「明けましておめでとうございます。一ノ瀬さん、二村さん」
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます」
元日が過ぎ、三が日も中日に入った。お正月ということで外を見やっても人気は少ない。
そんな中、私と二村さんは正座でたづなさんに新年の挨拶をしていた。
しっかりと、両手と頭をしっかりと地につけて謝意を示す。そう土下座だ。
新年をナリタタイシンたちと迎えた後、一緒に初日の出を見た。私はしごとの疲れと徹夜の疲労が重なり家に帰り次第、速攻で寝てしまい目が覚めると1月2日になっていた。
目覚めた私は、いつものようにスマホを見ると、多くのメッセージが溜まっていた。送り主はたづなさんであった。
寝ぼけていた私の頭はばちばちと音を立てながら高速で計算を始める。もちろんほしい計算結果は、最もダメージの少ない言い訳の方法だ。
だが、情報が足りない。危険を承知で私はメッセージアプリを開く。数多くのメッセージがポンポンポンと流れはじめ、最新のメッセージが表示される。
【今からお迎えに行きますね】
「はわわわわわ」
衝撃のあまり思わず、スマホを落とし、両手で口元を抑える。
ちらりと見えた画面の最後のメッセージは5分前に送られていた。
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい。
とんでもない過失。付けてしまった既読。逃げることのできない断罪。恐怖のあまり、足が動かない。
くそっ、動け。動けよ! 私の歩みはここで止まっちゃいけないんだ、と心では思っていても、体は動いてくれない。
ピンポーン
音が聞こえた。
天使はラッパを吹く。悪魔は角笛を鳴らす。なら、鈴の音が意味するところ、それを鳴らす人物はおのずと分かる。
「一ノ瀬さーん、いますか~?」
声を押し殺し、やり過ごす。意味がない。それはわかっているが、体が自然とそうなってしまうのだ。
ピンポーン
もう一度、鈴の音が聞こえる。
思わず目を閉じて、必死に扉から背を向けて両手で頭を隠す。
2度目の言葉はなかった。
代わりに聞こえたのは、がちゃりと錠の開く音。
私の終末が訪れた音だった。
「お迎えに来ましたよ」
その瞬間、私の視界は暗転した。
気づけば、たづなさんのお部屋にいた。
正確にいうと、トレセン学園近くにあるたづなさんが住んでいるマンションの一室だ。ここが本来の彼女の家だ。でもここに帰るより、トレーナー寮の一室に帰るたづなさんの姿をよく見るのでここはたぶんセカンドハウス的な何かになってるんだろうな。お正月やお盆などの行事ごとがあると私と二村さんはたづなさんの家に行くのが恒例となっているのだ。
彼女は3LDKもある高級マンションに住んでいる。別にもっと狭くてもよかったらしいが、行く当てを無くした子や、自分の発言で職を無くしたりする子の一時しのぎとして使わせるためにあえて広くしているらしい。
たづなさんからその話を聞いた時はなんて人格者なんだと感動していた。しかし、訪れるたびに、リビングがクソでかシアタールームへと変貌していくのだ。
私は思った。あ、この人趣味のためにここを借りたんだなって。私がいるこの部屋にはDVDだけでなくVHSもベータも保存されている。つまるところ、ここは彼女のコレクション部屋だ。
そんな風にDVDなどが保存してあるBOXを眺めていると、隣には白目を剥いた二村さんの姿。何があったのかを知るのかは想像に難くない。
とりあえず、わき腹を蹴とばす。
「とりあえず、さっさと起きろ!」
「ごめんなさい。ごめんなさい。許して、許してください! はっ」
ほんとになにがあったんだ、この人に。しかし、そんなことは今はどうだっていい。重要なことじゃない。
最初はいぶかしげな表情を見ていた彼も、この部屋に気づくと何かを察したように私を見つめる。
無言で、私たちはうなずく。生まれてから24年間の付き合いがある私たちだ。この場における最善策など語らずともわかるのだ。
神妙な面持ちで、この部屋を出てリビングへ向かう。
いたのは、豪勢な料理をテーブルに並べているたづなさんの姿。並べられたおせち料理はとてもおいしそうだ。まるで最後の晩餐って感じ。
音に敏感な彼女はこちらを振りむく。
なんで、ここでも帽子外さないんだろう。絶対言わないけど。
そしてにっこりと笑い、新年の挨拶をしてくれる。
「明けましておめでとうございます。一ノ瀬さん、二村さん」
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます」
しっかりと、両手と頭をしっかりと地につけて謝意を示す。そう土下座だ。
「お二人とも、やめてくださいよ。そんなにかしこまらなくても……まるで、なにか謝罪をしなければいけないことをしたような様子じゃないですか」
ニコニコと笑いながらそう言う彼女。
ぞわりと、全身から汗が噴き出す。こここそ、まさに失敗してはいけない選択肢だ。
たづなさんのウマ娘について語りませんか、と映画を一緒に見ませんかを絶対に断ってはいけないように、ここでも絶対にしてはいけない選択肢が存在しているはずだ。
「年越しで酒を飲みすぎてしまい、担当ウマ娘にもたづなさんにも新年の挨拶をせず、寝て過ごしてしまい大変申し訳ございませんでした!!!!」
腹にドスンと響くような大きな謝罪であった。平伏しながら様子をうかがう。するとたづなさんも毒気が抜かれたようにキョトンとした顔をしていた。
や、野郎、やりやがった!!
たづなさん対策その1、素直に自分の非を認めて謝るべし!
何が悪いかを自分が理解しておりそのことに謝罪する。シンプル。故に強い。そして、発覚してから時間が短ければ短いほど効力は強い。つまり二番煎じになればほとんど効果はないと言っていい。
や、やられた……っっ!!
やはり、この男、化け物だ。瞬時に最適解を導き出し、自分に有利な場を作っていく。それに、なんて澄んだ目でたづなさんを見つめているんだ。誠意の重ね掛けか。本当にその手練手管には恐れ入ってしまう。
たづなさん対策その2、たづなさんの情に訴えるべし!
誠実、実直、勤勉、全ての物事に対して真摯に向き合うことを重んじる彼女に誠意を見せるのはかなり友好的な手だ。しかも、彼の場合は普段不真面目な性格がプラスに働いている。ここで真剣な表情をすることで、いつもしない表情を見せるほどの反省を示しているという、相対的な反省度をグンと伸ばすことができている。
完璧すぎる一手。やっぱり、この男は本当に近くて遠い存在だとまざまざと見せつけられてしまう。
「へぇ~、二村さんってお酒を飲んで一日つぶしちゃってたんですね。それに、担当ウマ娘さんへの挨拶をしてなかったんですか。……私、びっくりしちゃいました」
「ぐっ!!……いや、その~、トレーナー同士の付き合いというか~、止むに止まれぬ事情があったというか~」
ニコニコとしながら、胸の前で両手を合わせて心底驚いた様子を浮かべるたづなさん。隣の男から誠実な視線が消え失せ、取り繕うように目を泳がせている。
ああ、なんてことだ。彼は墜ちた。地に伏してしまった。今までの対策が全て彼に対する牙へと変わる。
非を認めての謝罪。確かに早いほどいい。しかし、発覚していなければそれは非ではないのだ。つまり、彼は自分で自分の罪を増やしてしまった。
そして、増えた罪の告白に実直さなど求められていない。不真面目な彼がまた、不真面目な行為をした。それは好感度のマイナス下降に大きな補正となる。
そう、彼の不敗神話は音を立てて崩れたのだ。いや、むしろ隣の男がたづなさんに勝ったことなど一度もないけれどね。
「では、お二人に連絡しておきますね。お二人よりもお酒を取ったと」
「ど、どうかそれだけはご勘弁を!!!」
なんだよ。なんだよその姿は。私が憧れた背はそんなに小さかったのかよ。ぱっと見同世代、もしくは少し年下の女性にペコペコと謝る二村さんの姿を見て私は少しだけ胸が切なくなる。
ああ、こんなところで私は彼を越えることできるのか。とても嬉しいけれど、やはりどこか虚しさを感じてしまうな。
感慨に浸っていると、たづなさんは私に声をかけてくる。
「一ノ瀬さんも、もう頭を上げてくださいよ。……ええ、気にしていませんから」
「ですよね! やっぱり年越しで酒におぼれる三十路なんて、ホントにどうかしてるなって私も思ってたんですよ!」
もはや、ウイニングランだ。彼女の味方に徹する。
「ホントにそうですよね。元日に初詣に行くので予定を開けておいてくださいとお願いしておいたはずの一ノ瀬さん」
「あっ……」
「一ノ瀬、おまえ……そこまで堕ちたのか」
「見ないで! こんな私を見ないでよ!」
なんということはない。私は走る前から失格だった。
「ナリタタイシンさんたちとの初日の出を見たのはとっても楽しかったですか?」
また、私は断頭台に立たされている。なら、言うべきことは一つだ。
「すっごい楽しかった!」
このあと、メチャクチャセロリとパセリのサラダを食べさせられた。泣いちゃった。
「お二人とも用事があるのはわかります。ですが、連絡の一つもないというのは社会人としてどうなのかと私は聞きたいんです」
「はい」
「はい」
二村さんが、大切にとっておいたお酒をここで解放させられたり、私が、セロリパセリサラダを泣きながら食べていると自然と時間は過ぎた。だというのにテーブルの上のおせちをつまみながら、たづなさんはお説教を続けている。
というのもたづなさんも酔いが回ってきたのだ。ほんのりと朱に染まった頬で私たちに対する小言をずーっと繰り返している。
「一ノ瀬ちゃん、お肉ですよ。お野菜を包んで一緒に食べると、げーってしなくてすみますよ。もうそろそろ、年長さんになるんだから好き嫌いしちゃだめですよ」
「たづなさん! 私はもう24だよ! 抱っこして膝の上にのせないで! 野菜もあんまり好き嫌いなくなってるから」
「たづなさん。そのちびっこはもう4歳じゃなくて14ですよ、14。……叔母さんの見様見真似でオムツ変えたりミルクあげてたりしたけど、一生懸命世話した子が、もう中学生なんてなあ」
「二村さん!? 話聞いてた? ねえねえ! 私はね、私は24だよ! 24なの!!」
「ああ、そうでしたね。本当に時が経つのはとても早いですね……もうそろそろ高校生ですか」
くう~、こいつら正気じゃなくなってる。ねえ、なんで2人ともそんなに私を成人だと認識してないの?
おい、オッサン。そっとお酒を私の手から遠ざけないで。たずなさんも結構な頻度で私の口に食べ物を運んでこないでよ! どうして、私の手元にはスプーンしかおいてないの! ねえ!
いい感じに2人の酔いが回ってきて、私に対する扱いが段々と幼児へのソレになってくる。たづなさんがちょっとおしゃぶり買ってきますねって言われたときに、泣きながら引き留めた私は悪くないと思うの。
どうしようもできず、この嵐が止むのを待っていた私に転機が訪れた。
ピンポーンというチャイムの音。
私は様子を見てくるという体で、その場から離れる。
「はいはい! どちら様ですか」
「私たちだよ」
思わず、声が弾んでしまうのを自覚しながらモニターを見ると、シンボリルドルフとサイレンススズカが映っていた。
どうして? そんな疑問が顔に出ていたようで、ルドルフが画面越しの私に向かって説明する。
「たづなさんにお誘いを頂いたんだ。ちょうど、新年の親戚への挨拶回りも一区切りついたので向かってみようと思ってね。そしたら偶然サイレンススズカとも道すがら合流して一緒にやってきたんだ」
「走ってたら会長さんに誘われて、トレーナーさんにはまだ挨拶してなかったから来てみたの」
なるほど。なるほど。この2人に今の惨状を見せていいのか、私は少しばかり躊躇ってしまった。しかし、それも杞憂だろう。トレーナーとウマ娘に信頼があれば関係ないよね!!
私はつらい現実を1人で直視できるほど強くはなかったのだ。
「どうぞ! 入ってきていいよ」
私は笑顔で2人を出迎えた。