そのウマ娘の名は   作:ニモ船長

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※キングヘイローさんが有馬記念に挑むそうです。

 


「一流」を継ぐ

 

 

 「すみません。待たせてしまいましたか」

 

 

 ――年末。

 年の終わりに相応しい冷え込んだ風が辺りを舞う中で、俺は足早にここ、中山レース場のセンタープラザを訪れていた。

 そして、そこに佇む待ち人を見つけると、目立たないように手で合図を送りながら駆け寄り、開口一番に謝罪の言葉を申し上げる。

 

 

 「……遅いですこと。今を何時だと思っていますの?」

 

 「え、えーと、九時ごろにこちらに到着されると伺っていたんですが……」

 

 「私が九時と言ったら八時の事だと思って頂けるかしら。一時間も待たせるなんて、随分いい度胸をしていらっしゃるのね」

 

 

 ……いつだったかあいつも貴女と同じ様な事を言ってましたよ、という一言をすんでの所で呑み込む。

 無論、かつてそれを言った「あいつ」とは目の前の女性ではない。その娘だ。

 

 

 「まったく、この私が観客席の最後列だなんて、一生の汚点だわ」

 

 「まあまあ。今日は抜かりなくVIPルームを確保しているんで、お許し頂けませんか?」

 

 「……そう。でしたら、それで手を打ちましょう」

 

 

 こんな事もあろうかと自腹を切っておいて正解だった。チームの方も気にはなるが、そこは事前にクリークに事情を伝えてあるので恐らく任せて問題はないだろう。

 それよりも今はこっちだ。何せ未だかつてない未曽有の事態だ、娘のデビュー三年目の終わり……ウマ娘にとって最も大事な時期と目される三年間の大詰めであるこのレースにて、初めてこの母親は娘のレースを、その目で観戦しに来たというのだから。

 

 

 「それで? あなたは本当にあの子が、この有馬記念で一着を取れるとお考えになって?」

 

 

 ――そう。

 二大スプリント戦覇者であり、俺の目の前にいる女性の娘であるキングヘイローは今日、シニア級最後のレースである有馬記念に出走したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キングヘイローとその母親の確執。この三年間を振り返るにあたり、欠かせない要素の一つだ。

 一流のウマ娘を目指しトレセン学園を訪ねたキングは、しかし以前から母親にその進路を反対されていたのだ。曰く彼女には才能がないので、レース以外の人生を歩むべきだと。

 

 

 「いいでしょう、今日は無礼講でお話して頂戴。

 率直に聞きます。あなたはあの子の事を、元々どういうウマ娘だと思っていたのかしら?」

 

 

 キングがメイクデビューを果たした翌年のクラシック級時代、俺達はいわゆるクラシック三冠と呼ばれる三大大会を制覇すべくトレーニングに励んでいた。恐らくはその時の俺の本音を聞いているのだろうと察し、俺はやや言葉を選びながら応じる。

 

 

 「間違いなく抜きんでた存在でしたよ。精神的な面でやや安定性には欠けましたが、どのレースで勝利したとしてもおかしくなかったと……今でも思っています」

 

 

 ……実際は、シニア級以前はどのレースたりとも一着を取れなかったのだが。

 三冠路線の初めの勝負である「皐月賞」の前に計測したキングのデータでは、何と彼女は短距離からマイル、中長距離まで全てのレースにおいて一定以上の適性があったのだ。脚質としては爆発的なスパートが特徴で、しかし長く保つことの出来ないスプリント向きであったのは事実だが、彼女はそのペース配分を自前の頭の良さで徹底的に管理し距離の長さに対応する能力に優れていた。

 もし競走するウマ娘がかの「黄金世代」でなければ、キングは間違いなく世を席巻する常勝ウマ娘として君臨していただろう。

 

 

 「賢くても気性難。対応力はあれど器用貧乏。

 ダービーで負けて、あなたもあの子の問題に気が付いたのではないかしら?」

 

 

 日本ダービー。前もって伝えた作戦とは違いキングは殆ど試した事のない逃げ策で挑み、見事にバ群に呑まれてまさかの十四着という大敗を喫した。

 周囲のプレッシャーや彼女自身の性格に起因する、メンタルの不安定さが露呈した瞬間だった。そして、どの距離でも適性があったとしても、どの距離でも勝てる身体に仕上げる事は、不可能に近いという現実も。

 

 

 「あの時、まだあの子の脚質が見定まっていなかったんでしょう。逃げるか、差すか、どちらが得意かでさえ、なまじ一通りこなせてしまう為に区別が付き辛かった。

 ……そしてあの子は恐らく、私に倣って逃げを打ってしまった」

 

 

 VIPルームのデッキに出て紅茶の入ったカップを手にしてそう告げる目の前でキングの母親は、現役時代はどちらかと言えば逃げや先行策に適性のあるウマ娘だったようだ。確かにそれは当時のキングの乱心の原因になりえたかもしれない……つまり一番忌み嫌っていた筈の母親の戦法を、しかし同じ血統の一流ウマ娘の上策として無意識に取り入れてしまったかもしれないという意味で。

 

 

 「ばかな子だわ。『私の真似はしなくていい』って、あれだけ何度も言い聞かせたのに。

 誰よりも一流ウマ娘の令嬢としてあの子を見なしていたのは、世間ではなく、あの子自身だったのではなくて?」

 

 

 ――流石の慧眼だ。そしてそこを見抜いていたからこそ、この人は娘をトレセン学園から連れ戻そうとしていたのだ。そんな状態であの「黄金世代」のメンバーを出し抜くことなど、出来る筈がなかったのである。

 だがそんな母親の突き放しは、キングに取っては耐え難い苦難の権化でしかなかった。一時期は三強とさえ称えられていた同期のスペシャルウィークやセイウンスカイに幾度となく勝利を奪われた彼女は遂に、三冠最後のレースである「菊花賞」にて壊れかけてしまい。

 

 

 「……だからこそ、俺は何とかしてあいつを助けてやりたくてですね。

 キングの事を、キングヘイローとしてみんなに知ってもらいたかった」

 

 「それであの暴挙を? 全く、若気の至りも程々になさいな。見ているこちらは見苦しくて仕方がなかったわ」

 

 「それは手厳しい」

 

 

 今でも苦い記憶だ、あのレースが終わった後の彼女の……実力を出し切った筈でも五着に終わった彼女の、あの絶望に染まり切って打ちひしがれた瞳を目の当たりにした時、俺は思わず近くの観客たちに向けて叫んでしまったのだ。もっとキングを見ろ。なぜキングヘイローを忘れるんだ、と。

 結果としてはそれを見事にパパラッチにすっぽ抜かれてしまい、キングに対するバッシングの一部が代わりに俺に寄せられることになったのだが、そこは彼女の負担を少しでも受け持つ事が出来たと肯定的に思うようにしている。

 

 

 「ですが、暴挙って言ったら、ここ一年のキングの路線の方がよっぽどだと思いますけどね。

 そしてあいつはその中で、目覚ましい戦果を挙げ始めている。手前味噌ですけど」

 

 

 茶化す様に言ってみれば、キングの母はフン、と鼻を鳴らして紅茶を啜る。

 その後話し合って母親を振り向かせる事を辞め、自分が戦いたいレースで勝つように信念を切り替えてからの彼女は強かった。シニア級最初のレースである高松宮記念ではG1初の一着に輝き、続けての安田記念とスプリンターステークスも差し切って勝利を掴み取っている……天皇賞(秋)では七着に甘んじたが。

 ――そして、来たる有馬記念のファンファーレが今、鳴り響いていた。

 

 

 「……本題に戻りましょうか。

 スペシャルウィークさんに休養後のセイウンスカイさん、グラスワンダーさんにエルコンドルパサーさん。『黄金世代』が揃い踏みしているこのレースで、一度も彼女等との競走で勝った事のないあの子が勝てるとお思いになって?」

 

 「見込みは十分にあります。勝てますとも」

 

 

 だが、その母親の言葉がなにもかも正しい事を認めた上でも、俺は今のキングなら、彼女達に勝てると思っている。

 そんな様子の俺を一瞥したキングの母親は、小さくため息をつきながら今しがたゲートから飛び出して、遂に年末の大舞台を走り出した自分の娘を見守るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はっ、はあっ……流石にっ、2500mは、長いわねっ……!!」

 

 

 久しぶりの長距離レースだった。

 以前の「菊花賞」では今回よりも更に長い3000mに挑戦したものだったけれど、今考えればやはりあれは早計だったとしか言いようがない。幾ら距離適性にムラがないとはいえ、脚質としては明らかに得意分野ではない事がこの一年でよく分かったような気がする。

 ――高松宮記念で念願の勝利を手に入れた私達は、その後もスプリンターとしての自身の才覚を確かめるために短距離やマイルのレースを主軸に勝ち星を挙げていった。今年の成績だけを見ればまるで去年の迷走が嘘のようで、数日前に私は自分の競走成績表をトレーナー室で彼と共に眺めて、少しの間お互いに目をぱちくりする事しか出来なかったほどだ。

 それくらいには、私の道は明確に示されていたのだ。私の脚が目指す一流が、どこにあるのかを。

 

 

 (……だっていうのに。「キングヘイロー、再び中長距離路線に復帰か」ですって。おばかはやっぱりいつまで経っても、へっぽこのままの様ね)

 

 

 別にこだわりはないのだ。短距離レースの方が私の脚に合っている事はもう否定のしようもない事実だが、だからと言って他のレースを捨てたわけではない。

 私は私の道を行く。目指したいレースがスプリントだろうがマラソンだろうが関係ない、私がそこに出走する意義を見出したのならそこに全力で傾倒する。それだけの事なのだ。

 そして私は前回、天皇賞(秋)にて久しぶりに入賞を逃しながらも、今回の有馬記念も含めて再びこの距離のレースへと舞い戻って来ていた。

 ……それには、訳があった。

 

 

 『わたしたちはさ、同期なんだよ?

 これで終わるわけないじゃん。次も勝負しようよ』

 

 

 天皇賞(秋)のレース後。私はスペシャルウィークさんやセイウンスカイさんに、自分の気持ちを吐露した。

 初めは私から栄冠を奪っていくあなた達が憎かったと。だけど、今は感謝していると。あなた達がいなければ、私は自分の道を歩めなかったと。

 それに同意してくれたのがスペシャルウィークさんで、一方で当時療養からの実質的な復帰戦となっていたセイウンスカイさんは、このように言ったのだ。

 また、戦う機会はあると。ずっと、一緒にターフを走ろうと。

 

 

 

 (……その約束、守れるか……見定めないと)

 

 

 

 結論から言う。

 私はこのレースで、自身の進退を見極めるつもりなのだ。生涯現役を貫き、顕彰ウマ娘を目指すか、あるいは競走ウマ娘としての人生から一区切りつけて、いわば引退するか。

 

 

 (あなたが今の私の気持ちを知ったら、やっぱり怒ってしまうのかしらね。スカイさん)

 

 

 私は我が道を行くと言った。

 それはレースだけの問題ではない。お母様の影を意識しながら生きる事を辞めるという意味では、私のこれからの全てに関わる問題であって。

 ……だとしたら、私の目指す一流の中には、競走ウマ娘以外の道もあるのではないかしら。敢えてお母様が歩んできたターフの道を目指す必要は、もうなくなったのではないかしら。

 それをトレーナーに伝えたのは、天皇賞が終わって数日たった後の事だった。その時の彼の顔ったら、驚いたようで、一瞬は悲しそうにして……でも、私の顔が予想以上に晴れやかだったからか、直ぐに口元に笑みが浮かんで。

 

 

 『有馬記念、出てみるか?』

 

 

 そして、彼は随分と調子の良いにやけ顔で、私に提案してきたのだった。

 

 

 『君の同期、みんな出るぜ。ここで勝負をしてみて、それでじっくり考えてみたら良いんじゃないか?』

 

 

 ――もし辞めるのなら、今しかない。

 四年目を迎えたウマ娘は、引き続きトウィンクル・シリーズに挑むか、もしくはドリームトロフィーリーグに移籍するかの選択を迫られる。そしていずれにしてもそれを私が決めた時点で、応援してくれるファンは私を「引退まで競走するウマ娘」と認識する事になるだろう。

 だから引退を決意するのは今、そしてこのレース後にはその発表をしなければいけない。

 

 

 (……あなた達に私が本当に見合わないのなら、そういう選択肢を取っても良いわよね?)

 

 

 悲観的な思いではない。純粋な分析としてだ。

 私が同期の皆さんと比較して、やはり明らかに凡才である事は紛れもない事実だ。それを私は努力と諦めの悪さで凌いで今、ここにいる。

 ――いい加減、それが限界に近づき始めているという予感を私は覚えていた。もちろんそれを強く感じたのはあのクラシック三冠があったからで、シニア級に入ってからは天皇賞でしか彼女達とは競り合っていないのだけど、今後競走を続けるとして、彼女達が認めるキングであり続けられるかどうか、私も自信を持って肯定する事が出来ないでいるのだ。

 

 

 (今までは、負けても首を下げなければ良いと思っていた。でもスカイさんは言ったじゃない。「次も勝負しよう」って。

 ごめんなさいね。私は、あなた達と互角に戦えるほど……強くはないかもしれない)

 

 

 それを決めるのが、この有馬記念だ。

 ただしぶとく勝利を狙うだけでなく、ライバルとして、あの「黄金世代」の一角として戦うだけの実力が、気概が、素質があるのか。

 私は競走を続ける事で、一流であり続けられるのか。

 

 

 

 「諦めないわ……絶対に……!!」

 

 

 

 レースは、既に最終コーナーへと差し掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あの順位……実質的に追い込みじゃない。ここから巻き返せる訳がないわ」

 

 

 最終コーナーを回る娘を見下ろしながら、母親は冷淡に宣告する。

 実際かなり苦しい展開だ。シニア級になって差し戦法を得手にしたキングだったが、その性質上バ群に呑まれてしまったり、レース全体のペースに押されて順位を必要以上に下げてしまうと、最後の直線にて差し切れないケースがままある事が……トレーニングや秋天での展開から浮き彫りになっているのだ。

 そして、中山の直線は短かった。

 

 

 「まあそう言わずに。娘さんの最後のレースになるかもしれないんだから、今日くらいは見守ってあげませんか?」

 

 

 だが、俺がそう頼んだ瞬間に、彼女はカチャリとカップを皿に落とし、一瞬の硬直の後にこちらを見上げて口を開いた。

 

 

 「……何ですって?」

 

 「キングから聞いていませんでしたか。あいつ、今日で今後の事を決めるつもりなんですよ。

 私が貴女に連絡を取って彼女のレースを見に来てもらったのは、それが理由です」

 

 

 それを聞くが否や、その母親は再びターフ上の娘へと目をやった。そう言われれば、似ている。引退する直前の私自身の走りとそっくり。

 どうして、どうして気が付いてあげられなかったのか。

 

 

 「実はですね。貴女の戦績、ちょっとだけ調べさせてもらいました。あのキングも一応は一流と認める貴女の事だ、どんなレースを走ったのかなと気になりまして」

 

 「……私のこと? 世間が知っているでしょう。数々の重賞レースを勝ち取り、引退を惜しまれた一流ウマ娘、それが」

 

 

 

 

 「それ、本心ですか」

 

 

 

 

 そう俺が投げかけてみれば、かつての一流ウマ娘はその口に湛えていた余裕を完全に失っていた。

 

 

 「確かに貴女は国内で目覚ましい成績を残して、アメリカのG1を七勝もした伝説のウマ娘だ。その字面だけ見れば、世間が貴女を賞賛する理由も分かる。

 格好の、餌だ」

 

 

 ……キングの母親は、黙って耳を傾けるだけだった。

 

 

 「突然の路線変更ながら北米最大のレースを勝った娘や、生涯全勝のパーフェクトウマ娘。貴女の競争ウマ娘としての晩年に幾度となく勝ちを譲った、アルゼンチン出身のあのウマ娘。そういった同期や先輩がいる中で、貴女はアメリカで人気はあっても、決してトップにはなれなかった。

 ――貴女にもいたんですね。キングの様な『黄金世代』が」

 

 

 世間の評判とは逆に、俺は敢えてこの母親の成績の中に存在する汚点を探してみた。

 目覚ましい戦果である事は間違いない。だが、彼女と同等かそれ以上の凄まじい記録を残すような、いわばレジェンドの様なウマ娘は彼女の同世代に意外にも多く存在していた。彼女でさえ、魔境同然の当時のアメリカでは成績は上の下といった程度だったのだ。

 ……それを、国内のメディアは世界で筆頭のウマ娘として、彼女のイメージ像を勝手に作り上げた。身に覚えのない実績を多く積み重ねられて、彼女自身が何を言っても変わらない程のブランドイメージが、既に出来上がってしまっていた。

 ――それが、彼女の「一流」の正体だ。

 

 

 「貴女は如何にも常勝であるかのように伝えられているけど、そうじゃなかった。負ける時もあれば、泥水をすする事もある。普通のウマ娘と何も変わらない、そういう存在だった。

 それでも才能と努力で国内を制し、アメリカに渡って……そして現実を思い知ったんですね。失礼ながら貴女の引退、本当に惜しまれていたんですか」

 

 「本当に失礼なお方ね」

 

 

 そう悪態をつく彼女の表情は、しかし思ったよりあっさりしたものだった。

 

 

 「でも、それに気が付いてしまうなんて、負け続きだったあの子のトレーナーらしいこと。

 そうね、確かに引退を惜しまれていたのは事実よ。でもそれは成績が良かったからではなくて、単に人気があっただけ。外国出身でそれなりに戦っていた私の事が物珍しく思えたのでしょう」

 

 

 当時を思い出す彼女の瞳は、言い知れぬような深い哀しみが広がっていた。

 

 

 「そこまでお分かりになっているのなら、察しが付くのではないですか。私は一流であろうとした。一流のウマ娘としてたゆまぬ努力を重ね、数々のG1を制し、アメリカに渡り引き続き戦った。

 ……ですがそこには、私がどんなに追い求めても届かないような、途方もない才能を持って血の滲むような努力を重ねる娘達が大勢いらっしゃったわ。私は、彼女達こそ一流と呼ばれるべきだと思ったものよ。

 でもね、トレーナーさん。結局、一流の名を手に入れたのは私なんですよ。彼女達から劣り、少なくとも私自身は自分の結果を一流とは呼べないと思っていたのに、私は『一流』にさせられた」

 

 「本当は、自分は一流ではないと?

 自分でさえなれなかった一流に、自分より素質がないキングがなれる筈がないと?」

 

 「……いいえ、違うわ」

 

 

 レースから一瞬だけ目を離し、かつての「一流」ウマ娘は俺をじっと見つめてくる。

 ――その口が告げた言葉は、そこを目指すキングや俺にとっては……死刑宣告の様な言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「一流なんてものは、ないの。

 誰かが誰かを祀り上げたい時に拵えるもの、それが一流よ。嘘も事実も全て混ぜこぜにした、他のどんな呼び名よりも胡乱な称号、それが……一流の正体なのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あの子は、そんな捉えどころのない、紛い物であっても通じるような程度の低いものを目指している……まるで、かつての私自身の写し鏡の様に。

 一流ウマ娘なんて存在しない。ウマ娘の競走にはレースと、喜びと、悔し涙があるだけなのよ」

 

 

 再び目線を落としてキングを見やる母親に、俺は倣ってレースの様子を眺めた。

 最終コーナーを曲がり切ったキングはやはりまだ後方だ。レース開始当初は最後方にいた筈のスペシャルウィークは既にスパートをかけてキングを追い越しているし、逃げていたセイウンスカイと先行策から駆け出してきたグラスワンダーが先頭で競り合いを続ける中で、エルコンドルパサーも大外からまくって上がって虎視眈々と先頭に近づいている。

 

 

 「……これでもあなたは、あの子が勝つというの?」

 

 「ええ」

 

 

 その状況に、遂に母である彼女もキングの着順にハラハラし出したようである。ここでいい成績を出すことが出来ればキングは続投するだろうが、逆に大敗してしまえば彼女は引退を決意するだろう。

 ――あの日。進退の相談をキングが持ちかけてきた日、俺が有馬記念を勧めた直後に彼女は泣き崩れてしまった。そして次に出てきた言葉は、とめどない程の俺に対する謝罪だった。

 皐月賞で負けてしまってごめんなさい。ダービーで作戦を無視してごめんなさい。菊花賞であなたにまでバッシングが及ぶようなことになってごめんなさい。本当は私でもっと夢を見たかっただろうに、私の進む道に付き合わせてしまってごめんなさい。

 そして、最後に絞り出すように、彼女は言ったのだ。もっと勝ちたかった、と。

 

 

 「ここで辞めたって良い。キングはもう十分頑張ったんだ、あとはあいつの自由だ。

 でも、この有馬記念で勝てるだけの実力は、間違いなく備わっている。これで勝てなきゃ、貴女の言う通り一流なんて存在しない」

 

 

 そんな俺の思わず出た言葉を、しかし彼女は一蹴する。

 

 

 「あなたがあの子に入れ込んでいる事はよく分かったわ、トレーナーさん。

 でも、現実はそう上手くはいかないものよ。熱意だけでは、一着は取れない」

 

 「違う」

 

 

 ……だから。

 そんな彼女を、さらに俺は一蹴した。

 

 

 「熱意じゃない。客観的事実だ。……見て下さい」

 

 

 不審げに俺を見た彼女は、しかし応じるように中山の直線に目を移した。

 ――そして、息を呑んだ。

 

 

 「キング……!?」

 

 

 キングは、五着にまでのし上がっていた。

 つまりその前には、彼女の同期である黄金世代の四人がいるのみだ。つい数秒前まで二桁順位だった筈の彼女は、しかしこの一瞬でバ群を撫で切って大きく前に飛び出していた。

 

 

 「あいつは多くを目指して、多くを失いました。

 でも、そのどれ一つとして、無駄にはなっていないんですよ」

 

 

 皐月賞では真剣勝負での駆け引きを知り。

 ダービーでは逃げ策が適正でない事を知り。

 菊花賞に向けたトレーニングで、中距離程度では衰えることの無いスタミナを身につけて。

 そしてその他の大会で、泥沼とも言える程に敗北を味わって。

 

 

 「あいつは、多くを持ってはいたけど、それを使いこなすだけの力量がなかった。

 でも、今までの敗北が、あいつに全部使えるように鍛え上げてくれた」

 

 

 恐らくそれはキング自身も気が付いていないだろう。

 今までの過程で、スタミナと、爆発力と、そして何より勝利への手応えを学んだ彼女は、去年の彼女と見違える程にデータを伸ばしている事を。

 スカイの様な伸びのある持久力、エルやグラスに匹敵する突破力と状況判断能力、そしてスペを凌ぐ、脅威的な末脚。

 かつては扱いきれなかったそれらの素質が、この瞬間完成されようとしている事を。

 

 

 「……どうして……?

 短距離で、あなたは結果を出したじゃない。どうして、ここに来てまで、実力を求めるの。

 何が、あなたを奮い立たせているの、キング……?」

 

 

 引退レースで、一着を取れずに終わるウマ娘は数多い。実力の衰えの場合もあれば、純粋にレースに負けると言ったパターンも存在するだろう。

 だが今のキングは引退を賭けた試合であっても、明らかに一着を目指している。それはつまり、彼女は本能的に、まだターフを駆けていたいと思っているという心の現れだ。

 どうして。引退を視野に入れる程に、自身の才能に対して達観しているというのに、どうしてそこまでするのか。

 その先には何もないというのに。どれだけ結果を出したとしても……あなたの望む「一流」は、手に入らないというのに。

 

 

 

 「決まってますよ」

 

 

 

 ――そう、答えは、決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 「あなたは、一流を『貰い受けた』ウマ娘だ。

 でもキングは、一流を『名乗り続ける』ウマ娘なんですよ」

 

 

 

 

 

 ……母親の頬に、一筋の涙が伝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「来ましたね」

 

 

 グラスワンダーは嗤った。

 

 

 「来ましたネー!」

 

 

 エルコンドルパサーはニヤリとした。

 

 

 「……来たねぇ……!」

 

 

 セイウンスカイは燃えた。そして。

 

 

 「……来た!!」

 

 

 スペシャルウィークが、笑った。

 

 

 

 

「「「「世代のキングが、来た!」」」」

 

 

 

 

 ――四人の直ぐ後ろまで、私は何とか詰め寄る事が出来た。

 前から順にグラスさん、スペシャルウィークさん、そしてエルコンドルパサーさんとセイウンスカイさんが拮抗状態と言ったところに、そこからギリギリ一バ身差ない位置まで私は追い上げてこられたのだ。

 

 

 「ぜえっ、ぜえっ……!! もう、少し……!!」

 

 

 正直、もうこの時点で私の脚は殆ど残っていなかった。

 同時に、ここまで巻き返せるとは思わなかったのも事実だった。去年ならもうキレを失っている筈の私の末脚は、だけど今は未だに力強くターフを踏みしめていた。

 ……だけど、それも限界が近づいている。ここからは私達、黄金世代同士の競り合いという事になるけれど、果たして後2、300m前後でまともな勝負が出来るかどうか。

 

 

 (ここまで、来たんだもの……! 負けて、やるものですかっ!)

 

 

 まずはエルコンドルパサーさんとスカイさんだ。

 スパートを掛けている現状、お互いをブロックする程の余裕はない。ならば純粋なスピード勝負だ、今までバ群を突破しただけの推力がある内に……二人の前に、突っ込む……!

 ――その時、観客席の最前列から私を呼ぶ声が聞こえて。

 

 

 「キングちゃーん!! 頑張ってー!!」

 

 

 ――ええ、そうでしたわね。

 ウララさんをはじめとして、かつては私の取り巻きだった後輩達やカワカミプリンセスさんまで……チームの皆さんの声援が、いつもへっぽこな私の背中を押してくれていた。

 あなた方は、私が面倒を見てくれたって言いますけれど……本当に、本当に助かっていたの。私の方こそ、嬉しかったのよ。今まで。本当に。

 

 

 「くっ……そぉぉっ!!」

 

 「やりますねェ……キングちゃん!!」

 

 

 何とか、何とか二人をかわして、僅かに先んじる。これで三着、後は先頭でほぼ並列で凌ぎを削っているスペシャルウィークさんとグラスさんが相手だ。

 ……だけどこの時私は思わず、スカイさん達を出し抜いた反動で、勢いよく胸の空気を吐き出してしまった。一気に乱れる呼吸に意識を持っていかれて、ペースを保つのがやっとだ。

 もう少しなのに。一着まで、あとほんの一息だっていうのに。

 

 

 「負けたく、ないっ……!!」

 

 

 思わず出た、息も絶え絶えの一言に、隣のスカイさんとエルコンドルパサーさんが息を呑むのが分かった。

 だけど構っていられない。シニア級最後にして、初めて「黄金世代」との戦いに勝ち筋が見えてきたのだから。

 「一流」の名に懸けて、負けられない。ここまで来れば尚更だ。今は私に期待してくれている人が大勢いる。私が黄金世代として輝く瞬間を、待ち望みにしてくれている人がいる。

 ファンの方々、チームの皆さん。そして、私をずっと見てくれていたトレーナーに、そして。

 

 

 

 

 

 ……あら?

 そして?

 

 

 

 

 

 

 「勝ちなさい、キング」

 

 

 

 

 

 

 

 あり得ない。

 そんなわけない。その声が、ここで聴こえる筈がない。

 

 

 (ああ……あああ……!!)

 

 

 だけど。頭の中で木霊するその声は、確かにあの人の声で。

 いや、気の所為に決まっている。あの人が、今まで頑張っての一言も言ってくれなかったあの人が、私を応援なんて――。

 

 

 

 

 

 「一流になるんでしょう!

 私の娘なら勝ちなさい、キングヘイロー!!」

 

 

 

 

 

 ああ、どうしてなのかしら。あの人からだけは、もう応援を求めないと決めていた筈なのに。

 ――こんなにも身体が、嘘みたいに軽くなるなんて。

 

 

 

 「……お母、様」

 

 

 

 溢れる涙が更なる身体の加速で、まるで電撃が煌めく様に私の背後に尾を引いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『キングヘイロー、一着でゴールイン!!

 キングヘイローが三年の時を経て遂に、黄金世代の王としてこの中山に君臨しました!!』

 

 

 ……負ける、とは思っていなかったが。

 それにしてもとんでもない快挙だ。この一大グランプリで、しかも同期揃い踏みのとんでもないカードの中で、堂々の一着を勝ち取ったのだから。

 ――そしてその勝因の中の一つには、先程の隣の女性の、叫びに近い声援があった事は間違いないだろう……最もキング当人はそれに気付くはずもないのだが。

 

 

 「これ、使って下さい」

 

 

 感極まったのか、テラスの端に顔を突っ伏してしまった目の前の彼女に、俺はそっとハンカチを差し出す。

 

 

 「……用意がよろしいこと」

 

 「貴女の娘の、トレーナーですから」

 

 

 ――そして貴女の娘は今日、有馬記念を制し、黄金世代の頂点に立ったんですよ。

 そう告げるのでさえ野暮に感じる程に、場内はキングコールをする人々で埋め尽くされていたのだ。そしてそれは確かに、この母親の耳にも届いていた。

 

 

 「……お母さん。俺、思うんです」

 

 

 だから、そんな彼女に、どうしても伝えたい事があった。

 「一流」を見失ってしまったかつての一流ウマ娘に、「一流」を追い求めるウマ娘のトレーナーとして。

 

 

 「確かに、『一流』っていうものは漠然とし過ぎているのかもしれない。

 少しでも気をゆるすと、勝手に他の人によって作り上げられてしまうものなのかもしれない。

 一流なんて、存在しないのかもしれない」

 

 

 ……さっき俺は、その事実はキングと俺にとっては死刑宣告に等しいものだと言った。

 厳密には嘘だ。少なくともこのレースを制した彼女にとっては、それは決して死刑宣告などではない。

 

 ――なぜなら。

 

 

 

 

 「でも、だからこそ……誰に呼ばれるでもなく、自分で一流であろうとするキングは、紛れもなく本物なんじゃないですかね。

 一流とは、得るものじゃない。自ら名乗るものだ」

 

 

 

 

 ――ターフを走り切ったキングは、一度肩を震わせて、ぎゅっ両手の拳を握りしめたかと思うと……直ぐに観客へと向き直り、右手を口に添えていつもの高笑いをする。

 

 

 

 「……キング」

 

 

 

 ――その一流ウマ娘の有様を、かつての一流ウマ娘は涙して……されど微笑みを浮かべたまま、静かに見守るのだった。

 

 

 

 

 

 「あなたの道、見せてごらんなさい」

 

 

 

 

 

 

あら、もう有馬記念まで終わっているじゃない。続くかは分からないけれど、今後どうすればいいか、考える権利をあげるわ!

  • 過去編(クラシック級とか)
  • ウララ編(翌年の有馬でオペラオーと激突)
  • チーム全体編(スピカやシリウスみたいに)
  • 日常編(うーららー)
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