数人からチョコを貰えるなんて、サイゲも太っ腹だと思います。
「わぁーっ! すっごく綺麗!」
ウララの楽しそうな声が車内に響いた。
窓の外に広がっているのは青い空と、新緑に包まれた木々たち。都会のど真ん中にあるトレセン学園からでは普段見られない自然の風景に、地方生まれのウララはテンションが上がっているようだった。
「やっぱり、山は落ち着くな……」
笠松生まれのオグリも同じような心持ちなのか、はしゃぐウララの隣で風景を眺めている。
現在、俺たちチーム・アンタレスは6人乗りのワンボックスカーを貸し切って、とある場所へと向かっていた。
週末、土日。さらに月曜日が祝日なので三連休とあってチームのメンバー全員が参加している。
俺の助手席にはタマが座り、後ろにウララとオグリ。その後ろにグラスとスカーレットが座っていた。
「晴れてよかったなぁ、絶好の行楽日和や」
タマが朗らかに言った。
行楽――そう、表向きに俺達はチームで行楽にやってきたことになっている。
チーム・アンタレスでの簡単な合宿。
だがそれは建前。
本当の目的は今進んでいる山道の先にある。それを知っているのは俺とタマ、グラスとスカーレット。
オグリには内緒で、隠し事が苦手なウララにも伝えていなかった。
「お、見えてきたぞ」
そんなことを考えていると、目的地が見えてきた。
山奥に作られた駐車場、そこに俺は車を止めた。
「ここは……お寺?」
駐車場に建てられた大きな木造建築物を見て、ウララが言った。
「そう、お寺だ」
俺はエンジンを切ると、外に出た。山特有の澄んだ空気が心地いい。
「桐生院寺……どこかで聞いたことのある名前ね」
車を降りたスカーレットが駐車場に書かれているお寺の名前を目ざとく発見する。
「ああ、ここは桐生院先輩の親族のお寺なんだ」
「へえ、名家っていうだけあって色んな所におるんやな」
「ああ、だからこそ許可もスムーズに取れたよ」
「確かに景色もいいですし……もってこいの場所ですね」
スカーレットの後ろを着いてきたグラスが静かにそう言った。
彼女はここでこれから何を行なうか知っているためか、凄みのある声だ。
「ねぇねぇ、あそこまで行ってみようよ!」
そんなグラスとは対照的にウララは楽しそうに、奥に見えるお寺を指差した。
「ああ、皆で行こうか」
俺はウララの手を握るとお寺に向かって歩き出す。ぎゅっと握ったちっちゃな手が心地よかった。
少し歩き、山門をくぐると目的地である桐生院寺の本殿に辿り着く。
「へえ、結構大きいなぁ」
「ええ。雰囲気も素朴でとてもいいですね」
日本文化大好きなグラスはこういうの好きだろうなぁ、なんて考えているとお寺の影から人影が一つ現れた。
穏やかな顔をした禿頭の老人――この桐生院寺の住職さんだった。
「ほっほっほ、そう言って貰えれば何よりですな」
伸びた白い髭を擦りながら、好々爺といった雰囲気で住職さんは俺たちの前までやってきた。
「葵ちゃんから話は聞いております。トレセン学園の皆さんですな。ここの住職をやっております桐生院と申します」
「始めまして、いつも桐生院先輩にはお世話になっています。今回は急な申し出にも係わらず受け入れて下さり、ありがとうございます」
「いえいえ、儂らの一族は代々ウマ娘と深く関わってきた家系です。若いウマ娘のために協力するのは当然のことです」
チームの皆にも軽い挨拶をしてから、住職さんは朗らかに言った。
「では二泊三日の『断食修行コース』、よろしくお願いします」
「っ!?」
瞬間、オグリは最高のスタートを切った。が、
「逃がさへんでオグリ」
「先輩、申し訳ありませんがココに残って貰います」
それを予測していたタマとスカーレットが両脇からオグリをガッシリと押さえ込んだ。
そう。今回ここに来た真の目的は、太り気味になったオグリとグラスのダイエットのためであった。
「は、離してくれ二人とも! わ、私はそんなことをするなんて聞いてない」
「安心せい、オグリ。ほんまに何も食べんわけやない。少しやがお粥と山菜の漬物も出るらしいで」
「そ、それだけじゃお腹いっぱいにならない……」
「オグリ先輩。あたしも一緒の修行をしますので、どうか我慢して下さい」
「だ、ダスカ……後生だ。許してくれ……」
後輩に必死で懇願するスターウマ娘。そんな彼女にグラスがゆっくりと近づいた。
「オグリ先輩。私も相当な覚悟を持って挑みます。どうかオグリ先輩も不退転のお覚悟を」
修羅の形相で言う後輩にさすがのオグリも黙り込んでしまう。
「皆でお泊まりなんて楽しそうだねー」
唯一、状況を上手く理解していないであろうウララが、楽しげに荷物を運んでいた。
「オグリ、俺も同じメニューで頑張る。一緒にスリムな体型を取り戻そう」
「あああ、トレーナー……」
縋るように視線をぶつけてくるオグリに胸が痛くなるが、俺は心を鬼にして言うのだった。
「一緒に頑張ろう」
オグリが息を呑む。
二泊三日の合宿が始まろうとしていた。
…
……
………
合宿中は寝坊と呼ばれる宿泊施設に泊まることとなった。
お寺よりも新しく建てられたようで外見も、綺麗に整っている。内装もちょっとした旅館のようになっており、二泊するには問題なさそうだ。
「しかし山で合宿なんてよく考えたなぁ」
「ああ。桐生院先輩から聞いてな。太り気味のウマ娘を痩せさせるために、桐生院家が代々ここで修行をしてたらしい」
「確かにココなら街から離れとるし、もってこいかもしれへんな」
タマと一緒に荷物を運んで、皆が泊まる部屋に置いていく。
五人はこの大人数用の部屋で、俺はそこから離れた本堂で眠ることになっていた。
折角のお泊まりだ。俺が近くにいない方がいいだろう。
「・・・・・・それにここでもしオグリやグラスが暴走しても、人里離れているから被害が少ない」
小声でタマの耳元で言うと、彼女も苦笑した。
実際にあの二人が暴れ出したら俺たちじゃ止められない。
だがお寺の人達と協力すれば何とかなるかもしれない・・・・・・まあそんなことになら無いようにするつもりだが。
「トレーナー、まずは何をするの?」
荷物を運び終えたスカーレットが尋ねてきた。
「ああ。まずは僧堂で座禅だ。折角お寺に来たのだから、精神面の修行もしないとな」
「己の心を静かに見つめ直し、森羅万象と一つになる・・・・・・素晴らしいですね」
興味津々といった様子でグラスが言う。日本文化を好む彼女には、今回の合宿は好印象なのだろう。
「わぁーっ、楽しそうだね!」
ウララも新鮮な感じで楽しそうだ。
この中で一人だけテンションが低いのはオグリだけである。
それでも皆での合宿なのだから、自然と機嫌も治るであろう。そう考えながら、俺たちはジャージに着替えて僧堂へと向かうのだった。
僧堂は本堂の中にあり、普段はお坊さんが仏道修行を行なう場所である。中は広く、心なしか厳粛な雰囲気で床には畳が敷かれていた。
「おお・・・・・・なんかえらい静謐な場所やな・・・・・・」
「精神を統一するには持って来いだな」
俺はそう言うと、人数分の座布団を床に敷いていく。
「そういえ座禅って聞いたことはあるがやったことはないなぁ。ダスカはどうや?」
「いえ、あたしも・・・・・・トレーナー、あんたは?」
「俺も住職さんに簡単には教えて貰ったけど・・・・・・」
「うふふ、こうやるのですよ。トレーナーさんも見ていてください」
するとグラスがそのまま、座布団の上に腰を降ろした。
そして背筋を伸ばし、両足をそれぞれの太腿の上に乗せて掌を上にして両手の指を組む。最後に深く深呼吸する。
考えられる限り、最高の座禅のふぉーむであった。
「グラスちゃん凄い! どこかで習ったの?」
「うふふ。以前興味がありまして調べてみたのです」
身体を動かさず上品にグラスは続けた。
「とはいってもすぐには出来ませんので、各々が出来る形でやることが最善だと思います。あくまで座禅は、心が大事ですので」
「・・・・・・そうか。よし、俺たちもやってみるか!」
「せやな! 心頭滅却すれば、なんとやらってやつや!」
こうして俺たちチームの修行は始まった。
俺たちは出来るだけグラスのようなポーズで、座禅を組んで目を閉じる。
自然と一体になり、己を見つめ直す。
本当に出来るとは思えないが、何だか感覚は掴めそうな気がした。
都会の喧噪から離れた自然に囲まれているからか、耳に聞こえてくるのは野鳥の囀りや虫の鳴き声。
何とも厳かな雰囲気だ。これなら心も自然と穏やかに・・・・・・
――ぐぅううううううううっ!
「・・・・・・・・・・・・」
突如、そんな音が僧堂に響いた。
オグリの方から聞こえてきたのだ。
とりあえず深呼吸し、もう一度乱れた精神を穏やかに・・・・・・
――ぐぅぅぅぅうううううううううううっ!!」
「・・・・・・オグリ」
呆れたようなタマの声が聞こえてきた。
「・・・・・・違うんだ。私だって出そうと思って出したわけじゃ無いんだ」
「それはわかっとるんやが・・・・・・」
「朝ご飯が少なかったんだ。ご飯と味噌汁と漬物と目玉焼きと焼鮭と千切りキャベツしか食べていないのだが」
「しっかり食っとるやないかい!」
タマの鋭い突っ込みが飛んだ。
まあ朝はちゃんと食べないと体が動かないから、ダイエット中とはいえ多めに食べてもいいとは言ったが・・・・・・
「お二人とも、集中」
グラスの言葉に芦毛コンビは口を閉じた。が、直後。
――ぐぅぅぅううううううっ!」
「がーっ! こんなん集中出来へん! オグリ! 少しは音を止められへんのかいな!」
「すまない、無理だ。何か食べられれば、収まると思うのだが・・・・・・」
「・・・・・・チラチラ俺を見ても駄目だぞ、オグリ」
「そんなっ・・・・・・私は・・・・・・」
――ぐぅぅぅぅぅぅぅううううっ!!
「オグリ、また・・・・・・」
「いや、今のは私ではないぞ」
「え?」
きょとんとした顔でタマは辺りを見渡した。俺も釣られて音の方へと視線を向ける。
すると耳まで真っ赤にしたグラスが、恥ずかしそうに俯いているのが見えた。
・・・・・・思わず、俺とタマは目を逸らした。
横で必死に笑いを堪えているスカーレットも見なかったことにしよう。
「・・・・・・不覚です・・・・・・この不肖、グラスワンダーをどうかお裁きください・・・・・・」
「い、いや、大丈夫だぞグラス。ちゃんと減量している証拠だ。それに生理現象だし・・・・・・」
「そうだぞグラス。私達が頑張っている証しだ。堂々としよう」
「お前は少しくらい恥ずかしがりぃや!」
本当に堂々としているオグリに、タマが突っ込んだ。
確かにこの年頃の女の子なら、腹の虫を他人に聞かれたら恥ずかしいハズだ。
それを恥ずかしがらないばかりか、むしろ誇らしげにしているオグリはやっぱり大物だと思う。
「全く、皆、全然集中出来てないじゃないですか」
ようやく笑いを抑えたスカーレットが苦笑しながら言った。
「しゃーない。元々あんまウチらには合ってなかったんやろ。そう考えるとウララは凄いな。こんだけ騒がしくても静かに座っとる・・・・・・」
「・・・・・・ぐぅ・・・・・・」
「って、寝とんのかい!」
座禅修行は数分で終了した。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
その後、お寺の周りでパワー中心のトレーニングを行なった。
境内は広くないので走ったりはあまり出来ない分、軽く筋トレやダンスの練習を兼任したトレーニング。
軽い昼食を取った後、泊めて貰うお礼として寺の掃除。その後にまたトレーニング。
たっぷり運動して汗をかいた後、寝坊の奥にあるお風呂で汗を流す。
そして夕飯。何事もなく、合宿は進んでいた。
ただ一人を除いて。
「これ・・・・・・だけか・・・・・・」
お盆に乗った夕飯を見たオグリが、絶望的な声色で言った。
今夜のメニューは少量の漬物とお吸い物のみ。昼食の時はお粥もあったが、夜だから炭水化物を抜いてくれたのかもしれない。
「あるだけありがたいやろ。さっさと食うで」
「お腹空いたよぉ~」
「我慢よ、ウララちゃん。これも適正体重に戻すため」
「確かにこれは堪えるわね・・・・・・」
成長期で運動したという事もあって、皆は空腹のようだった。
「ああ、もう食べ終わってしまった・・・・・・トレーナー、おかわりは・・・・・・おかわりは無いのか・・・・・・」
「すまん、オグリ。今回は駄目だ。我慢してくれ」
「そんな・・・・・・タマぁ・・・・・・」
「痩せるための合宿や。後二日、気張りや」
「あああああ・・・・・・」
嘆きながらオグリは崩れ落ちた。
可哀想だが仕方が無い。
でもこの様子ならきっと合宿が終わった時にはかなり適正体重に近くなっているはずだ。後は普段のトレーニングで搾っていけばいい。
俺はそう思いながら、お吸い物を飲み込んでいくのだった。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
「お布団、ふかふか~。本当に旅行みたいだねっ!」
夕食後、トレーナーと離れた五人は寝坊の部屋に戻ってきていた。
これから消灯時間の九時まで、まだ時間があった。そこは自由時間となっていて、五人は各々好きな事をしていいことになっていたのだ。
畳の上に布団を敷き、そこへウララが勢いよく倒れ込む。
「ねぇねぇ、トランプしようよ! あとあと、枕投げも!」
「ウララちゃん、本当に旅行じゃないんですよ」
「でもトランプくらいなら出来る時間もありますね。ウララ先輩、やりましょうか」
和気藹々とする中等部三人、一方高等部の二人は・・・・・・
「タマ、お腹が空いた」
「そんなことわかっとるわ! はよ、離れんか!」
色々と残念だった。
ダウナーな状態で自身に寄りかかるオグリに、タマは困ったように言うのである。
「・・・・・・タマの身体はいい匂いがするな」
「・・・・・・オグリ?」
最初はじゃれ合っていたようにも見えた二人であったが、いつの間にかオグリの瞳に妖しい光が宿り始めていた。
「たこ焼きの香りがする・・・・・・」
「そ、そんなわけあるかいっ! オグリ、きっと疲れとるんや・・・・・・はよ寝んと」
「お好み焼きの匂いもするぞ・・・・・・美味しそうだな・・・・・・」
「お、おい。おかしいでオグリ。もう横になろうか」
「・・・・・・ペロリ」
「っ!」
さすがのタマも完全に動きが止まってしまう。
中等部の三人も思わず息を呑んだ。
「・・・・・・甘い」
ペロリと唇を舐めるとオグリは呟いた。
「・・・・・・あかん。正気や無い」
親友の精神状態がおかしくなっていることを悟ったタマは、オグリを引き剥がそうとする。
「お腹が空いた・・・・・・!」
「ちょ、やめ、落ち着けオグリ!」
「タマは美味しそうだな・・・・・・」
「っ!」
そのまま押し倒そうとしてきたオグリを、タマは本能で反射的に跳ね飛ばした。
「お、オグリ。落ち着け。落ち着くんや。ウチは食べ物じゃない。分かるな?」
「・・・・・・・・・・・・」
「それに後二日くらいの辛抱や。痩せたらまた食べていいってトレーナーも言っとったやろ?」
「トレーナー・・・・・・そうだ、トレーナーだ」
ハッと気づいたようにオグリは言った。
「チームに入るとき、トレーナーは私に毎日ご飯を作ってくれると約束してくれた・・・・・・」
「せ、せやったな。でも今はいつもと違う状況やし」
「・・・・・・そうだ。トレーナーがいる。私にはトレーナーが・・・・・・」
ゆらり・・・・・・とオグリは立ち上がると、そのままフラフラと部屋を出て行こうとする。
「あかん! 皆、止めるで!」
タマの言葉ですぐにグラスとスカーレットが立ち上がった。
遅れてウララもオロオロと立ち上がる。
だがさすがは芦毛の怪物・オグリキャップ。
すぐさまくるりとターンすると、部屋を開けて勢いよく飛び出していったのだった。
「不味い! トレーナーのとこへ急ぐでっ!」
タマがすぐさま飛び出し、グラスとスカーレットがそれを追う。いまいち状況を飲み込めていないウララも、後に続いていった。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
タマ達が泊まる寝坊から離れた本堂の一角にある小部屋で、俺は布団を敷いていた。
明日も朝は早い。さっさと寝てしまう。
それにしても、今日一日中オグリは辛そうだったな。お腹もずっと鳴っていたし・・・・・・
元々は俺の管理能力の甘さが招いた事だ。彼女には申し訳ない。
もしダイエットが終わったらいっぱい好きなモノを食べさせてあげよう。
そんなことを考えていた時であった。
音が聞こえた。
遠くの方から何かを叩くような音が聞こえてくる。
それがこちらに近づいてくる足音だと気が付いた時、部屋の襖がガラリと開いた。
「な、何だ・・・・・・オグリ?」
そこに立っていたのは、寝坊にいるはずのオグリキャップだった。
しかも何だか様子がおかしい。
瞳は胡乱になっており、虚ろな表情で俺を見下ろしていた。
「・・・・・・トレーナー」
焦点の合わない両目で、オグリはいつもよりも低い声で俺を呼んだ。
「ど、どうしたオグリ。もうすぐ消灯時間だぞ」
「・・・・・・・・・・・・トレーナー、お腹が空いたんだが?」
「・・・・・・修行中だ。しょうがない。山を下りたらちゃんと食べさせてあげるから、我慢しなさい」
「・・・・・・トレーナー、約束したはずだ。毎日ご飯を作ってくれると・・・・・・」
「お、オグリ・・・・・・」
マズい。明らかにいつものオグリと違う。
本能的に恐怖を感じた俺は思わず後ずさりする。
――ボタっ
顔に何かが落ちてきた。
ぬるっとした生暖かい液体が、頬を垂れる。鼻孔に香る独特の臭い。これは、
「よ、涎・・・・・・どうしたオグ、リ・・・・・・」
「トレーナー・・・・・・も、美味しそうだな」
「な、何をする気だオグリ・・・・・・」
「駄目だ、もう我慢できないっ・・・・・・」
「や、やめっ・・・・・・」
俺がそのまま逃げようとした瞬間、オグリが俺を押し倒してきた。
すぐ目の前に迫る彼女の整った顔。だがその表情は完全に正気を失っており、口からは唾液がだらだら垂れていた。
「お、オグリっ! 何をする辞めろっ!」
「トレーナー、約束だ。食べさせて貰うぞ・・・・・・」
「は、離せっ! これ以上は・・・・・・」
渾身の力で振りほどこうとするも、所詮は人間。ウマ娘の力には及ばない。
もがく俺の顔に、ゆっくりとオグリの顔が近づいてくる。
このままじゃヤバい。
教え子の高校生に押し倒されたなんて普通に大人としてアウトである。
というかこのまま俺はオグリに食われるのだろうか。
正直、オグリなら本当に俺を丸呑みしてしまいそうで怖い・・・・・・
そんな事を考えている内にオグリの顔はますます迫り、唇が――
「やめんかい、ドアホ!」
突然、オグリの身体が跳ねた。突然やって来たタマが、彼女にタックルをかましたのだ。
吹っ飛んだ彼女を後から来たグラスとスカーレットが押さえ込んでいく。
危なかった・・・・・・あと少しで捕食される所だった・・・・・・
「大丈夫、トレーナー?」
最後にやって来たウララが心配そうな顔で俺を起こしてくれる。
「す、すまない・・・・・・本気で食われるかと思った・・・・・・」
「・・・・・・否定出来んのが凄いな」
冷や汗をかきながらタマが言った。暴れるオグリは何とかグラスとスカーレットが拘束しているが、暴走した彼女のパワーが凄まじいので何時振りほどくか分からない。
「ごはん・・・・・・ごはん・・・・・・」
譫言を言いながらもがくオグリに俺はとある事を思いだし、部屋の隅に向かった。
お坊さんが持ってきてくれた茶菓子がまだ残っていたのだ。
小さなお饅頭を包んでいる和紙を剥がし、暴れているオグリの口元に放り込む。
「ごはん・・・・・・あむ・・・・・・む、甘い」
咀嚼して飲み込むとようやくオグリは落ち着きを取り戻したようだった。
両側から彼女を押さえ込んでいたグラスとスカーレットがほっと胸を撫で下ろす。
「・・・・・・む、皆どうした? トレーナーもどうしてここに?」
「オグリ、あんなぁ・・・・・・」
呆れたように言うタマを手で制して、俺はオグリの前に立って言った。
「ごめんな、オグリ。俺の管理能力が甘かったばっかりに、君に辛いことを味わわせてしまった」
「え・・・・・・」
「本当なら俺がもっと健康に考えたメニューで、料理を作ってやればよかった。今回オグリが太り気味になったのは、俺の責任だ。本当にすまない」
「い、いや・・・・・・トレーナー・・・・・・私もな・・・・・・」
しゅんと耳を垂れながら、落ち込むオグリの頭を俺はゆっくりと撫でた。
「また減量が終わったら、前みたいに料理を作る。今度はちゃんと栄養も考えた料理だ」
「え・・・・・・本当か・・・・・・?」
「ああ。オグリに毎日料理を作る。約束だったからな」
「そ、そうか・・・・・・」
「これからもずっと。君に料理を作る。だから少しだけ我慢してくれ」
「・・・・・・そうか、ずっと・・・・・・か・・・・・・」
オグリは噛みしめるように反芻すると、頬を少しだけ朱くしてうんうんと頷いた。
「皆、心配をかけてすまない。私も少々、取り乱していたようだ。だが何とか落ち着くことが出来た。もう大丈夫だ」
ようやく元の冷静を取り戻したオグリは、ペコリと頭を下げる。これならもう大丈夫だろう。
「オグリ先輩、もういいの?」
「ああ、迷惑かけて申し訳ない」
ウララの頭を撫でながらオグリは柔和な笑みを浮かべた。これで一件落着と胸をなでおろした時だった。
「ちょい、トレーナー。さっきの言葉はホンマなんか?」
「え?」
随分と怪訝な表情でタマが脇腹を小突いてきた。
「さっきの話って・・・・・・」
「私も気になりますね」
ずいっとグラスが横にやってくる。
「ずっと料理を作るって話、詳しく聞かせて貰うわよ」
その反対側にスカーレットもやってくる。
心なしか三人とも機嫌が悪そうに見える。
「トレーナーはもっと考えてモノを言った方がええな。ほら、こっち来い」
三人に連行されていく俺であったが、オグリが元に戻った事にほっと安堵するのであった。
その後、オグリは合宿でちゃんと自制して無事減量に成功。
山を下りる頃には適正の体重に戻って、トレセン学園の帰路へと就いたのであった。
しかし・・・・・・力で人間はウマ娘に勝てないな・・・・・・
オグリに押し倒された時を思い出しながら、俺は絶対にウマ娘と対立することは辞めようと心に誓うのだった。
今後、展開について
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基本的にコメディで、時々シリアス
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基本的にシリアスで、時々コメディ
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シリアスは無い方がいい