そのウマ娘の名は   作:ニモ船長

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メジロを創る者 前

 

 

 「……よし。体調は大丈夫そうだな」

 

 

 控室から連絡通路を経て、地下バ道に出て。

 そこで俺達チーム全員が、今日のレースに出走する勝負服姿のライアンを見送っていた。

 

 

 「あとは、気持ちの方だけど……どう、やれそう?」

 

 「ぉぇ……いやもうホント……メリー有馬記念……death……」

 

 

 ――全然ダメだった。

 予想以上に気負ってしまっているようだ。それこそクリスマスのあたりからそわそわしているとは思っていたが、元々がガラスのハートを持つライアンである。

 

 

 「だってあのオグリさんのラストランですよ? そうでなくてもスター勢揃いの大変なレースなのに。

 その上、日本中のウマ娘ファンがみんなオグリさんの勝利を望んでて……それを叩き潰して勝たなきゃいけなくて。

 心臓に、ちっちゃいダンプを乗せてる感じです……ぉぇぇ……」

 

 

 これはちょっとマズいかもしれないな。どうにか持ち直さないと勝負どころじゃなくなってしまう。

 これまでの大舞台で彼女もプレッシャーには慣れてきたように思っていたが、確かに言う通り今回の有馬記念は、ただのG1レースとはまるで訳が違う側面がある。

 なにせキングやウララの時のおよそ1.5倍強、十七万人以上の観客が今日、この中山レース場に押しかけているのだ。

 

 

 

 「……でも」

 

 

 

 そう思って、トレーナーとして何か言ってやろうとしたその時。

 

 

 

 「でも、あたしは勝ちたくて、ここに来たんだ」

 

 

 

 俯いていたライアンが、顔を上げた。

 額には既に汗が浮かんでいて、目をそわそわと泳がせながらも……それでも唇を噛み締めて、彼女は顔を上げていたのだ。

 

 

 

 「あたしには、()()()()()()()()()()()があるんだ。

 オグリさんがほんとうに伝説になる前に、あたしは証明しないといけないんだ――努力で、伝説は超えられるって」

 

 

 

 まるで生まれたての小鹿のように震えながら、その瞳に光を灯して。

 いつの間にか、ライアンは自力で持ち直していたのである。数年前まではスターの眩しさにいつも目を眩ませていた、あのライアンが。

 

 

 「……強くなったな。ライアン」

 

 

 ……情けないことに、結局俺の口からはそんな何の考えもない感嘆の言葉が漏れるのみだった。

 しかしそれは、今の彼女がもっと自覚するべき事なのだろうとも思う。

 

 

 

 「ライアン。君は十分立派になった。

 メジロライアンというウマ娘は、もうスターなんだ。こんなレースでだって、君に夢を見て応援する人が絶対にいる」

 

 

 「――だから、絶対に最後まで諦めちゃダメよ。ライアン先輩」

 

 

 

 そんな俺の台詞を継いで、キングが不敵に笑った。

 

 

 

 「私は知っているんだから……あなたが、本当は心の中でずっと、誰よりも一流を目指していたことを」

 

 

 

 スターウマ娘になりたい。そんな本心に彼女自身が気付いたのは今年になってからだ。

 だがその前から、劣等感に苛まれながらも彼女は決して、ターフを走る事を辞めようとはしなかった。何度挫折を味わっても、絶対に競走ウマ娘の道を諦めなかったのだ。

 ……それは心の奥底ではずっと、変わらずに一番星を目指していたから。

 

 

 

 

 「キングちゃんのいう通りだよ! わたし、ずっとライアンちゃんを見てきたんだもん!」

 

 

 

 

 続けて。

 キングと俺の間にいる桜色の髪の「彼女」が、車椅子に腰かけたままえっへんとふんぞり返りながら、満開の花びらのような笑顔をライアンに向けた。

 

 

 

 「……ウララちゃん」

 

 「リハビリがすっごくたいへんなとき、いっつもライアンちゃんのこと思い出してがんばってたんだ!

 ライアンちゃんの走ってるところみるとね、すっごくワクワクするの!」

 

 

 

 前回の有馬記念で大怪我を負ってしまったウララは、この一年の間病院にて過酷なリハビリ生活を送っていた。

 はじめの頃はあまりの苦しさに泣きだしてしまうことも多かった。キングも随分と苦心していたようだったが、そんな時ウララが心の拠り所にしていたのが同僚の出るレースの鑑賞……つまりはライアンのレースだったというのだ。

 それから何か月もかけて、漸く数日前に退院かつ学園でのリハビリ継続が認められて、車椅子から数分間程度なら立ち歩くことが出来るようになって……その間、彼女はクラシック三冠から春天や宝塚記念までのライアンのレースを何度も見返していた。

 ――ライアンの走りは間違いなく、ウララに夢と希望を与えていたのだ。

 

 

 

 「……うふふっ。ライアンちゃんは本当に、とってもいいこですね♫」

 

 「ちょ、わわっ、クリークさん!?」

 

 

 

 最後に。

 この三年間、誰よりもライアンと共に走り、誰よりもライアンを案じ続けたクリークが前に出て、突然彼女の身体をひしと抱きしめた。

 

 

 

 「不安ですよね。脚が、とっても重いですよね。

 自分が本当にひとりぼっちになったみたいで、寒くて怖くなっちゃいますよね」

 

 

 

 ――後に聞くところによると、この時クリークは既にライアンの()()について気が付いていたそうだ。

 単に自分のスター性の証明や、オグリキャップという伝説と戦う重圧に留まらない……そんな、メジロライアンというウマ娘が背負う物語について。

 

 

 

 「でも大丈夫。ライアンちゃんにはちゃんと……一人で立ちあがるだけの力があります」

 

 

 

 だから、彼女は「私達がついている」とは決して言わなかった。

 俺達っていう、応援して当たり前な存在にライアンが頼ってしまわないように。応援する誰かがいなければ走れない……そんな風になってしまわないように。

 期待に応えるだけでない、もう一つのスターウマ娘の力を教えるために。

 

 

 (……ほんと、あの時の俺ときたら)

 

 

 俺は、ついてるから。かつてそうクリークに言ってしまった自分の未熟さに恥じ入るばかりだ。

 

 

 

 

 

 「みんな、ありがとう。ありがとうございました」

 

 

 

 

 

 ――クリークから離れたライアンは、一度ぐぐっと両手の拳を握りしめると、ぶるぶるっとその場で全身を震わせる。

 されどキングも、ウララも、クリークも、きっと察しただろう。それが恐怖からくるものではない事に。

 

 

 

 「あたしは、あたしを信じます。

 あたしを信じてくれる、全てが全部詰まった、この身体を!」

 

 

 

 それは、武者震いだった。

 この後のレースを待ち望む、ウマ娘の闘争本能を全面に押し出した、魂の発現だった。

 

 

 

 

 「……マッスル! ハッスル!! 行ってきます!!」

 

 

 

 

 ……最後がそれなのはちょっとどうかと思うけど。

 けどまあ、そう気合いを入れてその両脚で歩んでいくライアンには、もう迷いは微塵も感じられなかった。

 

 

 

 

 「はろはろーっ! ライアンちゃーんっ!!

 今日は頑張ってなのーーっ!!」

 

 

 

 

 レース場から聞こえるアイネスの声にはにかみながら応じて、その先に立つ不安そうなマックイーンに力強く頷いて。

 そして、さらにその先で佇む、葦毛の怪物の眼光を堂々と受け止めながら……彼女は、十七万の観客に向けて頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……今日は、よろしくお願いしまぁぁす!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――人はそれを、スターの風格と呼ぶ。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 「クリーク、どこ行ってたんや! もうレース始まっとるで!」

 

 「バカだなぁタマ公、クリークはライアンとこのチームなんだから、そっちに行ってたに決まってんだろ?」

 

 「なんやて~っ!? バカ言う方がアホやちゅうねん、ベロベロバァァ!!」

 

 

 ライアンを送り出して、その後チームメンバーと別れたクリークは、その足で観客席の一角へと足を運んだ。

 

 

 「あ……あの、みんなが見てますから、やめてくださいよ~。

 それにしてもタマちゃんもイナリちゃんも、昔から全然変わりませんね~」

 

 

 ――イナリワン。そしてタマモクロス。

 あの秋天の前年の春天と宝塚記念を勝利したイナリワンはその後、クリークを二着に抑えて有馬記念をレコード勝ちして、その潜在能力たるやオグリやクリークを凌ぐとされる破天荒ウマ娘としての人気を得るに至っていた。

 ……そして、そんな永世三強の壁として当時立ちはだかっていたのが、「白い稲妻」ことタマモクロスだ。トゥインクル・シリーズでのキャリアの後半において怒涛の八連勝を飾ったその強さたるや、有馬でオグリが優勝し二着に甘んじるまで、その同じ葦毛の怪物を二度も下したほどである。

 

 

 

 「それにしても、今日のオグリは大丈夫なのか? ここんとこスランプ続きだったじゃねぇか?」

 

 

 

 輝きを失ったヒーロー。落ちた偶像。かつての怪物は今、そう呼ばれることもあった。

 最後に出走した秋天では六着、ジャパンカップではまさかの十一着。それから数年の間さらに出走そのものすら厳しい程の体調不振に陥ってしまったオグリを、最盛期を過ぎたと評する声も少なくないのである。

 日本中を虜にした多大な功績を持ちながら、しかしその状態でドリームトロフィーリーグに移籍しても復帰は絶望的……そんな状況の中で、オグリと彼女のトレーナーは時間をかけてコンディションを整え、トゥインクル・シリーズにて最後に華を飾ったうえでリーグを移ることを決めていた。

 そんな彼女のこの有馬記念での引退宣言が、どれほどの重みを持ったものであるか。

 

 

 

  「どうでしょうか~。オグリちゃん、今日の為にすごく頑張っていたみたいですから……」

 

 

 

 ――そんなオグリをクリークは、好敵手としてイナリと共に誰よりも近い場所で見続けていた。

 きっかけは過激なファンやメディアによる過剰なプライバシーへの干渉だったという。朝から夜まで眠る間もなく新聞記者や撮影スタッフの密着取材が介入し、もともとマイペースだった筈の彼女の心はいつの間にかカメラを向けられるだけで気分が悪くなる程に蝕まれてしまった。

 ……しまいには、食堂の食材を食べ尽くすことで有名だった彼女が、食事が一切喉を通らずに栄養失調寸前になるまで衰弱してしまったのを、クリークは何度も何度も介抱して、少しずつ健康状態や精神の安定を取り戻していったのだという。それが功を奏してここ二、三年は、また普段通りの大食漢に戻ってきたのだとか。

 

 

 「それでも、オグリちゃんはオグリキャップなんです。

 あんな事があっても、決して諦めないで、復帰を期待してくれているみんなに応えたいって……とっても、いいこなんです」

 

 「そやな。ウチもそう思うで。――けどな」

 

 

 二人の合間に入って、ターフに目を向けたクリークに問いかけたのは、タマだ。

 

 

 

 

 「それにしては、アンタは随分とライアンの方に入れ込んどるみたいやないか?」

 

 

 

 

 口元に薄ら笑いを浮かべながらそう指摘する彼女には、もう先程までのじゃりン子の面影はない。

 そんなタマの静電気のように鋭い視線を、クリークは柔らかい笑みを浮かべたまま受け止めていた。

 

 

 

 「てっきりクリークはライバルのオグリの方を応援する思うとったわ。ライアンも同じチームメイトやさかい、とても放っとけへんかったんやろうけど」

 

 「……だってよ? クリーク?」

 

 

 

 イナリは何かを知っているように、にやりと笑う。

 とはいえ彼女も、初めにクリークから()()()()()()()()()()()()と頼まれた時は驚いたものだった。少なくともオグリの苦難の時を理解しているクリークなら、てっきり「ぜひ最後に三人でまたレースをしよう」と考えていると疑わなかったのだ。

 ――この数年間、一年の半分ほどを地元の大井トレセン学園にて過ごしているイナリは知らなかったのである。長いこと同期や後輩たちに見せていなかった本気の走りを、今年のクリークは堂々と解禁し、ライアンと合同でトレーニングに励んでいたことを。

 ……しかも自分が出走する為ではない。ライアンの練習相手となる為だけに、である。

 

 

 

 「うふふっ。ちょっと違いますよ~。

 私はただ、オグリちゃんにも、ライアンちゃんにも、最高のレースをして欲しかっただけなんです」

 

 

 

 「永世三強」が、未だにトゥインクル・シリーズに留まっている理由。

 一般的にはそれは、オグリの復帰に合わせた三強の「最後の対決」が望まれていたからであった。現時点でこの三人が一つのレースに集結した事例は、あのクリークが勝った秋天以外に存在しないのである。

 ……しかし。彼女たち自身の問題としてそれを解釈するならば、それは純粋な友情の問題だった。大事な友達であるオグリを残して自分達だけ一つ上の舞台に立つという選択肢が、二人にはなかったのだ。

 そんな中で、イナリワンは前述した地元の大井レース場に出向いて、精力的にイベントやレースに参加して地域を大いに盛り上げていた。その間も欠かさずトレーニングを積んで、いつオグリが戻ってきても全力で戦えるようにコンディションを整えていたのだ。

 一方でクリークは中央トレセン学園に残り、自己鍛錬と並行してチームメイトのサポートに徹してきた。競走ウマ娘として経験豊富な彼女は後進にとって頼れる存在になることは確実であり、実際に世代の中心を担ったキングやウララ、そしてライアンの成長に多大な貢献をもたらしていた。

 

 

 

 

 「……それはもしかしたら、今日の為のものだったのかもしれません」

 

 

 

 

 タマは眉を上げて、かつてのオグリの戦友二人を見やった。

 イナリは少しだけ悔しそうだった。当然だ、彼女の数年間のトレーニングはまさに今日の為にある筈のものだったのであり、オグリの引退レースに自分がいないという事実はとてもじれったいに違いなかった。

 しかし。そんな表情の中にも、どこか納得したような色がある。その緑色の瞳にオグリキャップを始めとした選手達を映しながらも、それを良しとしないような感情はどこにも見当たらなかったのだ。

 ――そして、クリークは。

 

 

 

 「……今のオグリちゃんに必要なことって、私達とのレースじゃないと思うんです。

 私達は、ドリームトロフィーリーグに移籍しても、いつでも勝負をすることができます。でも」

 

 

 

 クリークは、その目を眩し気に細めていた。

 オグリキャップを、メジロライアンを、その他のメジロマックイーンを始め出走している全てのウマ娘を、まるで大きな愛で包み込んでしまうかのような、そんな。

 

 

 

 「でも、オグリちゃんには教えてあげたかったんです。

 あなたは孤独な怪物なんかじゃない。ただ一人のヒーローでもない。だってほら……こんなに、素敵なスターウマ娘ちゃん達が、私達の後輩にはい~っぱいいるんです」

 

 

 

 後輩の成長を見守ってきたクリークは気付いていた。

 キングが、ウララが、そして彼女達を取り巻く多くのウマ娘が。程度の差はあっても、そうして多くのウマ娘が、自分たちに引けを取らない位のドラマを生み出して、素敵な歴史を刻んていることに。

 ……自分達だけが、世間の期待を背負う存在ではなくなっていることに。

 

 

 

 「オグリちゃんはずっと頑張ってきました。カサマツにみんなに良い知らせを伝えたいって、日本中のファンの期待に応えたいって、プレッシャーを一身に背負って。

 ……でも、それがいつの間にかオグリちゃんを縛り付けちゃっているんじゃないでしょうか。自分がいつも頂点に立っていなければいけなくて、後を追ってくるウマ娘さんから王さまの立場を防衛しなきゃダメ……そんな風に」

 

 

 

 

 

 だからクリークは、オグリに対しての最後で最高の刺客を、自らの手で育て上げることに決めたのだ。

 ――メジロライアンという、純朴な心を持つ未完の大器を。

 

 

 

 

 

 「デビューしたばかりの娘から、スターウマ娘まで……私達はいつだって、挑戦者。

 それをオグリちゃんに思い出して欲しいんです。私が昔あこがれた、地方からやってきて重賞を総なめにした、あの頃の真っ直ぐなオグリちゃんを」

 

 

 

 それに必要なのは、オグリ自身が自らに匹敵すると認めるほどに強いスターウマ娘だった。

 自分がいなくても、トゥインクル・シリーズは廻っていく。それを証明出来なければ、一度は伝説となってしまったオグリの抱える呪いを解くことは不可能だ。

 ……かつて頂点を極めながらそれに憑りつかれるオグリキャップと、マックイーンを超えて頂点を目指すメジロライアン。

 

 

 

 「だから、私はどちらを応援したいという訳ではなくて。

 ――みんなに、笑顔になって欲しかっただけなんです」

 

 

 

 

 

 今、ここに舞台は全て、クリークの導きのもとに整っていたのだ。

 

 

 

 

 

 「大した奴やな、アンタは」

 

 

 

 タマモクロスは口角を吊り上げる。

 

 

 

 「……ほんと、レースはともかく、こういうとこは敵やしねぇよ」

 

 

 

 イナリワンも何度も首を縦に振る。

 その三人の周りだけ、時が止まったようだった。まるで彼女達が第一線で活躍をしていた、あの頃に戻ったかのような。

 ……かつて、運命の渦の中でもがいて勝利を掴んだ、あの頃のような。

 

 

 

 (ライアンちゃん……あなたなら、大丈夫)

 

 

 

 しかし。バトンは既に、彼女たちの手から離れている。

 そして今それを持っているのは……目の前のターフを走るウマ娘達だ。

 

 

 

 

 

 

 (あなたならきっと……伝説を、超えられるわ)

 

 

 




 
※再び前後編に分けてしまうことを申し訳なく思っているようです。
※ライアンのメジロとしての勇姿を楽しみにして頂ければ幸いです。

 
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