蒼き鋼のアルペジオ ーThe blue oceanー 作:酸素魚雷
「1996年から2006年にかけ西南極氷床の融解率が59%加速、深刻な海面上昇の懸念が強まる……か」
各種設備が備えられたアイオワ艦橋で海斗は椅子に腰掛けて浮遊画面の情報を読み上げていた。
アイオワ艦橋にある通信設備と自身のコアによる演算能力を用いて行ったハッキングによって手に入れた膨大なデータの一欠片だ。
ハッキング目標は日本とアメリカの生き残っていた中枢ネットワークの全て。海斗は痕跡も残らない様に行ったハッキングの結果を自分の目に通していた。
最初に読んだのは環境関連のデータだったが正に唖然の一言。
自分の世界でも環境破壊の危険性の指摘は幾度と世界中で繰り返され、ツバルを初めとする数々の諸島を例に挙げた海面上昇の危機なども世では囁かれていた。
しかしそれらの環境の変貌はあくまで”未だ”起きてはいなかった。
だが、この世界ではかなりのスピードで環境が変貌していたようだ。
「道理で沈んだ島や街が多い訳だ、ハワイ島の水面下にも市街地らしき場が広がっていたのはこう言う訳か」
以前のハワイ島でもそうだった。
アイオワが押し入った湾内の底には朽ちて沈んだ船の残骸の山以外にも住宅や道路だったものが所狭しと広がっていた。
少し遡るならば逃亡時にはカメラ越しに海底に朽ちる不気味な街などもイヤと言うほど目にした。
今見ている現実が環境破壊に歯止めが効かなくなった元の世界の未来なのかもしれない、そんなことを考えていれば資料探しを手伝っていたティエラが次のメモリを運んで来てくれた。
「はい、私達霧が起動した時点でもかなりの諸島群が海に沈んでいました。まあ私達は艦艇ですからこれと言った不都合はありませんでしたが」
そう言って次の資料を運んで来てくれた、さっきの資料に集中していた為かデータ送信ではなく直に持ってきてくれたようだ。
「ありがとう、ティエラ」
「どういたしまして、海斗さん」
ティエラに手渡された次の資料はアメリカ国防総省の内部データ。
かなり厳重に閉ざされていたデータだったが、一度ハッキングを掛ければデータを守る防壁は5秒と持たなかった。
軍事大国アメリカの防御ネットワークが僅か数秒で陥落したのを目の当たりにした時には改めて霧の規格外さを思い知らされたものだ。
受け取ったテキストからは霧の文字が幾つか見えた、つまり以前フィジー島でアイオワが見せてくれたあの戦闘の記憶の意味をこのテキストから読み取れると思い、海斗はデータへ指を掛けた。
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2007年
Underwater Express 計画
新型潜水艦建造の為、試験艦を建造していたことを公開、海中速力110ktを達成。
2012年
ロシアの「VA-111 シクヴァル」を祖とするキャビテーション魚雷に高精度と誘導を可能とした「スーパー・キャビテーション魚雷」が各国で配備され始める。
雷速は250ktを突破、それまでの戦闘艦は一気に旧式化し各国海軍は戦術の根本的な見直しを迫られる。
また同年より世界中の海域にて「幽霊船」の目撃談が相次ぐ。
気象的にはあり得ない状況にも関わらず霧が発生し、その姿は第二次世界大戦時の戦闘艦に酷似しているとのこと。
その後通常弾頭魚雷は全てが「スーパー・キャビテーション魚雷」へと移行。雷速は300ktを超え、海上及びに海中の戦いは一変。
一部艦艇を除いてほぼ全ての戦闘艦が更新され艦艇の極端な大型化や小型化が進み、試行錯誤の時代へと突入。
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(こっちの世界はまるで違う……)
目が眩む様な資料だ。
しかしそれはこの世界が辿って来た軌跡、事実には変わらない。
しかし次の資料である2038年の項を開けた時、自分の追い求めていたであろう情報が書き込まれていた。
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2038年
自国海域を侵犯したとしてロシア海軍の哨戒艦隊が「幽霊船」に発砲。
後に「幽霊船」からの一方的な攻撃がロシア艦隊に対して始まりロシア艦隊は全滅。
生存者無し。
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ここでアイオワの見せてくれた記憶との繋がりを見出すことが出来る。
そしてこの後には人類を海洋から駆逐した壮絶な霧との大海戦の情報が載っているであろうことも海斗は理解した。
(なんだ…… ? この寒気は)
データを見ようとした時、海斗は生身の身体では無いはずなのに背筋が凍りつく様な感覚に襲われる。
__大海戦についての具体的な情報は知らない、精々知っているのは霧が戦った理由と人類が敗北したことのみ。
だがアイオワとの記憶の共有によりその当時の戦闘自体は目の当たりにしたのだ。
否、最早大海戦は戦闘でも、敗北の一文字でも表せない程の一方的なまでの霧による虐殺だった。
あの大海戦によって一体どれ程の船が沈んだのか、それを想像する度に恐怖が海斗の決断を鈍くさせていた。
「海斗さん……大丈夫ですか ? 」
振り向くとティエラが心配そうな表情を自分とデータに向けていた、物が物だけにその心情はすぐ様理解出来た。
「……ティエラ。大丈夫だ、ありがとう」
落ち着かせる様にそう呟く、その言葉はティエラだけに対してではない。
(馬鹿馬鹿しい。俺は何があってもアイオワに対して疑心暗鬼にならない、出会った時からそう決めたのに何を迷ってるんだ……俺は)
ここで迷う訳にはいかない、あの時アイオワに付くことを海斗は決断した。
彼女達霧と人類との戦闘の情報を見ることに戸惑いを感じているのならば心の奥底で彼女達を疑っているのと同義なのだ。
自答を行い落ち着いた頃、テキストを開いた。
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ロシア艦隊全滅後の報せを受け、世界的に「幽霊船」に対しての警戒感が高まり各国による調査が行われるも正体は不明。
そして同年12月を境に「幽霊船」は各国の戦闘艦を襲い始めた。
2039年
世界各国海軍における平均艦艇損失率5%を突破、ついに各国は「多国籍艦隊」の結成を決意。
この頃から「幽霊船」は常に霧を纏う姿から誰ともなく「霧の艦隊」と呼ばれるようになった。
幾度かの小・中規模の海戦が行われるが全て人類側の敗北に終わり、残存艦艇を集結させた「最終決戦艦隊」を編成。
各海域の「多国籍艦隊」が指定集結海域に集結、霧の艦艇群が強襲。
なしくずし的に「大海戦」へと至る。
海戦は2日間もの間続き、人類側の艦艇損失率は70%を突破。
死傷者数は60万人を記録した。
同年、霧による海洋封鎖網が完成。各海域には霧の封鎖艦隊が巡航する様になり陸地を除く凡ゆる洋上、航空移動は不可能と判断される。
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艦艇損傷率70%及びに死傷者60万人
大量の死傷者を出す例で言えば、この場合の比較対象は戦争だ。
”人間同士の大戦”で代表的な第一次世界大戦は軍民合わせ約3700万人、第二次世界大戦は軍民合わせ約8500万人の死者を出した。
それらの数字から見ればこの60万人という数は小さく見えてしまうかもしれない、しかし現代海軍を例にとって考えればこの数字が持つ衝撃は大き過ぎた。
現代では10000tクラスの駆逐艦や巡洋艦を操るのに必要な人員は僅か200人や400人程、空母などの一部大型艦艇は例外であるものの基本的にごく少数の人員で動かすことができる。
しかしその為には兵一人一人の質の向上が不可避であり、年月を重ねるにつれ海軍は一人の兵士を育てるのに従来より莫大な手間と費用を要求される。
自分のいた時代ですら海軍にとって手塩にかけて育て上げた兵士は貴重な存在。
それなのに、あの大海戦では最終的に60万人の人員と保有艦艇の70%が失われたのだ。
莫大な費用を必要とする故に浮かぶ国家予算などと比喩される海軍力、その海軍を人外の敵である霧相手に根刮ぎに等しく失った時の国家にのし掛かる経済的損失。それを考えれば如何に大海戦の敗北が大きいかが伺える。
だが、遅かれ早かれこの虐殺に等しい戦闘は避けられなかったことだろう。
中世の海洋進出以来、人類は大洋を自らの欲しいままにしてきた。
ポルトガル、オランダ、スペイン、そして大英帝国やアメリカ合衆国。
広大な海洋を制覇し、世界の覇権を握った国家は人類の歴史の中でも多数存在する。
そんな歴史を歩んできた彼らの目の前に我が物顔で海を彷徨う正体不明の存在がふらりと現れたとして、彼らは大人しく海洋を明け渡しただろうか?
__否、人類にそんなことは出来ない。
データを見るに、ロシア艦隊からの最初の攻撃を戦線布告と取ったのか、或いは防衛システムに従って人類を排除の対象に指定したのか、何方にしても霧と人類双方にとって戦端はなし崩し的に開かれたのだろう。
たが、仮に人類がアドミラリティ・コードの内容を知っていたとしても彼らは抵抗し、簡単に霧に海を明け渡すことを良しとはしなかっただろう。
しかし、人類が知っていようがいまいがその行為は霧の勅命であるアドミラリティ・コードの遂行を阻む列記とした妨害であり障害。
故に彼らは霧を知らなさ過ぎたのだ。
霧が人類の科学力、軍事力の双方を遥かに上回る力を有していたことも、仮に未完の勅命だったとしてもその障害を霧が全力で叩き潰し、排除するということも。
(なんだかなぁ……人間ってのは無力なんだって突きつけられてる気分だ)
今までのデータを読み漁り、海斗はそんな独り言を内心呟いた。今の人類の置かれる状況は途轍もなく悪いことを再認識させられたのだ。
__霧による海洋封鎖、沿岸部などを含めた大洋全域かどうかは不明だが、恐らく船舶関連は全滅だろう。
もし艦船で海に出ようものなら巡回している霧の駆逐艦や巡洋艦が捕食者の如く群がり、航空機も霧の防空システムの前では動く的にしかならない。
人類にとっての地獄は海に出られないだけではない。
原油や石炭などの化石燃料、鉄鉱石やボーキサイトなど工業に欠かせない資源、国民を食わせていく為の各種食料など船舶輸送に頼っていた既存のインフラシステムの崩壊。
膨大な工業力と資源を併せ持つアメリカ、ロシアや中国などの広大な国土を有する国、その他南米や東南アジアなどの食料生産地はまだ幸せだ。
それらの存在しない国家、つまり生きていく為のほぼ全てを輸入に頼っていた日本を始めとする多数の海洋国家はそうはいかない。
「さしずめ、第二次大戦時の通商破壊の二の舞か……想像するだけで恐ろしい」
米潜水艦の行った通商破壊により甚大な被害を受けた旧帝国日本、独海軍のUボートの輸送船狩りによって極限まで締め上げられたイギリス。
今の人類の現状を見てそんな二国が海斗の脳裏に浮かんだ。
「第二次大戦の通商破壊……敵国への経済的負担を目的とした潜水艦や小型及びに中型水上艦を使用した輸送艦艇撃沈のことですか ? 」
独り言の答えの方に振り向くと、データの環を漂わせたティエラがそこにいた。
「堅苦しく言えばそんな感じだ。だが、あの大戦から1世紀たって世界規模でこんなことが起きるなんてな。でも__」
「でも ? 」
艦橋の椅子に深くももたれ掛かりながら話を遮った海斗。
そんな海斗に'でも”何なのかとティエラが首を傾げる。
「いいや、何でもない。忘れてくれ」
不思議そうに此方を見つめるティエラに向かって海斗は小さく呟いた。
__でも、今度もなんだかんだで人間は乗り切れるんじゃないかな。
現状、置かれた立場からして楽観的に物事を観れる自分、その口から出ようとしていた無責任な言葉を海斗は慌てて引っ込めたのだ。
(戦争もシーレーンの封鎖も経験していない自分が何を語ってるんだか……)
自分でも今の状況は理解出来る、しかしその事実を突きつけられでもしない限り、現実を味わうことは出来ない。
実際に戦場に立たされる兵士が見る光景とテレビカメラ越しに移される戦場の映像は決してイコールではないのだ。
現在は2053年、あの大戦から13年程経ったとはいえ人類の立て直しは相当厳しいと予想できる。
彼らにとって幸いなことにアドミラリティ・コードの制約上、一部の例外を除いて霧は陸地へと攻撃することは出来ない。
しかし”勅命”を知らない人類からすれば霧が陸地に牙を向いた時の事を考えずにはいられないことだろう。
いつ来るかも分からない恐怖は疑心や混乱を生み、最後には味方同士でさえ争う羽目になる。
しかし、それは人類に限った話ではない。人類と敵対している霧もまた、一枚岩では無いのだ。
それは逃亡を経験したアイオワや自分を含め、太平洋艦隊の多くが分かっていることだ。
自分はアイオワについて行くと決めた。
旗艦より追放されていたアイオワは艦隊旗艦の座に再び着き、ノースカロライナやサウスダコタを含め半逆を行った霧はアイオワの事を認めており、両艦による2度目の半逆があるとは考え難い。
しかし、これから訪れるかもしれない戦闘の相手が霧では無い保証など存在しない。
そんな現実を改めて突きつけられた海斗は憂鬱そうに電子テキストを閉じた。
リアルでの事情が忙しく、3ヶ月近く遅れてしまったことをお詫びします。