ナリタタイシンに対する強い幻覚   作:妄想投棄場

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皐月賞

 快晴。春の心地よい風が吹く季節。今日はクラシック三冠の始まりを告げる皐月賞当日であった。

 スタッフからレース出走者に誘導がかかる。

 ナリタタイシンは控室からパドックの方に向かっていく。

 先ほどトレーナーと軽くミーティングをした。本当にただの確認だけ。やることは変わらない。

 しかし、聞き慣れたその声と姿は、タイシンの知らずに抱いていた緊張を幾分か和げた。

 パドックに入場するとタイシンはいつものように軽くアピールする。タイシンはこの時間だけはいつまでも慣れなかった。自分自分でアピールするというのはタイシンにとって難しいのだ。

 ウマの世界のように、ただ歩いているだけでアピールになれたらどれほどよかっただろうかと思う。

 言葉はいらない。身振り手振りも無駄だ。ただ限界まで神経を研ぎ澄ませて全身全霊で速く、誰よりも速く走る。それが自分にできる最高のアピールだとタイシンは考えていた。

 ゲートに入る。いつものように目を閉じた。

 ウマ娘達の息遣いが聞こえる。

 それとは違う物音がどこかから聞こえる。わずかに鼻息も混じっている。

 大方興奮しているのだろうとタイシンは思った。

 どちらの世界であっても、レース、それもGⅠレースの皐月賞ともなると自分を律することは難しいのだとタイシンは思った。

 そんな風に冷静に分析しているタイシンの胸の鼓動はひどく早く脈をうっている。

 いつものように白い影が囁き、雑音が反響している。

 あの声は聞こえない。だというのにタイシンの体が必死に語り掛けてくるのだ。

 早く走りたい、と。

 拳を固く握りしめて己を必死に抑える。

 吹き出しそうになる興奮も、不安も、期待も、まだ解き放つ時ではない。

 煮詰めなければいけない。最後の最後で誰よりも速く走るための原動力は軽くてはいけないのだ。出力が足りない。重く、深く、ドロドロとねばりついて息をするのも困難なほどの粘度でなければならない。

 タイシンを構成するこの体はあまりにも軽すぎる。

 吹けば飛ぶとは言わない。けれど、バ群に飲まれれば抜け出せない。体が当たればすぐ押し負けてしまう。

 臓器は体に比例して小さく、スタミナは足りない。だから、そんな他のものに影響されないほど重く、深く、粘稠で火をつければたちまち爆発するほどのエネルギーが必要だ。

 そのために、タイシンのあふれてしまいそうな感情を煮詰めなくてはいけない。

 

 ルーチンのように、思考を重ねた後にタイシンはゆっくりと目を開ける。

 

 ぴたりと、音が止む。

 ゲート内のウマ娘達は正面を見据える。

 かける思いはそれぞれだろう。しかし、全員がゴールだけを見据えている。タイシンもその確信だけはあった。

 

 ゲートが開く。その音が沈黙を破り、ウマ娘達が一斉に駆け出した。

 

 

 

 これでいい、ここがいいんだ。

 

 

 タイシンは、最後尾下から二番目の場所で走っている。

 今までであれば、足を溜めると言っても、もう少し前に出ていた。やはり、バ群に混ざらないと言ってもバ身で測れないほどの大差をつけられていると、自分の武器に自信があっても不安であることには違いなかった。

 しかし、彼女は視たのだ。

 

 

 アイツはここからまくっていた。

 

 近くて遠い世界でウマ娘のナリタタイシンと同じ名前を持ったウマの姿を思い出す。

 ナリタタイシンにまたがる騎手は最後尾ギリギリで行けると判断したのだ。

 ウマにできてウマ娘にできない道理はないと信じ、タイシンはじっと息を潜める。

 後方だからこそ得られるものあった。

 ターフの上に残った先を行くウマ娘達が走った跡が見える。視界を広くとらえることが余裕がある。

 ぬかるみや踏みつけた跡が多い場所を行かないように冷静にレース運びができた。

 眠るように速度を落とすのだ。

 獅子は動かない。たったの一撃さえ入れればよい。それ以外は投げ捨ててもよい。

 それこそ、タイシンが観察によって得た教訓であった。

 

 

 

 気づけばタイシンは第二コーナーを回っている。

 残り1000mだが、先頭の姿は捉えることができなかった。

 が、それも関係ない。タイシンには関係なかった。

 

 

『あなたの勝負を仕掛けるタイミングに周りのウマ娘なんか関係ない』

 ああ、そうだと、タイシンはその言葉を思い出し肯定する。

 

――アタシの居場所に入れば誰にも負けない。

 

 

 その確信だけはあった。そして、タイシンが負けてしまうとするならば

 

 

――あの時に走っていたアイツよりも速く!!

 

 

 それは、自分自身でしかないだろう。

 サイレンスズカが言っていた言葉の意味がそうであるかはタイシンには分からない。しかし、タイシンにとっての解釈はそうであるのだ。

 

 

――速く、速く、ウマよりも速く。

 

 

 腹が立ってしまうほど、うらやましいほどにナリタタイシンは速かった。

 だが、そんな逸る気持ちと裏腹にタイシンはしっかりと足を溜めている。

 本当は全力で駆けだしたい。もう、抑えきれないほどだ。しかし、まだタイシンの居場所ではないのだ。

 ナリタタイシンだって、うんと我慢していたのだ。

 あの走ることしか考えていない生き物でさえ、ぐっと、必死に、それこそ気が狂いそうになるほどに我慢していた。

 どうして、タイシンにそれができないだろうか。その一心でタイシンはこらえていた。

 

 そして時は来た。

 

 

 最終コーナーに入った。ギアを暖めるためにこの少し前からペースを上げており、先頭集団の後方は捉えることができていた。

 そして、タイシンは曲がることを諦めるかのように大外に進む。

 ほぼ直進とさえ言える走りを見せた後。

 ぐるりと、足を変えた。

 

 

「速く、速く、誰よりも速く!!!」

 

 その瞬間にタイシンの頭に思い浮かんだのは、あのウマの声であった。

 今にして思えば、煽られていたのかもしれない。

 お前ではここまで速く走れないだろうと。

 そう思うと、タイシンは腹が立ってしょうがなかった。

 

 

 

「はあぁぁぁぁぁ」

 

 

 見ろ。見ろ。見ろ。

 これがナリタタイシンだ。ナリタタイシンの本気だ。

 ウマだからどうした。

 所詮、走ることしか考えていない畜生だろう。

 

 違う、違う、違う。

 ウマ娘は違うのだ。お前のように本能で生きているのではない。

 

 ウマ娘のナリタタイシンは捧げなければいけないのだ。

 

 タイシンの身に宿る本当の武器を教えてくれた自分の、自分だけのトレーナーがいる。

 

 あの人に勝利を捧げなければいけない。

 

 

 タイシンの身に語りかける、鬱陶しいほどやかましい声の正体を教えてくれたウマ娘がいる。

 その身に一人のウマ娘では抱えきれないほどの業火のような衝動を抱えながら、タイシンを受け止めてくれた先輩がいる。

 

 彼女がその身を賭して教えてくれた走りを、このレースにおいて捧げなければいけない。気持ちよく走らければならない。きっと楽しくなると期待している彼女の期待を裏切ってはいけない。

 

 

 

 そして、タイシンのことを友として認めてくれてライバルと呼ぶ、2人に全身全霊を捧げなければいけない。

 

 

 

――そうでしょ!! チケット!!! ハヤヒデ!!!

 

 

 タイシンは溜めていた末脚を惜しみなく使い、グングンと距離を詰めていく。

 その中で、目の前に黒鹿毛のウマ娘が昇ってきた。

 ウマの世界で垣間見た時は末脚の伸びが足りておらず、最後はナリタタイシンとビワハヤヒデの一騎打ちになっていた。

 しかし、ここではそうではない。

 

 

「ダァァァァァビィィィィィィ!!!!!」

 

 ここはダービーではない。

 しかし、彼女にとってここもダービーだと、そう自分に言い聞かせているのだろう。

 ウイニングチケットの負けられない、負けるわけにはいけないという覚悟。それが言葉に滲んでいた。

 

 これがタイシンにとってあまりよくない展開になった。

 大外から食い破るように突っ切ってきた。

 そして、目の前にウイニングチケットが昇った。

 進路が塞がれたのだ。

 がっちりと前が横に広がっている。

 今さら、また外にまわる暇などなかった。

 その間にも、ビワハヤヒデは先頭を進んでいる。この勢いが少しでも弱まれば勝ちの目などひとかけらもありはしないだろう。

 

 

――ああ、ダメか。

 

 タイシンは抱いた。抱いてしまった。敗北という可能性をひとかけらでも脳裏によぎらせてしまった。

 やりようはある。しかし、上手くいくかなど分からない。その可能性だけしかないと腹を括るべきだったのだとタイシンは後悔した。

 脳裏にガンガンと響いてきたのだ。

 

 

 

 早く、早く、早く、速く、誰よりも速く!!!!!

 

 

 

 タイシンは勝ちたかった。捧げたかった。

 その気概がそれを呼び寄せた。しかしタイシンの並々ならぬ気迫で寄せ付けはしなかった。しかし、ひとかけらでもその気迫にヒビが入ったのだ。

 もうその勢いを止める術はなかった。

 

 

「はああああああああ」

 

 

 そこからは、あっけないほどの終わりだった。

 結果から言えばタイシンが勝った。

 頭一つ抜けたのだ。

 ウイニングチケットとビワハヤヒデ、その他のウマ娘からなる壁の間隙をつき、タイシンは駆け出した。

 少しでもぶつかればタイシンは大きく体勢を崩したかもしれない。しかし、そうはならなかった。

 ぶつかることさえなかった。

 後からタイシンが聞いた話では跳んでいたという。

 跳躍していた。その間隙より、跳びぬけたのだ。文字通りに。

 それだけだ。

 それだけだったのに、タイシンは聞こえた。はじける音とちぎれる音が聞こえた。

 幸いなことにウイニングライブではまだ、タイシンの足は見るに堪えることのできるものであった。

 

 

「タイシン、おめでとう!!!……ほんとに、ほんとに頑張ったね」

 

「うん」

 

 捧げたかった人に勝利を捧げることができた。

 とても嬉しいことのはずなのに、タイシンは気分が晴れない。むしろ、息が苦しかった。

 

「えらい! すごい! やったね!!!」

 

 嬉しさのあまり語彙を無くしたトレーナーの姿に少しだけタイシンは微笑む。

 この表情が見たかったのは事実だ。トレーナーの笑顔を見るだけでタイシンの心はいくばくか楽になった。

 だというのに、息が苦しい。

 

「……タイシン、顔色が悪いけど、大丈夫?」

 

「うん、大丈夫……ごほっ…ぐッッ!」

 

 何かがせり上がってきた。

 やはり、GⅠレースに対する緊張はひどかったのだろうかとタイシンは思う。

 おそらく、胃液かなにかだろうと思い、手のひらを見つめる。

 

 赤、赤、赤、赤。

 真紅と表現できるほどの赤であった。

 タイシンにとって、驚きがあったのだろう。緊張も解けていたのかもしれない。何か、立っていることができず、地に伏し、うずくまり、せり上がってくるそれを吐き出すために何度も咳をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「見てるか!!!! ナリタタイシン!!!! アタシはやったぞ!!! 勝ったんだ! 勝った!!! 背なんか関係ない!!! アタシはアタシが持ってる手札でアタシにしかできないやり方で勝ったんだ!!!! 見たかよ! ざまああああああみろおおおお!!! バぁぁぁぁぁカ!!!! 皐月賞勝っておめでとう!!! そんなんで喜ぶんじゃないぞ!!!! アタシはこれからも勝ち続けるんだお前も絶対に勝って勝って勝たなきゃいけないんだよ!!!! わかったかあああああ!!!」

 

「おい、カメラ止めろ!!!」

 

「あの子、タイシンのこと知ってたんだ」

 

 タイシンはトレーナーが付き添いながら以前入院していた病院にいた。

 外来の待合室で会計に呼ばれるの済むのを待っているところ、たまたまテレビに高校のスポーツ大会の様子が写っていた。

 カメラに向かって吠えている姿を、撮影スタッフとチームメイトの取り押さえられ、燃えるようなほど赤い髪を揺らしている少女をタイシンは知っていた。

 

「ほんと、バカばっかりだ」

 

 あの少女も勝ちたかったのだ。どうしようもないほどの勝ちたいという衝動を抱えながら必死に練習を重ねて勝利を掴んだ。

 タイシンにはどうしてかその姿が眩しかった。

 タイシンは、あの少女とは違うのだ。その事実がひどく胸が締め付けられた。

 

「ねえ、タイシン」

 

 トレーナーは、タイシンの方を向かずに話しかける。

 

「ダービー、どうしよっか」

 

 いつも通りの声音だ。いや、少しだけ冷たいのかもしれないとタイシンは思った。

 たぶん、気持ちを押し殺しているのだろう。

 心なしか声が震えている。

 

「もちろん、走るよ」

 

「そっか」

 

 トレーナーは短く相槌を打った。

 すこしばかりの沈黙の後に、押し殺しても押し殺しきれないほどの嗚咽が聞こえる。

 

「わたしは……出て欲しく……ないなぁ……」

 

 目頭に目いっぱいの涙を溜めながらトレーナーはタイシンにそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはどういう意味だよ」

 

 トレセン学園内の生徒会。

 二村は、シンボリルドルフから聞かされた内容が理解できなかった。いや、理解したくなかった。

 

「どうもこうもないさ。ナリタタイシンは、これ以上走ると最悪レース中に死んでしまうかもしれない。それだけだ」

 

「それの意味が分からねえって言ってんだよ!!! なんで、レースで死ぬかもしれないなんて言える。途中で骨折して命に関わるケガをしたウマ娘はいた。でも、死ぬかもしれないなんて予見したウマ娘はいないだろうが!!!」

 

 この怒りをシンボリルドルフにぶつけるのはお門違いなのは分かっていた。

 自分がひどく最低な行いをしているのも自覚している。

 あとで殴られるならいくらでも殴られる覚悟が二村にはあった。それほどまでに二村は自分が抱いた怒りのはけ口を求めていたのだ。

 クッソタレなことにシンボリルドルフは二村の心情を理解しているらしく、黙って彼の怒りをその身に受け止めていたのだ。

 それが理解できて、情けなくて、二村は一気に冷静になった。

 

「すまん……取り乱した」

 

「ああ、君の気が済むなら、私はいくらでもこの身で受け止めよう」

 

 二村は舌打ちしたい気持ちを必死にこらえて、血が滲むほどに拳を握りしめる。

 担当だったウマ娘を自分の癇癪のはけ口にしか出来ていない自分がほんとうに惨めだった。

 

「さて、どうして死ぬかもしれないと予見できるかだが、医師の診断によると、急激な血圧上昇にタイシンの肉体が耐えきれないことが原因だそうだ」

 

 血圧上昇。

 ウマ娘に限らず、人間のアスリートも平時であればレース中であれば命の危機になるような血圧を示すという。

 それよりも頑丈なウマ娘の体で耐えきれないということはないだろう。

 そんな疑問を抱いている二村の考えを読み取るようにシンボリルドルフは言葉を続ける。

 

「トレーナー。君は、ウマ娘達がレース中に一度だけ目を見張るような速度や加速度を出す瞬間というのを把握しているだろうか」

 

「ああ」

 

 二村は伊達や酔狂でシンボリルドルフやサイレンススズカを指導してきたわけではない。

 シンボリルドルフであれば、最終コーナー辺りから差し切る際に、目を見張るほどのスピードでまくり上げる。

 サイレンススズカであれば、先頭で走っていればさらにリードをつけるようにものすごい勢いをつけることがある。

 

「実をいうとアレはひどく肉体を酷使するものなのだ。人間は脳にリミッターがかけられており使用している領域はごくわずかという話があっただろう」

 

「ああ、でも諸説あって本当かどうかはよくわからないってやつな」

 

「そうだ。しかし、ウマ娘には本当にリミッターがあるのだよ。目に見えるものではなく、本当に極限にならなければ使えないものだけれど」

 

 シンボリルドルフの眼光は鋭く二村を射貫く。

 

「我々も普段はリミッターを意図的に外すなんて無理だ。しかし、レースにおいてはわかるのだよ。ああ、ここでこうすれば速く走れるのだと直感的に理解している」

 

 ルドルフの言葉はすべて真であることが二村にははっきりとわかる。

 

「それとナリタタイシンの話がどう関係があるんだよ」

 

 二村にもいくつかの予測はある。しかし、ルドルフの方が真実に近いのだろうと思い、彼女の見解を促した。

 

「どうして一回しかリミッターを外せないのか。それはそれ以上に踏み込むと自分の身を滅ぼしてしまうからに相違ない。そして、タイシンの体の損傷具合は、どう考えてもリミッターを何度か外していなければ説明がつかないほどボロボロになっているというのだよ」

 

「……っっ!」

 

「彼女は、ナリタタイシンは、自分でリミッターを外す術を身に着けている。そして、それによって、我々では想像もつかないほどの負荷が肉体にかかっている。体を動かすために血圧を極限まで高めて循環させている。事実、彼女の足は紫斑が広がっていたという。爆発的な血圧に毛細血管が耐えきれずに破裂したのだろうというのが医師の見解だ」

 

 理解したくなかった。そして、その症状に二村は心当たりがあった。

 

「私と君はこの症状を知っている。そして、この症状を抱えたものが至った末路も見ている」

 

「クソっタレが!!!!」

 

「待て」

 

 嫌な予感がしていた。そしてその予感が当たった。理解したくない事象が今目のまえで起こっているのだ。二村は、いても経ってもいられなかった。

 シンボリルドルフの制止を無視して、二村は退室しようとした。

 

 

「二村雄二ッッ!!!!!!!…………待て、と言っている」

 

 反射的に身がすくんでしまうほどの振動があった。ゆっくりと後ろを振り返ると、殺意とも言えるほどの怒気を纏ったシンボリルドルフがいた。

 

「ナリタタイシンは、サイレンススズカではない」

 

「ッッ!」

 

「ナリタタイシンは、貴様の担当ウマ娘ではない」

 

 当たり前の事実だ。そんなのは理解している。だが、ここで動かなければ、スズカのあの消え入りそうな笑顔のように、近いうちにナリタタイシンが遠い場所にいってしまうんじゃないかという錯覚に陥った。

 

「ナリタタイシンのトレーナーは一ノ瀬 鐙鞍だ。貴様が大事にしてきた秘蔵っ子だ。そして対等であると認めて、庇護するのではなく超えるべき敵として臨むと貴様が言ったんだ」

 

 二村は歯噛みすることしか出来なかった。

 

「貴様のそれは、彼女ではナリタタイシンを殺すと言っているようなものだぞ」

 

「それは」

 

「変わろうとしないのは貴様の方だ。クソっタレという言葉は貴様にこそふさわしいものだ……お前は、一ノ瀬 鐙鞍という存在をどう見ているんだ」

 

 二村にとって一ノ瀬は途方もないほどのアホだ。

 誰よりも寄り添いたという気持ちがあるはずなのに、いつも下手くそな方法で関係を壊す一歩手前まで言ってしまうほどの危うい存在だ。

 誰かの心を揺さぶることでしか、人の心に触れられない不器用なアホだ。

 

「大方、やり方が稚拙なトラブルメーカーとでも捉えているのだろう」

 

「違うって言うのかよ」

 

 ひどく呆れたような声音を出すシンボリルドルフに思わず、二村は食って掛かる。

 

「そうさせているのは貴様の行いだということが分からんのかと言いたいんだ。この愚か者が」

 

 最大限の軽蔑と怒りがこもった目でルドルフは二村を見据える。

 

「貴様は一ノ瀬 鐙鞍が稚拙だと言うが彼女は賢い。それこそ、この学園のトレーナーの誰よりも賢い可能性さえ秘めている。しかし、彼女が学習する術は二村雄二。貴様しかなかったのだ。それもわからないのか」

 

 二村はハッと息を呑んだ。見えていなかった。いや、見ていたつもりになっていただけだった。

 対等である。そういった。

 しかし、どうしようもなく、二村は一ノ瀬 鐙鞍という存在を下に見ていた。それは間違いなかった。

 

「いまだに彼女を心を読む化け物と嘯くものいる。もっと様々な見聞に触れていれば彼女はもっと違った形になっていたかもしれない。しかし、貴様がそうさせたのだ。可能性にあふれていた輝く原石を貴様が磨くのを怠った。磨かなければいけないということから目を背けて大切にそっとしまっていた。それが今の歪な化け物とさえ揶揄される彼女の形だ」

 

 成長しなければいけないのではなかった。二村が成長させる機会を奪っていたのだ。

 庇護すべき対象だとずっと思っていた。どこかに興味を移させるように二村が促すべきだった。

 呼吸がうまくできない。動悸がする。手の震えが止まらない。

 自覚してしまうと、吐き気が抑えられない。

 トップクラスのトレーナーであるとか、レジェンドウマ娘を輩出した天才であるとか誰からかほめそやされているうちに驕っていたのだと自覚する。

 その驕りが、傲慢さが一人の人間の人生を大きく狂わせた。いや、今なお狂わせている。その事実が二村にとってなによりも耐えがたい事実だった。

 

「なあ、教えてくれないか、彼女を越える敵になるべきだと言った愚かなトレーナー。貴様は彼女をああさせたくて、囲っていたのか。そうなることも想定済みだったのか」

 

「そんな……わけないだろうが!!!」

 

「じゃあ、貴様が今しようとしていることはなんだ!!!」

 

「そうやって貴様は彼女がナリタタイシンと共に成長していく過程をつぶしていくというのか」

 

「違う、違う、違う!!!」

 

 そうではない。そう言いたいのに、二村の口は思うようには動かなかった。

 認めてしまっているのだ。シンボリルドルフの発言がどうしようもなく正しいということを。

 しかし、二村も絶対に、否定しなければならなかった。

 

「俺は……1人の人間の人生を捻じ曲げた。それは間違いない。そして俺が一生背負わなければいけない罪だ! 他の誰でもない俺が背負うものだ! でも、もし、ナリタタイシンが死んだらどうするんだ!!!」

 

 血圧の上昇による死。それは、脳出血か、脳溢血。脳に血液を運ぶ、血管が破裂した結果生じるもの。もしくは、過度な血液の拍出に対して心臓に血液が返ってこないことによる、疑似的な心不全。

 行き場を無くした血液が肺にとどまり、出口を求めて、気管から口腔へと進出していく。その過程によって生じる。溺死、もしくは窒息死である。

 そうであるならば、ナリタタイシンはレースの上で、もだえ苦しみながら死ぬことになるだろう。

 

「アイツが、一ノ瀬が、ナリタタイシンが死ぬのをわかってレースに出すんなら一ノ瀬の責任だ……でも、アイツがそのことを知らなかったら、ナリタタイシンは死を覚悟していながら、一ノ瀬はそれを知らずにレースに臨んだ場合、アイツは、ターフの上で悶え苦しみながら死ぬナリタタイシンを黙って見ていることになるかもしれないんだぞ!!! お前はそれでいいのかよ」

 

「当たりまえだ。そうであったのならば、トレーナーとウマ娘がそこまでの信頼関係を築けていなかったということだ。そして、私はそれを把握していた。そして黙って見ていた。それを彼女に伝えるだけだ」

 

「そんな、誰も得をしねえ未来の可能性がある関係を、お前は理想のウマ娘とトレーナーのあり方だって言うのかよ!!!!」

 

「口を慎めよ、愚か者が」

 

 侮蔑がこもった視線で、ルドルフは二村を睨みつけていた。しかし、二村はひるむことなく言葉を続ける。

 

「慎めるわけないだろうが!!! どうして、お前がその憎しみを悲しみを引き受けなきゃならないんだよ!!! その前にどうにかしようって考えないのかよ!!!」

 

「本当に……黙ってくれないか……ッッ!!」

 

 その言葉に二村の怒気はたちまち霧散した。

 どうしてだ。どうしてなんだ。二村は疑問が手なかった。

 確かに、シンボリルドルフはすべてのウマ娘のために生きると宣言した。そして二村はそれを聞き届けた。

 だからと言って、ウマ娘一人が背負えるものなどたかが知れている。

 だというのに、どうしてこのウマ娘は全てを背負おうとしているのだ。どうして、トレーナーを頼ろうとしないのだ。

 情けなくて、悲しくて、切なくて、やりきれなくて、二村はとめどなくあふれる涙をこらえることができなかった。

 

 

「うわあああああああああああ」

 

 どうしようもないほどの感情が二村に溢れてくる。

 悲しいのだ。切ないのだ。歯がゆいのだ。無力が憎くてたまらないのだ。

 これは二村が抱いているものではない。シンボリルドルフが抱いている感情であった。

 こんなにも苦しいのに、どうして目の前のウマ娘は涙一つ零さずに淡々と言い切ってしまえるのだろうか。

 それは、彼女にとっての寄る辺がないからだと、他でもない二村が感じていた。

 周りを見ることもできずに、罪の意識にとらわれてしまうであろう二村に配慮して目の前のウマ娘は一人で抱えることを決めていたのだ。

 どこまで強いウマ娘であった。どこまでも優しいウマ娘であった。どこまでも孤独なウマ娘であった。

 

 

「はーっ! はーっ!」

 

 慟哭と共に二村は全ての感情を吐き出した。自分が自覚しなければいけない罪も、無自覚に踏みつぶしていた芽も。

 全て今の二村にははっきりと見えていた。 

 

「シンボリルドルフ!」

 

 二村は目の前のウマ娘を指さして宣言した。

 

「お前らウマ娘はどこまでも自分勝手だ。人間には理解できない感情だと言って、自分の本能を優先するアホタレばっかりだ。目を離すとすぐに遠くに行こうとする。絶対につなぎ留めなくちゃならない、アホばっかだ……いいさ。好きなだけ自分の好きなようにやれよ。お前らはそれで死んでも構わないって本気で思ってるんだ……けど、人間をなめるなよ。俺たち人間の執念は、執着はどこまでも意地汚いんだ。お前らが泣いてわめいたって、俺はお前らを殺させない。悲しませない。1人で背負わせない。1人にさせない!!!! わかったか、バァァァァァカ!!!!」

 

 二村はぐちゃぐちゃな顔面のまま、シンボリルドルフに宣言する。

 彼女は、全てのウマ娘を担うというのだ。ならば、彼女への宣言はすべてのウマ娘への宣言に他ならないだろう。

 

「ふっ……君は実にバカだな」

 

 先ほどまでの鋭い眼光もない。

 全てを諦めてような深い悲しみもない。

 ただ、前を向いている。二村にはそれがわかった。

 

「本当に愚かだよ、君は……だからこそ、私は外道に堕ちなくてすみそうだ」

 

 そういって、微笑むシンボリルドルフの表情はとても綺麗だと二村は思った。

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