幼い時はいつも姉の後ろを歩いていた。買い物に行くのも、自転車に乗るのも。常に側にいてくれないと不安で仕方なかった。
それは、偏に容姿が違うから。少しでも違うことが嫌だった。
髪の色が違う。着ている服が違う。履いている靴が違う。食器が、コップが、箸やフォークが違う。そんなささやかな違い一つで、私はひどく不安になってしまっていた。
そのたびに姉は私と同じものを用意してくれた。
髪の色ではなく、目の色が同じだと言ってくれた。着ている服を揃えてくれた。靴も、食器も、コップも、箸やフォークも揃えてくれた。そのたびに私は嬉しくて、姉はずっとそばにいてくれるものだと思っていた。
だからこそ、姉に手を引かれるのが好きだった。自転車の後ろを掴んでくれているという安心感が、私の心の隙間を満たしていた。
私は姉の偉大さを実感するたびに自分が情けなくて涙が止まらなかった。
嬉しくても、悲しくてもそのたびに泣いて、泣き虫だと言われるようになった。
『そんなに、泣くなブライアン。私は、泣いているお前の顔を見ると悲しくなってしまうから』
泣くたびに、姉から言われたその言葉にまた泣いてしまって、私はいつも姉を困らせていた。
でも、泣くたびに頭を撫でてくれる姉の大きくて暖かな手が私は大好きだった。
『大丈夫だ、私がお前の側にいるさ。お前が一人で立ち上れるようになるまでずっとついていてやる。だから、泣くな、ブライアン』
そんな言葉に支えられ、泣き虫だった私はいつの間にか泣くことを止めた。このままだとダメだと気づいたから。
姉は姉だ。私は私だ。いつか、離別は来る。
私は別れに耐えることなど出来ないと思った。だから、姉との離別を恐れるあまり、私はを自分から感情を捨てた。
泣くことを止めた。悲しいと思う感情を捨てた。笑って過ごすことを諦めた。怒りを沈めた。喜びを閉まった。
自分の感情と決別した私は急激に成長を遂げた。
力も走りも本格化したウマ娘と遜色がないと評されるほどの身体能力を得た。
その結果、私は姉の後ろを歩く必要はなくなり、一人で買い物に行けるようになり、自転車に乗るよりも速く動けるようになった。
それは、私が姉に迷惑をかけることもなくなったことを意味していたが、そこに喜びはなどなかった。ただ、空虚で無味乾燥でどうしようもないほどの渇きだけが私の中で膨れ上がっていた。
根源さえも分からない渇きに襲われ、貪るように私は走り続けた。
終わりを目指すように、渇きを癒すように、飢えを満たすように走って、走って、走って、走り続けて。
走り抜けた先で私を待っていたのは、今までと比べ物にならないほどの抗いがたい渇きだけだった。
そこに、安寧はなく、悔しさはなく、満足はなく、執着はなく、歓喜はなく、絶望はなく、信念はなく、意味はなく、夢はなかった。
空虚でぽっかりとした、ただただ突き動かされるような当てのない渇き。
自分の視界に映るものは全てが暗く、足元も見えないほどの闇。その先にあるはずの微かな白い光に向かって、当てもなく足を進める。
『!?』
だからこそ、私は、自分の影が怖かった。影さえも見えない暗闇の中で伸びる影が恐ろしく、自分とは違うもののような気がしたから。
影に足を掬われないように、影が私を覆いつくさないように、私は逃げるように走った。
時が経ち、私はトレセン学園に入学した。
姉がいる。私の中の渇きが、そこに答えがあると囁いてしょうがない。それが全てだった。それ以上の理由など考えることもなかった。
自分の渇きを癒すだけの場所だ。他人の指図など受ける必要もなかった。私が私自身を理解しきれていないというのに、トレーナーなどと言うただの他人が私を理解した気でいるという傲慢さが私には許せなかった。
しかし、あの子どものような怪物だけは違った。
『そんなめちゃくちゃなことしか出来てないアナタはどうして走っているの?』
『いや、走ってるわけじゃないんだ。どちらかというとなにかを追いかけてるって言う方が正しいのかも』
『それなら納得がいくよ。追いかけてるんだ。真似っこしてるだけ。あなた自身が走ってないんだ』
『あー、そっか。追いかけてるのはビワハヤヒデなんだ。そして、真似っこしてビワハヤヒデに見て欲しいんだ』
自分の中でさえ、言葉に出来なかった渇きの正体。それを一つ、一つほどいて白日の下に晒された。
感情などと言うもの捨てた気でいた私が抱いたそれは、間違いなく怒りだった。
そして、その怪物に恐怖していた。
「どうしてだ」
私には目の前の存在が理解できなかった。抱いているこれもまた恐怖だろう。その確信はあった。
「何がお前をそこまで掻き立てるんだ!」
「決まっているじゃないか」
その白毛のウマ娘は、ボロボロだった。
初めの余裕そうな表情など一切なくなっている。四つん這いになり、必死に酸素を取り込んでいるはずなのに闘志だけは一向に衰えない、それどころか滾ってすらいる。
「2000mの併走。もう勝敗など、とうについている。40回走って、40回とも私の勝ちだ」
狂気の沙汰としか言えない所業だった。
勝ち目などない。あっていいはずがない。走れば走るほどその事実はより明確になるはずだというのに、そいつは一向に、走ることを止めはしなかった。
「決まっているじゃないか」
息も絶え絶えだ。四肢には力が上手く入らないようで、走りはじめた時に比べてフォームもぐちゃぐちゃでもはや走っているとさえ言えない。だと言うのに、
目の前のウマ娘は笑っている。ニヤリと口を三日月に歪ませる。全てを否定するような嘲笑だった。
「こんな場所で立ち止まっていたら!!!!」
どこにそんな力があるのか理解できなかった。間違いなくそのウマ娘は声を出すことさえ、難しいはずなのに私の脳を震わせるほどの声量で言い放った。
「誰も!!!……見てくれないじゃないか」
悲痛の叫びだった。心の中で溜め込んだ澱だった。誰かへの救いを求めるような祈りでもあった。
そして、私と同じ。
満たしても満たしても、決して癒えることのない渇きだった。
怪物との邂逅の後、特に指導するわけでもないよく分からない男が私の練習を見に来るようになった。しかし、その言葉はどうしてか私の心を揺さぶった。
『お前、フラフラ走ってるよな。あ、そっか追いかけっこしてるだけだもんな』
初対面での言葉がそれだった。自分の中の血液が沸騰したような激しいものが沸き上がって来た。
渇きとも違う、全てを壊してやりたいほどの破壊衝動。求めて縋るのではなく、誰かを否定したい気持ち。
その男が言うには嫌悪と呼ばれる私の中に生まれた感情。それに駆られ否定したくてたまらなくて、どうしても見返してやりたくて、私はただその男を黙らせることだけに注力するようになった。
左右に動くのを抑えた。スタミナを温存するようになった。スパートを切るタイミングも工夫した。
その結果がジュニア級での、常勝無敗だった。
何かを求めていたわけではなかった。言葉が欲しかったわけでもない。その男のことなど意識したことなどなかった。
だが、
『よく、頑張ったな』
その言葉だけはどうしてか私の中にすっと入ってきた。
自分を守るために私がとうに捨てたはずのものが沸き上がってきそうになった。終ぞ、沸き上がることはなかった。しかし、その男となら捨てたはずのなにかと向き合えるような気がした。
その言葉に姉を見出した。
視界を覆う暗闇の中で光る、一筋の光明のようでもあった。だからこそ、渇きを満たせるのではないかと期待してしまった。
しかし、そうはならなかった。ただ、それだけ。
『散々、お前にとやかく言ってきた。でもそれはトレーナーとしての俺の言葉じゃない。ただのそこら辺のバカな男の独り言だった』
ひどく後悔した。この男とのやり取りは離別に終わった。そもそも交わってすらいなかったが、そう錯覚してしまうほどにはこの男の存在を認めるに至っていた。
捨てたはずのものが、諦めたものが、沈めたものが、閉めたものが、全部、全部。中途半端に開けてしまった。
『俺の物語はもう終わった。お前はまだ始まってすらいない。だから、今から歩んでいくんだよ。こいつと』
『やあ、私は見習いトレーナーのウマ娘だよ。名前は、そうだなあ、白毛さんとでも呼んで欲しい』
中途半端に開いたものを消化することも出来ず、男との離別も昇華しきれず、ただその事実は私のなかでとてつもない渇きを加速させただけだった。
男が連れてきたのは白毛のウマ娘だった。姉と同じかそれ以上に真っ白い毛並み。素直に美しいと思った。しかし、それ以上に彼女が浮かべる軽薄な笑みから、あの小さな怪物を想起させられた。
「ここで、負けたら私には何もなくなるんだ!! こんな場所で終われるわけがない!! 終わっていいはずがない!! お前ごときに私を否定される理由がない!! 私は私のためにやらなくちゃいけないことがある!!! 逃げているお前に何が分かるって言うんだよ!! 私は逃げないと覚悟した!! ここで逃げたらもう、私は、私は、私は!!!!」
「もう、止めろ!!!!」
『2000m。中距離レースを想定した併走。どちらかが参ったと言うまで走り続ける。そして、私が併走して一度でも勝ったらナリタブライアン、君は私をトレーナーとして認める欲しい』
トレーナーなど私には不要だった。あの男も私のトレーナーではなかった。そう言うには余りにもかけ離れていたから。
ふざけたことを言うヤツだと思った。バカにされているとさえ感じた。しかし、その判断は間違いだった。
私は気づくべきだった、白毛のウマ娘からあの小さな怪物を想起してしまうという事実に。
「何度走っても結果は変わらない。お前の負けで、私の勝ちだ。そもそも勝負とさえ言えない。こんなくだらないことに付き合っている暇は「私は! まだ!……負けて、いない」
思わず、奥歯を噛みしめる。とんだ屁理屈でしかない。
「ただ……40回、負けただけだ。41回目は分からない、その次、その次の次」
「いい加減にしろ!!!」
四つん這いになっていたウマ娘の胸ぐらを掴む。もはや、視線がこちらに向けるほどの体力はなかった。しかし、白毛のウマ娘の瞳孔は開いており、痛々しいほどに気力だけは満ちていた。
「何がお前をそうさせる。そこまでして何になる。死にたいのか? 自殺するなら迷惑だ。他でやれ!」
「私には……追いつかないと……いけないヤツが……いる」
「!?」
白毛のウマ娘の言葉の裏に一瞬だけ見えたものに私は心を奪われていた。
それは、私が捨てたものそのもので。
「時間がないんだよ!!! もう、あと何度走れるか分からない!!! ここで終わったら、私は私を一生恨む。後悔に塗れた生涯を送らなくちゃいけないんだよ!!!」
「……」
「約束を押し付けられた!! あの人は私をやっつけると言った!! じゃあ!! 私がその場にいなくてどうするって言うんだよ!!!! この気持ちも!! この感情も!! あの人たちから切り離して残ったものだ!! でも、この中にはあの人達からもらったものがあり過ぎる! 溢れてしょうがないんだよ!!!! 私はあの二人と戦わなくちゃいけない!!! 逃げないで向き合って、それではじめてこの感情に折り合いが付けられるんだよ!!!!」
理解できなかった。白毛のウマ娘の言っていることのひとかけらでさえ何もわかりはしない。
だというのに。
「それなのに私は……弱い!!!!」
「!?」
「呆れるほどに、泣いてしまうぐらいに弱いんだよ。君と何回走っても勝てない。そんなことははじめから分かっていた。そんなの当たり前のことだよ。私は何もしなくて、君は走った。それだけのことだ。だけど私には夢がある。狂ってしまいそうなぐらい勝ちたくてしょうがない でも、それだけだ!!! その夢も執着もあまりにも脆いんだよ。弱いからだ! 私には勝てないからだ! 弱者だから! だから、君が必要なんだよ!!!」
「私が」
「ナリタタイシンは、ナリタタイシンたちはURAファイナルズに勝ち上がる。それは絶対だ。あのお姉さんがやると決めたんだ。その事実だけは絶対だ。だから、君が必要だ。トレセン学園の魔境の中で君だけがナリタタイシンに勝ち得るポテンシャルを持っている!! あの手負いの獅子を狩れるのは君だけだ
!!!! だから、私は、君が欲しい!!! 君じゃなくちゃダメなんだよ!!!!」
荒唐無稽な話だった。信じろと言われても到底私には受け入れがたい事実だった。URAファイナルズ。名前だけは聞いたことがある。姉が出るかもしれない試合だったから。
ナリタタイシン。その名前もほどんど覚えてはいなかったが、姉の会話で何度か聞いた覚えがあるような気がした。しかし、記憶に残らないほどの有象無象でしかない。それを加味すれば、ナリタタイシンにそこまでこだわる白毛のウマ娘の言葉は価値などなく、意味などなかった。
だが、そんな思考も私には些末なことだった。
「お前は、本当に出来ると思うのか?」
「出来る出来ないじゃない。やるしかないんだ」
「イカレているな」
「ただ、弱虫で臆病なだけだ」
「負けた。私はお前のせいで一度負けてしまった。お前のせいでもう無敗ではなくなった。だから、次に私が負けたら容赦しない。これからのレースは絶対に私を勝たせてみせろ」
「え?」
心の底にあるものを語る白毛のウマ娘から自然と零れる涙が美しいと思った。
涙は悲しい時にだけ流れるものだ。
だから、私は涙を捨てた。
だと言うのに、目の前のウマ娘の涙はとてもかけがいのない尊いものに思えてしょうがなかった。
「よかっ……た……」
「おい!……たく」
安心からの脱力。自分の限界を超えた肉体の酷使。
私の腕にかかる白毛のウマ娘の肉体は軽かった。あの体力があるなど想像できないくらいの貧弱そのものだった。
「手負いの獣が侮れないというのは、間違いないな」
白毛のウマ娘を抱え、保健室に向かう道すがらそう思わずにはいられなかった。
満たそうとするたびに膨れ上がっていく、私の中の渇き。
私だけが抱えていると思ったこれは私だけではなかった。そして、私が捨てたものは案外悪いだけのものではないのかもしれないという期待。
全てがめちゃくちゃにされた。
私の中の渇きを嗤われた。そして、同等の渇きを見せつけられた。
閉ざしていたものをこじ開けられた。そして、その輝きを見せつけられた。
でも、その輝きは一瞬で、長く続くことはなかった。
私の中に見えたはずの一筋の光はたちまちのうちに消えてしまったから。
そして、どこまでも暗い闇の中で、私の後ろに影が伸びる。
影は実体を持ち、光を求める私に追いかけてくるのだ。
どれほど走ったって、離すことは出来ない。それどころか近づいてくる。
そして、影は私に触れた。
「……なさい! 起きなさいってば!!!」
「あ?」
「ちょっと、このスイーピーがせっかく起こしてあげているって言うのに、どうしてお寝坊さんなのよ。ブライアン」
夢を見ていたようだった。
最近、よく見るようになった夢。その影に捕まると私は動けなくなる。そして、闇の中で永久に囚われてしまう。くだらない、はずなのに、どうしてか拭うことの出来ない悪夢。
「だから! 無視するのは止めないよ!」
「ああ、考えごとをしてた」
「いい御身分ね! そろそろ食堂でご飯に行かなきゃいけないのよ!! 遅れたらどうするのよ!!」
「先に行けばよかったじゃないか」
「お友達を一人に……そんなことしたら私がフジさんに怒られちゃうでしょ!!!」
スイープトウショウは二つに結んだ鹿毛を揺らしながらそう訴えてくる。
入学して寮で同室になってからの腐れ縁でクラシック級に上がり、初めての夏合宿でもこうして一緒になった。
当初はずっと五月蠅いウマ娘だとは思っていた。それは今でも変わりはしない。しかし、それだけでもないみたいだった。
「ほら、ここに座りなさい! 髪がぐちゃぐちゃになってるじゃない! すぐに食堂の席埋まっちゃうけど、こんなだらしない恰好で出る方がもっとダメなんだから!」
「ん」
朝はあまり得意ではない。スイープもそうだが、私の方がもっとひどいようでいつからか彼女が世話をしてくれるようになった。スイープに任せていた方が姉にとやかく言われることはないので、去年の夏ごろからずっと彼女に任せっきりになっている。
「ほら、出来たわ」
「そんなに変わったのか? こんなの走って引っ張ればすぐに戻るのに」
髪が右往左往していたのを整えただけだ。こんなことする方が手間な気がする。
「分かってないわね! 偉大なものは身だしなみだって大事なのよ!……大事な人や応援してくれる人が胸を張って応援できるような態度の方が、そうじゃないよりずっといいでしょ?」
よく分からない。しかし、やってくれてありがたいのは間違いない。
「そうだな。今日も整えてくれてありがとう。スイープ」
「な!? ふ、ふーん! 当たり前じゃない! こんなの魔術を使うよりも簡単だからちょちょいってしてあげるわ」
「じゃあ、飯を食いに行こう。席が無くなったら大変だ」
「アンタのせいで、無くなりそうなんでしょ!!!」
後ろから愚痴愚痴と騒ぐスイープを無視しながら私は食堂に向かった。
「ふぅー、なんとか席も取れたわね」
「そんなので足りるのか? もっと肉を食えスイープ」
「ああああ!!! スイーツが入ったお皿の中に、お肉入れるの止めてって何度言ったら分かるのよ! このおバカ!!!」
「飯を食わないとぶっ倒れるぞ。肉は元気の源だ」
肉は美味しい。そして、筋肉になる。にんじんと肉さえあれば完璧だ。
にしたってスイープは食事の量が少ない。パンも、バゲット一つではなく、何枚かスライスしたモノだけだし、
「肉も魚も食べていない。パンもちょっとだ。こんなんじゃいつまで経ってもチビのままだぞ。日ごろから、お前には世話になっている。だから、もっと喰えスイープ」
「だから! アンタと一緒にしないで!!!」
「いやー、朝からご機嫌だねえ~、お2人さん」
私たちの会話に軽薄そうな声が混じった。私もスイープも声の方を向くと、そこには見知ったウマ娘が立っていた。
「あんたは白毛の人!」
「うんうん、白毛さんって呼んで欲しいかなあ」
「白毛の人!」
「話聞いてる?」
「なんでここにいるんだ?」
私は、つい語気が強くなってしまうのを自覚しながら、話しかける。
「ヤダなあ。君のトレーナーなんだから、食事でコミュニケーション取ろうと思うのは不思議なことかな?」
「あー! 白毛の人ってこのブライアンのトレーナーだったんだ! 知らなかったわ。ただ友達がいない一人ぼっちのウマ娘だと思ってた」
「うんうん、流石に私もそろそろ泣いていいかな」
「うるさくするならよそでやってくれないか?」
「え? 私、君のトレーナーだよね? そこそこ信頼稼げていると思っていたんだけど、そうでもなかったの?」
白毛のウマ娘の一挙手一投足が鼻に突く。全てが軽薄で真実など一つも語っていない、上辺だけでの会話。
「ごめんね、私も相席していいかな」
「私は構わないわよ」
「……勝手にしろ」
あの併走の後、白毛のウマ娘は約束通り、私を全勝させた。皐月賞もダービーも、余すことなく勝利に導いた。その実力は本物であるとしか言いようがない。
だと言うのに、私には今の白毛のウマ娘が退屈で仕方なかった。
「あれ、スイーピーちゃん、野菜食べて無くない?」
「あんなマズイの食べるわけないでしょ?」
「ええ!? でも、お野菜はスイーピーちゃんに食べられたがっているんじゃないかな?」
「は? 何言ってんのよアンタ」
「いやね、薬草とかを一生懸命お世話しているスイーピーちゃんに、お野菜も感謝していると思うなあ」
野菜は感謝するものなのだろうか? 私にはよく分からなかった。
「アンタたち、そこまで私のことを」
「うんうん、お野菜たちの気持ちも汲んでどうか一つ、サラダを食べてくれないかな」
「し、仕方ないわね。ちょっと取ってくるわ」
少し、簡単に口車に乗せられすぎではないだろうか。
そう思っていると、白毛のウマ娘が口を三日月に歪める。
「いやー、あんなにチョロい子って将来が心配になっちゃうね。ツボとか買わされちゃいそう」
「お前がやったんだろ」
「そうだよ。寮長さんに恩を売りつつ、スイーピーちゃんの健康も考える。一挙両得ってやつだね」
ただ唆しているだけとも言える。
あれ以来、白毛のウマ娘が本心を見せることはなくなった。しかし、こうやって、私にだけ裏の面を見せてくるようになった。
打算と、利益と、妥協で塗り固められた言葉を弄することでしか他人に干渉できない卑怯さに私はあまり、気分が良くはならない。しかし、それによって誰かが不利益を生じる訳でもない。
「正論って言うのは、誰も幸せにはしないけど。ウソって言うのは、誰かに寄り添うことが優しい行為なんだよね」
「物は良いようだな」
「私には口だけしかないからね」
この会話だって、中身など一切ない。しかし、答えなければ、答えが返ってくるまで話題をコロコロと変え続ける。ただ、その場の空気を慮りだけの会話。
「さあ、持ってきたわよ! ブライアン、アンタも食べなさい!!」
「どうして」
「私だけ嫌な思いするなんて許せないわ。アンタも一緒に苦しむのよ」
「感謝はどこに行った」
「それはそれ。これはこれ!」
「二人とも、苦手なものをよく頑張ってるね。私泣いちゃった」
「一生泣いておけ」
空虚で、無意味で、無価値。
しかし、孤独ではない、不思議な空間。決していいとは思えなかった。しかし、悪いとは口が裂けても言うことが出来なかった。
夏の合宿。クラシック級の生徒から参加できるようになるこのシステムは、白毛のウマ娘が言うところでは、本格化を全員が迎えていることが原則であるためだという。
まだ、実力に差が大きいジュニア級から始めてしまえば、無理な負荷のかけ方のせいでレースが始まる前に、体を壊してしまうものもいるから、だという。
私にはよく分からない。本格化が何かも分かっていない。ただ、同世代から見れば私の身体能力は規格外であると言うだけ。
だから、負荷をかけすぎないのではなく、よりかけられる負荷は何かを探す。
そう言う時に必要なトレーニングを考えてくれる。特別教官と言うのが存在している。
そして、私は合宿施設の限界にぶち当たり、そうそうに特別教官に指導してもらうことになった。
「どうして、あんたが」
「いや、実はオレ結構有能なんだよな」
私に白毛のウマ娘を押し付けたあの男。二村トレーナー。
実際は離別などはなく、見習いトレーナーである白毛のウマ娘のサポートとして、私がレースに出場するたびに同行していた。
だからこそ、馴染みがないどころか深いわけだが。
「どうして、私は海の中で正座をさせられているんだ」
「バカやろう! この訓練の本質がわかんねえって言うのかよ」
「……分からない」
「俺もよく分かってねえんだ」
ああ、本当に私の周りにいる奴らには調子を狂わされてばかりだ。怒ることさえ面倒だ。
立ち上がろうとした瞬間に、二村から声をかけられる。
「じっとするって言うのは、案外難しいんだよな」
「なんの話だ」
「海の中だ。音が伝わる。波が伝わる。生き物が回りで泳げば、それが波動になって、お前の元に伝わってくる。これが結構、くすぐったかったり、冷たかったり、痛かったりで長く続けられないんだよなあ」
「何が言いたい」
この男の言うことは遠すぎた。私には欠片も理解できなかった。
「いや、我慢弱いブライアンなら無理だなって」
「は?」
「出来ないよな。ゴメン、ちょっと違うヤツ探してくるわ」
「出来るが?」
「またまた」
明らかな挑発だった。こんなの、無視すればいいはずだった。しかし、口が勝手に動いてしまう。
「見ておけ、1時間は耐えてやる」
思わず、切ってしまった啖呵のせいで私は長時間を海の中で過ごすことになってしまった。
目を閉じる。広がるのはいつもの光のない闇の中。
だが、感じるものがある。尻尾から伝わってくる。他の生き物の生命活動によって生じた波動や、酸素を交換するときのコポコポという音。真っ暗な場所だというのに、確かにここには命の息づかいを確かに感じた。
ここにいるものたちはひどく無軌道だ。目的などない。いや、命を繋ぐという行為に執着している。ただ、勝利や敗北などという価値観は一切持ち合わせていないだろう。だからこそ、安らぎがあった。ギラついているものがない。誰かの影を追って、こちらを見ているわけではない。ただ、そこにあるものとして私を認識している。それがひどく心地よかった。
この安らぎに溺れかけていると、不意に声がかけられた。
「あの白毛は手強いだろ」
ピクリと、私の体は動いてしまった。
「はい、カウントダウンやり直し」
「おい」
「いや、一時間やり切るまで返す気はないが?」
「そんなこと一言も言ってないだろ」
「言う必要がないと思ったから」
頭が沸騰したように熱く、どうにかなりそうだった。
「でも、このくらいで揺さぶられているようじゃ勝てないぜ。経験値によるプレッシャーって言うのはよ」
「……」
心当たりはあり過ぎるほどあった。今までの試合は仕上がりが十分だった。負け筋などないはずだった。しかし、何度か、仕掛けるタイミングや、抜け出すタイミングを間違えてしまい、やや危ない場面も見られた。微かな負け筋を作り出したのは偏に精神的動揺だったというのは、流石に私も認識していた。
誰かの想いに影響されやすすぎる。
それは、この二村と出会ったからのことだった。そして、白毛のウマ娘がトレーナーになり、それは更に加速した。
しかし、爆発力が上がったのもまた、二人と出会った後だったのは間違いない。
「根拠が不十分で非科学的と言われてもしょうがないが、感情によって、ウマ娘の走りって言うのはかなりムラが生じやすい。だからこそ、冷静さを欠かないように立ち回る必要がある」
「この正座はその精神的安定を補強するためであると」
「いや、そんなんで解決したら苦労しないんだわ」
「おい」
「はい、動きました。カウントダウン、やり直し」
決めた。これが終わる頃には、コイツを一発殴らなければ気が済まないと。
そうして、私はもう一度改めて座りなおす。
「白毛に何を見た」
「何をとは、何のことだ」
動揺するな。心を正しておけ。髪の毛一つ乱さないように。
「どうして、アイツをトレーナーとして認めたんだ」
「今、関係ある話なのかそれは」
些事でしかない。気にする必要などない。ただ、疑問に答えるだけ。
「失望、いや、そうじゃないな。疑問がずっと渦巻いている。自分の中にある白毛のイメージと、今自分が実際に観測している白毛のイメージがあまりにも違いすぎる。どちらが本物か。偽物か。でも、そんな事をそもそも考える必要がなぜあるのかって言う疑問が渦巻いている」
「チッ」
思わず舌打ちしてしまう。それほど、気持ち悪いのだ。簡単に人の心の中に入り込んでくるような気持ち悪さ、自分でも認めたくない、核心をまざまざと見せつけられる、嫌悪。
どうしたってこうも自分の考えを覗かれるのは反吐が出るほど不快でたまらなかった。
「だから、俺は知りたいんだよ。ナリタブライアン、どうしてお前はアイツをトレーナーに選んだ。その目的はなんだよ」
「……今の調子で私の心を覗けばいいんじゃないか」
「別に、俺は心を覗いている訳じゃないんだよなあ」
「こちらからすれば、そんな細かいことはどうでもいい」
「そりゃ、そーだ」
今のやり取りで私は確実に動いていたはずだ。だというのにこの男は、やり直しを言わない。
理由は分からない。しかし、この苦痛から逃れるために、私は黙っておくことにした。
気づけば、後1分ほどとなっていた。実際に時間を見たわけではない。しかし、腹の具合的にそうだ。
二村はその後は何も言いはしなかった。ただ、無言でずっとそこにいただけ。
それに何の意味があったのかは全く分からない。しかし、邪魔もしなけば、残りの時間を告げるわけでもない。それは、この海の中の住人と全く一緒で、なんとなく悪い気分ではなかった。
「お前の姉は確かビワハヤヒデだったよな」
もう数十秒も残っていない辺りで突然切り出された話題。
ただ、黙してやり過ごす。
「いつまで、姉貴の背中を追っかけ続けるつもりだ」
ああ、無理だ。
「いくらお前でも、それは禁句だ。口を閉じろ」
気づけば、私は、二村の首に手をかけていた。あと少しなどどうでもよかった。ただ、そこにだけは踏みいれて欲しくはなかった。
向き合うことが出来そうだったのに、勝手にいなくなった分、余計に。
「……すまん、また一時間だな」
理性に諭され、手を離す。ここまでむき出しになってしまう。これこそが、弱さだというのに、私は抑えきれなかった。簡単に理性を手放してしまうのをまざまざと思い知らされた。
また、訓練に戻ろうとする。
「いや、終了だ。ほら、カウントダウンはもう0だからな」
「……本当か?」
「ウソ! 本当はそもそもカウントダウンなんてしてませんでした」
「殺すぞ」
「怖いじゃん。そんな強い振るわないでくれよ。流石に俺もやり過ぎたと思ったからさ」
どこまで私をおちょくれば気が済むのだろう。分からない。
「……夜の南東の方にある砂浜に行ってみ? 面白いのが見られるかもよ」
「それは」
手で戸を立てて、耳にうつその情報の真意が全く分からない。しかし、それに価値はあるのだという直感がひどく警告していた。
夏だからだろうか、夜の砂浜でさえ暑苦しくてしょうがなかった。
大したものなんて見当たらない。見えるとしたら星空ぐらいだろうか。
そう思っていると星空よりももっと苛烈で眩しいものに目を奪われた。
「ああ! ダメだ! こんなんじゃ勝てるわけもないだろう!!!!」
「あれは」
聞き馴染みのある声。
「スピードも、パワーも、スタミナも全部だ。全部足りない。今から全ての時間を費やしたって足りる訳がないだろう!!!!」
へばりつくような白だった。白い、白い、白毛のウマ娘。
「走り始めがダメだ! コーナーの位置取りが下手くそだ! 目も当てられない! 今息を入れたら簡単に抜かれてしまうじゃないか! ああ、クソクソクソクソ!!!!!」
軽薄な姿など一つも残っていなかった。悪態をつきながら、全力を以て走り続ける。愚かで真っ直ぐなウマ娘がただそこにいるだけだった。
「何がダメだ!? そんなの途中で全部を投げ出したのがダメに決まっているじゃないか!!! どうすれば取り戻せる!? どうしたって取り戻せる訳ないだろう!!! 私が浪費した時間は余りにも多すぎた!!!! ああ、諦めろよ! だけど、そんなので諦めきれるわけがないだろう!!!!」
自問自答。というにはあまりにも残酷すぎた。自分の中の自分と折り合いをつけるために自傷行為。
自分の中の弱さを自分に知らしめる、死よりも辛い、苦痛。
それを白毛のウマ娘は痛みの中で消化し続けていた。
「お前がやる必要はないんだよ!!! だから、そのために彼女をナリタブライアンを利用した!!!」
苛烈な葛藤。何が彼女をそうさせるのか、私には全く理解できなかった。
「私は、ナリタブライアンのせいでめちゃくちゃにされた。だから、彼女を利用することなんて一切のためらいもないはずだ!!!! そんな訳あるか! 彼女だって一人のウマ娘だ。必死に生きているんだよ! それが自分のエゴで踏み潰して言い訳ないだろう!!! じゃあどうすれば!!!」
一人のはずなのに、何人もいるかのようなやり取り。奇妙で薄気味悪く、恐れさえ抱くその光景に私は目が離せなかった。
「ああ、無理だ……やっぱり、私には無理なんだよ……」
後悔を、諦観を、憤怒を、悲しみを、星空を見上げて涙を流す。その姿は全く美しくはなかった。ただの醜態だ。無様極まりなかった。
だが、私の中に、大きな何かが、ゆっくりと形成されていく。
「…………バカだなあ私は。まだ、縋って、自分でやれるつもりでいるんだ」
自嘲と共に白毛のウマ娘は、またゆっくりと練習を始めようとしていた。
静観するつもりだった。
そのはずなのに
「こんな夜更けに何をしている」
「ブライアン?」
私の口は勝手に動いてしょうがなかった。
「私はね、実は君と走ったことがあるんだ。中学生の時だけれどね」
また、軽薄さに身を隠されると思っていた。しかし、白毛のウマ娘は、私を見ると観念したように消え入りそうな笑みを浮かべた。
そして、私を側まで招いた。
「……覚えていない」
「そうだよ、そんなものだ。そして、それは別に重要なことじゃあないからね」
その言葉は本心のようで、彼女はあっけらかんとそう言い放つ。
「私は君と出会う前にナリタタイシンというウマ娘はと出会った。そして、彼女に惹かれて、君に轢かれて押しつぶされた。そして、私は走り続けることが出来なくなった」
「私が、そうさせたのか」
「ううん、どうだろうね。君のせいでもあるけれど、君に負けたからと言って心が折れるような方にも問題があったんだと思う」
何も言うことが出来なかった。それは、つまり、私の歩んできた道は。
「自分のせいで、他のウマ娘の人生めちゃくちゃにしたと思った? 思い上がりだよ、それは」
「……」
「それぐらいで折れるんならそもそもそいつは走ることが向いていなかったんだよ。たかが一回負けたくらいで私たちの中から湧き上がってくる走りたいっていう感情はかき消せるほど弱いものじゃない。それぐらいで消えたなら、どれだけの人が、レースを生きてこれたか」
「すまん」
「いいよ、本当にこれは弱者が弱者たる所以の問題だ。自分の中の問題を強者に押し付ける。卑しい存在の考え方だ」
そう言いながら白毛のウマ娘は自嘲気味に笑みを浮かべる。
「私はその弱者の最たる例で、卑しい存在だった。それをお姉さんに暴かれた。隠していたはずの感情をむき出しにされた。君も知っていると思うよ、あの小さいタイシンと同じくらいの身長のトレーナーさん」
「小さい怪物」
「あはは、それはそうだ。あれは怪物以外のなんでもないからね。あの人に私はめちゃくちゃにされた。そして、向き合うことを強制された」
ひどい話だよね、と怪物について話す白毛のウマ娘の表情は穏やかそのものだった。
「私は向き合わなくちゃいけなくなった。自分が走るのを止めたくせに、また走るように努力しようとしているとタイシンもお姉さんも走ることを辞めたんだ。自分の中の嘘とエゴに耐えられなくなって」
「噓とエゴ」
「二人ともね、本当はね。自分の事を見て欲しかったんだ。でもね、素直じゃないから言い訳ばっかりして、噓に噓を固めて、もう行き着くとこまで行き詰って、結局投げ出したんだ」
白毛のウマ娘の言葉は底冷えするような冷気を放っていた。
「だから私は許せなかった。アイツらは、全部を持っていたのに、どうにかなる道筋しかなかったのに、唯一の全員が不幸になる選択肢を取り始めた。自分自身が不幸でありために、絶望や恵まれない、何も持たないヤツらをバカにするように、全部を投げ出した。そのエゴがひどく気持ち悪くて私が全部壊した」
「……お前がそこまでする理由があったのか?」
「分からないよ。今考えて分からない。でも」
白毛のウマ娘が射貫くほど私を見つめる。
「気づいたら体が勝手に動いていたんだ。バカだよねえ。自分が一番傷つくって分かってるのにさ。それでも私は止められなかったんだよ。自分の行動が」
白毛のウマ娘から零れたのは、自嘲の言葉、一粒の涙。
その涙はひどく美しいと思った。
私の中に今も湧き上がるもう一つの渇きとも言えるものが、その涙のせいで加速度的に大きくなっていく。
「そして、お姉さんから、約束された。タイシンと一緒に私を倒すと。それはさ、つまり、私もレースに、URAファイナルズに立たなくちゃいけない。でも、そんなことは出来ない。そんな絶望の最中で、私は悪魔と契約して君のトレーナーになることを決めた」
「……お前がもし諦めていても、お前は私のトレーナーになっていたのか?」
「まさか、そんなことになるのなら、私は私が許せない。諦めて学園から出ていっただけだよ」
気が狂っている。説得できるかも分からない存在を使って、URAファイナルズチャンピオンを目指す契約をしたなど。
だからこそ納得してしてしまう。あの狂気とも言えるほどの執念が宿っていたのかと。
「でも、私にはもう無理だ。君には本心を見せてはいなかった。それは、君が私への不満を力に変えることが出来ると分かっていたから。君に見せた私と、いつも見せている私。その乖離に君はどうしたって、疑問が残る、いつしかそれは怒りに返還される。これからも拡大していく走るための原動力として必要なものだ」
「あえて、やっていたと」
「勿論さ。でも、私の執念はそこまで強くはなかったみたいだ」
そう言うと、また彼女は涙を零した。
「君が成長するたびに、勝ちを重ねて、価値を高めていくたびに、私の中に占める君の割合がドンドンと増していった」
うるさい。
「君の中にある痛みが辛くてしょうがないんだよ」
知ったような口を叩くな。
「君の中にはまだ、姉に追いすがっている幼い君がいる。君が要らないといって切り離した君の核だ」
黙ってくれ。
「君は怪物じゃない。ただの怖がりな少女だった。傷つくのが嫌で、誰にも迷惑を懸けたくなくて、自分を犠牲して他人に何かができる子だ。だから、自分の中にあるものを切り離して自分で怪物になった。泣かないように、迷惑をかけないように。君は生きていくだけで自分の中の決別できていない核をすり減らしている。その結果癒えない渇きだけが増している。何をしても満たされない、どうしたって、苦しくてしょうがない」
頼む。
「私は、そんな君を見ているのが辛いよ。君のためになにかしてあげたいっていう気持ちが強くなっているんだ」
お願いします。
「自分のことだけで精一杯なはずなのに、他人のことばかり考える私はやっぱり、バカだなあ」
「いい加減、にしろ」
気づけば、私は、白毛のウマ娘の押し倒していた。
このまま縊り殺すことだって出来るだろう。でも、上手く力が入らない。
「私と同じだ」
白毛のウマ娘の手がゆっくりとのびる。
「私たちは、泣き虫だ」
彼女が私の目元を拭った瞬間に、それは堰を切ったようにとめどなく溢れてしょうがなかった。
「私は、エゴの塊だよ。この涙だって、君を利用しているためのものかもしれない。でも、私はそれでも君と一緒にURAファイナルズを、チャンピオンを目指したいんだ。私のために、そして君のその渇きを満たしてあげたい」
喉が熱い、目が痛い。息が上手く吸えない。
こういう時、なんと言えば分からない。はじめてだ。こんな感覚は。
「改めて、お願い。私を君のトレーナーにしてくれないかな」
少し力を入れれば簡単に折れてしまうほど細い体。だというのに、どうしてこんなに大きいんだ。恐ろしいんだ。白毛のウマ娘の言葉が魅力的に感じてしょうがないんだ。
「私の要求は、変わらない」
「うん」
「お前は、私を勝たせることだけを考えろ。それだけだ」
「うん」
「お前は私だけを見ろ。それ以外を見る暇なんかない」
「それは難しいかな」
「ああ、いいさ」
私の中に生まれた新たな渇き。この源の感情をなんというかは知らない。でも、未だ遠い背中の姉を追うだけが私の渇きではない。
絶対に、いつかこいつの瞳に映るもの全てを独占したい。どうしようもないほど、溢れてしょうがないこの渇き。
「今は、それでいい」
「いた」
首筋に歯を立てる。意味のない行為だ。
だが、これは、私のものだ。
それだけは誰にも譲らせない。