冥界の魔獣騒動から幾日が過ぎた日のこと、アザゼルの表情は渋かった。オーフィスの件で手を回していたことで総督から更迭されたことはまだ想定の範囲内だ。むしろ命がけでもあったので結果的にはマシであったと言えるだろう。
命がけであれば、むしろ兵藤兄弟の方がぎりぎりのところであった。アザゼルは事の顛末を聞いて驚愕と不信に陥っていた。オーフィス、グレートレッドという最強の龍すらも魅了し助力を得た一誠の生存は、これ以上の衝撃は無いだろうと思うほど驚き、同時に安堵した。しかし驚愕だけで言えば、それを超えるのが兄である大一の生存であった。ただし一誠と違って、安堵よりも不信感の方が強かったが。
現在、部室ではほとんどのメンバーが大一に対して…正確には彼の中の存在に、不快と疑念の視線を向けていた。そうするだけの理由がリアス達にはあったのだから当然だろう。敵意を向けていないのは、当時はその場にいなかったイリナ、ロスヴァイセ、レイヴェル、オーフィスくらいであったが、ある程度の事情は聞いているせいか、本当に不信的な視線を向けなかったのはオーフィスだけかもしれない。
大一は距離こそ取られていないものの、この類の視線を仲間から向けられて気まずい想いであった。話したのは最初に合流した3人だけであったが、時間が経てば仲間内であればその情報はあっさり洩れる。しかも魔獣騒動からすぐに別の都市で検査続きであったため、ようやく全員が集まれる時間が作れたと思ったらこのような状態なのだから、覚悟していても噛み切れない弾力のものを飲み込むような微妙な気持ちになった。
そんな彼の右腕は本物と見分けがつかないほど精巧な義手が装着されていた。こんなものをあっさりと用意できるのだから、悪魔の技術力には頭が下がる。もっとも感覚は全く無いため動かすことに慣れなかった。
大一の対面のソファに座るリアスが、目を細めたままに話を切り出した。
「…全員揃っているから、そろそろ真実を聞かせてもらいましょうか」
「あー…そうですね。一誠はどれくらい話したんだ?」
「俺はドライグから聞いたことだけだよ。だから兄貴がドライグと別れてからだ」
「そうか…うん…じゃあ、本題に入る前に───シャドウ」
大一の呼びかけに応じるように彼の右肩から黒い靄のようなものが浮き出し、先端には気味の悪さを反映したかのような血走った眼が出てくる。
『自己紹介するまでもないけどなー…だってこいつら僕を知っているだろ?』
「頼むよ」
『…わかったよ。「犠牲の黒影」だ。久しぶりだな、アザゼルにグレモリー眷属』
「てめえ、どういうつもりで───!」
「一誠」
一誠の感情的な怒号が出てきそうになったが、それを手を上げて制した。
「わかる。お前が何を言いたいのかも。というか、皆の言いたいことも。だからさ、まずは俺の話を聞いてからにしてくれないか?いいですよね、アザゼル先生?」
「…正直、俺も納得できないがな。まあ、こいつらよりは理性的なつもりだよ。そう言うことだ、お前ら」
アザゼルが周囲の仲間達を軽く一瞥する。まずは話を聞く、こうならないことには判断も何も出来なかった。敵意を特に強く向けるリアスと一誠、心配の方が強い朱乃、アーシア、ギャスパー、妙な動きを警戒する祐斗とゼノヴィア、唯一彼の意識が明確だと断定できる小猫は不思議な表情をしており、当時を知る仲間達の反応は様々であった。
ひとまず全員がアザゼルに従い、大一の口からここまでの経緯を話し始めた。
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(死ぬつもりだった)
(だろうな)
生気の無い表情で心の中でつぶやいた大一に、ディオーグが感情のこもっていない声で同意する。彼の身体は大量の瓦礫で作られた深い穴のような場所に倒れ込んでおり、穴の先には多くの光が輝くこの世のものとは思えない光景が覗き込んでいた。
(龍人状態で無いなら次元の狭間を生きられないと思っていた)
(運が良かったな。この疑似空間の大量の瓦礫に守られる形になって)
崩れゆく瓦礫の中で力尽きて倒れ込んだ大一であったが、巡り巡って疑似空間の大量の破片が残っていた場所に偶然入り込んでしまったらしい。実際、今の彼がいるのは戦ったホテルの瓦礫が大量に見えていた。
(もっとも数時間もすればこの瓦礫の塊も、次元の狭間の流れで消えるだろう。その時が本当に死ぬ時だろうな)
(正直、覚悟を決めた時に死にたかったな…そっちの方が気が楽だし)
荒い呼吸で大一は話す。傷だらけでろくに魔力も残っていないため、体全身が激痛と疲労で動かすことができなかった。おまけに右腕に関しては、ちょうど瓦礫に飲み込まれてしまいすっかり潰されていたので感覚すら無い。不幸中の幸いなのか、幸い中の不幸なのか、まるで分かったものではない。
(お前は最後の最後まで望み通りにいかねえな。まあ、俺との約束を守っただけ良しとしようか)
(約束?)
(最後にしっかり弟へのケジメをつけることだよ)
(ああ、そのことか…。そういえば一誠は無事だろうか?)
(別れる直前にあのガキの魔力と生命力を感じたし、グレートレッドの感覚もあった。問題ねえだろ)
特に興味の無いようにディオーグは答える。馬こそ合わないが、最後の最後までこのドラゴンに付き合わせたことに、大一は申し訳なく感じた。それを見越したかのように、ディオーグはきっぱりと言い張る。
(おい、今度は俺に対して哀れみを感じているんじゃねえだろうな。だとしたら噛み切るぞ、小僧)
(だってさ、これからいろいろ出来たはずなのに…)
(てめえなんかに哀れまれる方が屈辱的だわ。そもそも自分の命をどう扱おうがてめえの勝手だろ。俺がどうこう言うものじゃねえ。まあ、最後が封印されていた時のような自由が無いというのは気分悪いが)
(同じじゃないさ。今度は俺もいる。終わりも見えている。話しながら最後を全うしよう)
(…フンッ!)
ディオーグは少々呆れながら軽く鼻を鳴らす。それが今の大一には不快感なく感じる反応に見えた。もっとも彼自身、終わりが見えていることにどこか安堵にも似た感情を抱いているからかもしれないが。
それに大一とて、ディオーグ同様に心残りが無いわけではない。ようやく肩の荷を下ろせた感覚なのに、ここで死ぬのは口惜しくも感じた。頭の中には多くの人物の顔が浮かぶ。約束を守った親友、心から惚れた女性、ようやく関係を見直せ始めた後輩、頼れる仲間達、信用してくれる両親、世話になった師匠と大人達、振り返ってみればいかに自分が助けられていたのか、愛されていたのかを実感する。ゆえにここで終わるのを寂しく思うのは当然であった。
そんな彼が今できることは最後まで悔いを少しでも減らすことであった。後悔と罪悪感だらけの人生で、最後にこんなことを思いつくあたりが大一という人物を表しているだろう。
(ところで、ディオーグ。死ぬ前に解消したい悩みがあるんだよ)
(俺に言う理由があるか?)
(お前以外に話す相手いないし…。それでさ、身体は全身傷だらけの激痛が走る状態なんだけど、それとは別にこの頭の重い感じがまだ取れないんだ)
(…知ったことじゃねえし、どうにもできねえな。それを言ったら、俺はさっきから何かが隠れているのが気になる)
(なにか?)
(ああ。悪魔でも龍でもない。一番近いのは…あれだ。あの筋肉野郎が持っていた喋る神器というやつだ。巧妙な隠れ方だが、俺相手には無理だな。わざとこっちに姿を見せないようにしているのか、気分悪いんだよ)
(…ちなみにそれってどこにいる?)
(少し前方のお前の頭側)
ディオーグの指摘された場所に目を凝らす。ただ瓦礫が無造作にはめ込まれているように見えたが、何を思ってか大一はそこに声をかけた。正体がわからなかったため、ぼかしたような言い方ではあったが。
「おい、そこにいるのは分かっているんだ。姿を現せ、この臆病者」
『…チッ!いつから気づいていた?』
「お前は…!?」
瓦礫の隙間から黒い靄のようなスライムのような物体が流れ出し、軽く舌打ちしながら血走った眼を大一へと向ける。その存在を大一はよく知っていた。忘れようにも忘れられない。数か月前に彼を取り込み狂わせ、仲間達の命を奪いかけた神器「犠牲の黒影」であった。アザゼルによって止めを刺されたはずの存在がここにいるのは、不快よりも疑問という感情を優先させた。
「なんでお前がこんなところに!?」
『うるせー!お前らのせいで僕はボロボロだ!こんなところにも飛ばしやがって!』
「この状況については、俺は何もやっていない」
『逆にお前以外だれがいるってんだ!もう1回憑りついて絶望させてやろうか!』
「…止めた方がいいと思う」
『ほーう、強気な態度じゃないか!後悔するなよ、半悪魔が!』
完全にキレていた意志のある神器は、大一目掛けて飛んでいく。彼の胸に目玉が気持ちの悪い音がするのと同時に、彼は頭の重さがいっそう強くなり吐き気を覚えた。同時に嘲笑に満ちた甲高い声が聞こえる。
『ハッハー!口だけだったな!このまま完全に───』
(なんだ、てめえは?)
ディオーグの低い声がシャドウに問いかける。彼の声はハッキリと不快を表しており、同時に威嚇を目的にしているのを隠そうともしなかった。
これにはシャドウも衝撃を受けたようで、大一の胸から黒い影が現れそこからギョロついた眼を彼に向ける。先ほどまでと変わらない見た目のはずなのに、その眼には衝撃と恐怖を感じて印象が変わっていた。
『ななななな、なんだってんだ!今の感覚!?お前、身体の中に化け物でも飼っているのか!?』
「まあ、たしかに化け物みたいに強いかもしれないけど…」
(誰が飼われているだ!思いだしたぞ!てめえ、前に小僧の方から俺の中に入り込もうとした奴だろ!その脆弱な精神ごと粉々に押しつぶしてやろうか!)
『お、お助けー!』
「なんだこの状況…というか、お前ディオーグとも話せるのか」
涙目でじたばたと動くシャドウに、大一が話しかける。しかしこの神器はビビりすぎて彼の話をまるで聞いていなかった。シャドウが自分の胸から出てきてじたばたと動くのに対して、ディオーグはその態度が気に食わなかったのか、頭の中で何度も歯を鳴らすように声を荒げる。死に際の大一にはまるで平穏とは無縁の状態が続いたが、この一連の出来事のおかげでいくつかの問題に納得できた。
(…ああ、そういうことか。こいつ、グラシャラボラス領にいたんだ)
(なんでそんなことがわかる?)
(俺の頭が重かったのは、おそらくこいつが近くにいたからだよ。1度憑りつかれたから、俺の魔力とかその類のものをわずかに持って、こいつと繋がりみたいなのが出来たんだと思う)
(憶測が過ぎねえか?)
(こいつの支配から正常に生きて解き放たれたのって、俺以外にいないから憶測で話すしか無いんだよ。それにゲオルクが俺らだけを疑似空間に移動させた時、こいつが俺の魔力を持っていれば、巻き込まれたとしても不思議じゃないだろ?)
特に言い返す必要を感じなかったのかディオーグは思案して黙り込み始める。一方で、大一は動きすぎてぐったりとしていたシャドウに再び声をかけた。
「お前、どうしてグラシャラボラス領にいたんだ?というか、どうやって生き残ったんだ?」
『なんでだぁ?そもそも僕があんな攻撃で死ぬか!ギリギリのところで分裂して、逃げてやったわ!
それにグラシャラボラス領というが、遥か昔にあの家系の下僕悪魔に憑りついていたことがあって、あの辺りは僕の隠れ家のひとつだっただけだ。それをお前らが…あー、ちくしょおっ!』
再び感情が昂ったシャドウは、この狭い瓦礫に囲まれた空間を駄々っ子のようにじたばたと動く。少なくともこの神器を止められるほどの体力はまるで残っていなかったため、大一は黙ってこの状況を見守ることに徹していた。ディオーグも何かを考えているのか、はたまた興味が無くなったのか、何も言わなかった。
数分後、口でもあれば息が切れていそうな状態でシャドウはぐったりとしていた。
『くっそ…屈辱的だぁ…!こんな終わり方をするなんて…!』
「お前、この世を混乱に貶めてきたのに、よくそんなこと言えるな」
『うるせー!僕としては野望さえ果たせばいいんだよ!』
「野望ね…そういえば、俺に憑りついた時に何度か野望がどうのって言ってたらしいな。そこまで成し遂げたい野望ってなんだよ?」
『お前なんかに教えないよーだ!』
(さっさと話せ)
『はい、わかりました』
「お前、ディオーグに従順すぎるだろ…」
この短時間に構築された力関係には呆れしか感じられなかったが、それを追求しても意味はなさなかった。
シャドウは少し面倒そうに、同時に憂いのこもった声で話し始める。
『野望って言っても大したもんじゃないよ。天界に復讐したかっただけさ』
「さらっと穏やかじゃない発言をしているな。何がそんなに気に食わない?」
『…そりゃ、僕という存在を生みだしたことにさ。あのね、僕が好きでこんな特性を得たと思うか?得た生物は死ぬか、狂うかの2択なんてどんな頭おかしいギャンブラーでもやりたがらないだろう。こんなの創り出した神のミスだろうよ。僕だって神器である以上、特別な存在なはずなのに…。当然、この特性が判明したら多くの奴らが僕を排除しようと躍起になったさ。
でもね、僕はその時にはすでに何十人と憑りついており、感情というものを持ってしまったんだ。消えたくないと思うのは当然だろう』
そこで言葉を切るシャドウは、物思いにふけるように疲れた眼をしていた。忌々しい眼のはずなのに、そこに映る憂いはこの神器の壮絶な経験を物語っていた。この存在が全てを騙し、憑りつき、混乱を巻き起こすのも、彼の憎しみをぶつけるためなのだろうか。
この神器の狡猾さは理解している。この話も真実とは限らない。それでも大一は同情を湧いているのを実感した。むしろそれ以上に…
『お前らなんかにわかるか?どんなに誰かのためになろうとも、その存在自体が許されないんだ』
「…わかってやれないな。しかしお前のやって来たことは───」
『許されるものじゃないとかって言うんだろ?そんなのとっくの昔に気づいている。でも僕は───』
(おい、てめえら。そんなつまんねえ話をまだ続ける気か)
呆れ半分、苛立ち半分にディオーグが話の流れを止める。さすがにこの行為には大一はもちろんのこと、シャドウも相応の不満を感じたようだ。
(ディオーグ、お前はもうちょっと人の話を聞くことが大切だな)
『ちょっと…どころじゃないくらい今のは気分悪いんだけど。だいたい話せって言ったのそっちじゃないか』
(知るか。身の上話なんぞ、後でいくらでもやればいいだろ。せっかく俺ら全員が動けば、ここから脱出できるかもしれねえのによ)
ディオーグの言葉に、大一もシャドウも押し黙る。彼が考えていた時間とそれによって得た答えは、シャドウの話を止めるのに十分な理由を有していた。
さあ、それぞれ何を考えているのやら…。