そのウマ娘の名は   作:ニモ船長

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最後のひとかけら

 

 

 「毎度ごめんな、ライアン。何か出来ることはあるかい?」

 

 「これくらいは全然大丈夫ですよ。あたしもちゃんと得意なことで力になれて嬉しいくらいです」

 

 

 スカイの一件から、さらに二週間。

 ジャパンカップまでもう残り時間が少ない。それに少し焦燥感を抱き始めた、そんな日の夜のことだった。

 

 

 「それで……キングは」

 

 「はい、今日はなるべく寝るようにって言っておきました。あの子びっくりするくらい回復が早いから、多分明日はまた走ることが出来ると思います」

 

 

 ここ数日になってようやく、キングは極限に到達する兆しを見せ始めた。

 ……なんて言えば聞こえのいい話だが、実際は目も当てられないほどに痛ましい事態だ。特に今日の午後下がりの彼女はもう直立も危うく目の焦点すら合わなくなって来ており、流石にこれ以上はまずいと最低限の体力の回復のために早めにトレーニングを切り上げたのである。

 

 

 「……でも、トレーナーさん」

 

 

 ――そして、そんな彼女の姿を見ると、誰もが一度は立ち止まって考えざるを得なくなる。キングの体調管理をサポートしているライアンなら、尚更。

 

 

 

 「その、筋トレとか走り込みとか、あたしも色々エクササイズをして来たつもりです。

 その経験で言うなら……今のあたし達のやってることって……本当に意味があるんでしょうか……?」

 

 

 

 浮かんで、当然の疑問だ。

 かく言う俺だって、絶対の自信があって行なっている訳じゃない。むしろ毎日どこで練習を終わりにするかのタイミングを見極めるのは、かなり精神的に応えて堪らない。

 だが、この数週間の地獄を行っている目的は、キングの「領域」への覚醒であり……それ自体が既に、現在の体系化されたあらゆる身体科学の守備範囲を上回ってしまっている。なので当然、そんな従来のセオリー通りでは上手くいく訳がないのもまた事実なのである。

 

 

 「一度踏み込めば、もう戻れない、か……ルドルフもかなり鋭いこと言ってたんだな……」

 

 

 ――使おうが、使うまいが、失敗すれば彼女は絶望に囚われ、君は生涯の後悔に溺れることになる。

 それはこういうことだったのだ。つまり失敗するとはキングの身体が持たずに、今後の彼女の可能性を大きく損なう故障を引き起こすという事で、実際極限まで衰弱した今の状態で怪我を負えばその確率は非常に高い。

 それは間違いなく彼女の「生涯現役」の信念を根本からへし折って絶望に叩き落とすだろうし、そして俺も彼女を壊した重すぎる十字架を一生引き摺ることになる。

 

 

 「ごめんな。ライアン達ももう、かなり疲れてるだろ」

 

 

 あの時も、スカイを引き上げさせたはいいが、その後に結局キングと走る相手が見つからず、結局ライアンがその後スペ達が回復するまでの間一身に引き受けることとなってしまった。

 それからもたまにクリークにもコースまで来てもらって、なんとか今日まで持たせては来たが……そろそろいい加減に、全員の体力が底を尽きかけ始めていた。

 

 

 

 「それでも……それでも、やめられないんだ」

 

 

 

 何もわからない。

 チームメンバーを、スペ達を、全員をボロボロになるまで苦しめて。

 そして何よりキングを、あんな無惨になるほどに傷付けて。

 それでも……「踊る勇者」に勝てる方法をちらつかされてしまった今、俺には中止することがどうしても、最適解だとは思えない。キングのとって一生に一度かもしれない母親や世界を見返す可能性を、俺は潰してしまっていいのか、分からない。

 だがそれ以上に、今やっていることは明らかに、冷静に考えれば傷害行為同然のあり得ないトレーニングだ。身体強化にも精神鍛錬にもろくに繋がっていない、百人トレーナーがいたら百人が間違っていると断言するメニューだ。

 

 

 

 「俺は……俺は、何をやってるんだろうな」

 

 「トレーナーさん……?」

 

 

 

 ――それをここまでやってしまった俺は、トレーナー失格同然なのではないだろうか。

 成果を確約できない時点で、俺はやはりルドルフが止めたように次善の、戦略や走法を駆使した地道な作戦を選ぶべきだったのではないか。少なくとも俺以外のどんなトレーナーだって同じ立場だったら、そうするのではないか。

 

 

 「……いや、何でもない。

 とにかく、明日からも気が抜けないから、今日のうちにライアンも休んでくれ」

 

 

 駄目だ、それを彼女達に悟られてはいけない。

 彼女達の前では、常に俺は勝利を確信しているように、ドンと構えてないといけない。こんな無茶苦茶をやってるんだから尚更だ、今この特訓の船頭を取っているのは間違いなく、トレーナーである俺なのだから。

 なんとか笑顔を作って、促して部屋から見送る。ライアンはもう少し何かを言いたそうだったが……そこは彼女も素直でいてくれた。その純粋さに付け入るようで、更に気が滅入ってくる。

 

 

 

 「あら、どんな時も眠そうな顔はダメよ?」

 

 

 

 その時だった。

 突然横からよく知った声が聞こえて、振り向いてみれば。

 

 

 

 「ねぇ……髪、梳かしてもらえるかしら?」

 

 

 

 ――そこにいたのは、風呂から出た直後らしい、髪の湿ったキングだったのである。

 

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 

 「あっ、ちょっと!? いきなり引っ張らないでよ、痛いじゃない!」

 

 「わ、悪い指に絡まって……あれっ、取れない、どんだけ長いんだよ……」

 

 「短髪のあなたと一緒にしないでよ! ああもう……手際が悪いわね……」

 

 

 

 ……だったらなんで俺に頼んだんだよ、という疑問は呑み込んでおくことにする。

 鏡の前で悪戦苦闘し出してからまだ一分と経っていないのにもう喧嘩腰で、契約を結んだばかりの頃のようだ。当時は主に俺がやたらクリークに甘えていたのが「一流じゃない」と我慢ならなかったらしく、顔を合わせればしょうもない喧嘩をしまくったものだった。

 ……だって仕方ないじゃん。君達がどんどん入って来たせいで、事務処理がマジでとんでもなかったんだぞ。

 

 

 「だからって、ちょっと隙を見せたらすぐに膝枕してもらうのはおかしいでしょ、どう考えても……!」

 

 「……いや俺もおかしいとは思うけど、あれはあれでクリークを甘やかすことにもなってるんだよ。おかしいとは思うけど」

 

 「未だにその理屈よく分からないわよ……」

 

 

 因みにその件はキングがうちのチームで過ごすうちに、どうやら俺ではなくクリークの方が甘やかしたい人である事を察し始めて、すごく納得のいかない顔で黙認せざるを得なくなったという顛末を迎えている。

 とにかく。そんな感じでキングと言い合いなんて、随分と久しぶりで。

 

 

 

 (……久しぶり、か)

 

 

 

 ――この特訓が始まって、ここ数週間……俺は、あまりキングと会話をしていなかった。

 始めの頃は、いつも通り共に頑張ろうと連帯意識を持っていた筈だ。俺も、キングが更なる可能性を切り拓く事を信じて、苦しくとも役目を全うしなければいけないと思っていた。

 だけど……その後に何度もキングの酷い状態を見て、この特訓自体が「領域」なんて摩訶不思議なものの為の何の根拠もない代物である事を再認識してからというものの、心の中に芽生えてしまった罪悪感を、いよいよ無視できなくなって来てしまったのだ。

 すなわち、俺はただキングを虐げているだけなのではないかと。そんな俺のことを、キングは恨めしく思っているのではないかと。

 

 

 「……一流の私の髪に見とれるのは結構だけど、あまり強く掴まないでくれるかしら」

 

 「え? ……あ、ごめん」

 

 

 ……鏡越しに伺ってみればすまし顔だ。見逃してくれているうちに手を動かさないと。

 ただまあ、実際にキングの髪は驚くほどに滑らかだった。トレーナーとして視る彼女のコンディションは日に日に悪くなっているが、それでもこうして掬ってみると俺のごわついた髪とは全然違う、うっとりするような艶やかな手触りだった。きっと毎日ケアを欠かさない成果なのだろう、流石に一流ウマ娘を名乗るだけはある。

 

 

 「んもう、担当ウマ娘の髪のケアもままならないなんて。こんなことなら、もっと早くから教え込んでおくんだったわ」

 

 「悪いけど俺、かなり不器用だからその分君が苦労することになると思うんだけども……」

 

 

 そもそもそれって、トレーナーの役目なのか? という疑問も呑み込んでおこう。

 正直、今のキングの気持ちが読めないのだ。現状、キングにとっては俺は自分を徹底的に追い詰めている元凶の筈だ。いくら後に控えるレースの為とはいえ、メニューに客観的な根拠がない以上彼女は感覚としてそれをやり抜く意味も掴めていないだろうし、あるいはただひたすらに自分を消耗させようとする俺のことを、暴走していてまともに判断出来ていないと推測してもおかしくないと思う。

 だけどそんな男のもとに自分から出向いて、女性にとって命ともされる髪を扱わせるものだろうか。そもそもこんな事今までになかったので、その価値がどれほどなのかもよく分からない。

 ……あの三年間の後でキングをここまで理解出来なくなったのは、初めてだった。

 

 

 

 「……そうね。あなたってば、本当に不器用なんだから」

 

 

 

 だけど。その時キングはそうため息をつくと。ふと思い出したかのように、話し始めたのだった。

 

 

 

 「ねぇ、覚えてる?

 私、一度だけ……別のトレーナーの元へ、移籍しかけたことがあったわよね?」

 

 

 

 ……そんなこともあったな。

 あのどん底の菊花賞を抜けて、その次の年の春前に、一週間足らずで起きたひと騒動だった。

 

 

 

 「あの頃は、ほんと先が見えなかったからな……懐かしいけど、あんま良い思い出はないよなぁ」

 

 

 

 クラシック三冠を終えたキングは、かなり無気力な状態に陥っていた。

 燃え尽き症候群というよりは、次の目標を見失ったというべきか。あの地下バ道で再起を誓ったとはいえ、人気も実力も落ち込んでいた彼女のこれからの進路に関してはしばらく見当がつかず……それまでは自ら次に出走したいレースを申告していたキングも、それ以降年末までは俺の提案したG2以下のレースに出走しつつも静かに基礎トレーニングに励んで、自分をゆっくりと見つめ直していた。

 ……その間でさえも彼女は調子が上がりきらず、度重なる敗北に苦しんでいて。

 

 

 「……そうね、あれは大失敗だったわ……認めたくないけど」

 

 

 そんなキングが年明けに出走したいと自ら申し出たレースが、ダートG1の「フェブラリーステークス」。

 元々ダートは苦手と豪語していたのにどうしてまた、と理由を尋ねみれば、一度好き嫌いを問わずに自分の才能を見直してみたいとのことで……彼女と共に今後を悩んでいた俺としては、それならば応援したいと出走登録を引き受けたものだった。

 ――結果は十三着。ダービーに次いで二度目の、二桁順位の大敗を喫してしまったのだ。

 

 

 「……でも俺、あの挑戦は間違ってなかったと思うよ。結果的にダートが向かないってはっきり分かったのは収穫だったんだし」

 

 

 キング復活の、一度目の失敗。とはいえ母親からの電話も不思議と来ず、彼女も俺もこの時は完全に試行錯誤をしている状況だったので、かなりショックではあったが次に活かそうという前向きな意識があった。

 ……しかし。それを許さない障害がその敗走を起爆剤として膨れ上がり、俺達を待ち受けていたのである。

 

 

 

 「一流ウマ娘のご令嬢の筈の私が結果を出せない不始末は、トレーナーの責任。

 ……そう考えた一部の人々が、新人トレーナーだったあなたからベテランのトレーナーの元へ私を移籍させるように、URAに嘆願書を提出したのよね?」

 

 

 

 いわゆる、解任要求。

 あの菊花賞で騒いでしまったことが更に俺の印象を悪化させていた。そもそもキングはジュニア級時点での純粋なステータスとしては三強の中で最有力候補であり、そんな彼女が振るわないなんて妙だと、原因があるとすれば指導する人間が彼女を活かしきれていないのだと、そう判断されてしまったのだ。

 

 

 「元々天才の息子が凡才ってだけでも十分アレだからな。

 俺達のバッシングも多かったし、格好の的になっちまってたよなぁ……」

 

 

 ――俺はそれを、すぐにキングには言わなかった。

 だって彼女は、優しすぎるから。もしそれを知ってしまったら酷く自分を責めてしまい、せっかく浮き上がってきたモチベーションをまた下げてしまうに違いなかった。

 俺さえ、いなくなれば。俺より腕のある熟練のトレーナーが、キングの才能を引き立たせる事が出来るのなら……その方がいいのかもしれないと、真剣に考えつつあったのだ。

 

 

 「……ほんっと、ばっかみたい。どのみち隠しきれない事なのに、柄でもないことして。……大体」

 

 

 しかし。そうして咎めつつも、キングの表情は穏やかで。

 ――そして、初めて耳にする、俺にとって驚くべきエピソードを語り出したのである。

 

 

 

 

 「あの時、私はとっくにそれに気付いていたんだから。

 なのにあなたは何も言ってくれなくて、どうしてか考えてたら……クリーク先輩が、話してくれたのよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――チーム部屋の扉を、開ける。

 ライアンさんもまだ来ていないみたいで、中は真っ暗だった。いつもは中にいる筈のトレーナーは、今日はいない。

 ……それが何故かを、私は知っていた。

 

 

 (これで、最後なのかしら)

 

 

 ベテラントレーナーによる、私のヘッドハント。既にそれは、学園中で噂になっていた。

 トレーナーは、一言も言ってくれなかった。あの日、模擬レースと入団テストを同時に受けたあの日に……私と一緒に、「一流」を背負ってくれると約束してくれた筈のあの人は、何も。

 何も言わないと言うことは、つまり拒否もしないということ。それがとても悲しくて。でも、私にはそれに反論できるほどの結果もなくて。

 

 

 (今日が、私がこのチームにいる、最後の日なのかしら)

 

 

 歩いて、自分のロッカーの前に立つ。ネームプレートに書かれた「キングちゃん」の文字は、ウララさんが書いてくれたもの。

 ……後輩の二人と、カワカミさんと、ウララさんと。みんなが集まった時に、これから一緒に頑張ろうって言い合って、その拍子にウララさんが書いてくれたもの。

 

 

 

 「――っ、なんでよっ」

 

 

 

 ずっと、泣くものかと思ってきた。

 あの菊花賞の後にあえなく流した後、もう勝つまでは泣かないと決めた筈だった。

 だけど、あの時私を支えてくれた、あなた達がいなくなったら……私にはこれ以上、我慢する理由がなくなっちゃうじゃない。

 

 

 

 「もう……涙が、零れちゃうじゃない……!」

 

 

 

 

 

 

 「……良かった、キングちゃん」

 

 

 

 

 ――ハッと、振り返る。

 そこにいたのは、奥の部屋からトレーナーの愛飲するコーヒーを淹れてこちらに微笑む、クリーク先輩だった。

 

 

 「もう、来てくれないかと思っちゃいました。トレーナーさん、隠すのがちょっと苦手ですから」

 

 

 コトリ、とロッカー前のテーブルに二人分のコーヒーを置いて、クリーク先輩は向こう側の席に座る。

 

 

 

 「……トレーナーさんのこと、分からなくなっちゃったんですよね?」

 

 

 

 ……どうしてそこまで。

 驚きで涙も引っ込んでいた私は、そのまま先輩の反対側の椅子に腰を下ろした。

 

 

 

 「……違うんです。私は……勝てないから」

 

 

 

 真っ暗な部屋に、窓から日光がゆらゆらと差している。そんな中、私は上手く整理のできない頭で、なんとか言葉を選んでいた。

 

 

 「本当は、私がもっと活躍出来ていたら、こんな事にはならなかったかもしれない……だから」

 

 

 我慢しなきゃダメよ、私。

 トレーナーが酷いとか、見限らないで欲しいとか、そんなものは私の勝手な想い。実際は何も成すことが出来なかったんだから、これは自業自得なのよ。

 そう、言い聞かせていないと。こんな醜い私のことなんて、とても他人には、見せられない。

 

 

 

 「キングちゃん。……強がりはめっ、ですよ?」

 

 

 

 ――一瞬で、見透かされてしまう。

 コーヒーの表面に合わせていた視線を見上げてみれば、クリーク先輩は身を乗り出して、手を伸ばしていた。

 そのまま私の頭を、すごく優しい手つきで撫でてくれて。

 

 

 「トレーナーさんに代わって、ごめんなさい。何も言わなかったせいで、キングちゃんを悲しませてしまいました。

 ……でも」

 

 

 でも。

 その瞬間、クリーク先輩の雰囲気が変わった。ただの甘やかしてくれる先輩から、同じ競走ウマ娘としてのものに。

 

 

 

 「でも、トレーナーさんは決して、キングちゃんのことがどうでも良くなった訳じゃないんです。

 分かるんです、キングちゃんの気持ちも、トレーナーさんの気持ちも。私も……同じような事が、ありましたから」

 

 「……同じような事、ですか?」

 

 

 

 懐かしそうに、どこか遠くを見るような目つきで、クリーク先輩は続ける。

 

 

 

 「昔、私がクラシック級で、体調を崩しちゃったことはもう聞いていますよね?

 皐月賞も、日本ダービーも、私はテレビで見ることしか出来ませんでした。なんとか挽回しないとって、必死に頑張ろうとして……その時、たまたま見たんです。

 ――サブトレーナーさんのノートの中に、私がレースを引退した際のプランが細かく書かれてたのを、見ちゃったんです」

 

 

 

 ……それは、致命的ね。

 ウマ娘がターフに戻るために必死に頑張っているのに、トレーナー……いや、サブトレーナーの方が既に復帰を諦めてしまうなんて、そんなの。

 

 

 「私、すごくびっくりして。私はサブトレーナーさんにもうダメだって思われているのかしらって、とっても悲しくて。

 ――堪らなくなって、ある日()()()()()()()に相談してみました」

 

 

 トレーナーさん。

 つまり、今のトレーナーの事ではない、伝説のトレーナーとして名高い、あの人の父親のこと。

 

 

 

 「私はもう、ダメなんでしょうかって。サブトレーナーさんはもう、私を諦めてしまっているのでしょうかって、辛い気持ちを全部吐き出してしまって……そうしたら、突然トレーナーさんは言ったんです。

 『俺がどうしてあいつを認めないか、分かるか』って」

 

 

 

 トレーナーが前に、話してくれた事がある。

 君と同じで、俺の父親も天才だったと。そんな彼からしたら俺は本当にどうしようもない人間だったらしく、引退した後も未だに、俺はまともなトレーナーとして認められてない、と。

 

 

 

 「私には、よく分かりませんでした。

 サブトレーナーさんはいつも私の為を考えてくれて、私を喜ばせようっていつも張り切っていて。そんな人がどうして突然私を見捨てるのかも、どうしてトレーナーさんからは認めてもらえないのかも……全然、思い当たる節がなかったんです。

 

 

 

 

 ――そうしたら、トレーナーさんは言いました。

 『あいつは、トレーナーになりたくて、トレーナーになったんじゃない。

 

 

 

 

 

 ――ただ、ウマ娘が好きなだけなんだ』」

 

 

 

 

 

 私は思わず、大きく目を見開いた。

 思い当たる節はある。ウララさんが二年目までにどれだけ模擬レースや併走でへっぽこな成績だったとしても、トレーナーは一度も焦れたり、不機嫌になったりした事はなかった。

 それどころか一緒になってダートのコースを泥まみれになりながら走ったり、商店街でウララさんと一緒ににんじんを売ってみたり。ライアンさんやクリーク先輩の時もそう、彼はいつだって……担当のウマ娘と一緒に笑っていた。

 

 

 「『あいつは誰よりもウマ娘の事を考えている。だから君が今まで感じてきたように、どんなトレーナーよりも担当のウマ娘の気持ちに寄り添うことは出来る。

 ……だけどな、それは()()()()()()()()()ではないんだ。トレーナーに求められている事とは……レースで勝てる身体を、担当のウマ娘に与える事。

 時にはウマ娘側の都合を無視してでも、彼女達をレースで勝たせて、勝利の手応えを味わせて、一人前の競走ウマ娘として育て上げる。それが本来のトレーナーの役割なんだ』」

 

 

 トレセン学園で、契約を結ぶ事によって、ウマ娘をトゥインクル・シリーズに出走させる存在。それが「トレーナー」。

 そういう意味では、その先代トレーナーの指摘は……まさに的を得た、本質的なものだった。

 

 

 

 「『あいつには、それがない。レースで一着を掴み取らせる為に、必要とあらば自分が悪役となるのも厭わずにウマ娘を叱咤するだけの貪欲さや競争心がない。

 ――その引退プランは恐らく、万が一体調が治らずに、競走ウマ娘としての人生が閉ざされ多くを失う事になるかもしれない君が不自由しないように……そういう親切心で書かれたものだろう。

 だがそれはもう、トレーナーとしてやるべき事を明らかに逸脱している。そしてその結果がこれだ、かえって君という担当ウマ娘から、諦められてるのかと信頼を失いかけている。

 レースの勝敗に拘ることなく、その人生そのものを良くしようとしているんだ。担当する全てのウマ娘の一生を背負う事など、出来る訳がないというのに。たかがトレーナーの分際でおこがましいとは……君は思わないか?』――って」

 

 

 

 ……言葉全てをまるで心に刻み込んでいるかのように、クリーク先輩はそれをすらすらと空で口ずさんで。

 何よりも担当ウマ娘の事を考える優しいトレーナー。そのやり方の限界を先代トレーナーは既に見抜いていたからこそ、最後まであの人の事を頑として認めなかった。

 

 

 

 「それを克服するには、とにかく色々な境遇のウマ娘と出会うしかないって、トレーナーさんは言っていました。

 そのうち、いずれ出会う事になるって。サブトレーナーさんのそのやり方では、どうしても力を出しきれない、そんなウマ娘さんと。

 

 

 

 

 ――勝つことでしか幸福になれない、勝つことでしか自分を証明する事が出来ない……そんなウマ娘と

 

 

 

 「……え?」

 

 

 

 情けない声が、私の口から漏れる。

 だって。それは、そのいずれ出会うウマ娘って、まるで。

 

 

 

 「――その時、先代のトレーナーさんに頼まれたんです。君の体調は絶対に戻してみせるから、そんなウマ娘さんと出会うまでどうか、君があいつを見てやって欲しいって。

 だから、私は決めました。私が走るうちは……いいえ、例え私が第一線を退いたとしても……()()()まではずっと、トレーナーさんを助け続けようって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私から始まって、多くのウマ娘さんを見てきたトレーナーさんの、最後のひとかけら……それはきっと。

 あなたの事だと思うんです。――キングちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひゅう、と喉が鳴った。

 そうして言葉もない私を、クリーク先輩は万感の想いのこもった瞳で、見つめていた。

 

 

 「……キングちゃん。トレーナーさんは誰よりも、あなたのことを大事に想っているんです。

 だからあなたを移籍させたがっているとしたら、それは本気で自分よりも適任者がいるって……思い込んでしまっているから」

 

 

 心に、熱が戻ってくる。

 私は決して、見放された訳じゃない。彼の方が自分を犠牲にしてまで、私を。

 

 

 「でも、私は思います。

 キングちゃんとトレーナーさん程の、素敵な運命のコンビはいないわ。だって二人で、本当の意味で足並みを揃えて……強くなっていける」

 

 

 私は母親、トレーナーは父親。

 私達は鏡合わせの存在だった。超えるべき壁があって、活躍を期待されていて、そして全てを失った。

 

 

 

 「キングちゃん。彼の最初のパートナーとして、お願いします。どうか、トレーナーさんともう一度、頑張ってみてくれませんか。

 寂しい決断を下そうとしている、今のトレーナーさんを止められるのは……あなただけなんです、キングちゃん……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「クリークが、そんなことを」

 

 

 ……先程注意されたばかりだと言うのに、その衝撃の事実に俺はキングの髪を掬い取ったまま固まってしまっていた。

 

 

 

 「親父は、そんなこと……思ってたのか」

 

 

 

 つくづく、同じだ。

 決して俺は、才能がないから親父にとって駄目だった訳ではなかったのか。キングの精神面での未熟さを心配してレース出走を反対し続けた、彼女の母親と同じ。

 

 

 

 「ほんとにもう……あの時私がああしなかったら、どうなっていたことか」

 

 

 

 ――移籍の正式な決定のために俺が呼び出された理事長室に、キングは全力疾走で飛び込んできた。

 さらにその場にいた理事長とたづなさん、移籍先のベテラントレーナー、そして俺の前で……深々と、頭を下げたのである。

 私のトレーナーは、後にも先にもこの人一人だけだと。誰が非難しようと、どんなにバカにされようと……絶対に、譲れないのだと。だから、もう一度私達に、チャンスを下さい、と。

 

 

 「気が付いたら向こうもその方がいいなんて言い出すし、俺は一体何と戦ってたんだか。

 ……あの時は本当に嬉しかったよ、キング」

 

 

 ――ほら、シャンとして。共に「一流」を背負うんでしょ。

 それから半ば引き摺られるようにキングに連れられて、チーム部屋に戻って。その入り口の前で、せめて謝ろうとした俺を遮って。

 彼女は、言ったものだ。

 

 

 

 『さあ――……。

 ――すべてを捨てる覚悟はあるかしら?』

 

 

 

 ……これが、キングが短距離路線、つまりは「高松宮記念」に駒を進めた所以である。

 

 

 

 「本当に不器用よね、あなたも……私も。

 でも、あなたはそれから――そんな自分の主義を少しずつ変えて、私を勝たせる為にレースに挑んできた」

 

 

 その後、キングは怒涛の快進撃を重ねる。

 高松宮記念に、安田記念、スプリンターズステークスと、G1を立て続けに三勝する。

 ……決してまぐれなんかじゃない。キングは自分の走りを短距離にフィットさせる事に全力で傾倒して、俺も一からレース理論を学び直して彼女をレースで勝てるウマ娘にすべく今まで以上に鍛え上げた。

 

 

 

 「それを、私はちゃんと知っているわ。あなたは未熟だったかもしれないけれど、それでも挫けずに努力できる、誰よりも私の求める『一流』のトレーナーだった。

 

 

 ――今でも変わっていない。そうよね?」

 

 

 「……え?」

 

 

 

 今でも。

 待て、懐かしい思い出話だとつい浸っていたが、考えてみれば……キングは、何の話をしているんだ?

 そもそも、彼女はどうして今夜、ここに?

 

 

 

 

 

 

 

 「トレーナー。私はいつだって、あなたのことを一番に信じてるわ。

 だからあなたも、私をちゃんと信じなさいな。どんなに辛くたって、きっと……どこまでも、自分の隣についてきてくれるって」

 

 

 

 

 

 

 

 「――キング?」

 

 

 フッと、糸が切れたように、キングは丸椅子に座ったまま背中からこちらに上半身を投げ出して。

 ぽすっと俺の胸に、その綺麗なこげ茶色の髪が広がっていく。

 

 

 「お、おい、キング」

 

 

 ……しかしやがて、その口から規則正しい、すぅ、という寝息が漏れ始めて。

 こいつ、寝やがった。人が髪を梳かしてる最中に、そのまま俺にもたれかかって。

 

 

 

 「おい、嘘だろ……いや、疲れてたんだろうから、しょうが……な……」

 

 

 

 ――そう。

 キングは疲れている。未だかつてない俺の暴虐的な指導によって、その身体をズタボロに痛めつけられている。

 その事に、俺自身ずっと自責の念と葛藤の中で、この一か月近くを過ごしてきた。

 

 

 

 「……なんで」

 

 

 

 なのに。だというのに、キングは。

 

 

 

 

 「なんでそんなに、幸せそうなんだよ……!」

 

 

 

 

 ――キングは、眠っている。

 それだけのことをした俺の胸の中で、どうしようもないほど遠慮なく、微笑みを浮かべて眠っている。

 ……本当に信じているのだ。こんな状況でも、あの辛い時を共に越えた俺の事を、無条件に信じて疑っていない。

 

 

 

 「なんでだよ……バカ野郎……!!」

 

 

 

 気が付けば、頬に涙が伝っていた。

 やっと分かった。今夜ここにキングがやってきたのは、決して理不尽な俺の真意を探りに来たわけではなく。

 ――俺をどん底から、救うためにやってきたのだ。あの「菊花賞」の時に、俺がそうしたように。

 

 

 

 「……ちくしょう」

 

 

 

 心の中でいつしか剥がれかかっていた、最後のひとかけら。それがこの瞬間、パチリと嵌まったような気がして。

 俺はしばらくの間、キングが起きてしまわないように声を殺して、ひとりで泣いた――。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 「あれっ、キングちゃん!? 大丈夫なの!?」

 

 「しーっ。大丈夫、寝てるだけだから……ウララ、キングのこと任せてもいいか?」

 

 「うん、わたしがちゃんと、キングちゃんのこと寝かしつけてあげるねっ!」

 

 

 ――起きる様子のない彼女を抱えて寝室まで運んでいけば、出迎えてくれたのはここでもルームメイトのウララだった。

 残念ながら彼女は、直接的にキングのトレーニングには関われない。そもそも芝が苦手なうえ、何とか復帰を果たしたばかりの彼女に無理をさせることなんてとても出来ないからだ。

 事実今のウララの身体は、あの有馬を目指した時に開花したダートでの圧倒的な走りを再現するのがとても不可能なほどに、リハビリ生活の間に衰えてしまっているのである。全盛期のステータスを取り戻すのには、まだまだ時間がかかりそうなのだ。

 

 

 

 「……なあ、ウララ。

 出来たらこの特訓が続く間は、なるべくキングの傍にいてやって欲しいんだ。君がいるだけで、きっとキングにとっては力になるから」

 

 「ほんと~!? ウララ、もしかしてすっごいパワーを手に入れちゃったのかなぁ!?」

 

 

 

 何言ってるんだ。元々持ってただろう。

 そう、だからといって希望が潰えた訳じゃない。ウララは一番彼女にとって大事な……レースを楽しんで、ワクワクをみんなに届けたい本気の心を失っていないのだから。

 

 

 

 「ちゃんと、見ててくれ。今は苦しい時間が続くけど、キングは、絶対に……這い上がってくるから」

 

 

 

 ――もう、躊躇うのはやめよう。

 あり得ないだとか、誰もが間違っていると断言するだとか、そんな迷いは今全力を出しているキングに失礼だ。

 俺はどこまでもキングを信じる。この地獄の先に彼女は必ず「領域」を見出して、「踊る勇者」に勝って、母親との因縁に決着を付ける。

 

 

 「……うん! 知ってるよ! だってキングちゃんは、わたしの……いちばんのワクワクだから!」

 

 

 ウララに強く頷いて、俺は二人の部屋を後にする。

 そうと決まれば明日からのメニューを考えねばならない。既にタイムリミットが迫っている、そんな状況で、しかしキング以外のみんなもかなり危うい状況で……。

 

 

 

 

 「――ふーん。あのサブ君がねぇ」

 

 

 

 

 ――マルゼンの声だ。途中参加と聞いていたが、ここにきてようやくのお出ましか。

 

 

 「……なんだよ。俺だって今は、れっきとしたメイントレーナーだからな?」

 

 「それは分かってるけど、ちゃんとみんなに慕われてるんだなって、お姉さんびっくりしちゃった♪」

 

 

 ……振り返ってみれば、通路の曲がり角でにやにや笑う彼女は、しかしどこか暖かい表情を浮かべている。

 

 

 

 「レースを、走ることを楽しんで、ウマ娘達と同じ目線で頑張る……あたしは、勝つだけじゃないそんなサブ君の考え方、嫌いじゃないな」

 

 

 

 勝ち負けに執着しないマルゼンらしい評価だ。実際彼女の扱いに関しては、親父も初めは大分手を焼いたと聞いている。

 しまいには彼女を比較的自由に走らせ、たまに二人でドライブをしに行くほどの仲になったようだったが……それでもきっと親父の中では、どうすれば彼女の心に火を付けられるかという考えが消えなかったのではないだろうか。

 

 

 

 「だから、きっとサブ君は……()()()()()()のさらにその先に、いけると思うわ」

 

 

 

 ウマ娘に寄り添いながら、レースでの勝利を目指す。その両立はきっと、俺の宿命。

 とはいえ……いくら何でもそれは買いかぶりすぎだ。俺が鼻で笑えば、マルゼンはがびーん! なんて相変わらずの反応で。

 

 

 

 「さっ、湿っぽい話はおしまいっ!

 さっきクリークちゃんから状況は聞いたわ、みんな、げろげろーって感じだと思うけど、問題ナッシングよ!

 だって――!」

 

 

 

 

 

 ……しかし。

 あまりに手前味噌ながら、そんなマルゼンの褒めちぎりがあながち間違っていないのかもしれないと、我ながら思ってしまうほどの光景が……次の瞬間、飛び込んできたのだ。

 

 

 

 

 

 

 「はっはっはっはっ!! 苦労をしているようだね、だが安心したまえ!

 このボクがやってきたからには、どんなに辛い特訓もバラ色に染まるだろうとも!」

 

 

 

 

 ――一人目は、かつてウララと鎬を削った、年間無敗の世紀末覇王。

 

 

 

 

 「あら。お久しぶりですわね。

 残念ながら怪我故にともに走ることは出来ませんが……この療養所は私にとって庭の様なものですわ。精一杯サポートさせて頂きます」

 

 

 

 

 ――二人目は、ライアンの終生のライバルにして、春天二連覇を飾る名優。

 

 

 

 

 「お邪魔する。……世話になった同期の後輩が、助けを求めていると聞いてな」

 

 

 

 

 ――そして三人目は、魔王たるクリークと対を為す英雄にして、葦毛の怪物。

 

 

 

 

 「……君が連れてきてくれたのか、マルゼン」

 

 

 「あたしだって、おったまげ~って感じよ?

 これだけのスターウマ娘ちゃん達が――キングちゃんの為に集まってくれるなんて」

 

 

 

 テイエムオペラオー。

 メジロマックイーン。

 そしてオグリキャップ。

 これまでうちのチームに立ちはだかってきた強敵たちが……曲がり角から姿を現して、そこに勢揃いしていた。

 

 

 

 「でももう、認めざるを得ないんじゃないかしら?

 これが君のチームの、人を惹きつける力。クリークちゃん、ライアンちゃん、ウララちゃんに……そしてキングちゃんが君から受け継いだ、かけがえのない力。

 ――違うかしら?」

 

 

 

 かつての名声を失い、地に墜ちたチームポラリス。

 そこからキングとウララが、そしてライアンがクリークと共に時代を創り出して。

 ……見やがれ、親父。ついにうちは、ここまで来たぞ。

 

 

 

 「……はは、そっか。

 ――じゃああとは、勝つしかないよな……!」

 

 

 

 そんな俺の掛け声に、その場の全員が頷いてくれる。

 舞台は揃った。あいつを頂点(ポラリス)に連れて行くだけの準備が、整った。

 

 

 

 (キング。絶対に……世界が見上げる「一流」になろう)

 

 

 

 ――運命のレースは、すぐそこまで来ていた。

 

 

 





※ここでトレーナーを替えるかどうかが、キングヘイローにとっての運命の分かれ目だったようです。


※次回から、最終レースが始まるようです。

 
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