……ただ縁は感じるだろう?」

 

 その本は先日、図書室に行った時に目に入って借りたものだった。へえ、とスペシャルウィークは本のページをぺらりとめくる。

 

「私、タイトルは知っていましたけど読んだことは無かったです」

 

「俺も、オチ以外知らなかったよ。最後その猫が――」

 

「まだ読んでないんだからやめてください」

 

 スペシャルウィークの物言いに、ナマエワマダナイは自らの迂闊さを素直に謝罪した。

 

「ああ……ごめんよ。てっきり、タイタニックが最後沈むくらいには有名なもんだと思ってた」

 

「え、タイタニックって沈んじゃうんですか?」

 

 心底驚いた、という様子でスペシャルウィークは言った。ナマエワマダナイはその彼女の様子にたいへん驚いた。

 

「……冗談だよね?」

 

「ええ、冗談です」

 

 スペシャルウィークはそう言ってにっこりと笑った。どうやら一杯食わされたらしい。しかしナマエワマダナイはとても愉快だった。スペシャルウィークもそうだったようで、ふたりは顔を見合わせてしばらくけらけらと笑った。

 

「……この猫は結局、名前をつけて貰えたんでしょうか」

 

 スペシャルウィークはページをめくって、ふと呟いた。それを聞いて彼女らしい感性だとナマエワマダナイは思った。

 

「名前は『まだ』無いって、今後付けてもらえるかもしれないって思ってるってことですよね?」

 

 ナマエワマダナイも、そうだった。と言っても、彼に名前が無い訳では無い。だが、いい名前が思い浮かばなくて先延ばしにする意味で言っただけの言葉が、名前になっているというのは妙な話だ。ここはひとつ、自分のちゃんとした名前というのを考えてみるのもいいかもしれない。

 

「スペシャルウィークなら、俺になんて名前をつける?」

 

「え、名無しさんに、ですか?」

 

 本のページから視線を上げて、スペシャルウィークが言った。

 

「ああ、別に俺にじゃなくていいや。例えば自分の子供に名前をつけるとして、どういう風に名前って考えるものなんだろう」

 

「こ、子供ですか……うーん……」

 

 スペシャルウィークはうんうんとしばらく唸って、

 

「こういう風に育って欲しい、とか……あとは単純に好きな物の名前を付けるんじゃないでしょうか。私は牛にそういう風に名前を付けてましたけど……」

 

「にんじん、とか?」

 

「ですね」

 

 冗談のつもりだったが、スペシャルウィークは真面目な顔をして頷いた。

 

 しかし、好きなものを名前にする、というのはいいアイデアかもしれない。ナマエワマダナイは考えた。自分の好きなものとは、なんだろう。

 

 考えているうちにチャイムが鳴って、教室の前の扉をがらがらと鳴らして数学の教師が入ってきた。そこで思考を打ち切って、ナマエワマダナイはめちゃくちゃにものが詰め込まれている鞄の中から、目的の数学の教科書を探すことに全ての意識を集中させることにした。

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