「――本校は全国のウマ娘トレーニング施設の中でも最大規模。十全十美のカリキュラムで優美高妙なウマ娘と切磋琢磨し、己の研鑽に粉骨砕身の努力で品行方正。絢爛華麗に――」
よくもまあ、こうもつらつらと話し続けられるものだ。ナマエワマダナイはひそかに感心した。
どうやらシンボリルドルフには教育者としての才能があるらしい。黙って聞いているだけの聴衆を前にして、ヤマもオチも無い話をひたすらに続けるというのは決して簡単なことではない。皮肉ではなく、その淀みのない長話には、彼女のこれまで生徒会長として全校生徒の上に君臨してきたという自信と経験が表されているように思えた。
それに彼女の顔はさっさと切り上げたいのを我慢するようなものではなく、むしろ興が乗ってきたのか若干高揚しているようにも見える。「忍耐心を持たなければならないようでは、教育者としては落第である。愛情と歓びを持たねばならない」。誰の言葉だったかは忘れたが、昔の人もいい事を言うものだ。長話が好きなのは、教育者には必要不可欠とも言える素質である。
皮肉ではない。本当に。
そんなことを考えながらナマエワマダナイが隣を盗み見ると、スペシャルウィークがうつむき加減で大人しく話を聞いているのが見えた。目は口ほどに物を言うと言うが、ことスペシャルウィークに至っては顔面で4文節、耳で2文節くらいは物を言う。今の彼女が考えているのは「どうしよう。言ってることが半分くらいしか分からない……」辺りだろう。
「さて……」
どうやら話が一段落ついたらしい。随分と長い段落だった。ナマエワマダナイとスペシャルウィークが安堵の息を漏らす中、シンボリルドルフは言った。
「とまあ、これからこのトレセン学園で生活してもらうわけだ。学園内の施設も一通り見ておいた方がいいだろう」
そこまで言ってシンボリルドルフは後ろの執務机に振り返った。
「テイオー、彼らに学園の案内を頼む」
「よーし、カイチョーからの頼まれ事なら!」
そう言って少女が机の影から飛び出した。体躯の小ささから、恐らく学年はナマエワマダナイやスペシャルウィークよりも下だろう。しかし先程の机の影から飛び跳ねた動きからは、その小さな体に似合わぬ馬力があるように感じられた。表情は明るく、全体的な印象としては活発な感じを受ける。前髪の白い房がシンボリルドルフとよく似ている。親子……は無いにしても、姉妹か何かだろうかとナマエワマダナイは思った。
「転入生たち、行くよ!」
少女はそう言って生徒会室から飛び出して行った。ナマエワマダナイとスペシャルウィークは呆気に取られたまま、その背中を見送った。シンボリルドルフは「全く落ち着きの無い……」と息を吐いたが、その表情は険のあるものではない。やがて、ふと気付いたようにシンボリルドルフは言った。
「紹介が遅れたが、というよりも彼女が先走ったんだが、彼女はトウカイテイオーと言う。よろしくしてやってくれ」
トウカイテイオー。聞き覚えのある名前だった。それも恐らく、前世の方で。
「ちょっとー? 早くついてきてよー!」
廊下からトウカイテイオーの声が聞こえた。シンボリルドルフはそれを聞いて「やれやれ」と席を立った。続いてナマエワマダナイとスペシャルウィークも立ち上がる。どうやらお開きのようだ。
「重ね重ねすまないな、昼休みに呼びつけて」
「いえ、お話ありがとうございました。この学園に相応しい生徒であるように心がけます」
「あ、ありがとうございました」
「そう言ってくれると助かる。……最後に一つだけ。君たちはこの言葉の意味は分かるか。本校が掲げるスクールモットーだ」
そう言ったシンボリルドルフの目線の先に目をやると、立派な額が壁に掛けられていて、そこに標語らしきものが掲げられていた。英語だ。きっちりとしたブロック体で書かれており、読み取るのには苦労しない。
「Eclipse first, the rest nowhere……」
小さく声に出して読み上げると、シンボリルドルフがナマエワマダナイの方を見てきいた。
「分かるか?」
分からない。
「……天体観測は日食・月食に限る……とかですか?」
ナマエワマダナイが言うと、シンボリルドルフはしばらくの間きょとんとして、やがて小さく笑った。どうやら違ったらしい。
「すみません、不勉強で」
「いや、いいんだ。これは英国のことわざだからな、分からなくても仕方ない……しかし、天体観測か……ふふ」
「早くー!」
外から聞こえる声に、シンボリルドルフは苦々しく笑った。
「ああ、全く騒々しい……呼び止めてすまないな。彼女は待たせると拗ねるんだ。早く行ってやってくれ」
「では、失礼します」
「失礼します!」
廊下から聞こえてくる声に急かされながら、ナマエワマダナイとスペシャルウィークは扉の向こうへ消えていった。それを見送るシンボリルドルフの耳に、「遅いよー!」という声と、それに対して慌てて謝るスペシャルウィークの声が聞こえた。微笑ましいものだ。そんなことを思いながら仕事に戻ろうとしたシンボリルドルフに、エアグルーヴが声を掛ける。
「会長」
「どうかしたか?」
「あの男は……なぜこの学園に?」
シンボリルドルフが振り返れば、エアグルーヴが納得いかないといった表情でそこにいた。彼女は男性に対して厳しいところがある。学園に出入りする男性トレーナーの態度や指導に対して彼女がなにか物申している姿はよく見かけられるものだ。しかし今回に限っては、ナマエワマダナイの態度と言うよりも、彼の存在自体に納得がいかない、といった様子だ。少し困ったが、かねてより予想されていた反応ではある。シンボリルドルフはエアグルーヴを納得させるべく、口を開いた。
「まあ、当然の反発だ。今までこの学校は事実上の女子校だった。そこに男が入るとなると、文句も出ることだろう……だが、彼は明らかに我々と同種だ。共に学ぶことに何の問題がある?」
「我が校には、ウマ娘のみに入学資格があります。彼は、ウマ娘なのですか? 男である以上、娘ではないでしょう」
「……それもまた、当然の指摘だ」
これは長引くかもしれないな。そう考えながらシンボリルドルフは執務机につくと、顔の前で手を組んだ。それは彼女がなにか考え事をしながら話す時によく見られる癖だった。
「副会長。では、彼は何者だ?」
「え?」
突然の問いに、エアグルーヴは答えあぐねた。ナマエワマダナイの入学を耳にした時から、彼はウマ娘ではなく、ゆえにトレセン学園に入学するには相応しくない、と考えてはいた。しかし、ウマ娘でないならば、彼が何であるのか。そのテーマについては考えたことがなかった。そして今考えても、答えはすぐには出そうにない。エアグルーヴの答えを待たずに、シンボリルドルフは口を開く。
「かつて彼は言っていたよ。自分はウマ娘のオスなのだと」
「ウマ娘の、オス?」
矛盾を孕んだその言葉を、エアグルーヴは怪訝な面持ちで繰り返す。シンボリルドルフはそれに頷いた。
「そう。ウマ娘というのは種全体を指すのであって、ある種族の女性を指す言葉ではない、と彼は解釈していた。例えば、雌牛とはメスの牛のことだが、ウマ娘という言葉はそれとは性質が違う、ということだ」
シンボリルドルフは組んでいた手をほどくと、エアグルーヴに向き直り、続けた。
「君は、英語で牛のことを何と言うか知っているか?」
「cow、ですか?」
エアグルーヴの答えにシンボリルドルフは頷いてこたえる。
「それは部分的に正しい。しかし、その単語は普通雌牛のことを指す。雄牛のことはbullと言うらしいよ」
「……つまり、我々はウマ娘という種族の、それぞれの性別を表す言葉を持っていないのだと?」
相変わらず理解が早くて助かる。やはり彼女は聡明だ、と内心で評価しつつシンボリルドルフは続けた。
「そうだ。男女をひっくるめた、牛で言えばcattleに対応する言葉こそが『ウマ娘』である、というのが彼の主張だ。そして、その『娘』に大した意味は無い、と彼は考えている。mankindという単語がmanのみを指さないように」
「……結局のところ、言葉遊びではないですか」
「ああ、その通りだ」
呆れの色を隠すことなく言ったエアグルーヴに、シンボリルドルフは素直に頷いた。
「そう、言葉遊びだ。彼は、そして私は言葉を弄んで、彼がウマ娘という言葉の範疇にあると主張しているに過ぎない」
「では――」
「しかし」
エアグルーヴの言葉を断ち切るように、シンボリルドルフは言葉を発する。エアグルーヴは発しかけた言葉を押し込めて口をつぐんだ。それの様子を見て、シンボリルドルフは続ける。
「初めの質問に戻るが、彼がウマ娘で無いとしたら、彼は何者になる? 新種か? 亜種か? 突然変異か? どちらにせよ、彼は今までに無い存在ということになる。そんな彼をどう呼べばいい? 彼にだけ適用される言葉を作り出すのか? そして彼のことだけをそう呼ぶのか?」
シンボリルドルフはそこまで言い切ると、軽く俯いて、そうして長い息を吐き切った。
「そうすれば、彼はこの世界で一人きりになってしまう」
そう呟くように言って顔を上げたシンボリルドルフは、まるでそれを口にすること自体が痛みを伴うかのように、痛々しい微笑を浮かべていた。その表情を見て、エアグルーヴはシンボリルドルフがかつて語った夢を思い出した。全てのウマ娘が幸せに暮らせる世を。そう言った時の彼女も、こんな顔をしていたのではなかったか。
「……そんなのは、寂しいだろう?」
シンボリルドルフが絞り出すように言ったその言葉に、エアグルーヴは答えることが出来なかった。
◆
「ここは図書室です!」
そう言って胸を張るトーカイテイオーの向こうには、確かに胸を張るに値する図書室の設備が広がっていた。フロアはかなりの面積があり、ナマエワマダナイの背より高い本棚がずらりと並んでいる。学校の設備としてはかなり気合が入っている方だと言える。
「すごい……地元の図書館よりも本があります」
とは言え、スペシャルウィークの言葉にはそれは言い過ぎだろうと思ったが、もしかすると本当なのかもしれない。突っ込むかどうか迷うナマエワマダナイを他所に、何がそこまで誇らしいのか、トウカイテイオーはそれを聞いて更に胸を張った。
「でしょでしょ! トレセン学園の生徒はブンブリョードーじゃないといけないからね、君たちもここでしっかり勉強するんだよ!」
「あなた達、静かにして下さいます?」
青天井のトーカイテイオーのテンションに水を差すようにそう言ったのは、本を読んでいたウマ娘の一人だった。薄い紫のような、不思議な毛色をしている。ただこうした髪色はウマ娘にはそれほど珍しくないもので、白や薄い青色、果てはピンク色の髪を持つ者もいる。まるでアニメか何かの世界みたいだ。
ナマエワマダナイが世界の真理に気付きかけたのは置いておいて、その注意に真っ先に反応したのはスペシャルウィークで、
「す、すみません!」
その謝罪が既に静かではなかった。ナマエワマダナイが笑うのをこらえる一方、トーカイテイオーはそれを聞いてなんの遠慮もなく笑った。
「この二人は新入生なんだよ。だから大目に見てやって」
注意の対象は主に彼女であったにも関わらず、自分のことは完全に棚に上げている。しかし薄紫のウマ娘は諦めるようにため息をひとつつくだけで、他に何も言わなかった。どうやらトウカイテイオーの性質には慣れているらしい。彼女はため息を吐き切ると、ナマエワマダナイの方をちらりと見て、
「ああ、噂の……」
「やっぱり噂になってますか」
ナマエワマダナイがきくと、薄紫のウマ娘は頷いた。
「ええ。緑色の皮膚で、牙が剥き出しの謎の生物が転入してきたと」
噂に尾ひれが付きすぎて、半魚人みたいになっている。というか、よくその噂の怪物と目の前の人物を結び付けられたな。もしかして、自分では気付いていないだけで肌が緑色になってたりするのだろうか。ナマエワマダナイが自分の手を目を凝らしてじいと見ていると、くすくすと笑う声が聞こえた。
「まあそんな噂をしているのは若干一名だけでしたが……ちゃんとした噂も聞いていますわ。えーと、確か、名前は無いのでしたっけ?」
「ナマエワマダナイという名前です。こっちは……」
「スペシャルウィークです……よろしくお願いします……」
スペシャルウィークは先程の失態からの反省か、必要以上に小声で言った。
「メジロマックイーンと申します。こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
気品のある話し方、というよりも、お嬢様然とした話し方をするな、とナマエワマダナイは思った。そして、それがよく似合っている。その佇まいもどこか洗練されているような雰囲気を醸し出しており、幼少の頃から教育を受けていたことが窺い知れる。多分、本当にお嬢様なのだろう。
「あ、そういえば、ボクの自己紹介がまだだった」
ふと思い出したようにトウカイテイオーが言い出した。くるりと軽快に翻り、ナマエワマダナイとスペシャルウィークの方へと向き直る。
「ボクはトウカイテイオー。未来の三冠ウマ娘! 今後ともよろしくね」
ああ、きっと、前生の世界ではトウカイテイオーという名前の馬が三冠を達成したのだろう。そして彼女もまた、その馬と同じ道を行くのだ。ナマエワマダナイはふと、そんな風に思った。
彼は競馬をよく知らなかった。