ナリタタイシンに対する強い幻覚   作:妄想投棄場

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消えない残響

 ゲートの中で待機するナリタタイシンは、目を閉じて今までを振り返る。

 

『大きく産んであげられなくてごめんね』

 記憶の中の母親はことあるごとに、申し訳なさそうな顔で謝っていた。

 

『あの子、あんな小さい体で走れるの』『ケガする前に言ってあげなよ』

 聞きたくもないのに聞こえた同い年からの陰口。

 

 何度も何度も聞き飽きた雑音。小さいころからの嘲笑や憐憫が、喉の奥にべったりと張り付いて取ることができない。言い返す言葉も吐き出せず、喉の奥でドロドロと渦巻いていた。苦しい。酸素が足りない。うまく呼吸ができなかった。

 

 だけど、レースだけは違った。1番を取った時だけは、今までの雑音が脳内から消えた。

 

 表彰台の上。ざまあみろ、と溜まった感情を吐き出すことで喉を圧迫するものがなくなり、呼吸が楽になった。

 

 いつしか、レースが自分のすべてになっていた。ターフの上でしか満足に呼吸できなかった。酸素を求めて胸郭が膨らむように、どんどんと走る場所を貪欲に求めるようになった。

 

 トレセン学園。最高峰のウマ娘たちが集う、その場所で走ったのなら息苦しさなど感じずに呼吸できるのではないかと夢見て入学した。

 けれど入学してから絶対的な差を目の当たりにした。

 

 馬群に飲まれてしまう。軽々と持ち上げられてしまう。小さな肺ゆえの相対的なスタミナ不足。およそ、レース上ではどうあっても活せない矮躯。

 

 今まではハンディキャップを抱えていても、勝てないだろうという前評判かあっても、それを覆して勝ち抜いてきた。

 

 自分の走りはトレセン学園でも通用するという絶対的な自負があった。しかし、走れば走るほどに周りとの体格差を突き付けられる。

 

 レベルが違う。体格が違う。一握りの本物しか勝ち残れない世界に触れたことで、今まで聞き飽きた雑音を本当の意味で理解した。してしまった。

 

 走るたびに聞き飽きた雑音がよみがえり、残響が消えなかった。

 

 走った先でしか満足に息ができない。そのはずなのに、走るほどに喉が圧迫され気道が狭まり、うまく酸素が取り込めない。このまま走り続ければやがて窒息してしまうという確信めいたものを感じていたが、走ることは止められなかった。

 

 

 どうせ死ぬならターフの上で死にたい。

 

 

 自分にとってレースが全てだ。

『その体じゃ勝てない』『手足が細すぎる』『レースには向いてない』

 何も知らない癖に、周りの人間は親切心だなんて言いつつ、ゆっくりと首を絞めつけてくる。

 

 もがけばもがくほど、締め付けられて息ができない中でも、互いに認め合い、競う相手ができた。他人の心にズカズカと入り込んでくる、おかしなトレーナーもついた。

 

『あなたの走りは誰にも負けない』と言葉をかけられるうち、放課後のトレーニングの時だけは少し、ほんの少しだけ息がしやすくなっていた。

 

 だからだろうか、今は最高に調子がいい。どこまででも駆け抜けられそうだ。

 

 

『ターフの上で一番見晴らしのいい景色まで、私がエスコートしてあげるから!』

 走り抜けたターフの先の景色。たぶん、一番見晴らしがいいんだろう。

 それが、見られるなら死んだっていい。

 逆にすべてを諦めてしまったら、それこそ何もなくなってしまう。

 

 

 誰も自分を見てくれなくなるじゃないか。

 

 

 パドックから聞こえる音が止み、隣の息遣いが聞こえてきそうなほど静まる。

 

 目を開けて、正面を見つめる。

 

 私はここにいるんだ、とこの場にいる全員に見せつける。

 

 メイクデビューの時間だ。

 

 

 ゲートが開いた。先頭争いをしている2人に連なり馬群が生まれる。あそこに飲まれれば抜け出すことは難しいだろう。

 

『だめだよ。今は力を溜める時間だから。最後まで取っておかないと』

 

 ああ、そうだ。焦ることはない。

 最終3ハロン。そこが誰にも譲らせない、自分だけの居場所。それまでは溜めておくんだ。もどかしさもイライラも、一つもこぼさないように、落とさないように。ドロドロと煮詰めていく。

 

 

 最終コーナーに入った。まだ、後方集団の中。けれど、確信できる。自分の足は十分に動く。大外から直線で一気に差せる。視界も良好だ。

 

「早く、誰よりも早く!」

 甘く見てる奴ら全員に吠え面をかかせてやる。

 ナリタタイシンの本気を目に焼き付けろ。

 

「はあぁぁぁぁぁぁ」

溜めた力を一気に解放させる。

 

 

『大きく産んであげられなくてごめんね』『あの子、あんな小さい体で走れるの』 『ケガする前に言ってあげなよ』

「え……」

 溜めていた末脚が動かない。雑音が頭に反響する。

 

 

 いやだ、あと少しなんだ。

 

 私の居場所まで、もうハナほどもないのに力が入らない。息ができない。

 足元を見ると、黒い靄が足を掴んでいる。

 

『その体じゃ勝てない』『手足が細すぎる』『レースには向いてない』

 

うるさい。黙れ。反論したいのに声が出せない。

 

 あと少し、もうちょっとで一番見晴らしのいい場所で呼吸できるんだ。なのに、どうしようもできない。

 

 観覧席を見る。必死に、どうにか声を絞り出す。

 

「助けてよ……ッッ!」

 

 見慣れた姿を見つける。けれど、視線が合わない。その視線は3ハロン先を見ていた。

 

 必死に靄をかき分けるが、やがてナリタタイシンの全身を覆っていく。

 

見てよ。

 

 

「私を見てよ!」

 

 

 

ハッと気づくと、照明の消えた天井が視界に入る。見慣れた自室の天井。

 

「夢……」

 

 寝巻が体にぴっちりとくっついて気持ち悪い。全身に冷や汗をかいていたようだ。

 

「大丈夫ですか、タイシンちゃん……すごい大声出して」

 

 同室のスーパークリークが心配そうに尋ねてくる。

 

「ごめん、夢を見てたみたい」

「そうですか。……ホットミルクでも作りましょうか? 落ち着きますよ」

「大丈夫だよ。ちょっとシャワー浴びてくる」

「そうですか」

 

 思うところがあるようだが、それ以上の追及はなかった。

 

「ふぅ……」

 

 浴室で汗を洗い流す。夢の中でのことが頭の中でぐるぐると回り続ける。このまま寝るとまた同じ夢を見て心配をかけそうで、あまり気が進まない。

ジャージに着替えて、少し散歩をすることにした。

 

 

 

「ごめんなさいっと……」

 

 寮則を破ることに少しばかりの罪悪感を覚え、『栗東寮』の看板に謝罪する。

 草木も眠る時刻。カエルや虫の声しかしない。それがとても心地よかった。

 誰もいない。誰からも比べられない。一人はやっぱり、気楽で心地いい。

 

「…………ッッ!!」

 

「……人の声?」

 本当にかすかに聞こえた。普段なら絶対に向かわないだろう。

 

 けれど、今夜はなんだかそんな気分だった。気分を紛らわしたかった。

 

「切り株の方……みたい」

 

 わずかな音を頼りに、歩いていくとはっきりと声が聞こえた。

 

「ウチの子は、一番なんだ。まるで見てきたみたいに判断するな! 絶対に、許さない。ほえ面かかせてやる! 全員が無理だって言っても私は私だけはあの子の脚を信じてるんだ!……だから、その肝心な私が揺らいでどうするのぉ……うああああああ」

 

「はあ……」

 

 失敗した。人生でこれほど後悔したことはないだろう。気まぐれは猫を殺すというが、本当にやってしまった。聞き覚えのある声、なんとなく察してしまう内容。

 帰ろう。そう結論づけるのに時間はかからなかった。

 

 

バキッ。

 

 

 後悔に次ぐ、後悔。やってしまった。

 

「だ、誰?」

 きょろきょろとあたりを探す彼女。ここで、黙って去るのも不自然だろう。

 

「なにやってんの。こんな夜更けに」

 

「タイシン!」

 

 今夜は長い夜になりそうだ、とナリタタイシンは首に手を当てて思うのだった。

 

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