ナリタタイシンに対する強い幻覚   作:妄想投棄場

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ウマ娘賛歌を謳わせてくれ。この喉が枯れるほどに。


勝利のチケットを君に

 アタシのトレーナーさんは「狂犬」とか「ならず者」なんて言われてるくらい言葉が乱暴だ。

 背は俳優さんくらい高くて目つきが鋭いから、普通にしてるだけで睨んでると思われちゃうくらいガラが悪い。

 アタシもトレーナーさんに数え切れないくらい泣かされた。

 

 でも、やっぱりアタシはトレーナーさんが大好きだ。

 

 

 そんなトレーナーさんとアタシが出会ったのは、トレセン学園入学式当日の放課後。

 新入生のウマ娘とトレーナーたちで自己紹介も兼ねた懇親会に参加した時だった。

 

「はい! はい! はい! ウイニングチケットです!!! アタシが好きなのはダービーです! アタシの夢はダービーで優勝することです!!!」

 

 自己紹介がアタシの番になったとき、勢いよくアタシの夢を語った。

 トレセン学園は選ばれたキラキラのウマ娘たちが集まる場所だ。

 だから、アタシだってキラキラできるんだって思って一生懸命にアタシの夢を語った。

 アタシと一緒にダービーを目指してくれるトレーナーが現れると信じてたから。

 

くすくすくす

 

 でも、現実は違った。それはアタシが勝手に夢見ただけだった。運命的な出会いなんてなかった。

 誰も何も言わなかった。

 トレセン学園に来る前は、『無理だよ』とか『応援してるよ』とか何かしら言われていた。

 でも、ここじゃ何もなかったんだ。

 ただ、ちょっと笑われただけ。面白い子だなって思われたのかそうじゃなかったのかはわからない。

 だけど、それだけしか返ってこなかったのが、なんだかすごく恥ずかしくなっちゃって、アタシはその後のトレーナーさんとの交流の時間はあんまり喋れなかった。

 懇親会は、食事をする場所じゃなくて実力を見せるところだったから、交流の時間の後は実際に模擬レースをすることになった。

 ここでなら実力を見せられると思って私は本気で走った。

 

 

「ダァァァァァビィィィィィィ!!!!!」

 

 全力を出すとき、アタシの掛け声はいつもこれだった。

 

「負けたああああああああ」

 

 でも、やっぱりトレセン学園に入学できているこのレベルは高くてアタシは三着だった。

 本気で走った。

 でもやっぱり勝てなくて、今の自分はまだまだなんだと思った。

 その時のアタシは全力だった。全力を尽くして勝てなかったんだ。だからその分とっても悔しくて涙が止まらなかった。

 

「あの子ダービーっていいながら走ってたよ」

 

「あんなに言ってたくせに、一着取れてないね」

 

「え、本番でもないのに泣くとかヤバ」

 

 聞きたくないけど、ウマ娘の耳はとっても敏感で、やっぱりアタシの耳に入ってきた。

 でも、いつものことだしそんなのは気にならなかった。

 一緒に走ってくれた子たちに『ありがとう』を言いたくて、必死に泣き止もうとしていたら一人の男の人に話しかけられたんだ。

 

「おい」

 

 それがアタシの今のトレーナーさんだった。

 

「あぁん? なんだ今の走りはよぉ。差しのくせしてロクに足も溜めてねえ。途中の位置取りも、もうちょっと外側によっとかないとあそこから十分に加速できるわけねえだろうが!! てめえ、んなことでダービーに勝ちてえとか言ってたのかよ。は? ダービーなめんなよ! クソガキが!!!!」

 

 アタシは胸倉を掴まれながら、そう言われた。

 

「うわああああああああああん」

 

 悲しかったし、怒られたし、顔が怖かったし、いきなり話しかけられたし、色々な感情のせいでぐちゃぐちゃになっちゃって、やっぱりアタシは涙があふれてしょうがなかった。

 

「やめろ、三石ぃ! その子泣いてんだろ!!! お前の顔が怖いんだよ!!!」

 

「離せ、二村ぁ! 俺はこのクソガキに言わなくちゃいけねえんだよ! ダービーはそんなに甘くねえ! うわっついた気持ちでダービー目指すぐらいなら、そもそも目指すなってなぁぁ!!!」

 

「うわああああああああああん」

 

 他のトレーナーさんのおかげで、アタシはトレーナーさんから解放されたけど、やっぱり悲しかった。

 なんでアタシがこんなに怒られなくちゃいけないんだとか、こんなにたくさん言われなくいけないんだってその時は思ってた。

 でも、今ならわかるんだ。

 アタシのトレーナーさんはダービーを笑わなかった。アタシの走りをしっかり見ていてくれた。

 あの人以外はアタシに何も言わなかったんだ。

 やっぱり、アタシはトレーナーさんが大好きだ。

 

 

 

 

 

 

「ダァァァァァビィィィィィィ!!!!!」

 

 懇親会が終わった後、アタシに声をかけてくれるトレーナーさんはいなかった。

 模擬レースで一位をとった。

 でも、やっぱり、声をかけてはくれなかった。

 

「やっぱり、ダービーって言ってる」

 

「ええ、じゃあ、ダービー以外の試合もダ~ビ~って言うのかな」

 

「それ、聞いてるだけで恥ずかしいわ」

 

 勝っても、負けても、聞きたくない声が聞こえていた。

 でも、アタシはそれよりも嬉しかったんだ。

 一緒に走ってくれたことが嬉しかった。競い合えるウマ娘がたくさんいるこの学園が好きだった。

 このありがとうを伝えたくて、アタシはいつも走ってくれた他の子に挨拶していたんだ。

 

「一緒に走ってくれてありがとう!!!! またよろしくね!!!!」

 

「え、うん」

 

「まあ」

 

 突然話しかけられて迷惑だったのかもしれない。

 でも、アタシのありがとうは本物だった。このありがとうを湧かせてくれた他のウマ娘にはやっぱり、この気持ちを伝えたかったんだ。

 

「きっしょ、自分が勝ってありがとうとかさ」

 

「ないわ、ない」

 

 アタシが勝手に抱いていた気持ちだから、他のウマ娘がどんな気持ちを抱いていてもやっぱり、それはその子たちの勝手なんだと思う。

 

「チッ」

 

 舌打ちが聞こえた。

 アタシの近くではなく、他のウマ娘達の方からだった。

 

「あんたら、そうやってべらべら喋るんならさ、カフェテリアにでも行けば? アタシはここで走りたくて堪んないんだ。ここは走りたいやつの場所。勝ちたいやつの場所だ。その覚悟がないなら、さっさとどっか行ってよ」

 

 そう言ったのは小さいウマ娘だった。

 栗色の髪に吸い込まそうなほど青い瞳で、アタシと一緒に走っていたウマ娘を睨んでいた。

 その言葉に促されるように、アタシと一緒に走っていた子たちは練習を切り上げていた。

 

「なにあれ、あんな小さいのに勝てるとか思ってんの」

 

「走りたいんなら、一人で走ってればいいじゃん」

 

 やっぱり、聞きたくない言葉が嫌でも耳に入ってきた。

 でも、アタシはそれ以上に嬉しくてたまらなかった。

 

「き、君の名前は?」

 

「は?」

 

 その小さなウマ娘はアタシをかばってくれた訳じゃなかった。本当に走るのに邪魔だから、そう言ってたんだ。

 その事実がアタシはやっぱり嬉しくてたまらなかった。

 

「アタシの名前はウイニングチケット! アタシは君と友達になりたいんだ!!!!」

 

 たぶん、面倒くさいと思ってたんだろうね。

 すごく考えた後にため息をついてあの子も名乗ってくれた。

 

「……ナリタタイシン」

 

 その日からアタシはナリタタイシンが大好きになった。

 

 

 

 

 

 

 

「いえ~い、一着ゥ!」

 

 授業の一つとしてチームに分かれてレースの結果を競うというものがあった。

 本当は色んな距離を5人チームに分かれるみたいだけど、今回は3人チームでそれぞれが2000mを走るように競っていた。

 

「ごめんねえええ、タイシンンンン!!! ビワハヤヒデェェェ!!!」

 

 タイシンが必死になって勝利を掴んでくれたけど、アタシはあと一歩のところで負けてしまった。

 全力で走ったんだけど、今回もやっぱり届かなくて泣いてしまった。でもそれ以上に、2人のために勝ちたかったのに勝利を上げられなかったのが悲しかったんだ。

 

「え~、もしかして私ダービー勝てるかも~」

 

「ダメだよー、勝つならダ~ビ~って言わないと」

 

 聞きたくない言葉が聞こえてしまい、アタシはちょっとだけ寂しくなってしまった。

 タイシンは舌打ちしている。食い込むほど拳を握っていた。タイシンをそんな気持ちにさせてしまったアタシ自身が情けなくて、やっぱり落ち込んでしまった。

 アタシだって、一生懸命に練習していた。アタシに勝って1着を取ったウマ娘は推薦で入ってきた子だった。

 推薦で入った子は、入学前からトレーナーさんがついて、練習を始められる。早くスタートダッシュができるんだ。

 アタシは全力で戦った。それは間違いないけれど、スタートダッシュでついた差は埋められないのかもしれないと、少しだけ悲しかったなったのも事実だったんだ。

 

「ふむ、2人ともどうしてそんなに落ち込んでいるんだ」

 

 少しだけ、暗い雰囲気になったアタシとタイシンに向かって、ハヤヒデが話しかけてきたんだ。

 ハヤヒデと出会ったのはこのレース分けだった。

 ハヤヒデがすごい実力の持ち主なのはなんとなく見ていて分かった。でも相手は全員推薦組で、ハヤヒデでも勝てるのかはアタシには想像もできなかった。

 

「先にいるからと言って手が届かないわけではない。そう思いこんでしまっては一生勝てないでいるぞ」

 

 そう言って、彼女は鷹か鷲のように鋭く笑った。

 

「勝利とはレースに臨んで得るものではない。準備の段階でそれはもう手に入れられるものだ」

 

 くい、と眼鏡を直してハヤヒデは言ったんだ。

 

「方程式は組み上げた。後は証明するだけだ」

 

 それは嘘でも大げさでもなかった。彼女は本当に勝った。他のウマ娘がドンドン焦っていてもハヤヒデだけは冷静だった。囲まれても、かかりそうになっても汗1つかいていなかった。

 まるで、そうなることが分かっていたように。

 

「Q.E.D.……証明終了と言ったところだろうか」

 

「クッソ……」

 

 推薦組のチームは信じられないとか、許せないといった感じの表情でアタシたちを睨みつけてきていた。

 

「アンタたちの勝利はまぐれに決まってる。トレーナーも見つかってないへぼの集まりのクセに」

 

 ビワハヤヒデも含めてアタシたちは全員トレーナーが見つかっていなかった。

 トレーナーがいなければ出走登録もできない。レースに走れないんなら退学だってあり得る。

 だから、そのウマ娘の言っていたことは間違いじゃなかった。

 

「それはそうなのかもしれない。私たちにはトレーナーがついていない……だから、なんだ?」

 

 ハヤヒデの言葉はとっても冷たかった。

 

「その言葉は君たちの方を苦しめることになると気づかないのか?」

 

 ゆっくりと、ハヤヒデはそのウマ娘に詰め寄っていた。

 

「君たちは早くに練習ができる。トレーナーがつく。……特権のような優遇をされているはずなのに、どうしてトレーナーすらついていない私たちに負けるようなことがあるんだ」

 

「それは……」

 

「そもそもだ、他に推薦で来たウマ娘達は一般の子と同じチームで切磋琢磨しているというのに、どうして君たちは全員推薦組で固まっているのだろうか。どうして私たちのようなトレーナーもついていない君たちで言ううところのへぼ集団と走らされているのだろうか」

 

 ダメだってアタシは思った。それ以上は言っちゃいけない領域だとアタシだってわかった。

 でも、ハヤヒデが続けようとしたのは、たぶん、許せなかったんだと思う。

 一生懸命になれるのに、一生懸命になれていない人がいることが許せなかったんだ。

 

「ふぅ……すまなかった、どうやら冷静さを欠いていたようだ。来年、私の妹は推薦入学でやってくる。絶対にだ。だからこそ、妹の先達となるべき君たちがそんな体たらくではいけないと無意識に思っていた。すまなかった」

 

「あっそ……」

 

 一緒に走った子たちは、そう言って、自分のところに帰っていった。

 

「さて、君たちもそろそろ離してはくれないだろうか。そんなに引っ付かれると身動きが取れん」

 

「別に、なんか変なこと言ってこじらせても面倒だと思ったから」

 

「ありがとおおおおおおおおお」

 

 アタシとタイシンは、両側からハヤヒデの腕を掴んでいた。

 それでわかったんだ。

 ハヤヒデはすごく頭がよくて、優しいウマ娘なんだって。

 その日から、アタシたちは3人で行動するようになった。

 そして、アタシはビワハヤヒデのことが大好きになった。

 

 

 

 

 

「どおおおしよおおおおお、トレーナーさんがついてくれないいいい、レースに出られないよおおおおお」

 

「別に、そんなにすぐポンポン見つかるもんでもないでしょ」

 

「そうだぞ、チケット。そこまで悲観しなくても、時間はある。しかし、タイシン! 君はもう少しトレーナーを探す努力をした方がいい」

 

「やっぱ、抜け駆けしたウマ娘は余裕が違うんだね」

 

「そうではないだろう! 私だって、コミュニケーションと自己アピールを続けてようやくトレーナーが見つかったんだぞ」

 

「もうダメだあああああああ」

 

「君は落ち着け!」

 

 入学して3か月経ってもアタシはまだ、トレーナーを見つけることが出来ていなかった。

 

「ハヤヒデェ、ハヤヒデのトレーナーさんはどうして担当になってくれたの?」

 

 トレーナーさんがいなきゃ、ダービーにだって出られない。アタシはどうにかしてトレーナーさんになってくれる方法を知りたかったんだ。

 

「いや……それは……」

 

 その時のハヤヒデの表情はとっても苦しそうだった。

 苦虫を嚙み潰したようっていうのはこういうの言うんだってアタシは思った。

 それくらい、ハヤヒデはあんまり言いたくなさそうな雰囲気だった。でも、ハヤヒデをじっと見つめるアタシとタイシンを見てから諦めてように話してくれた。

 

「……だ」

 

「え?」

 

「なんて?」

 

「私の顔がタイプだから担当になると彼女は言っていたんだ!!! ああ、そうだ。考えに考えた15分ほどの自己アピールをした私に対して彼女は言ったんだ。『あ、ごめん。顔面がタイプ過ぎて思考停止してたわ。じゃあ、これからよろしく』とな!!」

 

「やっば」

 

「トレーナーさんって色んな人がいるんだね」

 

「ふ、ふふふ。……私もどうして彼女をトレーナーに選んだのかわからなくなる時があるよ」

 

 あの時のハヤヒデの表情はげっそりしてた。

 でも、アタシはハヤヒデのトレーナーさんについてあんまり心配してなかった。たぶん、タイシンもそうだったと思うんだ。

 だって、ハヤヒデが選んだトレーナーさんなんだ。

 それだけでアタシたちが心配する理由も必要もなかった。

 

「そうなんだ!……それじゃあ、アタシもアタシの顔がタイプって言ってくれるトレーナーさんを探さなきゃいけないのかな」

 

「そんなことはしなくていいんだ!」

 

 ハヤヒデはアタシの一番の心配を大声で否定してきた。

 それから咳払いして、アドバイスをくれたんだ。

 

「私たちは、入学してほとんどのウマ娘が当たり前のようにトレーナーを見つける中で、その当たり前ができなかったはみ出し者だ」

 

 ハヤヒデの言葉にアタシもタイシンもその時は黙って聞いていた。

 

「故に、私たちのトレーナーになってくれるだろう人は当たり前ではない強烈なはみ出し者しかいないだろう」

 

 その時のハヤヒデは確信めいたように言っていた。でも、アタシもタイシンも特に反論することもなかった。

 タイシンがどう思っていたかは知らない。でも、アタシはハヤヒデがハヤヒデのトレーナーさんのことを喋っているときの楽しそうな表情から、たぶんハヤヒデの言うことは間違ってないと思ったんだ。

 そして、事実そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お願いします!!! アタシのトレーナーさんになってください!!!」

 

 アタシは、ハヤヒデの話を聞いてすぐに行動に移した。

 アタシたちが学校に行っている間、トレーナーさんたちは書類を作ったりとかのために職員室でお仕事をしていることが多い。

 だから、放課後になった瞬間に職員室に行ったら、トレーナーさんはまだ仕事をしていた。

 だからアタシはしつれいのないように、頭をピシッと下げて、手だけを差し出して、自分をアピールした。

 

「は? なんで俺がお前のトレーナーにならなきゃいけねえんだよ」

 

「どうしてダメなのおおおおお」

 

 でも、トレーナーさんはアタシの提案をバッサリ断ったんだ。

 やっぱり、悲しくて泣いてしまうアタシにトレーナーさんは言葉を続けていた。

  

「どうして受け入れると思ってんだよ」

 

 ハヤヒデの言葉を聞いて、一番に思い浮かんだのはアタシのトレーナーさんの顔だった。

 もう一人の男トレーナーさんとは仲が良さそうだったけど、それ以外の人とはほとんど話していなかった。

 はみ出し者ってこういう人なんだろうなってすぐに思い浮かんだ。

 そして、アタシの夢を笑わずに真剣になっていた人もトレーナーさんだけだったから。

 

「てめえは気持ちが逸り過ぎて足も溜められてねえ、位置取りも下手だ。レースに出るウマ娘として足りねえものが多すぎる」

 

 前と同じことを繰り返して、トレーナーさんはアタシの担当になることを断った。

 

「でも、アタシはレースに出たい! ダービーに出て優勝したいんです! アタシはダービーで絶対に勝ちたい。勝てなかったら、アタシは一生、ううん、たぶん死んでも後悔すると思う。だから、勝てるんならアタシは死んだっていい!」

 

 アタシは、アタシの覚悟がトレーナーさんに全然伝わってなかったから、断られたんだと思った。

 でも、アタシの覚悟を伝えた瞬間にトレーナーさんはとっても怒ってアタシに言ったんだ。

 

「ああん? ふっざけんなよ! んな覚悟で、レースに挑むバカがどこにいるってんだ! 認めねえ、絶対に俺はお前のトレーナーになんかならねえ! 他を当たれ」

 

 懇親会の時とおんなじだった。いや、それ以上に怒ってた。

 言葉は怒ってるのに、目だけはすごく悲しそうで泣きそうだったのがすごく印象的だった。

 アタシは自分の悲しい気持ちよりもトレーナーさんの目がすごく気になって、悲しさなんか吹き飛んでいた。

 

「三っちゃんがまた新入生いびりちらかしてるじゃん」

 

「そういうことしてるとまた、たづなさんに怒られるって、わけよ」

 

 トレーナーさんの真剣な表情に夢中でアタシは後ろから声が聞こえるまでその気配に気づかなかった。

 ショートカットでタレ目なウマ娘と、セミロングで眠そうな目をしたウマ娘が立っていた。

 両方とも鹿毛で今のアタシの先輩にあたる二人。

 毎日のように練習している今でも、一日経つと二人の姿がどんなのだったか、思い出すのに時間がかかる。

 そのくらい二人の印象は薄かったんだ。会った時はもっと薄かった。

 でも、アタシは二人に会った時からどこか見覚えがあったんだ。

 

「三っちゃんって呼ぶんじゃねえ! ちょうどいい。双子ども、そいつをどっかに放り出してこい」

 

「えー、練習は? それにウチらは双子じゃないし、学年違うし」

 

「自主練でもなんでもしとけ。今日は虫のいどころがわりいんだ」

 

「ようはいつも通りって、こと?」

 

「世間は許しちゃくれませんよ~」

 

「失せろって言ってんだよ!!!」

 

 アタシは、先輩たちとトレーナーさんのやり取りを茫然と見ていることしか出来なかった。

 

「ひどい、ひどすぎるわ。もう行こうよ新入生ちゃん!」

 

「え? え? え?」

 

「名前は?」

 

「ウイニングチケット……です」

 

「ウイ……グッチ……チケ、チケゾーちゃん。うん、君の名前は今からチケゾーちゃんって、わけ」

 

「ええええええ」

 

 アタシは二人に手を取られて職員室を出ていった。

 

 

 

 

 

 

「ウチは髪がショートカットだから、ショーカ」

 

「私はセミロングだから、セミ」

 

「えええ」

 

 先輩たちによってあれよあれよと、二人が所属しているチームのミーティングルームに座って自己紹介を受けていた。

 そして、二人の自己紹介はアタシにとって衝撃的すぎだった。

 

「ウチらは存在が地味すぎて名前言ってもよく覚えられないんだよね。だから、こっちのが覚えやすいでしょ」

 

「一人称も識別しにくいからってショーカと私のどっちかが変わることになったんだ。で、じゃんけんで負けたのがショーカって、こと」

 

「ところでチケゾーちゃんは、なんで三っちゃんの所にいたん」

 

「正直、怒鳴られたあとから入ったので私たちは事情が良く分かってないって、こと」

 

「アタシ、まだトレーナーさんが見つかってなくて」

 

 そうして、アタシは先輩たちにトレーナーさんになって欲しいことを説明した。

 

「う、ウケる~」

 

「地雷だけを的確に踏み抜いてるって、ことね」

 

 爆笑されていた。

 アタシには全く理由が分からなかったんだ。

 

「なんでダメなんだろ、アタシはダービーに出たいのに」

 

「チケゾーちゃんはさ、三っちゃんが他の人からなんて呼ばれてるか知ってるん?」

 

 ショーカ先輩が頬杖を突いて、涙を拭いながらアタシに聞いた。

 

「わかんない……です」

 

「狂犬、ならず者、それから」

 

 次々と出てくる言葉は誉め言葉じゃなかった。むしろバカにしているものが多かった。

 ひどい言葉だった。おかしいって思う言葉だけどアタシのトレーナーさんを表現するにはやっぱりそういう言葉が適切だった。

 

「そして、万年ダービー取れなさ男って、わけ」

 

「え」

 

「三っちゃんは割とマジで優秀なのよ。春秋のシニア三冠は一回ずつは取ってる。皐月賞も、菊花賞も一回は自分のウマ娘が取ってる。でも、ダービーだけはダメなんだ。ダービーだけ三っちゃんは取れてない」

 

 その時アタシは息を呑んだ。

 そして、どうしてトレーナーさんがあんなに怒っていたのか分かったんだ。

 でも、あの時トレーナーさんが抱いていた感情はそれだけじゃなかった。

 

「チケゾーちゃん、今ダービー取れな男に向かってダービー取りたいって言ったから怒らせたと思ったでしょ。それぜーんぜん的外れだから」

 

 ショーカ先輩は頬杖をついたままニヤニヤとアタシにそう言ってきた。

 

「三っちゃんはダービーを目指すチケゾーちゃんのことを高く評価していた。『足が溜められない、位置取りが下手。……でも、それが気にならないほどに瞬発的な爆発力は持っている。諦めない意志がある。運が味方するのはああいうレースバカだろう』って言ってた、のさ」

 

 セミ先輩は呆れたようにアタシに話してくれた。

 正直、アタシには信じられなかったんだ。

 だって、そんなこと一言も聞いてなかったんだから。

 

「『人事を尽くしたウマ娘こそ運はやってくる。ダービーに勝つには、勝てるトレーナーを見つける運も必要。ダービーに嫌われてるヤツの担当になるなんてのは、運を自分から手放すバカ』だって。三っちゃんはねバカなのよ。レースに夢中になってるウマ娘に夢中になってる大バカ」

 

 先輩たちの言葉にアタシはすごく胸が苦しくなった。

 喉がかーっと熱くなって、目が痛いくらい熱かったんだ。

 

「そして三っちゃんが本当に怒ったのは、ダービーに対する覚悟だとウチは思うんよ」

 

 ショーカ先輩はじっとアタシを見ていったんだ。

 でも、視線はあわなかった。

 多分、ショーカ先輩がトレーナーさんから言われたこと思い出してたんだろうな

 

「三っちゃんはね、どれだけ落ちこぼれたっていい。どれだけ負けたっていい。次は絶対に負けない、勝つのは絶対に自分だっていう気位を失わずにずーっとウマ娘が走り続けて欲しいと思ってるんだ」

 

「三っちゃんは、三石龍介は絶対に見捨てない。絶対に諦めない。勝つことに本気だけど、絶対に勝ってほしいわけじゃない。走り続けてほしいんだ。……だから、チケゾーちゃんの死んでもいいって覚悟が三っちゃんにとって許せなかったって、こと。ことだよね? ことなのかな?」

 

「いや、知らんし」

 

 たぶん、二人とも照れ隠しだったんだと思う。

 アタシは嬉しくて嬉しくて。

 

「うぇ……えぇ……」

 

「チケゾーちゃん、どしたん」

 

「わ、わわ!」

 

「感動したあああああああああああ」

 

 どうしようもなく、嬉しいがあふれて止まらなかった。

 それから先輩たちはアタシが泣き止むまでずっとそばで慰めてくれたんだ。

 

「先輩たちはトレーナーさんのことが大好きなんだね」

 

「えー、あー、うん」

 

「トレーナーの実力だけは信頼してるって、だけ」

 

 今度ははっきりわかった。二人は照れ隠しをしているだけだった。

 

「ううん、先輩たちはトレーナーさんのことが大好きなんだよ」

 

 これだけは確信が持てていた。

 

「アタシをここに連れてきたのは、アタシのことを慰めてくれるつもりだったんだろうけど、それ以上にトレーナーさんのことが嫌いになってほしくなかったんだ」

 

「いや……別に」

 

「それは、主観的な事柄であって、決して客観的なことではない。チケゾーちゃんからそう見えてたって、だけ」

 

 二人が一生懸命誤魔化しているのがおかしかった。

 でもアタシは二人に嘘はついて欲しくないからアタシの思ってることを伝える。

 

「そんなことないよ。だって、先輩たちダービーで泣いてた」

 

「!?」

「!?」

 

 二人とも驚いた顔をしていた。

 たぶん、先輩たちが自分で言っていたように覚えられてると思ってなかったのかも。

 

「どうしようもなく泣いてた。一生懸命走って、それでも、勝てなくて、悔しくて、悔しくて、泣いてるんだと思ってた。でも、先輩たちの話を聞いて分かったんだ。先輩たちはトレーナーさんのことが大好きで、トレーナーさんに恩返しがしたくて、トレーナーさんのために走ったけど、負けちゃったのがすごく、悲しかったんだ。すごく、すごく、ごめんなさいって思ってしかたな」

 

「はーい、ストップ」

 

「認める。認めます。私は、私たちはトレーナーさんのことが好き。好き好き大好きチュッチュです。だから、それ以上言うのは止めて欲しいって、こと」

 

 

 先輩たちのことは初対面のはずだったのに、なぜかアタシには見覚えがあった。

 でも、考えてみれば当然だったんだ。だって、アタシが何度も何度も何度も、擦り切れるくらい見続けて憧れてきたダービーを先輩たちは走ってたんだ。

 二人ともあんまり成績はふるってなかった。後ろから数えた方が早かったし印象は薄かった。

 でも、二人の走りはアタシはすごく覚えていた。両方とも、実際の東京レース場で見ていたからってのもあると思う。

 ブルブル震えるくらい興奮して、全身がビリビリするくらい走る姿がキラキラ輝いていた。

 強いとか弱いとかじゃなくて先輩たちは、本気で走ってた。バ群に飲まれてしまっても、スパートで全然距離が詰められなくても、目は死んでなかった。絶対に勝ってやるって気持ちだけは消えなかった。

 むしろ、終盤になるにつれて、その目はギラギラしていた。

 たぶん、気づいてなかった。

 ゴールをしたことに気づいてなかったんだ。

 走り続けようとして、負けたことに気づいて、ずっと泣いてた。

 ライブの準備をするまでずっと泣いてたのがアタシは記憶に焼き付いていた。

 あれは負けて悔しかったんじゃない。自分のためにあそこまで走れるウマ娘はそこまでいない。

 二人は自分のためだけじゃなくて、もっと悔しくなるくらい、誰かを一生懸命思って走って負けたから泣いてたんだ。

 

 

 

 アタシは、二人から口をふさがれて、それ以上に言葉を続けることができなかった。

 照れるように、認めてくれる先輩たちの顔はとっても真っ赤だった。

 それからアタシは、先輩たちのことが大好きになったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、負けたあ」

 

「現実は時に残酷に牙をむくって、こと」

 

「先輩たちすーっごい頑張って走ってた! アタシもやるぞ、勝つぞーって感じですごかったよ!!!」

 

「うう、後輩と併走して負けたうえで慰められるなんてきっついわあ」

 

「眩しすぎる光は逆に毒になるって、いうのかな」

 

 あれから何日たった。

 トレセン学園の練習場で、アタシは今日も先輩たちと併走をしていた。

 先輩たちの説得でアタシはトレーナーさんのチームに入ることになったんだ。でも、トレーナーさんはアタシの担当にはなってくれなかった。

 先輩たち曰く、担当でなくてもチームなら出走登録ができる。だから、いいトレーナーを見つけたらスムーズにそっちに行けるように配慮しているらしかった。

 アタシはトレーナーさんがいい。じゃなくて、トレーナーさんじゃなきゃいけなかったんだ。

 でも、トレーナーさんのその優しさが嬉しくて、聞いた時はありがとうがすごくあふれてた。

 

「ねえ、なんで落ちこぼれがここにいるの」

 

「チッ……面倒なのが出しゃばってきたって、わけ」

 

 アタシたちが練習していると他のチームのウマ娘達が声をかけてきた。

 セミ先輩は、何度か経験があったみたいで舌打ちをしていた。

 

「私たちは試合も近いのよ。GIに参加する子だっている。調整に手は抜けないから、そうやって青春ごっこするなら隅っこでやってくれないかな」

 

 そう言って来た芦毛のウマ娘の後ろにはぞろぞろとたくさんの子たちがやってきていた。

 その中から、クスクスという笑い声も聞こえた。

 

「ここは皆の練習場。勝ちたい奴、走りたい奴なら、誰にだって走る権利はある。アンタたちは後から来たんだし、10何人もいるんならもうちょっと場所を移せばいいって、こと」

 

 セミ先輩は少しだけ早口だし、尻尾もぎゅっと縮んでた。でも、そのウマ娘をしっかり見て言い放ってた。

 アタシは、目の前のウマ娘のチームと先輩たちのことがよくわかんなくて、黙って見るしかできなかった。

 

「勝ちたい奴? 走りたい奴? ならやっぱりどくのはアンタたちでしょ。ねえ、元推薦組同期ちゃん?」

 

 芦毛のウマ娘は、じっとショーカ先輩のことを見つめていた。

 先輩は、すごく顔が真っ青で手も足もガクガク震えていた。目があった瞬間に目をそらして、セミ先輩の裾を掴んだ。

 

「セミ、チケゾーちゃん……行こ」

 

「また、逃げるの。私は悲しかったんだけどなあ。ずっと一緒に走ろって言ってたくせに、途中で負けがこんでからは休学してさ~。で、帰って来たと思ったら仲良しごっこって感じで吐き気がする。そんなくらいなら止めればよかったのに」

 

 ショーカ先輩は、何も言わずに拳を握りしめるだけだった。

 

 それを見てアタシはぎゅって心が痛くなった。悲しかったんじゃなかった。

 熱くて熱くて、もうヤケドしそうになるくらい、どうしようもなくモヤモヤしていたんだ。

 アタシは、どんな人にだって、どんなウマ娘にだってドラマがある。感動できると思ってる。

 だってこの世界はあふれるばかりのありがとうと一生懸命に満ちた場所だから。

 

 ナリタタイシンは、優しいウマ娘だ。

 聞きたくない言葉だらけだったはずなのに、誰も本当の意味で嫌ってなんかない。

 タイシンが怒るときは誰かのために怒ってる。

 怒られた本人もわかっていない、どうしようもなく悲しい気持ちに寄り添うために怒ってるんだ。

 

 ビワハヤヒデは、賢いウマ娘だ。

 誰からも頼られるほど賢くて優しい。

 自分自身が苦しいはずなのに、頼られれば絶対に応えてくれて、誰にも心配をかけないようにあんまり弱いところは他の人には見せない強がりなウマ娘だ。

 

 ショーカ先輩とセミ先輩は素直じゃないウマ娘だ。

 レースで走るのも、今みたいに誰かに意見するのも本当は怖いんだ。

 怖くて、逃げ出したくて、負けたくない。でも、勝てない。あんまり勝てない。

 併走したアタシにも負けちゃって、そんな自分を認めたくなくて、ふざけるように過ごしてる。

 でも、そんな自分が嫌で、アタシが帰った後も、ずっと練習を続けてて、でも勝てない。

 勝てない。勝てない。勝てない。勝てない。勝てない。

 そんなに、勝てないのに、負けてるのに、絶対に走ることは止めない。

 それは、諦めきれないとか、優柔不断だからなんかじゃない。

 どうしようもなく、大好きで、大好きで、大好きで、ありがとうをいっぱい、いっぱい伝えたいに人がいるから。

 その人のためになにかがしたくて、その人が喜んでくれる顔が見たいから、絶対に諦めないんだ。

 その人は絶対に諦めないのを知っているから、投げ出したくても、逃げても、ずっとずっと信じているのを知っているから、先輩たちは諦めないんだ。

 

 アタシはアタシの周りのウマ娘達が大好きだ。みんなキラキラしてて、一生懸命で、感動で、ありがとうしか出てこなくなるくらい優しいんだ。

 

 

「あ、無理か~。あんたは逃げ出すことはできても、全部を投げ出す勇気や度胸なんかないもんね」

 

 

 だから、ダメだった。

 無理だった。

 アタシは、もう限界だった。

 

 

「あの!」

 

「なに」

 

「アタシ、ウイニングチケットって言います!! アタシが好きなのはダービーです! アタシの夢はダービーで優勝することです!!!」

 

「は?」

 

「うわ、ダービーがあのチームが入ってるとかやば。みんなダービーしか言えなくなるって」

 

 聞きたくもない雑音が聞こえた。それは聞き覚えのある雑音だった。アタシを負かしたウマ娘だった。

 

「アタシは!」

 

 言え、言え、言え。

 やめろ、やめろ、やめろ。

 

「アタシは!!」

 

「ひっ」

 

 アタシの中のマグマみたいなドロドロが吹き出しそうになるのを理性が抑えてた。

 必死に抑えて、芦毛のウマ娘の元に近づいていった。

 どうしてだろうか。

 その時の芦毛のウマ娘はすごく堂々としていたのに、冷や汗をいっぱいにかいていた。

 新入生のアタシなんか全然怖くなんかないはずなのに、どうしてか後ずさったんだ。

 おかしいなって思ったよ。

 だって、誰かを傷つけたんだ。大切なものを踏みつぶしたんだ。

 レースはそういうもんだ。

 引いたら負けだ。

 前に進まなきゃダメだ。だから、大切なものを傷つける。簡単に踏みにじる。

 だから、アタシたちも、傷つく覚悟を持たなきゃダメだ。踏みにじられる覚悟を持たなきゃダメだ。

 それなのに、逃げるなといった芦毛のウマ娘は逃げようとしたんだ。

 そんなずるいことはあっちゃダメだ。ダメに決まっている。

 

「アタシは!!!」

 

「それ以外なんか言えよ。言えねえなら早く練習しろバカが」

 

 その言葉と一緒にアタシは後ろからどつかれた。

 そのぶっきらぼうな声にアタシは聞き覚えがあった。

 

「トレーナーさん!!!!」

 

「うるせえ!!!!」

 

「はい!!!!」

 

 その場所はダービーじゃなかった。

 じゃあ、アタシはこの気持ちを吐き出す必要はなかった。

 そして、トレーナーさんのおかげでドロドロに吹き出しそうなものをどこかに零れ落ちていっていた。

 それがどうしようもなく嬉しくて、アタシはトレーナーさんのあとをついていった。

 そして、震えてるショーカ先輩に大丈夫だよってずっと抱きしめてたんだ。

 

 

「ダービーの癖に調子乗ってるからそんなトレーナーしかいないんだろうね」

 

 後ろからそんな雑音が聞こえた。クスクスって笑い声も聞こえる。

 でも、アタシはもうどうでもよかったんだ。アタシのこの気持ちを出すのは今じゃないって教えてくれたから。

 

「ああん?」

 

 でも、それを教えてくれた人は我慢できなかったみたいだった。

 

「いま、笑ったのは誰だ」

 

 190はあるんじゃないかっていうすごく高い背でトレーナーさんはウマ娘達を見ていた。

 

「誰が夢を笑った」

 

 その声はひどく冷たかった。さっきまで笑っていたウマ娘は誰も返事をしなかった。

 

「笑うな。笑うんじゃねえ……ぶち殺すぞてめえら!!!!」

 

 トレーナーさんは、どうしようもないほど怒っていた。

 自分のことを言われたわけじゃないのに、自分のことのようにすごく苦しそうに、悲しそうに怒っていた。怒り狂っていた。

 ゆっくりと詰め寄り、その声の主を探そうとしていた。

 トレーナーさんはあんなことを言っていたくせに誰が言ったかは把握していたようで、その視線は一人を見ていた。

 ゆっくりと近づいていくのをアタシは黙って見ているしかなかった。

 なんでかは今もわかんなかったけど、でも、トレーナーさんはすごく悲しそうだったから、とっても悲しくてアタシは動けなかった。

 

「やめてください! ウチのチームのウマ娘になんてことするんですか」

 

 そういって割って入ったのは、どうやらそのチームのサブトレーナーさんみたいだった。

 

「そいつはウマ娘じゃねえ! 少なくとも俺は認めねえ! 走る前から他人の夢を笑うようなよそ見してる奴らにレースに出る資格なんかねえ!!!!」

 

 トレーナーさんは見下ろすようにウマ娘たちをかばっている女のサブトレーナーさんに怒鳴っていた。

 

「すぐに暴力でそうやって解決しようとする。だからあなたは鼻つまみものなんですよ。だから、あなたの周りのウマ娘はそんな才能の欠片もない子たちしか集まらないんでしょう! どうしようない人の周りにはどうしようないウマ娘しか集まらないのよ!!!」

 

 震える体を必死に抑えて、サブトレーナーさんはそう言っていた。

 後ろのウマ娘達は、その勇姿に奮起されたのか、後ろで好き勝手に応援したり非難の声が上がっていた。

 

「訂正だ。こんなクズがいるんなら、夢を笑うようなゴミだめにしかならないのも当然だな」

 

 そういって、トレーナーさんは、サブトレーナーさんの胸倉を掴んで軽々と持ち上げていた。

 

「私は女であなたは男。そうやって女性に暴力をふるってただで済むと思っているんですか。あなたのそれは立派な恐喝です。犯罪です。」

 

 サブトレーナーさんはちょっとだけ微笑んでいた。勝ち誇ってるようだった。

 セミ先輩言うには「どう転んでも、被害者ヅラできる勝利を確信した、したたかな女の顔って、こと」らしかった。

 今でもアタシにはよくわかんないや。

 

「女? 男? 関係ねえだろ。勝負の世界なら特にそうだ。強いやつが力をふるって何が悪りいんだよ。てめえらだって、わらわら数で脅してきて少しでも状況が悪くなったら、誰かに頼る。俺はそれがわりいとは言ってねえ。だから、俺は俺なりにてめえらの性根を叩きなおしてやるって言ってんだよ」

 

 トレーナーさんの目は真剣だった。そのまま右腕を振り上げていた。

 たぶん、誰も止めなかったらサブトレーナーさんはすごくほっぺが赤くなっていたと思う。

 何人かのウマ娘は泣いていた。

 サブトレーナーさんもぎゅって目をつぶっていた。

 でも、トレーナーさんの腕はそのまま動かなかった。

 

「関係ありますよ」

 

「チッ」

 

 緑の帽子が特徴的な女の人。

 たづなさんが片手でトレーナーさんの右腕を掴んでたんだ。

 

「男性は女性に比べて筋力が強くなりやすいです。体格も大きくなりやすいです。これは狩りをするものと家事をするものという分業を性によって区別した結果、発展したどうしようもない身体的特徴です。女性は男性よりも非力なのです。男性の基準で物事を考えていては公平さが保たれません。だから、女性は身体能力などにおいては男性と公平になれるよう、法律で守られているのです」

 

「んじゃあ、どうして俺は非力なアンタの拘束をほどけねんだろうな」

 

「あらあら、もしかすると三石さんはとてもか弱いのかもしれませんね」

 

「てめえの力が、女や人間のそれじゃねえって言ってんだよ! この化け物が!!!」

 

 たづなさんはニコニコしていた。

 トレーナーさんはサブトレーナーさんの胸倉も離して、両手でたづなさんの手を振りほどこうとしていたが、どうしても離せなかったみたいだった。

 

「まあ、ひどい。そんなひどいことを言う人にはお仕置きが必要ですね。えい!」

 

 涼しそうな笑顔で、たづなさんが弧を描くように、片手を振り下ろすとそのまま、トレーナーさんが背中から倒れ込んでいた。

 

「女性と男性は公平ではありません。あなたの言葉がまかり通ってしまえばこのトレセン学園の秩序は乱れ、ひいてはレース、ウマ娘の信頼の低下さえ招くことになります。そんな事態を看過するわけにはいけません。しかし、理事長に上申するほどの重要度ではありません。よって、私が理事長の代理として裁定しましょう」

 

 誰も何も言えなかった。トレーナーさんも抵抗することさえ止めてたづなさんの話を聞いていた。

 

「三石龍介。あなたは半年間の減給処分とします。そして、その間に今回のような暴力未遂、誹謗中傷、恫喝等の報告が上がれば、あなたのトレーナーの資格をはく奪します。あなたの担当ウマ娘も無期限のレース出場停止とします」

 

「なっ……」

 

「ウマ娘は関係ない、とでも言いたいのですか。ありますよ。ウマ娘の責任はトレーナーの責任であることはもちろんです。しかし、その逆もまたしかりです。どちらが上ではありません。どちらも対等なのです。であればどちらかが問題を起こせば、片方も責任を負う。そういうものでしょう」

 

 冷たい、宣告だった。

 トレーナーさんにとっての首輪みたいなものだった。

 

「しかし、それだけでは禍根が残ります。……だって、女性が男性に暴力を振るわれかけたわけです。恐ろしかったでしょう。怖かったでしょう。泣きたかったでしょう。その気持ちに対する補填を私がしたわけではありません。ですので、三石さん謝罪をしてください」

 

「ちょっと……待ってよ……!」

 

 震える声で、ショーカ先輩がたづなさんに声をかけたんだ。

 一番顔が真っ青で涙をいっぱいに溜めてて、足もプルプルしてるのに、ショーカ先輩は一番に声を上げた。

 

「なんですか」

 

 たづなさんは笑顔でもなかった。怒ってもなかった。ただ、真顔でショーカ先輩のことをじっと見ていた。

 見てるだけで恐ろしかった。怖かった。逃げ出したかった。

 でも、ショーカ先輩は泣きながら言ったんだ。

 

「三っちゃん、ウチのトレーナーさんは、ウチらのために怒ってくれただけだ! なんで、トレーナーさんが謝るんだよ。いや、謝んなきゃいけない。でも、それならウチも一緒に」

 

「ダメです。いけません。許しません」

 

 淡々とたづなさんは言っていた。

 凍って口も動かなくなるくらい、凍えた口調だった。

 

「これはトレーナー間の謝罪です。そしてあなたたちへの罰でもあります」

 

 そういって、たづなさんはアタシとセミ先輩とショーカ先輩を見つめていった。

 

「あなたたちが弱くなければよかったのです。三石さんがかばったりすることもなかったでしょう」

 

 肺が痛くなるくらいにたづなさんの言葉は冷たかった。

 冷たくて、痛くて、でも、本当のことだった。

 

「そして、三石さんがもっと理性的に解決していればこんな風にはならなかった。素行に問題がなければこのような事態には発展していなかった」

 

 そして、たづなさんは寝そべっているトレーナーさんに視線を合わせていったんだ。

 

「早く、謝罪をしてください。あなたは女性を傷つけました。トレーナーであるはずなのに、交渉ではなく暴力で解決しようとして相手に多大なるストレスを与えました。だから、それを謝ってください」

 

 トレーナーさんはすごく震えてた。

 それは悔しいからじゃなくて、アタシや先輩たちに対してのごめんなさいだった。

 トレーナーさんは震える体を起こして、サブトレーナーさんの前で正座をしてた。

 

「俺の……軽率な行動で……不快な思いをさせてしまい……ました……!!! まことに……すい、ま、せん……でした……」

 

 頭を地面につけているトレーナーさんをアタシたちはじっと眺めることしか出来なかった。

 どうして、どうして、どうして。

 アタシの中のどうしてはずっとぐるぐるしていた。

 セミ先輩もショーカ先輩もずっと泣いてる。泣いてるんだ。どうしようなく悲しいんだ。

 アタシが、アタシたちが弱かったせいだ。

 

「というわけで、三石さんも謝罪をされています。これでよろしいでしょうか」

 

 たづなさんは笑顔でそういったんだ。

 

「え、ええ」

 

 サブトレーナーさんはそう言った。

 でも、後ろのウマ娘達はそうでもなかった。

 

「なんでよ。私たちめっちゃ怖かったんだけど」

 

「アタシたちにも謝るべきじゃない」

 

 聞きたくもない雑音が聞こえた。

 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして。

 

「ダメです」

 

 アタシはアタシの中のどうしてを解決しようとしてトレーナーさんに近づこうとした。

 でも、止められた。

 

「なんで! なんで! なんで!!!」

 

「それは今必要なものではありませんから」

 

 意味が分からなかった。

 必要かどうかなんて関係ないのに、今じゃなきゃダメなのに、どうしてだ。どうして。

 たづなさんを振りほどこうとした。でも、ダメだった。

 

「ふむ、不満があるようですが、私はいいました。これはトレーナー間の謝罪であると」

 

 アタシの体を掴んだままたづなさんは言葉を続けていた。

 

「なぜ、あなた方はそんな所から謝罪を要求しているのですか。ウマ娘ならば、その感情をぶつけるのはレースであるべきです。どうして、他人のことを笑っているのですか。どうして、自分の走りに集中していないのですか。どうして、競い合うのではなく群れあっているのですか」

 

 たづなさんは、後ろのウマ娘達に語っていた。それは本当に純粋な疑問みたいだった。

 

「ウマ娘であれば、狂ってしまうほどの勝利への執着を見せなさい。どうしようもなく満たされないほどの走ることへの渇望を見せなさい。笑顔で胸を張って宣言できるほどの夢を掲げなさい。いつまでも、もがき続ける信念を持ちなさい」

 

 雲がない空の下。

 アタシがたづなさんを見上げると逆光で表情はわからなかったんだ。

 その目だけは、鋭いままだった。

 

「この場所において弱さは罪です。遅いとは無意味です。絶望とは執着を無くすことです。諦めとは夢を嗤うことです。馴れ合いとは信念を腐らせることです」

 

「罪は罰しましょう。しかし、執着も執念もなにもかもを腐らせたものに、何を与えるものがありましょうか」

 

 アタシはこの時に、今は必要じゃないって意味が分かった。

 アタシたちは罪なんだ。無意味なんだ。でも諦めてない。腐らせてない。

 だったら、罰を受けて立ち上がるしかない。

 勝つことで意味を見出すしかない。だから、このどうしては絶対にレースで使わなきゃいけないんだ。

 

「欲しいなら勝ち取りなさい。ここは敗者の道理がひっこみ、勝者の無理が通る場所です。ですが、敗者を追い出す場所でもありません。ぬるま湯につかっているものを糾弾はしません」

 

 ウマ娘達は、特に何も言わなかった。言えなかった。

 

「レースにおいて、敗者がいるから勝者は意味を持つのです。弱いもの。無意味なもの。諦めたもの。信念を腐らせたもの。……それらに価値はあります。貪られて勝者の血肉になるという栄光が名誉が与えられます。なんと素晴らしいことでしょうか」

 

 狂気とも言えるほどたづなさんはニコニコしていた。どうなっていてもとっても嬉しいようで怖かった。

 

「この場にとどまられていては、また諍いの元となります。直ちに解散してください、以上です」

 

 そう言って、たづなさんはいつものニコニコした表情に戻っていた。

 芦毛のウマ娘達は気まずそうにそそくさとその場から立ち去って行っていた。

 

「三っちゃん、三っちゃん……ごめん! ごめん! ウチが、ウチが弱いせいで……!!!」

 

「私は、何も言えなかった。ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい。」

 

 先輩たちはボロボロに泣きながら、トレーナーさんのそばに寄っていた。

 

「泣くんじゃねえ!!!!」

 

 今までで一番大きな声でトレーナーさんはそう言っていた。

 

「てめえらが泣くときは勝った時だ。散々バカにしてきたやつらにざまあみろって見せつけてやるときに勝ってないて見せつけてやるんだよ!!!……だから……泣くんじゃ……ねぇ……っっ!!!」

 

 みんな、ボロボロに泣いていた。

 アタシは泣くこともなく、それを遠くからずっと見ているだけだった。

 たぶん、他のことを考えていたから。

 

「トレーナーさん」

 

「ん……だよ……」

 

「アタシはウイニングチケット!!! アタシが好きなのはダービーだ! アタシの夢はダービーで優勝すること!!!」

 

 アタシは、改めて自己紹介をした。トレーナーさんに知ってもらいたかったから。

 

「アタシは!!! ウイニングチケットだ!!! アタシは誰かにこの勝利を捧げたかった!!!」

 

 アタシのありがとうも、感動も、一生懸命も、一人じゃ大きすぎたんだ。

 アタシのこの気持ちはみんなと分け合いっこしたら、たぶんアタシでも抱えられるんじゃないかなってずっと思ってた。

 

「アタシが勝利を捧げたいのはトレーナーさんだ!!! セミ先輩だ!!! ショーカ先輩だ!!! アタシは、みんなが大好きだ!!! アタシは、アタシが大好きな人が笑顔でいて欲しい!!! アタシはみんなが生まれてきてくれたこと、出会えたことにいっぱい、いーっぱいありがとうを言いたいんだ!!!! だから、アタシは他の誰でもなく、アタシ自身のために!!! アタシがみんなに笑っていてほしいから!!! アタシはトレーナーさんたちに勝利を捧げたいんだ!!!!」

 

 その時のアタシの気持ちはぐちゃぐちゃでよくわかんなかった。

 でも、たぶん、言えたんだと思う。

 

「だから、トレーナーさん。アタシをトレーナーさんの担当ウマ娘にしてください!!! アタシは、アタシのためにこの思いを捧げたい!!! ダービーをトレーナーさんに捧げたいんだ!!!!」

 

「ちょっと、こっちこい」

 

 トレーナーさんの両側で先輩たちが泣いていたから、トレーナーさんは身動きが取れてないみたいだった。ゆっくり、近くまで歩いて行った。

 

「散々言ってんじゃねえか!……勝つ前から……走る前から……泣くんじゃ……ねえ……チケゾーっっ!!!」

 

 気づいてなかった。

 アタシの体はマグマみたいにずっと熱かった。

 だから、泣いてるなんて思ってなかったんだ。

 そして、トレーナーさんはアタシたち三人を優しく抱きしめてくれた。撫でててくれた。

 それがとっても嬉しくて、あったかくて、ありがとうってかんじだった。

 それから、アタシはトレーナーさんのことが大好きになったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ケゾー。チケゾー!!!」

 

「はい、ウイニングチケットです!!!」

 

「うるせえ!!!!」

 

「はい!!!!」

 

 気づいたら、アタシは控室で寝ちゃってたみたいだった。

 

「え? チケゾーちゃん、ガチ寝してたって、マ?」

 

「わ、わわ……私たちの活躍を見てないって、こと?」

 

「え? え?」

 

 先輩たちの話を聞いて慌てて時計を見るとそろそろ14時ぐらいだった。

 

「緊張して眠れねえとかいって、本気でダービー当日寝るなんて、てめえも中々ふてえよな」

 

 いつも不機嫌そうなトレーナーさんがニコニコしていた。

 アタシはこの表情を教えてもらった。呆れ笑いってやつらしい。

 

「て、ていうか先輩たち、結果はどうだったの?」

 

 そうアタシが聞くと、二人ともVサインで返してくれる。

 

「う、うわああああああああああ。感動したああああああああああああ」

 

「いや、GⅢなんよ」

 

「まだましだよ。アタシはOPって、わけ」

 

「よかったあ、よかったあああああああ」

 

 照れてる二人をみて、アタシはもっと嬉しくなった。とってもありがとうに溢れた。

 

「トリはお前だぞ、チケゾー」

 

「がんば」

 

「ふぁいと~」

 

 みんなが期待をしてくれている。

 アタシもそれが分かるとありがとうがすっと引いていった。消えたんじゃない。溜めてるんだ。

 溶かしてしまうほどに、あっついヤツがアタシの中でずーっと燃え続けてる。

 トレーナーさんのために、先輩たちのために。

 アタシはもう、ひとかけらも気持ちを無駄になんかできなかった。

 

「アタシはダービーで絶対に勝つ。勝利をみんなに捧げるんだ」

 

 ダービーまで、あとちょっとだ。

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