蒼き鋼のアルペジオ ーThe blue oceanー 作:酸素魚雷
「エセックス、アイオワ達が来るのは何時だったかしら?」
靄のかかった早朝の冷えた海に気怠そうな声が響く。
机周りに散らかされた標本や図鑑、研究資料や顕微鏡を押し退けて、白磁の様な白い手がコーヒーカップを求めて彷徨う。
「あ…」
そうこうしている内にドサッという鈍い音と共に本の山が崩れ、声の主が姿を現わす。
だぼっとした服装に学士の着るローブを羽織った姿。
長く伸び過ぎた髪はシンプルな2つのシュシュで纏められ、気怠く憂鬱そうな表情を浮かべた鼻先のソバカスが特徴的な少女。
『5日と23時間12分後、とは言っていたわ、レックス』
その声を聞いて、少女の気怠い
「っぷは。…そっか了解、後大体6日ね。
直ぐそばにあったコーヒーを飲み干すと、気怠い眠気を吹き飛ばす様に少女は高らかに叫んだ。
その声に答える様に、斜めに日が差し暗かった部屋は、次第にモニターやキーボード、電子機器や動力装置の駆動音で明るく、騒がしくなっていく。
ある程度それが高まった時、少女とその私物を載せていた床は”動き出した”。
床の一部だった場所は、T字の形に浮き上がり、両端の壁面を擦る様に上昇していく。
そしてある程度上がった時、頬と髪を朝一番の潮風が撫で、ツンとした海の匂いが少女の鼻を擽り、右手に見える複雑な造形をした
(これもメンタルモデルの成せる利益ね)
無駄だとは分かっているのに感傷的な気分になる。
憂鬱そうな気分は未だに拭えないが、この気分と景色だけはいつ味わっても飽きることは無い。
決して少なくは無い演算能力のリソースを裂かれるメンタルモデルだが、副作用的なその価値は十分にある。そう少女は改めて評価を上方修正した。
『お目覚めは如何かしら?”レキシントン”』
「ええ、悪くないわ。
スラッとした細長い船体に
広く平坦な甲板と、その下部の舷側に所狭しと設けられた防御火器。
前後に複数の4連装機銃を積載し、巡洋艦に似た巨大な箱型艦橋と其れすらも越えてそびえ立つ城の様な
海域強襲制圧艦 レキシントン
それが少女の名であり、また
そしてレキシントンの視界には左舷よりゆっくりと接近して来る
レキシントンに比べれば幾らか控えめな、しかし連装高角砲塔4基を前後に備え、洗練された印象を見るものに与える
甲板側面に測った様に防御火器が並べられ、定規の様に規則正しく伸びた甲板とその下部の
それは灰色の船体に紫色のバイナルパターンを浮かべた
近くに来るに連れて速力を落とし、右舷からの重力子の噴出調整によって此方の舷側スレスレに船体を寄せる。
そうしてエセックスの艦橋からレキシントンの甲板上に1つの人影が軽やかに飛び移ってきた。
「そう、それは何より。私としても良かったわ」
少し古い時代の議員や裁判官に似た、紫の霧の紋章が描かれた黒色のロングコートと、対比する様な純白色のロングパンツと焦茶色のブーツ。
赤色の2つの
穏やかで女性らしい話し方とは裏腹に、何処か規律染みた雰囲気も醸し出す少女。
「ええ、心配ありがとエセックス」
「それほどでもないわ、レックス」
海域強襲制圧艦 エセックス
又の名を
基準排水量27.100t、全長270.7m、全幅は甲板を含んで45mという平均的な霧の大戦艦級を超える巨大な船体を持った
艦種として砲戦による打撃力の欠如が珍しくない海域強襲制圧艦で有りながら、駆逐艦や下位の巡洋艦を圧倒する砲熕兵装を有しており、防御火器も下位巡洋艦を圧倒する数を積載。
重力子機関の最大出力は大戦艦を軽く上回り、そして何より対艦・対潜攻撃や艦隊支援、偵察まで幅広く熟す100機近いユニットを同時に管制制御可能な高い演算能力を彼女は誇る。
そして創設時より戦力の増減が著しい第一巡航艦隊で、変わらずベーリング海にて旗艦を引き受けているのがエセックス級海域強襲制圧艦のネームシップであるのが彼女なのだ。
__ベーリング海。
カムチャツカ半島とアラスカに挟まれた、太平洋北部に存在する凍てつく北の海であり、付近のアリューシャン列島には大戦時においての
そしてここは霧の太平洋艦隊にとってのナノマテリアルの貯蔵庫であり、同時に余剰となった艦隊戦力の預け場所でもある。
その戦略拠点の守りの任に付いている霧こそ、第一の巡航艦隊たる
第一巡航艦隊は、戦力的に見た場合の艦隊の規模としてはそこまで巨大な艦隊では無い。
大小合わせて18隻の海域強襲制圧艦群に巡洋艦と駆逐艦、そして少数の潜水艦で構成された42隻の2個護衛艦隊を含めた総数60隻の中規模艦隊である。
もっとも、この数の少なさは人間への脅威度と艦隊運用の余裕の無さの現れであり、今のところ大した障害は起きていない。
しかし、普段なら貯蔵庫の防衛と最低限の洋上哨戒のみに留めていた第一巡航艦隊は何時にもなく騒がしい。彼女達にとって、今は大海戦以来の任務を預かっている時間でも有ったのだ。
「それにしてもノースカロライナとサウスダコタ相手にアイオワが勝つなんてね、負けはしないだろうと思っていたけど…」
「うふふ、”万一”アイオワが負けた場合、デルタコアの保護から身柄の引き渡し、船体の再構築に挙句の果てに太平洋艦隊総出であの2隻の糾弾の手筈まで整えて居たのは一体何処の誰だったかしら?ねぇ、レックス?」
「煩いわね、それは貴方も同じ…いや、貴方はそれ以上でしょエセックス」
うふふ、と柔和な笑みを浮かべながらレキシントンを揶揄うエセックス。
”やっぱり旗艦は腹黒いわ”などと思いながらもレキシントンは口には出さない。言ったところで誤魔化されて無駄になるのは既に何度か経験済みだからだ。
大戦艦ノースカロライナと大戦艦サウスダコタが大戦艦アイオワに対して艦隊旗艦返上を名義に起こした紛争は、少なくとも荒立った抗争をしてこなかった霧の太平洋艦隊に途轍も無い波乱をもたらした。
アイオワ以外の霧を艦隊旗艦と認めない者、霧の改革の為に新たな艦隊旗艦を欲する者、傍観に徹して唯々様子を探る者。
直接的に手を出す者こそ居なかったものの、その時期の太平洋艦隊は分裂を起こしたとしても不思議ではない、それ程の有様だったのだ。
故に直接的に手を出す事を控えた霧達は、両者の決着の後に行動を起こす事にした。
そしてエセックス率いる第一巡航艦隊も関係の無い話では無い。
アイオワを旗艦と見なす派閥の中心的存在の2隻であるエセックスとレキシントン級2隻率いる第一巡航艦隊は、アイオワが勝った場合も負けた場合も、極力太平洋艦隊のその後に波風を立てぬようにその手筈を整えていた。
前者ならば被害を受けた艦艇の修理を速やかに、そして一手に請け負い、損害を種にアイオワを糾弾しようとする派閥の霧の押さえ込みをする。
後者ならばアイオワのコアを保護した後、派閥の霧によるノースカロライナとサウスダコタへの糾弾を行い、短期間で2隻を引き摺り下ろす。
その際、艦隊再構築のナノマテリアルは一切供給しないという半ば恐喝に近い手段も準備の中には存在している。
武力に訴えた旗艦返上をしたのだから、それぐらいされても文句は言わせない、アイオワ以上に不器用な霧が上に立ったとして果たして何ヶ月旗艦が務まるものか見ものだ。
どうせ2週間も持ちはしないだろうが、と。
レキシントンの場合はこれよりもまだ幾らかの温情のある考えだったが、エセックスの計画は上記の様に果てしなく黒かった。
もしアイオワとの決着にノースカロライナとサウスダコタが勝利した場合、まず確実に逆上するやり方である。
この考えを、少なくともエセックスは全く悪くは考えていない。自身をアイオワの信者だと自覚していて尚止めない彼女からすれば、言うまでもなく正統手段なのだから。
「これじゃあ貴方、いつかアイオワ至上主義者だなんて詰られるわよ」
自分を揶揄っていたエセックスに、嫌味の意を込めるレキシントン、しかし帰ってきた反応は薄かった。
「否定はしないわ、レックス。現状、霧の太平洋艦隊はアイオワ以外の誰が治めても碌な事にはならないでしょう。”貴方や私も含めてね”」
その答えに、レキシントンの表情は若干ムッとする。
しかしそんな時、概念伝達の通話が2人の会話を遮った。
『旗艦エセックス、通常哨戒ルートより南東
レキシントンとエセックスの目の前に現れたデータ画面から聞こえた感情の起伏に乏しく感じる様な脈絡の無く、それでいて無駄の無い報告だ。
「サラトガ、他に情報はあるかしら?」
サラトガと呼ばれた声の主は、考える様に一呼吸置いてから報告を続けた。
『……速度と飛翔高度、自艦のレーダーが捉えた機体形状より米海軍所属の
グライダーの様に後退した長く広い翼。
カメラと観測機器を腹に抱えた細めの機体、そして機体後方に据え付けられた2基のジェットエンジンが特徴的な操縦席の見当たらない灰色の航空機。送られてきた画面に映っているのは現在接近中の無人偵察機だった。
その上での報告の補佐の為か、画面の隣にはサラトガの陣形を中心にした緑色のレーダーマップも表示されている。
右下から、艦隊のいる中心に向けて接近してくる光点がその偵察機なのだろう。
「最近多いわね。いいわよ、サラトガ。旗艦より撃墜許可を出します」
『了解、旗艦エセックス。
短く区切られた声と共に、レーダーマップの中心から4つの三角マークが光点に向かって伸びていき、そして20秒程経った時、光点に4つの三角マークが重なった。
『着弾、無人偵察機の撃墜を確認。旗艦、破片と残骸の回収は如何しましょうか?』
「いいえ、残骸の回収はいいわサラトガ。哨戒任務に戻ってくださいね」
『……了解した』
1分も経たない内に終わってしまった障害。レキシントンは妹の手際の良さに唯々感服するだけだが、エセックスは何処か思うところがある様に悩み始めた。
「……私達が警戒態勢に入ってから今日で6機目。無人機とは言え撃墜されて喪失するのを承知で飛ばしてくるのね、強行偵察といい今までには無かった要因だわ」
「でも逆を返せば、貴重な機体を使い潰してでも霧に関する情報が欲しい。それだけ人間達も私達霧を警戒しているということではなくて?」
「……貴方の言う通りかもね、レックス」
その答えにある種納得した様な素振りを見せるが、レキシントンの言う通り、結局のところ何処の国も大海戦以降皆衰退し、生き残る事に皆血眼になっているのだ。
欧州では3度目の大戦が起こり、中国やロシアなどの比較的国力に余裕があるユーラシアの大国がさらなる勢力圏拡大を目論み、これに介入する気は満々。
しばらく収まる事はなく、欧州の没落は約束されたも同然だろう。
反対に人類同士の戦火から逃れられたイギリスや日本を始めとする諸島国家は、霧の通商破壊と海域封鎖によって国家破綻を通り越して国家崩壊寸前。国と政府を保たせているのが奇跡な程であり、政府の懸命さと必死さが伺える。
そしてその皺寄せは唯一無二の超大国アメリカにも襲いかかった。
膨大な国力と地球上最強の軍事力を持っていた国は、ゆっくりとした安楽的な崩壊の道を歩んでいる。
異常気象による未曾有の災害や凶作、外界との途絶という不安、経済と社会の衰退。
多民族国家故の一部人種の暴走、革命を願い急速に膨張する共産主義勢力のシンパ、政府転覆を企む宗教過激派やテロリスト集団、そして未だ嘗て人類が出会った事の無かった”霧”という絶対の敵。
全ての要因が内外からアメリカという、崩壊する筈の無かった国を蝕んでいた。
それらはゆっくりと、然し確実に、一つの超大国を死刑台へと歩かせているのだ。
「敵とは言え人間も大変ねぇ」
「それは私達も言えたことではないわよ、レックス」
「それもそうね」
明日は我が身、という訳では無いが現実的にメンタルモデルの実装によって霧も人類と似たような状況に陥ることは十分想定されるのだ。
ある意味で、アイオワ達が巻き込まれたのはそのデモンストレーションだったのかもしれない。
「……ところでエセックス、今日の哨戒任務には
重々しい話題を変えようと思ったのか、仕切り直しと言わんばかりにレキシントンかエセックスに話題を振った。
「キャンベラとクインシーに哨戒艦隊の旗艦を任せて1個艦隊ずつ持たせてるわ。日が落ちるまでには帰ってくるでしょう……多分」
「キャンベラ達が出てたのね。道理でここが静かだと思ったわ」
「……」
キャンベラとクインシー、ボルチモア級重巡洋艦の2隻の名前が出た時、再びエセックスの口が閉じた。
そして数秒の沈黙の後、皮切りの様にレキシントンが呟いた。
「……絶対帰って来ないわね、あの2隻」
「……クインシーとキャンベラが日が落ちるまでに帰って来ないに、重高圧弾頭8発と侵蝕魚雷4本賭けてもいいわよ?レックス」
「止めなさいよエセックス。あの2隻が鯨や鯱を追いかけて2日帰って来なかった前科有りとはいえ。あと、大体私も積載定数以上の魚雷は要らないわよ」
ボルチモア級の2隻、キャンベラとクインシーに対して、あまりいい思い出が無い為か苦笑するエセックス。
ただ、海豚や鯨、鯱にアシカと自分達霧以外の海の存在。即ち海生哺乳類への珍しさからなんでも追いかけて艦隊から外れた前科持ちの2隻に対しては妥当な判断なのかもしれない。
彼女達2隻が第一巡航艦隊の固定メンバーとなりつつあるのも、きっとそれらが原因なのだろう。
「ボルチモアの方は至極まともなのに、あの子達も変わっているわ。まあ、私もだろうけれど」
「でもエセックス、それがメンタルモデルというものではなくて?」
姉であるボルチモアはメンタルモデル形成以前から旧旗艦艦隊の中で優秀な霧の重巡洋艦として有名だった。
メンタルモデル形成後も誠実で難なく仕事を熟る優秀さは変わらず。
もっとも、艦種も速力もバラバラな逃亡艦隊を、殆どアドリブに近い状況から無傷で逃がせている時点で彼女が優秀なのには変わりないのだが。
「それもそうね、レックス。貴方偶にはいいこと言うじゃない」
「”偶には”が余計よ」
「あら、ごめんなさい」
うふふ、と最初の様に誤魔化してくるエセックスを傍目に出そうな溜息を抑えるレキシントン。
アイオワが来るのは全く無問題だが、ボルチモア級の2隻といい、人間の行動といい、目の前の腹の黒い上司といい、etc、etc、etc。
憂鬱で気怠く、今だって何時もの様に褒めた様にエセックスに揶揄われてるだけ。
その筈なのに、レキシントンにとってその朝は何故か清々しかった。
人物紹介 Fog-4
海域強襲制圧艦 エセックス
エセックス級海域強襲制圧艦のネームシップであり、所属艦隊はFleet-01。その中で第一巡航艦隊の艦隊旗艦を創設時より務めている古株。
13年前の大海戦時において、アイオワの指揮する艦隊にいた1隻であり、同時に自他共に認めるアイオワ至上主義者。
外面的には柔和な雰囲気を漂わせるエセックスだが、皮肉や誰かを揶揄ったりすることが多く、ボルチモアやレキシントンを含め面識のある少数の霧には、船体も黒ければやる事も腹黒いと詰られる事もしばしばある。
霧としての能力は性格とは裏腹に大変高く、自分以外の海域強襲制圧艦、その他通常型の駆逐艦や巡洋艦などの洋上艦を支援。
演算負荷の請け負いや自艦の艦載機ユニットを使用した、捻くれ屋な本人の性格が滲み出ているかの様な濃密で絶え間の無い三次元的な立体波状攻撃を得意とする。
メンタルモデルの容姿は、裁判官に似た紫の霧の紋章が描かれた黒色のロングコートと純白色のロングパンツと焦茶色のブーツを着用している。
髪型はボルチモアと似ており、柔らかなライトグレーの髪を赤色の2つの
しかし、穏やかで女性らしい見た目や話し方とは裏腹に、本人の中身は何処までも真っ黒である。
船体データ
全長270.7m
全幅45.0m
満載排水量36.380t
速力
水上/海中
105kt/85kt
巡航速度
60kt
主機
重力エンジンS型296基
コア
G-1 シングルコア
武装
連装5inchアクティブターレット4基8門
単装5inchアクティブカノン4基4門
40mm近接レーザー防御システム68基
20mm近接レーザー防御システム65基
艦底部魚雷発射管128門
VLSセル384基
艦載機型遠隔操作ユニット 99機
(常備格納機体90機 補助格納機体9機)
Type F6F 36機
Type SB2C 36機
Type TBF 27機
《Unknown》
《Unknown》
船体カラー
灰色
バイナルパターンカラー
紫色