蒼き鋼のアルペジオ ーThe blue oceanー 作:酸素魚雷
……ああ、綺麗だ
ゆらりゆらりと揺れ動く海面。
青色、碧色、蒼色。自分の一面に広がる世界は途轍もなく美しかった。それは降り注ぐ光を万華鏡の様に変化させ、絵画の様な美しさを生み出していた。
__古代、生命は海から生まれたそうだが、今自分がいる世界を見ればその考えが分かる気がする。海の蒼が自分を包み込んで行く様な感覚、吐き出した気泡が空へと昇って行く様を傍目に、そんな事を思っていた。
……
自分はもう助からないだろう。
鉄とアスファルトに削られて欠損した左手と両足、へし折れた肋骨が突き刺さり潰れた肺。今の自分の姿は、きっと見るに堪えない有様だろう。
それだけでは無い。人は2リットル以上の血液を失えば失血死するらしいが、
幸か不幸か。脳内麻薬のお陰か、若しくは神経が切断された為か。最早身体の痛みも、息苦しさも感じられなかった。
ただ淡々と心臓が止まる瞬間を__自分の命が尽きる時を待っているに過ぎない。
ただ一つ心思いなのは、自分な死が迷惑を掛けないだろうか?優しかった父と母、兄弟仲の良かった弟、10年単位の付き合いのある親友や友達。彼らに、自分の死はどう映るのだろうか。
父さんにも母さんも、勿論弟や友達にも悲しい思いはさせたく無い。だが、幾ら後悔した所でもう既に遅いのだ。
……
自分は死ぬ。それはもう避けようが無いことだ。こんな状況で自分を助けられるのは神様ぐらいだろう。最も、自分は神様なんて信じた事はない
……
瞼が重くなってきた。身体の感覚なんてとうに無くなっている。自分はもう疲れてしまったのかもしれない。程なくして目の前は真っ暗になった、腕も、足も、身体の感覚は無い、もう眼も見えない。
だが耳だけには、ただ水の流れが聞こえていた。
◆ ◆ ◆
……
__にいちゃん ! あの船は何ていう船なの ? __
__いーじすかん ? わかんないや__
__にいちゃん ! 今日 水兵さんがお菓子俺にくれたんだぜ!__
__何のお菓子かって?気になるの?__
__明日また船を見せに連れてってくれよ ! __
__約束だからな ! にいちゃん ! __
__海斗、父さんまた仕事で帰りが遅くなるよ。悪いけど母さんに伝えてくれるかい?__
__いやぁ……やっぱり自衛隊勤務は色々厳しいねぇ__
__ただいまぁ、何だ海斗その微妙な顔は ? __
__え ? 母さん怒ってるって? そりゃ困ったなぁ__
__海斗、久しぶりに休暇が取れたんだ。家族で旅行でもどうだ?__
__横須賀 ? 成る程、父さんの職場か__
__海斗さん、お父さんみたいに女の人を待たせるのはいけませんよ__
__そうはならないって ? うふふ、頼もしいですね__
__海斗さん ? どうかしましたか?__
__また帰るのが遅れる? まぁ ! 本当にあの人は結婚前から変わりません ! __
__お父さんが休暇を取れた ? あら、珍しい事もあるんですね__
__じゃあ、家族でどこかに出かけましょうか__
◆ ◆ ◆
……ああ、この声は……
それは、酷く懐かしい声だった。
優しくて、暖かくて、安心出来る、そんな声だった。
そうだ。
その声を、忘れる訳も無い。
かけがえの無い日常の1頁、自分が生きて来た人生の1頁。死に瀕していても、自分の家族の声を忘れる訳がない。
だが、それが一層と自分を惨めにさせていた。
先程まで諦めてしまっていた自分が、今は無性に生を欲しがっているのだから。もうすぐ自分の命は尽きる。それだけは絶対に覆せない。そんなことが出来るとすれば、その存在は人では無いだろう。
それでも、自分は尽きていく命に納得出来なくなっていた。
__こんな惨めな最期なんて……嫌だ!
__俺はまだ、何もしていない!
ただただ日常を過ごして来た、与えられる幸せと愛情を感じながらも、それを平然と傍受して来ただけだ。
まだ俺は何も成し遂げていない、まだ俺は自分の人生に意味を見出せていない。身に染みる様な達成感も、ただ我武者羅に突き進む強さも、誰かを想う恋も知らない。
だから死ねない。
俺の過ごして来た人生がこんなにも無意味だったと突き付けられて、黙っていられる訳がない!
だからこそ、死に物狂いで光へと手を伸ばした。
決して届くことは無いと知ってなお、自分は諦めたくは無かった。
締め上げられる様な苦痛が身体を襲った。自分はもう声すら出せない、だからこそ必死に足掻いた。
誰でも良い、この手を掴んでくれる誰かがいるなら、俺は__
『それは本当?』
その声は、突然響いてきた。
鈴の様な凜とした声、優しくも力を宿したその声は、自分の脳内へと直接響いてくる様だった。
水の雑音も、漏れ出す気泡の音も、その声を前にしては何もかもが静寂の中にいた。
その声は続ける、『貴方は助かりたい ? 』と。
その問いを前に、自分に迷いは無かった。
__俺は助かりたい!こんな無意味なまま、俺は死ねない!
『なら、私たちが貴方を助けてあげる。』
それは、最早奇跡と言って良かった。
無我夢中に足掻いた命への執着が、死に掛けた自分を繋ぎ留めていたのだから。
その声は幻聴でも無ければ、脳が最後に起こす走馬灯の産物でも無い。何も確証は無いと言うのに、それだけは確信を持っていた。
少し嬉しそうに微笑むと、『その代わり貴方にもお願いがある』と声は続ける。
__教えてくれ!その対価を!
無我夢中でその答えを求めた。
命の対価など自分には出せない代物かもしれない。だが、もう後に引く気は無いのだ。
そうして、目に見える世界が一変した。
◆ ◆ ◆
一人の少女を見た。
大勢の仲間に頼られ、導き、リーダーだと崇められていた少女を見た。
その少女は全てが完璧だった。
規律を守り、綻びを許さず、ただ仲間のことをひたすらに思っていた。
だが、ある時を境に少女は変わってしまった。
望まぬ変化を受けた少女を取り巻く環境は、一変してしまった。
ある者は少女の変貌に絶望し、ある者は少女に何かの間違いだと問い詰め、ある者は少女を見限り掛けていた。
信頼していたからこそ、信じていたからこそ、その絶望の連鎖は少女を濁流の様に呑み込んだ。
そうして少女は消えていく。
涙を流しながら、少女は暗闇の中へと堕ちていく。ただ一言、『みんなには分かって欲しかった』と、まるで自嘲する様に微笑みながら少女は露へと消えていく。
気が付けば、自分は少女に手を伸ばしていた。
届かないと知っていて、助けられる力も無いと知っていても、諦めることだけはしたく無かった。
そんな自分へ声はただ一言告げる、『苦しんでる ”あの子”を助けてあげて』と。
『目が覚めた時、貴方には力が宿っているから。だから、その子を助けてあげて
何故自分の名を知っているのか。
その問いを投げかける前に、自分は変化していた。
ふと身体に違和感を感じると、喪われていた筈の四肢には銀色の砂の様な物体が集まっていた。
欠損していた身体が再構築され、喪われていた五感を取り戻し、自分の身体は元に戻っている。否、全く別の物に作り変えられていた。
そんな自分の前に、一つの物体が現れていた。
潰れた形の円盤に7つの小さな玉がついた蒼の物体。そして中央には錨の様なマークが描かれ、手に取れば質感は金属なのに恐ろしく軽い。
そして金属塊を中心に次第に強くなる心臓の鼓動の様な感覚、何か違う存在へと自分が生まれ変わるかの様な感触が身体を駆け抜けた。
『新しい身体と心臓は大切に使ってね。これから後は貴方の頑張り次第だから』
まるで機械の電源が落ちた様に、意識が遠くなっていく。頭と身体が重い、もう疑問を問い掛けることすら出来ない。
だが、このままではいられないと、海斗は力任せに瞼を開いた。
その瞳孔に、その影はクッキリと写っていた。
ガッシリとした船体と重厚な雰囲気を漂わせる構造物、甲板上には数多の多連装砲が散りばめられ、船体の至る場所に侵蝕された様に蒼光が走っている。
そうだ、自分はこのシルエットには見覚えがある。天守閣の様に聳え立つ艦橋も、蜂の巣の様に散りばめられた高角砲も、見る者を威圧する46cm艦砲を束ねた主砲塔も。
それは、その生涯にて一度も力を振るうこと無く海へと没した悲運の戦艦。
それは、狂気的なまでに重装甲大火力を極めた洋上に浮かぶ黒鉄の城。
それは、旧帝国海軍がこの世に生み出した大鑑巨砲主義の頂点。
「戦艦……大和」
やってしまいました。
感想や評価お願いします!
更新は多分凄まじく遅いです。
2016.6.14改訂