トレーナーを辞めたい俺と輝きたいナイスネイチャ 作:えだまめX
働きたくない。
この感情は社会人になれば誰もが辿り着いてしまう究極の答えだろう。誰が決めたわけでもなく人は生きなければならない。生きるためには飯を食わなければならないし、そのためには働かなければいけない。
そんなことは当たり前だと思うだろうが、ではなぜ人は生きようとするのか。その根本たる理由を俺はまだ見つけられてはいない。
ある哲学者によれば、人間の生きる理由には「快楽」「倫理」「信仰」の三段階がある。などという記事をどこかしらで見たことがあるのだが、俺としてはそれを望むこと自体が面倒で仕方ないと感じてしまう。
そんなことを自分に言い聞かせる俺の職業、いや、つい先日まで就いていた職業は、日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称トレセン学園で、競争ウマ娘たちを教育指導する専門職、トレーナ―として日々を過ごしていた。
前述したとおり、今はもうトレーナーではない。つもりではあるが、辞めたというよりは職場から逃げてきた。簡潔に言うと職務放棄である。とりあえず辞職届だけを理事長不在中の机にこっそり置いてきた。そのうち理事長秘書である駿川たづなさんに知れる事となるだろうからさっさと見つからないところに逃げねばならない。あの人は怒ると怖いからな。一瞬でも見つかれば即終了、そこらのウマ娘よりも脚力のあるといわれる、人間にしては化け物すぎる脚を持っているあの女に見つかれば最後。心身共にボロボロにされるだろう。故に俺は辞職の交渉などというほぼ自殺に近い行為は避けるべきだと判断した。
そもそもなぜ俺が逃亡という手段を使ってまで辞めたいのかというと、まあだいたい察しはつくだろうが、このトレーナーという職業、めちゃくちゃブラックなのである。
日頃の激務に耐えかねた何人ものトレーナーたちが転職をし、年々減る一方。残ったトレーナーたちの仕事量はまさに悲惨、空前の辞職ラッシュと相成った。
このままではまずい、働きたくないのに仕事量だけは増え続け、飴はの量は変わらんということになりかねない。
まあそういうありふれた理由ではあるのだが、俺は人一倍面倒なことが嫌いだと思っているのでこの業界をおさらばしたいというわけだ。
そんなこんなで今まで生活していたトレセン学園を後にし、適当に街をほっつき歩く。いかにたづなさんといえどこの短時間では見つけられまい。
真昼間の街は人通りも少なく少し慣れなかったが、そもそもそんなに学園の外に出ることもなかったこともあってか新鮮な気分だ。
適当に歩くと大型の薄型テレビが大量に売っている電気屋の前に来た。どのテレビもウマ娘に関する内容ばかり。それほどこの世はウマ娘による国民的スポーツエンターテイメントに熱狂的であった。そのレースの総称は「トゥインクル・シリーズ」と呼ばれ、多くのウマ娘が憧れを抱く舞台であった。
ふと一つのディスプレイに見覚えのある光景が広がる。
『外からルドルフ! 外からシンボリルドルフ!』
俺は目を背けるようにして、その場所を離れる。
『シンボリルドルフが上がってくる! これは速い! シンボリルドルフ最後の直線で一気にごぼう抜きだ! そして今一着でゴール!』
俺がいつしか見た光景。クラシック級長距離3000m菊花賞。この時皇帝シンボリルドルフは二つ名に恥じない伝説となった。皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、見事クラシック三冠の座を勝ち取った。
今でもあの時の熱狂、感動は忘れられない。
当時俺は、皇帝シンボリルドルフの専属トレーナーだった。
だが俺は世間にはシンボリルドルフのトレーナーとしては公表せず、あくまで教官として指導をしているという体でトレセン学園でも知られていた。理由は単純、目立ちたくないからである。『皇帝』のトレーナーというだけで表舞台でさらされ、過度な期待をされ、そして勝手に失望される。無論、皇帝の専属トレーナーというだけで、同期や先輩トレーナーには妬み嫉みといった部分での人間関係の瓦解も考えられたからだ。
だが、勝ち続けるシンボリルドルフは徐々に名声を獲得し、ついにはその『皇帝』のトレーナーは一体誰なのかというところまで来てしまった。その後はとんとん拍子で事が進み、皇帝の専属トレーナーの身元が露わになった。
それからは予想していた通りに、周りのトレーナーたちから妬まれはじめ、彼らは俺を貶めようとあらゆる方法で俺の社会的地位を落とそうと躍起になっていた。それはきっとシンボリルドルフのライバルウマ娘のトレーナーとしての意地もあっただろう。
それ程、シンボリルドルフというウマ娘は最強だったのだ。そしてその最強のウマ娘のおんぶにだっこされ実績を上げるトレーナーこと俺が、無事トレーナー界隈でのヒールとなったのだった。
そしてついには、レースで勝ち続けるシンボリルドルフを狙った奴が現れた。要は、勝つ根本たるウマ娘を出馬不能に追い込めば、そのトレーナーの地位も下がると考えた奴らが現れだしたのだ。
俺はもう限界だった。くだらない大人の価値観の渦に巻き込まれ、自身の育てウマ娘にすら迷惑をかけるどころかこのままでは彼女の夢をも壊すかもしれない、そう思った俺はこの仕事を辞める決意をした。
菊花賞を制したシンボリルドルフ。その時彼女が見せた最高の笑みはもう見れない。彼女のその姿をいつしか見たくて専属トレーナーを請け負いやってきたが、俺自身がその光景すらもなくしてしまうかもしれない。
まあなんにせよ、総じて面倒くさいということだ。
「しかし…行く当てもないんだよなぁ」
トレーナーは基本、学園内に住んでいるようなものなので、外で暮らそうとなれば住処を探さなきゃならないのは必然である。というか職も探さなきゃならない。
あまり考えずにひたすら歩いていたら、小さな商店街にやってきていた。そこそこ賑わってはいるがご老人が多くみられる街だ。その中でも明らかに若い女の子がご老人たちの中に混ざっていて何やら盛り上がっていた。
「ネイちゃん、今回も惜しかったねぇ」
「ネイちゃんが走ってるところを見るだけでワシたちは元気になれるからねぇ」
「あはは…なら次も頑張っちゃおうかな、あはは…はぁ」
女の子の頭の上では耳がぴょこぴょこと動いている。ってウマ娘じゃん、なんでこんなところに。しかもトレセン学園の制服じゃねぇか。
別にあの子が俺を知っているわけでは無いのだが、反射的に電柱の裏に隠れてしまった。
「…何やってんだ、俺」
周りを歩く人々からの目線が痛いのだがそれは気にしないことにし、隠れた電柱から覗き込むようにして、『ネイちゃん』と周りから呼ばれるウマ娘を凝視した。
一番目を引くのはあの癖っ毛のあるツインテール、その髪型からも少し幼いといった印象を感じる。服装は先ほど述べた通りトレセン学園の制服で、帰宅途中に買い物でもといったところでこの商店街に寄った感じなのだろうか。
俺もトレセン学園ではそれなりに長く勤めていたが彼女のことは見たことがなかった。さすがに全生徒を覚えるほどの記憶力は持ち合わせていないので、デビューをまだ果たせていない無名のウマ娘なのかもしれない。とはいえこの中央のトレセン学園に入学できるウマ娘は地方の学園に比べて比較的優秀な娘たちばかりだ。もしかしたら彼女も何か隠れた資質を持っているかもしれない。
「いや、何言ってるんだ、こんなこと考えたところで俺はもうトレーナーなんか辞めるっていうのに」
そう呟きながら頭を抱える。
そうだ、もう俺がウマ娘について考える意味もメリットも無ければ権利もない。経緯はどうであれ俺はあの学園と
そんなことを考えながら、隠れるのもバカバカしくなってきたので電柱の陰から一歩踏み出すと、
「え、ちょ、なんでそんなところが人が!?ってか止まれないって!!」
先程まで商店街の人々と談笑していた『ネイちゃん』と呼ばれていたウマ娘がすぐ目の前にきていた。しかも物凄い勢いで。
「あ、死んだわ」
・・・・・・・・・
ウマ娘。彼女たちはヒトという存在とは異なり、種族としても極めて容姿端麗な者が多い。そして、ヒトとの大きな違いとしては、時速60km以上の速さで走れる脚力をはじめ、あらゆる分野でヒトよりも何倍も身体能力が高い。
では、そんなウマ娘から容赦ない体当たりを食らった人間はどうなるか。答えは死である。
と、そんな風に考察していた時期もあったが、実際に食らってみたところ死にはしないようだ。
「てか、ここどこだよ」
部屋の電球らしき明かりの眩しさに思わず瞼を開き、ウマ娘の全力突撃を食らったことを思い出す。しかしここはいったい。...知らない天井だ...
はい、すみません言いたかっただけです。
「あ、起きた」
ふと横を見るとそこにはぼんやりと座っている『ネイちゃん』が、目を覚ました俺に気づき、小さな声で呟いていた。
俺は開けたばかりの目を片手で擦りながら辺りを見回し、自分が毛布を被っていたことに気が付いた。どうやら、突進を食らい気絶したところを介抱してくれていたみたいだ。
「君は、さっきの...」
さすがに『ネイちゃん』は愛称だろうし、どう呼んだものかと考えていたがその心配は無用で、彼女はバツが悪そうに人差し指で頬を掻きながら答えた。
「あーどうも、ナイスネイチャです、さっきはとんだご迷惑を...あの、大丈夫です?」
『ネイチャ』と名乗った彼女は罪悪感からか申し訳なさそうにそう聞いてくる。それにしてもなるほど。ネイチャだからネイちゃん、ね。
「あー、全然平気だ、ヒトだって案外頑丈だからな」
そう言いながら上半身を起こし、自分が今いるベッドのすぐ横にある窓の外を見る。げ、外真っ暗じゃん。
「ここは君の家か?外はだいぶ暗いみたいだが」
俺が外にいたときはまだ夕焼けが辺りを照らす時間帯だったはずだから、結構な時間寝ていたことになる。
「うん、アタシの家だよ、なんてーか...ぶつかってから全く目を覚まさないからさ、そのままなのも人道的にアレかなって」
その後、商店街の人たちにも手伝ってもらってとりあえずここまで運んできてもらったってワケ。そう続けながら、ふぃーっと息をつくネイチャ。
「とういうかネイチャさん、なんであの時あんな速度で走ってきたんだ?」
「普通に呼び捨てでいいですから...逆になんかむず痒いぃ~」
俺もなんと呼べばいいかわからなかったので、とりあえずさん付けで呼んでみたところ、ネイチャは癖のある自身の髪をわしゃわしゃと両手で搔きむしり、居心地が悪そうに天を仰ぐ。
「で、あー、えっと...なんといいますか、アタシ、一応ウマ娘だからトレセン学園ってトコ通ってるんですけど、わかります?」
「う、まあ、一応?大体は」
勤務放棄したうえに逃亡している身なのでその学校の関係者などとは到底言えるはずもなく、一瞬狼狽えた上にあいまいな回答になってしまう。
「それで、模擬レースっていうが定期的にあるんだけどね、これがまぁなかなか勝てなくてですねぇー、いや、いいトコまではいくんですけど」
模擬レースというのは、その名の通り模擬で行うレースのことだ。基本的にはこのレースなどから、出走するウマ娘のステータスである脚質や距離適性を判断し、時にはその時点で各トレーナーからスカウトされることもある。特にデビュー前のウマ娘たちにとっては数少ない見せ場であり、自分をアピールできる場なのだ。
ネイチャの話によれば、好走はするものの、いまいち伸びないらしく、これではいつまで経っても自分には専属トレーナーも付かずデビューすらもできないのではないか、というわだかまりがあるようだった。
「それにもう少ししたら選抜レースもあるし...どうしたもんですかねぇ、ってすみませんすみません、知り合って間もない方にする話でもなかったですな」
「いや、経緯はどうあれ俺も部屋を貸してもらってベッドまで借りてる身だからな、それくらいはかまわないよ」
いい時間だろうしこの辺りでお暇しようかなと思ったところで時間を確認しようと思ったがこの部屋には時計は見当たらない。ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し時間を確認する。
「げ、もう23時だったのか、電車あったかな...」
行く当てもなかったのでとりあえず二駅ほど離れた実家に帰るつもりではあったが、この時間帯は電車も通ってないだろう。タクシーでもいいんだが如何せん高すぎる。どうしたもんかと考えていたところ
「とりあえず、もう遅いしうちに泊まっていきなよ、暇だし話し相手もほしかったところですし」
「大丈夫なのか?俺としてはありがたい話だが、ご両親は?」
「あ、両親とも今旅行中でしばらくは戻ってこないよ、だから問題なし」
いやそれは逆に問題しかないのでは?この子はその辺のこと考えているんだろうか。だがしかし俺としても今から実家に帰るのは骨が折れるのでお言葉に甘えることにした。決して下心があってのことではない。
「そうか、なら悪いが少しの時間世話になる」
「あいー、ゆっくりして行きな~」
おっさん臭いセリフを口ずさみ部屋を出るネイチャ。とても年相応とは思えないが何かの影響だろうか。と思ってたらまた戻ってきた。
「そういえばお腹すいたりしてない?こんな時間だし簡単なのしか出せないけど」
確かに昼から何も食べてはいない。言われてみれば少し小腹が空いてきた気がする。
「ああ、すまんな、何から何まで」
「あはは~、アタシといえども罪悪感はあるんですよー、出来ることならなんかしなきゃってね」
とてもいい子である。サボり魔の俺とは大違いですね。
・・・・・・・・・
「こんなものしか出せないけど」
そう言いながら部屋に戻ってきたナイスネイチャは、黒を基調とした肩掛けエプロンを纏い、両手で持っていたトレイを部屋中央のミニテーブルに置いた。トレイの上には湯気の立った味噌汁と白ご飯、あとはこの部屋に漂う香ばしい香りの元凶だろうと思われる生姜焼きがのせられていた。
「残り物しかないからアレだけど、お口に合わなかったらごめんなさい」
「いや、すごくおいしそうだ、...食べていいのか?」
どうぞ、と促されたのでありがたく頂くこととする。
うむ、旨い。甘くあり辛さのある生姜焼きが白ご飯と最高にマッチする。味噌汁のほうはなんというか、懐かしさを感じる味だ。これが実家の味というやつか...(ちがう)
「オカン...」
「...何言ってんですか」
やべ、口に出てた。これは恥ずかしいが実際そう思ったので特に訂正はせずにもくもくと箸を動かし飯を口に運ぶ俺。それを眺めるネイチャ。なんだよ恥ずかしいだろこっち見るなよ
「なんだずっとこっちを見て」
「あぁー、なんだか変に楽しくなってきたわー、お世話するのってこんな感じなのかなぁ」
ネイチャは体育座りの状態で体を揺らし、頭の上の耳をぴょこぴょこと左右に揺らしている。年下の女の子にそんなことを言われ俺は少し困惑したが、やっぱりこの子はオカン属性がもとよりあるのかもしれない。
「ふう、ご馳走様でした、とても美味しかったよ」
「…まあ、ちょっとでも満足してくれたならよかったです」
「君は料理も得意なんだな」
「ま、多少はね、それに得意って程でもないし...」
ネイチャはそう言って謙遜はするが、褒められたのが嬉しいのか少し頬を染め目線をそらす。
「でも、毎日大変だろ、家事したりトレーニングしたり」
「家事って言ってもちょっとお手伝いする程度だし、トレーニングしてるといっても結果もまだ出せてないし...」
先程はレースがうまくいってないことにあまり触れてはいなかったが、本当は悔しいのかもしれない。
そうだな、ここまで世話になったんだから俺も何か手伝うことにしよう。
「なら、明日ちょっと君の走りを見せてくれないか?...素人の俺でも何か改善点が見つかるかもしれないからさ」
「え」
ちょっと驚いたように俯いた顔を少し上げる彼女。
「役に立たないかもしれないが、ここまで俺も世話になったんだ、なにか力になりたい」
我ながら、らしくないことを言っている気がするが、俺はきっと本心でこの少女のために出来ることをしたいと思っているのかもしれない。
「...たしかに、違った目線っていうのも大事っていうよね、なら、明日の朝、早いけどいいかな」
「ああ、かまわない」
こうして、明日の早朝に俺とネイチャの秘密の特訓...ではないが、まあそういうことになった。
・・・・・・・・・
早朝、朝6時。場所はネイチャ宅近所から15分ほど歩いた少し大きい公園。へぇ、陸上用で使われるトラックまでここにはあるのか。
ネイチャはトレセン学園のジャージに着替え、伸脚や屈伸などの軽い準備運動をした後、俺に近づいてきた。
「じゃあ、ちょっと流してくるから見ててね」
彼女はそう告げ早速、公園のトラックをたどり走り出した。
・・・・・・・・・
彼女は数分走ったのちに息を整えながら俺の座ってるベンチの横に腰かけ、首にかけていたタオルで顔周りの汗を拭う。俺はあらかじめ用意していたスポーツドリンクを手に取り、ネイチャの頬にあてた。
「つめちゃっっ!......もう」
ネイチャはそれに驚いたのか、甲高い声を上げたのちに不貞腐れるように頬をぷくっと膨らませ、ジト目をこちらに向けてきた。
「おつかれ、ほら、これ飲んで落ち着け」
「...」
彼女は無言でペットボトルを受け取り、そのままゴクゴクと飲み始めた。
「ぷはーっ、やっぱ走った後のスポドリは最高ですなー」
いちいち発言がおっさん臭いウマ娘である。
「...それで、なにか思ったことある?といってもこんくらいで何か言えってのも無いかもだけど」
ふむ、と俺は考え込む。
正直、何点か気づいた点はある。腐ってもトレーナーの端くれだからな、見るところは見ていたつもりだ。
まず、彼女、かなりのポテンシャルを持っている、まあ中央のトレセン学園自体がエリートの集まりみたいなもんだ。
デビューは果たせていなくてもそれなりの実力があるのだ。そして彼女、ナイスネイチャは恐らくまだ自分の得意な走りが見つけられていない。足の筋力、息の入り、走りの姿勢、などどれも個々としては基礎ステータスが高いように感じる。が、彼女の場合、地を蹴る足、すなわちパワーに特化しているのではないかと俺は予想した。
彼女が脚力に優れていると確信した理由は、今回の走りで分かったことではない。
ネイチャが俺に突撃したとき、あの瞬間だった。あの時俺は彼女を見失ったわけでは無かったのだ。あの時、俺とネイチャの距離は少なくとも10メートルほどはあった、だが、恐らくだが俺が瞼を閉じた瞬間にその距離を詰めてきたのである。
それを考えれば、ネイチャの瞬間的な加速力、つまりパワーが底知れないものだと言わざるを得なかった。
だからこそ、それを基点とした走り、すなわち脚質という概念を考えなければならない。今一番彼女に必要なのは恐らくこの概念だと思う。
だが...
「そうだな、走りのフォームとかにちょっと違和感を感じたかな」
脚質の話なんかしたらトレーナーであることなんか即バレKOなので、もう一つ気になった点をアドバイスすることにした。
「...フォーム?」
「ああ、ちょっと走りづらそうな気がしたんだ、例えば...」
そこからは俺も一緒に走りながら手の振り方や足の運び方、いろいろと基礎の部分を見詰めなおしながら時折修正を加えたりしていった。
・・・・・・・・・
「なんか詳しくない?」
ある程度走り終えた後にネイチャが痛いところをついてきた。気になるところを細々と教えて言っていたらさすがに怪しまれるわな。
「いや、俺も学生の時は陸上部だったんでな、多少はわかるんだ」
「あぁ、なるほど」
あらかじめ準備していた言い訳を使い、なんとか怪しまれずに済んだ。ちなみに陸上部に所属していたのは本当である。
「でも、これで前よりも速く走れる気がする...ありがとね」
「ああ、役に立てたならよかった、今から学校だろ?遅れないように気をつけろよ」
「うん、じゃあ、アタシはこのまま行くから、気を付けて帰るんですよー」
「ああ、世話になったな、ネイチャも、まあがんばれよ」
ネイチャを送り出し、俺も実家に帰るつもりで駅に向かい切符売り場へ向かった。駅内は通勤や通学の時刻ということもあってか学生服を着た中高生やスーツを着込んでいる社会人などの老若男女で溢れかえっており、俺はその人ごみをかき分けるように避けつつ、奇跡的に空いていた待合用の椅子に腰を下ろし次の電車を待っていた。
どこに目を向けても人ごみばかりで仕方なく上をボケっと見つめていたら、鬱陶しい程に光り続けるLED掲示板が目についた。こういうのをデジタルサイネージというのだったか、ともかく詳しいことはわからないが人の歩く姿を延々と見続けるよりもマシかと思いその電子ディスプレイに目を向ける。
内容はどこか聞いたことあるようなスマートフォンの販売広告で特に何も考えずにただ光り続ける画面を見つめていたら、一度画面がブラックアウトし再度点灯したかと思ったら、なじみのある光景が映し出された。
『トレセン学園、ウマ娘育成機関』
駅内がごった返して音声は聞き取れなかったがテロップではそう表示されていた。画面には見慣れた学園内の様子、校庭でトレーニングを行うウマ娘たち、教室内での授業風景などの特集番組のようなものが流れていた。
「ったく、どこもかしこも...」
そう言いつつ俺は、早朝まで一緒にいたウマ娘、ナイスネイチャのことを思い出していた。
彼女は自分の実力の伸びが芳しくないことに不安を持っていたと思う。だからこそ彼女は朝のトレーニングをあんなに真剣に取り組んでいたのだと俺は認識していた。ネイチャはレースに勝てないことに対して焦りを感じていた。だが、自分の実力なぞたかが知れている、と、こんな自分に期待するほうが間違っている、と、そんな風に考えているように思えたのだ。
俺にも同じような時期があった。いや、今もそうなのかもしれない。自分に何か秀でた才能がないだろうか、もっと自分にしかできない何かがあるのではないか、と、心のどこかではそう思っていて、ずっと何かに怯えながらも憧れを抱いているのだ。
だから俺は、少し、ほんの少しだけ、
気づけば、駅内の人の流れを逆流するかのように駅を後にし、我が忌まわしき職場へと足を運んでいた。
・・・・・・・・・
俺は学園関係者の職員にバレないように、いつぞやに見つけ出した草木の茂る裏道を進み、校庭が見えるところまで来ていた。校庭はフェンスで一周囲まれているのでここからでは中に入ることはできないが、中の様子を見ることだけなら可能だった。
だが、学園に戻って来たはいいがその後のことは何も考えていなかった。もちろん、正面から入ろうもんなら即たづなさんに捕まり、事情徴収という名の魔女裁判が決行されるのは不可避なので、それだけは勘弁いただきたいところではある。
今日の午前は確か、デビュー前のウマ娘による短距離走、所謂ちょっとした模擬レースがあったはずだ。ネイチャが走るかどうかまでは把握していなかったが、デビューしていないウマ娘は全員参加だったはずなので走るはずだ。
「お、来た来た」
今回のこの模擬レースは五人一組、つまりタイムアタックというよりは実践を意識したレースだ。デビュー前ということはもちろんそういった経験が浅い。だからこそこのような形式のレースを組むことがあるのだ。しかし問題点も少々ある。
まずは、各ウマ娘に対して、大きな実力の格差を意識させてしまうことだ。
競技である以上、差が出るのは仕方がない、というかそもそも個人のレベル差を競うものだから至極当然のことなのだが、トレーナー側としては、彼女らには好きなようにいつまでも走っていてほしい。という風に考える者も多い。そうは思はない人も中にはいるが、大多数いることには変わりがない。
話を戻すが、実力の格差を意識させるということは、各ウマ娘の、この競技に対するモチベーションを低下させる原因となる恐れがあるのだ。
「ネイチャは...まだ見当たらないな」
次々と模擬レースは進んで行く中、なかなかネイチャの姿は見えない。
すると、デビュー前で最も名前が知れ渡っている、学園側からも期待の高いウマ娘が出てきた。
名をトウカイテイオー。デビュー前にして模擬レースでは連戦連勝、未だ選抜レースは未出走のため専属のトレーナーはついてはいないが、走りのセンスとカリスマ性はあの皇帝シンボリルドルフを感じさせるものがある。と言われている程である。
そして、その後に続いてスタートラインに立ったのが、ナイスネイチャだった。
「まさか、寄りにもよってあのトウカイテイオーと走ることになるとは...」
俺の見た限りでは、ネイチャにも十分走りの素質はある。だが、トウカイテイオーは生粋の天才。もちろん努力あってのものだろうが、正直レベルが違うのだ。俺とてトレーナーの端くれ、名のある
もちろん他のウマ娘もいるが、やはりトウカイテイオーがいる衝撃は大きなもので、その周囲にいるトレーナーや教師陣からも大きな注目となっている。
「ネイチャ、大丈夫か?」
我ながら一人のウマ娘に対して過保護な気もするが、でもこれは心から思ったことだ、俺はネイチャに勝ってほしいと、本気でそう思っている。今更そんな資格がある訳では無い事はわかっているが、それでも、と。
そして、トウカイテイオー、ナイスネイチャ、それに続く他三人のウマ娘が一斉にスタートした。距離は1400mの短距離、正直これくらいの距離なら序盤に一気に前に出てそのまま逃げ切るのがセオリーではあるが、そこはそれぞれウマ娘の脚質によって変わるので、特に気にするところではないと思っている。トレーナーによってはセオリーを重んじる人たちもいるにはいるので実際のところ何が最善手なのかはわからないのだ。
トウカイテイオーは前から二番手、ナイスネイチャはそれに張り付くように三番手に位置している。ぴったりとマークしている形だ。
第一コーナー抜けて第二コーナー抜けてそこまでは順位変わらずではあるが、俺はそこであることに気づいた。
ナイスネイチャの走りのフォームに乱れが見られない。いや多少の違和感はあるが、俺が朝教え込んだ基礎はしっかり物に出来ている。あの短時間であれほどの吸収能力、これも彼女の隠れる才能の一つか。
最終コーナーを抜けて直線、トウカイテイオーが一気に仕掛ける。それに追いすがるようにナイスネイチャも速度を上げる、トウカイテイオーがトップに躍り出たが、負けじとネイチャも付いていく。
「しかし、さすがのハイペース...これはさすがにってところか...」
最後の直線、トウカイテイオーが一気に駆け抜けるがネイチャとの距離は変わらず、そのままトウカイテイオー一着、ナイスネイチャ二着といった形でゴールイン。
ネイチャは息を大きく吸うように体を上下に揺らしているが、トウカイテイオーは全く息が切れていない。あのハイペースで走り切って息一つ乱れていなかった。
「まあ、今回は相手が悪かったな、しかし、
そう言い、その場を離れようと振り返った時、そこには悪魔がいた。
「...トレーナーさぁん?今までどちらにいらしたんですかぁ?」
額に青筋をメキメキと這わしながらこちらに歩いてくる悪魔、もとい駿川たずながニコニコした表情ではあるが明らかに怒っているといった様子で近づいてくる。
いやだっ!まだ死にたくない!!
そう心の中で叫びつつ、フェンスと草木の合間を縫って全力ダッシュで逃げる俺。
だがしかし、たずなさんの異常な速さに勝てるはずもなく一瞬で確保されてしまった。いや...俺だって一応陸上競技をしていた身だぞ...どうなってんの。
かくして俺は無事、理事長室に連行されることとなった。
とりあえずここまでです!
読んでいただきたいありがとうございました!