※メジロライアンさんが宝塚記念に挑むそうです。
『次は貴方の得意な中距離で戦ってさしあげます。
教えてさしあげましょう。完成されたメジロには――距離の壁などないことを』
……あれから一か月と数日。
場所は同じく、京都レース場。今日私はあの日に交わした約束を果たすべく、再びここへとやってまいりましたわ。
「春の天皇賞と、同じ状況ですわね」
そう。
ようやく目覚めたもう一人のメジロと、今度こそ決着を付けるために。
「……マックイーン」
背後から聞こえたその声を、私は平常心を心がけて迎える筈でした。
「舞台は京都。先頭を駆けるのは私と貴方――メジロの主賓二人」
……ですが内心、肝が冷えましたわ。
彼女が、あのライアンだと言うのかしら。あの自己評価の低い、カリスマにはなれないといつも嘆いていた、あのライアンだと。
「ただ一つだけ、あの時とは大きな違いがありますわ。
あなたは自らの星を知り、そしてそれに恥じないトレーニングをしてきましたのね?」
――ライアンは、体つきから変わっていましたのよ。
かつてのがむしゃらに鍛え上げただけの、ひたすらに逞しい輪郭から……レースに徹底的に特化した、すらりとした体軀に。もっとも、いつも彼女を見ていなければ分からないほどの微々たる差ではありますけれど。
……その差が、レースの勝敗に大きく関わってくるのですわ。好走をするためではない、ただ一つの栄冠を掴むための、限界の努力。
「うん。あたしはまだ君に勝っていない。勝ってないから、自分を信じられない。
……だから、信じられるまでトレーニングしてきたんだ」
そうですわね。あなたは、そういうウマ娘ですわ。
少し卑屈ですけど、単純で――そして誰よりも純粋で。
「正しい努力は、必ず実を結ぶ。
それを証明したい! パッとしない誰かでも、頑張れば花開くって示したい!」
――その純朴さは、常に名誉と使命を心がけて、自らを飾り上げる私には備わっていないもの。
私にとって最も驚異的で……最も戦いがいのあるライバル。
「……だから、今日は勝ちにいくよ! 君にも、このレースにも!!」
「あら」
もし、ライアン。
私が今日ここのターフを踏んでいる最たる理由は、メジロとしての矜持ではありませんのよ?
「こちらこそ、負けませんわよ」
……メジロ家の令嬢としてではなく。
「――最強のライバルとして、本当の貴方に勝ってみせますわ」
ただのマックイーンとして、貴方に勝つために。
「それじゃあ、いよいよ本題に入るぞ。
宝塚記念。場所は春天と同じ京都レース場、距離は京都新聞杯以来の芝2200mだ。マックイーンとの三度目の勝負にして、初めて君の適正距離での戦いになるぞ、ライアン」
春の天皇賞が終わって、数日後のことだ。
レース後の休息をも惜しんでトレーニングに打ち込んでいたライアンに、一つの吉報が舞い込んできた。
一ヶ月後に開催される「宝塚記念」。その出走ウマ娘は有馬と同じように人気投票で決まるのだが、ライアンはそこに一位のマックイーンに次いで三位でランクインしていたのだ。
「はい。……正直、今でも信じられないんですけどねっ。
あたしが――あたしが、ベスト3に入るなんて。人気なんて、マックイーンに引っ張られてるだけだと思ってました……」
あのマックイーンが偉業を達成した直後のライアンの咆哮は、結果的には良い意味で世間の注目を集めていた様だった。
ついに目覚めた元祖メジロの一番槍。そんな風に世間が解釈した結果、次のマックイーンとの激突に大きな期待が寄せられたのである。
「こんな、でも、あたし全然女の子らしくなくて、結果だって出せてないのに……なんか、ちょっと出来すぎてませんか?」
「少なくとも女の子らしいかどうかは、結果を出す事とは関係ないと思うけどなぁ……?」
「へっぽこ。全然フォローになってないじゃない」
ライアンと俺の作戦会議を端で聞いていたキングが冷ややかな目でこちらを見てくる。ううん、失言だったか? 別にライアンが女性らしくないとは言ってないんだけども。
「それだけライアン先輩には、誰かを惹きつける力があるってことじゃないかしら」
なるほど、それが正解か。彼女と同じ道を歩んできた立場の俺が言うのも変かもしれないが、キングが言うと重みが違うというか。
「どんなどん底でも、希望を疑わない。そういう姿勢って案外ファンの方には届いてるものよ……私の時も、そうだったから」
羨望と諦観の中で、それでもまっすぐ走り抜いてきたライアン。
勝てなくても、周りが眩しくても、自分に自信が持てなくても……それでも拗らせる事無く、きちんと努力を積み重ねることが出来る。それは誰にでも出来る事ではない彼女ならではの強みであり、その熱意はレースの戦績を超えて彼女の走りを見る人々にも伝わっていたのだろう。
実際にライアンの人気は予想以上に根強いものがあるらしいのだ。かつて同じ様にクラシック級を無冠に終えた三年前のキングと比較しても、バッシングの程度がまるで違う。それどころか、デビュー以前から変わらずライアンを応援し続けてくれている人もいるらしい事が、先日のファン感謝祭で判明したばかりだったりする。
「今まで頑張った結果が、人気につながったってことですか……? 一生懸命走ったら、それが人気に……」
信じられない、といった様子なライアン……を目を細めて見守るキングにタオルを投げてやりながら、俺はパンパンと手を叩いて注意を引く。
「もう、マックイーンとの格の差はなくなったって事だな。あとは君次第だ、ライアン。
――君はこの一年、何を目指して走るんだ?」
「……目標、ですか」
もちろん、今ライアンの頭にはマックイーンが浮かんでいるはずだ。それは分かっていた。
だけど。俺の考えが、彼女のデビュー前から俺が感じ取っていた推測が正しかったとすれば……それはきっと、それだけに留まらないはずで。
「う~ん、今はマックイーンに勝つことしか考えられないです……。
でも、もし次の宝塚記念で勝つことが出来たら、その時は……きっと」
その言葉に、ひとまずキングと俺は頷きあって、覚悟を決め直すことにした。
あの春天で、ライアンはようやく心の底から叫ぶことが出来た。そんな彼女が夢を抱くチャンスがあるとしたら、まさに今この瞬間以外にあり得ないだろう。そしてそれを彼女が次のマックイーンとの戦いで見定めるつもりなのだとしたら……トレーナーとして、やるべきことは一つ。
限界を超えた実力を引き出すこと。これ以上は無理だとライアンが心から思えるほど、彼女の全てを目覚めさせること。
そしてライバルとの戦いのその先に見える筈の景色を、彼女に見せてあげること。
「……わかった」
――そして。
奇しくも今回、俺はライアンを勝たせる為の一つの作戦を控えていたのだ。これまでの彼女の走りを大きく変える形になりながらも、上手くいけば今まで以上の可能性を手に入れられるかもしれない、そんな奇策を。
「正直、初めて
これから話すことは、今のライアンにかなりの負担をかけることになると思うけど……君の、マックイーンへの想いを買うことにする。
――――覚悟はいいな?」
ゲートが開いて、あたしは六番手の位置で最初の直線を駆け抜けていた。
トレーナーさんも言っていたけど、今日は2200mの中距離レースだ。あの春天からもう一か月以上が経っているっていうのに、まるで時が戻ったみたいに景色が視界になじんで、思わずあと3000m近くは残っているんじゃないかと錯覚してしまう。
――景色って言っても、もちろん同じレース場だからっていう意味じゃない。あの時よりも出走している選手の数は少ないけど、それでもヴァイスは春天と同じように先頭でハナを争っているし、それに。
……それに、マックイーンは変わらず、あたしの少し前でお手本みたいな位置取りで走りに徹している。
(やっぱり君はすごい……って、あの時も思ったっけ)
分かっていたことだけど、こうして間近で見るとどうしてもマックイーンを眩しく感じてしまう。
それは別にいけない事じゃないんだ、って、あの後トレーナーさんは言ってくれた。だけど、それに比べて自分は、って思うことが良くないんだって。
その通りだと思う。よく考えたらマックイーンがすごいことと、あたしが自分はダメだなって思うことは何の関係もないんだ。
(決めたんだ。もう諦めないって。君の……ライバルになるって)
あの日レースが終わった後にあたしが思わず叫んじゃって、負けない宣言しちゃって、その後……ああ、なんてミーハーな、って恥ずかしすぎて思わず控室でゴロゴロ転げまわったなぁ。
……トレーナーさん、実はあたしもあの時からずっと、考えていたんですよ。あたしが目指すものって、なんなのかを。
(あたしは、君みたいに色んなものを背負えるわけじゃない。
っていうより、背負ったことがなくて、それがどういうことなのか分からないんだ。だから君みたいに上手く振るまったりは出来ない。
……なのに、あたしは人気投票で三位になって、ここにいる)
それは、すっごく嬉しいことで。
でもほんのちょっとだけ、怖くもあることで。
あたしの時代だーって、懲りずに身の程知らずな事も考えちゃったけど、それ以上に、そんな沢山の期待があたしに向けられてるって事が、すごくおかしな、不安な事だとも感じて。
……やっぱり、君みたいにはなれないなって、せっかく決心した筈の心が、また萎みそうになって。
『次は貴方の得意な中距離で戦ってさしあげます。
教えてさしあげましょう。完成されたメジロには――距離の壁などないことを』
でもね、マックイーン。
あたし、ちゃんと気付いたよ。君があの時、何を言おうとしていたのかを。
(君は、分かってたんだね。
あたしが、ここに来ることを。あたしが自力で、宝塚記念の選手としてファンに選ばれることを)
春天のあとの中距離レース。そして菊花賞と春天を制した君が、次走るのに最も妥当なレース。そんなの、この宝塚記念しかない。
……そこに、あたしも出走する資格があるって、確信してたんだ。
(――みんなの為に戦うっていうのは、まだ出来ないかもしれない。
でもあたしは、君のためになら走れるかもしれない。こんなあたしを信じてくれた、マックイーンのためになら)
君は……ずっと、あたしを待っててくれたんだ。
『ゴォオオオオオオオーーーーール!!
手に汗握る接戦に、大歓声が上がっています! 一着は僅差でメジロマックイーン!!』
あの時も、
『マックイーンだマックイーンだ! メジロでも、マックイーンの方だ!!
一着はメジロマックイーン!!』
あの時も、
『メジロマックイーン優勝! メジロマックイーン勝ちましたっ!!
メジロ家が三代に渡って、天皇賞の盾を勝ち取りました!!』
……あの時も。
何度もあたしを置き去りにして、何度も一人でゴールラインを走り抜けたっていうのに……君は、いつかあたしが隣に来ることを、信じて疑わなかった。
(これが、ライバルになるってことなのかな。
君に勝ちたくて、君のために走りたくて。君みたいになれなくても、でもあたしはずっと、ずっと……!)
――メジロライアン。
(……あたしはいつだって、君に憧れてたんだ!
だって君は、いつもキレイだった! どんな場所でも、清楚で凛としていて!)
――底知れぬ強さを予感させた、未完の大器。
(いるだけで、場の空気が変わった!
まるで別世界になったみたいに……みんなの視線が! 関心が! 君に釘付けになった!!)
――記録よりも、記憶に残るウマ娘。
(そして……いつも、いつもたくさんの人に囲まれてた! 家族からも、家族以外からも愛されてっ……!!
……あたしは!! あたしはっ!!)
――その本当の強さは、誰も知らない。
「……だったら見せてやろうぜ、ライアン。
――君の、本当の強さを!!」
(あたしは――!!)
あたしはそんな風な――スターになりたかったんだ!!
――その時、私は競走の場において初めて、自分の耳を疑いましたわ。
レースは残り1400m地点を過ぎたばかり、まだ勝負を仕掛けるには早過ぎる筈のタイミングですのに……背後から一人だけ、迫る足音を聞き取ったのですから。
「……っ!?」
そして。
その音が横に並んで、私より先んじて……そしてようやくそれを立てた張本人が、ライアンだったことに気が付いて。
(……ライアン……!?)
あれは、本当に、ウマ娘の姿だというのですか。
僧帽筋が、背筋が、腸腰筋が、大腿四頭筋が、ハムストリングスが、下腿三頭筋が。全身そのものが沸き立ち、一体化して、その全てが力を与えて……それを側からみる私でさえ圧倒されてしまうほどの、ダイナミックな走り。
――まさに、
『さあ、各ウマ娘、第一コーナーのカーブに入ります!
ここでメジロライアンが! なんとメジロライアン、ここで一気に三番手まで上がっていきました!!』
ライアンは、一切私に目を向けませんでしたわ。
レース中ですから当然と言えばその通りですが……でも、その闘志が、走りが、ひしひしと私に語りかけてくるのです。私が長いこと目にしていなかった、あなたの背中が。
――負けない! 負けないよ、マックイーン!!
(ええ、受けて立ちますわ、ライアン……!!)
『そして、なんとマックイーンも速度を上げる!! 先頭はまだ残り1200m地点を通過、少し早めの勝負になるか!?』
――理想的だった筈の私のペースは、これで崩れてしまいましたわね。
ライアンの基本戦法は後方待機からの差し。ゴール前に必ず追い込んでくる豪脚が持ち味だった筈でしたのに……今日の彼女はやや早めのスパートによって、
……今までの消極的なライアンでは、決して行われることのなかった戦法ですわ。
(やりますわね、ライアン……っ!!)
やがて第三コーナー、淀の坂に差し掛かって、全体のペースが僅かに落ちて……本来ならこの坂があるから、登り切った後にスパートを掛けたかったのですけれど。
――ですが、そこでも私は、さらなる彼女の可能性を目の当たりにする事になりましたの。
「う……おおおおおっっっ!!!」
「な……なぁっ……!?」
――ライアンの走りは、頑としてブレることなく、坂の中を更に加速していましたのよ。
他の誰もがピッチ走法に切り替えて急勾配を凌ぐ中で、彼女だけがものともせずにそのままの走りで坂を蹴り上げて。
『メジロライアン、驚きの力強さだ!! 遂に先団を突破してハナを進む、淀の坂を軽々と……まるで天突く
……昇り龍とは、まさに言い得て妙ですわ。
ライアン、伝わりますわよ。あなたが、今までずっと想いを溜め込んできたあなたが、このレースにどれだけのものを懸けているのか。そして私を……私との勝負を、どれだけ真剣に受け止めてくれているのか。
――ようやく、一緒に走れますのね。
(なら私も、全霊で以てお返しして差し上げます。
……最強の、名を懸けて!!)
『マックイーンも負けていない!! 下り坂を滑る様に降ってハナを切るライアンに迫っていきます!!
最終直線は二人のメジロの一騎討ちだ――っ!!』
優雅さか、素朴さか。
玉座の防衛か、無冠の挑戦か。
私とライアンはそうして、いつだって対局の位置に置かれていましたわね。メジロ家に於いても、世間に於いても。
メジロの誇りを継ぐ私と、メジロに囚われずに人々を惹きつけるライアン。それはどちらが間違っているというものではなく、だからこそ多くの人々が私たちの対決を心待ちにしてくださって……そして私達は今ここで戦う事になりましたわ。
――ですが。
そんな私達だって、元は何も変わりませんのよ。
((――勝ちたい))
――そう。
幼い頃から、メジロの名を背負う前から、ライアンとマックイーンは……ライバルだった。
((――勝ちたい))
それが、成長して、トレセン学園へと入学して、メイクデビューして、それぞれの道を歩み始めて。
――だからといって、私達は何も変わってはいない。
((――勝ちたい))
そう。
私達は、ただのスターウマ娘。
「……あたしはっ!!」
「私は……っ!!」
期待を背負う、覚悟の裏で。
その想いは……変わらず、ただ一つ。
「「――君に、勝ちたい!!」」
『ゴォォールっ!! ライアンだライアンだ!! ライアン一着、そしてマックイーンです!!
京都新聞杯レコードホルダー、レコードホルダー2200m! この距離では負けられない――!!』
「……勝った……?」
ゴールラインを駆け抜けて、更に走って、ようやくホームストレッチの端近くまで来たところで脚が止まってくれた。
そのままがくりと膝をついて……それも叶わなくて、結局あたしはごろりとその場で大の字になって空を見上げる。
青空。でもほんの少しだけその端が黄色くなり始めていて、もう少し経ったらきっと夕焼け空に染まっていくんだろうなと、ぼんやり考えて。
ああ。これって。
これって、あの時の空だ。小さい頃に、いちばんで登り切った高台から見た、あの。
「あたし、勝ったんだ……!!」
音が戻ってくる。風が薙ぐ音と、他の選手達の足音と、そして……そして、あたしの名前を呼ぶ、地面ごと揺らす様な歓声。
――もしかしてこれが、スターになるって事なのかな、マックイーン?
「ええ。その通りですわ」
聞こえて来た声に、あたしは起き上がろうとして……マックイーンに制止される。彼女にはわかっていたのかもしれない、脚だけじゃなくて全身で限界まで力を使い果たしたあたしが、今まったく動けない程にクタクタだって事が。
「優れた才能に心が宿り、さらに覚悟が定まれば――それはもう、堂々たるスターウマ娘。
ライアン、あなたはもう立派な星を持っているんですわ。最初から輝いていた星とは違う、人気と共に輝きだした、そんな星を」
……あたしが、もうスターウマ娘に。
実感はまだ沸かない。あたしはただ、マックイーンに勝ちたかっただけ――いや。
走り切った今ならわかる。あたしには、それだけじゃなかった。
「……マックイーン。あたし、もう終わりにするよ。
あきらめたフリをするのも。自分にウソつくのも。それから……ミーハーで、子どもみたいな夢を恥ずかしがるのも。
まだ、期待に応えるっていうのは、よく分からないけど、でも」
差し伸べてくれた手に応じて、ゆっくりと腰を上げる。そしてマックイーンの肩を借りて、何とか立ち上がって。
「あたしは……君と同じ、スターウマ娘になる」
メジロライアンとして。
マックイーンに肩を並べる、もう一人のメジロとして。
「……ええ。今以上のスターになることを楽しみにしてますわ。
ステイヤーである私と、中距離の優駿たる貴方。次は、二人共の実力を発揮できるレースで会いましょう」
「お互いが……力を? それって、どのくらい?」
「――いい表情をしている。メジロライアン。
マックイーンも、今日は惜しかったな。二人とも良いライバルだ」
その時。
色めき立っていた人々の声が、次第に動揺へと変わっていった。
「今の世代の先頭に立つのはまさしく君達だ。そんな二人に……私は最後の挑戦状を、送りたいと思っている」
スタンド席の、最前列。
いつの間にかそこに立っていた一人のウマ娘に、驚いた観客が一斉に場所を開けて、固唾を飲んで見守る。
「……オグリキャップさん……!」
あのマックイーンが、呆気に取られたようにその名を呼ぶ。
そこに居たのは、あの伝説のウマ娘。地方から実力のみで中央までのし上がり、走らないとされていた芦毛のウマ娘への常識を覆し、重賞を総なめにして、ウマ娘といえばその人とさえ謳われる絶大な人気を手にした、「怪物」と呼ばれるウマ娘。
――あたし達の世代においてはスターの象徴とすら見なされるオグリ先輩が、あたしとマックイーンへと語りかけていた。
「……君達も、お互いの実力を出せるレースでの再戦を望んでいるんだろう? なら、暮れの中山に来るといい。
そこで私は、新世代の実力を確かめてから――トゥインクル・シリーズを引退しようと思っている」
そして。
その宣戦布告と引退宣言はこの後まさに、国内全土を震わせるような衝撃を持って、宝塚記念の結果と共に世間に伝わっていったのだった――。
※※※
「あらあら、皆さん、おかえりなさい〜。
シャワーにしますか? ご飯にしますか〜?」
――ライアンが念願の一着を勝ち取り、その後オグリキャップの驚愕の宣言を受けた後に、俺達は一切の寄り道せずに京都からここトレセン学園まで帰路についていた。
そうして、チーム部屋を叩いてみれば、迎えてくれたのはエプロン姿のクリークである。彼女には今回ついて来たキングとは別に、遠征しないチームメンバーの面倒を見てもらっていたのだ。
「あら? マックイーンちゃんまで、いらっしゃい。
ライアンちゃん、やっと一着になったんですものね〜。もしかして、今日はパーティーですか〜? どうしましょう、お料理が足りると良いんですけど……」
「あー、いや、違うんだ、クリーク」
クリークの言う通り、今俺達と一緒に、マックイーンも同行してもらっている。
普段ならここでクリークの料理を頬張り、続けて食卓に並ぶスイーツを嬉々として平らげるマックイーンではあるのだが……今日は、今日だけは違った。
「……クリーク先輩」
前に立ったのはライアンである。
さらに、続けてマックイーンが。
「あたし達、有馬に出走します。
そこで、オグリ先輩と戦うんです。今のままじゃ多分、勝てない……だから」
そして、マックイーンの背中を押しながら、自分も深く頭を下げて。
――その呼び名を、口にするのだった。
「あたし達を鍛え上げてください!! ただの先輩としてじゃなくて!!
――『魔王』として!!」
「……あらあら〜。
――そんな呼ばれ方、いつぶりかしら〜」
――かつて。
ウマ娘界を席巻したオグリキャップに立ちはだかった、「永世三強」の一角。
「でも、ライアンちゃんにそこまでお願いされちゃったら……お応えしないわけにはいきませんね?」
――世間からの逆境の矢面に立ちながら、その抜きん出た実力で一度はオグリキャップを打倒した、史上最強の悪役。
「……それでは、ジャージに着替えて来ますので、ちょっとだけ待っていて下さいね?」
――「魔王」スーパークリーク。
そのおっとりした瞳の端に秘める、魂のせせらぎを聴いた者は……少ない。