ナリタタイシンに対する強い幻覚   作:妄想投棄場

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眠れる獅子

「メイクデビューまであと1週間か……」

 

 夜も更けた時刻。私は、机に向かってトレーナーノートを眺めていた。

 メイクデビューまでに、私はナリタタイシンのトレーナーとして最善を尽くしてきたつもりだ。

 彼女のコンディションは絶好調と言えるだろう。負ける要素は徹底的に排除してきた。

 

「そのはずなんだけどな」

 

 寝付けないでいた私は、タイムや練習内容を記録したトレーナーノートを見ながらつぶやく。

 記録は好調。毎日のようなペースでベストを更新している。疲労も見られない。ただ一つ気がかりなのは……

 

「あの、必死で助けを求めてるナリタタイシンの顔……だよね」

 

 頬杖をついて外を眺めながら、ぽつりと口に出す。

 夜の風景の穏やかで心地よいためカーテンなどはつけていない。しかし、目に入るのは夜景ではなく、自分の顔だけ。大きな隈が目をひく。

 寝付けていない。それは興奮していることもあるが、夢をみるからだ。

 

 ナリタタイシンのメイクデビューの夢。

 ゲート内で目を閉じてスタートを待つ彼女。間もなく、ゲートが開きレースがはじまる。

 序盤は後方でじっと耐えて足を溜める。仕掛けるのは最終コーナーに入ってから。溜めていた末脚を使い、影のように忍び寄る。そして、3ハロンで軒並み追い抜いていきターフの頂上に立つ。

 そのはずだった。しかし彼女は動けなくなるのだ。

 残り3ハロン。彼女は糸が切れたようにパタリと地に伏せる。必死にもがきながら、観客席に向かって必死に何かを訴えている。ひどくすがるような、泣きそうな表情で。

 

「まるで助けてって言ってるみたいだった」

 

 首をなでる。まだ、うっすらと赤く痣が残っている。

 あの時も彼女は同じ顔をしていた。

 本当に悪いことをしたと思っている。あんな傷口に塩を塗るような真似をするなんてトレーナーとして失格だ、とたびたび自責の念に駆られていた。

 となると、その後悔が深層心理に反映されたのだろうか……

 

「でも前にも1回あんな顔を見たことがあるような」

 

 そう、あれは私が彼女のトレーナーになる前のことだったと思う。レースに向けての不安を解消する切欠になればと思い、目を閉じて彼女との出会いを詳細に思い出す。

 

――一緒にトゥインクルシリーズを勝ち抜きたいと思えるような娘を探して、私はデビュー前のウマ娘たちの選抜レースに足繁く通っていた。

 あるとき、気になるウマ娘を1人見つけた。ひときわ小さく、走り切れるのか心配なほど華奢な体格の子だ、というのが初めの印象だった。

 走り方はめちゃくちゃで、後ろから迫ってくる何かから必死に逃げるような感じだった。まるで自分のペースで走っていない。息をすることさえ忘れて走っている、自傷行為のようなレース運び。

 後先考えない走り方で走っても、先頭集団の後方に食らい着くのがやっと、という様で、デビューしたとしても勝ち抜くことはできないなという印象だった。けれど、彼女だけを目で追っていた。

 たぶん、実力ではなくそのあり方に惹かれていたんだと思う。 

 

 概ねウマ娘にとって、「走り方」はそのウマ娘の「あり方」と言える。トレセン学園に入学してきた娘達ならなおさらだ。

 

 例えば、サイレンススズカ。彼女は勝つために大逃げをしているわけじゃない。ただ、自分の心地よい居場所が常に先頭なのだろう。心地よい場所にい続けた結果、勝利を掴む。

 例えば、シンボリルドルフ。彼女に適性というものはあまり存在しない。得手不得手がある、ただそれだけ。周りの羨望、期待、嫉妬、全てを受け止めたうえで、皇帝であるという矜持をもって栄光を戴く。 

 

 

 勝利はウマ娘を狂わせるほどの魔性を秘めている。そもそも勝ちあがることが難しいが、勝ったとしても次は、走ることよりも勝つことを求められる。2度3度と重ねるたびその重圧は膨れ上がり、大半のウマ娘はその重さに耐えきれず頂点に立つ前に、選手としての寿命が尽きてしまう。

 だから、頂点に立てる一握りというのは、自分のあり方を貫き通している者たちだけだ。勝つために走っているんじゃない。自分らしく、自分の好きなように走る。走り終えた時、立っている場所が頂点だというだけ。

 それが今までデータ収集を続けて出した私の結論であり、諦観でもあった。

 

 それを踏まえると、ナリタタイシンの走りは到底勝ち上がることのできない走りだった。

 選抜レースでの彼女の視線の先はゴールではなく、常に他のウマ娘だった。自分らしくではなく、他人を負かせて勝つ。

 自分勝手ではなく他人勝手。悪く言うなら、同じレースで走っているウマ娘に対して自分を誇示すための走りでしかなかった。

 だからこそ、よくここまで勝ち上がれたなと思った。

 

 トレセン学園は一握りの頂点を目指すウマ娘たちのスタート地点である。しかし、このスタートに立てるのもほんの一握りでしかないのだ。だというのに彼女はこの場で走っている。その歪さに私は目を惹かれていた。

 

 そして、最終コーナーで彼女がこの場所で走っている意味が分かった。

 爆発的な加速力。ドンドンと追い抜いて、一着に差せそうなほどの気迫を見せる。私だけでなく、他のトレーナーも彼女に目が行くほどだった。しかし、そんな追い上げも束の間で、スタミナの消耗による失速で入着すらできなかった。

 周りのトレーナーたちは、小さな体格やスタミナ面でのデメリットを口にしているなか、私はいてもたってもいられず、彼女に声をかけようとした。しかし、気づいた時には彼女はその場から去っていた。

 

――ナリタタイシンを探して歩いていると、話し合っている声が聞こえた。どうやら言い合いをしているようだった。

 

『タイシンさん、そんな体でトゥインクルシリーズを走るなんて無茶よ…………取り返しのつかないことになるかもしれないわ』

『アタシのため? は、ふざけんな!アタシはこの脚で勝つ。必ず勝つ。アンタにも絶対、見せつけてやるから……!』

 

 ……どうやら、トレーナーの1人が、彼女に引退を勧めているようだった。私も同意見であるはずなのに、その言葉は私の心にちくりと刺さった。

 ナリタタイシンも相当頭に来たのか、威嚇するようにトレーナーを拒絶するが、その言葉は息も絶え絶えで恐怖よりも心配が勝ってしまうほどだった。

 ナリタタイシンがかけ去っていくのを見て私は、話しかけるのを辞めた。そして自室に戻り、持てるすべてを使って彼女のレースの情報を収集した。

 

 トレーナー寮にある自室に戻り私はデータを収集していた。ここに来る前は。いや、ここに来れているからというべきか、彼女は一定の戦績を上げていた。

 以前の彼女はじっくりと自分の足を溜めて追込の機会を待ち、溜めた末脚を使い軒並み差し切るというのが必勝法だったようだ。そして、ウチに来てからは、入着するものの1着を取れない日々が続き、現在の走りになったらしい。

 記録を見れば見るほど、やはり彼女の走り方はめちゃくちゃさが浮き彫りになった。

 彼女は自分の真価を本能的にわかっていたのだ。その上で敗北という経験が自分の走りを曇らせた。

 本来の走り方であれば、諦めずに走っているうちに何度か1着を取ることもできただろう。最終コーナーで仕掛けるタイミング、位置取りは今のナリタタイシンのほうが何倍も優れている。自分の走りを信じ続けていればいつか勝ち星をつかめたはずなのだ。

 だというのに、彼女はできなかった。ウマ娘の中にはいつかを信じ切ることができずにここから去ってしまうもの少なくはない。

 彼女は自分の走りを信じきれていないはずなのに、走ることを辞めていない。それどころか、キレ自体は相当磨きあげられている。

 知れば知るほど彼女のあり方は本当に矛盾だらけで全く訳が分からなかった。走りがぶれている。勝てるわけがない。だというのに、私はどんどんと、彼女に対する興味がわいてきていた。

 

――気づけば、日は沈み、あたりは暗くなっていた。

 ふとスマホを見ると、3桁を超えたメッセージが目に入る。送信者はたづなさんのようだ。既読を付けた瞬間、ポッとメッセージが飛んでくる。

 

【こんばんは】

【17時に提出の書類について、再三メッセージと着信をしていたのですが、返信がありませんでしたね】 

【トラブルに巻き込まれたのではないかと思って心配していたのですが、既読がついて安心しました。トラブルが落ち着いたようですね】

【まさかとは思いますが。そんなわけないと思いますが。お仕事を忘れて自分の好きなことに夢中になって返信も気づかなったなんてないですよね?】

 

 最後に送られてきたにっこりとした表情のスタンプがやけに怖い。深呼吸をして私がクールでエレガントな言い訳をする。

 

【すいません、ちょっと足の爪が割れちゃったみたいで、病院にいってました。ちょっと今日は日が暮れてしまったので、明日お渡ししますね】

 

 完璧だ。我ながらすごく機転の良い言い訳を返せたことに満足し、夕飯の支度でもしようかと思っていると突然着信がかかる。

 

「大丈夫ですか!? 一ノ瀬さん! 爪が割れるってすごく痛いんですよ! そこから土でも入ったなら、目が充血して息ができなくなって、けいれんが止まらなくなったりするんです。痛くないですか?苦しくないですか?お熱は?」

 

「いやいや、そんな爪が割れてそこまでなったら流石に病院に……」

 

「病院に?」

 

「病院の先生からはそんな心配しなくていいよって言われましたヨ」

 

「そうなんですね。とっても安心しました。……ええ、安心しましたとも。でも、やっぱり私、一ノ瀬さんのことが、心配で、心配で、どうしてもお見舞いに行かせてください。2分3秒ほどでかけつけるので」

 

「平気です平気! いやー、私、実は先生からすぐにでも歩いていいよって言われてまして、ええ、元気な姿をたづなさんに見せたいなと思うので、待っててください。むしろ私の方から向かいますんで。お時間はそうですね……30分ほど頂ければ! 学園内は遠いですからね。うん!!!」

 

 途中で終わっていた書類を猛スピードで完成させて、きわめて迅速にたづなさんのもとにお届けした結果、快く受け取ってもらえました。

 

 ……ついでに私のスケジュール帳の5回分の休日が埋まりました。嬉しすぎて涙が止まりませんでした。

 

「あんなに怖いたづなさん、みだごとな”い”よ”ぉ”」

 

 たづなさんをブチ切れさせた回数で言えば他の追随を許さない私であるが、あそこまで冷たい目で淡々と詰められるのは本当に初めてで恐怖しかなかった。

 

「ケガ関連で言い訳するのはもうやめよう……」

 

 そう学習した私は、暗い夜道を1人で帰っていた。さっきのたづなさんより怖いものはほとんどない。けれど、もしもを考えて遠回りになるが外灯のもとを辿って歩く。

 横目で見えるのはレース場。

「何時間か前までは明るかったのに時間が立つのは早いな」

 

 今日のレースで見かけたあの子を思い出す。目をひくほど小柄で、心配してしまうほど華奢な娘。

 

「そう、ちょうどあんな感じ」

 

 え、と自分の発言を疑った。もう、練習時間は終わっている。暗いし、ケガをしてしまう可能性があるから19時以降の練習は禁止されていた。

 そのはずなのに、ウマ娘が走っていた。それもすごく見覚えのある子が。

 気づいた時には、駆け出していた。

 

「ちょっと、なにやって……ぶべッ!!」

 

 そして思い出す。私、運動音痴だった。

 

「なにやってんの、こんな時間に」

 

 茶髪の少女は足を止めて、呆れたような珍獣をみるようなそんな表情で、顔面をぶつけた私のもとにくる。

 

「あなた、ナリタタイシン……だよね」

 

「まあ、そうだけど」

 

「どうして、こんな時間まで練習してたの?」

 

「別に、……それアンタに関係ある?」

 

「危ないよ!」

 

「夜道を全力疾走して、顔面から転ぶ方が危なくない?」

 

「正論禁止!……もとはと言えばあなたがこんな時間まで練習をしていなければ、私は夜道を全力疾走しなかったと思うんですが!!!」

 

「は?意味わかんないんだけど」

 

「でも、私は許します!!! 慈悲深いので!!!」

 

「話聞け。……なんで、アタシの周りはこーいうヤツらしかいないんだ」

 

 頭を抱えてブツブツとつぶやいているナリタタイシンに今日の出来事を伝える。

 

「今日の選抜レース見てたよ……すごかったね」

 

「……あっそ」

 

「露骨にテンションが低いと嫌われてるんじゃないかと思って悲しくなるんだけれど!」

 

「現在進行形で嫌ってんの。言わせないでよ……」

 

「……どうして、走ってるの?」

 

「は?」

 

「いや、ウマ娘にどうして走ってるの?って聞くのは、どうしてあなたは呼吸しているんですかってのと同じくらいくだらない質問だっていうのは、わかってるんだよ?」

 

「……じゃあ、最初からするなよ」

 

「でも、あなたは呼吸するのがひどく苦しそうに見えたから」

 

「ッッ!?」

 

「あなたにとって走るっていうのは自然な行為というより、それを余儀なくされてるって感じがした」

 

「……」

 

「自然と呼吸するんじゃなくて……そう、潜ったりとかで酸素が足りなくなって。で、そのままだと死んじゃうから、どうしようもないから呼吸してる。そんな感じ」

 

「結局、何が言いたいわけ」

 

 ほんとうはもっと言いたいことがある。

 彼女の言う通り、こんな抽象的なことじゃなくて、彼女の本質を知りたいと思っているのに、私の口は勝手に言葉を紡いでしまう。

 

「あなたは走りたいの?勝ちたいの?」

 

「あーもう!……だからそんなくだらない質問するなって言ってんの!」

 

 たぶん、私は彼女に甘えているのだろう。素っ気ない態度だけれど、辛辣な言葉だけれど、私の言葉に何かしらの反応をしてくれるという確信があるから。

 そもそも、夜道を全力疾走してくるやつの相手なんかせずに、今日は帰ればいいのに彼女はそれをしない。

 ほんの少ししか言葉を交わしていないが、彼女は本当は心優しいウマ娘だ。今まで他人を怒らせ続けた私だからわかる。

 

――だからこそ、申し訳ない。

 

「あなたは、勝てないよ」

 

「~~ッッ!!」

 

「今のままじゃ、絶対勝てない。一生勝てない。天地をひっくり返したって」

 

「うるさいんだよ!!」

 

 ぐっと胸倉を掴まれる。ほとんど彼女と背の変わらない私だからだろう、こともなげに私の体が引き寄せられる。

 

「どいつもこいつもうるさいんだよ!!! アタシはターフに立つ。そして見下してきた連中全員に『ざまあみろ、アタシのいるべき場所はここだ』って! ウイナーズ・サークルで笑って見せつけてやるんだから!!」

 

 堰を切ったように彼女の言葉はあふれ出す。目は瞳孔が開くほど興奮しており、猛った感情をぶつけられる。

 怒っているはずなのに、ひどく泣きだしそうにも見えた。自分の成績に対するやるせない気持ちと、そんな現状をなんとかしてくれと助けを求めている感情。それがないまぜになった。そんな表情だ。

 彼女の言葉に私はブルブルと全身が震えていた。

 

 あの末脚を使った時のナリタタイシンの表情。あれが本来の彼女のあり方だったんだ

 

 彼女の視線はゴールしか見ていなかった。飢えを満たすように。乾いた喉を潤すように。不足した酸素を必死に取り込むように。勝ちたいという欲求で瞳をギラギラと輝かせていた。

 

 素晴らしい末脚は彼女に与えられた才能だ。しかし、仕掛ける天才的なタイミングと、爆発的な加速力を支える源となっていたのは、瞳の奥にある痛々しく思えるほどの勝利への渇望。それは、長い間馬鹿にされて負け続けて、それでもあきらめることなく、投げ出すことなく鋼の意思で磨き続けた武器。虐げられてきた弱者が強者に振るうための義憤(Nemesis)だった。

 

 

『頂点に立てる一握りは勝つために走っているんじゃない。自分らしく、自分の好きなように走る。走り終えた時、立っている場所が頂点だというだけ』

 

 彼女の義憤は私の諦観さえ覆してしまうんじゃないか。そんな夢を見出した。見出してしまった。

 

 彼女が磨き続けた牙は背負うだけで身を焦がすほどの熱量なのだ。振るえば絶対だが、彼女自身制御できていない。その結果が、最後の失速だろう。

 

 遅かれ早かれ、彼女はその熱に耐えきれず選手生命が尽きてしまうだろう。

 

 勝利を手にすることさえできずに学園をさる彼女。

 想像しただけで、不快に感じる。

 

 いやだ。絶対いやだ。

 そんなことがあっていいはずがない。

 

 敗北だらけの人生で、磨いてきた唯一の武器で全てを薙ぎ払い頂点に立つ。上だけ見上げている奴らの足を掬って勝ちを掴む。

 誰もが憧れて、殆どの人が無理だと嗤う、そんなジャイアントキリングを果たす。

 そして、彼女の脚に敵う者などいるはずがない。ここが彼女のいるべき場所なのだと、ターフの上の一番見晴らしのいい場所から、全員に宣言する。

 

 彼女の走りをみて、描いてしまった私の夢。

 私が最初に見つけたギラギラと輝く野望。誰にだって渡さない、ナリタタイシン自身にだって譲れない。泣いて請われたって彼女がターフの上から去ることは私が許さない。

 

 そう考えていた時にはすでに口が動いていた。

 

「無理だよ」

 

「いい加減に」 

 

 このままいくと首が絞められるのではないかと思い、矢継ぎ早に語る。途中で言えなくなっても後悔のないように。

 

()()()()()じゃ絶対無理だけど、あなたの実力だったら選抜レースぐらい絶対に勝てる」

 

「どういう……」

 

「そもそも無駄が多すぎる。あなたの武器は、あの素晴らしい末脚。今までのあなたのレースを見れる限り見たけれど、特に目を見張るのは上がり3ハロン。今のトップクラスにだって届きそうなほどのタイムだった」

 

「なッ」

 

「でも今は見る影もない。理由は簡単。あなたの気持ちが駄々洩れしてるの。気持ちだけが先行してやる気だけが空回りして、さっきの私みたいに結局転んで、実力を出し切れないでいる…………さっきの私みたいに!!!」

 

 全然痛くないもん!

 

「なんで2回も繰り返した……で、どうすればいいの」

 

 地に私の足が着く。目線が会う。

 彼女の表情からは猛りがなくなり、呆れた様子になっていた。

 

「序盤は足を溜めるんだよ。勝ちたい。他の奴に負けたくない。そんな気持ちをあふれさせないように溜める。そして、最終コーナーで今まで溜めた感情も渇望も爆発させる。最終3ハロンはあなたの、あなただけの居場所。あなたの末脚があれば誰だって追いつけない。できるわけがない」

 

「口だけならなんとでも言えるでしょ」

 

「次の選抜レース……あなたの走りを、呼吸の仕方を、あなたの生殺与奪を私に預けて。証明してみせるから」

 

「それで負けたら?」

 

「あなたの目の前で私のトレーナー証明書を燃やしてあげる。……そして、ここから去るだけ」

 

「相当イかれてるね」

 

「なにも考えてないだけだよ」

 

「……私が勝ったらどうするの?」

 

「1つ、私をあなたのトレーナーにして。2つ、私以外をトレーナーにしないで。3つ、頂点を取るまで、絶対にターフの上から消えないで」

 

「どっちに転んでも私にメリットないじゃん」

 

「じゃあ、辞める?」

 

「なんとくなく思ってたけど改めて理解した。……アンタ相当性格悪いわ」

 

「えへへ」

 

「うっざ」

 

 黙って、手を差し出すと握り返される。

 

 

 夜空は雲一つなく、月が闇を照らす。2つの影がゆっくりと伸びてやがて1つに交わった。

 

 

――数日後。

 放課後、様々なウマ娘たちがトレーナーにアピールしようと選抜レースを走っている。

 

 その内の一人、見知った顔のウマ娘が近づいてくる。

 

「おめでとう」

 

「どーも」

 

ナリタタイシンが首に手を当てながらもう片方の手を差し出す。

 

「まあ、その約束だから……今後ともよろしく」

 

「うぅ……」

 

「な、なに。……言っとくけど、今更嫌だって言っても知らないからね」

 

「か”て”て”よ”か”っ”た”ね”え”タ”イ”シ”ン”」

 

「え、きっしょ」

 

「ひどい”よ”お”お”」

 

 

――「そんな感じで私はナリタタイシンのトレーナーになったのでした」

 絵本の読み聞かせの終わりのように、一人でつぶやく。

 そんなことをぼんやりと考えていると、時間は思ったよりも過ぎていて、机の上の紅茶はすっかりと冷めており、草木も眠る時刻になっていた。

“いやあ、その人に歴史ありというけれど、私もあの子とはいろいろあったなあ。”

 何やらいろいろ考えていたけれど、もういい時間だしと思い、床に就く。いやー、今日も一日疲れましたねえ。明日も早いし今日は早く寝ないと。

 布団はあったかくて心地よい。すぐに意識を手放せそうだ。

 

 

「はッ!?……何にも解決してないじゃん!」

 

 カッと目を見開き、自分の脱線力の高さに驚く。それはそれとして、布団から飛び起き、作業机に再度向かう。

 冷静に考えよう。彼女が助けを求めていた時の私の行動の共通点を思い出すんだ

 

「1つ! 両方とも胸倉を掴まれていた。」

「1つ! ナリタタイシンの言われたくない言葉でわざと煽って彼女のトラウマを刺激した」

「うわあああああああ! 客観的にみると私ごみカス以下じゃん! そりゃタイシンも助けを求めるに決まってるじゃん」

 

ドンドンドン

 

「ご、ごめんなさい」

 

 あまりにも、興奮して大声を出してしまったせいで、今月に入って4回目の壁ドンを食らってしまった。

 まずい。今の私の精神状態では、声を抑えることができそうにない。先月は5回目の壁ドンでたづなさんに、それとなーく、こっぴどく叱られてしまった。正直、もう私には後がない。

 下手すれば住所不定になってしまう案件に対処するため私はトレーナーの寮を慌てて飛び出す。

 大声を出さなければ、この気持ちは整理できない。そう思った私は、大声を出しても怒られない、そんな理想的なスポットが思い浮かんだ。いてもたってもいられずに、

 

 

「夜道を急に走ったら顔から転んですごくいたいいいいいいいいいいい」

 

 私の足も手も、もうボロボロだった。いくつ絆創膏があっても足りないほどである。夜道を移動するときは、足元をちゃんと見よう。

 これだけ大声を出してもここでは問題ない。なぜならこの場所は、【大樹のウロ】と呼ばれるレースに負けた悔しさや鬱憤を晴らすための場所だからだ!

 何を言っても問題ない安心感からか、ここ最近抱いている気持ちをぶちまける。

 

「ウチの子は、一番なんだ。まるで見てきたみたいに判断するな! 絶対に、許さない。ほえ面かかせてやる! 全員が無理だって言っても私は私だけはあの子の脚を信じてるんだ!……だから、その肝心な私が揺らいでどうするのぉ……うああああああ」

 

 なんど考えたが、答えが出ない。あの夢のもやもやを口に出す。全く不安が解消されるわけじゃないけれど、なんとくなーく多少はすっきりした気がする。やっぱり大声を出すといいのかもしれない。

 

   

 

 バキッ

 

 

 

「だ、誰?」

 

 こんな夜更けに出歩くなんて、相当不用心なヤツがいるもんだと思いつつ、私はすごく警戒する。

 大体はどこかのウマ娘たちであろう。だけれど、万が一という可能性もある。私のような可憐な女性(24)を狙うむくつけき暴漢であるかもしれない。

 手の震えを必死に抑えながら、音のする方に向かって声をかけた。

 

「なにやってんの。こんな夜更けに」

 

「タイシン!」

 

 見知った顔。安堵からか笑みがこぼれる。一方、彼女はいつもと変わらず呆れたように首に手を当てていた。

 

 

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