「たづなさ~ん、お2人を連れてきましたよ~」
私は、シンボリルドルフとサイレンススズカをリビングに案内しながら、家主であるたづなさんに来客の訪問を告げる。
思わず弾んだ声になってしまっているのは気のせいだろう。
「あら、一ノ瀬ちゃんがおともだちを連れてきたんですか~? それじゃあお菓子なんかも用意しなくちゃいけませんね~」
「ちびっこが、友達連れてきたのか。それじゃあ、お年玉なんかを用意した方がいいかな~」
たづなさんは酒気を帯びた陽気な声で、そう言ってキッチンに向かう。二村さんはたどたどしい手つきで財布の中を探っている。
やっぱりこの人達は園児がお友達連れてきたときのような反応をしている。
「明けましておめでとうございます。たづなさん。昨年は大変お世話になりました。まだまだ若輩ではありますが誠心誠意、粉骨砕身の覚悟で取り組む所存でございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします」
「明けましておめでとうございます。たづなさん。トレーナーさん」
礼儀と伝統を重んじる、シンボリルドルフの挨拶。サイレンススズカもそれに続く。
「ん?」
「へぁ?」
たづなさんと二村さんは、一瞬固まる。思い出に浸っていたところに突然現実に戻された。そんな感じの驚き。
2人とも、恐る恐るといった風で声のする方を向く。
「あはは……明けましておめでとうございます。シンボリルドルフさん。サイレンススズカさん。今年もお願いしますね」
「ヴッ!……よお、ルドルフ。スズカ。明けましておめでとう。今年もよろしくな」
たづなさんは立ち居振る舞いを整えて、2人に挨拶をする。まあ、ギリギリアウトだろうがなんとか取り繕えているのではないだろうか。
オッサンもフランクに挨拶している。一升瓶片手に言ってもだらしなさは隠せないと思うんですけど!!!
「ああ、そんなにかしこまらないでください。先日まで親類たちへの格式ばった挨拶回りの癖が抜けていないだけですので……それに、今は三が日の真っただ中。この日ばかりは皆無礼講でしょう」
おいおい、全く無礼講できてないじゃん! むしろ、緊張感が高まってきましたよ。オッサンなんか、無言で水を飲みだして酔いを醒まそうとしてるし。
「なるほど……それもそうですね。じゃあいっか!」
い、いいんだぁ~
たづなさん、メンタル強すぎませんかね。
「じゃあ、お2人ともぜひ座って一緒におせちを食べましょう。お皿持ってきますね」
元よりウマ娘が好きなたづなさんにとって、嬉しいハプニングなのだろう。すごく上機嫌で準備を始めている。
「いいの、2人とも。用事とかあるなら帰ってもいいんだよ?」
「私は予定があるが、夜になってからだ。今はご相伴に預からせてもらおう」
「私は特に用事がないから……会長と同じくらいはいると思うわ」
「そ、そうなんだね。ゆっくりしていってよ」
助けを呼んだつもりだったが、それは間違いだったのかもしれない。
自分の行いを悔やみながら、宴会が再び始まった。
「一ノ瀬ちゃんとトレーナーさんが仲がいいのは知っていたけれど、2人はたづなさんとも仲良しだったのね」
意外にもスズカから話をし始めた。
「うん、そうなんだよ。私たちが小さいころから、たづなさんは家に来てご飯作ってくれてたりしたんだ」
「そうだったのね……その時のたづなさんって」
「そーだ! スズカはどうして二村さんのスカウトを受けたの!? いっちゃ悪いけど普通にしてたら目つき悪い男じゃん」
「うるせぇ」
私は必死に彼女の言葉を遮り、話題を変える。
それにしてもスズカって、走ること以外にも興味持ってるんだ。
内心そのことに驚きながら私たち3人の関係について説明する。あと私はオッサンと仲良しではなく、倒すべき敵なのだがスズカには何度説明しても聞いてくれないので流しておく。
オッサンが彼女たちのトレーナーになった時には私も20だったし、たづなさんとの関係が見えないのも当然か。
「うーん」
スズカは少し考え込む。
「ふらふらしてるって言われたから?」
「えぇ」
えぇ……おもっくそ悪口じゃん。私だったらブチ切れてるよ。
「そんなにふらふらしてたら、いつか走ることが楽しくなくなるって言われた」
「おい、オッサン!」
走ることがアイデンティティとも言えるサイレンススズカになんてことを言うんだと、私はつい興奮してしまう。オッサンはばつが悪そうにそっぽを向いている。
彼女は初めて会った時からすごいインパクトだった。
『ご趣味は?』
『走ること』
『特技は』
『ずっと走り続けられること』
『好きなことは』
『1日中走ってること』
初めて会った時はトレセン学園のウマ娘はこんな奴らばかりなのかと思って、すごく恐ろしくなったのを覚えている。
「それでトレーナーさんが教えてくれたの。周りを見ろって」
「周りを?」
「街道や海道、山道なんかの周りには移りゆく景色があるように、レースの中にもそれぞれのウマ娘がかける思いがあるって」
「うん」
「ふらふらと好きなように走っていたら、いつか後ろを振り向いて、自分が踏みしめてきたものの大きさに気づいた時に、走ることが楽しくなくなるって」
自分の行為は常に誰かを傷つけるということか。どうしてか私に強く残る。
「自分の好きなように走るのは誰かを傷つけることと同じ。傷つけることを恐れて走れば自分が苦しい。だから自分で走る意味を見つけなくちゃいけないって言われたの」
ジュースを注いだコップを持つ手がキュッと締まる。
「はじめ聞いた時はよくわからなくて、好きに走っていたけれど、レースに出続けていたらその意味が分かった。私は他のウマ娘を傷つけていた。脚が重くなって、上手く走れなくて楽しくなくて苦しかった」
段々と、スズカの顔が俯いていく。たぶん、彼女は無念を抱いた数多のウマ娘の顔を思い出しているんだろう。
「そんな時にまたトレーナーさんに声を掛けられた。その時言われたの。誰かの思いを踏みしめることになっても自分には走り続ける理由がある。その理由は誰かの憧れになるって、もしかしたら傷つけた子の希望になるかもしれないって」
それは詭弁だ。強者の言い訳、希望でしかない。そう思う。でも、その言葉の意味は分かってしまうのだ。
サイレンススズカの走りは本当に鮮烈だ。笑っちゃうくらいに。レース場でスズカの走りを直に何度か見たことがある。その時の大逃げを決めた時、他のウマ娘たちには泣いている子だっていた。本当に悔しかったんだろう。でも、彼女の走った後の姿、ライブの時にはみんな笑顔になっていた。
悔しいけれど、否定したいけれど、彼女の走りは誰かを惹きつけて止まないんだ。
「私は、先頭の景色を見続けていたい。いつでも、どこでも。それが私の走る理由。だから、誰が相手でも私は一番先で走り続ける。」
普段のスズカからは想像できない王者の風格。これがウマ娘の頂点に立つウマ娘の1人。
思わず、息を飲んでしまう。そして、つい好奇心で聞いてしまう。
「次はどこを目指すの?」
「海の上を走る練習をしてるの」
「へ?」
何を言っているんだ。このウマ娘は。さっきまでの私の敬意を返してよ。
「何人かに聞いたんだけど、みんな心当たりがなくて……でも一人だけ、ゴールドシップが心当たりあるって言ってくれたの」
「へ、へぇ~」
チラリと他の人を見やる。
皇帝は食事を楽しんでいる。たづなさんはニコニコ話を聞いている。
いや、突っ込みどころでしょ!ここは!
唯一、二村さんだけが頭を抑えているけど、特に否定してないから酔いで頭が痛いだけかぁ?
「右足が沈む前に、左足を前に出せばいいんだって。それを交互に繰り返していたら走れるらしいの」
「いやいやいや」
出たよ! バカの理論じゃん!
なぜ彼女は、その理論に疑問を持っていないのだろうか。仕方ない、もう少し現実的な案を出そう。
「どのぐらいの距離の海を走るかはわからないんだけどさ、それなら泳ぐ方が現実的じゃない?」
「アメリカやヨーロッパに行くのに泳いでいくのはちょっと……」
「いささか現実性にかけるように思うが」
「それはないな」
「一ノ瀬ちゃん。勝手に泳いでいったら最悪撃ち殺されても文句は言えないんですよ?」
「なんでよおおおおお」
嫌い嫌い嫌い! この人たち全員大っ嫌いだ!
皆が示し合わせたように私に意地悪してきたので、そっぽを向く。謝るまで許してあげません!
「すまない、一ノ瀬トレーナー。少しからかうつもりが、みんな同じ気持ちだったようだ。どうか非礼を許してくれないだろうか」
「ま、まあ。許してやらなくもないですけど」
最初に、口を開いたのは皇帝シンボリルドルフ。彼女の誠実な言葉で先ほどまでの怒りが消失していく。なにより子供扱いしていないところが非常に良い。
「ありがとう。これからのウマ娘たちを導いていく優秀な人材の不興を買わずに済んで嬉しい限りだよ……なんて少し芝居ががった物言いになってしまったかな?」
普通の人が言うならクサいセリフだと吐き捨ててしまえる。だが彼女が言うととても様になっていてドキドキしてしまう。
「いやいや、そんなそんな」
「謙遜しなくてもいい。君の担当ウマ娘のナリタタイシン。彼女は君がいなければ、もしかしたらこの学園が去ることになっていたかもしれないんだ」
「え」
そういえば先日、ビワハヤヒデも同じことを言っていた。タイシンがどうして。
「君がトレーナーになる前の彼女は目に見える形での成績があまり振るわず、本人も人付き合いのいい性格とは言えなかった」
そうだ。今もそこまで話す性格ではないけれど、以前は本当に全てに対して敵意をむき出しにしていた。
「開放時間外でのトレーニングなどあまり品行もよろしくないこともあって教員方があまりよい反応をしていなくてね。君がスカウトする直前ぐらいに強制退学の検討会議を開くということにもなっていたんだ」
「そんな」
知らなかった。しかし、彼女は薄々気づいていたのかもしれない。だからあんなに思いつめていたのかも。
「しかし、そうはならなかった。そして今や彼女はメイクデビュー、ホープフルステークスを勝ち抜いた期待の新星となった。トレセン学園は一ノ瀬トレーナーのおかげで、次世代の人材の損失を未然に防ぐことができた。君を優秀な人材と言わずなんと言えばいいのだろうか」
シンボリルドルフの言葉はなんだかくすぐったくて、とても照れくさい。
それに私は皇帝にそこまで言ってもらうほど立派な人物でもない。
「そうでもないよ。私が彼女を導いたんじゃない。彼女が私を導いてくれたんだよ。そして私はいつも彼女を傷つけてばかりだ」
こんなのを彼女の前で言えば、またつねられるんだろうがここでならいいだろう。
「それでいいんだよ。トレーナーがウマ娘よりも上というわけではないし、その逆もまたしかりだ。お互いが高めあっていく。そして理解するということは相手を傷つける。君たちのそのあり方はまさに、お手本のような関係だと私は思う」
皇帝は私の顔をじっと見つめる。彼女は普段と違い、眼鏡をかけている。制服ではなく、カットシャツなのも相まって大人としての理知的な印象がぐんと増している。
彼女も言っている。上とか下はないと。しかし、シンボリルドルフからの肯定は、ひどく心地よいものだった。
「オレは認めねえ!」
二村さんが声を張る。その声は猛り狂っていた。
先ほどまでの、ほろ酔いとい感じではなく、一トレーナーとしての真剣な表情だった。
「一歩間違えれば、命にかかわってたかもしれないんだぞ! ウマ娘本人だけじゃねえ。そのトレーナーをはじめとしたウマ娘の関係者全員が消えないトラウマを抱えていたかもしれないんだ。それをお手本だなんて」
二村さんの言葉は最もだ。私の失敗は本当にあと一歩で、全員が不幸になるところだったのだ。
「トレーナー。少し口を閉じろ」
短い言葉。その圧に私は一瞬呼吸ができなくなってしまう。二村さんに視線を向けず、皇帝は私をじっと見ている。
「命にかかわっていた? トラウマを抱える? バカバカしい。そんな覚悟もなくてどうして頂点を目指そうというんだ」
とても無機質な感情から発される言葉。目も私を見ているはずなのにどこか視線が合わない。どこか狂気を孕んでいるとすら感じる。
なんだ。なんだこの違和感は。
違う。私が目指していたのはそうじゃないんだ。
「違う、違うんだよ。ルドルフ、私は」
「ナリタタイシンは言っていたよ。死ぬならターフの上で死にたいと。そう、一ノ瀬トレーナー。君は殺す気で彼女の力を引き出さないといけない。彼女の末脚という一芸は頂点に到達しうる力だ。けれど、それ以外があまりにも非力すぎる」
私の発言を遮るようにルドルフは淡々と語る。本当に事実を語っているだけ。ナリタタイシンの思いとか、どういう頑張りとかは一切触れることのない彼女の言葉はひどく冷たい。
「無理をしすぎればURAファイナルズにたどり着く前に、彼女の体は限界に来てしまうだろう。しかし、彼女の体を労りすぎては勝ち抜くことは出来ないだろう」
どれも事実だ。たぶん、皇帝の見立ては間違っていない。
でも、聞きたくない。その先の言葉を私は知りたくない。
「君がしなくてはいけないことは生かさぬように、殺さぬように彼女をURAファイナルズまで導くこと。そして、決勝で彼女を殺すことだ。一ノ瀬トレーナー、君が彼女の願いを叶えるんだ」
皇帝は憧れだった。菊花賞を勝ち、三冠を取った時のキラキラを今も覚えている。そして学園での活躍も。
私も二村さんのように担当したウマ娘に三冠を取らせたいと頂点に立ってほしいと思っていた。でも、頂点の一角である彼女の口から出るソレはなんだ?
気持ちはわかる。覚悟としてそうあらねばいけないのもわかる。でも絶対にそれは実行させちゃいけない。常に考慮に入れつつ、絶対にとってはいけない選択肢を選べと?
間違っている。絶対に間違っている。でも、憧れの存在の口から出たソレに納得してしまいそうになる自分もいる。
「私は……私は……っっ!」
カチカチと歯が震え、全身が皇帝の圧で身震いしてしまう。正直、逃げ出してしまいたい。それか皇帝の言葉に従いたい。
脳裏に浮かぶのは点滴につながれたナリタタイシンの姿。絶対に逃げちゃいけない。あの時の彼女を見て心に誓った。私が逃げた後に傷つくのは残されたあの子だけなんだから。
私は、あの子に誓った。あなたを殺すことになると。どんな結末になったって私はあの子を肯定すると。
でも、私は他にもあの子に誓ったんだ。ずっとタイシンのトレーナーでいると。タイシンのそばを離れないって。ずっとそばにいるためにはタイシンは死なない。殺させない。あの子はずっとずーっと走り続けるんだ。
他のだれでもない。私がそうであってほしいと思ってるんだ!!
喉が震える。でも、声は出せる。全身の震えを抑えて、覚悟を決めるために立ち上がる。
膝は笑っていて、立つのもおぼつかない。でもやらなくちゃいけない。自分の覚悟を示さないといけないんだ。
怖い。怖いよ。でも、言わなきゃいけないんだ。
目を閉じて彼女に伝える。
「私はあなたのやり方なんか絶対に認めない! ナリタタイシンは絶対に勝つ! 死なせない。死ぬことなんか私が認めない。私はあの子を生かす。あの子の末脚を生かすんだ! ずっとずーっと私の担当ウマ娘として走り続けてもらうんだから!!!」
視界はとてもぼやけている。
恐怖なのか、ナリタタイシンがURAファイナルズで走れなくなってしまう未来を見たからなのか、自分の憧れと対立してしまったからなのかわからなかった。
この場にいづらくなって、私はマンションから飛び出した。
目の前が見えづらいからか、何回転んだかわからない。でも、痛みよりもずっとずっと私は悲しかったんだ。
――一ノ瀬が、マンションから飛び出した後、二村はシンボリルドルフに詰め寄っていた。
「おい、あそこまで言う必要はないだろうが!」
「そうだ。私があそこまで彼女を追い詰める必要はなかった」
淡々と言う皇帝の言葉に二村は歯噛みをしてしまう。
「だったらなんで!」
「トレーナーが彼女に甘さを見せなければ、私があそこまで言う必要がなかった。ときちんと説明しないとわからないのか?」
皇帝が二村を見る目は先ほどの一ノ瀬に向ける視線とも異なり、ひどく冷めている。失望の色すら感じる。
その言葉の意味をすぐに理解した二村は、歯を食いしばり拳を握り締めることしかできなかった。
「焦がれていてはだめだ。彼女たちと私たちは対等だ。いつまでも雲の上の存在として扱われるのではなく倒すべき敵としてあらねばならない。そう言ったのは君だろう。そして君は失敗した。私はその失敗をカバーしたんだ。なにか不明な点は?」
彼女の言葉に非の打ちどころはなかった。2人の剣呑なやり取りにサイレンススズカもたづなも、どこか落ち着かない様子で見ている。
「クソっ……どれもこれも、皇帝の掌の上ってことかよ」
「トレーナー。いや、二村雄二……貴様のその言葉はなんだ?」
先ほどまでとは比べ物にならないほどのプレッシャーを二村は受ける。言葉が吐き出せない。部屋の中だというのに、底冷えしていると錯覚するほど寒気を感じる。
「掌の上? 違うだろう。……確かに私は、学園に連なるものの悩みや夢を最大限把握するように努めている。学園のひいては、全てのウマ娘がよりよい未来を歩むためなら、私は持ちうる全てを行使してデウスエクスマキナであろうと心がけて行動している」
――この世に生まれ出でて、物心ついた時よりシンボリルドルフは生涯を誰かではなく、ウマ娘のために捧ぐことを誓った。それは、皇帝が皇帝たらしめるために必要な覚悟だと彼女が思ったから。
しかし、シンボリルドルフも所詮は一つの個でしかない。両手で全てを掬おうとしても隙間より零れてしまうものも少なくない。そして、道を示すべき自分自身が、他のウマ娘の選手生命を絶ってしまうことだって、数えきれないほどあった。
自分が全知でもなければ全能でもないと彼女は知っている。
しかし、万能ではある。絶対的な強者として生まれたのだ。
全てを救えないと嘆く間に、零れるものもある。そうしないためには、常に滅私奉公し、自分を一つの舞台装置とみなして動くしかない。
いつしかシンボリルドルフはそう思うようになった。
しかし、なんでもできる舞台装置に全幅の信頼をおいてもいいのだろうか。
人間とウマ娘を管理するために神様の代わりとして巨大コンピュータを作るとする。そのコンピュータが故障していたとしたら?
長期間の稼働によって、正しさの定義に周囲との乖離が生まれたら?
監視役を監視するのは誰だ。
その問いに対する答えとしてシンボリルドルフが認めたのが目の前の男だった。
たしかに彼は優秀だ。ウマ娘を第一に考えた行動をしている。しかし、ルドルフが注目したのはそこではない。
二村雄二という男は、どんな相手にだって自分の考えを愚直に言うことができる、目も当てられない愚者だからだ。
飾らない言葉。正しいと思えばその通りに突き進む。衝突したことなど数知れない。
しかし、他の人間であれば自分のシンボリルドルフという個を優先してしまう。この男にはそれがなかった。
だからこそ、ふさわしいのだ。王佐にふさわしいのは諫言できる愚者。この男がいれば自分は外道に堕ちることはないとシンボリルドルフは思っている。
けれど今はこの愚かな男の言葉に彼女はわずかな苛立ちを隠せない。
――「だが、完全ではない。私のシナリオ通りにいかないことなど多々ある」
シンボリルドルフは二村の胸倉を掴み、顔を引き寄せる。
「貴様が私の想定を超える行動を取れていない責任を転嫁するな」
端正な皇帝の顔も能面のように表情を無くしており、二村はただただ恐ろしく感じる。
「私の言葉に偽りはない。トレーナーも、一ノ瀬トレーナーもこれからのウマ娘を導いていく優秀な人材だと信じている。しかし、これ以上私を失望させるようなら……」
その言葉の続きはなかった。そして、皇帝は掴んだ手を離す。
同時に、外から、大きな排気音が聞こえてくる。
「さて、私はそろそろお暇させてもらうとしよう。なに、マルゼンスキーがドライブをしようと誘ってきていてね、彼女が迎えにくるまで待っていたんだ」
ん、と皇帝は何かを思案する仕草を取る。そしてにやり笑った。
「車がくるまで待つ……ふっ。トレーナー中々レベルが高いとは思わないか?」
「知らねえよ」
「そうか。やはり君の洒落に対する要求は高いようだ。私も精進が必要だな」
先ほどまでと同じ人物とは思えないほど、纏う雰囲気が違う。
この切り替えの早さが皇帝シンボリルドルフの美点であり、末恐ろしいところだと二村は常々思っていた。
そして、皇帝も去っていった。
「トレーナー」
「なんだよ」
固く口を閉ざしていたスズカが声を発する。
「私、走ってくるね」
「……車に気をつけろよ」
「ん」
そういって、マンションから出ていくスズカを見送る。
スズカみたいに生きたら人生楽しいのかなと二村はちょっぴり思ってしまう。
「あー、すいません。たづなさん。お騒がせしちゃって」
「青春って感じですねえ」
そういって、たづなは自分と二村のコップに酒を注ぐ
自分の周囲の奴らは緊迫感に欠けすぎていると二村は思わずにはいられなかった。