「えーと、ご趣味は?」
「それ知って今後のトレーニングに活かせるの?」
「好きな食べ物とか」
「変わんないし」
「……好きなシューズメーカーとか?」
「やる気ないんだったら、私もう帰りたいんだけど」
そう言ってナリタタイシンは不機嫌そうに頭をかきむしる。
彼女のトレーナーとなって2週間ほどになる。しかし、先日に決定的なコミュニケーション不足を痛感した。そこで、相互理解のための話し合いの場を今回設けてもらった。
まずい、もうネタ切れだ。お互いを知るためのオーソドックスな質問を用意したがことごとく突っぱねられる。
彼女はそういう馴れ合うようなやり取りは求めていないようだった。
どうしたものかと、唸りながら思案していると、お先に、と言ってナリタタイシンは荷物を纏めて立ち上がっていた。
「待って」
今までの思考を全部投げ捨てて彼女を引き留める。
「まだ何かあるの」
彼女はこちらを向くことなく呆れたように返答する。
「どうして、昨日はあんな練習をしていたの」
ドアに掛ける手が止まった。
「別に。そういう気分だったんだよ」
彼女はその場に立ち止まったが、やはりこちらを向くことはない。
「それはおかしい。貴方の長所は序盤に足を溜めて他の娘よりも長いスパートで巻き返す圧倒的な追込。それはミーティングでなんども確認した。でも、昨日のあの練習は足をほとんど溜めずに走っていた。あれは追い込みというより、先行を意識し……」
「悪かったよ。反省してる」
彼女はばつのわるそうな表情で謝罪した。
昨日、眠ってしまう直前までずっと考えていた。どうしていつもの彼女らしくない無茶な走り方をしていたのか。自分の得意な走り方は彼女自身がよくわかっているはず。なのにそれをしなかった。あるのは彼女が気分屋だったという可能性。すぐに否定する。自分のスタイルをわざわざ無視するほど彼女は豪胆ではない。
だとすると、
「誰かに何か言われたの?」
「……別に」
彼女の縦に伸びた耳が動く。目を伏せる。こちらを見ようとしない。
私はじっと彼女から目をそらさない。
その沈黙はひどく重く長い間のように感じた。
「……りだって」
彼女がその沈黙を破る。
しかし、よく聞こえない。
「え? なんて?」
「お前の走りは学園のトップには通用しない、勝ち上がるのは無理だって……言われた」
ポツリポツリと、途切れるように彼女は語り出す。
要約すると、彼女が参加した模擬レースを見ていたベテラントレーナーが彼女に話しかけてきて、今の時代は逃げか先行の適性がなければ通用しないと言われたらしい。
それで、ついカッとなってそちらの適性の練習をずっとしていたとのこと。なるほどね。
「ナリタタイシン、その人の名刺とか連絡先聞いた?」
「いや、一方的に言われただけだから知らないけど」
「なるほど。なるほど。そうね、そう。……ごめん、ナリタタイシン。私、用が出来たから今日は解散ね」
今日は、きわめて快晴だ。本当に曇り一つない。
曇っているとするならそのトレーナーの目だけだろう。
きわめて平静を保ちながら、立ち上がった。そして、ドアノブに手を掛けようとすると制止される。
「いや、今の流れではい、そうですかって帰せるわけないじゃん……」
「止めないで! これは私のプライドの問題なの! ここで行かなきゃ、私は私を許せない」
「いや、だからアタシがもう気にしてないんだから、アンタもムキにならないでよ」
「いーや、無理だね。世界の全てがその人を許したって私だけは許さないよ」
「……だから、そういうのはほんとにいいって」
なんとしても行こうとする私を、タイシンは困惑しながら諫める。しかし、それも途中から口数が少なくなっていく。
「タイシンどいて! 私のあらゆるツテを使ってそいつに一言言ってやらないと私の気が済まない」
「あのさぁ……いい加減にしてよ」
片手で頭を抱えながら彼女は鬱陶しそうな表情で私を見る。
「めんどくさいことを言われたのは私。それにムキになってメニュー外の練習したのも私。その私がどうでも良いって言ってんだから、この話はこれでおしまい。何度言ったらわかるの」
「どうでもよくない」
「だから……」
私の態度に腹を煮やしたのか彼女は奥歯を噛みしめ、そして吠える。
「その一緒になって怒ってますって態度が不愉快なんだよ! 自分のことでもないのにそんなにギャーギャー言ってさ“私はあなたのことを真剣に考えてます"とでも言いたいわけ!? 本当にむかつく。あんたは私のなんだって言うの! 家族? 親友?……高々数週間の付き合いなだけじゃん。軽々しく私の事情に首を突っ込むな! 何にも知らないくせに」
彼女の溜まった感情が爆発する。堰を切った言葉はとめどなくあふれてナリタタイシンさえも溺れそうになり息を切らしている。
その言葉の圧に驚く。そして思わず鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなった。別に悲しいわけではないの、次第に視界はぼんやりと滲んでいく。
その様子をみた彼女は、一瞬眉を動かすが、厳しい声音は変えずに続ける。
「そうやって、思い通りにならなかったらすぐ泣く。ほんとに女子って感じだね、あんた」
ちがう。ちがう。拒絶されて悲しいわけじゃない。好きで涙を流してるわけじゃない。ただ、私は感情が言葉よりも体からあふれやすいだけだ。
そう言いたいけれどそんなの彼女は欲してないし、私も理解してもらう気はない。
でも、たった一つだけ、彼女に知っておいてほしいことがある。絶対に伝えないといけないことがある。しゃくる喉を必死に抑えながら、彼女に向って訴える。
「私は、あなたのプライベートを……何も知らない……あなたが誰に何を言われたって私には全然関係ない」
溢れないように、落ち着いて気持ちを溜めていく。絶対に目を逸らさない。
「私が知ってるのは、あなたのその末脚は誰にも負けないってこと。あなたの足は絶対にトゥインクルシリーズを勝ち抜ける素質を持っているってことだけ」
腕で顔を拭い、視界を確保する。それから淡々と自分の気持ちを述べる。
「いつも、それだ。いつもそうやって、知ったような口を聞いて、出来もしないことを自信満々に語る。ふさげないでよ」
「ふざけてるのはそっちでしょ」
「は?」
「あなたのその末脚は、最終直線600mだったら誰にも負けない。唯一抜きん出てる。並ぶものなんて誰もいない……でもその末脚を十全に発揮できるには今のあなたじゃ足りないものが多すぎる。序盤から中盤までの十分な溜め、後半に爆発できるほどのスタミナ、加速力を保つためのパワー。そしてその練習量の調整……あなたの脚は非常に繊細なの。スパートをかけるタイミングがわずかにずれたって発揮できない。常にレースを意識した状態で、スパートをかけるタイミングを体にしみこませなきゃいけない。でも、あなたはいつだって無理をしすぎてる」
目の前の彼女は鼻を鳴らし、目を逸らす。
「私はあなたのことを何も知らないけど、あなたの脚の価値はあなたよりも、私の方がずっと理解してる」
やめろ、と私の理性が警笛を鳴らす。それ以上はいけない、と何度も何度も頭の中でがんがんとうるさいほど訴えてくる。
「あなたが自分の才能を信じているんだったら……それこそ、何も知らない見ず知らずのトレーナーの言葉なんて、耳を貸す必要はないでしょう?」
なのに、どうしてそのトレーナーの言葉に揺さぶられたの?と、続けそうになるのを必死に抑えた。
自分でも驚くほど、声が低くなっているのがはっきりとわかる。
「うるさい」
彼女は拒絶するように、私に向かって吐き捨てる。しかし、先ほどに比べ覇気がない。聡い彼女のことだ、一番理解しているのだろう。
「あなたはとても賢いよ。序盤の視野の広さ、掛からないような冷静な位置取り、スパートをかけるタイミングだって、本能的に理解できている。……じゃあ、そんな聡いあなたがどうして、違う適性の練習をしようとしたのか」
「黙れって言ってるだろ!」
喉元を押さえられ壁に叩きつけられる。必死に口を開くが、呼吸ができない。おそらく、この状態が長く続けば気絶どころでは済まないだろう。
押さえつけている彼女の眼は、怒りで猛っている。そのはずなのに今にも泣きそうな様子にも見えた。
拘束を解こうとするが、人とウマ娘との圧倒的な筋力の差の前では、私の抵抗は児戯に等しかった。むしろ、抵抗するたびに拘束する力は強まっていく。
彼女の行うそれは、加虐というよりは防衛反応だった。窮鼠が猫を噛むように、手負いの獣が死力を尽くすように、弱者が必死に身を守るための行動のように見えた。
無駄だとわかっていても拘束を解こうと、必死に力を籠めるが、ギリギリと締まっていくのみだった。だんだんと、腕がしびれ脱力し、視界がぼやけていく。瞼が重くなり、意識を手放しそうになる。
「……ッッ!」
彼女の瞳から怒気が消え、驚いたようにハッとしたした表情を浮かべる。
拘束がなくなった。
私の体が酸素を求めて、本能的にうずくまり呼吸をする。咳き込みながら立ち上がり、あたりを見渡す。彼女は、茫然自失といった感じで座り込んでいた。
「あぁ……あぁ……」
我に返った彼女は、自身の両手を見つめて、声にならない声を発している。自分の行動を受け入れられないのだろう。私は、気力を振り絞り彼女の元まで歩み寄る。
「ナリタタイシン」
「……う…あ……」
彼女の瞳にあるのは、恐怖。自分がやったことの罪の意識にさいなまれているのだろう。けれど、私にそれは関係ない。
「一番あなたの末脚を信じられていないのは、誰でもないあなた自身。だから、知らないトレーナーの言葉に惑わされた。どうせトゥインクルシリーズを勝ち抜けない、という諦めがあなたの根底にあるから、その心の囁きを振り払おうとして、しなくていい練習や過度な負荷をかけてるんだ」
想定外の言葉が返ってきたせいか、彼女はただ私の方を見ている。
「ナリタタイシンじゃ勝てない。無理だ。なんていうやつがいたら、私がぶん殴ってでも否定してやる。あなたのその走りは、私が惚れたその才能は間違いない。私が最終3ハロンのナリタタイシンの脚の前じゃ、誰も敵う娘なんていないって証明してやる。何度勝っても、あなたが自分の走りを認められないときは、何十回でも何百回でもあなたが一番早いって言ってあげる。あなたに敵うやつなんて一人もいないって、あなたの自信がつくまで何回だって言ってあげる。だから、他の人に浮気しないで黙って私に着いてこい!ターフの上で、一番見晴らしのいい景色まで私がエスコートしてあげるから!」
溜め込んだ感情が一気に爆発する。正直、息ができなかった時間が長いせいか、まだ頭がくらくらする。
満身創痍で息も絶え絶えになりながら彼女を見やる。
まただ。また視界が滲んでいく。けど、今は本当に悲しい。
彼女が走れなくなったら?
それを想像するだけで私は、ひどく息が苦しくてたまらなかった。
「お願い……だがら……無茶じないで……悲しいときや辛いときはそばにいて支えるがら」
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになりながらナリタタイシンを抱きしめる。彼女も振り払うことなく一緒にぐちゃぐちゃになるまで泣いていた。
あれから一週間後、トレーニング場でナリタタイシンは走り込みを行っていた。練習量を少しずつ増やしているが、ストップウォッチに目を向けてもタイムに衰えは見られない。
「タイシン。今日はここまでにしようか」
「もうちょっと行けると思うけど」
「だめだよ。今は力を溜める時間だから。最後まで取っておかないと」
彼女は不満げな表情を浮かべながらクールダウンに入る。
彼女の言う通り、あと2セットぐらい走り込んでも全く問題はないと思う。
でも、それじゃだめだ。
あえて不完全燃焼にして燻ぶらせないと。
他の娘なんて全く気にならないほど、もどかしさと苛立ちで満たす。そして、溜め込んだフラストレーションを、メイクデビューで爆発させる。
そうすれば彼女もおのずと自分の脚の使い方を理解できるだろうと思う。
「なに、ニヤニヤしてるの。気持ち悪いんだけど……」
「ひどい! 私はいつだって真剣な表情だよ」
必死に両手で顔をほぐし、表情を正す。けれど、ナリタタイシンの突き刺すような視線は変わらない。
「ま、私には関係ないからいいけどさ」
それじゃお先に、といって彼女は纏めた荷物を持って帰路につく。
その背を見送っていると、少しして彼女が立ち止まる。
「昨日さ。前言ってたベテランのトレーナーにまた会った。……それで、あんたの組んだトレーニング見て、『こんな軽いメニューじゃ、まるで通用するわけがない。私があなたを勝てるウマ娘にしてあげる』って言われた」
「そう」
その告白は、私の心に小さな影を落とした。ひどく心が冷たくなっていく。
「だから、言ってやったよ。……『うるせえ、バーカ。私のことを何も知らないくせに、知ったような口を聞いて、出来もしないことを自信満々に語るなよ』って」
「ッッ!」
「私にこんだけ啖呵切らせたんだからさ。あんたのメニューで一着取れなかったらぶっ飛ばすからね」
それだけ言うと、彼女は駆けて寮まで帰っていった。
「わ、わだじが……かだぜて……あげるからね」
視界が滲んでいる。彼女の後ろ姿がぼやけて見える。彼女の耳が赤く見えたのは、たぶん、夕日の反射のせいだと思う。
その日から、私のナリタタイシンを勝たせたい、と思う気持ちはもっとずっと強くなり、本人からうざい、気持ち悪いといわれる頻度が高くなった。