「ありがとう、タイシンのトレーナーさん! とーっても参考になったよ」
「どういたしまして、私は別に近くで見ていたわけじゃないから参考になるかはわかんないけどね」
放課後のミーティングルーム。
私はウイニングチケットに対して今までのダービーについての情報をトレーナーとしての視点から語っていた。ウイニングチケットが秋にある聖蹄祭にてダービー展覧会というものを展示をするためにダービーについて聞きたいという願いからだった。
私の担当ウマ娘はナリタタイシンが初めてだからダービーの出場に立ち会ったことはない。しかし、ウイニングチケットが持ってきたダービーの過去の動画を一緒に語っていると昨日はたちまち時間が過ぎてしまった。気づけば、今日に放課後も一緒にダービーについて話し合っていたのだ。
「そんなことないよ! タイシンのトレーナーさんの意見はアタシじゃ思いつかないようなことばかりで、アタシはますますダービーが今までよりもずっと大切で大好きになったんだよ」
黒鹿毛の髪をブンブンと揺らし、全身で感謝を訴えてくるウイニングチケットの言葉に私は少し照れくさくなる。
「今度お礼しなきゃいけないね! なにかアタシに手伝えることがあったら遠慮くなく言ってよ! アタシなんでも協力するよ!」
「えー、私が好きでやったんだから別にいいって」
「ダメだよ! それじゃアタシの気が済まない。それにアタシのトレーナーさんも言ってたんだ! 貸しは作っても借りは絶対に作るなって!! つまり、なにかしなきゃお返ししないといけないってコトでしょ?」
「う、うーん?」
だいぶ、ニュアンスが違う言葉だというのはわかる。でもウイニングチケットはすごく思い込みの強い子だ。少し話しただけでそれははっきりと私にも理解できる。
何か彼女に頼みごとをしなきゃ納得してくれないんだろう。
「じゃあ、ジュースが飲みたいから買ってきてよ。これお金」
そういって、私は財布を取り出し500円をウイニングチケットに渡す。うん、これも立派な頼み事だと思う。
「ちっがーう!! それはただのお使いだよ。そうじゃなくて、もっと大事なところで使わないといけないでしょ」
「これも立派なお返しだと私は思うんだけどなぁ」
どうやら、私はウイニングチケットを甘く見すぎていたようだ。彼女もそこまで単純ではないらしい。
保留するといっても、毎日ソワソワ聞いてきそうだしどうしようかな。
そう思っていた私は、1つだけずっと気になっていたことがあったのを思い出した。
「あー、じゃあ一つ質問していい?」
「なになに? どんどんアタシに質問していいよ!」
そう言って、ウイニングチケットはずいと私の目の前に顔を近づけてくる。
い、言いづらい
近すぎる彼女の体を少し離して私はウイニングチケットに疑問を投げかける。
「ウイニングチケットのトレーナーさんが言っていたみたいだけれど、どうして聖蹄祭の展示の準備を今からはじめてるの? 何か理由でもあるのかなって」
「ああ、そういうことね」
得心が言ったようにウイニングチケットは頷く。
やはり、私も気になっていた。彼女のトレーナーの言う通り、今年クラシック級のウマ娘にとっては今の時期は特に重要な季節だ。4月にある皐月賞をはじめとしたクラシック三冠を目指すウマ娘であればなおのことだろう。
だというのに、ウイニングチケットはその貴重な時間を削ってでも、聖蹄祭の準備をしている。彼女の夢であるダービー優勝を視野に入れるのであればそんな余裕はないんじゃないだろうか。
いや、そんな大事な準備期間なのにまさか二日もかかるなんて私も思っていなかったんですよ。トレーナーとして私は、彼女を説得させてでも練習をさせるべきだったのかもしれない。
でも、そうなると逆に彼女のトレーナーはどうして止めなかったのかという疑問も出てくる。
「アタシにとって覚悟の証だからだよ」
ウイニングチケットの言葉で思考の海に潜っていた私の意識は引き揚げられる。
「覚悟?」
「そう、聖蹄祭が近づいてからじゃ遅すぎるんだ。まだダービーを走っていないアタシがこの展示の準備をしなきゃいけないんだ」
彼女は拳を握りしめた後、笑顔を作りながら瞳に確かな闘志を宿らせている。
「もちろん、アタシはダービーを勝つよ。でも、もしかして負けちゃったときにぜーったいにないけど、ダービーのことを嫌いになっちゃうかもしれない。……逆に勝った後に作る展示はまだ走ったことのない子たちにはわかんないものになっちゃうかもしれない」
やはり、私は無意識に彼女を甘く見ていたみたいだ。
ウイニングチケットはダービーという夢に本気で真摯に向き合っている。
盲目的に向かっているわけではなく、その過酷さを理解して常に負ける可能性も考慮している。だけど、考えて見れば当然だ。彼女は実体験と映像を通して勝利したウマ娘も敗北したウマ娘も全てを真剣に追いかけていた。
ダービーにかける思いが強いウマ娘が敗北した結果その感情がマイナスに転じた様子も目を背けずに受け入れている。
「ダービーを走り終えたらアタシは、今のアタシとは違うアタシになっている。たぶん、それは絶対で、間違いないと思う」
ダービーはウイニングチケットの夢だ。どのような形であれその夢から覚めるのだ。当然、今のままではいられないだろう。
「でも、アタシは絶対にダービーを嫌いになりたくない。そして絶対に勝ちたいんだ。アタシのために、それにダービーを取るって言ったアタシの夢を絶対笑わずにずっと信じてくれたトレーナーさんのために……だから、今、ダービーを目指している今アタシはダービー展覧会を準備しないといけない」
「それが覚悟の証」
ああ、眩しいなあ。
「そう。どんな結果だったって、アタシはダービーが大切でダービーが大好きなんだ。この気持ちはアタシ自身にだって否定させたくない」
拳を自分の胸元に当てるウイニングチケットの仕草に、私はひどく胸が締め付けられる。私が抱いた夢よりもずっとキラキラしていて真剣で尊い。
今までの自分がどれだけ幼稚であったかをまざまざと見せつけられているようで、少しだけ泣きそうになってしまった。
「ウイニングチケット。あなたにしたい頼みごとが今思いついたよ」
「なに?」
「あなたがどんな結果になったって、ダービーを嫌いになっちゃダメ。そして、笑顔でダービー展覧会を発表するの。そしてあなたは楽しかったって言わなきゃいけない」
私の言葉に最初、ウイニングチケットはきょとんとした表情を浮かべていたが、段々と笑顔になる。それは昨日のような獣性をもつ野心あふれる笑みだった。
「アタシはタイシンのトレーナーさんのこと、優しい人だと思ってたけど違うみたいだね」
「そう、私はとっても冷たくて残酷な人間だよ」
「絶対に、アタシは勝たなきゃいけないんだ」
「勝つのはタイシンだけどね」
「ふ、ふふふ」
「ふふふ」
昨日は突然のことで、気おされてしまった。しかし、今日は私だってウイニングチケットに負けないぐらい見せつけるように笑みを浮かべる。
お互いに笑顔のまま少しばかりの沈黙のあと、私たちは同時に吹き出した。
「ぷっ、あはは」
「ははは」
少し落ち着いたところで、私は廊下までウイニングチケットを見送った。
「またね、タイシンのトレーナーさん! アタシは絶対に負けないから」
ブンブンと手を振りながら去っていくウイニングチケットの姿が見えなくなるまで彼女を見送ったあとに私は職員室に向かおうとした。
「あた」
何かにぶつかった。
「チケットのダービーに対するやる気は相変わらずすごいな。それでこそ私も競い甲斐があるというものだ」
声のする方を向くと、綺麗な芦毛の長髪に、桃色の眼鏡が特徴的で見上げるほどの長身のウマ娘。私は彼女に見覚えがあった。
「ビワハヤヒデ」
「こんにちは、タイシンのトレーナーさん。今日は君に用事があって来たんだ」
すごく既視感を感じる。つい、先日も同じようなことがあった気がする。
今日はゆっくりと休むかタイシンと話したい気分だったけれど、ビワハヤヒデの話を断るなんて度胸のあることを私は出来なかった。
「そっかー、じゃあ、ミーティングルームで話を聞くよ」
今日も私は帰るのが遅くなるのかもしれない。
「早速本題に入らせてもらうのだが、ナリタブライアンというウマ娘は知っているだろうか」
「まあ、それは」
『才能の塊』『怪物』、様々な呼び名がある入学前からその優秀さを買われているウマ娘。
彼女について思い起こした時に真っ先に出てくるのは白毛さんの表情。
『ナリタブライアン。それが、私が出会った化け物』
手が震え、心なしかこわばった表情の彼女。いつもは飄々としている彼女の自信や尊厳を道を歩くような感覚で踏みつぶしていった。
レースは残酷だ。
みんな手を繋いでゴールなんてこともなく無常にただ一人の勝者だけを決める。故に勝利に価値があり、多くのウマ娘は勝ちたいと願って練習を続けレースに挑む。
しかし、白毛さんは言っていた。
『勝った後も嬉しそうな顔なんかこれっぽっちも浮かべないでさ。むすっとした表情してるんだよ』
たぶん、彼女は勝つために走っているのではないのだろう。自分らしく、自分の好きなように走る。走り終えた時、立っている場所が頂点だというだけ。
彼女は私の諦観から則った頂点に立つことができるウマ娘の特徴を兼ね備えているのだろう。
「私の妹であり、才能の塊と呼ばれるナリタブライアンに君から走り方を教えてあげて欲しいんだ」
ビワハヤヒデは黄金色のその瞳で私を射貫くように見つめて言い放った。
「でも、彼女はまだ入学もしていないでしょう」
「推薦で合格したんだ。今月から練習を始めている」
「なるほど」
トレセン学園は将来有望なウマ娘に対してのサポートが非常に手厚い。
推薦に合格した生徒に関しては早期から何人かのトレーナーをピックアップして、ウマ娘として爆発的に才能が伸びる『本格化』が来る前からハイレベルな練習環境を提供しているのだ。
「ビワハヤヒデが私にナリタブライアンの指導を頼む理由はよくわからないけれど、もう彼女にはトレーナーさんがついているのでしょう? 私の出る幕はないと思うけど」
推薦の面接を通して学園側はそのウマ娘の性格を概ね把握する。そのうえで相性のよさそうなトレーナーをピックアップするのだ。私に声がかかっていない時点で私は学園側から相性不一致のお墨付きをもらっているといって間違いない。
そして、もう練習を始めているのなら、トレーナーもついているのだろう。
「確かに彼女にトレーナーはついている。しかし、本当についているだけだ」
「どういうこと」
「言葉通り、見守っているだけで練習メニューを提供したり、走り方のレクチャーなどは行っていない」
確かに、それはついているだけだ。
私が続きを促す前にビワハヤヒデは言葉を続ける。
「はじめはベテランのトレーナーがつき、ブライアンに走り方を教えようとした。しかし、彼女はそれを拒んだ……おそらく相性の問題だったのだろう。そのトレーナーはどちらかというとコントロールするタイプだったから」
トレーナーの指導方法はそれこそトレーナーの数だけあるが大まかに言えば、トレーナー主体となってコントロールするタイプ、ウマ娘の走りに合わせてトレーニング考えるタイプの二つがある。
私の持っている情報からでもナリタブライアンは誰かに従うようなタイプには思えない。それゆえの相性の悪さといったところなんだろう。
「その後はほぼ毎日、ひどいときは一日に二度トレーナーが変わったこともあった。それほどまでにブライアンはトレーナーを受け付けることがなかった。そして、去っていくトレーナーも強くは言えなかったんだ。ブライアンは何もせずとも速いのだから」
聞けば聞くほど彼女の格の違いというものがわかってしまう。タイシンの耳に入ったら目を血走らせながらぶちぎれるんじゃないだろうか。
ひとりぼっちで走るレースに意味があるのかって。
「学園側としても、推薦入学した生徒でトレーナーもろくにつかないのは、メンツが立たないということで一応仮のトレーナーがついている状況なんだ」
文字通りのね。
「大体事情は把握したけれど、やっぱり私じゃ難しいかも」
彼女が私の言葉に耳を傾けるのは難しいだろう。私もたぶん客観的に見ればコントロールするタイプのトレーナーだし。
「私は君なら大丈夫と考えている。いやタイシンのトレーナーである君にしか任せられないと思って今回来たんだ」
彼女の瞳には確固たる意志があった。自分の考えを信じて疑わない自信に満ちた眼光だ。
「以前にも言ったが、君がタイシンを見出さなければタイシンはメイクデビューも走ることなく学園を去っていただろう。しかし、そうはならず今彼女は無敗のウマ娘として学園に在籍している」
「それはタイシン自身の実力。彼女が走るなら当然の結果だよ」
「そうだ。タイシンは入学時からその秘めた才能の片鱗を見せていた。しかし、タイシン独りではその秘めた才能を存分に振ることは出来なかっただろう。それは紛れもなく君という存在がいたからだ」
ビワハヤヒデは聞いているこちらが恥ずかしくなってしまうほどに、ストレートに私を評価してくれる。
彼女からしてみれば客観的な事実の言語化に過ぎないのかもしれない。でも、私はすごく顔が熱くなってしまった。
「そう……かな」
「私はそうだと思っている……そして君が見出したのはタイシンの才能だけじゃない。彼女の中にあるレースに懸ける思いの源もだ」
ビワハヤヒデは顎に手をあてて少しだけ沈黙し視線がそれる。恐らく何かを思い起こしているのだろう。
「タイシンはレースで勝った時しか満足に呼吸ができない。死なないために必死に勝利を渇望していると確か君は言ったはずだ」
「そう、だね」
「私もタイシンの勝利に懸ける並々ならぬ熱量は察してはいたが、それがどういったものかまで、正確には把握できなかった。だというのに君はそれを見出したんだ」
その告白は少しだけ後悔が滲んでいた。自分ではどうしようもできない無力感とでもいえばいいのだろうか。
「そして、ブライアンも勝利を渇望している。それは私が確信をもって言えることだ」
ビワハヤヒデの言葉に私は少しだけ驚いた。だって、白毛さんは嬉しそうな表情を浮かべていないと言っていた。それは勝ちたいわけではないということではないのか?
ビワハヤヒデと白毛さんの評価の相違に私は少しだけナリタブライアンというウマ娘に興味が湧いた。
ビワハヤヒデと白毛さん。ぱっと見は食い違う意見だが、2人とも間違っていないと仮定したら? 私の推測が間違っていなければナリタブライアンは相当に歪な気持ちを持ち合わせていることになる。
「だから、君ならブライアンの持つ勝利への渇望やその性質を把握したうえでブライアンに走り方を教えることができるんじゃないかと思ったんだ」
「なるほど」
乗り気じゃなかった。興味なかった。でも、今はナリタブライアンというウマ娘を私は直に見たい。まだ見ぬ私の勝手な解釈だけれど去年のタイシンによく似ている。そんな気がするんだ。
「私が教えられるのかはわかんないけど、ナリタブライアンと話がしたい。ビワハヤヒデはどこにいるか知っているの?」
「ありがとう。タイシンのトレーナーさん」
こうして、私はビワハヤヒデに先導されてナリタブライアンの練習する光景を見ることにした。
「おそらく2000mの走りこみを続けているはずだ」
トレセン学園の運動場の手前まで来たあたりでビワハヤヒデがそう告げた。
「入学前からその距離の走り込みかあ……」
普通は1000m程度から馴らしていく。その距離は完全に中距離の実戦を想定したものだ。
話を聞くたびに彼女の才能の大きさを上方修正していく。
そんな思考をしていると見知った二つの姿が目に入る。
私は気づいた時には声を上げながら駆け出していた。
「あ、タイシン!」
「こんにちは、一ノ瀬ちゃん」
「こんにちは、スズカ。ってタイシンがスズカにおんぶってどういう状況なの」
2人も練習していたようだったが、なぜかタイシンはスズカに背負われていた。初日の出の時といい、最近、タイシンは負ぶわれてばかりのような気もする。
私の質問にスズカは顎に指をあてながら少し思案した後に、返答してくれた。
「私がタイシンの尻尾を掴んで腰が抜けてしまって、タイシンが怒っちゃったから今日は練習を切り上げることにしたわ」
???
どういう状況? なにがあったの? 腰が抜けてからタイシンはどうして立ち上がらずに負ぶわれているの?
色んな疑問が湧く。
スズカの背中にいるタイシンの方に目をやると、タイシンはどこか気まずそうに眼を逸らし、耳を伏せていた。
……本当はもっと何か込み入ったことがあったのかもしれない。たぶん、スズカはまともに答えてくれないだろうし、タイシンもあまり言いたくないのだろう。
「うん、そっか!」
私は何も考えないことにした。
「トレーナー、ハヤヒデと何してるの」
少しだけ顔をのぞかせてタイシンは私に声をかけてきた。
「ああ、ビワハヤヒデの妹、ナリタブライアンの走ってる様子を一緒に見に行くんだ」
「ん、わかった」
タイシンも私たちの事情に深くは追及してこないようだった。
「じゃあね、一ノ瀬ちゃん」
「うん、じゃあね、タイシン、スズカ」
そういって、私はビワハヤヒデと一緒に2人を見送った。
「最近、タイシンが放課後になるとすぐに出ていくと思っていたが、あのサイレンススズカと一緒に練習していたのか」
ビワハヤヒデは少しおどろいたように発言する。
「うん、先月の終わりにスズカが言ってきたんだ。3月いっぱいまでタイシンを指導するって」
「そう、か……今のタイシンの雰囲気は先月までとはまるで別人のように洗練されていた。ホープフルステークスや新年に併走したときの彼女のデータは全くの無意味になってしまったな」
ビワハヤヒデはわずかに頭を下げる。初めはショックだとか、何も告げられなかった寂しさなのかと思ったがそれは間違いだとすぐに気づく。
少しだけ纏う雰囲気が変わった。
力の限り拳を握りしめながらビワハヤヒデは大胆不敵な笑みを浮かべていた。
「それでこそ、勝利のし甲斐があるというものだ」
ビワハヤヒデはタイシンの変化を瞬時に見抜いた上でそう宣言する。
徹底したデータ収集を元にビワハヤヒデは鳥のようにライバルを俯瞰しながら分析する。しかし、その笑みは優雅さとは程遠い猛禽の笑みだ。
伏龍がいたのだ。近くに鳳雛が羽ばたいていて当然だ。そして、眠れる獅子も影に潜んでその力を増している。
「あなたたちはいつも真剣だね」
BNWというくくりでよばれるほど、彼女たちはよく行動しているがレースに懸ける思いは真剣で当たり前だけれど、友達だからなどという甘さはかけらも感じない。
「私が勝てば次の日にはチケットかタイシンが勝つ。そしたら私も負けじと自分の実力を磨く……非公式の場では私が一番勝利しているという自負があるが、レースではそんなものは関係ない。気を抜けばすぐに寝首を掻かれてしまう。だから、私は彼女たちのデータを常に分析して勝利への道筋を計算を繰り返しているんだ」
私はそれぞれ力を蓄えているのだと思っていた。けれど、違うんだ。三つ巴の中でお互いを糧として貪りあうことで、彼女たちは真価を発揮するのだろう。
逆に言えば、三つ巴にならなければ龍は伏したまま朽ちていく。鳳は自らの炎を御せず成長する前に墜落してしまう。獅子は眠ったまま目覚めることはないのだろう。
この三人のウマ娘は誰か一人でもかけていては本来の実力は出し切れない。直感だけれど私はそう思った。
「とても素敵な関係だ」
「ああ、チケットとタイシンとの出会いは私にとってかけがいのないものだ。彼女たちのおかげで私は更なる高みに至れる。けれど」
「?」
「私の妹はそんなかけがいのない出会いにまだ巡り合うことができていないんだ」
そういって、ビワハヤヒデが指をさした。示された方に視線をやると尻尾のように長く伸びた黒鹿毛をたなびかせながら、すさまじい勢いで走り抜けるウマ娘がいた。
「あれが」
「そう。あれがナリタブライアン。私の妹だ」
クラシック級のウマ娘のトレーニング風景と言われても差し支えのない走りだった。
スピード、スタミナ、パワー、基礎能力だけで言うならば全部がクラシック級の中でも上位に位置すると思う。でも、それだけだ。
私の中の白い影が囁いたのをそのまま口にした。
「ただの欲求の発散って感じだ」
「そう、まるでなっていない」
私たちはナリタブライアンが走っている様子を何度か遠巻きから見ていた。
「あれはダメだね。位置取りが下手。好き勝手に左右に動いてる。そのせいでスタミナを使いすぎてスパートをかけるタイミングがめちゃくちゃ下手くそ」
「あれは自分が走っている場所しか見えていない。レースになればすぐに囲まれて抜け出すのにスタミナをさらに消耗するだろう」
「一番ダメなのはそれでレースに勝つ分には全く問題がないってこと」
そうだ。ただの欲求の発散でしかなく、トゥインクル・シリーズのトップクラスで戦うための走り方を全く実践できていない。だというのに、基礎能力だけで全てをなぎ倒してしまう。
彼女のように心を折られてしまうウマ娘が出てしまうのも当然と言えた。今まで自分が培ったものではなく単純な身体能力で負けることほど自分の尊厳を傷つけられるものは多くはない。
「トレーナーさん。改めて提案だが、ブライアンに走り方を教えてやってくれないだろうか」
「私は構わないけれど本人がどうだろうね」
タイシンではないけれど、私はナリタブライアンに腹が立ってしょうがなかった。
他のウマ娘を侮辱するような走り方をしている。それが許せない。
それに……あんなに才能に恵まれているのに、どこまででも走れるはずなのに、どうしてナリタブライアンはあんなに苦しそうなんだ。
恵まれたヤツは自分自身が恵まれていると自覚したうえで、自分以上に楽しんでる奴はいないってくらい楽しそうに走るべきだ。レースにワクワクするべきだ。
それが恵まれたヤツの特権で責任だと私は思う。少なくとも、私が見てきた2人のレジェンドは自分自身に正直だった。あきれるくらいに眩しくて負けてしまった人も呆れて笑ってしまうくらいにはキラキラしていた。
勝者が嬉しくなくちゃ、敗者はどんな顔してその敗北を受け入れればいいんだ。
「そうだな。では直接話すとしよう」
ビワハヤヒデに従い私はナリタブライアンの元に向かった。
「ブライアン、いい走りだったよ」
ナリタブライアンは私たちの接近に気づいていなかったようで、ビワハヤヒデの声にびくりと肩を震わせる。
相当な怒気がこもった眼光でこちらを向くがすぐにそれは霧散する。
「なんだ、姉貴か……そっちの子供は?」
そういいながら、ナリタブライアンは私の方をじっと見ていた。
「おい、ここはトレセン学園のウマ娘の練習場だ。ふらふらしてると轢かれてケガするぞ。早く家に帰れ」
は?なんだこいつ。
なんで、お前は屈んで私と視線を合わせてくるんだ。
「お、おい、ブライアン! 彼女はだな」
「こんにちは! 私は一ノ瀬 鐙鞍(とあ)です。年齢は24歳でこのトレセン学園のトレーナーなんだ。あなたよりも年上だよ」
あふれ出しそうになる感情を抑えたまま、私は笑顔でナリタブライアンに自己紹介をした。
ナリタブライアンは私の顔をじっと見つめた後に、言葉を続ける。
「大方お前の姉の真似をしているんだろうが、そういうお遊びは運動場の外でやれ」
「ブライアン! 彼女は本当にトレーナーだ。いくら小学生のような背丈と容姿をしているからといって人を見た目で判断するのはよくないぞ!」
あれれ、ビワハヤヒデが援護してくれてるはずなのに、どうしてか私は後ろから刺されたように錯覚する。
穏やかに話を進めようとしたが、ちょっと私には無理そうだ。
「お遊びは運動場の外でやれっていうんなら出ていくのはナリタブライアン、あなたの方だよ」
私の言葉にナリタブライアンは耳をピクリと動かした。
「なにも知らない子供が適当を吹かすな」
「自分の脚の使い方もろくに知ろうとしないヤツよりはまっとうなことを言っている自覚はあるんだけど」
「と、トレーナー!」
ビワハヤヒデが制止しようとすると、ナリタブライアンは私の襟元を掴み、軽々と私の体を持ち上げた。
「いい加減にしろ! 痛い目を見ないと分からないのか」
ナリタブライアンは私に向かって大きな声で罵声を浴びせる。
ああ、やっぱりだ。
このウマ娘は思ったほど恐ろしいものではない。ただの甘ったれだ。
「そんな怯えた表情ですごまれたってなにも感じないんだけれど」
「なにをいっている」
ナリタブライアンも様子がおかしいと感じたのか、私に対して訝しげな視線を向ける。
「本当に脅すなら早く首に手をかけてよ。あなたのその力で私を締めたら私だってひとたまりもなくなっちゃう。そしたら恐ろしくてここにはもう立ち寄らないだろうから」
「お前正気か」
去年のタイシンなら、今の時点で私の首を力の限り締め付けているころだ。でも、ナリタブライアンはそれをしない。自分が力が強いと自覚しているから。
でも、本当に自分の力を自覚できている人なら加減できるほどに痛めつけ来るはずだ。二村さんみたいに。
散々首根っこ掴まれた続けてきた私だからわかる感覚だけれど、このウマ娘は自分の力の限界を自分で全くわかっちゃいない。どこまで加減すればいいのか、どこから危ないのか自己理解が全くできていないのだ。
「自分の力の使い方もわからないから、口だけで脅すなんて甘っちょろいことになってるんでしょ……その甘さがあなたの走りにもはっきりと出てる」
私は足が浮いた状態で、ナリタブライアンを力の限り睨みつけながら彼女に吐き捨てる。
「進路が左右にぶれすぎ。そんなんじゃ、すぐに囲まれる。しょっぱなから飛ばしすぎ、スタミナを温存するって言う考えを一切しないで、力の限り走ってたらそりゃラストスパートのタイミングもズレるし、いまいちの走りになるのも当然だよ」
ナリタブライアンの黄金色の瞳が大きくなった。彼女の逆鱗に触れたのだろう。
「黙って聞いてれば」
「そんなめちゃくちゃなことしか出来てないアナタはどうして走っているの?」
「は」
「いや、走ってるわけじゃないんだ。どちらかというとなにかを追いかけてるって言う方が正しいのかも」
「~~ッッ!!」
「それなら納得がいくよ。追いかけてるんだ。真似っこしてるだけ。あなた自身が走ってないんだ」
「こっんのっ!!」
まずい、と私の頭が警笛を鳴らす。
気づいた時にはナリタブライアンは精一杯握りしめた拳を後方に引き絞っていた。
ナリタブライアンの感情を彼女の弱いところをついていたけれど、途中からは本当に無意識に彼女を挑発していたことに気づく。
かなり、まずいのかもしれない。腕で顔を防いだってどうせ痛いのには変わりないし。頭だけは打たないように私は覚悟を決める。
「ブライアン!」
ビワハヤヒデの言葉で、ナリタブライアンの瞳に正気が戻る。
なるほどと、私は納得した。そして、無意識に口が動いてしまう。やめろ、と私の頭は叫んでいるのに、こんな時だけ私の口は勝手に動いてしまう。泣きたくなるほどに。
「あー、そっか。追いかけてるのはビワハヤヒデなんだ。そして、真似っこしてビワハヤヒデに見て欲しいんだ」
その瞬間、頭部に鈍痛が走る。そのまま地面に落ちて背中を強打する、痛い。
すぐにわかった。頭突きをされた後に手を離されたんだ。
何とか、視線を上げると今度は、首を押さえつけられた。
「っっっ」
息ができない。ナリタブライアンが私の上に乗っているせいで、身動きも取れない。
彼女の姿が影になり表情も一切窺うことができない。
「ふっー、ふっー」
冷静さなどみじんも感じない。獣といった様相だった。
このまま締め付けられるのかと思った。
パンと、乾いた音が鳴った。
瞬間に拘束が解かれた。気づけば、ビワハヤヒデがナリタブライアンの頭を叩いていた。
「ブライアン、しっかりしろ!」
「姉貴……」
ナリタブライアンの瞳にはまた正気が宿るが今度は少し気まずいようで耳が力なく垂れている。
「ブライアン、すまない。本当はこんな予定ではなかった。お前をこんなに傷つけてしまうとは私のとんだ計算違いだった。本当にすまない」
「チッ……私もカッとなったすまん」
「ああ、ありがとう」
そう言ってビワハヤヒデがナリタブライアンの頭にそっと掌をおく。
「触るな」
「すまない」
なんだか、仲直りができている様子みたいだ。
うん、でもどうして2人とも一番傷ついている私の方を見ようとしないんだろうか。
「あのー、一番傷ついてる人がここにいるんですけど」
「お願いだ。君は黙っていてくれ。ブライアンの目の前からいなくなるまで、一度も口を開かないと約束してくれないか? どうか頼む。なんならバナナも用意しよう。二房もあれば十分だろうか?」
「ず、ずびばぜん」
ビワハヤヒデは私の口元をギリギリと絞りながら懇願してくる。
雑な扱いに私は泣いちゃいそうだった。
「ふん……悪かった。お前は心底気に食わんが、お前がトレーナーなのは確からしいな」
ナリタブライアンは絶対に私の方を見ようとはしなかったが、謝罪をしてくれた。やっぱり、彼女はとっても甘ちゃんのようだ。
「わたしは」
「さあ、帰ろう!!! なあ、タイシンのトレーナー!? 私たちの用はもう終わった! そうだろう!!!」
「ふぁい」
ビワハヤヒデは結局、ナリタブライアンへの返事をさせてはくれなかった。どうしてなんだろうか。ビワハヤヒデの雑な対応に私は心のなかでひそかに涙した。
ビワハヤヒデは私を担ぐとすごい勢いで運動場を後にしたのだった。
「全く……君には手心を加えるというものがないのか」
ミーティングルームにて、バナナを食べながらビワハヤヒデは私の行動に憤慨していた。
さっき、二房くれるといったのに彼女はもう二本目を食べているのだ。
「加える気はあったんですよ? あったんだけどね……」
ナリタブライアンから見えた感情を紐解くのに夢中でそんなこと頭から抜けていた。
「はあ……頼みの綱の君もダメとなると、一体だれを頼ればいいんだ」
彼女は頭を抱えて悩んでいる。しかし、バナナを食うては止まらないのだから器用なものだ。
「根本的な話なんだけどね、どうしてビワハヤヒデはナリタブライアンに走り方を教えられる人を探しているの?」
彼女だって、今回の件がなくてももしかしたらその才能だけで勝ち続けるかもしれない。それならば必要はないだろう。腹が立ってしまうけど。
それに挫折をすれば、それこそ、彼女は学ぶことを余儀なくされる。言ってしまえばそこからでも遅くない気はする。
「そんなもの、姉はいつだって優れていると証明するためだ」
ビワハヤヒデは臆面もなくそう言い放った。
「ナリタブライアンがしっかりとした走り方を覚えて本格化を迎えてもなお、ビワハヤヒデはナリタブライアンの先をゆく。ゆかねばならないんだ」
「じゃあ、ビワハヤヒデが教えればいいんじゃないの?」
ナリタブライアンは化物じみた才能の塊だ。それを超える優れた姉がいるのであれば、それこそその姉が教えればいい。至極当然の論理であると私は思った。けれど、ビワハヤヒデの表情はくらい。
「ダメなんだ、それじゃあダメだ」
「どうして?」
そういうと、彼女は、少しだけ俯く。
少し長めの沈黙があった。
言いかねているのだろう。
時間をかけて彼女は自分で沈黙を破る。
「怖いんだ」
「怖い」
「そう、私は怖いよ、恐ろしい。自分の妹の実力が怖くて怖くてしょうがないんだ」
それは、ずっと黙してきた事実の懺悔だった。
「ブライアンは小さいころからずっと私の背を追ってきていた。そして、彼女は私が一番早くて、強くて、実力のあるウマ娘だと信じて疑っていない」
そういいながら彼女は頭を片手でおさえる。
「私はブライアンにとっていつまでたっても追いつけない。いつまでも追い越せない。でも、いつか追い越さなきゃいけない絶対的な壁なんだ」
こころなしか彼女の手は少し震えている。
「ブライアンの中でビワハヤヒデという存在は雲の上のような存在になっている。本当はそんなことなどない。手を伸ばせば届くし、レースの上では対等だ……だが、私が教えてしまえばブライアンはもっと私に依存してしまう。私という存在が上だと思い込んでしまう。そして、私はブライアンのいまだに知れぬ実力を直視したときに走れなくなってしまったらどうしようという恐怖が今に至るまでずっとぬぐえないでいる!!」
まくし立てるように感情を吐露するビワハヤヒデの表情は、ひどく憔悴しきっていてとても泣きそうに見えた。そして、私はその表情を見た時にとある記憶が思い起こされた。
『もうっ……いい!!!』
失敗した私を詰問していた二村さんの表情。
あの人は叱っているはずなのに怒っているはずなのになぜか泣きそうなくらい表情を浮かべていた。
「だから、私は教えられない。ブライアンに必要なのは私ではない。私はブライアンの超えるべき壁でなければいけないんだ」
泣きたくなるくらいにビワハヤヒデは優しい。もうシスコンといっていいレベルだろう。私にもこんな人がいたらもっと違ったのかもしれない。そう思うくらいには素敵な姉だ。
彼女の願いは痛いほどやさしくて切実だ。方法がないわけではない。でも、私はビワハヤヒデの感情をもっと知りたくて少しだけ意地悪をしてしまう。
「やっぱりブライアンがどうしようもなく手詰まりになるか、彼女の現状を受け入れるしかダメなんじゃないかな」
「ダメだ。そんなことは絶対に認められない!」
今までで一番大きな声だった。普段の彼女からでは考えられないほどの怒気が滲んでいる。
「それではナリタブライアンはただの才能の塊でしかない。あの子が走るトゥインクル・シリーズの時間の中で少しもくすぶっている時間があってはいけない! ろくに走り方も知らないで、ただ無軌道に走っていればそれは人を魅了するスターではなく、他の人が恐れる怪物でしかないだろう!」
わからない。全くわからないが、私はビワハヤヒデのナリタブライアンへの思いを聞くだけでひどく胸が熱くなってしまう。目頭が熱い、視界が滲んでしまう。
「あの子は化け物ではない。あの子は怪物なんかじゃない。ナリタブライアンは誰もが羨むぐらいに強くて速い。見ている全員を湧かせる輝きを持つウマ娘だ。ビワハヤヒデの唯一にして自慢の妹だ。私が一番その輝きを知っている。私にはその輝きを少しでも曇らせるようなことはできない!」
このウマ娘は本当に呆れるぐらい妹のことが大好きなんだ。
「す、すまない。なにか私の発言が気に障っただろうか?」
窺うような声音でビワハヤヒデは私に尋ねてくる。正直、目の前がすごくぼやけてよく見えないので、たぶんそうだろうという私の勘だけど。
「だい”じょ”う”ぶだよ”」
「全く大丈夫ではなさそうなんだが」
このままでは、ビワハヤヒデの心配がぬぐえないだろうから、まず私が腕で涙と鼻水を拭う。
「大丈夫だよ。ナリタブライアンにぴったりのトレーナーさんを私は知ってる」
「それは本当か」
「うん、絶対に大丈夫だよ」
「ありがとう、ありがとう」
涙を必死にこらえながら、笑顔を浮かべるビワハヤヒデの顔は私にはとてもキラキラして見えた。
あの人は、絶対に文句を言うだろうし見るわけがないなんて拒否するだろう。
でも、どうせ気になって確認して、最終的には面倒を見てしまうに決まっている。
「はあ? こっちは色んな準備で忙しいってのに見るわけねえだろうが」
二村は職員室にて呆れるような声を上げていた。
二村にとっての妹分である、一ノ瀬からメールが送られてきたのだ。
一ノ瀬とはほぼメールのやり取りなどしていない。あっても、二村と一ノ瀬にとって大恩あるたづなが主催する正月、流しそうめん、ハロウィン、クリスマスなどのイベントごとの日程調整くらいだった。
そんな一ノ瀬からのメールであった。アホな妹分はメールの件名もろくに書かないので中身を見なくてはいけない。開いてみると、一人のウマ娘の担当になってくれという内容のメールだった。
サイレンススズカの海外進出に向けての準備、記者会見のセッティング、トレセン学園生徒会業務の一部など、二村は様々な業務を抱えていた。そんな彼にとってまた新たなウマ娘を抱えるなどという余裕はなかった。
すぐにメールを削除してみなかったことにしようとした。しかし、二村も一社会人である。もし、一ノ瀬がメチャクチャ重要なことを書いていてそれを見逃した上に削除などしてしまったら目も当てられない。
なので、二村は一応全部読むことにした。
「は~読むんじゃなかった~」
はっきり言って時間の無駄だった。重要なことなど一つも書いてはいなかった。
名前と一ノ瀬から見た適性距離とその性格。
この子を見ろ、などという敬意もへったくれもない横暴な文章。
「やっぱこんどあった時にアイツをもう一回締めないとな」
そう言って、二村はメールを削除した。
そして、職員室のPCの電源を切り、その場から立ち去る。
「あら二村さん。まだお仕事残ってますよ」
誰かが声をかけてきたような気がした。でも、二村は聞いてないし、聞こえなかった。
「は~、この部屋ももうちょい整理しろっての」
トレセン学園の資料室。昔から今に至るまで膨大な資料が蔵書されているこの場所で二村は資料を物色していた。
本当に膨大な資料が入っているが、管理人さえも把握できていないものも多数存在する。なので、目当ての物を探すのにも一苦労ではあるが、二村はなんとなく目当ての資料の位置を覚えていた。
「これか」
最近の物である。
有望なウマ娘は地方であってもレコードが記録され、必要に応じては映像資料も同封されている。
「ナリタブライアン……か」
本当は、こんなもの見ている時間なんかない。見る必要もない。でも、まあ、なんとなく気になったので見てみるだけだ。アホの妹分はこういう資料の場所は書いていないので二村は自分で探しに行かないといけない。
そう、二村は興味本位でナリタブライアンに関する資料を探していたのだった。
「怪物……ねえ」
映像をみる。確かに基礎能力はすごい。だが、それだけだった。逸材であることは確かだ。でも、基礎能力だけで勝ち上がっていけるほどに本当にとびぬけているという感じではなかった。
やはり、二村は徒労だったと思い、資料室を後にする。
『あの子は化け物ではない。あの子は怪物なんかじゃない。ナリタブライアンは誰もが羨むぐらいに強くて速い。見ている全員を湧かせる輝きを持つウマ娘だ。ビワハヤヒデの唯一にして自慢の妹だ。私が一番その輝きを知っている。私にはその輝きを少しでも曇らせるようなことはできない』
アホからのメールの最後にはそんな言葉があったと二村は思い出す。
『お兄ちゃん、私は気持ち悪いんだって』
二村にとっては遠い昔の記憶だ。
アホはいつも泣きながら帰ってきていた。正確には、無愛想な顔で帰ってきて二村の顔を見た瞬間泣き出していた。
『勝手に人の心を読んじゃう化け物だって。私はみんなと同じ場所にいるとすぐに人の心を読んで空気を悪くするからすみっこにいなきゃいけないんだって』
アホは二村と同じように物事が人よりも良く見えていた。
アホはアホだったから、周りも同じだと思っていたようだった。でも、違っていて気づいた時にはアホは気味悪がられていた。
アホはアホだから、誰かがキツいときはそいつに優しくしていたし、誰かが悲しいときは悲しいやつが泣くのを我慢していてもアホだけは人一倍泣いていた。
それだけだ。心が読めるわけではない。ただよく物事が見えるだけのアホなだけだ。だけど、周りの奴らは、異物として気味悪がってアホの好意を無下にして、そっけない態度を取っていた。
二村はそういうくだらないやつが大嫌いだった。
「くっそが」
二村は、どうしてそんな昔の記憶を思い出したのかよくわからない。
ただ、頭がごちゃごちゃするし、気分を変えたかった。
「運動場に行ってみるか」
そこで、たまたま走り方もろくにわかってないウマ娘にあってもそれはただの偶然だ。