学園内のミーティングルームにて、席に着いたタイシンに水分を渡しながら声をかける。
「タイシン、大丈夫?」
「ん、もう平気。その、心配かけてごめん」
「私こそ、ゴメンね……タイシンに何も言わずに買い物行ったせいで、こんなことになって」
「いいよ、別に」
「いやだったら別にいいんだけどね?……白毛のウマ娘さんとの関係って聞いてもいいかな」
「……別に、大したことない。ここに入学する前に同じトレーニングスクールに通ってて、時々向こうが勝手に話しかけてきてたってぐらい」
「そうなんだ」
嘘だ。彼女は嘘をついている。けれど、今の私にそこに踏み込むほどの勇気はなかった。
「ていうか、買い物ってその裁縫セットでしょ? アンタ、裁縫できたんだ。」
「あ”……いや、これは、その」
まずい、昼ドラさながらの急展開のせいで、完全に当初の目的をすっかり忘れていた。彼女に見つかる前に補修しないといけなかったのに。
「ていうかさ、勝負服って昨日届いてたんだね。なんで教えてくれなかったの?」
ああああああ。ミーティングルームに置いたままなんだから、私が遅れたらタイシンに気づかれるよね、そりゃ。
自分の浅慮に頭を抱えてると、彼女は言葉を続ける。
「……着るからさ、おかしくないか見てよ」
「う……でも……」
そっぽを向いたまま提案する彼女。耳まで赤くなっている。
だけれど、今の私はあのボロボロの服をどう言い訳するかに終始していた。
「アンタは、まあ、私のトレーナーだから。一応意見も聞いときたいなって」
彼女は首に手を当て、手持ち無沙汰になっているもう片方の手で髪をくるくると弄っている。
くぅ、もう限界だ! こんなに楽しみにしているタイシンには申し訳ないけれど正直に言うしかない!!!
「タイシン! ごめん!!!」
覚悟を決めた私は、地面に頭をこすりつけながらボロボロになった勝負服のことについて告げる。
「はあああああぁぁぁぁぁ? ダメージジーンズの補修をしようとしたぁぁぁぁ?」
私の話を聞き終えたタイシンは、驚きと呆れが混じったような声を上げる。その後、頭を抱えてブツブツとつぶやく。
「ああ、こいつにダメージジーンズって概念は存在してないか。そりゃそうだよね」
「だめーじジーンズ?」
「簡単に言うと、これはわざとジーンズを傷つけてんの」
「ダメージってそういう」
「アタシたちが履いているジーンズって、まあ割とゴワゴワしてるのもあるけど、出来立てはそれと比にならないくらい硬いんだよ。その分丈夫なんだけど。……だからさ、ジーンズをわざと傷つけるの、そうすると段々柔らかくなるから。私たちがよく履いてるくらいの硬さになってから、店に商品として卸されるんだよ。……今回の勝負服、アタシのジーンズは更に人工的にボロボロにしてるの」
「え!? どうして!!」
「ファッションだからって言っても伝わらないか。……まあ、このダメージジーンズはロックバンドの人の衣装を真似た、パンクファッションって言われてる文化から生まれたんだけど。意味合いとしては自由とか反逆・反抗のための物かな」
「ただ、ボロボロなだけなのに、自由?」
意味合いとしては彼女が惹かれるのは至極納得がいく。しかし、好んで着るのはいかがなものだろうか
「ジーンズって丈夫って言ったじゃん? だから、傷つけて傷つけて私たちが着やすくなるまで傷つけていく。ボロボロになってもいんだよ、元は炭鉱夫が着るための物だから。傷ついても切り裂かれてもジーンズは履けるんだよ。汚くなっても、ボロボロになってもジーンズはジーンズとしての価値が失われることはない。……それって自由じゃん?」
ああそうか。この勝負服は、彼女自身だ。
「なんか反応してよ。1人で語るハズいやつになってるし」
冷静になったのか、また耳まで赤くしているタイシンから苦情がくる。
「見せてよ。タイシンの勝負服着たとこ」
「え、この流れで」
「先に言ったのはそっちでしょ」
「そうだけどさ」
「あなたの勝負服を見るのは私が一番最初がいい。あなたの勝利をはじめに祝うのも私がいい。私はあなたの初めてが欲しいの」
「そういう言い方はなんか違くない?……着るけどさ」
勝負服をメチャクチャ褒めたら、うるさいと足で蹴られた。ほめたのにひどいよお。
――そんな出来事から3日が経ち、メイクデビュー当日。
タイシンと私は控室で最後のミーティングをしていた。
「調子は?」
「万全」
「疲れは?」
「ほとんどない」
「完璧だね」
「ん」
淡々と返答するナリタタイシンに焦りなどはなく、およそ負ける要素は見られなかった。
レース開始時刻は11時で、あと2時間ほど時間がある。
神経質な彼女だから、いつ出て行ってもいいように荷物を纏めた状態で、レース前最後の言葉をかける。
「ナリタタイシン。アナタは絶対に負けないから」
「絶対に勝つ。アタシの存在を見せつけてやる」
彼女の目には確かな闘志が宿っていた。その表情をみて私は安心して控室を離れた。
――トレーナーとのやり取りが終わったあと、ナリタタイシンは目を閉じて気持ちを整理する。
自分にとってコンディションは最高と言ってもいい。どこまででも走れそうだ。
『私はね、あなたに救われたんだよ?』
何もしてない。
『自覚がなくて当たり前だよ。私が勝手にあなたを見て救われたんだから』
それはこっちのセリフだ。不安も焦りも全部受け止めてくれて、私の分まで泣いてくれるなんて。出会って1,2か月の奴にかける言葉じゃないだろ。
だからこそ、ナリタタイシンは考える。自分ができることはなんだと
「絶対に勝つ」
「無理だよ」
背後からの発言に驚き、とっさに体が跳ねる。そして声のする方を見ると、白毛のウマ娘が立っていた。
「手足が細い。体が小さすぎる。お前じゃ勝てない。それを全部覆して勝ってきたのは気持ちよかったけどさ。それだけだ。私たちじゃあ、トレセン学園にいる化け物どもに勝てないんだよ。タイシン。今からでも遅くないって出場を辞めた方がいい。……
ねっとりと、へばりつくような囁き。堕落させるための言だからか、それはとても甘美なものに聞こえる。憤りを覚えないといけないのに、自分はすべきことがあるのに。彼女の発言に抗いがたいほどの魅力を感じる自分がいた。
否定したいはずなのに、そんなことしなくても自分は問題ないと言いたいのに、その言葉は喉の奥に引っかかって吐き出せない。
「うるさい……ここは関係者以外立ち入り禁止のハズだけど」
「励ましに来たって言ったら通してくれた」
「もう十分でしょ」
「そだね。言いたいことは言い終わったよ」
カラッとした声音、ニコニコとした表情。だというのに、目の前の女が纏う雰囲気はひどく湿度が高く、冷や汗が止まらない。肺をぐっと掴まれたようにうまく呼吸ができない。
控室の扉に手をかけた後、あ、そうだ、と言ってこちらを振り返る。
「最後に一つだけ。あのお姉さんは負けたって、逃げたって、あなたのことを見てくれるよ。肯定してくれる。優しくそばにいてくれるよ。きっとね」
ナリタタイシンは一瞬だけ我を忘れてしまう。
獅子のような獰猛さで詰め寄り、白毛のウマ娘を掴もうとするが、すでに扉は閉じていた。
目の前のドアを一度強く叩いた後にその場に座り込み、必死に酸素を取り込む。
「お前なんか嫌いだ」
その言葉は誰にも届かず、宙に霧散する。
「でも、一番嫌いなのは」
彼女の言葉を、1つも否定できないでいた自分。けれど、その言葉も吐き出せなかった。
――もうすぐ、ナリタタイシンのメイクデビューが始まる。
他の親しい人間は用事があるそうで観客席にいるのは私1人だ。
パドックでウマ娘たちがアピールを始めている。
彼女がパドックに来るのをいつかいつかと待っていると
「いた!!」
見つけた。けれど、様子が先ほどまでと全然違う。
顔色は悪いし、遠めに見ても肩で息をしているほどだ。
他のウマ娘たちがパドックで『頑張れ』とか『応援してるぞ』と声をかけられる中、タイシンの番になると『おい、あの子顔色悪くないか?』『体も小さいし、走り切れないんじゃない』、観客席はざわつく。
その中に、期待の声援はなく、拍手もわかない静まりかえった空間になっていた。
段々と彼女の耳は垂れ下がっていく。観客席側さえ見ることはない。
なんだ。なんだこれは。
私の中で怒りがたぎっていくのがわかる。
「汚くなっても、ボロボロになってもジーンズはジーンズとしての価値が失われることはない。……それって自由じゃん?」
「どいつもこいつもうるさいんだよ!!! アタシはターフに立つ。そして見下してきた連中全員に『ざまあみろ、アタシのいるべき場所はここだ』って! ウイナーズ・サークルで笑って見せつけてやるんだから!!」
あの時の彼女の見る影もないじゃないか。そうじゃない。そうじゃないだろ。
ナリタタイシンというウマ娘は、長い間馬鹿にされて負け続けて、それでもあきらめることなく、投げ出すことなく走ることを辞めなかった。そんな孤高のウマ娘だろう。
どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
「タイシーーーーーーン」
気づいた時には叫んでいた。
見ろ。私を見ろ。タイシンの中に見出した牙はこんなとこで折れるようなものじゃない。
あなたが見るべきなのは、地面じゃない。俯いてちゃ、ターフの一番見晴らしのいい場所なんて見えないでしょう?
「ッッ!?」
驚き、彼女が顔を上げる。
見ろ。私を見ろ。私の夢を見ろ。
「タイシーーーーーーン、ぶっとばせえええええええええ」
弓なりになり、体全身で声を出したせいか、酸素が足りない。息が上がる。呼吸が苦しい。けど、最高の景色を見るまで意識は手放せない。
「うるっさ」
彼女がこっちを見る。視線が合う。
見た。私を見た。ここまで来たんだ。勝て。あとは勝つしかないんだよ。
「おかげで、目が覚めた」
タイシンは一度を目を閉じる。そして瞼を開き、ゆっくりと拳を掲げた。
『おい、なんか雰囲気変わったくね?』『なんかやってくれそうな感じあるね』
彼女につられて、観客の流れも変わりだす。気力を絞って拍手をすると、他の観客も拍手をしだす。
――ゲートの中で待機するナリタタイシンは、目を閉じている。
パドックから聞こえる音が止み、隣の息遣いが聞こえてきそうなほど静まる。
目を開けて、正面を見つめる。私はここにいるんだ、とこの場にいる全員に見せつける。
メイクデビューの時間だ。
ゲートが開いた。先頭争いをしている2人に連なり馬群が生まれる。あそこに飲まれれば抜け出すことは難しいだろう。
焦ることはない。最終3ハロン。そこが誰にも譲らせない、自分だけの居場所。それまでは溜めておくんだ。もどかしさもイライラも、一つもこぼさないように、落とさないように。ドロドロと煮詰めていく。
最終コーナーに入った。まだ、後方集団の中。けれど、確信できる。自分の足は十分に動く。大外から直線で一気に差せる。視界も良好だ。
「早く、誰よりも早く!」
甘く見てる奴ら全員に吠え面をかかせてやる。ナリタタイシンの本気を目に焼き付けろ。
見ろ。お前たちは黙って見てろ。瞬き1つしたって許さないから。
溜めた力を一気に解放させる。
『大きく産んであげられなくてごめんね』『あの子、あんな小さい体で走れるの』 『ケガする前に言ってあげなよ』『私たちじゃあ、トレセン学園にいる化け物どもに勝てないんだよ』『もしかしたら自分はトゥインクル・シリーズでも勝てる実力を持っていたかもしれない。そんなもしもを抱えながら生きる方がずっと楽だよ』
「くそが……」
雑音が頭に反響する。喉を締め付ける。呼吸がうまくできない。脚がうまくきかない。
いやだ、あと少しなんだ。
私の居場所まで、もうハナほどもないのに力が入らない。
うるさい。黙れ。と反論したいのに声が出せない。
あと少し、もうちょっとで一番見晴らしのいい場所で呼吸できるんだ。なのに、どうしようもできない。
ああ、現実でもダメなのか。ここまで弱い自分が情けない。
『私はね、あなたに救われたんだよ?』
『自覚がなくて当たり前だよ。私が勝手にあなたを見て救われたんだから』
違う。違う。何も返せてないだろう。たくさんのものをもらったのに、自分は何ができた? まだ、何一つなしてないだろう。
死ぬ気で感情を吐き出せ。呼吸をしろ。一番いい景色をみなきゃいけないだろう。
「はあぁぁぁぁぁぁ」
かけきれなかったスパートをもう一度かける。
動く、私の脚は動くんだ。
入った。ここは自分の居場所だ。
どんどんと、加速し続ける。
「むうりぃぃぃぃぃぃ」
あと2人。
「むりぃぃぃぃぃぃぃぃ」
1人。
「あとちょっとなのよ!」
必死に逃げている。でも、もう無駄だ。
「やっぱり、むりぃぃぃぃぃぃ」
気づけば、一番にゴールの上を走り抜けていた。
声が抑えきれない。
「ざまあみろ」
「ざまあみろ」
「ざまあみろよおぉぉぉ」
ああ、最高だ。
ここはなんて楽に呼吸ができるんだ。久しぶりのこの感覚は何にも耐えがたい。
見たい。ウマ娘の頂点からみた景色はどんなものだろうか。
そこでの景色を見せることができたなら、彼女に少しは返せると思う。今までもらった多くのものを。
――メイクデビュー後、控室。
「よ”がっだねええええええ。ラ”イ”ブも”すっごい”よ”がっだよ”おおおおお」
「わかった。わかったから。そのぐちゃぐちゃな顔で近づいてくるの辞めて。衣装汚れるから……とりあえず、落ち着きなよ」
そうタイシンに諭されて呼吸を整える。
「パドックの前、何かあったの?」
「まあ、ちょっとね」
気になっていた質問。またはぐらかされる。
コンコンコンとノックした後に、扉が開く。
「メイクデビュー、優勝おめでとう。タイシン」
「!?……関係者以外立ち入り禁止なんですが?」
現れたのは白毛のウマ娘。私の敵。思わず身構える。
「いいよ、別に」
「タイシン」
そう言って、タイシンは白毛の彼女をじっと見つめる。
「私は……もしもを抱えて生きるくらいなら、ターフの上で死ぬ」
「……」
「『手足が細い』『体が小さすぎる』『お前じゃ勝てない』……私はそんな言葉を全部背負って走って走って走りぬく。そして頂点に立って、ざまあみろ。私はここにいるんだ、って叫んでやる。……ただ、それだけだから」
舌打ちが聞こえる。
「変わったね、アンタ」
「勝手に友達面しないでよ。アタシは走るのを続けてアンタは立ち止まった。ただそれだけでしょ……傷の舐めあいがしたいならさっさと帰って。私は汚れても傷ついても私が信じた道を進むだけだから」
「くっそ……どうせ私たちじゃ、敵わないんだよ!スピードもスタミナもパワーも全部が生まれた時から違うんだよ!!……それにアンタもさっさと気づきなよ」
「気づいてるよ。でも、それでも勝てるっていうバカがいるから。私はそれを信じて頂点を目指すだけ」
「あっそ……せいぜい頑張ってね」
「あの!白毛のウマ娘さん!」
「どうしたのかなお姉さん」
ぞわりと背筋が震える。なんだこの目の前の生き物は。
先ほどまでの勢いはすっとなりをひそめ、以前と同じような笑みで私に接してくる。それがとても恐ろしくて、不気味だった。
「これ、代金です。たい焼きの」
「あー、そういえばそうだったね。でもごめん。今は受け取れないや。大丈夫。近いうちに受け取るから今はちょっとだけ待ってて」
そう言って、彼女は控室から去っていった。
えええええ? なんですか、この超展開。聞いてない、聞いてないんですけど。え?レース走る前になにか因縁があってすでに解決しちゃってるやつ? なんか私超重要なイベントを見逃してますよね?ね?
「あのさ、トレーナー」
「は、はい!」
突然呼びかけられて、つい大きく返事をしてしまう。
「その……ありがとう。アンタのおかげで勝てた」
タイシンは照れくさそうに首に手を当てている。耳まで真っ赤だ。
「う、うん」
なんだろう。こちらまで恥ずかしくなってきた。
「それでさ、ずっと先の話だけど。私が頂点を取ったらどうする?」
「どういうこと?」
「だから、その……アンタの夢でしょ。アタシを頂点に立たせるってやつ。それが達成できたらどうする?」
「それは……」
タイシンの実力を疑いはしないが、考えたこともなかった。私の夢が達成したあとか……
「考えて……ない」
「はあ?」
「いやいやね? 私の夢ってのはいうなれば長期目標でしょ?短期目標も達成できていないのに、そんなのを考えるなんて余裕はなかったなあ、と」
「はぁ、4歳児だってこと忘れてた」
「24だから!!……でもね、夢が叶った後も、私はタイシンと一緒にいると思うな」
「なんで」
「なんでって……約束したでしょ?私以外をトレーナーにしないでって。私がタイシンのトレーナーじゃなくなったら、タイシン1人になっちゃうでしょ?」
「いや、その約束まで続いてるんだ……ていうかそれ、いつまでも付きまとうってこと?」
「当たり前でしょ。私は、タイシンのトレーナーだからね!!!」
「うっざ……まあ、考えといてあげる」
よかった。満更でもなさそうだ。
「ねえ、タイシン」
「なに」
「メイクデビュー、おめでとう」
「ん」
今日をもってターフに新たな怪物が生まれた。眠れる獅子が目を覚ました。
私たちはこれからも勝つ。勝たなくちゃいけない。
だから、これはほんのささいなプロローグなだけ