第120話 騒々しい朝
休日の早朝、大一は静かに息を吐く。場所は家からの魔法陣で向かえるグレモリー領の地下フィールド。いつもの朝のトレーニング場所とは異なるだけでなく、たったひとりで立っていた。約20メートル先にはトレーニング用の動く的がある。普段はギャスパーが神器で動きを止めるものだが…。
「…よし」
大一は義手を外すと、そこから黒い影を発生させる。影はタコのような触手を複数本形成すると、的に向かって突き進んでいった。計10個ある的に黒い影が次々と命中し見事に動きを捕えると、そのまま引き寄せて的を足元に置いていった。どれも捕らえただけなので傷などはついていない。
大一は軽く息を切らしながら、右腕から伸びる黒い腕を見る。
「8本でこの長さ…実戦で使えそうなのはこれが限界だな」
先日、次元の狭間から生きて脱出した際に大一が仲間とした神器、「犠牲の黒影」の使い心地はお世辞にも良いとは言えなかった。魔力を使わないとは言え、下手に範囲を広げると心持ちが悪くなる。限界を超えると、以前のように意識を失うこともあるようだ。併せて、この伸ばした影に魔力を込めるのが上手くいかずに、硬度や重さを上げることが出来なかった。
つまり今の大一は鍛え上げた体の一部を切り捨て、代わりにまるで違う技術を要する能力を手に入れたことになる。一誠と違い、単純に強くなったと言えないこの状況がもどかしかった。もっとも彼の場合もドライグが眠りについているため、今はいつものように鎧姿で戦えなかったのだが。
大一としては、これまでとは違った戦い方を模索しなければならないため、不安を強く感じた。
もちろん、弱音を吐いていられない。実力がものを言う悪魔の世界では、このまま立ち止まるわけにいかなかった。
もっとも彼の場合、その悪魔の世界にも属していると断言できなかった。大一は弟に「悪魔の駒」を移しており、一誠の方が先にリアスの元に馳せ参じていたため、彼女が持つ「兵士」の駒は8つとも一誠が宿していた。つまり今の大一は厳密に言えば、誰の眷属でもないどころか転生悪魔とも言えない存在になっていた。すでに炎駒やアザゼルに相談しているが、解決の糸口は見つかっていなかった。
それでも強くなることを無視できない。禍の団やクーフーへの懸念がある上に、このような立場になってもリアス達と共に戦う自覚のあるのだから。
その後も彼は朝のトレーニングをこの能力と向き合うことに費やした。
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「早く慣れなくちゃな…」
『おいおい、まだこんな早朝からのトレーニングやっているのか?』
1時間ほど筋トレと影の使い方に時間を割いた大一の右肩から、黒い影が伸びて血走った眼玉が姿を見せる。
「別にいいだろ?お前を扱えるようになりたいしな」
『前に憑りついた時にキミの記憶を見たけどさ、ちょっとは休んでもいいと思うぜ?あんだけトレーニングしているのに、割に合わない印象だよ』
「それはちょっと違うな。俺はこれだけやって、あいつらと並べるんだよ。割に合うどうこうじゃないんだ」
『そんなものかねえ…』
露骨な不満を隠そうともしないシャドウに、大一は困ったような苦笑いを浮かべる。シャドウは基本的に大一やディオーグ以外に対して、お世辞にも友好的ではなかった。特に神器としての苦労を経験したため、天使や堕天使関連者への嫌悪感はひときわ話したがらなかった。逆に言葉を発すれば、悪態や煽りも出てくるため、これを戒めるのにも苦労した。友好的なアーシアやイリナにすら、そういった態度を取るためこの神器の憎しみの根深さが察せられる。
もっともアザゼルに関してはむしろ研究させろと何度も迫ってくるため、シャドウの方に同情したくらいであった。
そこに重低音の声が頭の中に響く。
(うーん、味噌汁の香り…肉と野菜に味が染みたのもあるな。これは煮物だな。しかもあの女の煮物だ)
(ああ、ディオーグも起きたのか。おはよう)
『というか、よく朝食のメニューがわかるね』
(俺は鼻も効くのさ。おっと、卵に出汁も入った匂いがするぞ)
『…匂いって嗅ぎ分けられるものなのか?』
(普通は無理だろうけど、ディオーグだしな…)
(うるせえぞ、ガキども。とにかく飯だ!さっさと行け!)
大一は首をひねりながら、義手を着け直してフィールドを後にする。脳内でまったく別の人格が話し合いを始めることもざらであった。
要するにディオーグとシャドウの関係性についても、大一は不安を抱えていた。
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早朝のトレーニングを終えた大一はシャワーを浴び、家族や仲間と共に朝食を取る。休日ゆえにのんびりと緩慢な動きをするメンバーも多く、一誠辺りは眠そうに目をこすっていた。
食卓には朝にしては手の込んだ和食が並べられており、どれも香りから空腹を刺激するものであった。大一としてはディオーグがものの見事にメニューを当てたことに、思わず苦笑いが出てしまったが。
それにしてもこの食事風景は慣れ親しんだものであるはずだが、死にかけた経験のおかげで今の大一にとってはより温かみのある光景になっていた。仲間がいる、家族がいる、それを実感するほどに、胸に熱いものが込み上げてくるのだ。
本来ならば、涙のひとつやふたつが出てもおかしくないが…
(うーん、黒髪女の煮物が一番いいな。あとはパーティとやらの味の濃い食い物だ)
『僕は洋食派だな。日本で活動していた回数って少ないから、スープとか肉の方が好みだよ』
(影小僧、お前は俺と舌が合うかもしれねえ。てめえが食ってきたものを教えやがれ)
『さすがに写真もないから難しいな…』
頭の中でディオーグとシャドウが会話する。神器なのに食べることが出来るのには疑問を感じたが、意識することで憑りついた相手が感じる味、触感、風味はわかるらしい。もちろん食事を取る必要は無いのだが、長年の逃亡生活をするために学んだようだ。
一方でディオーグも何度も食事を取っていくにつれて、いっちょ前に知識を身につけたようで、最近はまだ見ぬ食べ物への情報収集をやりたがった。おそらく戦い以外で彼が活き活きとするのは食事に関することだろう。
こんなことが毎度の食事風景であれば、大一としてもゆったりとした食事は出来なかった。もっとも原因はそれだけじゃない。これ以上に厄介なことがあるのだ。
父が味噌汁をすすり、安心の表情でアーシアに目を向ける。
「いやあ、アーシアさんも腕を上げたな」
「い、いえ!私なんてリアスお姉様に比べればまだまだです…」
「あら、謙遜しなくていいのに。私もお父様の言う通りだと思うわ。ねえ、イッセー?」
「俺もそう思うよ。アーシアの味、すごく好みだ」
リアスと一誠の言葉に顔を真っ赤にしてアーシアが照れる。この光景に、両親は和やかな視線を向けた。2人とも息子の一誠がリアスと付き合っていることは知っているが、娘同然のアーシアにも幸せになって欲しかった。いざとなれば重婚の方法まで探ろうとするほど、とんでもない寛容性(?)を見せる両親であり、大一もそれはよく理解している。
しかしこの場で彼はそれを関心の外に置いていた。指摘してツッコミを入れる余裕は無かったのだ。というのも…
「あっ、大一。お醤油取ってくれない?」
「…え?ごめん、なんか言った?」
「お醤油を取って欲しいんだけど」
「ああ、はいはい」
母の言葉に、大一は慎重に箸を置いて彼の右側にある醤油さしを掴む。少し不器用に持ち上げた彼はそのまま腕を伸ばして母に渡した。
「ありがとう」
簡単にお礼を言った母に大一は胸を撫でおろす思いであった。食事に余裕のない最大の理由は、この腕のせいであった。今の大一の右腕には本物と変わらない見た目の義手が備え付けられている。どこからどう見ても人間の腕であり、感触も平常時の人肌と変わらない。ぱっと見は完璧な義手であった。
しかし本物の腕では無いのだから感覚もない。長年使ってきた腕では無いのだから、扱うのにも神経を集中させなければならない。この新たな義手の扱いには苦労していた。ましてや彼の場合は利き手が右であったため、箸やペンの扱いなど細かい作業もしなければならない。
両親や友人の前で右腕を失ったことを、告白できればどれだけ楽だろうか。しかしそれは同時に悪魔の真実を話すことでもあるため、そもそも選択肢に上がるものでは無かった。ましてや大一はこれ以上の心労を両親にかけることなど言語道断なのだ。一誠と共に死にかけたことは記憶操作のおかげで大事には至っていないが、それでも後ろめたさは感じている。
「おいおい、大一。顔が険しいぞ」
「えっ!?ああ、ごめんごめん。考え事をしていた」
父の指摘に大一はごまかすような笑いを向ける。悪魔になってから何度も多用していた反応であったため、父は特に追及することはなかった。それでも怪訝そうな表情を浮かべ、それは母も同様であった。
そのやり取りを見たリアスは注意を自分に向けるために、よく通る声で一誠に話しかける。
「イッセー、今日のデートはよろしくね」
「…えっ…あっ!そうですね!うん」
兄に気を取られてたどたどしく反応する一誠であったが、リアスの発言の内容だけで両親の注意を向けるには十分であった。この日は一誠が約束していたリアスとのデート日であり、その事実だけでこの家庭内では色めき立つものがあった。
「イッセー、しっかりとリードしなきゃダメだからね」
「いやあ、若いって良いな」
釘を刺す母に、懐かしむような父と反応はそれぞれであったが、共通しているのは息子がリアスとの関係をさらに進めることであった。
両親の注意が逸れたことに、大一は軽く安堵する…間もなく、今度は母が大一へと声をかけた。
「大一も休日なんだから、朱乃さんとどこか出かけたらいいのに」
「普通、それをわざわざ目の前で言うか…?」
「ええ、言いますとも。女の子との関係は、ある意味イッセーよりも心配になる時があるからね」
「その言われようは傷つくな。まさかエロ大名の一誠以上に心配されるとは」
「兄貴、言いすぎだろ!そっちだって男としての機能が怪しいときあるのによ!能面ムッツリ朴念仁!」
「言いたいこと混ぜすぎて矛盾の塊みたいな悪口になっているじゃねえか!とにかく、お前のようなオープンスケベよりはマシだ!」
テーブル越しに口喧嘩の始まる兵藤兄弟の様子に、リアスはどことなく安心した。恋人と親友がしっかり帰ってきたことに何度目かというような安心をするのであった。
一方で、朱乃も母とテーブル越しに手を握り合っていた。
「お母様、心配しないでください。大一のことは私が必ずどうにかしますわ」
「ああ、とても頼もしいわ!お願いするわね、朱乃さん!この際だから、イッセーにも負けないようなエロさに仕立て上げてもいいのよ!」
「お任せください、お母さま!」
さすがにこのやり取りには大一も一誠との口喧嘩を中断して、衝撃に耳を疑う。付き合い始めてから、仲間達の評判と積極性を垣間見た彼にとって、朱乃ならやりかねないという印象が強くあったのだ。
「そっちはそっちで、何をとんでもない会話しているんだ!?」
「まったくです。今の朱乃さんが先輩と出かけても、きっと不埒なものになるに違いありません。だから今日は私と食べ歩きをしましょう、先輩」
「ふ、不埒はいけませんよ!そうなるくらいなら私は阻止します!」
ここぞとばかりに小猫とロスヴァイセが、この話に介入する。関係を進展できる確率を上げた小猫は、以前よりも大一へのアプローチが増えており遠慮の無さが垣間見られた。これには朱乃も笑顔でありながら山椒のように辛みが利いた雰囲気を纏い、母の方は大一も一誠同様に複数の女性から慕われていることに気づいてワクワクしていた。
『お菓子だと僕はタルトタタンがいいね。リンゴの香りが最高なんだよ』
(デザートであれば、クレープが美味かったな。そのタルトなんとかはそれ以上か?)
『味は保証するよ』
(お前らは話し合うなら、聞こえないくらい奥でやってくれ!)
大一が外でも中でも忙しく対応する一方で、一誠もゼノヴィアの言葉を皮切りに女性陣との騒ぎに巻き込まれていた。
「これは迷うな…イッセーとのデートと先輩のデートとどちらを見学するかな」
「ゼノヴィア、俺とリアスのデートをつけるつもりだったのかよ!?」
「後学のためにな。それに私だけじゃなく、アーシアとイリナも行くつもりだったぞ」
「我も行く」
「大所帯すぎねえか!?」
「でもイッセーくんやリアスさんだって、前に一緒にお兄さんと朱乃さんのデートをつけたじゃない」
「ええ!?イッセー様がそんなことを…!」
オーフィスやイリナ、レイヴェルも混じって話の規模が大きくなり、一誠は彼女らを止めようと必死になり、リアスの方は困ったように額に手を当てて首を振る。もはや食卓で起こる話し合いはちょっとした喧騒にまで発展しており、休日の朝の穏やかな雰囲気とはかけ離れていた。
それでも一家の大黒柱は味噌汁の残りをすすりながら、嬉しそうな笑顔になる。
「いやあ、平和だな」
13巻はミリキャス来訪の話は触れたいと思います。運動会ネタとか書ける気がしない…。
それはそれとして原作に出たキャラをもうちょっと出したい…。