華やかな勝負服に身を包んだ香水の先輩がレース場から引きあげてくるのを、アタシ達は地下バ道に迎えに行った。表情は、むしろ清々しい。あれだけ大負けすれば、逆にそうなるのか。
「えっと……レース、お疲れさん」
「ありがとう。……気を遣わなくてもいいのよ、スリリン。それにみんなも」
すると、香水の先輩は息をひとつ深く吐いて話し始める。
「あたしさ。メイクデビューで戦ったマヤノがこんなに強くなったの、とても嬉しかったの。とても嬉しかったし……マヤノが強くなった上で、もう一度上回ってやろうと思った。マヤノを負かして、下剋上果たして……あたしが一番になりたかった」
「ワンちゃん……」
「でも、欲張りすぎたかもね、あたし……あたしの身体に」
先輩の脚。マヤノと同じように、
「ワンちゃんは、今までだって出来すぎだった、って言いたいの?」
「……」
マヤノは、時々遠慮がない。
「そんなことないよ。全部ワンちゃんの実力。その時その時の実力が、他のウマ娘たちより上回ってた。マヤに勝ったときだってそう。桜花賞だってそう」
「でも……」
「マヤ、『わかる』んだよ? ワンちゃんは、強かった。絶対」
マヤノの真っ直ぐな瞳が先輩を射抜く。射抜いた、けれど……すぐに、目を逸らした。
「でも。きっと、有マ記念は……向いてない」
「……」
「ワンちゃんの脚に、中山の2500はちょっとつらいと思うんだ……」
それは『わかる』からこそ、出たセリフ。思いやるからこそ、出たセリフ。
……嘘が付けないからこそ、出たセリフ。
「……でも……あたしは……」
「ワンちゃんはさ。出る前から負けると分かり切ってるレースに、出たい?」
でも、さすがにそのセリフは言いすぎだ。アタシがなだめようとしたが、その前にスリリンが制した。
「ちょっとマヤノ、レースに絶対負けるとか勝つとかってのはないんだぞ! 去年のナリタブライアンさんだって、菊花賞の前に1回負けてるんだ、だから……」
「ありがとうスリリン。でも……今回は、マヤノの言う通りよ」
「先輩……でも……!」
香水の先輩はうつむきながら、静かに口を開く。
「……あのさ。『想い』とか、『憧れ』とか、『夢』って……どうして、あたしに呪いのようについて、ずっと心の周りをぐるぐると回るんだろうね。これがあるからといって勝てるような万能薬じゃないのに、あたかもそのような顔をして、あたしについて、どこまでもついて回ってくるんだ。本人たちはキラキラと、悪気なく無邪気に輝きながら」
「……」
「『下剋上したい』『一番になりたい』そして……『マヤノに、大きな舞台で、勝ちたい』」
誰も何も言えなかった。マヤノだって、言えなかった。
「……それがあたしの『想い』。あたしの、『呪い』……」
……トゥインクル・シリーズというのは、そういう場所だ。『想い』『憧れ』『夢』。キラキラした言葉に躍らされて、走って、走って、走って、でも、それが完璧に成就するのはほんの一握りのウマ娘で。
香水の先輩はG1を勝っているのだから、むしろ成就した側だろうとでも言いたくもなるけれど、そういうのって結局、本人が納得するかしないかの問題だと思うし。
……それに、残念ながら。ウマ娘は、ひとつの夢が叶ってもそれで満足をせず、次の夢をどこからか持ち出して、抱えて、また走り出すような……そんな、欲望深い種族なのだ。それはもう、アタシ達が生まれてから、いや、生まれる前から、ウマ娘っていうのはそういう風に出来ているものだから、仕方がない。
「……ごめんなさい。この後については、あたしのトレーナーと話して決めてくる。でも、多分……マヤノの言う通り、有マは無理かもね」
「ワンちゃん……」
「それじゃあね。マヤノ、スリリン。それに、バブル。みんな、お元気で」
先輩は変わらない香水の匂いをその場に残しながら、アタシ達の前から歩いて去っていった。出会った時にはややうざったく思った不思議な香水の匂いが、今はやけに寂しく思えた。
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……アタシだって、一応ジュニア級のウマ娘だ。レースを走って、自分のために勝つ。
折り返しのメイクデビューを勝っていたアタシは、エリザベス女王杯の翌週のジュニア級のレースに参戦した。マルゼンスキーやシリウスシンボリといった、名だたるG1ウマ娘たちも勝った由緒あるこのレースに、アタシはトレーナーに実力を見込まれて登録をされていたのだった。
そして。
『内が優勢だ! 外のウマ娘も詰めるが差が開いていく!』
2連勝。しかも、そこまで、全力を出したわけじゃない。ペースが緩かったうえ、簡単に2番手につけられたのも大きい。運も味方していた。
とはいえ……そんなにここって、簡単に勝っていい世界なの? いくらアタシが、前世でも陸上で期待のホープ扱いされてた、としてもだ。
――『想い』とか、『憧れ』とか、『夢』って……どうして、あたしに呪いのようについて、ずっと心の周りをぐるぐると回るんだろうね――。
「……次のレースは、絶対に勝つから。もしかしたら、皐月賞かもね……!」
2着のウマ娘……あれはきっと、サクラキャンドルさんと同じヴィクトリー俱楽部のウマ娘だろう。その子に声をかけられ、宣戦布告をされたけれども。
「うん。……負けないよ。アタシも」
セリフだけ格好つけても、アタシは。
「言ったね。そのセリフ、後悔しても知らないよ。今日よりも数倍強くなった私に負けて、さ……!」
「……うん……」
彼女の熱には、到底及ばない気がした。
アタシには。
今の所、さして際立った理由がない、アタシには。
アタシには。他のウマ娘達が抱える決死の想いをことごとく踏みつぶして、勝利を手に入れる権利は。
「……あるの、かな」
アタシの疑問は誰にも届かずに、宙に消えた。