アグネスタキオンがトレーナーに語る、彼女が出会った「怪異」の物語。
夜のトレセン学園を疾走する”たかたったさん”の正体とは――


・ウマ娘二次創作企画「アグネスタキオンは走らない」参加作品です。
・設定等はゲームアプリ版を元にしています。
・『岸部露伴は動かない』を意識した作品です(クロスオーバー要素)。
ただし、岸部露伴要素は物語の構成と一部台詞回し以外にはほぼありません。

・ダスカかわいい。ウオッカもかわいい。

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エピソードU=ma2 “たかたったさん”

 ま……知ってる者が多かろうが少なかろうがどうでもいいことだが、私の名はアグネスタキオン。ウマ娘だ。

 

 

 ――なんだって? よく知ってる? 急にそんなことを口走るなんて、いったいどうしたとでも言いたげな表情だね、トレーナー君。

 いや何、別に大したことではないよ。君が研修会で学園を離れているこの5日間のうちに、ちょっとした事件があってね。研究者として興味深い事象だったので首を突っ込んだんだが、その顛末に対する君の意見を聞きたいんだ。さっきのは、その話の前置きのつもりだったんだがね。

 

 ああ……ククッ、大丈夫さ。そんなに心配しなくても、誰も怪我なんてしていない。事件としては、本当に小さなものだったんだ。しかしどうにも……そうだな、最近の私の研究対象が情動と、それに伴う身体反応にあるという話はしただろう? そのテーマにも深く関わってくるんだよ。常に多彩な情動的反応をみせる君の解釈を聞けば、あるいは何か成果に繋がるかと思ったんだが……。

 

 おお、そうか! トレーナー君ならきっとそう言ってくれると思っていたよ。

 しかし君も、研修先から戻ってきたばかりでさぞ疲れていることだろう。さあここに座って、私の話を聞くついでにこの紅茶で一服したまえ。さあさあ! ……うーん、相変わらず迷いのない飲みっぷりだね。うん、なんの薬が入っているのかって? やれやれ、私にだって優秀な実験体を労う程度の社会性はあるんだよ? そう身構えなくても、その紅茶には薬なんて入れていないさ。薬はね。

 

 

 さて、話の発端は3日前に遡る。君が学園を離れている間、私は基本的にこのトレーナー室のスペースを使って、目を通せていなかった先行研究なんかを片づけていたわけだが……自主トレーニング以外の時間を無為に過ごすのもと思って、私なりの情報収集というのも並行して実施していたんだ。機会でもない限りなかなか他の学生の個人情報は得られないし、ひょっとして見落としていた研究対象を発見できるかもしれないからね。

 

 そういうわけで、その日はスカーレット君を誘ってこの部屋でお茶をしていた。いや、本当にただのお茶だよ。特別なハーブを5種類ほどブレンドしてあるから、一般的なハーブティーよりは多少リラックス効果が強烈かもしれないが。モルモット君は「麻酔分析」という単語に聞き覚えは? ないなら結構。

 

 とにかく、かなり気を張った日常生活を送っていると思しきスカーレット君にはぜひ緊張を和らげて、ざっくばらんな話をしてもらおうと思っていたんだがね。お茶の投与から13分経過した頃、薬理作用によって意識的な抑制が薄れたのか、はたまた半覚醒状態に近づいたのか、何気ない世間話を切り出すように、彼女がぽろりと言ったんだ。

 ああそうだ、ボイスレコーダーに記録がある。当時の音声を再生してみよう。

 

 

「……あの、タキオンさんは“たかたったさん”の噂って聞きました?」

「たかたった? ふぅン、聞いたことがないな。なんだいソレは?」

「今、中等部で噂になってる……怪談みたいなものなんです。その、アタシは信じてるわけじゃないんですけど」

 

 普段歯切れよく話すスカーレット君には珍しいこの物言いに、私は興味を持った。詳しく話すように促してみると、彼女はお茶を一口啜ってから、こう続けたんだ。

 

「トレーニング用のコースの傍に、シャワールームがありますよね。ちょっと古い設備だけど、練習場に近いから人気の、あの建物です。最近、夜になるとそこの廊下を幽霊っていうか、妖怪っていうか……とにかく何かヘンなものが、ものすごいスピードで走ってるってみんなが噂してて」

「ヘンなもの、ねぇ。薄暗い廊下だ、急いでいる誰かを見間違えただけという可能性は?」

「アタシもそう思ってたんですけど、何人もの子が別々の日に、その“何か”を見かけたって言うんです。しかも話によって、その何かの姿が変わってて」

 

 廊下を疾走する謎の存在の外見を、ある者は見知らぬウマ娘だったと話し、またある者は四足歩行の小動物だったと話す。またある者は、長い脚を伸ばして地を這い進む、新種の生物だったと語る――

 

 目撃情報の食い違いなどというのは、生理的錯覚などを考慮してもさして珍しいものじゃない。だがここまで大きく異なるというのは、身近ではなかなか珍しい事例だ。私はさらに興味を持った。

 

「それで、“たかたった”という名の由来は?」

「その何かが走っていく時の足音らしいです。蹄鉄シューズを履いて走る時みたいな音が必ずするから、って。誰が最初にそう呼んだのかは知らないんですけど」

「なるほど、なるほど」

 

 曖昧な現象も、名付けられることで明確な認識の対象となる。最初は単なるいくつかの目撃情報に過ぎなかったその何者かは、“たかたったさん”と名付けられることで、怪異として噂話にのぼる素地を得た。

 つまり呼びやすい名前なんてものがついたために、その“たかたったさん”はトレセン学園における恐怖の対象として君臨する権利を得たわけだ! こうなってしまえば、情報に要らぬ尾鰭がついてさらに拡散していくのは想像に難くない。

 

 私の予測は正しかったようで、スカーレット君はため息をついて口を開いた。

 

「お蔭でトレーニングが終わる時間帯になると、他の場所にあるシャワールームがすごく混むようになって。みんな“たかたったさん”を怖がって、その建物に入りたがらないようになっちゃったんです。今日みたいに風の強い日は特に……」

 

 “たかたったさん”は強風の夜に現れる――というのも、噂話の一つだそうだ。

 一通り話を終えたスカーレット君は、空になったカップを静かにソーサーに置いた。

 

「……すみません、こんな話をするつもりじゃなかったんですけど。ただ、もし高等部のほうでも噂になっていたなら、ひょっとして生徒会の人たちが動いてくれるんじゃないかと思って。噂の正体がわからなくても、例えば廊下をもっと明るくしてもらえたら、みんな怖がらなくなると……」

「そうすれば、君も汗を流すためにわざわざ遠くのシャワールームまで足を運ばなくて済む、というワケかい?」

「えっ!? あっ、そうです。噂なんて信じてませんけど、やっぱりちょっと気味が悪くて」

 

 語りつつ彼女は視線を逸らした。その両耳が大きく垂れているところを見ても、彼女もまた“たかたったさん”の噂の負の影響を受ける一人だというのは明らかだ。

 それにしても……と、私は思った。

 

「ふぅン。ウマ娘ひしめくトレセン学園にあって猛スピードと言わしめる脚力に、正体不明のその姿。なかなか面白い研究対象になりそうだ!」

「研究、って……タキオンさん、まさか!?」

「ああ、君の思う通りさ。こんな機会は捨て置けない、生徒会が介入する前にぜひその“たかたったさん”に会いに行こう!」

 

 最低でも観察、あわよくば捕獲、可能なら解剖まで持っていきたいというのが、この時の私の偽りなき本心だった。この世に神秘があるなら、それがなんであれ解き明かしてみたいというのが、研究者のサガというものさ。それがウマ娘の肉体であれ、謎の生命体であれね。それに、脚力増強のヒントを得られるかもしれないだろう?

 

 欲求に突き動かされるままに調査の準備を始めた私を見て、最初はぽかんと口を開けていたスカーレット君だったが、すぐに我に返ったように問いかけてきた。

 

「もしかして、今晩ですか?」

「もちろんだとも。“たかたったさん”は風の強い夜に現れるんだろう? 今日は風が強く、そして次に強風が訪れる日を100%予測することはできない。それに、うかうかしていると会長率いる討伐隊が、怪異を退治してしまうかもしれないからね」

「……」

 

 この時点で、日没まで9分だった。寮の門限を考慮しても……まあ、私はそうした規則にはさほど関心はないんだが……調査にかけられる時間はそう長くはない。

 適当に用意できたら、すぐに出発するつもりだった。本当はカフェにも声をかけたかったんだが、あいにく彼女は京都でのレースのために遠征中でね。もしいてくれれば、見えない友人と“たかたったさん”との類似点や相違点について色々と話が聞けたんだろうが、いやあ惜しかった。

 

 ともかく私が荷物を纏めていると、しばらく黙っていたスカーレット君が、にわかに立ちあがってこう言った。

 

「あのっ、アタシも一緒に行っていいですか?」

「おやおや、同行希望かい? 私としては、一人でも構わないんだが」

「邪魔にはなりません。調査するなら、手伝いが必要ですよね? それに……」

 

 と、彼女はまた口を閉ざした。けれどその表情に浮かんでいたのは怯えではなく、決意や克己心の類のようだった。スカーレット君は自分の胸に片手を置くと、短く息を吐いてから続けた。

 

「わからないものをわからないままにしておくなんて、性に合わないんです。ホントに“たかたったさん”がいるのかどうか、自分の目で確かめてみたくて」

「フーム……」

「ダメ、ですか?」

「いやいや結構、実に結構!」

 

 思わず手を叩いて笑ってしまったよ。何せこの時の彼女の目ときたら、まるでレースの最中のようにぎらついていたからね。謎に対するこの態度と決意、研究調査への同行には充分な動機だ。

 

「ではぜひ、助手になってくれたまえ。君にも準備があるだろうから、そうだね……15分後に、“たかたったさん”が出るという建物の正面入口の前で落ち合おう。どうだい」

「はい! よろしくお願いします」

 

 一礼するなり喜び勇んで部屋を出て行くその姿、まさに理想的な実験た……後輩だったよ。

 

 

 さて15分後、私が待ち合わせ場所にやって来ると、スカーレット君は既にそこにいた。さっきまでの制服からジャージに着替えて、片手に懐中電灯まで持って気合充分さ。そして彼女の隣にはもう一人、ジャージ姿のウマ娘が立っていた。

 

「こんばんはっす、タキオン先輩! よかったら、俺もお供させてください!」

「すみません、タキオンさん。ついて来るって言って聞かなくて……」

 

 両の拳を握りしめ、何やら血気盛んな表情でこちらを見ているのはウオッカ君だった。知っての通り、彼女はスカーレット君と同室の同輩でライバルだ。同行を申し出た理由はなんとなく察せられたが、一応質問してみたよ。

 

「来てくれるのは構わないが、なぜだい?」

「へへっ……スカーレットから聞いたんすよ。先輩がこれから妖怪退治するって」

「ちょっと、アタシそんなこと言ってな……! コホン、そうじゃなくって」

 

 何度か咳払いしてから、スカーレット君は言った。

 

「部屋で準備してたら、どこに行くのかしつこく聞かれたんです。だからしょうがなく答えたら……」

「まー俺も、噂とかそういうのは全っ然平気なんすけど! 先輩とスカーレットが何かやるってのに、知らんぷり決め込むのはダセェなって。荷物持ちでもなんでも、ガンガンやりますから!」

 

 両耳をピンと立てたウオッカ君は、実にいい笑顔をしていた。どうやら、恐怖心よりも好奇心とライバルへの対抗心のほうが勝っている状態だったらしい。

 

「ハハハ、素晴らしい意気込みだね! よろしく頼むよ」

 

 なんにせよ、参加の申し出を貰えるのはありがたい。だから彼女の気が変わらないうちに、私は調査を始めることにしたんだ。

 

「ではまず、念のために装備の確認だけしておこうか」

 

 適当なスポーツバッグに詰めていた機材を取り出すと、ウオッカ君も、それまで何やら不服そうな顔をしていたスカーレット君も、思わずといった様子で身を乗り出した。

 

「これは服に取り付けられる小型カメラとマイクだ。こちらは電磁波測定器、ある種の怪奇現象は電磁波を伴うという研究があってね。信憑性はやや低いが、万全を期してというやつさ」

「タキオンさん、このリストバンドは……?」

「おお、よくぞ聞いてくれたね!」

 

 スカーレット君が指さしたそれらを、素早く彼女たちの手首に巻きつけた。

 

「これは私が開発中のウェアラブル端末でね。従来品のような心拍数・体温・運動量の記録だけでなく、肺活量やホルモンバランスの測定、ウマ娘特有の疾病診断にまで使える優れものなんだ!」

「えっ、すごい!」

「めちゃくちゃ便利じゃないっすか! カッケェー……!」

 

 二人揃って目を輝かせていたよ。素直な賛辞を受け取るのも、たまには悪くないものだね。

 

「そんなすごいものなのに、アタシたちがつけちゃっていいんですか?」

「無論だとも!! 有事におけるウマ娘の肉体の反応と、君たち自身のデータをとるのにこれほど絶好の機会が……いやいや、これも調査のためさ。何が起きているのか調べるためにも、協力してほしいんだよ」

 

 おっと、語りすぎは禁物だね。まあこれで、私がウオッカ君の参加を快諾した理由もわかってもらえたかな? データのサンプルは数を揃えるのが基本だし、彼女ほどの身体能力の持ち主はそういないからね。

 一方でスカーレット君とウオッカ君は、いたく感動してくれたようだ。

 

「わかりました……! 精一杯お手伝いします!」

「で、具体的には何したらいいんすか?」

「うん、ではカメラとマイクをつけたら、このバッグを持ってもらって……それと、懐中電灯も頼むよ。私が先頭を行くから、道を照らしながらゆっくりついて来てくれたまえ」

 

 入り口に立った私は、電磁波測定器を起動させたまま通路をまっすぐ進んで行くつもりだった。正面入り口からは、ずらりとシャワールームが並ぶL字型の長い廊下がある。そこをさらに通り抜ければトレーニング用トラック側の出口に到達するわけだが、ともかくまずはまっすぐ建物を進んでみることにしたんだ。それで例の怪異と出会えるならよし、ダメだったなら何度か往復してみるつもりでね。

 

「よし、では調査といこう!」

 

 我ながら声が高ぶっているなあ。あるいは未知の生物に出会えるかもしれないときたら、気分が高揚するのも当然か。だがこの瞬間、突風が吹いた。今の季節らしい湿気を帯びた、生理的嫌悪感を与えるような風……入り口の脇に生えた伸びっ放しの茂みが揺れる音に、後ろの二人は声にならない悲鳴をあげていた。要は彼女らの心拍数が急激に上昇したのを、私の手元の端末が感知したということだがね。

 

「……フ、フン! ただの風じゃない。アンタ、怖気づいてるんなら帰ってくれていいのよ?」

「はっ、はぁあ!? ビビってねーし! お前こそ怖いなら、部屋に帰ってミルクでも飲んでな!」

「耳がこーんなになっちゃってるヤツに言われたくないんだけど!」

「お前だって尻尾がピーンとしてただろーが!」

 

 うんうん、いかにも喧嘩をしているようでいて、徐々に二人のストレスレベルが下がっていったのも確認していたとも。要はこのやり取りは、彼女らにとってのルーティーンのようなものなのだろうね。

 二人が落ち着いたのに合わせて、私は建物に足を踏み入れた。そして日が暮れたとはいえ、廊下はあまりにも暗かったよ。懐中電灯なしではろくに進めないとは……もしかすると、ちょうど電灯が切れてしまっていたのかもしれないが。これでは噂が飛び交うのも無理はない。

 

「足元に気をつけたまえよ。想定より随分と視界が悪い」

「は、はい!」

「うわ~……なんだよここ。前からこんなだったっけ?」

 

 私たちは静かに、ゆっくりと廊下を進んでいった。スカーレット君が言っていた通り、この建物にはすっかり人気がなく、ただ私たちの足音だけが、空虚に響いているばかりだったよ。

 手元の電磁波測定器にも、当然なんの反応もなし。全身に満ちていた心地よい緊張感も、何も起こらないままに数分経つとどこかに消えてしまった。

 どうやらそれは私と同じだったようで、しばらく歩いた頃、小声でウオッカ君がスカーレット君に話しかけたんだ。会話内容は、仕込んだマイクがしっかり拾っていたけれどね。

 

「なあ……」

「何よ、帰るの?」

「そうじゃなくてさ。お前、なんで先輩の手伝いするなんて言い出したんだ?」

「ハァ?」

 

 前を行く私の耳には届いていないと思ったのか、またはそれどころではなかったのか、スカーレット君は私に対する時よりもかなり率直な態度で返事した。

 

「言ったでしょ、ホントにそんなヘンなのがいるのか確認したかっただけよ」

「でもお前って正直、こんなところ来たがるタチじゃないだろ。俺はまたてっきり……その“たかたった”てのが誰でもぶっちぎるスピードで走るって噂、本気にしたんじゃねーのかなって」

「!!」

 

 スカーレット君は言葉を呑み込むように息を吸うと、僅かに口ごもった様子だった。

 

「別にそんなんじゃ……」

「ユーレイだか妖怪だか相手でも一番にならないと気が済まないなんて、スゲー根性だよなー」

「何よ、悪い!?」

 

 うんうん、この時私は納得したよ。以前から話を聞くたびに思っていたが、スカーレット君にとって、『一番』というのは何にも勝る価値を持つ概念らしい。それはレースだけでなく、勉学でも日常生活でもすべてに於いてのようだ。

 さしずめ、“たかたった”の脚力が自分よりも優れているのかどうかを確かめたかった……というのが本音なのだろう。どうりで、私に同行を申し出た時にああまで高ぶっていたわけだよ。

 

 と私が内心で頷いている間に、スカーレット君は歩を止めないながらも、ウオッカ君に詰め寄っているようだった。

 

「噂が独り歩きしたら、学園で一番足が速いのは怪談に出てくるヘンなのだってことになっちゃうかもしれないでしょ。そんなの認められない! たとえ幽霊が相手でも、一番になるのはアタシなんだから!」

「へーへー、ご立派ご立派。まー俺も、そいつのスピードには興味が……」

 

 と、ウオッカ君が語るその時だった。

 

『きゃあぁああああっ!?』

 

 廊下の暗闇の奥から届き、聴覚を刺激したのは女性の叫び声。まさに絹を裂くような悲鳴というやつだね。

 

「さあさあ、行ってみよう!!」

 

 ほとんど突き動かされるように、私は廊下を駆けだした。一歩を踏み出すごとに交感神経が興奮し、血中に放出されたアドレナリンが私の心筋収縮力を上昇させていく。噂の正体とご対面できるかもしれないんだ、当然だろう!

 あ、後ろの二人もちゃんとついて来てくれていたよ。

 

 我々の足なら、現場への到着もすぐだった。そして懐中電灯の光が照らす先に見えたのは腰を抜かし、口元に手を当てて震える一人のウマ娘の姿と、もう一人。

 

「ああっ……申し訳ありません、おばあさま。悲願を果たす前に、ここで命を散らすことになるとは……!」

「どうしたマックちゃん、盆と正月と鯛とヒラメが一緒に来たような顔して。黒潮か? そうなんだな??」

 

 震えているウマ娘……マックイーン君のほうは、ジャージに身を包んでいた。トレーニング帰りだったらしいね。

 そして彼女をきょとんと見つめるもう一人のウマ娘、ゴールドシップ君はというと、制服姿に長いモップを持っていた。本格的な清掃に使われるような、かなりしっかりしたモップだったよ。

 

「マックイーンさん!?」

「オイ、しっかりしろ!」

「はっ! あ、貴方がたは……! それにゴールドシップさんも!?」

 

 スカーレット君とウオッカ君に助け起こされて、ようやくマックイーン君は起こっている出来事に気がついたようだ。気を取り直した様子で頭を振っていた。

 一方で私のほうには、なにやら怪訝な顔のゴールドシップ君が詰め寄ってきた。

 

「なんだオメーら、その格好。残念だがここに埋蔵金はねーぞ。海賊ゴルシの昼飯代になっちったからな」

「我々はただ、ここで起きているという怪奇現象の観測に来ただけだよ」

「ほーん? それじゃあアタシのゴルシッパー感覚(センス)に狂いはなかったっつーことか。さっきからビリビリ“感じ”やがるからよォ……!」

 

 虚空に向かって、ゴールドシップ君は指の関節を鳴らしていた。……正直、彼女に関してはその人格も経歴も解明してみたいことだらけなんだが、手を出すのは危険だという私の研究者としての直感もあってね。

 ひとまず納得してくれた雰囲気の彼女は置いて、マックイーン君に話を聞いてみた。

 

「その様子だと、ここが噂の建物だというのは知っていたようだね。何があったのか、教えてくれないかい?」

「ええ……恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ。実は……」

 

 マックイーン君と、途中で口を挟んできたゴールドシップ君の話を要約するとこうだった。

 日課のトレーニングを延長し、帰りが遅くなったマックイーン君は、門限前に寮に戻ろうとここのシャワールームを使うことにした。不気味な怪異の噂があるのは承知の上だが、メジロ家の者としてそのようなものを恐れるわけにはいかないという矜持でね。だがいかに気迫があろうとも、突発的事象に対する反射的行動までは制御できなかったらしい。彼女は廊下の向こうからにわかに現れたゴールドシップ君を見るなり、悲鳴をあげてしまったということだ。

 

 一方でゴールドシップ君はといえば、どうやら生徒会のエアグルーヴ君に先日こってり絞られたらしくてね。屋上を使って磯焼き大会を決行しようとしたところを取り押さえられ、罰として清掃活動を命じられたそうだ。それで、モップを使って廊下を磨いているところだったと。

 

「まったくもう。突然飛び出しておいでになるなんて、心臓に悪いですわ」

「悪りー悪りー。文字通りの意味で。アタシに宿る妖怪ハンターの血に免じて、一つ」

「意味がわかりませんわ! いつものことですけれど!!」

 

 憤慨しているマックイーン君を、スカーレット君たちが宥めている。

 それはそうと……私はこの時から、雲行きが怪しくなってきたのを感じていた。

 

「ゴールドシップ君」

「あ?」

「君がここの清掃をしているのは、今日が初めてかい?」

「いんや。ざっと89時間前からってトコだな」

 

 約3.7日間。それだけあれば……モップを持って廊下を掃除する彼女の姿が、「長い脚を伸ばして地を這い進む、新種の生物」として噂になってもおかしくはない。

 あるいは、暗がりで見えた彼女の姿が「見知らぬウマ娘」に見えたとしてもね。

 

「ふぅン、これは望み薄かな? 研究の糧になるなら、肩透かしも悪くはないが」

「タキオンさん、どうしたんですか? あっ……もしかして、“たかたったさん”の正体ってゴールドシップさん? でも噂はもっと前から……」

 

 そう、仮にゴールドシップ君がすべての原因だとすると、噂の流れた時期との辻褄が合わない。

 となると、尾鰭部分の原因が彼女なのだとしても、根本となる現象にはもっと別の理由があるはずだ。

 それを明かさないうちに帰るわけにも――

 

 と、私が考えた時だ。

 天井からかすかに届く、カタカタという音が鼓膜を揺らした。それは私たち全員の耳に届いていたようで、はっと口を閉ざしたスカーレット君だけでなく、ウオッカ君も、マックイーン君たちも、一様に辺りを見渡した。

 そうする間に、カタカタという音はさらに大きくなっていく。はじめは何かがぶつかるような単調な音だったそれは、徐々に音階を変えていき、タカタカ、タカタカと、まるで地面を蹴る蹄鉄のような音を奏ではじめた。

 

 つまり、“たかたったさん”の噂そのままに。

 

「こっ、この音って!」

「まさか……きょ、今日は厄日ですの!?」

「オイみんな、アレを見ろ!!」

 

 振り向いたウオッカ君が、廊下の奥を指さした。我々がこれまで来た通路のほうから、何かが近づいてきている。ウマ娘じゃあなかった。白く小さな、丸い()()

 

「何あれ、猫……?」

「いや待て、あいつ……く、首がないぞ……」

 

 呆然と目を見開いていたスカーレット君とウオッカ君は、迫りくる「それ」が首のない猫の()()()()()()というのを察知するや否や、息の合った動きで耳を後ろに伏せた。それから、すでに素早くゴールドシップ君の後ろに回っているマックイーン君の、さらに後ろに身を隠していたね。

 

 そしてゴールドシップ君は、何やら不敵な笑みを浮かべていた。

 

「面白え。この地を荒らすC級妖怪ってのはテメーか!」

「ゴ、ゴールドシップさん、ダメですわ! 逃げたほうがよろしいんじゃなくて!?」

「バッキャロイ、妖怪が怖くてハンターができっかい! アイツを探すために、何日も張ってたんだからな……!」

 

 最後の一言だけ妙に真に迫って聞こえたんだが、ここは検証作業を優先することにしたよ。

 

「フーム。筋肉と骨格の動作、および無軌道な暴走状態と未発達な情緒を勘案して……と」

「タキオンさん、何を!?」

「まずは検証第一段階といこう!」

 

 いよいよ私たちのすぐ傍にまで近づいてきた「それ」に、私は事前に用意していた薬を投げつけた。ああ、別に危険な物質じゃない。使ったのはアリインから変換された化合物、アリシン。

 嗅げばわかるんじゃないかな? 要は、ニンニクの臭いの元さ。

 

 そして私の仮説はこの時、見事に解を導き出した。

 

「キィッ……!」

 

 聞こえたのは動物の悲鳴。迫ってきていた「それ」は、後ろ足で直立するように身をのけぞらせた。その時、白く丸い何かに見えていた部分が静かに廊下に落ちたよ。つまり、スーパーのビニール袋だったんだがね。

 

「えっ、な、なんだ!? イタチか?」

「ハクビシンよ!」

「似たよーなもんだろ!」

 

 ウオッカ君とスカーレット君が正解に辿り着いたのと同時に、それまで頭からビニール袋を被っていたハクビシンは、自分が懐中電灯の光に照らされているのに気がついた。そして自分を見つめる私たちの存在と、ジャコウネコ科ハクビシン属が共通して苦手なニンニク臭に堪えきれずに、「戦うか逃げるか反応」を素早く発揮させた。

 つまり、猛スピードで逃げていったのさ。来た道を戻るようにしてね。

 

 そして、鳴り響いていた蹄鉄のような音も鳴りやんでいく――外を吹き荒れる風が止んでいくのと共に。

 

「ビ、ビックリしたぁ~……」

「チクショー、驚かせやがって……!」

 

 交感神経の興奮の影響が脊柱起立筋に出たのか、スカーレット君たちは廊下にしゃがみ込んでいる。ほっと胸を撫でおろしたマックイーン君は、天井を見上げて言った。

 

「もしかして……あのタカタカいう音は、風のせいでしたの?」

「あー、天井にある古い換気扇だろ? アレ風が吹くたびにうるせーんだよな~」

「もう、とっくにご存じでしたのね!」

 

 マックイーン君はゴールドシップ君にまた憤慨している。そして私も、やれやれ、この時はがっくりきてしまったよ。

 

「強風の夜に限って怪異が現れるのは、換気扇から音がするから……そして『四足歩行の小動物』という噂の正体も、これで解明だ。はぁー……」

 

 ため息と一緒に、思いっきり前屈だ。「小動物」という目撃情報から、近隣に生息する野生動物との遭遇を考慮してニンニク臭のする薬を用意してきていたわけだが……まったく、この仮説だけは当たってほしくなかったなー。むしろ首がなくても疾走可能な新種の生物であれば、どれほど興奮できたことか。

 

「あーあー、本当にがっかりだよ。トレーナー君……は、いないんだった。スカーレット君」

「はい!」

「すまないが、後で紅茶でも淹れてくれたまえ。糖分大増量の。可能ならお茶との比率1:1のを」

「あ……タキオンさん、急に疲れが出たんですね。わかりました、用意しますね!」

 

 虚脱状態から立ち直ったらしいスカーレット君は、僅かに笑顔を見せてそう答えた。いやぁ、持つべきものは立派な助手だね。だがこちらに歩み寄る前に、彼女は突然またしゃがみ込んだ。

 マックイーン君がそっと問いかける。

 

「どうなさったの? スカーレットさん」

「いえ。これ、何かしら」

 

 足元の床に落ちているモノを拾い上げたスカーレット君は、首を傾げていた。彼女が指で摘まみ上げているそれを、私も皆に倣って覗き込んでみたんだが……金属製の輪だったよ。流麗な細工が施された、かなり年季の入った代物だ。ハイビスカスを模したと思しき、真鍮製の花が印象的なデザインだった。

 

 ウオッカ君もまた、首を傾げている。

 

「指輪、じゃなくて耳飾りか? 誰のだ?」

「アタシたちのじゃないし……」

「そりゃ、さっきのC級妖怪のドロップ品だろ」

 

 何気なく言ったのはゴールドシップ君だった。

 

「ふむ。ゴールドシップ君、本当かい? ハクビシンに金属収集癖があるというのは初耳だが」

「この辺りはあんま整備されてねーぶん、最近ゴミ捨てルールが厳しくなったかんな。アイツらもこの大自然で、ビニール袋に頭を突っ込むくらい、ハングリー精神に苛まれてんだ」

「空腹に苛まれているのではなくって?」

 

 マックイーン君の冷静な指摘が入ったが、私はスカーレット君の手の中の耳飾りを見つめていた。

 ゴールドシップ君の話が正しければ、ハクビシンは食物を探した結果、ゴミ袋に首を突っ込んだあげく、落ちていた飾りを偶然入手したということになる。動物が袋やポリ容器などのゴミに首を突っ込むこと自体はさして珍しい事象じゃない。昔から、そうして命を落とす野良犬や野良猫の話題は絶えないしね。そしてその袋の中に、誰かの落とし物の飾りが入っていたのだとすれば、あのハクビシンが逃げだした後、これが廊下に落ちていたとしても不思議ではない。

 

 すべての事柄が繋がっていて、無矛盾な状態だ。

 だがその無矛盾さは、私をざわつかせた。大脳基底核の尾状核の活動が活発化し、「これから何かが起こりそうだ」という感覚を伝えてくる。

 ところでモルモット君は、いわゆる「気配」とは実際のところなんなのか知ってるかい? 我々は……ウマ娘であろうと人間であろうと、常に無意識的に五感を働かせている。つまり肌に触れる空気の温度、漂う匂い、僅かな色彩の揺らめき、かすかに届く音の変化などに、肉体は実に鋭敏に反応するのだよ。

 

 何が言いたいかって? つまりこの瞬間、あの場にいた全員が、同じ気配を察知したのさ――何かが()()、と。

 次の瞬間、猛烈な突風が廊下を吹き抜けた。腕で顔を覆い、なんとかその場に踏みとどまった私たちの視界の向こうに映ったのは、白い人影だった。ウマ耳の生えた頭からつま先、勝負服まで白の……見知らぬウマ娘。真っ白なウマ娘といえばハッピーミーク君がいるが、“彼女”は髪型がまったく違ったからね。だから私たちの知らないウマ娘だ。

 

 その“彼女”は廊下の奥、私たちがさっき来た方向に静かに佇んでいたが、数秒後にこちらへと一気に駆け出してきた。

 廊下に蹄鉄シューズの音が響いた。今度こそは、換気扇の音なんかじゃあなかった。間違いなく、その“彼女”が鳴らす足音だ。

 

「おい、アレ……誰だ?」

「知り合いかしら?」

 

 相手の足取りがあまりにしっかりしているもので、スカーレット君たちも“彼女”が自分たちと同じ存在だと信じていたんだ。しかし訝しげだった彼女らの表情も、“彼女”の迫るスピードに気づいて豹変した。

 

「ちょっと、あの子のスピード……!」

「スッゲェ速ぇぞ!?」

「下がってろ、オメーら!!」

 

 いつになく鋭い声を発したのはゴールドシップ君だった。

 

「ゴルシッパー感覚に感知あり! ただならぬ妖気ッ! すでに暴帝になりつつある貫禄かって感じだぜ!」

「仰る意味はわかりませんが、何か肌に粟立つような……!」

「マックイーン君の感覚は正しいぞ! これが証拠だ!!」

 

 私はというと、突如として訪れた興奮に沸いていた。手元の電磁波測定器が、未知の波を唐突に受信しはじめていたからね! 間違いなく、あの前方の“彼女”から発されているモノだ。つまり、そうとも!

 

 “たかたったさん”は()()()()()()!!

 

 きっとその時の私の両目は、今までになく見開かれていたことだろう。研究者として、限界の先を求める者として、この機を逃すなんてとんでもない! 何が起きるのかをつぶさに観察するのが、私の役割だと思ったのさ。

 

 だが残念ながら、迫りくる“彼女”の顔立ちは、どうあっても陰に隠れて見えなかった。代わりに明らかだったのは彼女の蹄鉄シューズの高らかな音と、すさまじいまでの脚力だ。勝負服を着ていることを考慮しても、トレセン学園で上位10%には食い込む速度だったね。

 

 そのまま“彼女”は、半ば啞然としていたスカーレット君たちの前に風の如くやって来た。そして――

 

「あっ、ちょっと!?」

 

 スカーレット君が持っていた金属製の耳飾りを奪い取ると、そのまま轟然と駆け抜けていったんだ。廊下のさらに先、トレーニング用トラックのある出口に向かってね。

 

 ほんの0.5秒、スカーレット君は呆気にとられた。だが直後……この時ほど彼女にあの端末を着けてもらっていてよかったと思ったことはないよ。彼女の血流が一気に増大し、筋機能を活発化する脳内物質が体内を駆け巡る様を、数値として観測できたからね!!

 

 ここが俊英の集う学園だというのを即時に再確認させるほどの瞬発力で、スカーレット君は“たかたったさん”を追いかけていった。

 

「おいッ、スカーレット!?」

 

 ウオッカ君の呼びかけにも答えず、スカーレット君はレース中を思わせるトップスピードで駆け抜けていく。やや戸惑っていたウオッカ君もまた、彼女の背を追っていった。

 

「お待ちになっ……ゴールドシップさんはどちらへ!?」

「よっしゃー! オニの居ぬ間に家探しだぜェーッッッ!!」

 

 ゴールドシップ君はなぜか“彼女”が来た方向、つまり先ほどハクビシンが去っていった先へと駆け出していってしまった! 要は逆走だね。どちらを追えばいいのか迷ったよ……! しかしそこはやはり、怪異を優先すべきだろう!!

 

「待ちたまえ、スカーレット君! 可能なら捕獲を検討してくれ!!」

(わたくし)も行きますわ!」

 

 マックイーン君と共に、私はスカーレット君たちの背を追った。無論、普段のレースであれば先頭を狙うのが当然なんだが、今回の主目的は観察だったからね。ある程度状況が見渡せる位置についたら、そこをキープするように走ったんだ。

 そして気づくと、私たちはトレーニング用のトラックに出ていた。先頭を行くのが“彼女”、そのすぐ後ろにスカーレット君。ウオッカ君がそれに続き、追うようにマックイーン君と私。不思議なものだね、トレセン学園のウマ娘だからこそというべきか……私たちはまるで本物の競技であるかのように息を弾ませていた。

 

 スカーレット君は先ほどまで見せていた恐怖を完全に捨て去った様子で、本番さながらの気迫をもって“彼女”の背に近づいていく。だが怪異の足はやはり速く、脚色は衰えない。それに考えてもみたまえ、これはレースじゃなくいわば追いかけっこだ、ゴールがない! いかな我々といえど、完全に出遅れた状態から“彼女”を捕まえるのは容易ではなかった。

 だが、その時だ。

 

「ダラッシェェエエエイ!!」

 

 後ろから、すさまじい勢いで猛追してくる芦毛の影があった。そうとも、ゴールドシップ君だ。

 さすがの私も最初は何ごとかと思ったんだが、全力疾走する彼女がその手に持っているモノを視認した時、すべて理解できたよ。

 

「マックイーンッ! こいつを頼んだァーッ!」

「えっ!?」

 

 叫ぶなり、ゴールドシップ君は手にしているソレをマックイーン君めがけて投げつけた。振り返ったマックイーン君も突然のことに驚いていたが、かすかな月の光を反射しつつ夜空を山なりに飛んでくるそのモノを、彼女は見事なバランス感覚でキャッチしていた。

 そして走りながらちらりと手のひらの中のソレを一瞥すると、ゴールドシップ君の言葉の意味をすぐに察したようだ。さすがは名門の優駿、咄嗟の判断に迷いがない!

 

「ウオッカさん! これをスカーレットさんに!!」

「おう! って、これは……!」

 

 振り返ったウオッカ君の左目が、驚きに満ちたのは一瞬だった。マックイーン君が投げたモノを受け取ったウオッカ君は、すぐさま前方を行く背に向かって投げつける。

 

「スカーレット! 受け取れーッ!」

「……!」

 

 長い髪の房を棚引かせて走っていたスカーレット君は、ライバルの声を聞き逃しはしなかった。彼女は最小の動きでソレをつかみ取る。それから意を決した面持ちになると、応じて彼女の心肺機能は極限まで増大していく。次いで発されたのは、咆哮とも呼べる叫びだった。

 

「一番になるのは、アタシなんだからーっ!」

 

 言葉通りに、彼女はスパートをかけた。ゴール前200メートルさながらの疾走は、ついに“たかたったさん”の背を捉え、追いつき、追い越す。それだけじゃない。スカーレット君は相手の眼前に躍り出ると、息を弾ませたまま、手に持っているソレを突き出した。

 

「ハイ、これ!」

「……!」

 

 たじろいだのは怪異だった。急ブレーキをかけた車のように“彼女”は立ち止まると、スカーレット君の言葉の真意をはかるかのようにじっと佇んでいた。それに痺れを切らしたように、スカーレット君が口を開く。

 

「これっ……アナタの耳飾りでしょ? そっくりのデザインだもの。アナタが持ってるのが右耳用で、こっちが左耳用なんじゃない?」

「……」

 

 差し出されていた耳飾りを、“彼女”はそっと受け取った。これで“彼女”の手の中には、耳飾りが二つ。スカーレット君が言った通り、右耳用と左耳用だね。

 

「まったくっ……! 落として探してたんなら、一言言ってよ! すぐに返すんだから。人の手からひったくって逃げるなんて、失礼だと思わないの?」

 

 思わずといった様子で文句を言いながらも、ウォーミングアップもなしの全力疾走がさすがに堪えたのか、スカーレット君は膝に手をついて息をしていた。

 ややあって、ウオッカ君や私たちも彼女らの元に辿り着く。

 

「おうスカーレット、やるじゃねーか」

「フン、当ったり前よ! どんな競走にだって勝ってやるんだから」

「ま、同時に走ってたら俺がぶっちぎってたけどな!」

「なんですって……わぷ!」

 

 ウオッカ君とスカーレット君が睨み合ったのと同時に、またも強烈な突風が吹き抜けた。地面の砂を巻き上げるようなその風に、私は反射的に顔を腕で覆い――

 

「ひどい風でしたわね……あらっ?」

 

 最初に声をあげたのはマックイーン君だった。

 

「み、皆さん! 白いウマ娘の方は……!?」

「え?」

「なっ!?」

 

 そうとも。“たかたったさん”は忽然と姿を消していたんだ。

 どういうわけか、足跡の一つすら残さずに。その代わりに、一対の耳飾りだけを地面に遺してね。

 

「え、えっと」

 

 トラックで鈍く光る耳飾りをちらりと見やったスカーレット君は、さっきまでの威勢は消え失せ、途端に青ざめた。

 

「え、ア、アタシ……てっきり、さっきの子……知らない誰かなんだと思って……夢中だったから……」

「お、お、おいウソだろ……!」

 

 ウオッカ君も同様に青ざめている。両者のストレスレベルが急激に上昇していくのを、機器が克明に記録していた。

 

「お、俺だっててっきり……けどいきなりいなくなるなんて、んなの……んなの、まるで……!」

「ユーレイなんじゃねーの?」

 

 後ろ頭を掻きながら、何気なくゴールドシップ君が放ったその一言に、スカーレット君たちは揃って跳び上がり、いつもの確執はどこへやら、手に手を取って震え出した。

 

「そそそそ、そんな! じゃあ、あれが本物の、た、たかたった……」

「や、やっ、ち、違ぇし! けどむむむ、武者震いが……!」

「ちょっと、ゴールドシップさん」

 

 マックイーン君もまたやや怯えている様子ではありつつも、そっとゴールドシップ君に問いかけている。

 

「め、滅多なことは仰らないで。本当に先ほどの彼女が幽霊なのだとしたら、いったいなぜこんなところに……」

「さっきの建物の入り口の脇って、茂みがあんだろ?」

 

 まったく普段の調子を崩さず、だからこその信憑性を帯びたままゴールドシップ君は語った。

 

「見えづれーけど、あそこには小っちゃい石碑っつーか祠があるんだよ。昔、この学園ができたばっかの頃に事故に遭っちまった学生を弔うためのな。んでも最近、すぐ傍にC級妖怪ハクビシンが棲みついてよ? 供え物を狙うついでに、祀ってあった耳飾りまで持ってっちまったんだろなー」

「……!!」

 

 マックイーン君たちは声にならない悲鳴をあげつつ、ゴールドシップ君の話を聞いていた。

 

「アイツは夜な夜な、なくなった自分の耳飾りを探してうろついてたんだ。でも相手もC級妖怪、簡単には見つけらんねー。そこで、スカーレットが飾りを持ってんのを見かけたからな。コイツは自分のだって、走って持ってっちまったんだろ」

「で、では先ほど、貴方が入り口のほうへ走っていったのは……?」

「そりゃ、もう片っ方を見つけるためだ。どうせもう片方もC級妖怪が持ってんだろなと思ってよ、ニンニク臭頼りに巣を探したんだよ。両方揃えばアイツも安心するだろーと思ったら、ホントにその通りだったなー」

 

 スカーレット君たちは、もはや震えるのも忘れてゴールドシップ君のほうを見やっていた。

 だがひとしきり伸びをした後、付け加えるように彼女は言ったんだ。

 

「……て、ゴルシックレコードに記載されてたんだ。アタシも半信半疑だったんだが、千年に一度の教えには従えってじっちゃんも言ってたしな。上手くいってよかったぜー!」

「っ、な、なんですの!」

 

 途端に緊張が解けたように、マックイーン君は言った。

 

「また貴方お得意の嘘でしたのね! つい信じてしまいましたわ、もう……!」

「いーじゃんいーじゃん。退屈するよかマシだろ?」

「よくありませんわ!」

 

 三度憤慨したマックイーン君は、ゴールドシップ君に抗議していた。スカーレット君とウオッカ君も、一気に安堵した様子を見せていたね。

 

「なんだ……そうよね、幽霊のはずないわ。だって耳飾りを取られた時、触った手があったかかったもの」

「あんだけ足が速いんだ、俺たちが目を離してる隙にどっか行っちまったんだな! はあーあ、驚いて損した。でもいつか、あいつとはガチで勝負してみてぇなー」

 

 

 ――こうして、“たかたったさん”の脅威は、トレセン学園から去っていった。あれは単なる見間違い、探し物をしていたウマ娘の姿を誤解していただけ……とね。『幽霊の正体見たり』とはこのことかと言いたくなるほどに、正体の明かされた謎は謎としての姿を保てなくなっていた。

 だからここでは、トレーナー君。君には事実のみ伝えよう。

 

 一つ、あれからシャワールームの設備は速やかに改善された。古い換気扇は撤去され、廊下には最新式の電灯が取り付けられた。もちろん、入り口付近の整備もされたよ。ハクビシンは専門の業者に適切に捕獲されたそうだ。

 

 二つ、入り口の整備の際に驚くべきものが発見された。ゴールドシップ君の言っていた通りの祠があったのさ。このことを彼女本人に聞いてみたんだが、もう今のゴールドシップ君は学園中のドアノブをマンゴーとすり替える悪戯の準備に夢中でね。「んなこと言ったか?」の一点張りだったよ。

 だが生徒会によって、回収されたあの耳飾りは祠に祀られたそうだ。

 

 三つ、耳飾りは回収されたと言ったね? 実はあの後すぐに、見回りしていた生徒会メンバーに我々は発見されたんだ。門限前だったから特にお咎めはなかったんだが……あ、いやいや。私がスカーレット君とウオッカ君につけていた端末は回収されてしまったな! 安全性が担保されていない物品を大事な生徒につけさせるわけにはいかないという理由で。ハハハ、まあデータは既にあらかたクラウドに飛ばしてあったから構わないんだけどね!

 ともかくその時に、耳飾りも生徒会に渡さざるを得なかったんだ。本当なら色々と調査してみたかったんだが……。

 

 そして最後に四つめ。スカーレット君たちはすっかりあの事件は「見知らぬウマ娘」によるものだと思って……否、あるいは思い込もうとしているようなんだがね。私の調べた限り、現在この学園に在籍しているウマ娘で、私たちが見た“彼女”と同じ身体的特徴の者はいない。

 不思議なことに、“彼女”が消えた途端に電磁波の反応が消失していたし……何よりね、妙だと思わないかい? 私は自分自身だけでなく、スカーレット君たちにもカメラとマイクを装備してもらっていたんだ。なのに残っていたのは音声だけ。()()()()()……だろう?

 カメラにはなんのデータも残っていなかったのさ!! 偶然にしてはできすぎていると思わないかい、トレーナー君。

 

 さて、ここからは私の仮説だ。

 ウマ娘の肉体と、情動とには大きな相関関係がある。内外の刺激で興奮した情動は、心肺機能と筋力発揮に有意に影響を及ぼす。ゆえに我々の情動、俗っぽく言えば「想い」というものは、現代の科学で想定されている以上に強力な作用を持つんじゃないか?

 

 例えば三女神像の前で、私も幾度か感じことがあるんだが……我々の「想い」は時空間をも超越しうる力を持つのではないかな。だからかの“たかたったさん”も、幽霊というよりは、むしろこのトレセン学園に残っている、ウマ娘たちの「想い」の結晶のような存在だったのかもしれない。自らの勝負服、装飾品に誇りと愛着を持ち、風のように速い脚を持つ。そしてレースとあらば全力を発揮する。そんなふうな「想い」のね。

 この学園には、そんな「想い」の残滓が溢れている。

 

 だからこそ――知ってる者が多かろうが少なかろうが、私の名はアグネスタキオン。

 肉体の限界、最高速度のその先を追い求めるウマ娘。

 仮に幾年時が過ぎようと、この定義、この「想い」は変わることはないのさ。

 

 ……あー、一気に話したから喉が渇いた。それに朝からロクなものを食べていないからなぁ。君がいない間? 適当に食べていたよ、でも必須栄養素がねぇ……やはり紅茶を淹れ弁当を作り肩を揉み部屋を掃除してくれる誰かがいなくっては!

 

 おっと、さっそく紅茶を? ならついでに適当に何か作ってくれたまえ。それから、君の解釈を聞かせてくれよ。

 ああ、それと……! 重要な実験を忘れるところだったよ。

 

 ほら、君に最初に飲んでもらっただろう? お茶を。消化器官の蠕動運動を鑑みるに、そろそろ君に何か影響を与えるはずだ。

 何を入れたかだって? ふぅン、わからないのかい。先ほど、耳飾りは生徒会に回収されたと君に言ったが……実は回収直前に、私は髪飾りから毛髪を採取していたんだ。ゴールドシップ君のともマックイーン君のとも異なる長さの芦毛をね。つまり“たかたったさん”の毛さ! さっきのお茶には、細かく裁断したそれの一部が混じっていたんだよ!!

 

 何を言うんだ、髪の毛に危険性なんてないよ。それに大いなる一歩だと思わないのかい!? うまくすれば、君は「想い」が物質化したものに物理的な影響を受けた第一号になれるんだよ!

 

 で、どうかな? 身体的・精神的な変化があれば、どんな些細なものでも言語化してほしいんだが。そら、どんどん! ほーら!

 

 ――え? 『ありがとう』?

 今、急にそう言わないといけないような気持ちになった? なんだい、それ。

 

 フーム……で、他にはないのかい?

 えっ、何もない? それより早くお湯を沸かす??

 そんなぁー、ここまで来てそれはとんだ肩透かしじゃないか。私の研究の成否は君にかかってたんだぞ~、もう~。

 

 

 はぁ、まあ諦めも肝心か。幸い、研究対象にしたいものはまだまだたくさんあるんだ。

 次は私の話を聞くだけじゃなく、もちろん君自身も参加したまえよ。

 だって君は私のトレーナー、唯一無二にして優秀なモルモットだからね。

 この「想い」尽き果てるまで付き合ってもらうよ、トレーナー君?

 

 

(おわり)





その時、ふと閃いた! このアイディアは、アグネスタキオンとのトレーニングに活かせるかもしれない!

企画意図に添えていなかったら申し訳ありません。
ウマ娘の二次創作を書いたのは初めてでしたが、とても楽しかったです。
ありがとうございました。

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