※メジロライアンさんまで有馬記念に挑むとのことです。
「マックイーン!!」
夜の練習用コースは、怖いくらいに静かだった。
その中を、マックイーンの駆ける音だけが鈍く鳴り響いている。
「マックイーン!! 無理しちゃ駄目だよ!!
そんな無茶に走りこんだら、怪我しちゃうよ!!」
あたしの記憶では、マックイーンは今日の午後練習の初め……つまり午後四時前からこのコースを使っていた筈だ。
もしそのままなのだとしたら、かれこれ五時間近くぶっ続けで走り込んでいたことになる。
「……ライアン」
「ほら、もう今日はお終いにしよう? イクノさんも心配してるよ、まずはこれ飲んで……」
――マックイーンは汗だくで、普段の優雅さがまるで引っ込んでしまっていた。解けた髪の毛が顔の半分を隠してしまっていて、限界寸前だったのかその場にじっと立っていることもままならない程にふらついていた。
……だけど。慌ててドリンクを手渡して、その髪の毛をタオルで拭いてあげようとした私の手を見るや否や、彼女は。
「……放っておいて、下さいまし!!」
水筒がターフの上に落ちて、ゴトリと鈍い音が響き渡る。
マックイーンは癇癪を起こしたみたいに、あたしを思い切り振り払っていた。
「私は、こんなところで立ち止まっては居られないのです!!
私が、私が未熟であったばかりに、あんなっ……!!」
……一日前の、秋天で。
かつてクリーク先輩がオグリ先輩を破ったそのレースで、マックイーンは……他の娘の進路妨害をしてしまったために、十八着への降着処分を受けてしまった。
一番人気だったマックイーンが起こしてしまったまさかの事態は、一日経った今も世間を揺るがしてしまっているらしい。わざとでない事は明らかで批判するような声が少ないのは確かでも、メジロ家の評判や自分の経歴に明らかなひびを入れてしまったと、マックイーンなら考えてもおかしくはない。
「……マックイーン」
「多くの方の期待に応えられず、一緒に出走した方々を危険に晒してしまった。次は必ず、必ず勝って、何としてでも信頼を取り戻さなければいけないのです。
問題ありません、走る準備は整っています、だから」
「駄目だよ、絶対にダメだ、そんな状態でまともにトレーニングが出来るわけない!
やめないなら、あたしは君のトレーナーに言わなきゃいけなくなる……!」
だからと言って、今のマックイーンを見逃して良い理由になんか、なる訳ない。
過剰な身体への負荷は、トレーニングにおいては逆効果。競走以前に筋トレでも常識だ。でも今のマックイーンがやっている事は大局的なプランもなければ効率の良いメソッドもない。ただ身体を痛めつけて気を紛らわすだけの、らしくもない暴挙なんだ。
「……貴方とは」
――だけど。
その時、まるで発作のようにマックイーンから飛び出した言葉が、あたしの心に深々と突き刺さるのを感じた。
「貴方とは違うんです、ライアン……!!
メジロの名に懸けて……私は最強のウマ娘の座に……居続けなくてはならないのです……!!」
……刺さった言葉の棘が、胸の奥でじんわりと溶ける。
そうだよね、マックイーン。君はずっと、その重圧を一人で抱えてきたんだ。
「私は、貴方のように真っ白では居られない!!
貴方のように、自分を簡単にさらけ出す事なんて出来なかった! みんなが私に、それぞれの理想を重ねて、そんな中で自分の心配なんてしていられなかった!!
……私は……そういう生き方しか……選べなかったのよ……!」
その両目からは、見たことがない程に涙が溢れていて。
分かってるよ。優しい君にあたしを責めるつもりなんて、本当は全くないことを。ただ君は……実はずっと苦しくて、辛いんだって、誰かに分かって欲しかっただけだ。
――でもその椅子は本来、君よりちょっとお姉さんのあたしが座る筈だったものだ。あたしがこんなじゃなければ、君はメジロの因縁を背負わなくていい運命だった。
「……ごめんなさい。こんな事を言うつもりは」
「あははっ。そういうこと、もっと言ってくれてもいいと思うけどな」
我に返ったマックイーンが、俯いて謝った。そんな彼女に今度こそ頭からタオルを掛けて、肩を貸して震える脚を支えてあげる。
……まるでこの世界にマックイーンとあたししかいないような、そんな夜だった。だからきっと、マックイーンもうっかり口を滑らせちゃったんだね。
「……ねぇ、マックイーン」
だから、あたしも思い切って、言ってみることにするよ。
普段みんなの前じゃ、恥ずかしくて言えないけど……それでもこれからのあたしには、必要なこと。
「クリーク先輩が言ってたんだ。
スターウマ娘の持つ役割って、期待に応える事だけじゃないんだって」
「……ええ?」
すっかりしおらしくなってしまったマックイーンが、呆気にとられたみたいに尋ね返す。
「みんなの期待に応えなきゃって、それだけだと、何か失敗したり悪役になっちゃったりした時にそれが全部負担に変わっちゃう。それじゃ、本来の力を出すことは出来ない。
――今マックイーンは、そうなりかけてるよね?」
かつてのクリーク先輩は、それに押しつぶされかけていた。
……それを跳ね退けられたのは、多分その
「あたし、今やっと分かった気がするんだ。もしかしたら、それを君に見せることが出来るかもしれない」
今まで逃げてきたものに、立ち向かう時が来たんだ。
燻っていたあたしが立ち直るのを信じて待っていてくれたマックイーンに、今度はあたしが、道を示してあげるべきなんだ。
「……だから、今年の有馬記念、一緒に走ろう。
それで、あたしを見てて欲しい。きっと、君に夢を届けてあげるから」
泣き腫らしたマックイーンの顔は、まるであどけない少女の様で。
そう、そのままで。プレッシャーやメジロの仮面の剥がれたその顔に、新たな色を与えるのはきっと、あたしの役目。
有馬記念で、あたしはオグリ先輩を超えるウマ娘になる……それまでは。
それまでは、あたしが――。
『さあ、あと800m、いよいよ勝負所に差し掛かった!!
互いに牽制し合っている状況、抜け出すのはどの娘か!?』
――伝説のスターウマ娘とのレース進行は、思ったよりもスローペースだった。
逆に言えば全員が一つに纏まっているので、もし宝塚記念の前までのように後方待機をしていたらかなり危なかったかもしれない。クリーク先輩が提案してくれた「積極策」のおかげで今、あたしは先頭から四番目の位置を抑えられている。
……でも、マックイーンは今日はあたしの前にはいなかった。多分初めの位置取りに失敗しちゃったんだろうな、あの夜のあと彼女はジャパンカップでも四着に留まって、未だに調子を戻せていないみたいだから。
(そんなマックイーンに、あたしが背中を見せる番なんだ。……クリーク先輩も、多分分かってたんだろうな)
あたしはマックイーンを超えるスターウマ娘になりたくて、そんな中オグリ先輩の引退レースであるこの有馬記念に出走する決意をして。
でもクリーク先輩は、それ以上の、メジロを背負っている今のあたしの事になぜか気が付いていたみたいで……それでも何も言わずに、チームのみんなと一緒にひとりのスターウマ娘として送り出してくれた。
(その理由はきっと、あたしに気付いてほしいから。
マックイーンや今のオグリ先輩とは違う、かつてのクリーク先輩が見出した「答え」を、あたしにも知って欲しかったから……ですよね?)
――だったら、ここからは答え合わせの時間ですね、先輩……!
『ここで若干メジロライアンが動いた!! 持ち味のスパートが炸裂するか――!?』
その時。
あたしには聞こえた。
――ドクン。
『さあ、澄み切った師走の空気を切り裂いて、最後の力比べが始まり……っ!?』
――ドクン。
(これは……っ!?)
場の空気が、一変した。
まるで獰猛な猛獣が、自分を追いかけているような、そんな……殺気にも近い、勝利の鼓動。
……続いて、思わず脚を躓かせてしまいそうになる程に大地を揺るがす、爆撃の様な踏み込み。
『なんと、ここでオグリが!! オグリキャップが上がっていった!!
不調続きだったオグリキャップの末脚が冴え渡ります!!』
――これが……オグリキャップ……!!
五感が、あたしに危険信号を送っている。その足音に、風切る圧に、まるで命を刈り取られてしまうと訴えるかのように全身が助けを呼んでいる。
これが、葦毛の怪物の威圧。スターウマ娘の頂点に君臨する、伝説の走り。
(クリーク先輩は……こんなのと、やりあってたなんて……っ!!)
一人だけ、圧倒的に格が違う。
見なくても分かる。あたしの背後の選手達は一人、また一人と……怪物に喰われ始めている。
『さあ第四コーナー!! オグリだ!! オグリが行った!!
さあ頑張るぞオグリキャップ!! オグリ先頭に立つか!!』
こんなのに、勝てるわけがない。
心の片隅で、弱い自分がそう音を上げる。……正直に言うと、そんなあたしの事も嫌いじゃないんだ。素直に弱音を吐いてくれるおかげで、少しは冷静になれる。
確かに、あまりにもレベルが違うかもしれない。経験も、実績もまるで届かない。スランプだって言われていた筈がここまで調子を戻す、そんな覚悟の強さをあたしは知らない。
「――――っ!!」
……聞こえた。声にもならない、微かな悲鳴。マックイーンが、オグリ先輩に差されたんだ。
あれだけ高い壁だったマックイーンが、ものの数秒でやり込められちゃったんだ。あたしとは、バリキが違いすぎる。
「……だから」
十七万人の大歓声。
その中で……競り合うのが、「本物」と戦うのが、どうしようもなく怖い。
――オグリキャップ復活、ラストラン。
……だけど。
――神はいる。そう思った。
「神様が、なんだ」
……だけど。
これは神様への叛逆。伝説に抗う、あたしの物語。
――それが、クリーク先輩が教えてくれた、スターウマ娘のもう一つの力。
(マックイーン。見てて……これが)
誰に期待されていなくても、道を切り拓いてみせる。
それが、あたしっていうスターウマ娘の――!!
「――期待を、
――期待に応える力とは、十を百にする力だ。
メジロの令嬢として期待されていたメジロマックイーンがレースで勝って更に注目を集めるように、元々あった人気をそれ以上に拡大していく力。
『お……おおっ、なんと!?
ここでメジロライアンだ!! メジロライアンが……オグリキャップの末脚から逃げるように、二人揃ってバ群から飛び出した――――っ!!』
――期待を創る力とは、零から一を生み出す力のこと。
かつて地方から中央に移籍し、怒涛の重賞連覇を飾ってドラマを作り上げたオグリキャップのように、人々の予想を大きく超えることで新たな可能性を築き上げる力。
……或いは、ヒールとして顰蹙を買っていた、それすらを力に変えて「魔王」としての不動の人気を掴み取ったスーパークリークのような。
「……なに……っ!?」
――その時。オグリキャップは見たという。
あと少しで捉えられる筈だったメジロライアンが突然加速しスパートを掛けるその姿に……かつての。
かつての、彼女が追い越せなかった、あの背中の影を。
(そうか……君か、クリーク……!!)
――ドクン。
その時、オグリキャップは気が付いたという。
動きはすれど永い間冷え切っていたその心臓に、その瞬間に再び温かな血が流れ始めたのを。
(……懐かしい、いい気分だ……!!)
怪物は、嗤った。
長い苦難の時の中で忘れていた。レースとは、こんなに楽しかったのか。
ライバルがいるということは、これほど血沸き肉躍るものだったのか。
プレッシャーと戦うためではない、純粋なレースが、これ程にまで……喜びに満ち溢れたものだったのか。
「……メジロ、ライアン――――!!」
『怪物か、昇り龍か!? 英雄か、新星か!? 先頭二人の熾烈なデッドヒートだ!!
……いや、ここで更にオグリキャップが、オグリキャップが全盛期を彷彿とさせる二段スパートだーーっっ!!』
「っっがあああああーーーーっっ!!」
――メジロライアンは、吼えた。
あり得ない。あってたまるか。レースの最終盤に、しかもあれだけの速度のスパートを、更に吹かしてくるなんて。
それでも、それでも、負けられない。負けられない! 負けるわけには、いかない!!
(あたしが伝説を創るのを、楽しみにしてくれる人がいる!!)
キング。ウララちゃん。カワカミとキングの取り巻きーズのみんな。
そして、あたしがどんなに挫けても辛抱強く支えてくれたトレーナーさん。
(あたしが伝説を創ることで、また立ち上がってくれるかもしれない、大事な人がいる!!)
期待という名の重圧をずっと背負い続けて、文句の一つも言わずにメジロ筆頭の座を守り続けてきてくれた、あたしの一番の親友。
……親友にして、あたしの大切なライバル。
(こんなに頼りなかったあたしを、本気で育て上げてくれた人がいる!!)
――初めはただマックイーンに憧れるだけだったあたしをスターウマ娘にしてくれた、チームの誰もが慕う、あたしの大好きな先輩。
(その、全ての想いが……あたしの筋肉を動かす、原動力なんだ!!)
『まだ……まだメジロライアンは諦めていない!!
伸びのあるスパートを更に引き伸ばして、怪物の末脚に堂々と渡り合っている!!』
燃えている。
全身が、燃えている。
無限の活力が湧いてくる。プロテインなんかより遥かに純粋で、鮮烈で、だけど暖かいエネルギーが、あたしの全身を駆け巡って、暴れ回って、筋肉と一体化して、疲労を全て焼き払っていく。
――
(期待を創って、その期待に応えて。
それを繰り返す事で、あたし達は強くなっていく!!)
その円環の中で、辛い状況に立たされる事はあっても……あたし達は決して、本当に孤独になってしまうことなんてあり得ないんだ。
「ライアン!! りゃイアン……!!」
――だって、ほら。
どんな苦難が待ち受けていても、あたしを想う人は必ずいる。
その声が聞こえなくたって、その姿が見えなくたって、それを信じて疑わない。
信じて、また新たな物語を創る。それがスターウマ娘なんだ。
……もう、迷わない。
荷が重いなんて、言わない。だから、今のあたしは。
「あたしは……あたしが、メジロなんだぁぁぁぁっっ!!!」
「はぁっ……はあっ……!!」
――追いつけない。
これだけ必死に走っているのに、足が前に進まない。
いえ……違いますわね。あっという間に遠ざかってしまったあの二人に追い縋るほどの脚が、もう残っていないのです。
……。
貴方は、きっと知らないのでしょうね、ライアン。
――やったぁーっ! あたしがいちばんだー!!
あの日、あの夕方、あの高台で、あなたの背中を見た時からずっと。
私の人生でたった一つの一番星は、いつだって――。
『オグリ一着!! ライアンも一着!!
引退の花道に相応しい大接戦のレース!! スーパーウマ娘オグリキャップに、メジロライアン驚異の大健闘でした!!
なんと今年の有馬は、写真判定です!!』
「ライアン、ライアン!?」
……ゴールラインを駆け抜けて、そのまま沈み込むように倒れたあたしを、マックイーンが抱き起こしてくれた。
「あ……はは、ごめん、また立ち上がれそうにないや……」
「ライアン、貴方は、貴方って人は……!!」
――また泣いてるよ、マックイーン。
なんだかそう指摘するのも野暮な気がしちゃって、あたしはしばらく彼女の暖かさに身を任せていた。
「ねぇ、マックイーン」
そしてそのまま、思うがままに言葉を紡いでみる。
「もっと、君らしく走ってみれば良いんじゃないかな。
そうやって君が始めた物語に、きっとメジロはついてきてくれるよ。うちって周りから思われてるほど、了見の狭い家じゃないでしょ?」
最後のは冗談半分だったんだけど、マックイーンは只々頷くばっかりで。
本当にこの娘が今年の春まで、あたしを追い詰め続けた強敵だったのか……なんて思ってしまうほど、その中身は無垢で純真な女の子なんだ。
でも、だからって甘やかしたりはしないよ、マックイーン。
「大丈夫、君ならできる。君なら、君が一番なりたい君のまま、メジロの誇りを継ぐことが出来るはずだよ。
だって……みんな、マックイーンの事が大好きなんだから」
甘やかさないけど、励ましてはあげようと思った。それが、どれだけマックイーンに響くかは分からないけど……それでもあたし達は親友で、ライバルだから。
――だけどこの数ヶ月後、メジロマックイーンは二度目の春天を制覇して、晴れて最強ウマ娘の座に再び舞い戻ることになる。
『さぁ、今判定が下されました!!
一着はオグリキャップです!! 僅か1.5cmの差でオグリキャップの勝利です!!』
ああ。負けちゃったか。
良いところまで行ったと思ったんだけどな。でも、やっぱり土壇場での勝負強さはベテランのオグリ先輩の方が上手だったのかな。
場内は大歓声に包まれている。オグリ先輩を呼ぶ声で染まりきっている。
「……ごめん、マックイーン。勝てなかった」
「いえ、あの、ライアン」
「君にあんなこと言っておいて勝てないなんて、あたしもまだまだだよね……次は頑張らなくちゃ」
「――ライアン!!」
マックイーンのその呼び声に違和感を覚えて、あたしは上体を起こしてみる。
「……メジロライアン」
――目の前に、憧れが立っていた。
オグリ先輩がマックイーンとあたしの前まで歩いて来て、その右手をこちらに伸ばしている。
「……え? えっと? あの?」
「立つんだ、メジロライアン」
混乱した思考を正す間もなく、あたしはオグリ先輩の手を握る。
すると先輩はあたしを引き立たせてくれて、改めて真正面に向き直ると……ふふっと、微笑んだのだ。
「君には礼を言わないといけないな、メジロライアン。
君の走りを見て思い出したんだ。私がかつて、どんな思いでターフを駆けていたか。
純粋にレースが好きで、勝ち続けて勝利のその先を見ようと頑張っていた、あの頃のことを。
――ありがとう。君はもう立派な、メジロを創るウマ娘だ」
そして、もう片方の左手で繋がれたあたしの右手を持つと、観客席に向けて大きく振り上げたのだ。
『右手を上げるオグリキャップ、左手を上げるメジロライアン!!
世代交代が、魂の継承が行われた、歴史的瞬間です!!』
――あたしは何が起きたのか、理解できなかった。
オグリ先輩はそれ以上は何も言わなかったし、ただあたしの腕を上に持ち上げただけだ。
……なのに、場内のオグリコールが途端に、あたしの名前までを呼ぶようになった。まるでオグリ先輩が観客に向けて、テレパシーか無言の号令でも送ったかのように。
二十万人近くの観客を、仕草だけで統率し、指揮する。それはきっと……オグリ先輩しか辿り着けなかった境地で。
「また会おう。どこかの場所、いつかの時間に。
……キミの成長を、楽しみにしている」
そして。オグリ先輩は、去っていく。
現役最後のレースを終えた「怪物」は、最後まで胸を張り、観客の想いを零すことなく受け止めて、ターフを後にする。
――それは確かに、あたしの目標だった。今年の春まではあまりに眩しかったけれど、今ならはっきりと見つめる事ができる。
「――オグリ先輩!!」
だから。きっと、これは言わなきゃいけないことだ。
あたしはただ憧れていただけで、直接は何の関係もないかも知れないけれど。
それでも……オグリ先輩を、誰の手も届かない存在にしない為に。彼女もまた、このトゥインクル・シリーズを駆け抜けた、一人の競走ウマ娘である事を知らしめる為に。
あなたから夢を貰い続けて来たあたしが、言うべきことだ。
「……今まで、本当にありがとうございました!!」
輝き出したスターウマ娘の声に、静まった中山レース場の中で。
かつて伝説だったウマ娘は背中を向けたまま……片手をひらつかせるのみだった。
※※※
――ターフから地下通路へと戻ったオグリキャップを迎えたのは、かつての彼女のライバル二人だった。
「イナリ……」
「よっ、お疲れさん。ラストランで一着たぁ、やっぱオグリはすげぇな!」
――毎日王冠で鎬を削ったあの日が、懐かしい。
「……クリーク」
「うふふっ、頑張りましたね、オグリちゃん。
いいこいいこ〜♫ ライアンちゃんとの勝負、楽しかったですか?」
――秋天での戦いが、昨日のことのようだ。
「……ああ。すごく楽しかった。
ライアンは凄いな。あと10mでもあったら、私は確実に負けていた」
オグリが僅かに先んじたのは、最後の二段目のスパートで稼いだコンマ数ミリのアドバンテージがあったおかげだった。
しかし初めから差し切るつもりだったオグリキャップと違って、先行策から逃げ切ろうとしていた筈のライアンはその後、何とその少し前を行くオグリキャップを追い抜かそうと、最後の最後まで加速度を上げていたのである。
……先行抜け出しから、更に差しウマ娘を差し返すだけの末脚を発揮する。そんな芸当を見せたウマ娘が、未だかつて居ただろうか。
「少し、気持ちが軽くなった。トゥインクル・シリーズはもう、私が居なくても大丈夫だ。
……だが、うかうかはしていられないな。私も、もっと先を目指したい」
その表情には、もう王者としての重々しい風格はない。それらをオグリは全て、あのターフの上に置き捨ててきた。
代わりにそこにあるのは、挑戦者の意志だった。栄誉の座に甘んじることのない、競走ウマ娘としての更なる成長を望むような、そんな強く真っ直ぐな決意。
「その通りやで。全く、いつまでウチを待たせんねんな」
そして。気付けば三人のその奥に、タマモクロスが超然と立ちはだかっていた。
「やっとアンタらと真っ向から勝負ができる。
言うとくが、ウチは強いで。覚悟しろや?」
その瞳から、白い稲妻がちらついて。
「……望むところだ、タマ」
それを、「怪物」が。
「おうおうおう、ちょうどタマ公とはやり合いたいと思ってたところよ!」
それを、「破天荒」が。
「あらあら〜。みんな、仲良くしてくださいね〜?
……でもその時は、お手柔らかに♫」
そして、「魔王」が迎え撃つ。
「さあ、オグリちゃん、行きましょうか?」
――「永世三強」の物語は、まだまだ終わらない。
そんなクリークの呼び声に、オグリは頷くと……最後にもう一度、振り返って。
「ライアン、そしてマックイーン。
思い出をありがとう。どうか君達の道にも……沢山の祝福を」
――メジロを創る者の物語は、まだ始まったばかりである。
了
「……さて」
「ウララさんも、ライアンさんも、すっかり誰もが認めるスターウマ娘になったみたいね?」
「……そろそろ私の、出番かしら。
貴方にはこのキングのさらなる栄光を目撃する、権利をあげるわ」