ナリタタイシンに対する強い幻覚   作:妄想投棄場

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相互理解

「なんで、イタリアンってハーブとかを使う料理が多いんだろうね。口の中が草の味だらけになるでしょ? 私はない方がいいのになってよく思っちゃう」

 

「完食した後にメニューにケチつけるって中々ロックでしょ、それ」

 

 ナリタタイシンはトレーナーが述べた香草に対する一家言を適当に流して窓の方をみる。

 日は高いが、道を行き交う人たちは厚手の衣装を身にまとっている。

 本来の目的だった2人での水族館鑑賞を午前に終えたナリタタイシンたちだが、お互いにまだ思うところがあり少しだけ寄り道をすることにした。

 空腹を満たすため、タイシン達は個室があるレストランで食事をとることにした。

 

「その点このバジルドリアってのはそうとうに優秀なイタリアンだなと、私は思ってやまないんだよ」

 

「へー……」

 

「イタリアンであるのに、味がおしゃれですって感じがしない。とても分かりやすい。牛乳とチーズがいっぱい入っているからおいしい。バジルも除ければ気にならない」

 

「いいんじゃない」

 

 タイシンはスマホを弄りながら、適当に相槌をうった。

 少しだけ目線を上げて、目の前のトレーナーの様子をうかがうと、空になった楕円形の器の中で、スプーンで何かを掬うような動作をしている。

 掬っては落として、掬っては落とす。

 はしたないと注意されそうなソレをトレーナーは延々と繰り返していく。

 たぶん、何か別のことについて思考を整理しているのだろうとタイシンは思う。けれど、それ以上にタイシンは言いたくてたまらなかった。

 

「ちなみにドリアは日本で生まれた料理なんだよね」

 

「ふ、ふ~ん」

 

「加えて言うなら原型になったのはフランス料理なんだって」

 

 日本で生まれたというのはタイシンが昔に雑誌のレシピを読んでいた時にみたことがあった。

 しかし、原型となったがフランス料理というのは、タイシンもスマホで調べて初めて知ったのだ。

 改めてトレーナーの方を見ると完全に目が泳いでいる。

 

「確かにドリアって言うのは優秀なイタリアンだってアタシも思うよ。家で作ってもある程度のクオリティは保証される美味しさだし。ま、一個だけ残念なのはイタリアで生まれてないってことだけかな」

 

「うぅ……私をいじめてそんなに楽しいのぉ」

 

「自業自得って感じ」

 

 トレーナーはタイシンに何も言い返さない。

 タイシンも他に追及するものはないため口を閉じる。

 

 沈黙が来る。

 電車の中とは違い、暖房がよく効いている。心地よい暖かさだった。

 

 カチャリと金属がぶつかる音がする。その音の主はトレーナーだった。再び、楕円形の器の中をスプーンで掬っては落としてを繰り返している。

 区別。選別。選択。

 一番、しっくりくるのは選択。それもただの推量。

 

 タイシンには目の前の変人の思考を読み取るのは難しい。トレーナーの虚実が入り混じった言動は胡乱で、ひどく掴みづらいのだ。

 水族館でのトレーナーの言動が分かりやすかったのは、虚と実がはっきりと分かれていたから。

 

 しかし、今の彼女は大方落ち着きを取り戻しているようで、彼女の言動の真意が読み取れない。だから、タイシンにとっては適当に話しかけることが躊躇われた。

 タイシンが分かっていることは二つだけ。

 トレーナーは何か1人で悩みを抱え込んでいるということ。そして、タイシンに頼りたいが、彼女の妙な自制心によってそれが躊躇われているということ。

 

 タイシンにはどれが彼女のSOSなのか読み取れない。正直に言えば、読み取る必要なんかかけらもないのはタイシンだってわかっている。

 しかし、タイシン達は反発して失敗しながらここまで来た。だから、この場で解決しないと事態が悪化するというのはなんとなく今までの経験でわかった。

 ここで見逃して、振り返った時にああしておけばという後悔などタイシンはしたくないのだ。

 

『素直に助けになりたいって言えば、この面倒くさいことを全部解決できるのに』

 白い影が囁いた。タイシンはその言葉に耳を塞いだ。

 

 

「タイシンは、好きな人とかってできたこと……ある?」

 

「は?」

 

 タイシンは突然の質問でつい圧のかかった返答になったのを自省した。

 

「いや、タイシンって普通に可愛いし告白とかされて付き合ったりとかあったりしたのかなって思って」

 

 前半の言葉を聞き、耳を撫でながら考える素振りをする。

 

「あるって……いったら?」

 

「私のナリタタイシンに恋人なんて必要ありません! そんなばっちいことしちゃだめ!!」

 

「急に教育ママ出てこないでよ……」

 

 トレーナーの感情の振れ幅に思わずのけぞるタイシンだが、隠すことでもないので答える。

 

「告白されたことはある」

 

「やっぱりあるの!!」

 

「うっさ……でも、付き合うとかはなかった」

 

「そっかぁ……そっかあ!」

 

 怒ったり、泣きそうになったり、喜んだり、タイシンの言葉一つ一つで表情をころころと変えるトレーナーの真意を、やっぱりタイシンは掴みあぐねていた。

 トレーナーはじっとタイシンの顔を見つめている。その瞳はキラキラしたとか表現するのが適切だとタイシンは思った。

 あまり話したくもない思い出だが、ここまで話したし、どうせならトレーナーの事情も聞いてやろうと思いタイシンは話始める。

 

「告白してきたやつってほとんど、アタシは話したことがなかったし。理由聞いたら、落ち込んだ時に励ましてくれたとか、消しゴム拾ったとかさ! 意味わかんないでしょ……他の女子だってそんなの普通にやるくせにさ、なんでアタシだけなんだっていっつも思ってた」

 

 当時のことを思い出して少し感情的になってしまったタイシンは恥ずかしくなり、首に手を当てる。

 

「まあ、そんなとこ」

 

「なにそれメチャクチャいいんだけど。すごくナリタタイシンだ……」

 

「言葉の意味が全く分かんないんだけど」

 

「その人たちがタイシンに告白した理由メチャクチャわかるぅ!……タイシン“が”優しくしてくれるなんて思わないもんね」

 

 自分のエピソードでここまで盛り上がっているトレーナーにタイシンは少し腹が立ってしまう。

 穏やかというか、照れくさそうな表情でトレーナーが言った言葉もタイシンには理解できなかった。

 

「あんましいうと蹴るよ」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「……あんたは?」

 

 タイシンはなんとなしに機会をうかがってアプローチする。

 

「え?」

 

「だから、逆にトレーナーは告白されたり、付き合ったりとかはあるのって聞いてんの」

 

「いや、それは……その」

 

 突然、顔を赤くして声が尻すぼみになっていくトレーナーを見てなんとなくタイシンはよくわからないモヤモヤを感じた。

 嫉妬とかではない。

 ただ、トレーナーが今みたいな表情をするとは思っていなかったから。たぶん少しだけ意外だったのだとタイシンは解釈した。

 

「ない……よ?」

 

 目を泳がせながら、言葉少なくなっているのに、トレーナーはまだ認めようとしなかった。

 

「中学生の時?」

 

「いやいや」

 

 タイシンは往生際の悪いトレーナーに目を細めてしまう。しかし、トレーナーは返事をしない。

 タイシンはカマをかけてみることにした。

 

「あ、今たづなさんから連絡来た。……へー、高校の時に告白されてそのまま付き合ったんだ」

 

「え! 高校時代は二村さんしか知らないはずなのに! あの人口軽すぎじゃん!……あっ」

 

「へぇ~」

 

 タイシンは、余裕そうな表情とは裏腹に内心穏やかではなかった。

 なんとなく色恋とは無縁だと思っていたトレーナーが恋愛を経験しているという事実。どこまでいったのだろうかなどと勘ぐってしまう自分の下種さ。

 タイシンは、ぐちゃぐちゃしたよくわからない感情を抱いた。自分の浅ましさを自覚すると自己嫌悪に陥る。

 

「一回だけ! 付き合ったのは高校の時の一回だけだから……それに一週間経たなかったし、ホントに何にもなく終われたというか、そんなタイシンが想像するようなことはなんにもしてないから」

 

 タイシンの内心が表情が出ていたのかと思うほどぴったりのタイミングでトレーナーがフォローした。そして、観念したように経緯を語る。

 

「まあ、うん……小学校の頃から告白とかはよくあったよ。でも全然興味なかったし。というより私はただみんなと一緒に遊びたかっただけ」

 

 トレーナーの言葉の端々からドロリと感情がこぼれてくる。

 

「お話をするならさ、男の子とか女の子とか関係ないでしょ? だから話が合う子がいて、その子は男の子だったけどその子とずっと話してたら好きだから付き合ってって言われたの」

 

「そうなんだ」

 

「でも、お話するのがすきなだけだから付き合うとかよくわかんないって断ったの。後日にね他の女の子から泣きながら怒られたの。『〇〇くんは一ノ瀬ちゃんのことが好きだから私とは付き合えないって言われた。どうして一ノ瀬ちゃんは〇〇くんの告白を断ったの?そんなにどうでもいいなら私から〇〇くんを盗らないで』って。どうすれば良かったのか正直今でもよくわかんないや」

 

 人って難しいよねと、ヘラヘラ笑うトレーナーの顔は、見ていてとても痛ましいとタイシンは思った。

 

「何かを好きになったら迷惑をかけて、お話をしようとしたら他の人を泣かせることになってる。じゃあ、私は黙ってるのが一番だなって思って、小学校の高学年になったら極力誰とも喋らずに1人であそんでた」

 

「そう」

 

 頬杖をついてタイシンは相槌をうつ。それしか言えなかった。

 そしてテーブルの下に置いた片方の拳はギリギリと音が鳴るくらいに握っていた。どうしてこんなにモヤモヤしているのかタイシンにはやっぱりわからなかった。

 

「それで中学になったら何か変わることを期待してた。でも怖いし静かにして様子見してたら、逆に男子から話しかけられる数が多くなったの。意味わかんないけどね、黙ってなんにも話さないのも同級生にする態度じゃないでしょ? だから、挨拶とかはちょっとだけ返したら逆にそれ目当ての人が増えてさ。そしたら、女の子たちがウワサをするんだよ。お嬢様気分で男子を侍らせて喜んでるとか、好みのイケメンを選んで寝てるとかね。もう誹謗中傷なんだけどさ、その時の私にはその言葉の意味がわからなかったから必要以上に傷つくことはなかったけど、やっぱり、友達は出来なかった」

 

「ふーん」

 

「高校になるとまあ、みんな表面を取り繕うことを覚えるでしょ? だから、私が話しかけたって男子から告白されるとかってこともなかったし、女子も別に何にも言ってこなかった。だから、ここなら大丈夫って思っちゃったんだ」

 

 トレーナーの話を聞きながらタイシンは気分が悪くなっていた。

 それと同時にタイシンは疑問でしょうがなかった。誰も彼女に手を差し伸べなかったのかと。全てが見て見ぬふりをしていたのかと。

 モヤモヤしながらもタイシンはトレーナーの話の続きを聞く。

 

「とある男の子とねすごく話が合ったの。まあ、ウマ娘のレースの話なんだけどね」

 

 タイシンはなんとなく嫌な予感がする。

 

「帰り道も一緒だったし、その子にバーッと喋って私の話を聞いてもらってた」

 

 そう喋るトレーナーの顔は何かを思い出すように一点を見つめ楽しそうにするがすぐにその表情は曇った。

 

「高校入って2か月ぐらいに帰り道に告白されたの。正直またかって感じで断ろうと思ったんだけどね。趣味がある友達ぐらいからでいいからって言われて、私もそれならいいかって思ってOKしたの」

 

 やっぱり私は学ばないんだとトレーナーは自嘲した。

 

「付き合って5日か6日の帰り道でね、付き合ってるんだし、キスぐらいしようっって言われたの。正直私は付き合ってる感覚がないし、初めてだったからすごい抵抗があって止めてって言ったんだけどね。でもやっぱり、力づくで腕を掴まれたら全然、びくともしないんだよ。日も結構暮れてて、遠目からはたぶんどんな状況かわかんないくらいだったと思う。泣きながら止めてって叫んだんだけど聞いてくれなかった。ずっと泣いてたけど心のどこかで冷めてる私もいて、あーここで私は無理やり襲われるのかなみたいに思ってた」

 

「……どうなったの」

 

「二村さんがその子を掴んで引きはがしてくれた」

 

「へ?」

 

 タイシンは思わず情けない疑問を出してしまう。

 タイシンも二村トレーナーのことはいとこで小さいころはよく遊んでもらっていたとは聞いていたがそこで関係するとは思っていなかった。

 

「友達と喋ってるのか中々帰ってこない私を迎えにきたらしいの。それで見つけてその勢いのままチョークスリーパーかけてた」

 

「まってまって。状況確認させて」

 

「ど、どうしたの? 大丈夫だよ。私は汚れてないから。あ、涙と鼻水はだらだらだったけど」

 

「それは今はどうでもいい……二村トレーナーとは小さいころよく遊んでもらってトレーナーになって一緒に働くようになった、でいいんだよね?」

 

「うん」

 

「どうして迎えにきてたの? その時にたまたま帰ってきてたとか?」

 

「いや? いっつもちょっと遅くなったら二村さんが電話をして迎えに来てくれてた」

 

「え?」

 

 タイシンはなんとなく理解した。トレーナーとタイシンの間にはとんでもない齟齬がある。

 

「もしかして……トレーナーは二村トレーナーと一緒に暮らしてた?」

 

「そうだよ」

 

「今までそんな話聞いてなかったんだけど」

 

「あれ、言ってなかったっけ? 小学校に上がる前は二村さんがウチまで来て日が暮れるまで遊んでくれて、小学校に上がってからは私の両親も二村さんとこも海外遠征の関係で、家を空けることになっちゃって、私がトレセン学園でトレーナーとして働くようになるまで一緒に暮らしてた」

 

「やっぱり、アンタは自分のことを話してなさすぎ……どこをつねれば全部吐いてくれるんだろ」

 

「ぼ、暴力反対! タイシン話せばわかるって」

 

「アタシが質問したことは絶対答えること。いい?」

 

「あ、はい」

 

「まあいいや。二村さんがチョークスリーパーかけたとかいうその後はどうなったの?」

 

「二村さんが金輪際近寄らないことを約束させてたよ。それで、その日から毎日二村さんが送り迎えをしてくれるようになってた。男の人と2人きりにならないようにこっぴどく叱られたんだよね。あっ! あとその日から私をチビッ子って呼ぶようになって、扱いが今みたいなそれになったんだよ。ひどいよね」

 

「それは、まあ当然かな」

 

 今明かされる事実にタイシンは驚愕していた。

 自分が今まで散々悩んでいたモヤモヤの一部が意味を無くしてしまうのだから。

 トレーナーは二村トレーナーの背を追いかけている。

 タイシンはいままで憧れの人物を、トレーナーの記憶にこびりついた二村トレーナーの背を追っているのだと。だが実際は違った。

 彼女が抱いている憧憬は両親に向けてのそれである。彼女が人生ですっと追いかけてきた背よりもアタシを見ろなどという非合理的なことをタイシンは流石に言えない。

 風邪をひいて寝込んだトレーナーの見舞いにいって高圧的な態度を取っていたのも、私たちが失敗して激励を飛ばすときの荒い口調も、ただの兄妹の距離感なだけだったのだ。

 そして、話を聞く限り二村トレーナーは相当過保護だ。シスコンと言うやつなんだろう。

 しかし、トレーナーはその自覚がないみたいだった。他を知らない。知ることができなかったから。

 

「はずかしいやつじゃんかアタシ」

 

 タイシンは手で顔を覆いつぶやいた。

 勝手に勘違いして、勝手に敵視して、勝手に落ち込んで、傍からみれば道化だったことを自覚するとタイシンは徐々に顔が熱くなった。

 

「どうかしたの?」

 

「いや、アンタにとって二村トレーナーがそこまで身近な存在だと思ってなかっただけ」

 

「そっか……そう、だね」

 

 彼女の顔が曇る。

 ここだ。タイシンは確信めいたものを感じていた。

 

「なに言われたの」

 

「え?」

 

「どうせなんか喧嘩したんでしょ。二村トレーナーとかと」

 

「いや! あのおっさんとは別に……いや、そうなのかも」

 

「アタシたちは一蓮托生だ。アンタの問題がアタシにまで被害が来る前に話してよ」

 

 タイシンは、なるべく優しく声をかける。そして、わざとトレーナーのトラウマを刺激するような物言いをする。

 正直、こういう搦め手は大嫌いだ。でも、今のトレーナーにはこれくらいしないと話してくれない、とタイシンは思ったから。

 

「お正月の時にね皇帝、シンボリルドルフに言われたの。私はナリタタイシンを生かさないように、殺さないように導いて決勝で殺さなきゃいけないって言われたの」

 

「ずいぶん勝手な物言いだね」

 

「あんなに、見えない皇帝は初めてだった。何を考えているのかも全然わからない。でもナリタタイシンを殺すことになってもURAファイナルの決勝まで来いって言う意思だけはわかった。だから、怖かったの」

 

 トレーナーの手が少しだけ震えている。

 

「そうしなきゃ勝てないなんて言ってくる皇帝の言葉に私は反論できなかった。それに彼女の言葉に心が少しでも揺らいじゃうような感覚になったのが怖くて本当に嫌だった」

 

 トレーナーの目に涙が浮かんでいた。しゃくるのを必死に抑えるようにゆっくりと続きの言葉を語る。

 

「私はあなたを殺すと誓った。でもそれは覚悟の話であって、もう病室で横になってるあなたの姿なんか見たく……ない」

 

 絞るように言葉を吐き出すトレーナーの表情。タイシンにはひどく苦しそうに見えた。

 あの時のことを思い出している。それは傍から見ても如実にわかる。

 タイシンはそんな表情をするトレーナーが嫌だった。本当はかけた方がいい言葉を必死に探していたがそんなの全部吹き飛んで、言いたいことを言うことにした。

 

「ごめん、やっぱりトレーナーがなんでそんなに悲しいのかよくわかんないや」

 

「え?」

 

「結局、アンタがやることは変わんないよ。アタシだって自分の体のことはわかってる。身体能力だけなら全然強くない。ならそれを補うためにアタシは命を削って走らなきゃいけない。散々、話し合って決めたんだ。他人から言われたってさ、それこそ今更じゃない?」

 

 じゃあ、なんでこんなにトレーナーは悲しんでいるのかとタイシンは考えていた。

 

「アンタは何を言われたって、自分が納得できなきゃ絶対に他人の言うことなんか聞かない、見向きもしない」

 

 彼女がトレーナーになってからタイシンは常にそれを痛感している。

 

「自分のトレーニングだとか、自分の考えが否定されたことが嫌なんじゃない。会長に否定されたのが嫌だったんでしょ」

 

「……っっ!」

 

 トレーナーは目を見開いて驚いている。

 タイシンはその様子からなんとなく察するものがあった。

 

「そう……そうかも。私はルドルフに否定されたのが嫌だったんだ」

 

 トレーナーは思考を整理するように語り始める。

 

「ルドルフは、ううん。私の周りにいてくれた人は私の考えを理解できないって言うことはあっても否定はしなかった……二村さんだって、もう知らないとか勝手にしろなんて言うけれど、本当に私から離れるなんてのはなかった」

 

 タイシンは確信した。トレーナーはずっと守られていたんだ。誰も手を差し伸べていなかったんじゃない。トレーナーという個を最大限尊重するギリギリのラインで見守っていただけだ。

 

「だから、私は悲しかったんだ。ルドルフと話す機会は多くはなかったけど、いつも笑って私の話を聞いてくれてた。けど、この前は何も読み取れない顔で、お前はこうしなきゃいけないって言われて、いつもと違うルドルフが怖くて、頼っていいんだって思ってた存在が急に突き放してきたのがすごく悲しかった。悲しかったんだ」

 

 自分の気持ちに気づいたトレーナーの瞳から静かに涙が頬を伝う。

 

 本来なら、もっと小さな時に経験するはずの別離をトレーナーは今噛みしめているのだとタイシンは思った。

 トレーナーの情緒はおよそ24の成人女性のそれとは比べ物にならないくらいには幼い。それは彼女が特別だったからだとタイシンは分析する。

 ギフテッドというには周りに対する共感力が不足していた。だから馴染めずに異物として排除され、その世代で超えるべき課題というものを知ることもなく今に至ったのだろう。

 そして、彼女は情緒というものを感覚ではなく論理的に理解してきたのだろうとタイシンは考えた。だからこそ、ドロップアウトすることなく妙に鋭いけれど幼さが色濃く出ている奇人や変人という枠組みで許容されてきた。

 

 タイシンは自分のトレーナーである目の前の女性をそう評価する。

 付き合いとしては一年も経っていないタイシンでさえなんとなくわかる。もっと付き合いのながい彼女の周辺の人物ならそれはよりわかっているであろう。

 だというのにどうして今さらトレーナーを突き放すのか。

 

「全員バカじゃん」

 

 トレーナーには聞こえないぐらい小さな声でタイシンはつぶやいた。

 タイシンは自分の推測が正しいのであれば彼女の悲しみはとんだ茶番になると思い、つい言葉に出てしまった。

 ルドルフがトレーナーと対立した理由。それはトレーナーの心理的な成長を促すためだろう。これは間違いないようにタイシンは感じる。

 この先はタイシンの推測。でもこれも大筋は間違っていないとタイシンは考えていた。

 

 どうしてこの時期にそんなことをしたのか。

 それは、別離をしたとしてもトレーナーが立ち上がる見込みがあると思ったから。

 何をもってその判断をしたのか。

 それは、担当ウマ娘とトレーナーの関係が立ち上がるに十分な関係性になっていると判断したからだろう。

 

 つまり、URAファイナルを通じて成長してほしいという意図のもとに、トレーナーはルドルフから通過儀礼を受けたということだ。

 その仮定が正しいならタイシンは非常に気分が悪かった。

 トレーナーが成長するその過程には、タイシンが立ちあがるためのサポートをするだろうという計算も組み込まれたというのがはっきりとわかったから。

 誰がそうしたのかはっきりとは分からない。だが、タイシンのトレーナーに対する感情の変化でさえ理解されて、掌の上で弄ばれているこの気持ち悪い感覚がタイシンには不快でしょうがなかった。

 

「トレーナー」

 

「なに」

 

「アンタってバカだね」

 

「ええ、なんでよ。私、いま泣いてたよね! 悲しんでるじゃん。もうちょっと慰めてくれたって」

 

「そういうのは1人でやっといて」

 

「ひ、ひどいぃ」

 

「自分の気持ちの整理なんて1人でやってて。それで、アンタはさっさとアタシがURAファイナルで1着を取ることだけを考えればいい」

 

 悔しいがタイシンは、どこかのクソ野郎が意図した通りに行動するしかなかった。けれど、ただ従うだけなどタイシンは絶対に認められない。

 

「自分のことは自分で始末をつけて……それが難しいならアタシが背負ってあげる。今さら面倒なことが1つ2つ増えたって変わんないし」

 

 だから、タイシンはその意図を徹底的に利用してやろうと思いトレーナーに宣言する。

 

「アンタはアタシだけを見るの。目を逸らしてもいい。後ろを向いたっていい。でも、アンタはアタシから逃げられない。絶対にチャンピオンになるのを見届けなきゃいけない。その後もずっと」

 

 タイシンは誰にも言えない本心の欠片をトレーナーに託す。一番見せたくなくて、一番嫌いな部分。

 タイシンの周りには自分勝手なヤツが多すぎる。だから、これくらいしたって別にいいだろうとタイシンは思っていた。

 

「ずるいよ……そんなの」

 

 トレーナーからは涙が止まらない。でも言葉の端から流れる感情は少しだけ明るかった。

 

「どうせ会長だって、アタシが勝てば文句のつけようもない。死ななきゃ勝てないなんて思ってる奴にほえ面をかかせてやればいい。……アンタは一着を取った時に言ううセリフを今から考えとけばいい」

 

「タイシンは本当にずるい」

 

「別に、当然のこと言ってるだけでしょ」

 

「ううん、ずるいよ。だって、あなたの言葉を聞くたびに私のナリタタイシンに対する思いは深くなっていく。私の心の中に占めるあなたの割合が増えていく……私の容量なんて少ないのに、これじゃあURAファイナルに行く前にいっぱいになっちゃうよ」

 

 やっぱり、ズルい。とキラキラした笑顔で語る彼女を見た瞬間にタイシンの体はひどく熱を持ってしまう。なんとなく視線を逸らす。

 別に、彼女に他意はない。タイシンもそんな思考は持ち合わせていない。

 けれど、ドクドクと脈打つ心音がタイシンはうるさくてしょうがなかった。

 

「ありがとう、タイシン」

 

「別に」

 

「私が感謝してるだけ。私の都合で」

 

「あっそ」

 

「そうだよ」

 

 先ほどまでの気弱な態度が吹き飛び、いつもの常にニコニコと笑う面倒くさいトレーナーの表情になる。

 ズルいのはどちらだ、と言いそうになるのをタイシンは必死にこらえた。言ってしまうとなんとなく自分に不利益だと思ったから。

 

「じゃあ、悩みも解決したってことだし。今日は解散にしようか」

 

「やだ!」

 

「は?」

 

「言ったじゃん。いろんなものを見て、いろんなことを話して、いろんな買い物をしようってまだ全然タイシンと出かけてないよ! この機会だからもっと見ようよ、ねえ!」

 

「こんの……っっ」

 

 目を輝かせながらタイシンとの約束を解釈するトレーナーにタイシンは思わず苛立ちを抑えきれなくなる。

 しかし、先ほどまでのしゅんとした態度とはまるで違うその温度差にタイシンはもはや怒りさえ通りこしてしまった。

 

「はあ、わかった。その代わりあんまりうるさくしないでよ」

 

「わーい! わーい!」

 

 この強引でよくわからないトレーナーと行動するのは嫌いじゃない。悔しいがタイシンは認めざるを得なかった。

 2人はかけていた服や荷物を纏めて会計の準備をすることにした。

 

 

 

 

――ナリタタイシンは休日に練習場でトレーニングをしていた。

 日も上がってきたが、寒さはやはりまだ続いている。

 あれから、二週間ほど経った。

 結局夜までかかり、門限ギリギリになり休み明けからそうそうに寮則を破ってしまうことになるかと思いひやひやしたことをタイシンは思い出した。

 

「もう少しで掴めそうなんだ」

 

 走り込みを続ける。水族館に出掛けた時にタイシンは何かピースがはまりそうな気がしていた。

 思い出すのはトレーナーの言葉。 

 

『休むって言ったって立ち止まるんじゃなくて、速度を落とすだけなんだけどね』

 

 スタミナを消耗しない走り方。体力を最も温存する方法と言えば睡眠だろう。

 眠ることと走ることは全く違う。けれど、眠りながら走れれば、スタミナを温存できるのは間違いない。

 ロジカルとは全くかけ離れた発想。けれど、タイシンの中でトレーナーの話はピースになりそうだったのも間違いない。

 

「もう少し落としてみるか」

 

 序盤で速度を落とす。眠るように。極力体力を消耗しないように。

 しかし、思っていたよりも難しかった。

 速度を落としすぎれば、最終直線での追い込みのギアが全然暖まっていない。速度が少しでも早いと逆にリズムが乱れてスタミナを消耗してしまい追い込みが効かない。

 沈まないように、力まないように。むしろ難しい加減にタイシンは苦心していた。

 

「あとちょっと。もう少しだけなんだ」

 

 ピースは見つかった。でも上手くはまらない。形はあっているはずなのに、何が足りないのかもわからない。

 ナリタタイシンは必死に持っているピースを当てはめる。けれど、今日もソレははまらなかった。

 

 

 

 

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