種ウマになりたくて   作:ウボ山

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 馬のしっぽに骨があるというのは、犬や猫の生殖器に骨があるということに比べるといささかインパクトに欠けるトリビアであるのだが、幼い頃の彼はその豆知識を強烈な実体験をもってして身につけた。

 

 背筋を突き抜けるような激痛。そして手に持ったハサミから伝わる硬い感触。未だに消えない傷ともに深く刻み込まれたその雑学は、生涯彼の記憶から消え失せることは無いだろう。

 

 しかし彼が未だに耳やしっぽに覚えている違和感は、その古傷によるものだけではない。その違和感もまた、生涯消えることは無いのだろうか。青年はしばしば自分の耳を撫でて、そんなことを考える。

 

 

 彼は男のウマ娘としてこの世に生を受けた。トゲナシトゲトゲ、みたいな撞着した言い様であるが、それも仕方のないことで、ウマ娘のオスが生まれることは非常に稀で、棘のないトゲハムシよりもよっぽど珍しい。三毛猫のオスほども全くいない。それどころか、これまで男性のウマ娘が生まれた例は皆無だった。

 

 世間は彼の誕生を大いに騒ぎ立てた。新聞は紙面の多くをその話題に割き、ニュース番組はどのチャンネルも同じ話題を報じていた。矢の刺さったカモや、川に迷い込んだアザラシや、立つレッサーパンダもかくやといった騒ぎようだった。それらの騒ぎが総じてそうだったように、彼の誕生もいつしか時流の波に埋もれていったのであるが。

 

 しかし当時の報道の過熱は凄まじく、安全の確保のためとその学術的価値ゆえに――後者の方が要素としては大きかったかもしれない――彼は生まれてすぐに専門の研究施設へと引き渡され、そこで暮らすこととなったのだった。

 

 大人しい子供だった。赤ん坊の頃から癇癪を起こして泣いたりすることはなく、加えて学力が高かったのもあって周囲の人間はよくできた子供だと感心した。年端も行かぬ子供にとって、両親がそばにいないというのは大きなストレスになるはずであったが、実は彼はその点に関しては何ら不都合を感じていなかった。

 

 それらはひとえに、彼の持つもうひとつの、男性として生まれてきたということ以上に異常な、ある秘密によるものだったのだが、彼は今までそれを隠しおおせている。

 

 彼は生まれつき、ある程度成熟した人格を持っていた。

 

 正確に言えば、彼は別の人生の記憶を持って生まれてきたのだった。

 

 名前、住所、電話番号、好きな食べ物、果ては初恋の人の名前まで、彼は前の人生の――少なくとも彼はそう考えている――記憶を生々しく思い出すことが出来る。そして彼自身、その記憶こそが自分の人格を形成しているものだと自覚しており、彼は前生と今生において連続した感覚を持っていた。

 

 身も蓋もなく言えば、彼は転生者だった。

 

 と言っても単なる生まれ変わりではない。前の人生の記憶に付随して、彼はウマ目ウマ科に分類される、四足歩行で、足が速い生き物の知識を持っている。しかしそんな生き物は今生には存在しない。この世界では馬はUMA(未確認動物)なのだ。

 

 そして彼はその存在しない生き物の知識を有している代わりに、ホモ・サピエンスと並びこの世界の支配的階層に位置し、ヒト科ヒト族に属する、二足歩行で、足が速い生き物についての知識を欠いていた。

 

 彼が生まれたのは、前生きたのとは異なる世界だったのである。

 

 異なる世界に生まれ落ち、そして自身が知らない生物として生まれたという事実は彼を大いに狼狽させた。結果としてそれが様々な事件を引き起こしたわけだが、何だかんだで最終的に彼はそれを受け入れて生きることにした。

 

 そうして2年ほどを施設で過ごしたのち、彼は施設の職員にこう問いかけられたのである。

 

「あなたの名前は何?」

 

 彼は動揺した。生まれてからそう時を置かずに両親から引き離され、誰にも名前を呼ばれた覚えなどない。付けられていたとしても、自分はそれを知らない。彼がたどたどしくもその旨を話すと、職員はウマ娘の名前事情について彼に告げた。曰く、ウマ娘は名前を持って生まれてくる。あなたも自分の名前を知っているはずだ、と。

 

 確かに彼は前の人生の名前を持っていた。しかし、それをそのまま言うのは憚られた。ウマ娘の名前が、人間に付けられるそれの傾向とは大きく離れていることを知っていたからだ。

 

 ともなれば自分で名前を考えなければいけないのだが、かと言ってすぐに相応しい名前が浮かぶ訳でもない。

 

 ゆえに、彼は回答を先延ばしにするという意思をもってこう答えた。

 

「名前はまだ無い」

 

 それから、彼の名前は「ナマエワマダナイ」になった。

 

 

 レース観戦を終え、スペシャルウィークとナマエワマダナイはトレセン学園へと向かう途次にいた。レース後にはウィニングライブという催し物があるようだったが、それを見るとスペシャルウィークの門限を大きく破ることになってしまう。競馬とライブという未知なる組み合わせに若干後ろ髪を引かれたが、ナマエワマダナイも彼女に付き合って帰ることにした。

 

 その途上、ナマエワマダナイはスペシャルウィークに自分の身の上について語っていた。無論、自分に前世の記憶があるという事実は話の筋から除いて、である。そうすると、不思議なことに彼の半生は凄まじい悲劇のように他人には聞こえるものになってしまうのだが、彼はそこに思い至らずへらへらと自分の事情を語り、対するスペシャルウィークは神妙な顔をしてそれを聞いていた。やがて彼の語りはその時間軸を現在に限りなく近付け、いよいよ終わりを迎えた。

 

「まあそんなわけで……トキとかコウノトリとかみたいな扱いだったよ」

 

「それで両親から引き離されて……」

 

 悲痛そうな表情を浮かべるスペシャルウィークに、ナマエワマダナイは対照的に明るい表情で言った。

 

「引き離されるって言っても、住む場所が離れたってだけだから。面会だって定期的にあったし……同世代の子供と遊んだりする機会は一度もなかったけど、別段寂しいとかとは思わなかった」

 

 そう彼が言うのを聞いてもやはりスペシャルウィークは悲しそうな表情を変えることはなかった。ああ、この少女はとても人がいいのだ、とナマエワマダナイは思った。人の悲しみに共感し、一緒に悲しむことの出来る娘なのだろう。

 

「あの、本当に大丈夫なんだよ。施設の人もみんな良くしてくれたし……俺は本当に周りの人に恵まれたよ」

 

 そんな顔をさせておくのも忍びないと、彼は慌ててフォローをしたが、それでも彼女の表情は晴れなかった。気まずい沈黙が二人の間を流れる。トラックが横を通り過ぎていく音が、やけにうるさく聞こえた。しばらくして、意を決したようにスペシャルウィークが口を開く。

 

「なんて言ったらいいか分からないんですけど……私も少し似た境遇なんです」

 

 慎重に言葉を選ぶように、スペシャルウィークは訥々と語った。

 

「私が小さい時にお母ちゃんが……お母さんが死んじゃって、それで、人間のお母さんに私は育ててもらったんです」

 

 ナマエワマダナイは黙ってその話を聞いていた。スペシャルウィークは目線を地面に落としつつ続けた。

 

「二人目のお母ちゃん、お母さんはとってもいい人で、私はとても良くしてもらいました。それこそ、本当の家族みたいに……」

 

「家族、か……」

 

 ふと、彼は自分の家族に想いを馳せた。両親は善人で、ナマエワマダナイもその人柄に好感を持ってはいる。妹はかわいい。しかし、それ以上の愛着、つまり家族だという認識はどうしても持てなかった。それには前世の記憶があるということよりも、一緒に過ごした時間が余りにも短いということの方が大きく影響しているように思える。

 

 親不孝ものめ。家族との面会の度に自らをそう軽蔑した。こちらが相手を家族とは思っていなくとも、向こうはこちらを家族として扱ってくるのが伝わってくるのだ。その優しさが、遠回しな糾弾のように感じる時さえあった。

 

 気付くと、スペシャルウィークが彼の顔を心配そうに覗き込んでいた。いつの間にか呆けていたようだ。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「ああ、うん、大丈夫……お母さん、いい人だったんだな」

 

 ナマエワマダナイがそう言うと、スペシャルウィークの顔は少し緩んだ気がした。

 

「はい。だから、私こう考えることにしてるんです。私にはお母ちゃんが二人もいるんだぞ、って」

 

 お父さんは? その疑問は浮かんだが、口にはしなかった。

 

「それで、私は北海道で暮らしていたんですけど、周りに私と同世代の子供なんていなくて、牛が友達でした。冗談抜きで、人より牛が多いような所だったんです。それに私以外のウマ娘なんて、テレビでしか見たことありませんでした」

 

 そう言ってスペシャルウィークはナマエワマダナイの被ったニット帽に目を向けた。「ウマ娘」と言ってこちらを見られると若干複雑なところがある。

 

「それでですね……その……」

 

 そこでスペシャルウィークは言い淀む。何事かと思えば、彼女はきまり悪そうに苦笑いを浮かべた。

 

「……私、何が言いたかったんですかね?」

 

 思わずコケそうになった。

 

「……おい。いい話っぽかったのに」

 

「すみません! 私、着地点を定めずに話し始めちゃうというか……」

 

「話しながら考えをまとめるタイプ?」

 

「そう、それです!」

 

「それでちゃんとまとめられるんならいいんだけどね」

 

「うっ……」

 

 項垂れるスペシャルウィーク。それを見て堪えきれずナマエワマダナイが笑いをこぼすと、彼女は恨みがましそうに軽く彼を睨んだ。

 

「……すみませんね、話が下手で! こんな話でも牛さんは文句も言わず聞いてくれるんです」

 

 そりゃ馬耳東風だろうと思ったが、その言葉はこの世界では通じない。

 

「まあ、何となく言いたいことは分かったよ。つまり……」

 

 ナマエワマダナイはそこで言葉を溜めた。スペシャルウィークが、どこか不安そうに顔を持ち上げる。何を言われるか分かったものじゃないとでも思っているのだろう。その表情を見て、彼はにやりと笑った。

 

「仲良くしましょうねってことだろ?」

 

 噛み砕き、消化し、容易に受け入れられる形に変化されたその言葉は、概ね彼女の意図に沿っていたらしい。スペシャルウィークは満面の笑みを浮かべた。

 

「はい! よろしくお願いします!」

 

 

「いやあ、無事に友達が出来てよかった。不安だったんだよ、孤立しないかどうか」

 

「え、そうなんですか?」

 

「そりゃそうだよ。だって周りみんな女の子ばっかなんだぞ? 浮きまくるよ」

 

「女の子って……え? ……あれ? ナマエワマダナイさんは……」

 

「言い難いし、名無しでも権兵衛でも、好きに呼んでくれればいいよ」

 

「じゃあ、名無しさんって……ウマ娘なんですよね?」

 

「ウマ娘の、男」

 

「ウマ娘の……男……?」

 

「いや、どこからどう見ても男だろう」

 

「そうですけど……でもウマ娘で……」

 

「男のウマ娘が珍しいから保護されたって言っただろ?」

 

「男っぽいウマ娘、ってことですよね?」

 

「いや、男だよ」

 

「……ええええええええええええええええええ!?」

 

「あ、今更?」

 

 そういう一幕があったとかなかったとか。

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