種ウマになりたくて   作:ウボ山

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「歓迎会?」

 

 盤上、ゴールドシップの角の利きを目でなぞりながら、ナマエワマダナイは言った。どうもこの角は放っておくと不味いらしい。ナマエワマダナイがその射線上に歩を打ち込んで遮ると、ゴールドシップは鷹揚に頷いた。その仕草がナマエワマダナイの言葉を肯定するものなのか、彼の打ち筋に感心を示したものなのかは分からなかった。

 

「おう。スピカは万年部員募集中だったからな。それがいきなり3人も新入部員が来れば、トレーナーの感動もひとしおってもんだろ」

 

「ふうん。なにか奢ってくれるのかな」

 

「アタシの時は回らない寿司だったぞ」

 

「え、マジ?」

 

「マジマジ」

 

 トレーナーというのはウマ娘を寿司屋に連れていけるほどに稼ぐ職業なのか、とナマエワマダナイが驚いていると、ゴールドシップはにやりと口元を歪ませて、

 

「ま、スーパーのパック寿司だったんだけどな」

 

 放課後、練習を終えたスピカのメンバーたちは部室であるプレハブ小屋にたむろしていた。スペシャルウィーク、サイレンススズカ、ウオッカ、ダイワスカーレットの4名がきゃいきゃいとガールズトークに勤しむ中、ゴールドシップとナマエワマダナイは部屋の隅っこの方に、どこから持ってきたのかも分からない、しっかりした脚付きの将棋盤を置いて将棋に興じていた。

 

 ナマエワマダナイの将棋への理解は、歩は前に進み、香車も前に進み、大体の駒は前に進める、という程度に留まっていたのであるが、ゴールドシップの教え方が意外にも上手かった。それに加えて手加減も上手で、練習がてら1局指してみるとこれが中々勝負になっている。

 

 ナマエワマダナイが飛車を敵陣の最奥まで突貫させ、手に入れた桂馬を次にどこに打つかを考えていると、盤上を動くゴールドシップの指が目に入った。彼女の手つきは洗練されていて、駒を打つ時にはぱちりと焚き木が爆ぜるような綺麗な音が鳴る。ふと思いついてナマエワマダナイは口を開いた。

 

「白魚のような指ってよく言うけどさ」

 

「よく言うか?」

 

「言わないけどさ」

 

 話の腰を折られてもなお挫けずにナマエワマダナイは続けた。

 

「白魚ってどんな魚なんだろう。字面からするとシラスみたいなのしか思い浮かばないんだけど。ていうか、指を魚にたとえられて嬉しいものなのかな」

 

 ゴールドシップは自分の手をじいと見て、

 

「まあ悪い気はしないんじゃないか?」

 

 それからいくつか手数が進んで、どうやら先程の場面は飛車を突っ込ませているような場合ではなかったらしいとナマエワマダナイが気付いたとき、部室の扉が少し開いて沖野が顔を出した。

 

「お、みんな揃ってるな!」

 

 そう言って肩で扉を押し開けた彼の両手には大きなビニール袋とクーラーボックスがぶら下がっている。彼がその荷物を机に下ろすと、何事かと部屋にいる全員が沖野の元へと集まった。

 

「今日は歓迎会をする。練習後で腹も空いてるだろうし、みんなで飯食うぞ!」

 

「おっ、寿司じゃん!」

 

 真っ先に袋の中を覗き見たウオッカが言った。言ったばかりかビニール袋の中に手を突っ込んでその中身を机の上に置いていく。次々とパックに詰められた寿司が出てきて、続いて人数分の割り箸と、最後にいささか過剰気味のわさびの小袋がぼろぼろと転がり出てきた。

 

「わあ、ありがとうございます!」

 

 机の上に広げられた食事にきらきらと目を輝かせてスペシャルウィークが言った。沖野は照れ臭そうにひらひらと手を振りながら答える。

 

「いいよいいよ。むしろごめんな、こんなのしか用意できなくて」

 

「いえ、とっても美味しそうです!」

 

「あの、これは何ですか?」

 

 傍らのクーラーボックスを指さして、サイレンススズカが訊いた。それを聞いて、沖野はにやりと笑う。

 

「よくぞ訊いてくれた! 皆の衆、刮目せよ!」

 

 沖野は勢いよくクーラーボックスを開くと、その中から何かを掴み出した。見るとそれは鮮やかな赤色の平たい魚だった。口を引き結んでいてどことなく不機嫌な顔をしているように見えるが、上機嫌そうに見えたらそれはそれで怖い。

 

「それ、真鯛か?」

 

 とゴールドシップ。

 

「そうだ! どうだ、この鮮やかな色は! 新鮮そうだろう? このアホ面なんか、まるで自分が死んだことにさえ気付いていないようじゃあないか!」

 

 褒めているのか貶しているのか、沖野が機嫌良さそうに言った。

 

「すごーい、ご馳走じゃない! どうしたの、これ? 釣ったの?」

 

 とはダイワスカーレット。

 

「4980円(税込)!」

 

 活き活きと沖野。生々しい値段である。それにしてもその値段を知ると、鯛のアホみたいな顔にも神々しさのようなものが感じられるような気がした。拝みたい気分になる。

 

「こりゃ、海老で鯛を釣るってやつだな」

 

 ゴールドシップはこちらを見てにやりと笑った。白魚はともかく、海老に喩えられても何も嬉しくはないということが分かった。しかし鯛が釣れたというところは大いに喜ぶべきだろう。

 

「すごいですけど、どうするんですかそれ。見たところうろこも付いたままみたいですけど」

 

 ナマエワマダナイが言うと、沖野は芝居がかった仕草で指を振りながら「ちっちっちっ」と舌を鳴らした。

 

「甘く見てもらっちゃ困るなあ。その辺に抜かりはない!」

 

 沖野は鯛を持って部屋の隅っこに向かうと、そこに設けられた小さな流し台の収納から包丁とまな板、そしてうろこ引きを取りだした。袖をまくり上げて念入りに手と器具を洗ったのち、うろこ引きで鯛をごりごりとやり出した。手慣れた様子でうろこを取ってしまうと、沖野は包丁を手に取り迷いなく鯛の身に刃を入れる。

 

「へえ、上手いもんだ」

 

 その手際を見てウオッカが感心した様子で言った。

 

「こう見えて、料理人を志したこともある」

 

 そう言う沖野の表情からはそれが本当なのか冗談なのかは判断がつかなかった。しかしこう見えてと彼は言うが、沖野という男は不思議と包丁を握っている姿がよく似合う。あっという間に頭と内臓が取り外され、沖野は続いて三枚おろしに取り掛かった。

 

「この調子だとすぐに出来上がりそうだな。さっさと打ち切っちまおう」

 

 ゴールドシップはそう言ってナマエワマダナイを将棋盤の前に座らせると、すぐに自らの飛車を切り捨てて陣形を崩しにきた。それからずっとゴールドシップの攻めの対応に追われ、王様を逃がしているうちに行き場が無くなってナマエワマダナイは負けた。その終局図を見てゴールドシップが、

 

「ま、見込みありだな。まだ醤油抜きの佃煮ってとこだがな」

 

 醤油抜きの佃煮は、ジャムだ。

 

 そんなことをしているうちに、流し台の方から歓声があがった。ひと仕事をやり切った表情の沖野がテーブルに皿を持ってきた。その上には立派な刺身が並んでいる。一緒に鯛の頭と尻尾も添えられていて、その顔もどこか満足気であるような気がした。

 

「おお! やるじゃん、トレーナー!」

 

「すごい、すごい!」

 

「あざやか、あざやか!」

 

 周囲からの賛辞の声に沖野も満更ではなさそうに、

 

「いやいや、どうも。ほら、お前ら食事の準備だ! さっさと手を洗え!」

 

 目の前に餌をぶら下げられると人は素直に動くもので、チームスピカの面々は迅速に手洗いを済ませた。言われてもいないのにダイワスカーレットは取り皿と割り箸、わさびと醤油の小袋をそれぞれの席に置いていき、ウオッカは机を拭いて、冷蔵庫から取りだした麦茶を紙コップに注いでいる。ゴールドシップに至っては寿司のパックの蓋を片っ端から開けていき、バランと食用菊を自分の皿に取り分けている。何のつもりなのかはよく分からない。

 

「よし、準備は出来たな。ではこれより、チームスピカの歓迎会を始める!」

 

「うおー!」

 

 凄まじい盛り上がりである。しかしどうも自分たち新入部員の歓迎と言うよりは、鯛の刺身が歓迎されているように見える。そう思いつつも「いえーい」とナマエワマダナイも声をあげた。

 

「サイレンススズカ、スペシャルウィーク、ナマエワマダナイ! チームスピカに入ってくれてありがとう! これで我がチームは磐石の布陣となった。これから連戦連勝の山を築いて、調子に乗ってるチームリギルの連中に一泡吹かせてやるぞ!」

 

「おーっ!」

 

「新たな出会いと、未来の勝利を祝して、乾杯っ!」

 

「かんぱーい!」

 

 揃って紙コップを掲げたあと麦茶に少し口をつけると、即座にみんなが鯛の刺身へと箸を伸ばした。乾杯を開戦の合図として、食卓の上は戦場となったのである。ナマエワマダナイは四方八方から飛んでくる箸の雨を掻い潜り、何とか一切れを自分の皿に確保した。

 

 その一切れは向こうが見えるかと思われるくらい透き通って見えて……とか言っている場合ではない。醤油とわさびを小皿に入れて(わさびを醤油に溶かすな、などとは尚更言っている場合ではない)、そこに刺身を軽く浸して口に運ぶ。

 

 厚めに切られた身は弾力があり、それを噛み締める度に鯛特有の旨みが口の中に広がった。すぐに飲み込んでしまうのがもったいない。みんなそう思ったのか、第二陣の箸はすぐには伸びなかった。

 

 会は戦場から一転して通夜の様相となった。皆しみじみと鯛の刺身を噛み締めている。まるで鯛の死を悼んでいるかのようである。本当に美味いものを食った時には、言葉など出ないものだ。出るのはため息である。

 

「おいしい……」

 

「うめえ……うめえよ……」

 

 あとはぽつぽつとそのような言葉がどこからか漏れるのみだ。

 

 やがて鯛の刺身が無くなってしまうと、打って変わって会は盛り上がり始め、限られた資源の奪い合いが始まった。1番人気のサーモン、次いでマグロ、ハマチと、人気どころは瞬く間に無くなっていき、10分もすればパックはガリを残して空っぽになった。ナマエワマダナイは、サーモンは食べられなかったがハマチには十分ありつけたので満足していた。

 

「ご馳走様でした」

 

 みんな沖野ではなく、鯛の頭に手を合わせて言った。当の沖野は気にする様子もなく自分の皿のガリをぱくぱくと食べながら、

 

「喜んでもらえて、俺も財布を空にした甲斐があったよ」

 

「それ、大丈夫なんですか?」

 

 思わずナマエワマダナイがきくと、

 

「しばらくは、水と塩だけで凌がなきゃならないな……」

 

 多分、冗談だ。というか、冗談であって欲しい。ナマエワマダナイが思うのを他所に、沖野は勢いよく立ち上がって言った。

 

「しかし! 俺の財布とそこの鯛くんは犠牲となったが、その代わり我らがチームの結束はなお一層深まった! これからみんな一丸となり、切磋琢磨し、ともに高め合おうではないか!」

 

「おーっ!」

 

 みな揃って拳を天に向かって突き上げる。

 

「よし、片付けだ! 総員手分けしてゴミの始末をするように」

 

「はーい」

 

 人というものは餌を与えられたあともしばらくは素直に言うことを聞くもので、手洗いの時ほどではないものの速やかに片付けは進んだ。しばらくしてナマエワマダナイがゴミ袋の口をふん縛って、全ての行程は終了した。

 

「じゃ、家に帰るまでが歓迎会だ。みんな気をつけて帰るように。解散!」

 

「お疲れ様でしたー」

 

 まだ仕事が残っているのか校舎の方へと向かっていった沖野を見送って、スピカのメンバーたちは肩を並べて帰路に着いた。やがて校門まで来ると、ナマエワマダナイはその集団から外れる。

 

「じゃあ俺、こっちだから」

 

「え? 寮はこっちですよ?」

 

 と不思議そうにダイワスカーレットが言った。

 

「名無しさんはマンションに住んでるんですよ、ね?」

 

 代わりにスペシャルウィークが説明してくれたので頷く。

 

「ってことは、一人暮らしってことですか? かっけー!」

 

 と言って、ウオッカが尊敬の念のこもった目で見つめてくる。ダイワスカーレットの目にも羨望の色が浮かんだように見えた。ゴールドシップの目は……獲物を見つけた捕食者のような表情に思えた。まずい人物にまずい情報を与えてしまったかもしれない。

 

「じゃあ、お疲れ」

 

「お疲れ様でーす」

 

 早々に会話を切り上げて、さっさと帰ることにした。別れたあともナマエワマダナイがしばしば後ろを振り返ったのは、別れを惜しんでのことであって、決してゴールドシップがつけてこないかを気にしてのことではない。きっとない。

 

 それにしても、歓迎会は楽しかった。大勢で食卓を囲んで食事をするというのが、あんなにも楽しいものだったとは、長らく忘れていた。またああいう風に食事をしたいと、ナマエワマダナイは素直に思えた。しかしそのためには会を開く名目を作らならねばなるまい。

 

(差し当たっての目標は、祝勝会だな)

 

 足取りも軽く、ナマエワマダナイはそんなことを考えていた。

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