メイクデビューが終わってから3日ほどたつ。そろそろ、初夏と言える季節になってきた。
学園内のミーティングルーム。
私とナリタタイシンは、今後のスケジュールについて話し合っていた。
「だから、今のアタシのコンディションなら重賞だって勝てる。ホープフルステークス、走らせて」
薄茶色の髪が揺れる。青い瞳が私を射貫く。彼女の発言は最もだ。
今の彼女は同期のウマ娘に引けを取らないほど目まぐるしい成長を遂げている。
元あるスタミナ等の短所の克服を最低限にとどめ、長所であるラストスパートのスピードと、パワーを伸ばすメニューを中心にすることで、自己ベストの更新を続けることができている。
「それは分かるよ。でも、今年は、ジュニア級は調整に徹底しよう。重賞は出てもGⅢまで。基本はPreOPやOP戦にでて、とりあえずレース場を走り慣れようよ」
トゥインクル・シリーズでは一年を通して数多くのレースが開催される。レースも全て同じではなく、グレードというものが存在する。下から順にPreOP戦<OP戦<GⅢ<GⅡ<GⅠと区分されている。
さらにGⅢ以上は重賞レースと言われ、そこに集うウマ娘たちの実力は自然とトップレベルのものばかりとなる。最も、このグレードがついたレースに参加できるのはメイクデビュー以降から一勝できたウマ娘だけだが。
メイクデビューを終えたジュニア級のウマ娘たちの重賞レース、それもGⅠは一つしかない。年末に開かれるホープフルステークスのみだ。
「アンタの言ってることは分かる。分かるけどさ、目の前にチャンスが転がってるのに、それを素通りするなんてことアタシはしたくない」
彼女の訴えが痛い。痛いほどわかる。でもダメだ。ホープフルステークス、100回走っても100回勝利するという確信が私にはある。
けれど、見てしまったんだ。ほんのわずかでも彼女の敗北するビジョンを。100回走っても100回勝っても、101回目は敗北するかもしれない。その101回目が今回のレースだったら?
ほんのわずかな小さな綻び。普段であれば考慮する必要のないものだが、ウマ娘にとってホープフルを走るチャンスは1度しかないのだ。
その言葉の通り、このレースに勝った馬は次世代を担うウマ娘と扱われるようになる。けれど、それは同時に注目を浴び、GⅠウマ娘としての重圧を背負うということでもある。ホープフルステークスに勝ったウマ娘は注目も大きくなるが、次の年であるクラシック級で勝てるとも限らないのだ。
今コンディションがいい。タイムも順調。負ける要素がない。だというのに万が一でも負けることがあれば?
「お願い。わかってあなたのためなの」
「なに、それ」
「
「っっ!」
彼女の気持ちを蔑ろにするような内容を提案してしまったことが申し訳なく、ただ謝罪を述べることしか私にはできなかった。
「あっそ……」
その言葉はひどく冷めたような声音だった。わかった、と彼女が承諾した瞬間。メールが届く。
「学園所属の全トレーナー、全ウマ娘に告ぐ! 諸君の未来にかかわる重大発表がある。至急、学園内にある、テレビをつけるように!!!」
「なにこれ」
「さあ? また、理事長の突然の思いつきかな……とりあえず、ここのテレビつけてみるね」
学園より支給されているミーティングルーム。そこの備品として配置されている少しだけ埃のかぶったテレビをつける。
「感謝ッ! 全トレーナー、全ウマ娘、集まってくれたメディア諸君!」
「あいかわらず、このちびっこ理事長、よくわかんないことしてるね」
「悪い人じゃ……ないんだけどね」
おかしな人ではある。
「提言ッ! トレセン学園理事長の名において、ここに新レース『URAファイナルズ』の開催を宣言するッ!!!!」
記者会見場の記者たちがざわついている。
「URAってさ」
「この前、二村さんが言ってたやつだよね」
寝込んだ私を看病していた際、帰り際に放ったあの発言。『お前らは早く勝ち上がってトゥインクル・シリーズの頂点。URAファイナルズに来い。そしたら全力でお前らを食い殺してやる』
あれは、このことを知っていたのか。ホントに、あの人は私の進む道の先をいつも行ってる。腹立たしいほどに。
「『URAファイナルズ』とは、あらゆるウマ娘が、己の全力を以て、頂点を! 最強を! トップの座を!! 競うことができるレースなのだッ!!」
「頂点、トップ……」
「諸君ッ!!!! 悔しい想いをしたことはないか? 距離やコースの適性が合わず、己の実力すら発揮できずに終わったことは? 走るウマ娘の輝きとは、即ち意思の激突!! ウマ娘たちが全力で頂点を競い合い、輝きを放ちあうことこそ我が理想ッ!! そこで、URAファイナルズでは『全ての距離』、『全てのコース』を用意する」
「マジで小学生の考えた最強のレースって感じじゃん」
頬杖をつきながらタイシンはそうつぶやく。けれど、その声音はわずかにトーンが上がっていた。
「参加資格を得られるのは、ファン投票で選ばれたウマ娘! 即ち、トゥインクル・シリーズにて活躍し、多くのファンを獲得した代表的なウマ娘“スターウマ娘”にのみ出走権が与えられる! ウマ娘諸君! 己の実力を出せる舞台で走り『ファイナルズ・チャンピオン』の称号を掴んでみないか!? トレーナー諸君! 己の担当ウマ娘を初代チャンピオンの栄誉に輝かせたくないか!?」
ゾクリ、と背筋が震えた。同時に、心臓の鼓動が早くなった。目は開き、呼吸が荒くなる。
強い幻覚をみた。ターフの匂い。沸き上がる歓声。彼女が初代チャンピオンになる光景。トロフィーの感触。激しい呼吸で、からからに乾いた舌のザラザラとした感覚。
ああ、見てみたい。彼女が頂点を取るところを。
ちらりと脳裏に映るのはトレーナーになる前に見た記憶。
周りの羨望、期待、嫉妬、全てを受け止めたうえで、矜持をもって三冠を戴く皇帝の姿。
つい、思ってしまった。ナリタタイシンがそうであってほしいと。
『お姉さんは、ナリタタイシンがみたいのかな?それともナリタタイシンの走る姿、彼女の末脚がみたいのかな?』
白い影が囁く。
うるさい。どっちでもいい。そこに上がれるなら私は、私は……!
「チャンピオンになった場所から見える景色。そこでの呼吸ってのはどんなだろうね」
彼女はテレビから視線を逸らしていない。
「さあッ!! 皆、3年後新年の初開催に向け、ファンを集め、“スターウマ娘”となるのだ!」
会見は続き、生徒やメディアから質問が続いている。私たちはそれをじっと眺めていた。けれど、話の内容などは頭に入ってない。たぶん、ナリタタイシンも。
無言の時間が続く。
会見が終わりかけたころ、頬杖をついたままナリタタイシンが口を開く
「ねえ、トレーナー」
極めて冷静な声音。ただ、彼女と出会ってから1番とも言えるほど、強い意志を感じた。
「アンタのことは信頼してる。たぶん、アタシの走りに関しては、アタシよりもずっとアンタの方がわかってる。だから、どれだけアタシが気に食わなくてもレースに関してはアンタの考えを優先しようと思ったし、今後も優先しようと思う。でも、これだけは譲れないや」
彼女はポツリポツリと語る。
「……アタシはホープフルに出る。絶対に。URAファイナルズの存在を知った今、アタシは目の前に転がってる、頂点に続く切符を、自分からふいにしたくない。」
「……」
「どれだけ詰ってもいい。もう、知らないって見放してもいい。でも、ここで出なきゃアタシは一生後悔を抱えたまま生きることになる。それくらいなら、アタシはホープフルに出たい。負けたっていい。ターフの上で死ねるなら本望だから」
頬杖をついていない手でグッと拳を握りしめる。少しだけ、赤く滲んでいる。
バカだ。本当にバカだ。どうしようもないほど愚かだとしか言いようがない。
「タイシン、私トレーナー失格みたいだ。私は、あなたの走りなら全部理解できていると思ってた。でもそれは驕りだった」
可能性なんて知ったことか。少しでも見込みがあるなら信じてやるのがトレーナーじゃないのか。
「……今のアナタに必要なのは調整じゃない。ホープフルに出て、知らしめてやることだ。眠れる獅子が目覚めたって。私はいつまでもあなたが走る姿を見たいと思った。けど、ダメみたいだ。私はきっと殺す。あなたを殺すつもりで走らせる」
ターフの上で死にたい。そう願うのならば、トレーナーがそれを否定してどうするんだ。
「URA初代チャンピオンナリタタイシンとして走るならあなたは死んでも走らなきゃならない。その先にどれだけの苦しみがあったとしても。アナタの絶対的な目標はクラシック三冠。今決めた」
たぶん、これがURAチャンピオンになるための近道だから。
「その足掛かりとしてアナタはホープフルステークスに出る。そして勝たなきゃならない。負けたら許さない。でも、負けた後に、走ることを辞めるのも許さない。アナタは3年後のただ一度のチャンスのために、命を削って走り続けるの」
「ホント、あった時からイカれてるね。アンタ」
「怖くなった?」
「ここで逃げ出すことに比べたら全然」
「今まで話してたスケジュールは白紙ね。再構築するから1日だけ時間を頂戴」
「ん。わかった」
今日のトレーニングは軽く流すように伝え、私たちは解散する。
ナリタタイシンに対する強い幻覚を見た。
絶対に私はそれを叶えたい。叶えなきゃならない。
夏が来て、秋になり、冬を迎える。残された時間は長いようで短い。ただの一つもこぼさずに、